子育てと自己犠牲のはざま 〜海外で育児中の『育児専業主婦』のおはなし

2022年2月10日

海外子育て

第1章 マレーシアではじめての妊娠と出産

流産を乗り越えての妊娠

マレーシアに住んで数年が経ち、子ども好きな人が多く、多文化が共存するこの地で子育てしたいと思いはじめました。30代後半だったこともあり、子作りを意識した生活をスタート。葉酸をとる、基礎体温をはかる、排卵日付近での夫婦生活…

40歳目前!ついに息子を宿しました。実は息子を妊娠する前、マレーシアで2度の妊娠と流産、流産手術を経験しました。2度の流産は、私たち夫婦にとって悲しすぎるできごとでしたが、年齢のことを考えると仕方がないと現実を受け止めるしかありませんでした。

正直、もうこれ以上流産の悲しみを経験したくない!そう思って、妊活もお休みしました。もう流れに任せよう。夫と2人だけの人生も悪くないかもしれない。

そう思っていたところに授かった命。また流産するかもしれないから地に足をつけて、慎重に行こう。つわりが軽い日は「赤ちゃんは無事なんだろうか」と不安がつのりました。胎動を感じるまでの妊娠初期から中期まではエコーなどで確認しないかぎり、赤ちゃんの様子を知ることができません。高齢出産、流産経験者であるわたしは、妊婦健診を指折りかぞえて今か今かと待ちわびたものです。

ついに流産の確率がグッと減る「12周の壁」を乗り越え、「この子は大丈夫。強い子だ」と思えるようになり、わたしの気持ちも強くなっていきました。

マレーシアでの妊婦生活

マレーシアは、妊婦健診に行くと夫が同行している場合がほとんどです。中には家族数人で来ている場合も。妊娠・出産は妻だけのものではないのでとてもいい習慣だと感じます。

ですので、わたしもなるべく夫が休みの日に健診を予約して、付き添ってもらいました。妊娠中はマイナートラブルも多いので、夫が一緒だと何かと安心です。なによりエコーで我が子の成長をともに分かち合えることは喜びです。こうやって少しずつ母親・父親の自覚を持てるのだろうと思います。

ちなみに私が通院・出産した病院は私立病院で、無料で日本語通訳をしてくれます。英語でのコミュニケーション、さらに医療用語となると不安です。しかも命に関わること。通訳さんがいてくれるのはとても心強かったです。

妊娠12週になるころ出生前診断も受けました。いわゆるダウン症などの染色体異常がないかを調べるものです。母親が高齢になればなるほどダウン症の確率は上がります。検査方法はいくつかありますが、わたしの場合はドクターと相談して、まずは血液検査とエコーでの検査をし、その結果が悪いようならNIPTを!という方針になりました。

NIPTは精度が99%と高い検査方法なのですが、費用も高額(マレーシアでは約6万円。日本では約20万円)かつ、命の選別になりかねないため賛否あります。幸い結果は「問題なし」で、NIPTは受けませんでした。

その後も妊娠糖尿病のリスクがないかを調べる糖負荷検査など、日本と同じ検査をいくつか受けましたが、どれも問題ありませんでした。バスや電車に乗れば必ず誰かしら席を譲ってくれますし、マレーシアでの妊婦生活はとてもハッピーでした。

いよいよはじめての出産

予定日まであと1ヶ月というある日の夜、パンっという音とともに破水しました。慌ててバスタオルで床を拭き、着替えをし、仕事中の夫に連絡。そうこうしているうちに、再び破水。1度目は透明の羊水だったのが、今度は緑色をしています。調べると「破水したことで胎児にストレスがかかり、胎便をしたため」でした。場合によっては危険とのことだったので、すぐに病院へ向かいました。時間は夜の10時半。

次第に陣痛も強くなり、間隔も短くなっていきます。痛みに耐えながら病院へ。深夜です。いつも健診時についてくださる通訳さんはいません。前もって必要そうな英単語は調べていたので、自分の状況を看護師さんに伝えることができました。

緑色の羊水が出たことを伝えると、一瞬にして看護師さんたちの顔色が変わりました。わたしはベッドに寝かされ、「すぐに担当のドクターを呼ぶわね」といってバタバタと周りが動き始めました。

ドクターが到着。緊急帝王切開で出産に挑みます。途中、麻酔の影響なのか口がカタカタするほどのひどい寒さに襲われ、震えながら「わたし死なないよね?絶対死なないよ。やっと息子に会えるんだもの。大丈夫、わたしは生きる。生きる。生きる」とずっと唱えていました。震えるわたしの手を一人の女性看護師さんがずっと握っていてくれたのがとても心強かったです。

日付が変わってすぐ、ついに息子を出産。本当はカンガルーケア(生まれたばかりの赤ちゃんを母親の胸の上に寝かせる)をしたかったのですが、帝王切開ということもあってか、それは叶いませんでした。髪の毛がフサフサで赤みを帯びた息子を見てホッとして涙が出ました。

処置を終え、わたしも入院先のベッドへ移動。そこで息子の状態を聞きました。「胎便を含んだ羊水の中にいたことで、肺に細菌が入っている。一週間入院して、抗生物質の投与と酸素吸入が必要です」生まれて間もないのに管につながれる息子を見守りながら、ただただ回復を祈りました。

産後待っていた生活

これまで病気で手術をしたこともありましたし、痛みには強い方だと自覚していたのですが、予想以上に痛かった術後の傷。しかもマレーシアの場合、帝王切開であっても通常3泊4日で退院です。普通分娩にいたっては1泊2日です。起き上がるのも歩くのも一苦労。息子は入院しているので、わたしの場合すぐに息子のお世話をすることはなかったのですが、元気に生まれて、産後間もなく赤ちゃんのお世話をしているママたちは、どんなに大変だろうと想像しました。

退院の日。NICUに入院している息子に会いにいき、後ろ髪引かれる思いで病院を後にしました。

実は入院中からとにかく足がむくみ、像の足のようになっていました。むくみを取るメディキュットを履いていましたが、まったく改善しません。そこで「リフレクソロジーへ行く・自宅でフットバス・夫にマッサージしてもらう」の3つをひたすら続けたところ、1週間ほどでむくみが少しずつ取れました。

あとから知ったのですが、産後は血圧が上がりやすいそうで、出産から1週間前後がピークなんだとか。わたしは「妊娠高血圧症候群」はなかったのですが、あのむくみは高血圧によるものだったのだろうと推測します。中には産後の高血圧が改善せず、死亡してしまう方もいるようなので、本当に無理をせず、気をつけなければなりません。

そんな中、なによりわたしが気がかりだったのが「母乳が出ない」ことでした。妊娠中も胸はよく張っていたし、母乳が出やすいようにおっぱいマッサージもしていたし、出産したら問題なく母乳が出るものと高をくくっていました。

産後、おっぱいを触ってみるものの母乳は出ない。そんなわたしに母乳外来の看護師さんが勧めてくれたのは、電動搾乳器。ネットで検索し、めぼしい商品をピックアップして、夫に買いに行ってもらいました。

電動搾乳器を使ってはじめて出た母乳は、両乳でたった5ml。初乳は「黄金の液体」と呼ばれ、感染症や黄疸にも効果があるとても栄養価の高い母乳です。たった5mlでも息子にあげたい。看護師さんも「少しでもいいから取れたら赤ちゃんにあげようね」と言ってくれていたので、その5mlを息子に届けました。

驚くことに2回目搾乳時には10mlとれ、少しずつではあるものの、母乳の量も増えていきました。退院後も毎日搾乳した母乳を入院している息子に届けました。病院では息子を胸に抱き、母乳をあげました。

やっと息子の状態も良くなり、予定通りちょうど1週間で退院。ここから家族3人の生活がスタートします。

第2章 全部自分でやろうとした… わたしに待っていた産後うつと産後クライシス

何もかもがはじめてで右往左往

夫と2人で暮らしてきた自宅に息子を迎え入れ、家族が3人になった実感がわきました。でも新生児との生活は大忙し。何もかもがはじめてでアラフォーのいい大人2人が右往左往でした。

赤ちゃんはおくるみに包んであげると落ち着くため、病院でおくるみの包み方を学んできたはずなのに、うまく包めない。どこか緩んだり、きつすぎたり。なんどもやり直し。人形じゃないのでもちろん動くし、なかなかうまくできず自己嫌悪。

このうんちの色は大丈夫なの?「うーうー」と唸っている時があるけど大丈夫なの?とにかく心配がつきずネットで検索ばかりする日々。「おそらく大丈夫だろう」とは思えるものの、はっきりした答えは出ない。

うまくできないことだらけ、分からないことだらけ、心配だらけの中、毎日ただただ授乳、おむつ変え、寝かしつけ、沐浴を必死にやり続けました。マレーシアには母親や姉もいない、育児のことを気軽に相談できるママ友も当時はいませんでした。「あぁ、こんなに孤独で大変なら金銭的に無理をしてでも産褥院に入るか、母親にヘルプにきてもらえばよかった」と心底思いました。

マレーシアには産褥院といって、産後、母子のケアをしてくれる宿泊施設があります。赤ちゃんは新生児室で預かってくれ、授乳以外のお世話はすべてナースの方がやってくれます。母親は自分の身体のケアに専念できる環境です。母体のことを考えた食事もつきますし、授乳マッサージやベビーマッサージ、ヨガなどのワークショップがあったりと飽きません。産褥アマさんに住み込み、もしくは通いで自宅へきてもらうこともできます。

産褥院や産褥アマさんを利用していれば、心配ごとや分からないことも聞くことができたでしょう。海外でこれから出産をする予定の方、産褥院があるなら活用することを強くおすすめします。

夫は仕事復帰 ワンオペ育児のはじまり

育児休暇を2週間取っていた夫もついに仕事復帰。夫は多忙で、朝9時に家を出て、帰宅は深夜。休みは週に1日のみ。完全なるワンオペ育児のはじまりです。

息子のことだけで精一杯なのに、どうやって自分の食事を用意するのだろう?授乳期は母親もしっかり食事をして、栄養を摂るべき時期です。母乳の出がよくなるように温かいスープやごはん、良質なタンパク質が適していますが、この頃わたしがしょっちゅう食べていたのはコンビニのパン。

こんな食事では息子に申し訳ないと思い、睡眠をけずって薬膳チキンスープなどを大量に作ったりもしました。夫は「何か作り置きしといてあげるよ」と言ってくれましたが、なにせ多忙な人。疲れて帰宅して、料理させるのは悪いとなぜか遠慮してしまい、「大丈夫」と断ってしまうのでした。

母乳は足りているの?寝不足のなか授乳と搾乳を繰り返す

育児をしていて一番気がかりだったのが母乳。粉ミルクならどれくらいの量を飲んだのか一目瞭然ですが、母乳の場合、赤ちゃんがどれくらい飲んだのか目で確認できません。上手におっぱいを飲めているのか、足りているのか不安でした。

「母乳が足りない」のが何より怖かったので、母乳の冷凍ストック作りに励みました。母乳の出がよい夜と深夜、息子に授乳した後、搾乳器を20分。搾乳しすぎて乳首に血がにじんだり、睡魔が襲って搾乳器を抱えたまま寝落ちすることもたびたびありました。

わたしを悩ませたのは量のことだけではありません。どれくらいの時間授乳すればいいのか、この時のわたしはまったく知らない状態でした。おっぱいをくわえさせれば、1時間くわえているときもあります。これではわたしの身がもたない。不安に思ったわたしは得意のネット検索。すると驚くことに片乳約10分ずつ(もしくは5分ずつを繰り返して)計15〜20分でいいと。驚愕でした…

ネットにそう書かれていても「実際にその時間内でちゃんと母乳を飲めているか、足りているかは別問題だわ」とどこまでいっても不安なわたしは、授乳後に哺乳瓶でストック母乳をあげるのでした。ほとんどの場合、まったく飲まなかったので、20分の間で必要な量を飲めていたのでしょう。

思い返すと、怖いくらいに必死だったのがよくわかります。

念願の息子を腕に抱いているのに涙

待望の赤ちゃんを出産!と聞けば、イメージするのは「光・白・キラキラ・ふわふわ・幸せ・笑顔…」です。もちろんそういう瞬間もたくさんあります。

でも、そんなに美しいものだけでもない。授乳、寝かしつけ、おむつ替え、搾乳、食事の用意、洗い物、洗濯、作り置き、沐浴… 日中夜関係なくエンドレスに続く慣れないサイクル。つきることのない心配事。睡眠不足。人とのコミュニケーション不足。孤独感。

寝かしつけのために抱っこをしながら暗い部屋を歩き回る。
15分、30分… まだ寝ない。あと15分頑張ろう。あ、寝た。
ベッドに置こう。そっとそーっと…
オギャーーーーーーーッ!!!
やり直しだ…
息子を抱いてまた歩きつづける。つらーっと涙がほほを伝う。
止まらない。むせび泣く。

念願の赤ちゃん。かわいいわたしの息子。愛する息子。その息子を抱っこしているのに、どうしようもなく泣けてしまう日がありました。消えたくなる日がありました。息子を生まなかったら…なんてひどい想像をする日がありました。

そして夫が敵になる

わたしの精神状態は、産後のホルモンバランスのくずれが影響していたと思います。産後、胎盤がはがれ落ちると、エストロゲンやプロゲステロンなどの女性ホルモンの分泌が抑えられます。分泌がふたたび増えるタイミングは人によりますが、母乳育児をしている間は低い状態が続き、それにより情緒不安定・抜け毛・肌あれなどのマイナートラブルがおきるのです。

それに加え、夫が多忙すぎるために家事育児への参加が物理的にむずかしかったこと、ヘルプを頼める家族が近くにおらず家事育児のすべてをひとりで担う必要があったこと、がさらにわたしを追い込みました。

やがて夫に対してイライラと強い嫌悪を抱くようになりました。わたしは夫の言動にいちいち心の中で文句を言っていました。息子のお世話について「これどうやってやるの?」と聞かれれば、心の中で「自分で調べろよ」と。「これ大丈夫なの?」と聞かれれば「わたしだってわからないよ。なんで何でもかんでもわたしに聞くの」と愚痴っていました。

そういう気持ちも夫に吐き出せればよかったのでしょう。でもわたしはずっと心の中に溜めてしまっていたのです。

どこかで息を抜いてしまったら、弱音を吐いてしまったら、すべてが崩れおちてしまいそうで、自分を守るため、強くいるために攻撃的になっていました。そして一番身近にいる夫がその標的になったわけです。

こうして産前大好きだった夫が、触れられるのさえ嫌だと思う存在になりました。何度も何度も離婚を考えました。好転しはじめたのは、息子が1歳半を過ぎたころ。ちょうど卒乳を終えた時期で、夜通し眠れるようになったころでした。嫌悪感の塊が溶けはじめ、少しずつ夫への思いも変わってきました。

息子が成長して、夫自身子どもとのやりとりが楽しくなってきたことで、息子のお世話をよくしてくれるようになったことも大きな要因だと思います。「赤ちゃんのころは小さすぎて、扱うのが怖かった」と言っていました。怖いからできない!とは言っていられないのですが… その気持ちも今はわかります。

2年以上続いた産後うつ、産後クライシスに終わりが見えはじめている今、大切だと思うこと。それは、①思っていることは口に出して伝える ②産前から産後うつ、クライシスについて夫と共有しておく ③完璧にしないでいい!ひとりで頑張らない ④育児は妻だけのものじゃない、夫婦はチーム ⑤頼れるものは頼る の5つです。

第3章 ねんね問題! 赤ちゃんの順応力に驚いた話とネントレ止めた話

思い込んでいた「寝かしつけ=抱っこ」

多くのママが経験する、ねんね問題!前章でも触れたとおり、わたし自身にもねんね問題は立ちはだかりました。抱っこして揺らしながら歩きまわっても寝ない、ベッドに置いた途端に起きてしまう、パパの寝かしつけでは寝ない…などです。

そこでわたしが手にしたのは『0歳からのネンネトレーニング 赤ちゃんにもママにも優しい安眠ガイド』という本です。ネンネトレーニング(以下、ネントレ)の本はたくさんありますが、わたしがこの本を選んだ理由は、「日本人の生活スタイルに合わせた睡眠改善方法」だったからです。海外の一部の国では添い寝しない、布団の選択肢はない、などわたしたちのライフスタイルと違う部分が多々あります。そういった海外で主流のネントレより、日本人の生活スタイルにあったネントレの方が合っていると思いました。

この本を読んで一番はっ!としたのは、「寝かしつけ=抱っこ」だとわたしが思い込んでいることでした。同じようなイメージを持っている女性は多いのではないでしょうか。

この本には

“無意識的にママが始めた寝かしつけの方法を、赤ちゃんは生まれてからすぐ、安心して眠るための条件として覚えています。”

と書かれていました。つまり、最初の寝かしつけ方法がとても大事だったのです。多くのママがこのことを知らないまま抱っこなどで寝かしつけをはじめるものの、体力的な問題やママ以外の人の代用がきかないなどの問題にぶつかって、本格的にネントレを始めるのだと思います。

最初の寝かしつけ方法が大事だとはいえ、途中から変えることができる!それがネントレです。「抱っこで寝かしつけ」だったのを「最初からベッドでひとりで寝かせる」方法に変えることも可能だと知り、ネントレをはじめました。

心を鬼にして挑んだネントレ

ネントレで大切なのは、朝と夜の区別をはっきりとすることだそうです。朝昼は明るく賑やかに。夜は暗く静かに。そして入眠儀式という「寝る前に行う習慣」によって寝つきやすくなると言われています。このことを踏まえて、どんな寝かしつけ法にするか、色々と思いをめぐらせた結果、次のような方法にすることを決めました。

①部屋を薄暗くしてベッドで授乳 ②絵本を読む ③イチャイチャタイムで愛を伝える ④ベッドに寝かせて、コンフォーター(わたしの匂いをつけたぬいぐるみ)を抱かせ、おしゃぶりをくわえさせる ⑤隣でトントンしながら子守唄

このプロセスを入眠儀式にしました。

実際にネントレをはじめる前に、この本でも他のネントレ本でも書かれていた重要なことをシェアしておきます。それは「ねんねの方法を変えるときは、何があっても1週間はその方法を続けること」です。新しいねんねの方法に慣れず、赤ちゃんがたくさん泣いてなかなか寝つかなかったとしても、やっぱり止めよう、他の方法にしようなどとちょこちょこ変えるのは赤ちゃんを混乱させることになります。ですので、一度はじめたら強い気持ちで1週間完走しなければなりません。

心を決めて、いざ開始!初日、入眠儀式を終え、ベッドに置いたところから寝るまで45分かかりました。15分以上泣き続けていたので、一度抱っこをして「今日から新しい方法でねんねしようね。ママは隣にいるよ。大丈夫だよ。愛してるよ。」と言って落ち着かせ、ふたたびベッドへ。また泣き出すのですが、トントンと子守唄を歌い続け、最後は泣き疲れて寝ました。

これは母のメンタル的にもなかなかハードな時間です。でもネントレをすると決めましたし、はじめてしまったのでもう続けるしかありません。心を鬼にして2日目、3日目…繰り返していくと少しずつ息子が慣れていくのがわかりました。まだまだ泣くのですが、5日目くらいからはベッドに置いてから寝るまでの時間が短くなっていったのです。

この頃から「これはイケるかもしれない!頑張ってつづけよう!」と希望が持てたのを覚えています。

本当に自分で寝るようになった!!!

そして10日ほどでついに、ベッドに置くとそこから泣かずに5〜10分で眠るようになりました!正直、とてもおどろきました。この10日間で息子がわたしに見せてくれたのは、こんなに小さい赤ちゃんにも順応力があること、個の人間として自分で眠る能力があることです。ネントレを通してこんな感動があるとは思いもしませんでした。

しばらくして、お昼寝のネントレも開始しました。不安のなか手探りではじめた夜のネントレとは事情が違います。一度成功している経験はわたしに自信と確信を与えてくれました。おかげでお昼寝の寝かしつけもスムーズに変えることができました。

友人が自宅に遊びに来てくれていたある日。お昼寝の時間になり息子がグズリはじめたので、「ちょっと寝かしつけてくるね」といって息子を連れて寝室へ。いつも通りベッドに寝かせて、コンフォーターを抱かせ、おしゃぶりをくわえさせてトントンすること5分。すーっと眠りについてくれました。寝室を後にして戻ったわたしに友人はキョトン!「もう寝たの?」ととてもびっくりしていました。

ネントレで赤ちゃんがスムーズに眠りにつけるようになると、親は本当に楽です。こうして友人との貴重な時間を少しでも長く楽しめたのもネントレのおかげだなと思います。

ネントレやめた。けれど…

こうしてネントレはうまくいったのですが、わたしはその方法をやめることになります。理由は、夜の授乳時おっぱいを飲みながら寝落ちするようになってしまったからです。おっぱいをくわえたまま寝てしまうと、寝つきの条件が「おっぱい」になってしまいます。これでは「寝かしつけ=抱っこ」だったときと変わりがありません。ネントレでは本来、ベッドに寝かせる時は、赤ちゃんは起きてる状態であることが好ましいのです。

授乳中、寝落ちしている息子の足の裏をくすぐったりして何度も起こそうとするのですが、爆睡です。まったく起きません。さらにわたし自身も授乳しながら寝落ちしてしまい、目を覚ましたときには息子も腕の中で寝落ちということも多々ありました。

ふたたびネントレをやって寝かしつけ方法を戻すという選択もあったのですが、「授乳で寝落ち→ベッドへ移動」という流れでも苦ではなかったので、そのまま変えることはしませんでした。夫の帰宅は深夜ですし、休みも週1。寝かしつけはわたしがやる以外なかったので、「寝かしつけ=授乳」でも問題なかったわけです。

ですが、パパが寝かしつけをできる環境なら、ネントレをしてぜひ「誰でも寝かしつけられる」状況を作っておいた方がいいと思います。そうでないとママは出かけることはおろか、風邪すらもひけませんから。

わたしの友人は、ネントレをして寝かしつけはパパ担当にしていました。パパが寝かしつけしている間に夕飯の用意ができますし、ときには、寝かしつけ以降をパパに任せて、お友達とディナーに出かけるなんてこともできます。パパが飲み会をして帰ってくるように、ママにも息抜きする時間は必要です。そういう時間を作るためにも「どういう寝かしつけをするか」はとても大切だと感じています。

第4章 BLWを取り入れた離乳食の本音

BLWってなに?

BLWはBaby-Led Weaningの略で、赤ちゃん主導(Baby-Led)の離乳法(Weaning)と言われています。イギリス発祥で今ではオーストラリアやニュージーランド、アメリカでもポピュラーです。『BABY−LED WEANING』という本の著者で、BLW提唱者のGill RapleyとTracey Murkettによると

「子どもが生まれてから寝返りやハイハイ、つかまり立ち、歩く…ことができるようになるのと同じで、学習の機会さえ与えれば子どもたちは自分でいろいろなことを身につけていく」

とBLWでは考えられています。この本は『「自分で食べる!」が食べる力を育てる 赤ちゃん主導の離乳(BLW)入門』というタイトルで日本訳も出版されています。

赤ちゃん主導とはどういうことかというと、親がスプーンなどで食事を与えるのではなく、テーブルに適度な硬さ、大きさの食材を置き、あとは赤ちゃんが自分で自由に食べるということです。食べる量も、どう食べるかも赤ちゃん次第になります。

はじめる時期は、一般的な離乳法と同じで生後約6ヶ月頃からです。支えてあげればちゃんと椅子に座れるかどうか、がひとつの目安となります。

与えるものは、最初は歯茎でつぶせるくらいの硬さで、赤ちゃんが持ちやすい、大人の人差し指程度の大きさの、固形の食材(ローストしたじゃがいもや、蒸したにんじん、バナナ、パンなど)です。それらを数種類用意してあげます。月齢が上がって手づかみが上手になってきたら、少しずつサイズを小さくしてあげます。

窒息の心配をする方も多いですが、BLW提唱者の研究では窒息の確率は一般的な離乳法と変わらないそうです。しかし、可能性がないわけではないですから食事中は必ず赤ちゃんの様子を観察してあげて、もしもの時には対処できるように応急処置を学んでおくとよいです。わたしもBLWをはじめる前に、ここマレーシアで応急処置、窒息時の対応、救命処置のセミナーを受講しました。おかげで窒息に限らず、息子にもしものことがあっても命だけは助けられる!という自信がつきました。

BLWは、親がスプーンなどで与えることはしないので、親も一緒に食事をし、食卓を楽しむことができます。スプーンであげる離乳法の場合、親は赤ちゃんにごはんをあげるのに忙しく、一緒に食事を楽しむのはむずかしいです。赤ちゃんは自分で握ったり、つぶしたり、味や匂いを体験して、全身で食材を楽しみます。食べても食べなくてもいいのです。足りない分は母乳やミルクで満たしてあげれば問題ないと考えられています。

このBLWの難点として有名なのは… とにかく「散らかる」ことです。いかに後片付けを簡単にするかを考えなければなりません。赤ちゃんの下にシートを敷く、食後はシャワーで一気にながす、全身が隠れるエプロンをつけるなど、みなさん工夫されています。わたしはベビーチェアに水で丸洗いできるIkeaのAntilopというハイチェアを選びました。そして息子には長袖のお食事用エプロンを着せ、テーブルの下にはビニールシートを敷いていました。

それでも正直、後片付けは大変でした。ビニールシートを大きく外れて食材が飛び散ることもありましたし、髪の毛もドロドロ。ある程度の月齢になるまでは食後はシャワーへ直行でした。

わたしが BLWを取り入れた理由

当初はわたしも日本の一般的な離乳法を考えて、本も購入していました。ですが、ある日イギリスに住む友人からBLWの存在を聞き、自分でも調べてみると準備も楽そう(食材を切ったり、火を通すだけ)ですし、そのほかにもいくつもメリットがあることを知ったのです。たとえば…

①手指の使い方、目と手の協調運動が上達します。食事のたびにカリッとしたもの、にゅるにゅるしたもの、柔らかいもの、固いもの…などさまざまな感触の食材を手で扱い、口に運ぶ運動をするので、こういた能力が鍛えられます。

②離乳初期から多種多様な食材を与えることを推奨しているBLW。そのおかげで赤ちゃんは新しいものへの抵抗感が少なく、好き嫌いしにくい子どもになると言われています。

③乳児期から幼児期のあいだに色々な感触のものに触れること、五感を使うことは脳の発達を向上させます。育児をしていると「シナプス」という言葉をよく耳にすることがあると思います。それを文字ったテレビ番組もありますね。シナプスは脳細胞と脳細胞をつなぐパイプのようなものです。そのパイプが多ければ多いほど、脳における情報伝達が活発になるわけです。五感をたくさん使うことで、シナプスが増えると言われています。

わたしにとってこの3つが特にBLWに魅力を感じた点でした。

100%BLWにするのはむずかしいというのが本音

BLWに惹かれて、実際はじめてみるのですが、100%BLWをつらぬいたのは最初の数ヶ月だけだった気がします。

というのも、まずイギリスなどの欧米とわたしたちアジア人の食文化の違いがあります。食のグローバル化が進み、彼らももちろんお米を食しますが、やはり主食はパンやパスタ、じゃがいもです。それらの食材はBLWにとっても向いています。調理してカットすればOK。赤ちゃんも扱いやすいです。

一方、お米を主食とするわたしたちは通常おかゆから離乳食を始めます。BLW提唱者は「ごはんもそのままテーブルにおけば良い」としているので、本来はおかゆや柔らかめに炊いたごはんをテーブルにおいてあげて、好きに食べさせたら良いのだと思います。が、わたしはおかゆやヨーグルトなどのドロッとしたものをそのままテーブルに置くことに抵抗を感じ、スプーンで食べさせたいと思ってしまいました。食後の掃除がより大変になることも大きな理由です。

どうしたものか、お米を主食にしているママはどうしているのかと頭を悩ませたわたしは、世界のBLWをやっているママたちや栄養士たちのインスタグラムやTwitter、ブログなどをチェックしてみました。すると、「食材をスプーンに乗せて、赤ちゃんに渡してあげる」という方法を勧めている方がいました。ママが口に入れてあげるのではなく、赤ちゃんがスプーンの食材に興味をもち、手を伸ばしてきたらそれを渡してあげるという方法です。

これならママが一方的に与えるのではなく、BLWの「赤ちゃんが自分で食べる」というルールにギリギリそえているのかなと思い、その後わたしはスプーンも使いはじめました。ですが、そうなると「食べて欲しい」という気持ちも相まって、ついついわたしが口に運んでしまうことが増えてしまったのです。

こうして、わたしの場合、完全にBLWで離乳食を進めるということがストレスになったり、BLWがポピュラーな土地との食文化の違いも拭えなかったので、自分の判断で「BLW×スプーンであげる一般的な離乳法」というオリジナルの離乳法ができあがりました。ただし、『BABY−LED WEANING』の著者は「BLWと他の離乳法は並行してできない」と言っています。ママがスプーンで与えてしまったら、それは赤ちゃんが自由に自分の力で、自分の意思で食べることにならないからでしょう。BLWというのはただの離乳法ではなく、もはや思想論なのだな、と感じています。

100%BLWではなかったので、どこまでBLWの利点を享受できたかわかりません。ですが、いま2歳後半の息子は、手先を動かすこととおしゃべりがとても上手なので、これは食事のたびに小さいものやヌルッとした掴みにくいものを含め、いろいろなサイズ、形、感触の食材を扱ってきたからではないかなと感じています。たくさん5感を使ってきたことで脳細胞をつなぐシナプスも増え、言語能力の向上に繋がっている気がしています。

第5章 ワンオペ育児は病む

自分のことをする時間が本当にない!

乳幼児のお世話はそばにいる時だけではありません。一日の大半を寝て過ごす時期でさえそうです。24時間気は赤ちゃんに向いています。いつお昼寝から起きるかな、いま食事の用意をしても大丈夫かな、ミルクを吐き戻して窒息していないかな、添い寝していて潰してしまってないかな。夫や両親など育児をサポートしてくれる人がいれば、赤ちゃんのお世話から離れて一息できる瞬間があるでしょう。しかしワンオペ育児だとそれも叶いません。これが結構しんどいのです。

わたしは息子を寝かしつけたあとに入浴していたのですが、その途中で息子が泣いて起きることがしばしばありました。シャンプーの最中に泣き声が聞こえてくるともう大変です。急いでシャンプーを流し、頭と体にタオルを巻いて大急ぎで寝室に向かい、抱っこで再び寝かしつけていました。そしてまたお風呂へ。毎日ヒヤヒヤしながら入浴し、最低限のことだけしてあがる状態でした。産前は定期的に行なっていたスクラブなどもまったくできませんでした。産後のホルモンバランスの乱れによる抜け毛などで老け込みが隠せない時期。できればスキンケアやボディケアをする時間がほしい。しかし実際は女性であるためのケアをすることもむずかしく、歯がゆい思いをしました。

夫に息子を預け、せっかくのひとり時間をもらっても、日々の「時間に追われる感覚」が体に染み付いていてゆっくりコーヒーをのんだり、買い物をすることもできなくなっていました。急ぐ必要がないのに、ゆっくりできない。この「時間に追われる感覚」は息子が保育園に通いはじめて、やっと解消されました。ひとり時間にわたし自身が慣れ、自分のことが少しできるようになったからです。

栄養満点の離乳食の横で、インスタントラーメンをすする

生後6ヶ月からはじまった離乳食。最初は1食だけだったのが、やがて2食、最終的には3食プラスおやつを用意することになります。はじめての子どもということもあり、離乳食・幼児食作りにも自然と力が入りました。ワンオペで息子の面倒を見ながら3食作るのはとても大変だったので、とにかく調理が簡単かつ短時間で済むように工夫していました。

野菜やお肉を小分けにして冷凍したり、こんぶ出汁、カツオ出汁、ボーンブロス、ミネストローネ、ポタージュ、チキンナゲット、ハンバーグ、ボロネーゼ、お好み焼き、ひじき煮…などいろいろな離乳食・幼児食を作って冷凍しました。冷凍庫が息子のものだけでいっぱいで、他のものが入らないほどでした。それくらい離乳食は豊富で栄養バランスもよかったのですが、わたしは息子の食事のことばかり考えていて、自分の食事のことはすっかり後回しにしていました。いざ食事の時間になって「あ、わたしはなに食べよう」となることがたびたびあったのです。そして結局、自分には鍋ひとつでできるインスタントラーメンを作り、息子と対極の食事をするのでした。

マレーシアでは日本のベビーフードはあまり手に入りませんでしたし、海外のものはピューレものばかりで離乳初期にしか使えませんでした。もともと子育て全般に手抜きができない自身の気質に加え、そんな事情もあって手作りがますます加速したわけです。ですが、これは「離乳食のストック作り」というタスクをわたしに課すことになり、ワンオペ育児で疲弊している自分をさらに追い込む行為となりました。

疲れても具合が悪くても自分しかいない

子どもが小さいときのワンオペ育児でなにがきついかというと、自分以外に子どもの面倒をみる人がいないということです。つまり、どんなに疲れていても、どんなに眠くても、どんなに具合が悪くても「ちょっと横になって休ませて!」ということができないのです。これは本当にプレッシャーでした。もっとも恐ろしいことは、母親であるわたしが病気になってしまうことです。

息子が生後10ヶ月のとき、わたしは風邪をひいてしまいました。夫に仕事の休憩中、職場近くで息子を見ていてもらい、わたしは少し離れた病院へ行きました。診察が終わり、夫と息子のもとへ帰ろうとGrab(配車サービス)を手配しようとするものの、帰宅ラッシュと重なりなかなか捕まりません。道路も渋滞しています。夫もそろそろ仕事に戻らなければならないので、夫が車で迎えにくることに。夫は少しくらいの時間なら大丈夫だろうと息子を職場の人に預けて一人でやってきました。もちろん相手は信頼のおける人で、相手からの申し出があったからでした。普段なら5分で着く距離。しかし実際に夫が着いたのは20分後。ここからまた職場へ戻らないといけません。息子や職場の人は大丈夫だろうか、大泣きしているのではないかと気が気ではありませんでした。やっと着いて車を降りると、職場の外まで息子の泣き声が聞こえてきました。わたしは居ても立ってもいられない状態で、息子をこの胸に抱いたときにはさみしい思い、怖い思いをさせて申し訳ないという気持ちでいっぱいになり、大泣きしました。

この日の出来事は、ますますわたしに「病気になってはいけない」という思いを植え付けました。同時に、産後クライシス真っ最中だったわたしは、軽い気持ちで息子を預けてきてしまう夫にますます嫌悪感を抱いたのでした。タバコを吸っている姿を見るだけでも「夫にはひとりになって一服する時間があるのに、わたしにはそれすらない」と重箱の隅をつつくように心の中でネチネチ夫批判をするのでした。

「猫の手」を借りよう

こんな状態でワンオペ育児にメリットはあるのでしょうか。もはや、ないです。母親がワンオペ育児で心身ともに疲弊→イライラして家庭内ギスギス、となりがちです。それでも、そうせざるを得ない家庭がたくさんあります。では、どうやってその厳しいワンオペ育児を乗り切るのか。

わたしの経験から言えることは、「猫の手」を借りよう。ワンオペ育児は、まさに「猫の手も借りたい」状態です。誰でもいいから手伝ってほしい。それならあらゆる「猫の手」借りたらいいのです。

たとえば、ロボット掃除機、食洗機、電気調理鍋(電気圧力鍋)などの時短家電を使うことです。時短家電は自分がやらなくて済むだけでなく、「ほったらかし」にできるので、そばにいる必要がないのが最大の魅力だと思います。わたしもロボット掃除機を購入してだいぶ楽になりました。それまでは息子を抱っこ紐に入れて掃除機をかけていました。家具や物を移動したり、かがんだりしなければならず、なかなかの重労働です。常夏のマレーシアでは毎回滝汗をかいていました。ロボット掃除機を買ってからは、掃除しやすいように家具や床に置いているものを移動させ、掃除機のボタンをプッシュして外出。帰ってきたら、掃除が終わっている!!身体的にかなり楽になりました。時間と体力は有限です。数万円と引き換えに手に入れられるものは想像以上に大きかったです。

さらにおすすめなのは、炊飯器調理です。電気調理鍋が購入できるなら一番ですが、お金もかかる、場所も取る。朝、ご飯を炊いたら、ボールなどに移して、あとは食べるときに温めるようにします。そして炊飯器のスロークック機能などで煮物やスープを作るのです。わたしはいまもこのスタイルでほったらかし調理をよくしています。ゆっくり火入れするからでしょうか、お鍋で作るより野菜が甘くなってとても美味しいです。

そのほかにも「猫の手」はいろいろあります。レトルトのベビーフードを使うのもよし。家事代行サービスを利用するのもよし。近くに家族や友人がいるならヘルプを頼むのもよし。これはワンオペ育児ママ(パパ)だけではありません、ワーキングママもそうじゃないママも大変なときは「猫の手」借りましょう。手抜きだと言う人もいるかもしれません。でも少しくらい手を抜いたらダメですか?母親失格ですか?子どもはもちろん大切です。親にとって一番守るべき存在です。ですが、あなたも大切です。あなたが倒れたら子どもも守れません。子どものためにもあなたを大切にしましょう。そのための「猫の手」だとわたしは思います。

第6章 イヤイヤ期でさらに病む

イヤイヤ全盛期

一般的に1歳ごろからはじまり、2歳ごろにピークをむかえ、3〜4歳ごろに終わると言われるイヤイヤ期。うちもやはりちょうど2歳前後が一番強かったように思います。というか、この時期がわたしとしては一番つらかったです。息子の場合は、「No!」(イヤだと言うより簡単なのか、No!と言っていました)とも言うのですが、どちらかというと自己主張が強くなり、「いまはこれがしたい」、「いまじゃなきゃイヤだ」、「今日はこれを食べたくない」と要求をぶつけてくる感じでした。本人としては「こうしたい」という思いがあっても、まだそれを上手に口で伝えられないため、イヤイヤが強くなっていたのだと思います。

また「ママ!ママ!」、「抱っこ抱っこ」と言って家の中でもわたしから離れない状態でした。トイレにもついてきて、ドアを閉めると大泣きされ、一緒にトイレに入れるしかありませんでした。もともとママっ子ではあったのですが、息子がここまでわたしから離れなくなったのには、ひとつ思い当たる出来事があります。

2歳になる少し前から保育園の見学をはじめました。いくつか見学した中の第一希望の保育園でトライアルをすることに。最初はわたしも息子のそばにいて園の様子を見学したり、アクティビティに一緒に参加していましたが、少しずつ息子からフェイドアウトし、わたしは教室から一旦出るように先生にすすめられました。しかし、フェイドアウトしようとすると息子はそれを敏感に察知し、わたしにしがみついてしまいます。結局泣く息子を先生が抱っこで連れて行き、わたしは息子と離れて見守ることに。20分ほどは泣き声が聞こえましたが、やがて止み少し安心しました。ですが、のちのち考えるとこの「母子分離」経験がわたしへの執着を強めたように思います。「いつも一緒だったママがいなくなる」という状態に母子分離不安を抱き、それまで以上にわたしを求める行為につながったのでしょう。

それも仕方のないことと思いながら一番困ったのは、食事の用意でした。食事の準備中、息子にYoutubeを見せたりもしましたが、すぐにわたしのところへ来てしまいます。息子は抱っこ紐でおんぶされるのが好きではなかったので、胸の方で抱っこしながら料理していましたが、手や足が出てきて危ない場面がたびたびありました。そういった状態だったのでわたしにとって食事を用意する時間はかなりストレスでした。結果、「だから危ないって言ってるでしょ!」、「もう降りてて!」と息子を強く叱ってしまうのでした。そうなるともちろん息子は大泣きです。でももう放っておいて料理する以外ありませんでした。

新型コロナウィルスの影響

母子分離をむずかしくさせているのは、コロナ禍も大きく影響していると思います。2020年3月、マレーシアは新型コロナウィルスの感染者が急増し、ロックダウン。活動制限令が発令されました。家から出ることさえできないような徹底した制限も行われました。規制が緩くなる時期もありましたが、なんども厳しい活動制限令がしかれ、約1年半もの間、他人との接点が極端に少ない状態が続きました。

お友達と遊ぶことができない、公園に出かけられても遊具を使うことを禁止されている、新しい出会いがあっても子ども同士一緒に遊ぶことができない、親も対面で長々と話すことがはばかられ距離を縮められない、規制が解かれても感染が怖くてお友達と遊ぶのを躊躇してしまう、仲のいいお友達は何人も本帰国してしまう…

そんな1年半だったので、いつも息子とわたし2人でした。この空白とも言える時間が息子に与えた影響は計り知れません。規制が緩和され、遊具で遊べるようになったからと公園へ連れて行っても、周りにいるお友達が怖い様子で、ひとりで遊ぶことができませんでした。「ママ、一緒にきて!」と言って、わたしも共にすべり台をする状態。お友達という存在が怖いと思うようになってしまったこと、それがますます母子分離不安につながっていると感じました。

自己嫌悪の嵐

イヤイヤ期に加え、コロナ禍でわたし自身がリフレッシュする方法をなかなか見つけられず、2歳前後の数ヶ月間、わたしの精神状態はズタボロでした。イライラがつのり余裕がなくなってくると、自分を見失い、息子を大人げなく感情のまま怒ってしまう。わたしがイライラして必要以上に息子を叱りつけていると、息子も荒れる。悪循環のはじまりです。そうなると「わたしがいけないんだ」、「なんてダメな母親なんだ」、「こんな母親でごめんなさい」と自己嫌悪の嵐。息子の前で嗚咽しながら泣いたこともありました。

そのころは週1回やってくる夫の休みが待ち遠しく、まだかまだかと首を長くして待っていました。ワンオペは1週間が限界でした。ときには息子を叱りつけすぎて「このままではわたしは潰れる。息子にも悪影響。育児から離れる時間が欲しい」と夫に有給をとってもらったこともあります。こうして思い出しても泣けてくるほど、あの頃はつらかったです。

必要なのは「ま、いいか」と許す精神

精神的に病みまくった時期を脱したわたし。どうして脱することができたのか、何が変わったのか考えてみると3つヒントがありました。

まず、息子が言葉を理解できるようになってきてお互いに気持ちが伝わりやすくなったこと、ひとり遊びが上手になってきて親の負担が減ったことが大きいです。現在3歳手前の息子はいまだイヤイヤ期中で「◯◯はイヤだ」としばしば言うことがあります。ですが、2歳ごろのピークと比べるとわたしのストレスはかなり減ってイライラすることも少なくなりました。

次に、SNSのある子育て投稿にあった「子どもが気持ちをセルフコントロールして、自分で泣き止むことの大切さ」を読んで気持ちが楽になったことです。そこには、思うようにいかない出来事に子どもがぶち当たったとき、自分の気持ちをある程度制御して切り替えるための能力を育てる必要があると書いてありました。親が子どもの機嫌をとって、アレコレお世話しすぎると、そういう力は育ちにくい。親は危ないことやしてはいけないこと、我慢しなくてはいけないこと、やらなくてはいけないことは毅然とした態度で伝え、接して良いのだと。その投稿を見て、泣いている子どもをあやして泣き止ますことが必ずしも正解ではないし、放っておくことが悪ではない、子どもが自分で整理して泣き止むのを待つことも大切なことなのだと思えるようになりました。

最後は、とにかく「ま、いいか」と息子のことも自分のことも許す意識をしたことです。

息子片付けしない → また後でやればいいか
息子ご飯食べない → お腹空いたら何か食べるでしょ
わたし疲労困憊、よって息子スクリーンタイム増加 → たまにはいいよね
わたし疲労困憊、ごはん作りたくない → テイクアウトかデリバリーでいいか

子育て全般に力が入っていた以前に比べると、だいぶ手抜きが上手になったと思います。母親が頑張りすぎていっぱいいっぱいになり、イライラしているより、部屋が汚くても、食事が手抜きでも、笑顔でいてくれる方が子どもはうれしいはず。もちろん今でも感情的に怒ってしまって、自己嫌悪に陥るときもあります。でも人間だから母親だって具合が悪いときもある、機嫌が悪いときもある、怒ることもあれば、悲しみ、へこむこともある。子どもにそういう姿を見せてもいいんだ、人間ってそういう生き物だと教えることにもつながるんだと思えるようになりました。「ま、いいか」といろんなことを手放すことで思考が柔軟になり、暗黒時代を脱することができた気がします。

第7章 『育児専業主婦』の心の闇〜自分らしく生きるための挑戦

『育児専業主婦』は自己肯定感が低下しがち

『育児専業主婦』は、文字通り育児を専業でやっている主婦のことです。外で働かなくていいなんて楽!などとおっしゃる方もいますが、育児より仕事の方が断然楽よ!というのが母親全般の意見ではないでしょうか。「専業主婦の時給は約1,000円」なんて言われたりもしますが、こんなに一生懸命家事や子育てをしていても、もちろん目に見える報酬はないのが現実。そして「当たり前のこと」として誰からも評価してもらえません。この事実は想像以上に自己肯定感を低下させます。夫が仕事に集中できるのも妻が家事育児を担っているおかげ。夫がもらってくるお給料は夫婦が役割分担して協力して稼いだ2人のお金。そのはずなのですが、どうもわたしの思考はそれに納得してくれないのです。

仕事をしていたころは自分のお給料で欲しいものを買い、食べたいものを食べ、行きたいところに行って、自由にお金を使っていました。当時は気づいていませんでしたが、自立していることで自信があったのだなと思います。それに比べ、いまは自分に稼ぎがないため肩身が狭いと感じてしまいます。専業主婦、子どもができて育児専業主婦になってからは、自分のやりたいこと、買いたいものがあっても後回し。夫からそうしろと言われたこともないですし、生活に困窮しているわけでもないのですが、「稼いでいない自分はダメ」というような思い込みにさいなまれていました。

息子はかわいい。愛している。愛おしすぎてたまらない。幸せな瞬間もたくさんあった3年間です。でも、わからないことだらけの育児、ワンオペ、相談相手の不在、孤独感、乳幼児と2人きりで社会からの疎外感、持てない自分時間、頑張りすぎて疲弊する心身、産後クライシス、夫への嫌悪感、イヤイヤ期、自己嫌悪、コロナ禍による制限、稼いでおらず生産性のない自分を肯定できない…などネガティブワード満載の時間だったこともたしか。

少しずつ時間にも心にも余裕ができはじめ、自分と向き合うようになって、わたしは今ハッピーなのか?わたしの幸せは何なのか自問自答しました。答えは「息子がいることは幸せ。でもそれ以外はわからない」でした。誰だって幸せでいたい、わたしも例外でなく毎日ハッピーに過ごしたい。わたしの根っこはハッピーでポジティブマインドなはず。それなのにいまはなぜか心の中がモヤモヤして不平不満を感じ、幸せだと胸を張って言うことができない。どうしたら自分に自信を持って、イキイキと楽しい毎日を送ることができるのだろうか。わたしは変わらなければ!変わりたい!と思いました。

自分を大切にする

昨年、2021年に縁あって以前から興味のあったセルフラブ(自分を大切にすること)と起業コーチングの体験をオンラインで受ける機会を得ました。それは自分を変えたいと思っているわたしの背中をそっと押してくれるような経験でした。講座を受けて気づいたことは、自分が想像以上に自分自身を大切にしていないということです。

たとえば、あなたの大切な人がうまくいかない出来事があって泣いていたら、どんな風に声をかけますか?

大丈夫?よく頑張ってるよ。いまはゆっくり休もう。それでまたトライすればいいじゃない!あなたならきっとできるよ。

わたしならそんな言葉をかけると思います。

では、自分がうまくいかないとき、どう思いますか?

あ〜、なんでわたしはできないんだろう。同じ失敗繰り返して。わたしにはきっと無理なんだ。あの人は仕事もプライベートもうまく行っていて羨ましい。

全然違う言葉をかけていますよね。こうして改めて比較すると、いかに自分に対してはマイナス思考で語りかけているかがよくわかり、衝撃を受けました。

また、わたしは誰にも頼まれていない自己犠牲を勝手にやっていることにも気づきました。子どもが小さいうちはどうしても子ども中心で、母親は自分のことは後回しになってしまうのは仕方のないことです。ですが、子育てしていても本来は自分を犠牲にする必要はない。少なくとも犠牲にしているという感覚は持ちたくない。でもわたしは母親であるということを理由に(言い訳にとも言えるかもしれません)、自分のやりたいことを我慢していました。そして自分だけが家族のために我慢したり、犠牲になっているとどこかで思っていた気がします。それでは楽しくないですよね。

母親であることでいろいろなことを無意識か意識的か制限している方は多いのではないでしょうか。許される環境なら母親だって子どもを預けて飲みに行ったっていいし、子どもにyoutube見せておいて、その間に勉強したって、仕事したっていい。好きな服を着て、好きな場所に行って、好きな人と会って、好きなことをやっていい。妻、母親である前に、「わたし」というアイデンティティがある。そのわたしを大切にしよう。自分のことを大切にする=自分が大切な人にするのと同じように自分のことも扱ってあげること。わたしが満たされ、ハッピーなら妻として母親としても幸せでいれる気がする。わたしらしくいるために、子どもや家族のためでない、自分のためだけの時間を作ることを決めました。

ハッピーでいるための新しい挑戦

自分の時間を作ってなにがしたいか考えたところ、3つ浮かびました。

1. 運動やスキンケア、マッサージなどの自分ケア
2. フリーランスで仕事をするための勉強
3. 仕事

1. 産後ほったらかしにしてきた自分ケアを再開。息子が保育園に通い出したので、登園している間ウォーキングをしたり、マッサージに行ったりする時間を作れるようになりました。また、息子のひとり遊びが上手になってきたこと、わたしの話が理解できるようになってきたことで、お風呂上がりも息子のことはさておき、今までよりスキンケアに時間をかけるように心がけています。

2. フリーランスで仕事をするための勉強。わたしが仕事を辞めて、専業主婦になってから自分に自信を持てなくなり、夫に対しても対等だと思えなくなってしまいました。この気持ちを変えるためにも、そして人生の選択肢を持つためにも、息子の将来のためにも仕事をしたいと強く思いました。できることなら場所や時間にとらわれない仕事がしたい。新型コロナウィルスによってテレワーク化が進んだことは追い風になりました。そのためにまずは在宅ワークとしてメジャーなwebデザインや動画編集の勉強をオンラインではじめました。

3. 仕事は、産前ほそぼそとやっていたwebライティングを再開しました。わたしはクラウドワークスというクラウドソーシングサービスを使って、自分にできそうな仕事を検索し、請け負っています。息子が保育園に通い出したとはいえ、保育園は午前中のみ。家事、自分ケア、勉強も考えると仕事に割ける時間はまだまだ少ないのが現状です。平日の午前中と息子の寝かしつけ後の時間を使って本当に少しずつですが、仕事をしています。収入はごくごくわずかですが、「仕事をしている」ということがわたしを前向きに、そして強くさせてくれている気がします。

こうして、子育てで感じていた自己犠牲や、収入がないことで夫に感じていた負い目を拭い去るために、いま新たな挑戦をしはじめているところです。どこにどれだけの時間を使うか、どうスケジューリングするかなどまだ手探りで、非効率なことも多いのが現状ですが、気持ちは晴れやかになってきています。妻であり、母であり、そしてわたしである、という実感があります。本来のわたしを取り戻して、イキイキとした楽しい人生を送りたい。出産から約3年。わたし、やっと新しいスタートを切りました。

 

前の記事へ

イヤイヤ期が深刻化した次女のお話

次の記事へ

母親が働くことの難しさ

関連記事

詳しく見る