乳大好き過ぎる息子が断乳に成功するまで

2022年5月17日

海外子育て

寝ない。食べない。体重増えない。おっぱい大好き息子の断乳を決めるまで。

現在13歳になる我が家の息子はとにかくおっぱいが大好きで、おっぱい以外のものは食べたくない。
ずっとおっぱいを飲み続けていたいというタイプの子で、断乳が大変でした。
今回はそんな断乳の話を3章に分けてお話したいと思います。

当時は夫の付き添いでインドネシアの地方に赴任したばかり。
今の時代では考えもつきませんが、現代のようなwifiやインターネット環境もなく、日本にいる家族にメールを贈りたいときには、わざわざインターネットカフェに行きメール1通送るのに10分もかけて送ったりしていました。

そんな中、息子が生まれたので、産後はインターネットカフェに子連れで行くこともできず、たまに話す母との国際電話だけが息抜きでした。
おっぱい大好きな息子はいつどこにいてもおっぱいおっぱい。自宅でくつろいだ服装をしているときに胸を引っ張られ、勝手に飲んでいることはしょっちゅう。
外出先で少しでも伸縮性のある服を着ていると、洋服を引っ張られ、公衆の面前でおっぱいポロリ。なんてことも日常茶飯事でした。
夫からは、まるで牛のようだね。と言われ、授乳の為に胸が開く服を着ていたので、おしゃれもできず、授乳の為に母乳染みも付いてしまうので、高い服は着ることもできず。
いつまでも、産後の母という見た目のボロボロ感に次第にストレスが溜まってきていました。

見た目のボロボロだけではなく、1日中授乳をしているような状態なので、腰や肩にも負担がかかり、まだ20代後半にもかかわらず、体はバキバキのボロボロ。
世の中のお母さんはこんなにもしんどいのかと驚いたものです。
体が痛いだけではなく、おっぱいが大好きすぎてもはや中毒のようになっていた息子は夜泣きもひどく、おっぱいで寝かしつけ、口から離れると泣く。
という永遠のループを繰り返していました。
一晩で起きる回数は20回以上。
寝ぼけてまたおっぱいを咥え寝てくれればいいのですが、ポジションが悪いと泣いて起きてしまい、そこで覚醒してしまう事もしばしば。
寝ながらおっぱいをあたえていたので、私もつらい姿勢で寝ており、いつになったら自分の好きな体制で思い切り眠ることができるんだろうと思ったり、隣の部屋で大の字ですやすやと眠る夫を見ると殺意が湧いたりしていました。

なぜ息子はこんなにもおっぱいが好きなのかと言うと、すべては親である私のせいです。
面倒くさがり&ずぼらな性格で、水が綺麗ではないインドネシアの水で哺乳瓶を洗ったり消毒したりすることは現実的ではないと思ったのです。
哺乳瓶いらずの母乳なら、どこでもいつでも衛生的に与えることができて便利じゃん!とただそれだけの理由でした。
この頃に少しでも哺乳瓶でミルクを与えて、混合育児をしていたらもう少し楽だったのかもしれない。と、あとあととても後悔したのを覚えています。

出産はインドネシアでしましたが、息子が8か月のときに、家族に会わせてあげたいと、日本に一時帰国しました。
その際、遠方にいる友人の結婚式があり、1泊だけ母に子守をお願いしたのですが、哺乳瓶でのミルクは嫌がるものの離乳食は食べれていたので、水分補給と食事ができればいいと、(最悪お菓子でも食べてくれればよいだろうと)心配ながらも預けてました。結果はほぼ一晩中泣き続け、せめてものごまかしにと購入したおしゃぶりにも激怒し、最終的には疲れ果てて寝たそうです。
ちなみに、さまざまな乳首タイプの哺乳瓶を試しましたが、すべて拒否されました。

こんな息子でしたので、断乳をする際には大変なことになるだろうと思っていたのですが、体がバキバキでも夜が眠れなくてもやはり母子のかけがえのないスキンシップは幸せで、まだしばらく母乳育児でいいかな。
と思っていた矢先1歳の誕生日に断乳を決意することになったのです。

まずきっかけの一つが、10か月の検診で医者から体重が減っていると指摘されたことでした。
8、9か月ごろまではおいしく食べていた離乳食も、10か月に入った頃からほとんど食べなくなり、ご飯を一口食べておっぱい飲みたい。
になってしまうようになってしまいました。一般的に離乳食が進まなくても、母乳を飲んでいれば栄養は足りている。
子どもは育つと言われていますが、活発な息子は運動量が多く、インドネシアと言う場所柄、家も大きく常に家の中を走り回っているような状態でした。
そんな中、ほとんど食事をたべなかったため、カロリーが足りなかったのかもしれません。

検診で医師から体重の減りを指摘され、体重を増やすためにはフルーツや炭水化物など糖質が多い物をあたえるといいよ。
と言われたのですが、カットフルーツなんて一切口にしませんし、ジュースも嫌がる息子にはフルーツをあたえることも厳しい・・・。
ちなみに、インドネシアでは、宗教上歩き出す前の赤ちゃんを床に置くという事をあまりしないので、割と大きい赤ちゃんでも常に誰かが抱っこしています。
抱っこしている人がごはんを食べるときに、ついでに赤ちゃんにも与えるという形で、時間を気にせずいつでも食べさせている状態です。そのためインドネシアでは、離乳食の回数を3回に決めるなどという概念は無く、いつでもあげたいときに欲しがるだけ与える。というスタンス。
赤ちゃんもいろいろな人からごはんを食べさせてもらうので気が紛れて完全母乳の赤ちゃんでも、ご飯としっかり食べれる子が多いようです。

この、複数の人からごはんをもらうというのは、赤ちゃんにとっては大きな意味があり、コミニケーション能力を学ぶと同時に様々な刺激を受けることができるとても素敵なことだと思うのです。
日本人同士での結婚でインドネシアに移住した私には、友達は全くおらず、一日の中で話す人と言えばお手伝いさんしかいませんでしたが、やはりお手伝いさんが息子に私の見えない場所で離乳食をあたえると、すんなり食べたりしていたので、赤ちゃんを取り囲む周りの状況はとても大きいといえると実感しました。
日本のお母さんはお母さんと子供のみで1日中過ごしているのですから更に大変ですよね。

我が家はお手伝いさんは日中のみ来てもらっていたので、朝と晩はお手伝いさんは不在。私がごはんをあげなければいけませんが、私があげると食器をどかしておっぱいに手を伸ばすこともしばしば。ひどいときには食器を見た途端に泣き叫ぶ息子。
何を作っても食べてくれないので、溜まっていく私のストレス。
それにくわえ、10分起きに起きる息子のおかげで毎日が睡眠不足で、常に疲労感があり、次第に笑顔で接することもできなくなってしまいました。
同じく息子も母乳だけではお腹がすくのか、十分に睡眠がとれていないのか機嫌が悪い日が増え、グズグズと泣き続ける日々。
おっぱいさえあげていれば、泣かずに静かなので、おっぱいをあげながら食事をしたり、スリング入れておっぱいをあげたまま料理をしたりなど、まるでコアラの生活が続いていきました。

そんなある日、夫の友人の奥さんと知り合う機会があり、2人のお子さんがいる先輩ママに出会うことができたのです。
そのママ友も育児は大変だったようで、また、インドネシアと言う場所柄、悩みを共有できる日本人ママ友もおらず困っていたそう。
そのママ友から、睡眠不足も、毎日のグズグズも、ご飯を食べないこともすべてなかった悩みのように解消できるとっておきの方法があると教えてもらいました。
その方法はなんとただ単に断乳をすること。
断乳というとおっぱいを飲まなくなることだけだと思っていた私は、そのほかの悩みである、息子の睡眠不足、体重減少、不機嫌 まですべてなくなってしまうとは、まさに目からうろこでした。
ママ友の貴重な体験談を聞き、その断乳とやらを絶対に成功させる。それも1歳のお誕生日に決行しようと決意するのです。

1歳の誕生日に断乳開始するも問題勃発で1日延期!在住国インドネシア式で乗り切れる?

おっぱい大好きすぎて体重減少、昼夜問わず寝ない、日中も睡眠不足からか癇癪をおこすことも多くなった息子。
そんな息子の断乳を決意したものの、実際どのようにすればよいのかわからない。

インドネシア在住だけあり、インドネシア式がどんなものなのか、3人の子どもを育て上げた我が家のお手伝いさんに聞いてみることに。
彼女曰く、普通は子供が飲むのを嫌がるまで辞めさせないので、子どもに任せた卒乳だけど、親の都合で、どうしてもやめさせたいのであれば、乳首にサンバル(インドネシアの辛い香辛料)を塗って、おっぱいは飲むものではないと認識させやめさせるとの事。

インドネシア在住の我が家では、日本の調味料はむしろ手に入らないので、基本的に天然の調味料のみ。
私自身、オーガニック思考ではないものの、1歳未満の子供に辛い物や添加物たくさん(サンバルには化学調味料がたっぷり入っています)の食材をあげるのは気が引ける。
なにより、あんな大好きなおっぱいを嫌な思い出に変えてしまうのは、母としても悲しい。

私自身、子供のころに指しゃぶりをやめることができず、見かねた母が、私の爪の間に唐辛子を縫ったのですが、辛くてまずかったのはもちろん、目に入って痛くなり、散々な思いをした思い出があります。しかもその母の作戦は失敗に終わり、結局小学生に入っても寝る前には指しゃぶりをしていました。
(最終的に、指しゃぶりをしていると、出っ歯になってブスになるよ。の一言でやめました。)

そんな経験もあり、わが子に苦しみを与える方法での断乳はやりたくないと思っていたのです。
断乳なんて、ただおっぱいをミルクに変えればいいじゃないか。おっぱいをやめてご飯をあげればいいじゃないか。と思うかもしれませんが、そんな次元の話ではありません。
ミルクに変えても哺乳瓶で飲まないのです。
そこに、おっぱいがあるからご飯は食べないのです。
おっぱいはもう飲まない、とわが子自身で決意ができる方法でやめさせなければいけない。と漠然に思いながらも、方法について考えを巡らせていました。

この時点で1歳になるまであと1週間。
残り一週間の間でどのような方法でおっぱいをやめるのか決めなければいけません。
断乳の方法は決まらないにしても、まず断乳に向けて行ったことは、子どもに断乳をすることを伝える。という事でした。
1歳ですのでどのくらい私の言ったことが伝わっているかは分かりません。

• 1歳になったらおっぱいばいばいしようね。
• ○○君は1歳になったらもう赤ちゃん卒業だからご飯いっぱい食べようね。
• ママ、おっぱい1年あげて疲れちゃったからもうお休みしていいかな?
• ママ、○○君がたくさんご飯食べてくれたらうれしいな。

など、アプローチを変えてさまざまな方向から訴えかけることだけは、毎日欠かさず行っていました。
その甲斐あってか、断乳の前日には、バイバイーと、おっぱいにバイバイをする素振りまで見せたのです。
「これは、行けるかもしれない。母が思うほど、この子は赤ちゃんじゃないのかも。
もしかしたらすべて理解してすんなり断乳できるかも!よしっ解禁したらお酒のもう!」と、断乳が楽しみになるほどにわくわくしてきました。
翌日から。想像を絶する悲劇が待っているとも知らずに・・・。

断乳当日、さまざまな断乳方法を見ましたが、わが子に合っていると思ったのは絆創膏を貼って、おっぱいはもう飲めないものと認識させること。
そもそもこの方法であれば、物理的におっぱいを飲むこともできないので「わが子には最適だ!」と思ったのです。

 

断乳当日=お誕生日の朝、「今日で1歳だからおっぱいバイバイしようね。」と語り掛け、朝一番の授乳を済ませました。
「これが最後の授乳だ。」
「これでまた一つ大人になる。」
とさみしい気持ちを抱きながらも、「今までよく頑張ったな。体もバキバキだし全然眠れなかったけど、断乳すれば寝るっていうし、子どもに授乳できなくなるのはさみしいけど、これも成長の1つと思って幸せに笑顔で終わりにしよう。」と決意したのです。

その後、安定的に朝ごはんは食べず。「もうおっぱいないからご飯食べないとお腹すいちゃうよ?」と言っても食べず。
その話を聞いていた夫が、「えっ。今日断乳するの?誕生日なのに?おっぱい大好きな子なんだから、せめて誕生日くらい好きに飲ませてあげて、明日から断乳しなよ。」と言ってきたのです。

断乳するにあたり、何度も1歳で断乳すると夫には伝えてきました。
どのくらい体が痛いか。睡眠不足でしんどいのか。日中のグズグズに対応するのがどれだけ大変か。

そんな中、話し合って断乳を決意したはずなのに、彼の中では、おそらくどうでもよいことだったのでしょう。
決意したのは私だけで、日にちを勝手に決めたのも私と思っているんだと思います。
妻の一大事が、夫からすると、ただの断乳で騒ぎやがって。という雰囲気が見え見えで、そんな夫に対し腹が立ち、思いっきりブチぎれてしまいました。

せっかくの息子の誕生日。
断乳もお誕生日も幸せに穏やかに迎えたかったのに、こんな気分じゃ迎えられそうにありません。
私の決意もどこにやら。
断乳は翌日決行することに。

誕生日当日好き放題おっぱいをあたえ、もう1歳になったから、「明日はもうおにいちゃんだね。おにいちゃんはおっぱいもう飲まないから、明日にはおっぱいバイバイしようね。」
と最後に言い聞かせ眠りにつきました。

翌朝、前日に戻ったかのようなデジャブを感じながらも、おっぱいを十分に与え、「もういらない」と、子どもが自分から離れたときに、「バイバイだよ。もう最後のおっぱいね。バイバイね。ありがとうしようね。」と。
息子はきょとんとして、おもちゃで遊びだしました。
チャンスとばかりにトイレにこもり、絆創膏を貼る私。
感傷に浸って「涙の1つでも出るかな。」と思ったのですが、それどころではなくとにかく剝がれないようしっかり貼るのに必死です。
なんせここはインドネシア。
汗をかくとすぐにはがれてしまう絆創膏。
数日前からいろいろな種類を買って試してみたものの、汗をかくとはがれやすいのが、さすがインドネシアのクオリティです。

母を探して泣く我が子の声が聞こえたので、絆創膏を貼って準備万端にした状態で我が子のもとへ。
次におっぱいを求めだすその時に備えていました。

最後の授乳から1時間ほどたったころ、もうお腹が減ったのか(ご飯を食べないので当たり前ですが)おっぱいを求めて私のもとへ来る息子。
とうとう息子に絆創膏おっぱいを見せるときが来たのです。

いつも通り母がおっぱいを出すのも待てずに力づくで上から下から服をめくり、おっぱいを飲もうとする息子。
下からはまだしも上から引っ張られたことで、過去何枚のTシャツがパジャマ行きになったことか・・・。
「そんな出来事も今日で最後か。」と思いながらTシャツをまくり上げるとそこには絆創膏に覆われたおっぱいが。

「あれ?」ときょとんとする息子。
「おっぱいないねー。ないないだねー。○○君もう1歳だからおっぱいがバイバイしたんだって。もうさようならしようねー。」と伝えると、絆創膏を剥がそうとする息子。
それもそのはず、汗で一部がめくれていたのです。
「これはまずい。乳首を見られたら終わる」と思った私は、思わず近くにあった夫のサロンパスをおっぱいに。
すっごいスースーするけど、逆にわが子がこの匂いに引いている様子で、おっぱいに触るのもためらっているようでした。

おっぱいの異変にとうとう泣き始めたわが子。
断乳を始めたからには絶対に成功させてみせるという覚悟を胸に、壮絶の5日間が始まるのでした。

異国の地インドネシアでの断乳記。5日間の廃人の末、息子を待っていた結末とは。

夫の核心を突く余計な一言により、息子の1歳の誕生日から1日遅れでスタートしたインドネシアでの断乳。
絆創膏おっぱい作戦は常夏の国ならではの汗により剥がれるという事態により失敗に終わり、急遽夫のサロンパス作戦に変更。
変な匂いにドン引きする息子を見て、これは成功の兆しが見えてきたのではないかと思っていました。

サロンパスを胸に貼るという、非現実的な行為により、謎のテンションになってしまった私は、なんだか自分がすごく重い病気で、そのために胸にサロンパスを貼っているような変な錯覚に陥り始めました。
その変な気持ちが功を奏し、息子がおっぱいに触ろうとするものなら、「いたいいたいいたい!○○君に触られたらママのおっぱいいたい!」と、アカデミー賞総なめレベルの演技力で息子をおっぱいから遠ざけることに成功したのです。

「おっぱいいたいいたい!」と騒ぐ母に対し、息子は手を引っ込めて、心配そうな顔で私の顔を覗き込んでいました。
正直とても申し訳ない気持ちでいっぱいだったのですが、息子と私の健やかなる生活のためにもここであきらめてはいけないと、心を鬼にして、耐え続けました。

朝一番におっぱいを上げて、それ以降に開始した断乳ですが、お昼ごはんはイヤイヤして食べず、いつもの癖でおっぱい、と手を伸ばしますが、私が「痛い痛い!」と叫ぶので、手を引っ込めて自分のご飯を食べようとするも、やはりおっぱいが恋しいのか、あまり食事も食べず。
ためしに育児用ミルクをコップで与えてみましたが、それもイヤイヤ。
その日はお手伝いさんに外に連れ出してもらい、出先でお菓子を食べて夕方家に戻ってきました。

そうこうしているうちに、夜ご飯の時間です。
朝の授乳以降、まともなご飯を食べていない息子。
幸いもともと水をたくさん飲む子供だったので、脱水の心配はありませんでしたが、やはり栄養が足りていないのではないかと、不安になります。
夜ご飯も、まだ息子が食べるメニューであるカレーを用意しましたが1口食べただけでやはり目線と手はおっぱいに。
昼間の授乳をしていないこともあり、張ってきた母のおっぱい。
息子にふいにおっぱいを触られた時に痛みを感じ、強めに「いたいいたい」と叫んでしまったのですが、それをきっかけに息子が大泣きしてしまったのです。

大泣きをしたので、大丈夫?とハイチェアから抱き上げた瞬間、もうなんでもいいからとりあえずおっぱいをくれとサロンパスを剥がしにかかります。
それはそれはものすごい力で、息子を抱っこしていて両腕がふさがっている私には抵抗のしようがありません。
今まではほぼ24時間授乳しているような状態でしたので、いつでも授乳しやすいように、胸が開いている服を着ていました。
しかし、断乳中にそんな服を着てはいけないことを学び、慌てて夫のTシャツに着替えることに。

胸に触れないTシャツに着替えたら着替えたで、大泣きしながらどうにかしておっぱいを触ろうと、下からまくり上げる息子。
まくり上げが出来ないよう、ウエストを紐で結べるズボンに履き替え、しっかりとTシャツをズボンに入れてズボン紐を結び、まくり上げ出来ないように万全の準備をしました。

そんな中、帰宅した夫。
Tシャツをしっかりとインし、ハイウエストズボンを履いている私に大爆笑。
そんな夫に殺意を覚えながらも、「みんな夫の協力が不可欠って言ってたから、あなたもちゃんと手伝ってよ。」と、協力を要請します。
「そんな断乳ごときで大げさだよ。そんなん腹減ったらご飯食べるだろ。」と楽観的な夫。
これから壮絶な日々が始まるとも知らずのんきに構えていたのです。

夜になり、息子が寝る時間になりました。
日中ほぼ水とお菓子でしか栄養を取っていない息子。
気が付けば晩御飯の泣きから、時には大きく、時には小さく泣き、なんだかんだでもう3時間以上泣いている息子。
普段はおっぱいを飲んでお腹いっぱいになって添い寝して寝かしつけているため、眠りのスイッチが入りません。
眠いんだけど、おっぱいがないから眠れず、大泣きが続きます。
そのころ、私のおっぱいの張りは極限に達し、岩のようにカチカチになっていました。
息子をなだめようにも抱き上げることすら激痛です。

それでも息子はどうにかしておっぱいを飲もうとするので私はおっぱいを抱え込むように団子のようになり息子が泣き疲れて眠りにつくのを待つしかありませんでした。
いつかは疲れるだろう。と思ったのですが、1歳児の体力が有り余っているのか、おっぱいへの執念がすごいのか、一向に泣き止む気配がありません。
むしろもう一押しでおっぱいがもらえると思っているのか、最後の力を振り絞って2時間は泣いています。

だんだんと声が枯れ、「この子、喉がつぶれるんじゃないか?」と思うほど。
気が付くともう夜の11時。
すでに5時間泣き続けています。
こんなに泣き続けると、「子の精神面や健康面でも危険かもしれない、私がいないほうが泣かないかも。」と、夫に息子と添い寝してと頼んで(夫は呑気にビールを飲みながらDVDを見ていました。)私は退室。
テーブルにあるおつまみとビールを見て、2年ぶりに飲んでやろうか。と思いましたが、心のどこかで「もしかすると断乳失敗するかもしれない。」という思いがあり、結局飲みませんでした。

夫が寝室で息子と添い寝をするのははじめての為、息子が「なんでお前が来たん?」と、一瞬泣き止みます。
しかしその後、ドアをどんどん叩き部屋から出せ、と泣き叫ぶ声が聞こえ、まるで誘拐犯に閉じ込められたかのように、私に助けを求めてきます。
「おい、どうすんのこれ?」と、夫に言われるも、
「泣き疲れて眠るまでそこにいて。それがあなたの使命です」と伝えました。
「まじかよー」と言いながらも普段全く子供の世話をしていない罪悪感があるのか、ただただじっと耐えているような気配が伺えます。

1時間くらいドアをバンバンして大泣きしていた息子ですが、だんだんと静かになりました。
ドアを開けたい気持ちになりますが、中の様子が分からないのでもし起きていたらと思うと開けることもできません。
夫に部屋の状況をメールしたところ、ドアの前の床で寝た。とのこと。
「ベッドまで動かしてよ。」と伝えましたが、「起きそうで怖いから無理。」との事。
「じゃあそのままあなたそこで寝てよ。」と私は別室で寝ることに。
その時にはすでに1時になっていました。

大きなベッドで誰にも邪魔されることなく、好きな体勢で眠れる幸せをかみしめるのもつかの間、息子の泣き声が聞こえてきました。
朝になるまで5回ほど起きて泣いてたような気がします。
でも、以前のような大泣きではなく、諦めたような悲しげな泣き方です。
そもそももう疲れ切って泣くことすらできなかったのかもしれません。
トータルすると7時間は泣いていたんですから・・・。

翌朝、廃人のようになった息子と対面しました。
いままではほっぺがふっくらとして血色が良い子供だったのですが、大病でも患っているのではないかと思うほどの顔色の悪さ。
泣き続けて疲れたのか、足元もふらふらしています。
慌てて近所の小児科に電話すると、「おしっこが出ていて水分がとれていれば大丈夫。お腹すいたらご飯食べるよ。断乳頑張ってねー!」と気楽な返事。

この日のために新しいおもちゃを用意していたので、それを与えてみるとしぶしぶという感じでおもちゃで遊びます。以前はキラキラした笑顔で喜んでいたのに、今は笑顔は全くなく、別人のように静かになってしまいました。
食事を与えるもののそっぽを向いて食べません。
今まではジュースも飲みませんでしたが、ジュースだけは飲むようになったのが救いでした。

食事中、おっぱいに手を伸ばすものの、「あぁ。そうか・・もうないか・・」という感じで手を引っ込めます。
これは断乳成功するかもと思ったのですが、お昼寝時、私が添い寝で寝かせようとベッドに横になったとたんにおっぱいを思い出したのか、また大泣き。
おっぱい飲みたいのに飲めない。と自分自身で葛藤しているようでした。
1歳というまだまだ赤ちゃんに変わりない子供に、こんな葛藤を体験させてしまい申し訳ないという思いと、これでまた一つ成長してほしいという願いを込めて、ただただ泣き続ける息子に寄り添っていました。

すると泣き続けて1時間で眠ってくれたのです。
私と一緒だと永遠に寝ないと思ったのですが、寝てくれたのは意外でした。
お昼寝後、まだ笑顔は見せないものの、少しずつご飯を食べ始めた息子。
(といっても5口くらいですが)
その夜、昨晩の7時間泣き続けが恐怖だったため、気分転換に夫にバイクで夜の散歩に連れて行ってもらいました。
1日笑顔が無かった息子ですが、夜のバイクでのドライブが新鮮だったようで、楽しそうにしていたとの事。そしてバイクで打とうと寝てしまったのです。
そのままそーっとベッドに置き、その晩はそのまま寝てくれました。
3回ほど起き泣きましたが、10分ほどで眠るように。

3日目、朝起きた息子が少し元気を取り戻したように見えました。
昨日のあたらしいおもちゃのところに自分で行き遊ぶように。
でもまだ笑顔になりません。
なんだか、息子の大事なものを奪ってしまったような気がして、罪悪感に苛まれていました。
ご飯も5口以上は食べてくれず、まだ昔の息子とは程遠いように見えました。
お昼寝時は30分泣き続け、眠りにつき、夜はまたバイクで寝かしつけをしてもらいました。夜中もまだ3度ほど起き、泣きます。

変化があったのは4日目です。
なんだかすっきりしたような顔に見えました。
息子が好きなフライドポテトを用意するとパクパク食べるようになったのです。
これは食べるかも!と慌ててチキンナゲットを用意すると、それも完食しました。
「わーーー○○君えらいねー!すごいねー!」と声をかけると得意げに少しだけ笑顔を見せました。
夜の就寝時、私が隣で添い寝をしたものの、おっぱいを探そうとはしてきませんでした。
大泣きは相変わらずしますが、背中トントンで眠ってくれたのです。
感動で泣きそうになり、その夜私は2年ぶりのお酒を頂き幸せな眠りにつきました。
そして1度だけ夜起きましたが、少し泣いてすぐ眠りについたのです。

5日目、朝にはパンケーキ、お昼にチャーハン、夜には卵うどんとしっかり完食。
まるでいままで取れていなかった栄養を取り戻すかのように食べ始めたのです。
それに伴い、お昼寝も背中トントンで寝てくれるようになりました。
夜の睡眠も同じく、背中トントンで眠りにつき、一番の大きい変化は、夜泣きをしなくなったことです。
いちども夜起きずぶっ通しで寝てくれたときは本当に驚くほどでした。

今回の断乳の件で、その後いろいろと調べたのですが、日本は子離れができない文化にあり、長く密接に母乳育児をしているそうです。
その結果、親子の睡眠に時間が世界的にみても少ないというデータが出ています。
もしかすると、日本は子を想うがゆえに、母乳育児をしすぎているのかもしれません。
母乳のためにお酒をやめたり、ライフスタイルをかえることは欧米ではあまり無いようで、お酒を飲むからミルクを与える、子供を預けてランチ行きたいからミルクにする。というのは当たり前のことで、誰も非難しないそうです。

もちろん子供全員に当てはまるわけではないのですが、子の性格に合わせて適切に母乳育児をすべきなんだな。と思った出来事でした。
なにはともあれ、無事に断乳できて良かったです。その後の息子はというと、もりもりご飯を食べ、しっかりと睡眠をとり(なんと朝まで一度も起きないようになりました。)
体重もしっかりと増え毎日機嫌も良くなり、健康優良児として育ちました。
母もよく眠れるようになり、生活の質も格段と上がりました。
わが子の場合は、1歳で断乳をして本当に良かったと思った出来事でした。

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