不妊治療を乗り越えて。妊娠・出産の奇跡

2022年5月19日

子育て

こんにちは。現在0歳・5か月児、息子の新米育休中ママです。今回は私が体験した妊娠までの軌跡をお話しさせて頂こうと思います。私は約2年間、不妊治療を経験し、第一子を授かりました。この4月からは、不妊治療は保険適応が拡大し、ニュースでは非常に話題になっていますよね。不妊治療は同じような治療内容だとしても、一組一組それぞれの夫婦にたくさんの苦悩があり、涙があり、そして授かった方には感動があると思います。その中の一人の経験談に、どうぞお付き合いください。

第一章:ぼんやりとした不安・・・クリニック通院スタート

私が治療を開始したのは、30歳になる直前です。夫と一緒に住み始めて1年経つころでした。クリニックに通院することを決めた前に、どんな生活を送っていたかお話します。
私と夫は会社の同期で、ともに全国転勤の営業職です。結婚後1年間は別居婚でした。非常にやりがいのある仕事ではありますが、常にストレスフルです。営業職なので、もちろん顧客が常に最優先。顧客の無理な要求を何とかこなしても数字の目標は厳しく、プライベートでも会社内の付き合いがしばしば・・・さらに社歴を重ねたことで、責任あるプロジェクトや担当先を任されることも増えていました。当然、生活は不規則でひどいものでした。睡眠時間が2時間を切ってしまったり、ソファーで寝落ちしてしまったりすることはザラです。食事はコンビニやファストフードが多く、お付き合いの飲み会の日取りによっては、連日お酒をしこたま飲みました。たまに会う友人からは、顔色はもちろん、冗談半分なのか薄毛の心配をされたこともあります。生理不順と、時々蕁麻疹のような肌荒れをすることもありました。自分でいうのもなんですが、入社以来、身を削って仕事に打ち込んできたと思っています。今では普通ではない状態だったと自覚はあるのですが、その当時は今の夫である彼氏も同じ状態で、生活習慣を見直すことはありませんでした。夫とは2~3か月に一回会う程度の関係のまま、仕事一本の生活を続けていました。今でもよく結婚できたな・・・と思います。

縁があり結婚した際、子供をどうするのか、と考えました。自然に子供は欲しいと思っていました。それは自分の気持ちに加えて、3つの周りの要因に影響を受けたことが大きかったと思います。
ひとつは、夫が大の子供好きだということ。甥っ子と姪っ子をかわいがっていましたし、自分が三人兄弟ということもあって、にぎやかな家庭に憧れがありそうだと感じていました。結婚前に、一番大切な夫と子供の話を漠然としかしていなかったことは、大きな反省です。
2つ目は、私の両親のこと。私は一人っ子で、母が24歳の時の子供です。両親は私の仕事を応援してはくれていましたが、本心では早く孫の顔を見たいと思っていることがありありと感じられました。
そして3つ目は仕事のことです。会社には産休・育休の制度がきちんとあります。ちょうど結婚した際に、上司が新しく変わり、その方は非常に理解のある人でした。上司が、「今は女性の社会進出が推し進められているね。でも、今、管理職についている女性で出産を経験している人を自分は知らない。それを自分が決めたのならもちろんいいが、仕事のせいで優秀な人が出産の機会を失ってしまうのは国の損失だ。」と話していたのが印象に残っています。実際、営業職のママさんはあまりいないのが現状でした。子供を授かるのであれば仕事は辞めるのか、他の職種に変えるのか・・・しっかり考えるべきことを、日々の業務に追われ見て見ぬふりをしていました。自分の気持ちを後回しにしていた結果、時期がきたら授かるかもしれない、と甘い考えを持っていました。

結婚して1年後に、会社の配慮で夫と同居できる土地へ異動を受けました。別居している間は、子供のことを考えるときもありましたが、別居しているから仕方がない、と自分に言い訳をしていました。同居した際、これで自然に子供ができるのではと期待しましたが、現実は甘かったです。異動してすぐの新しい環境での仕事は思ったよりもハードで、生理不順がひどくなりました。ここまできて、ようやく不安と焦りを感じました。妊娠はタイムリミットがあることはもちろん分かっていましたので、何よりも優先して取り組もうと、29歳で本気になったのです。

私はせっかちな性格で、とにかくまずは子供ができる身体であることを確認して、安心したい気持ちでした。とにもかくにも検査をしようと、クリニックを調べました。私は地方都市に住んでおり、クリニックは複数見つかりました。家の近辺が良かったのですが、仕事帰りに車で行けるクリニックも視野に入れて検討しました。
その時に感じたこととして、クリニックを選ぶことが非常に難しかったことがあります。どの不妊治療専門クリニックも、ホームページを見るだけでは、私の目には大きな違いがあるようには見えませんでした。口コミを読むと、もちろんいいコメントもあれば悪いコメントもあり、あまり参考にはなりません。ただ、不妊治療とともに、一般の婦人科も行っているクリニックもあり、そこには大きな違いがあると感じました。専門のクリニックの方が、カウンセラーやセミナーの有無など手厚さの違いをありありと感じました。
せっかく検査をするのであれば、専門のクリニックに行きたいと思い、家から最も近いART専門(不妊治療専門)のクリニックを候補に決めました。さっそく電話して、「まずは検査をしたい」と依頼すると、受付の方からは、「どちらかで治療をされていますか?」と聞かれた後に、「初診の方は今ですと、最短で2か月先の予約になります」と言われたのです。この点も私の認識が甘かったのですが、正直クリニックで検査をするだけで、2か月も待たないといけないということが驚きで、どうしても受け入れがたかったのです。結局その時は「日程調整して、再度電話します」と言って、予約を断ってしまいました。
専門のクリニックへの未練はあったのですが、早く検査をしたい気持ちが勝り、結局車で20分程度の一般の婦人科も行っているクリニックに予約をいれました。そこのクリニックは、初診からWEBで予約ができ、事前に問診表を記入することでスムーズに診療が進むとのことでした。そしてなにより、医師との相談後、当日実施できる検査は行います、と記載があり、それがクリニックを選んだ決め手となりました。ようやく一歩を踏み出した気持ちでした。

クリニックに予約を入れて1週間後ほどで受診をしました。その時までは特別なにも思っていなかった記憶があります。クリニック内に入っても、きれいなクリニック・・・歯医者さんみたいだなぁ、と場違いなことを考えていました。受付はスムーズで待合室に誘導され、すぐに移動しました。そしてそこで、患者さんを見て驚きました。ざっと20名を超えるほどの患者さんが待たれていて、ご夫婦も複数いらっしゃいました。ここにいる皆さん全員が子供を授かるために治療をされているのか、とようやく実感がわき・・・自分はどれほどかかるのだろう、と不安も感じました。
先生との診察の前に、カウンセラーの方とのお話がありました。病院の方針や治療の流れ、成功率などを紹介された記憶があります。早く結果を出したい、と思っている私の気持ちを察したのか、「治療は長い方も短い方もいて、やってみないとわからないことが多いです。一緒に頑張っていきましょう」とお話されました。
その後先生と少しだけお話をして、結局その日の検査は採血のみでした。結果がわかることを期待していた分、残念でした。しかし、先生方のホルモンの周期でできる検査が違うこと、ほぼ毎週のように通院しなければならないことを知りました。
甘かったな、頑張らないといけないな、と思う一方で、検査して結果が分かれば意外と早く子供ができるだろうな、と思う気持ちもありました。ここから2年間の通院が始まることを、この時の私は夢にも思っていません。こうして私の通院と不妊治療がスタートしたのです。

第二章:努力しても妊娠しない。自分を責めたむなしい日々

治療を開始してから約1年の間の出来事について振り返りたいと思います。この期間は、治療が進むにつれて期待と落胆、様々な経験をしました。今でもつらかった記憶が思い起こされます。夫への申し訳なさや周囲に気を遣ってもらっていること、仕事との折り合い・・・中でも最もつらかったのは、自分の努力で現状がどうにもならないことでした。

治療を開始して1か月間ほどで、最初の検査はすべて終わりました。男性の検査は、精子の運動率や奇形をたった一度診てもらって終わりなのに対し、女性は排卵前、排卵後、生理中・・・と各段階で検査と採血が必要です。ちなみに、私が通院したクリニックは夫の精子を持参して検査ができたため、私が精子を病院に持参しました。結局夫は一度もこのクリニックに行ったことがないのです。既に女性の負担の大きさを感じていました。
検査の結果は、幸運なことにどちらもおおむね問題なしでした。私は黄体ホルモンの値が少し低いとのことで、内服薬がスタートしました。主人は精子の奇形が少しありましたが、治療の必要までのレベルではないとのことでした。その時の検査の内容の中では、卵管造影検査というものが印象に残っています。卵管の「詰まり」を確認するための検査で、具体的には造影剤を子宮内へ注入して、子宮内の状態や卵管の通過性をレントゲンで見て調べます。検査の説明の際に、看護師の方から、「この検査、痛いかもしれません。でもこの検査を受けてすぐに妊娠する人もいるんですよ~卵管の通りがよくなっていいのかもしれないですね」、とお話しされました。もちろん痛いのは嫌でしたが、治療を開始して初めて妊娠率の向上につながる可能性がある、という検査だったので非常によく覚えています。検査を受ける前にインターネットを調べてみると、確かに妊娠したという報告や、医師が監修していて妊娠率が向上したという記事などが複数見つかり、期待は高まっていました。私が検査を受けた時には、2日目の重い生理痛が一気に来たような感覚で、痛みを感じましたが、個人差が大きい検査のようです。期待とは裏腹に妊娠には至らずに、一通りの検査を終えたので、まずはタイミング療法を行うことになりました。

治療の一般的な内容は詳細には書きませんが、一般に不妊治療はタイミング療法→人工授精→体外受精、とステップアップしていきます。この順に治療の工数と価格も上がっていきます。ただステップアップとはいえ、一度上げたらもとに戻れないわけではなく、患者さんの意向と先生との相談の下決めることができる、自由度の高い治療だと感じました。不妊【治療】とはいえ、私のように原因が明確にわからない方は多く、患者さんの意向を尊重して治療が進んでいくケースがほとんどだと思います。私はこのクリニックで、排卵に合わせて夫婦生活を行うタイミング療法をベースに行い、人工授精を合計で3度行いました。治療を開始するまで、人工授精は特別な治療で、少なくてもここまで行えば妊娠するのではないかと思っていました。しかし、人工授精はあくまで精子をサポートする程度の治療で、20代の若い方でも妊娠率の向上は高くて10パーセントほどです。先生から、「人工授精の【授】は手偏ですよね、あくまで手でそっとサポートしてあげる治療なんですよ」、とお話しされたことを覚えています。

治療を開始してから、一喜一憂する毎日でした。毎月妊娠するかも、の期待が高まって、私自身も変化していきました。
変化の一つとして、自分の体調の変化に過敏に反応していたことがあります。治療をしている方のほとんどが、インターネットで検索するであろうワードの一つに【妊娠超初期症状】があると思います。まだ妊娠検査薬で反応しない、受精卵の着床から生理予定日までに現れる人もいる症状のことです。排卵に合わせて夫婦生活をしたり、人工授精を行ったりした月はとてもそわそわして、何か自分の体に変化があるのではと過敏になっていました。ほんの少しお腹が痛む、眠い気がする、気持ち悪い気がする・・・と、妊娠超初期症状かもしれない症状が現れたら期待してしまい、妊娠検査薬をフライングで使用したことは一度や二度ではありません。ただ、妊娠超初期症状と生理前の症状は、とても似ています。代表的症状の腹痛・下腹部痛は、妊娠超初期症状でも生理前の症状でも当てはまります。期待しては生理が来てしまい落胆し、の繰り返しでした。
また、生活スタイルも変化せざるを得ませんでした。仕事最優先の日々から、妊娠することが最優先になっていきました。もっとも苦労したのは、通院の時間を捻出することです。私は営業職なので、仕事の時間を調整することはしやすい方だと思いますが、かなり厳しい思いをしました。クリニックはいつも混雑しており、朝一番早い時間に行っても1~2時間待ち時間がありました。また、平日なんとか時間を調整して受診しても、思ったように卵胞が育っていない時もあります。その際は2日後や翌日また来てください、と言われました。非常に残念なことですが、不妊治療のために、仕事を変えられたり辞められたりする方がいらっしゃるのも納得だと考えています。通院に関して、悲しかったことが一つあります。私は仕事の合間や終了後に、基本は車で通院していました。診療時間の最終に予約を入れていた日に、仕事が押してしまい遅れそうなことがありました。大急ぎで向かっていましたが、その日に限って降りるべき高速道路のインターを通り過ぎてしまいました。次のインターで降車後、クリニックに電話して、申し訳ないが15分遅れてしまいそうだと伝えると、受付の方に、「予約時間は必ず守ってください、クリニックが閉院していたら諦めてください。」、と冷たく言われてしまったのです。もちろん予約時間に遅れた私が最も悪いことは、頭では理解していたのですが、予約時間に行っても長い長い待ち時間があるのに、という不満と、なかなか結果がでないやるせなさで、涙が溢れました。それが治療開始から初めて泣いた日だと思います。それでも妊娠のためには通院するしか選択肢がないので、泣きながらクリニックに向かいました。

治療が長く続くにつれて、心はどんどん疲れていきました。夫は協力的で、彼なりに励ましてくれていましたが、私が素直に受け入れられないこともありました。時間の制約の中、努力をしているのは私だけで、どんな思いで通院しているのかわかってないと思い、当たり散らすこともありました。
周囲からは直接的に、「お子さんはまだ?」等の言葉をかけられたことはありませんでしたが、それとなく気を遣ってくれていることを感じるだけでも辛かったです。仕事の飲み会で、「子供を考えていて、今お酒を控えています。」と伝えると、その時のなんともいえない空気や、私のいる場では子供の話を控えてくれている配慮など・・・今思えば考えすぎていた気もするのですが、その時は些細なことに敏感になっていました。親しい友人の妊娠・出産報告すら、本当に喜べているか自信がなくなり、どんどん自己嫌悪に陥っていきました。ギスギスした精神状態の中、同じような境遇の方のブログや経験談をインターネットで読み漁り、私はまだ努力が足りないと、自分を鼓舞したり、身体によさそうなことを試したりと前向きになろうとしましたが、生理が来るたびにまさに絶望的な、目の前が真っ暗になる思いでした。治療開始して約1年、31歳が近くなったころには、妊娠ができない自分は生物として不適合なのではないか、と思うようになり、情けなさで泣く日が増えました。
私はかなり追い詰められていて、夫に謝りました。もはや義務に近くなっていた夫婦生活を何度行っても結果が出ない、その責任はすべて私にあると思っていました。いつまでも親になれない夫に申し訳なかったのです。夫は、「妊娠できないのは絶対に私のせいではない」、と言い、「1年間充分頑張ったから、少し休んでみないか」、と提案してくれました。
妊娠率は年齢に大きく影響を受けるので、受け入れがたい気持ちはありました。ですが、治療に行き詰まりを感じていたのも事実でした。ステップアップも考えていましたが、その前に、一度治療を休み、これからのことを考え直すことにしたのです。

第三章:「妊娠はゴールじゃない。スタートですよ。」

前回までで、不妊治療を開始してからの1年間について書かせて頂きました。今回はその後、いよいよ妊娠するまでの1年間を振り返りたいと思います。
1年間の治療で心が疲れてきた私は、2か月間いったん治療を休みました。その間に、何がつらいのか、これからどうしたいか、そして治療をどこまで頑張るのか・続けるのか、についてゆっくりと考え直しました。

まず、最も辛いことが、妊娠できないことなのは明確でした。自分がどうしたいのか、治療をどこまで続けるか、について自分の気持ちと向き合って、夫と話し合いました。治療を休んでいる間も、子供を授かりたい気持ちは全く変わりませんでした。夫には、もっと辛い思いして、負担をかけることになるかもしれないが、まだ治療は続けたい、と思いを伝えました。夫は私の気持ちを尊重してくれました。その時に夫は、「頑張ってくれてありがとう。自分も子供が欲しい気持ちはあるし、子供がいる生活は楽しいと思う。ただ、たとえこの先私と二人の生活になったとしても、自分は変わらずに楽しいし、幸せなことを知っていてほしい。」、と言ってくれました。子供を授かるために結婚したわけではない、という夫の言葉には救われました。私は、妊娠できないことでの自己嫌悪と劣等感でいっぱいになっていたからです。一人で抱え込んでいました。当たり前のことかもしれませんが、夫婦二人で話し合うことの大切さを感じました。
治療を続けることを決めた後で、費用と期間について、しっかりと二人の意見と気持ちを確認しました。私たちの場合は、費用については一旦考えずに、私が決めた期間まで、納得できるまで頑張ろうと決めました。ステップアップすると、今までかかっていた費用とは比べものにならないほどの治療費がかかります。一回の治療費を計算すると、50万円を軽く超えてしまいます。もし、この治療費を妊娠のために使わないで済むのなら、どれだけ子供にお金をかけてあげられるのか・・・と思わずにはいられませんでした。ただそれでも、子供が欲しいという思いには代えられないのです。何歳まで、という年齢はここでは伏せさせていただきますが、私が決めた期間までは頑張っていこうと二人の気持ちを一致させることで、自分の気持ちが非常に整理されました。
夫との話し合いの後、ようやく自分がいかにゆとりのない状態になっていたのか気づきました。そして、一歩引いて考え直すと、治療の内容について不満がたまっていると思いました。不妊治療は、クリニックごとに方針や治療内容が少しずつ異なっていると思います。ですので、今でも何が正解かがわかりません。ただ、私はその時に通院していたクリニックの方針に合わなかったと感じています。私が通院していたクリニックは、院長先生がお一人で診察されていたので、いつも同じ先生に診て頂ける安心感がありました。先生は、とてもフレンドリーでやさしい方でした。最初のうちは先生が、「卵胞がいい感じに育っているね」「タイミングいいですね」、と外来の度にお話しされることが、とても頼もしく嬉しかったです。ただ、治療が長く続くにつれて、私は先生がいつも同じ、安心できることを仰っていることに、不信感を覚えていってしまいました。今回も卵胞が良くてタイミングもいいのなら、なぜ妊娠できないのか。このままいつまでも同じ治療を続けなければいけないのか。多くの患者さんを抱えている先生なので、とりあえず良いことを言っているだけなのではないか、と穿った見方をしていってしまいました。その時私は、タイミング療法と人工授精を経験しており、体外受精へのステップアップも考えていましたが、なによりも自分には妊娠できない原因があるのではないか、という思いが強かったです。治療を休んでいる間に、改めて自分は通院しているクリニックに合わないと思い、まず転院してみて、そこでも原因がわからないのであれば、ステップアップすることを決めました。

転院先は、不妊治療専門のクリニックにしました。1年前に病院を受診しようと思った際に調べた、家から最も近い不妊治療専門クリニックです。混雑していることは承知していましたが、ホームページや口コミなどの手軽に入手できる情報だけではなく、複数のクリニックのセミナーを受講して、納得した上で決めました。決めた理由は、治療成績や培養士さんの数、通院の利便性など様々ありますが、院長先生のお話が決め手となりました。先生は淡々とされている方で、言葉は悪いですが少し冷たい印象の方でした。しかし、セミナーの中で、「すでに治療をされている皆さんは、妊娠することがゴールになっていませんか。妊娠はゴールではなくスタートです。私たちは最後までお付き合いします。」、とお話しされたことに感銘を受けたのです。
妊娠に焦るあまり、子育てをしたい思いを見失っていました。妊娠以外の選択肢、たとえば特別養子縁組の選択をすることも考えつつ、治療を再開しました。

最初のクリニックから紹介状をいただき、転院先のクリニックに持参したのちに、スクリーニング検査を受けました。スクリーニングは夫婦(もしくはパートナー)2人で受診することになっており、初めて夫もクリニックに行きました。検査結果は、最初のクリニックとそこまで大きく変わっていませんでした。ただ、検査の内容と、その後で出された薬も違うものでした。自由度の高い不妊治療だからこそなのでしょうか、クリニックによって差があることを再確認したことをよく覚えています。また、転院先のクリニックは分かっていた通り混雑していて、待ち時間は長くかかりましたが、少しでも通院の回数を減らすために、薬をまとめて処方する等の配慮がありました。些細なことなのかもしれませんが、通院の負担が軽減されることはありがたかったです。治療は、再度まずタイミング療法から、となり、淡々と進んでいきました。何回か通院した後で、子宮内にポリープの疑いがあることと、日帰りの手術によって治療成績の向上が見込めることを先生方告げられました。それまでの内服薬と排卵誘発剤の注射での治療でしたので、手術をするということに驚きました。それでも、今までの治療では分からなかったことが分かり、また、手術によって不妊の原因が取り除ける可能性があることは素直に嬉しかったです。
私はもちろん手術を受ける選択をして、その後再びタイミング療法を行いました。期待はしましたが、残念ながらすぐに妊娠とはなりませんでした。それでも、妊娠はゴールではない、と自分に言い聞かせて、妊活一辺倒にならないように、適度に息抜きを意識した生活を続けました。三連休と有給休暇を利用して、北海道に旅行をしたり、仕事のスキルアップのための資格を取得したりしました。また、不妊治療を始めてから避けていたお酒も、生理が来てしまったら割り切って夫婦二人で楽しみました。治療の結果に落ち込み、ストレスからか帯状疱疹が出てしまったことがありましたが、不妊は自分を否定しているものではないと思うことが出来たことで、今までよりも前向きに治療に取り組めたと思います。
その後、私は子宮内ポリープを再発してしまい、2度目の手術を受けることになりました。この手術の後、ステップアップすることを決めていました。2度目は1度目と異なり、先生に勧められた子宮内膜を温存する手術を受けました。そして、本当に幸運なことに、2度目の手術を受けた翌月のタイミング療法で、ついに妊娠することが出来たのです。

第四章:治療の日々を振り返って今思うこと

前回までで、クリニックの転院と子宮内ポリープの2度の手術を経て妊娠に至るまでの2年間を振り返りました。今回は妊娠をしてから不妊治療を卒業するまでの経験と、あの時の日々を振り返り考えていることについて書いていきたいと思います。

妊娠しているかもしれない、と気づいたのは妊娠検査薬を自身で使用してのことでした。検査薬を使用したのは生理予定日の翌日です。2021年3月の半ばに、フライングの検査をしました。その月は子宮内ポリープの2度目の手術の翌月で、排卵誘発剤の注射はしておらず、タイミングをとるだけに留めていました。通院していたクリニックは、院長先生を含め5名の先生がいらっしゃいます。診察される先生は同一のこともあれば変わることもあり、患者さんごとに担当が決まっているわけではなく、多くの先生に診察される方針でした。妊娠に至った月、私の手術を担当された先生は、「ひと月は治療をお休みしてくださいね」と仰いました。しかし、その次の受診で子宮の状態を確認した際、院長先生から、「遠慮なく可能ならタイミングを取ってください」とお話されたため、慌ててタイミングをとりました。二人の先生の仰ったことが異なったため、少し不安に感じたことを覚えています。その月は連休も重なり、タイミングを複数回とることが出来ました。数日後、私を励まそうとしてなのか、何故か夫が結果に対して前向きで、「今月は妊娠している気がする・・・」と言いました。偶然だとは思いますが、そんなことを夫が言ったのは初めてで、(しかも結果として本当に妊娠していたので)今でも驚いています。そのようなことがあり、期待する気持ちが高まっていきました。しかし、生理予定日2日前から、生理前の症状(だるい、下腹部痛)が出てしまい、生理日当日には微量の出血がありました。落胆の気持ちは隠せませんでしたが、翌日は仕事の飲み会の予定があったので、切り替えてまた来月頑張ろうと思っていました。しかし、翌日に出血がまったくなくなり、さらに飲み会で少しだけアルコールを口にすると、何となく嫌な気持ちになりました。そのような経験は生まれて初めてでしたので不思議に思いました。結局その日はアルコールを一口飲んだだけで止めて、帰宅後検査薬を使用すると、フライングの検査ながら陽性反応が出ました。初めての陽性線に手が震えたことを覚えています。夫は家に居り、何かを感づいたのかすぐに察知して、2人で喜び合いました。まだ確定ではない、手放しで喜ぶのは早い、と自分に言い聞かせましたが、はやる気持ちが抑えられませんでした。その翌日に病院へ電話しました。すぐに受診することになり、エコー検査で胎嚢が確認できました。先生からはさらりと妊娠の事実と、その場で出産予定日まで告げられましたが、心音が確認できるまでは受診してほしいとのことで、翌週に再度受診することになりました。エコーの写真を手渡され、地に足のつかないほわほわとした高揚感の中、外来を出て帰宅すると、様々な感情が押し寄せて少し泣きました。
妊娠がわかってから心音が確認できるまでは9日間あり、それが人生で最も時の流れが遅い日々でした。インターネットで全流産の7割を占めるといわれる「9週の壁」を知ってからは、色々な悲しい経験談を読んでは不安に襲われました。しかし自分ではどうすることもできません。ようやく宿ってくれた小さな命を信じ、祈り続けました。そして9日後の受診で心音が確認できたため、紹介状を書いていただき、クリニックを卒業しました。
その後、昨年の11月に、私は第一子を出産しています。

主観にはなりますが、治療を終えた今、あの頃の自分に伝えたいことについて4点触れます。
① 治療について主体的に調べること
治療の前後で最も強く感じたギャップが、治療に正解はない、ということです。私のように原因の分からない不妊の治療は、よく言えば自由度が高いと思いますが、治療法は確立していないのだと思います。実際に、かかった先生によって仰ること・治療法は異なっていました。今まで他の病気で病院にかかった時は、医師の先生に言われるがまま薬を飲んだり安静にしたりしていましたが、不妊治療に関しては、治療をどう進めるかについて多少なりとも自分で調べて考える必要があると感じました。私の場合は転院を決めたり、ステップアップのタイミングを決めたりしたことです。手軽に入手できる情報だけではなく、書籍やセミナーを参考にしました。治療のいい面だけでなく、体外受精のリスクや治療の限界についても、素人ながら少しは理解して、納得できる治療ができたと思います。
② 治療のゴールを考えること
私の最大の反省は、この点です。もちろん、不妊治療を始めて早期に結果が出れば喜ばしいですが、それは行ってみるまで誰にも分らないことです。長期間にわたり治療が続いてしまったり、当初想像していたよりもはるかに高額の治療費がかかってしまったりすることがあると思います。そこで、私にとって必要だったことが、治療のゴールを設定することでした。終わりの見えない治療が続いていくことは大きなストレスになりえます。期間でも費用でも、自分の納得できる治療のゴールを定めて、夫婦やパートナー間で共有しておくことが重要だと思います。
③ 周囲に頼って、一人で抱え込まないこと
情けない話ですが、治療を終えて無事に出産してから、周囲がいかに自分を心配していてくれたかということに気づきました。親しい友人は私に言わず、子授けの神社で祈願してくれていて、妊娠報告を泣いて喜んでくれました。上司は私のキャリアを尊重してくれながらも、親元で治療に専念できるように首都圏への異動を掛け合ってくれていました。しかし私は治療のストレスから、周囲の方の反応に過敏になったり、接触を避けようとしたりした時期があり、周囲の配慮や優しさを理解できていませんでした。苦しい治療中でも、訳もなく周囲を遠ざけて、一人で抱え込むのは違っていると思います。不妊治療中であることは、言いにくいことだと思いますが、今や多くの方が経験されていることでもあります。また、たとえ本人が言わなくても、周囲は察していることも多いと思います。気持ちの整理をつけるためにも、自分の大切な方や関わりの深い方には、一言伝えておくことが、私にとっては必要でした。
④ 治療に前向きになること
不妊治療は、新しい命を授かるための前向きな治療であるのに、どうしてもつらく苦しい面の方に焦点があたりがちだと感じています。もちろん治療は辛かったことが多いですが、最もつらい時期は治療に対して後ろ向きになっていた時です。治療を通じて、辛いこと以上に重要な経験をしたと考えます。様々なことが見えてきました。ライフスタイルを見直して、夫と数多く話し合いました。自分にとって本当に大切にしたいこと、価値観を深く考えました。周囲に対する感謝の気持ちに気づけましたし、何よりこの先の育児に対して、考え方は大きく変わりました。どのような結果になっても不妊治療は、決して人生のマイナスにはならない経験だと思います。

自分なりの方法で気持ちに折り合いをつけながら、多くの方が前向きに治療をできるようになっていくことを、心から望んでいます。妊娠・出産は奇跡の連続で、本当に尊いことです。不妊治療に対する社会全体の理解が進み、すべての方が納得いく治療が行われることを期待しています。

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