妊娠中の育児と仕事の両立

2022年4月6日

子育て

第1章 職場には言えない時期

 職場に言えない理由

私の職場は福祉関係で、お母さん達が多く働いていました。そのため、子供の急な発熱にも
嫌な顔せず帰らせてくれるので、一人目の子育てもしやすかったのですが…
お互いにそんな感じなので、常に誰かしら休みがちでした。
さらに、同僚二人が3ヶ月後には産休に入ることが分かっていました…

妊娠前から、同僚の妊娠と産休に入ることは聞いていて、
正直に言えば、私よりずっと若い二人の妊娠を聞いたときはショックでした。
私も計画的にはもっと早く二人目を妊娠したいと思いながらも、約半年間なかなか妊娠できない状況だったからです。妊娠前は、仕事も子育ても忙しく、常に生理不順でした。
産休明けで1人が復帰してくれ、妊娠悪阻で休職中の人が時短となって復帰してくれた途端、仕事にゆとりができ、ようやく妊娠することができました。

待ちに待った妊娠!で本当に嬉しかったのですが、職場の人手不足は変わりません。
すぐに報告する気にはなれませんでした。
妊婦の二人にも気を遣わせてしまう気がして。
それに、妊婦が3人もいるとなれば、他の職員にもますます気を遣わせてしまいます。
そんなことをあれこれ考えて、二人が産休に入るまでは自分の妊娠は言わないでおこうと
決めました…
子供のいない、妊婦じゃない人たちばかりに負担がかかってしまう現状にも申し訳なくて、
平気なふりをして働いていました。

 妊娠初期からあるつわり?

一人目の妊娠のときは、つわりという感じがあまりなくて、
今回もそうではないかと、少し自信がありました。
でも、今回は妊娠発覚のときから、カーっと胃が熱くなる感じがしたり、ドキドキと息切れがしたり…なんとなくの具合の悪さを既に感じていました。
朝やお昼ごはんの前に眠気が強いことも多かったです。
朝はとくに起きた直後から毎日だるく、たまに子供がなかなか起きないことがあると
それを理由にして遅刻していました。
胃腸の具合が悪いことも多くて、便秘と下痢を繰り返していたので、朝はトイレにこもることも多かったです。その理由でも遅刻させてもらっていました。
仕事は立ち仕事で常に動き回っていました。椅子に座ったりすると、ますます眠気を強く感じるので、むしろ動き回っている方がいいと思い動いていました。
本格的なつわりが酷くないことを祈りながらも、内心では常にドキドキしていました。

 妊娠初期の家事と育児

仕事から家に帰ると毎日どーっと疲れがでてきました。
この頃は、吐き気などの気持ち悪さなどはなかったので、食事を作ったり買い物したり
するこにも抵抗はありませんでした。
ただ、連日仕事が続くと、だんだん疲れがピークになってしまい…台所に立つことがどんどんと億劫になってしまうので、週末か週の初めに作り置きのおかずを作るようにしていました。
作り置きおかずも手間がかからない、レンチン調理でできるものを多用してました。
子供には野菜は食べさせたくて、冷凍のブロッコリーやほうれん草は常にストックしてました。ブロッコリーを入れたレンチンオムレツはよく作っていましたね…
あとは、茹でてコンソメ入れるだけの野菜スープ。サバ缶とキャベツ入れただけのお味噌汁…野菜もとれてすぐ作れるので、この後も定番メニューとなっていきました。
手間かけて作って食べてもらえないときのイライラは減りましたし、子供にもあまり多くを求めないでいようと思いました。
毎日18時半に子供と帰宅してから20時までの間に、ごはんを食べさせお風呂に入れるという流れ。この頃主人は、水曜と金曜以外は仕事が遅く終わるので、寝かしつけまでは基本ワンオペ状態でした。
妊娠前は、子供にあまりテレビを見させていませんでしたが、この頃はそうとも言っておられず…ご飯の間、風呂掃除の間はテレビで繋ぐようになっていました。
Eテレのあらゆる番組に助けられました。見せてみると、歌や踊りで動き回ったり、
知らない言葉を聞いて覚えたり、いいこともあるなと思いました。

職場に言わずに頑張ると決めたのは自分でしたが、このころはストレスが溜まる一方でした。職場ではいい顔をして働いていて、なかなか吐きどころもなかったのですが、主人に当たらないようにしつつ、職場での愚痴はこぼさせてもらっていました。
よく言っていたのは「私頑張ってるよねー」と頑張った自分を主人に聞いてもらい、褒めてもらうことでした。話を聞いてもらうだけでも少しは気が楽になって、仕事を頑張ろうと思えた記憶があります。
もちろん、たまには主人の仕事の様子も聞きます。愚痴を聞き合いながら過ごすようには努めていました。でも、8割は私の方の愚痴でしたね。

 リフレッシュ

週末は色々お出かけをしました。とにかくリフレッシュしたい一心でした。家族ででかけるのはもちろん、一人の時間を3時間くらい作らせてもらいしました。
カフェに1人で入ったり、子供がいるとできないスーパーの買い物を一気にしたり…
時間はあっという間に過ぎてしまいますが、すごいリフレッシュした気になれました。
託児所というのは、自分の仕事が休みなら子供も一緒に休みになるので、本当に自分の時間がありませんでした。
夜寝かしつけたあと、ようやく一息。しかもその後には、洗濯干して軽く掃除…
テレビ見たり、携帯見たりして、自分の時間をゆっくり取りながら家事を進めていくと、いつも0時近くまで起きていました。妊婦でこの生活はだめだよな…と思いつつ、なかなか改善できない日々でした。遅く帰ってきた主人には「早くねなよ」と気遣った言葉を言われるのですが、ようやくできた自分の時間、自分のペースで過ごさせてほしくて…よく反発していました。そして、翌朝また更に眠いという悪循環…
今思えば、夜は早くに寝るべきだと思います。
その方、きっと気持ちも体ももっと頑張って1週間乗り切れるはずですもんね。

それから、もう一つ夜にやっていたリフレッシュは、
ジャスミン茶などのハーブティーや、ノンカフェインのコーヒーを飲んで一息つくことでした。もともとコーヒーが好きで、香りを嗅ぐだけで癒やされていました。ジャスミン茶はリラックス効果が高いと聞いて、よく飲んでいたのですが…妊娠中期になって知ったのですが、妊娠中はあまり飲まないほうが良いそうで…それを知ってからは全く飲まなくなりました。

 上の子のトイトレ開始

このころ、預けていた託児所で2歳半からトイレへ座る練習をしていくと言われました。
正直、発達が遅い子だったので、まだ早いのでは…と思いつつ、便座やトレーニングパンツを用意してみました。
まずはトイレに座る習慣をつけることが大事なことと思い、お風呂の前と寝る前にトイレに誘うことにしました。
トイレの中も、好きな絵を書いて置いておき、トイレに関する絵本も置いてみました。
だんだん、トイレには嫌がらず座ってくれるようになったのですが…
遊びにいく感覚になってきてしまったのです…
しかも、寝る前によく「ちっち出ちゃったー」というようになり、はじめのうちは教えてくれた嬉しさで、寝かしつけ途中でも頑張って起きてトイレへ行っていました。
ただ、それがあまりに続き、出ていないことも多くて…
気づいたのです。この子はまだ眠りたくないために、わざとトイレを訴えて連れて行かせているのだと…
仕事から帰り、ご飯やお風呂に入れて、さぁ寝よう!というときにトイレへ連れて行く。
しかもこちらも半分ウトウトしてきて、体から力が抜けてきたようなときに…
この大変さ…もう限界!と感じ、我が家でのトイトレ一時中断を決意しました。

第2章 つわり時期

 私のつわり症状

妊娠発覚から約2ヶ月ほどで、やはり人並みのつわりが起こってきました。
実際に吐きはしないにしても、吐き気を感じやすくなりました。空腹のときに襲ってきやすくて、朝起きた直後、仕事終わりは特に吐きそうになりました。
ただ、朝は気持ち悪いけど、食欲もなくて…口に入れたいけど食べられず…
という日々でした。食欲のない朝は、牛乳とクラッカーとヨーグルトをよく食べていました。

よく言われる炊きたてのご飯の匂いは大丈夫だったのですが、子供のよだれとうんちの匂いで気持ち悪くなりました…
時々、子供が寝ている間にうんちをしているときがあり…
部屋にうんちの匂いが漂っていると気持ち悪くなり、一緒に寝ていられなくて、主人に任せていました。

ちなみに、この頃まだ職場に伝えていなくて…
でも遅刻は増えていたので、あとから聞いたら同僚も薄々感づいていたらしいです…ご飯も食べられていないので、若干痩せ気味でした。
夕方になるとお腹が空いてきてしまうので、15時頃に少しおやつを食べ、水分をとるようにしていました。おやつはバナナやさっぱりしたパン、時々スナック菓子を食べました。

妊娠発覚後からずっと、便秘と下痢を繰り返している状態で、便秘のときは特に吐き気が強い感じがしました。ヨーグルトは好きでよく食べていました。他にも『毎日快腸』という飲み物を飲んだら、お通じがあり、数週間はよく飲んでいました。
もともと、生理の前に便秘がちになりやすくて、そのときは市販のビオフェルミンSを飲んでいました。ある日の健診で、ビオフェルミンを飲んでは駄目かと先生に聞いたのですが、あまりおすすめしないと言われました。必要ならお薬出しますよ?と言ってもらったのですが、なんで薬が良くて、ビオフェルミンが駄目なのか分からず…薬は断りました。

日によって、時間によって、毎回食べたくなるものが違っていたので、昼も夜もコンビニに行っては「今何が食べたいか」を自問自答する日々でした。この頃は、コンビニでの食費がかかって大変でした…

 つわり中の家事育児の乗り切り方

つわり真っ只中になると、台所に立つ気持ちがなくなってしまいました。他の家事はできるのに…食べ物と向き合いたくないと言いますか…
なので、帰り道にコンビニへ立ち寄り、お惣菜を買って帰ることも増えていました。
なぜコンビニなのかというと…この頃、上の子は2歳9ヶ月くらいで、とにかく動きまわる。イヤイヤと言い出したら聞かない。という、いわゆるイヤイヤ期。そのため、スーパーのような広くて、品揃え豊富すぎるところは、連れて歩くことが本当に大変でした。その点、コンビニであれば広さも品揃えもコンパクト。目の届くところにはいられるし、お菓子も子供向けが少なくて執着しにくかったです。スーパーに比べると、値段が高いこともありますが…バーコード決済を利用して、ポイ活することを徹底していました。
この頃は、主人も早く帰ってくれることが増えていたので、寝かしつけまで一人で乗り切ることは減っていました。それでも一人でやらなければならない時は、20時までに寝かせるルールを21時までに変更し、急いで子供の世話をやらないようにしました。
ゆっくり、自分も食べたいものを食べ、お腹の調子をみて動きました。
具合が悪いときは、やはりテレビの力をお借りしました。

それから、お風呂に誘っても来ないときは、自分だけ先に入るようにしました。
「もういいやー」と思って、自分だけでのんびり入るようにしたら、意外とすぐに追いかけてお風呂に来て、一緒に入りたがってきました。
お風呂後の着替えと髪を乾かすのも、なんか知らないけどイヤイヤするんですよね。
一難去ってまた一難。裸のままで寝室に走り出す我が子を、抑えて着替えさせるのはもう無理なので…
子供が鏡で自分の顔を見て楽しんでる間に、出来るところまで服を着せて髪を乾かして、逃げ出したら後は追わず。心を落ち着かせて、自分の服を着て髪を乾かす作業に入ります。
一度は逃げ出した子供も、私が髪を乾かしていると、興味を持って寄ってくるので、ついでに乾かすこともできました。出来ないときはもう自然乾燥でしたね。
こんなふうに、色々、少しずつ妥協に妥協を重ね、自分も子供も辛くないようにしていきました。
とはいえ、つわり期間中、イヤイヤ期真っ盛りの子供の相手はかなり辛かったです。
妥協できるようになるまでは時間もかかりました。イライラしてきて叫んでしまったことが何度もあります。
体調が悪いと、本当にすぐにイライラしちゃうんですよね…自分でも嫌になります。
でも、ある時、ちょっと心に余裕があったので、泣いて嫌がる子供に共感してみたんです。そうしたら案外素直に動いてくれて…そのときに、「こうすれば良かったんだ。」と気づきました。そうしたら、少しだけ、その後の育児が楽になりました。

 ようやくできた妊娠報告

つわりの症状が一番辛かった時期の約2週間後、ようやく職場の人に妊娠報告をしました。
そのときには、二人の妊婦さんも無事に産休に入っていたので、再び人手不足になっていました。
自分のつわりは一山越えつつあったので、報告しつつ、今まで通りがんばれます!!と
アピールをしておきました。
とはいえ、同僚もとても気を遣ってくれ、つらいときは遠慮なく休んでと言ってくれました。
その言葉に甘えつつ、相変わらず朝が辛い状況だったので、毎日のように遅刻させてもらっていました。
丸1日休んでは?と言ってくれることも多かったのですが、子供を託児所に預けさせてもらいたくて、遅れながらでも出勤をしていました。時々、預けたあとで帰らせてもらい、家で1人休ませてもらうこともできました。同僚にも託児所の先生方にも本当に感謝でした。
仕事自体も、肉体労働を減らしてくれてはいたのですが、もともとそれが仕事なので。
完全に無くすことは無理でした。自分もできる気がして、ほとんど今まで通りに動いていました。

実はこのころ、職場に報告したことは妊娠だけではありませんでした。
妊娠を決めた時点で、夫婦で話して決めていたことが、実家の近くへ引っ越しすることでした。
もともと、我が家はどちらの実家も県外にあり、なかなか両親に孫を会わせられずにいました。そこに来て、追い打ちをかけたのがコロナ…県外への移動をしづらくさせたので、約2年間、直接会えていなかったのです。
夫婦で話し合ったことは、二人目が産まれて、共働きをするには、両親の協力もほしいこと。
子供にとっても、親以外に頼れる存在がいるほうが、気持ちが豊かになるのではないかということ。
理由はどうであれ、職場には産休期間の前に退職する旨を伝えました。
早めにそれを伝えたのは、ちょうどその頃、立て続けに採用面接があったことを知っていたからです。面接はしたけど、一人は採用するか悩んでいるということも小耳に挟みました、
なので、早めに報告をして、採用を決めてほしい旨を伝えました。
人手不足の中で、辞める人間が出来ることはそれくらいだと思いました…
そして、できる限り体調管理をして、休まず仕事に来れること。そう思うようになり、例の夜更しは本当にやめよう。と決意しました。
早めの報告が功を奏し、無事に中途採用が決まりました。約1ヶ月後には1人新しく入ってくれることになり、業務の引き継ぎをしていけることになりました。
無事に引き継ぎが終わるまで、とにかく頑張らなくてはと気合を入れました。

第3章 ワンオペ時期を乗り越え無事退職…

 ワンオペの日々

つわり時期をようやく乗り越えつつあった頃、主人がたまにくる仕事の繁忙時期を迎えました。毎日のように帰宅は23時以降で、月から金までは完全に頼れない状況に追い込まれたのです。
つわりの辛い間、無理して早く帰ってきてくれてたツケが回ってきたのかと思い、頑張らなくてはと思いました。1週間が長かったです。
つわり期間中に色々妥協できるようになってきたので、それを生かしつつも、食事は作れるようになってきました。元気なうちに、作り置きおかずを作れるようにもなってきたので、それはやるようにしました。21時頃までには子供を寝かしつつ、その間に洗濯をまわし、寝かしつけたら干して、食器洗い、元気なら朝ごはん準備…子供が散らかしたおもちゃを片付け、明日の託児所の準備をして、干してあった洗濯物を畳んで…その他の細々とした家事をこなす日々…
早く寝ようと誓った決意はもうありませんでした。早く寝られるわけがない状況でした。
時間がいくらあっても足りない。仕事から帰って、また別の仕事が大量にある…
こんな日々が約2ヶ月続きました。
主人も主人で、毎日残業で本当にヘロヘロの状態だったので、愚痴をこぼす気にはなれませんでした。
そして、ある時ふたりとも、子供の風邪をもらいダウンしました。子供はとっくに治ったのに、親二人は咳が長引くという結果になったのです。二人して免疫力がガタ落ち状態でした。
その間、自分自身は、ある時はものもらいが大きく腫れて、またあるときは蕁麻疹で顔中が腫れてという悲惨な状態に陥りました。妊婦の身体で、もともと弱い肌がさらに弱くなっているようでした。つらいつらいワンオペ時期でした。

 夫に激怒した日

残業が続いていたある日、少しだけ早く主人が帰ってきた日がありました。
まだ子供も寝かしつけ途中で、寝室で二人して起きている状態でした。帰ってきた事に気がついたので、寝室を覗きに来るかな?と期待していたのですが…完全に裏切られました。
待てど暮らせど、覗きには来ず、ようやく寝かしつけてリビングへ行くと、ビール飲みながら携帯を見ているのです。
久々に早く帰れてホッとしているのは分かっていましたが、私の怒りが爆発しました。
寝かしつけてから、たくさんの仕事が残っているのに、何一つ手を付けられておらず、
ただ時間だけ過ぎている状況にがっかりしたのです。
ひとまず、洗濯物を持ってきて干し始めながら「本当にこっちの大変さわかってる??」
と怒鳴りました。寝かしつけを変わるか、残ってる家の仕事をしてくれ!と伝えました。
私は毎日これの繰り返しなんだよと。もういっぱいいっぱいで、主人を思いやる気持ちにはなれませんでした。

 夫婦で協力できたこと

激怒してからも、主人の残業が減るわけではありませんでしたが、家事に対してはこれまで以上に率先してやってくれるようになりました。
もともと、食器洗いやご飯の炊飯は、帰ってきた主人の担当になっていました。

それ以外にも、やってほしいことはその場でちゃんと伝えるようにしました。
特に朝、いつも私よりゆっくり自分の準備をし、ゆっくり食器洗いをしてくれる事が、前々から気になっていました。こちらは、朝からご飯の準備に、子供の支度、自分の身支度とてんてこ舞いでした。早く食卓について、子供とご飯を一緒に食べてほしいと思っていました。
なので、朝は子供の着替えを担当してもらうようにして、食器洗いはちゃっちゃと自分でやるようにしました。同時に自分の水筒、お弁当も準備できるので、すごく楽になりました。
その日その日で、臨機応変に動いてほしいのですが…なかなかそうは行かないようで、
私が司令塔になっている感じでした…
でも、黙っていてイライラが募っていた時よりも、とても楽になりました。
主人にとってはうるさいかなとも思いましたが…それがお互いのためかと思い、続けていました。夜は朝よりは余裕があったので、あまり口うるさくしないように心がけました。

 退職直前に受けた切迫早産の診断

なんとか主人の仕事が一段落し、少しずつ今までの日常が戻ってきました。
私自身も体調が安定して、退職まであと2ヶ月を切ってきました。
業務自体も少しずつ落ち着いて、引き継ぎも少しずつできてきたところでした。
最後までしっかり働けそうだ。と安心していた矢先でした…

退職まであと2週間、妊娠25週の妊婦健診で、子宮頸管長25mmで短めと指摘されました。切迫早産と診断され、安静にするよう言われてしまったのです…
仕事がら動き回っていたので、そのせいだと思いました。
仕事中を思い返すと、お腹の張りはあまり無いと思っていましたが、急にトイレに行きたくなることが多々ありました。赤ちゃんに押されてるから仕方ないと思っていましたが…あのときに張り気味だったのかもしれません…

間違いなく仕事で動きすぎていたので、先生にまず聞いたことは「パソコンを使う業務ならいいですか?横になる時間も増やすので。」
でした。それを聞いたときの先生の表情は忘れられません…はっきりと頷きはしなかったのですが、引きつったような顔をしていました。
でも、絶対に駄目とも言われなかったので、それをいいことに、職場へはパソコン業務だけにさせてもらえるよう、すぐに連絡しました。
翌日の職場では、本当に心配してもらって、勤務の仕方をアレコレ一緒に考えてもらいました。
相談の末、無理せず午後はお休みにさせてもらうことになりました。結局、子供を一日家で見る事の方が大変だと思ったので、休みながらパソコン業務をやらせてもらえる方がありがたい思いでした。
半日でも出勤すれば、託児所でも夕方までは見てもらえることになりました。 そうして、帰ってから2〜3時間は、何をするでもなく、ただただ寝て過ごしました。仕事で動いているとわからなかったのですが、横になる時間が増えてから、こんなにお腹が張っていたのかと実感していました。

 切迫早産と言われてからの家事育児

寝ているときに、切迫早産についてたくさん調べました。
診断されて仕事に行く人はかなり少数な様で、半日出勤でもだんだん不安になってきました。生活での注意は、とにかく重たいものを持たないこと。子供を抱っこするのもNG。洗濯物を持ち運ぶのも極力避ける。などなど…
身体は動くけど、寝ていなきゃ行けないことが辛かったです。でも、調べているときによく書かれていた言葉で、「お腹の赤ちゃんを守れるのはお母さんだけ。」
というものがあって。確かに、ここで動いて早く生まれてしまったら、辛いのは赤ちゃんなのだという事を再認識しました。

子供と二人で過ごすときは、結局テレビを見させて過ごすことになってしまいました。絵本やパズルなど、寝たままできることはやっていても、長続きしませんでした。
外へお散歩も連れ出してあげられなくて、泣きながら「おとうしゃん〜」と言われたときは辛かったです。

切迫早産の診断を受けてからは、主人も毎日定時上がりにしてくれ、家事育児の両方をお願いしていました。
無理をさせているのはよく分かっていましたし、早く実家に行くべきだなとも感じていました。でも、主人からこんな話をされて…職場の上司に切迫のことを言ったら、「いつ何があるかわからないから、早く帰ってもらったほうがいいんじゃない?」って言われたと。
だから、予定より早く先に実家に帰ったらどうかという提案。
そのときは、長時間の車移動もあるので、私としても早いうちに余裕を持って帰りたいと思っていました。
ただ、後から後から湧いてきたのは、主人にとっても、主人の会社にとっても、私はお荷物
なのではないか…という感情でした。純粋に心配してくれていることも分かっていましたが、早く帰ってもらって、仕事に集中できるようにしたら…という提案に受け取ってしまうのでした。
主人も仕事から帰るなり、家事育児を全部やらなきゃいけなくなっているわけで。私も負担をかけたくないとは思っていました。
こういうときは。余計に精神的に不安定になるんでしょうか…
役に立たず何もできない自分の存在が虚しくなっていきました。

 ドクターストップと退職

周りの、沢山の人の協力をもらっていたのですが…
27週の診察で、再び頸管長を図ると20mm になっていました。退職まであと4日というときでした。今回は、先生からはっきりと、仕事は休むように言われてしまいました…

職場へすぐに連絡し、その旨を伝えました。とはいえ、最後の挨拶周りは、どうしても行きたくて…最終出勤日には菓子折りを持って、挨拶へ行きました。
とてもやり切れない気持ちでした。
でもきちんと挨拶に回ることができ、感謝を伝えられたことは良かったと思いました。

妊婦になって半年、仕事と育児を両立させてはきましたが、途中で体調を崩し
最後は切迫早産という結果…
これは上手くやれたのかと聞かれれば、決して上手くはないと思います。
でも、この半年の中で、自分のルールに妥協して、人に頼って、人に感謝してこられた事は
今までで出来なかったことでした。すごく成長できた半年だったと今は思っています。

これから二人の子供と、未知の戦いが始まっていきます。
この半年で得た経験を、次のステージでも存分に発揮していきたいと思います。

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