イギリスでの出産から現在までの旦那と二人三脚育児

2022年3月8日

海外子育て

第一章:出産24時間後に退院、そしてすぐさま育児

2017年に私たち夫婦がロンドンに引っ越してきて間も無く妊娠が発覚しました。
日本に帰国して出産する選択肢もあったのですが、私たちはロンドンで出産することにしました。
産後数ヶ月で日本に帰国するつもりだったのでそれまで旦那と2人で頑張ろうと決心し、そう決めました。
私の家族も旦那の家族もロンドンには住んでいないので、頼る人が全くいない中での出産は正直不安な気持ちもありましたが何とかなるだろうとその時は考えていたのです。
イギリスでは基本的に産後24時間で退院となります。
私の場合は出血が多かった為、娘が産まれた直後はフラフラで立ち上がる事も出来ない状態だったのですが容赦なく24時間後に退院しました。
つまり私は産後24時間で育児開始となりました。
産後の病室は大部屋に6人程のママ達と一緒の部屋だったので赤ちゃんの泣き声はもちろん、他の家族もいるのでなかなかリラックスできる訳もなく家に帰れることは正直嬉しかったです。
しかし家に帰ってきてからは、休むことなくすぐさま育児スタートです。
ギャンギャン泣く娘にあたふたする私たち。
何度も何度もおっぱいを試みたのですが寝ることなく泣き続ける娘。
旦那も大泣きする娘を見て何もすることができず、私もその時は軽いパニックになっていました。
病院ならすぐに看護師さんに助けを求めることが出来るのですが、誰にも助けを求められないので旦那が自分のお母さんに電話してくれました。
旦那のお母さん曰くお腹空いてるとしか考えられないからミルクをあげてみなさいとのアドバイス。
粉ミルクや哺乳瓶も事前に準備していたのですが、その時はパニックだったので何も考えることができずただ焦っていたのだと思います。
ミルクをあげるとすぐに眠ってしまった娘。
その時は本当に心から安堵したのを覚えています。
日本で出産していたら家族に助けて貰えただろうなと育児初日から日本に帰国しなかったことを後悔しました。
その日は娘にミルクをあげることのみをこなし旦那が買ってきた夕食を食べてあとは全て放置でした。
とにかくその日は疲れ果てていたのです。
私の場合は無痛分娩だったので体力温存出来るから大丈夫だと思っていましたがやはり疲れていました。
しかし疲れていたのにも関わらず夜は全く寝付けずだったのです。
その日から私の寝たいのに寝れない寝不足生活が始まりました。
寝ようと思っても「娘はちゃんと息をしているのか」「ブランケットをかけた方がいいかな」と心配になり全く安心して眠ることができなかったのです。
いつミルクで起きるだろうか、また大泣きしたらどうしようと常に気を張った状態が続きました。
とても疲れていて本当は睡眠をとるべきなのですが、産後1、2週間はなかなかぐっすり寝ることはできませんでした。
旦那は産休を3日間とってくれていたので、食べるものや必要な物の買い出しに行ってくれて本当に助かりました。
そんな私の唯一の救いだった旦那が産後4日目から仕事へ復帰です。
私1人での育児開始です。
とにかく娘のお世話だけを頑張ろうと決めていたので引き続き家事は全て放置していました。
旦那が仕事に復帰して1週間程はほぼ毎日旦那が外で買ってきたものを食べる食生活でした。
キッチンに立って料理をする、正直そんな余裕は全くなかったです。
家事は全て放置していたので部屋は荒れ放題、料理はしていなくてもキッチンもひどい状態でした。
無痛分娩の為、硬膜外麻酔をしたのですが腰が痛くてベッドから起き上がることが一苦労だったのもあり家事など全くする気にもなりませんでした。
ちなみに沐浴は病院で教えてもらえず、不安な気持ちしかなく実際に沐浴に挑戦したのは産後4日後だったと思います。
初めての沐浴はとても緊張したのを覚えています。
日本にいる私の母に電話して何度もやり方を確認したほどです。
腰の痛みを我慢しながらの沐浴はとても辛かったです。

腰の痛みよりも大変だったのは、産後のホルモンによるものなのか今でも謎のままですがその頃は本当によく泣いていました。
悲しいから泣くというよりは勝手に涙が出てくるといった感じです。
仕事から帰ってきた旦那に、今日も一日よく頑張ったねと言われただけで涙が止まらなくなっていました。
さらには母乳を何度も試しても出ないことが分かり、その際も大泣きしていました。
今ではミルク育児でとても良かったと思っていますが、その時はとてもショックを受けました。
初めての育児、そして日中たった1人での育児だったので毎日必死だったのだと思います。
寝不足が続き、それでも自分がしっかりしなければいけない状況だったので気も抜けない日々に精神的にも参っていたのだと思います。
そんな中でもやっと授かることの出来た娘の姿を見ることで幸せを感じていました。
イギリスに引っ越してきてすぐの妊娠だったので友達もおらず、話し相手は日本にいる家族でした。
少しの会話でも本当に救われていました。

そして産後1週間がたった頃、訪問検診がありました。
イギリスでは産後の検診は家に訪問してくれます。
出かける余裕など全くなかったので、これは本当に助かりました。
検診に来てくれた方は本当に優しい方で、今までたくさんのママ達を見ているだけあり話していてとても安心出来ました。
母乳が出ないことに対しても愛情が一番と笑顔で言ってもらえた時は本当に救われました。
産後からずっと緊張状態のまま育児をこなしていたので、私の気持ちを理解してもらえた時はとても嬉しかったです。
その時も大号泣してしまいました。
次の訪問検診の予定はなかったのですが、私の様子を見に来るだけのために次の週に再度来てくれることになりました。
あまりにも泣き続ける私を見て心配になったのでしょう。
その日の検診では思う存分泣いて、色々とアドバイスをもらえたのでなにか吹っ切れた気持ちになっていました。
そのおかげで次の訪問の時には泣くことはなく、笑顔で楽しくお話しが出来ていました。
やっと泣き続ける日々が落ち着いて笑顔になれたのは産後2週間の頃だったと思います。
ちなみに訪問の際には出来るだけ外に出るようにとアドバイスをもらいました。
ベビーカーで家の近くを散歩するだけでもいいからとにかく外に出るようにとのことでした。
産後1ヶ月は家で過ごすものだと思っていましたが、イギリスでは産後すぐに外出する人が多いようです。
正直娘と2人きりでの外出は不安なので、旦那がお休みの日に思い切って外出してみました。
久々のメイクにパジャマ以外の服、とても気分が良かったです。
久々の外の空気はやはり気持ち良く、短い時間の散歩でしたがとてもいい気分転換になりました。
毎日家に引きこもっていた私にはとても必要な時間だったと思います。
その頃からは気持ちの浮き沈みもなくなり、家事も少しずつ出来るようになりました。
とは言っても簡単な料理をする程度ですが、それでもボロボロ状態からの大きな一歩でした。
幸い娘はとても寝る子だったので、娘が寝ている間にゆっくり出来るようになりました。
食欲もなく全く食べる事も出来ない状態だった食欲も戻ってきてました。
これには旦那も本当に安心していました。
産後はなかなか食べることが出来ず妊娠中に増加した体重もすぐに落ちてしまいました。
もちろんいい痩せ方ではないのですが、それだけ食べることが出来なかったのです。
娘のことが気になり不安でぐっすり眠れない日々、毎日理由も分からず泣いていたあの頃の私は産後うつ病だったのではないかと今では思います。
気持ちも落ち着いてきたとはいえ、初めての育児で慣れないことばかりでバタバタした日々は変わりませんがそれでも笑顔になれたのは大きな変化です。
日中のベビーカーでの散歩は日課となり、そのおかげで毎日家に引きこもることなく過ごせていました。
外に出て太陽を浴びること、新鮮な空気を吸うこと、そんなシンプルなことがとても大切だと実感しました。

第二章:ロックダウン生活

積極的に外へ出るようになり、精神的にボロボロだった頃に比べ楽しく育児が出来る様になりました。
もっと笑顔で娘に接することが出来るようになったのです。
日に日に明るく元気な自分を取り戻していく私を見て、旦那はとても安心していました。
毎日理由もなく泣いていたあの頃の私と接することは、本当に大変だったと思います。
旦那は出会った頃から変わらずいつも私に優しく、本当に感謝しています。

娘が夜まとまった時間寝るようになり、私もやっとぐっすり眠れるようになったのがこの頃です。
夜泣きはほとんどなく、日中は1日に4、5回お昼寝をしていたので、その間に掃除洗濯をこなしていました。
だんだんとお昼寝の回数も減っていったので、あの頃は結構時間に余裕のある育児期間だったと思います。
もちろん自分のゆっくりする時間も確保出来ていました。
ソファに横になり、携帯片手にお菓子を食ベている時間は至福のひと時でした。
旦那は仕事から帰ってくる時間が早いので、旦那が帰宅後、娘を見てくれている間にゆっくり夕食の準備が出来ていました。
娘のお風呂も毎日旦那が手伝ってくれていました。
週末の朝には、旦那が娘の面倒を見てくれていたので私はいつもより長く寝ることもできていました。
旦那の絶大なるサポートのおかげで、バタバタイライラすることなく、わりと穏やかに育児が出来ていたと思います。
娘が寝てからは、夫婦で映画鑑賞もできるほどでした。

娘もすくすく成長し生後3ヶ月になった頃、私達も育児に慣れてきたので日本へ一時帰国することにしました。
2019年の末に飛行機を予約し、帰国は2020年の3月に決めました。
お正月に帰国したかったのですが、飛行機代があまりにも高い為3月に決定。
やっと両親に孫の姿を見せることが出来ると思っていました。

しかしそのころから広がり出したコロナウイルス。
だんだんと感染が広がり、ニュースは毎日そのことばかりになっていきました。
心配する実家の母からは、一時帰国をキャンセルした方がいいと言われていました。
それでもギリギリまで考えてから決断するつもりでしたが、飛行機が飛ばなくなってしまい帰国は断念することに。
両親に孫の顔を見せることはもちろん、少しは実家でゆっくり過ごしたいと思っていたのでとてもショックでした。

それからイギリスの感染は驚くほどに広まり、ロックダウンが始まりました。
その後も解除されては再びロックダウンといった状態が1年ほど続くのですが、金銭的に、そして精神的にも辛い日々になりました。

はじめのロックダウンでは、未知のウイルスに不安だったので、自宅で過ごすことはむしろ安心しました。
旦那も在宅勤務になり私は正直嬉しかったです。
娘と2人きりで毎日家に引きこもるよりは、たとえ仕事でも家に旦那がいるだけで安心できました。
ロックダウンの間はお店もレストランも全て閉まっています。
開いてるのはスーパーのみ。
不安からか買いだめしていく人が多く、買いたいものが買えない時期もありました。
外出は1日1度の散歩、またはスーパーへの買い出しのみ許されます。
色々と意見はありましたが、私たちはわりと楽しい時間を過ごせました。
日頃仕事で娘との時間が少ない旦那も、仕事の間に娘を見ることが出来るのでとても嬉しそうにしていました。
娘がお座りし始めた時、初めて立った時や歩き出した時も全てロックダウン中でした。
なにより家族3人の時間が増えたのでとても嬉しかったです。

そしてロックダウンが長くなるにつれ我が家にもだんだんと影響が出て来ました。
旦那の勤務先はロックダウンの影響が大きく、解雇になる人が出てきました。
旦那の収入も激減しました。
これは我が家には本当に大打撃でした。
今まで通り家賃を払い、生活費もいつも通り。
しかし毎日家で過ごすので光熱費はいつもより上がっていました。
正直激減した旦那の収入だけでは月々の支払いが出来ず、貯金を取り崩しながらの生活になっていったのです。
私はその頃働いていなかったので、旦那の収入のみで生活していました。

毎月マイナスになる生活は不安でしかありませんでした。
このままの収入では貯金なんてなくなり生活できなくなります。
このどうしようもない状況に不安と苛立ちを覚えるようになっていきました。
普段は気にしないような小さなことにイライラしてしまい、旦那に八つ当たりしていました。
娘の泣き声にもイライラしてしまうこともありました。
何かあるとすぐに機嫌が悪くなっていたあの頃の自分が情けないです。
お金がないと心に余裕がなくなるなんて言いますが、まさにそうだと実感しました。

さらに追い討ちをかけるように下の階の住人から苦情が来ました。
朝早くからバタバタと音がうるさいという理由でした。
娘は朝7時に起床していたので、おもちゃで遊ぶ音や足をバタバタして遊ぶ音が気になったのだと思います。
泣き声は赤ちゃんだから仕方ないと言ってくれたのですが、さすがに朝方は勘弁してほしいと言われてしまいました。
それからは娘が朝7時に起きてもなるべく静かに動き、娘が少しでも機嫌が悪くなれば常に抱っこをしていました。
在宅勤務が増えたことで、いつもは気にしない音も気になるようになりストレスになっていたのだと思います。
それは私も同じでしたが、さすがにこの苦情には凹みました。
ただでさえお金の不安でイライラする日々、さらにこの苦情以降はなるべく静かにしなくてはいけないという緊張感で、よりストレスを感じる日々になっていきました。

そんな不安とストレスを抱える日々でしたが、日に日に成長していく娘は本当に愛おしい存在でした。
ニコニコと声を出して笑う娘を見ると、自然に笑顔になっていました。
娘との時間は楽しく過ごせていたのですが、何ヶ月も自宅で過ごす生活、人に会わない生活は気分が下がるばかりです。
ロックダウンになった年のイギリスは鬱になる人が増加しました。
私も1人きりで生活していたらと思うと、精神的ダメージは大きかったと思います。

1日1度散歩することができたので、ベビーカーで近くの大きな公園へ散歩に行くようになりました。
ただ公園を歩くだけですが、それだけで気持ちが全然変わります。
産後の情緒不安定だった頃もなるべく外に出るようにしていたので、ロックダウン中も散歩は続けていました。
また散歩だけでなく、旦那と一緒に自宅で筋トレも始めました。
もちろん苦情が怖いので、激しいトレーニングでなく静かに出来るトレーニングです。
産後のたるんだ身体を引き締める目的と、何か家の中でも出来ることをしようと思い筋トレをスタートしました。
まだ小さい娘と一日中過ごしていても、会話することなどほぼない生活だったので、何か毎日続けることで少しでも充実した生活を送りたかったのです。
筋トレはとてもいい効果をもたらしてくれました。
トレーニング中はとてもきついですが、終わった後の爽快感は最高なものでした。
普段汗をかくほど運動する機会もなかったので、筋トレを始めたことは大正解でした。
その他にも旦那は自分で髪を切ることが上手になりました。
後ろ髪は自分で切ることが出来ないので、そこは私の担当でした。
私も元々大好きだったネイルを自分でするようになりました。
小さなことですが、自分達で試行錯誤しながらロックダウン生活を少しでも良くしようとしていました。
もちろんお金の不安は常にありましたが、旦那に仕事があり、そして家族が健康に過ごせることに感謝するようにしていました。

そしてそんな辛く不安な日々にもようやく終わりがきました。
ロックダウン解除の宣言です。
やっと長い引きこもりの生活にさよなら出来ます。
もちろんすぐに普通の日常に戻るわけではなく、少しずつ規制を緩くしていくという感じでしたが、それでもとても嬉しいニュースでした。
コロナウイルスがなくなったわけではないので、引き続き気をつけて生活していく必要はありますが、自由に外へ出ることが出来る、これは本当に嬉しかったのです。

第三章:保育園で一言も言葉を発しない娘

ロックダウンが解除され、静かだった街中に徐々に活気が戻ってきました。
久々に見る街中の人混みになんだか安心と不安な気持ちがありましたが、やはり外に出れる喜びは大きいものでした。

旦那も在宅勤務が終わり、通常通りの勤務になりました。
やっと貯金を取り崩しながらの生活にも終わりがきたのです。
このままでは本当に貯金がゼロになり生活困難になるところでした。

そして学校も通常通りになるので、娘の保育園を調べ始めました。
もっと待っていても良かったのですが、ロックダウンの影響により1歳3ヶ月頃までママとパパ以外に接することなく過ごしてきた娘に、他の子と触れ合う機会を早く作ってあげたかったのです。

ロックダウン後に旦那の友人と会う機会があったのですが、その時の娘は怖がって私から離れることが出来ず、顔を上げることも出来ず終始泣きそうになっていました。
買い物に行った時も、初めて見る人混みにとても驚いており、ママパパ以外の人に会うたびに極度に怖がっていたのです。
ちなみに旦那の友人夫婦の小学生になるお子さんの話しですが、ロックダウン中は学校に通えないので、今まで出来ていた算数の問題が出来なくなったそうです。
お友達と遊ぶことも出来ず、親御さん達は共に在宅でフルタイム勤務だったので一人寂しい時間を過ごしていたと聞きました。
オンライン授業はあったようですが、小学生の子供達にはとても辛い状況だったと思います。
もちろん在宅勤務しながら、子供のお世話もしなくてはいけない親御さん達も大変だったはずです。

そんな理由があり娘には早く保育園に通わせたかったのです。
娘が通う保育園は驚くほどに費用が高く、フルタイムで通う場合は日本円で20万円を超える値段です。
ロンドンは費用が高いのは聞いていたのですが、あの値段は衝撃的でした。
さすがに高すぎるので、娘は週2日のみ通うことに。
その場合は値段もぐんと下がるので、まずは週2日から始めることにしました。
とにかく貯金を頑張らなければいけない時期だったので、フルタイムの金額は払える状況ではなかったのです。
意外にも週1日や2日の子が結構多いのを後から知り安心しました。
保育園での対策はとても素晴らしく、先生達は毎日コロナウイルスの検査で陰性を確認してから出勤するそうです。
PCRではないですが、自宅で検査できるキットを政府サイトから無料で頼むことができ、翌日家に届きます。結果はすぐにでます。
子供たちも風邪や熱の症状が出た場合は、その家族全員がキットで検査必須です。
それほどしっかり対策があったので、娘は1歳6カ月頃から保育園に通い出しました。

初日はとにかく私にくっついて離れませんでしたが、2日目にはすでに一人で遊び出していました。
実はこの頃の娘はなかなか言葉を話さず、1歳6ヶ月の頃も「ダダダダダ」のみでした。
心配で夜な夜な携帯で調べていた時期もありましたが、とにかく今は保育園での生活を楽しんでもらえれば十分、そう思うようにしていました。

娘が週に2日保育園に通い出して、私にも少し自由な時間が出来ました。
これは本当に嬉しかったです。
ただただのんびりしても良かったのですが、結局は徹底した掃除や家事をしていました。
娘がいない時間は正直寂しかったですが、一人での掃除や買い物はとてもはかどっていました。
また休憩にゆっくりとコーヒーを飲める時間はとても幸せでした。
その頃の娘は私の食べているもの、飲んでいるもの全てを欲しがっていたのでキッチンに隠れて一人コソコソつまみ食いをしていたので自分だけの時間はとても貴重な時間でした。

そんなわずかな自分の時間を確保できて喜んでいたのも束の間、娘の発熱です。
今までは常に家にいたので熱が出ることはほとんどなかったのですが、保育園が始まり2、3週間に1度のペースで熱が出ていました。
これは友人にもよく聞いていた話だったので構えてはいたのですが、なかなか大変でした。
その他にも結膜炎や蕁麻疹も発症し、保育園を休む日々が続きました。

一番最初の熱が出た時はもう体力の限界を感じるほど疲れました。
5日間程熱が上がったり下がったりを繰り返したのですが、機嫌が悪い上に抱っこしていないと大泣きな日々でした。
夜中は特に大変で、やっと寝たなと思い娘を下ろすとすぐに大泣きしていました。
何度も何度もその繰り返しが明け方まで続いた日もありました。
今まで使うことのなかった抱っこ紐が、はじめて大活躍した時でもありました。
優しい旦那は何度も心配になって夜中に起きてくるのですが、早朝から仕事なのでしっかり睡眠を取ってほしいと伝えていました。
娘が産まれてからは、どんなに寝不足になっても夜中に旦那に頼ることは一度もありませんでした。
早朝から働いていた旦那には一人で寝てもらい、私と娘は別の部屋で一緒に寝ていました。
出勤が朝早いぶん帰宅する時間も早く、帰宅してからは娘とよく一緒に遊んでくれていたのでそれだけで十分助かっていたからです。
家事も旦那が帰宅後ゆっくり出来ていたので、夫婦でとてもいいチームワークが出来ていました。

そして発熱が続くなか熱性痙攣を発症しました。
あの時ほど心臓がバクバクした日はありません。
その時の娘はピクピクと痙攣しながら、目を見開いたまま焦点が合っていない状況でした。
1分ほどの痙攣だったのですが、娘の意識が戻らないのではと不安と恐怖な1分間でした。
幸い旦那が家にいる時間だったので、旦那が焦ることなく素晴らしい対処をしてくれました。
私もどういう対処が必要なのか事前に確認していたのですが、私一人ではきっと冷静に行動することが出来なかったと思います。
もちろん情報や知識は大切ですが、いかに落ち着いて対処出来るかも重要だと再確認しました。
その後の病院での検査も何も問題なく、娘もすっかり元気になり安心しました。
驚くことに熱性痙攣の後は発熱することもほとんどなく、休むことなく順調に保育園に通えていました。

やっと落ち着いて私も娘も順調な日々が続いていたなか、保育園の先生から連絡がありました。
今まで個人的に連絡があることはなかったので、何だか嫌な予感がしましたが的中しました。
それは保育園で娘がまだ一度も言葉を発していないというものでした。
その連絡があったのは保育園に通い出して3ヶ月、または4ヶ月経った頃だったと思います。
元々恥ずかしがり屋で人見知りだったので、慣れるまでは時間かかるだろうねと先生達とも話していたのですが、これには流石に驚きました。
確かに送り迎えの時も、他の子が娘に近寄ってきた際も娘は無視していました。
先生に話しかけられても無視です。
無視というよりは、何も話さずにただ目を合わせるだけでした。
保育園のアプリに上がる写真の娘は、全て無表情で大人しく遊んでいる様子でしたが、まさか無言で過ごしているとは全く思ってもいませんでした。
そんな何も話さない娘を心配になり、家での様子を知りたいと言われたのです。
家ではいつも楽しそうにダンスや歌を歌っていたので、その動画を見せることにしました。
保育園とは全く違う娘の姿を見て先生達はとても驚いていましたが、同時に喋ることが出来ると分かり安心していました。

保育園では無言の娘ですが、家では驚くほどの成長を見せています。
「ダダダダダ」しか話さなかった頃に比べ、お喋りがとても上手になりました。
私がどんなに日本語で話しかけても、最近はもっぱら英語での返事になったほどです。
理想は日本語も話して欲しいのですが、私が日本語で言っていることは理解しているようなので引き続き日本語で話しかけようとは思っています。
保育園で話すようになるまでもう少し時間がかかりそうですが、先生達も信頼関係を作れるように頑張ってくれているようで感謝しています。
時には一人の先生が娘に付きっきりになり過ごしてくれているそうです。

現在保育園に通い出して9ヶ月になりますが、未だに無言のままです。
それでも嬉しい成長があり、保育園で笑うようになったのです。
大好きな歌とダンスの時間は特に楽しそうに1人飛び跳ねてダンスを踊ると聞き、とても嬉しかったです。
笑顔を見せるまで8ヶ月かかりましたが、少しずつ確実に成長しています。

ロックダウンの期間が長く、娘は人と接することが苦手になったのだろうと思う時期もありましたが、きっと娘の性格もあるのでしょう。
もう少し時間はかかりそうですが、娘のペースで慣れるまで見守ろうと思っています。
育児が始まり金銭的にも精神的にも辛い時期がありましたが、今は家族3人が健康に過ごせていること、そして日々笑顔で暮らせていることが何よりも幸せです。
娘の成長と共に悩みが増え、大変な時期も増えるかもしれませんが、引き続き旦那と協力しながら頑張ろうと思います。

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