手が足りない!0歳2歳育児体験記

2022年6月9日

子育て

手が足りない!

2020年の春、長男が2歳1ヶ月の時、私は2人目の子である娘を出産しました。
これは娘が1歳になるまでの、ドタバタ2歳差育児のお話です。

娘を出産した時、世はまさにコロナ禍。最初の緊急事態宣言が発令された頃でした。
得体の知れないウイルスに不安を感じつつも、主人の仕事がほぼ在宅ワークに切り替わり、何かと助かったのも事実です。

そして私自身、産後の1ヶ月は実家に身を置かせて貰っていたので、沢山の手を借りる事が出来ました。2人育児をスタートさせるに当たり、とても恵まれた環境に居たと思います。
ですが、それでもやはり、「手が足りない!」と実感する事は、沢山ありました。

まず、壁にぶち当たったのが、2人同時の寝かしつけ。
神経質だったのかもしれませんが、当時私は、子供が2人共寝ている時でないと、上手く寝る事が出来ませんでした。
私の両親に、子供どちらか一人を預け、もう一人を寝かしつけるという日もありましたが、寝ていても娘のおむつ替えで起こされたり、息子が私を起こしに来たり…完全に気を休める事が出来なかったからです。

当時息子は、娘の泣き声にとても敏感で、妹の泣き声が少しでもすると、寝てくれませんでした。
仕方なく、娘を添い乳し、静かにさせている間に、息子を寝かせるようにしていましたが、この方法も、上手くいかない日もありました。
まず1つ目の問題は、息子の寝つきが悪い事。
当時息子は、体力がつき、昼寝する事を拒み、なかなか寝てくれませんでした。
昼寝が少しでも長くなってしまった日は、夜も同様でした。
そして2つ目の問題は、娘の吐き戻し。
2人目という事もあり、私の母乳の出は順調で、身体の小さい娘は添い乳の時間が長くなると、供給量が多すぎて、吐き戻してしまいました。
息子を早く寝させないと、娘が吐き戻す。娘が静かにしていてくれないと、いつまで経っても息子が寝ない…。
負のループに陥り、時には、2歳の息子相手に、大人げなく声を荒げる日もありました。

また、夜中に2人同時に泣いて起きてしまった日も、とても大変でした。
もともと夜泣き体質で、2歳になり、やっと落ち着いてきた息子。
それでも日によって、何度か起きてしまう事がありました。
ある日、そのタイミングと、娘の授乳の時間が重なり、息子は娘の泣き声に怯え大絶叫。
娘を授乳して黙らせたいのに、取り乱した息子がまとわりついてくるので、それすら出来ない状態に。この時ばかりは、別部屋で寝ていた私の母が起きてきてくれ、何とか乗り越えたものの、以来、子供2人と過ごす夜が、怖くなりました。

産後1ヶ月が経ち、自宅に戻ってからも、手が足りないと感じる日々は続きました。
主人の在宅ワークは、この頃1日おきの頻度に。
主人が家に居てくれる安心感はもちろんあったものの、我が家は2LDKの賃貸住まい。2歳息子と、仕事をする主人との棲み分けが本当に大変でした。
パパが大好きな息子は、何かにつけて、主人が仕事をしている部屋に入りたがります。
どう注意しても、2歳息子には理解が出来ず、何度も繰り返す始末。
私自身、余計な仕事が増え、常にイライラしていた頃でした。

また在宅と言っても、育児休暇を取得したわけではないので、家に居る間も“勤務中”です。
その為、子供2人のお風呂は、私が全て1人で行っていました。
主人は在宅でも残業の多い職種の為、仕事終わりを待って、子供達をお風呂に入れるのはタイムロス。早く終わらないかとイライラしている位なら、自分で入れてしまえ!という考えでした。

身体が冷えない様、肌着を着せたままの娘をバスチェアに寝かせ、その間に自分と息子の身体を洗う。娘の身体を洗い、全員で浴槽に浸かり終了。
再度、娘をバスチェアに寝かせている間に、息子の身体を拭き、おむつを履かせ、一旦放置。自分の身体をサッと拭き、そのあとは娘の番。当時、2人とも着替えの補助が必要だったので、まさに手が足りない!状態。
私は、お風呂からリビングを全裸で何度も行き来。とにかく必死でした。

お風呂上りの息子の回収を、主人にお願いした事もありましたが、ちょうど電話中だったり、息子がそのまま仕事部屋に入りたがってしまったりと、何かと面倒な事態が発生。
結果、全て自分で行うようになりました。

もちろん、在宅ワークの恩恵を受けた事もありました。
一番助かったのは、夜の寝かし付け。
自宅に戻ってからも、実家で行っていた方法で、2人同時の寝かしつけを試みていましたが、生後2ヶ月が近付くにつれ、娘が全く寝てくれない日が出てきたのです。
20:30頃布団に入り、気付くと添い乳したまま1時間経過した日も。
もちろん娘は途中で盛大に吐き戻し、その騒動に気付いた息子が起きてしまう事もありました。
添い乳がダメならおしゃぶりだ!と気付き、何度もチャレンジしましたが、娘は全く受け付けてくれませんでした。

そこで私が取った方法は、娘が眠くなる時間まで、主人に預けるという方法でした。
夜、息子を寝かし付ける時に、娘の授乳をし、次の3時間後の授乳の時間まで、主人に娘をお願いする。
その間、私は息子を寝かせつつ(実際は放置)、次の授乳までの3時間、たっぷりと仮眠を取る事が出来ました。
この頃、まとまった睡眠が全く取れていなかったので、この3時間は本当に貴重な時間でした。

娘が生後2ヶ月の頃、息子が幼稚園に通い始めました。息子の幼稚園では珍しく、週5日の満2歳児クラスがあり、娘が産まれたタイミングで、入園させる事を決めていたのです。
産後まもない時期で、日中2人のお世話を同時にする事が大変だったので、幼稚園の存在は本当に有り難いものでした。その反面、毎日の送り迎えはとても大変でした。

満2歳クラスは、まだ送迎バスが使えず、幼稚園への送り迎えは必須。
毎日片道1キロ弱の道のりは、2歳0歳を連れて歩くには、大変な距離でした。

主人が在宅ワークの日は、娘をお願いする事が出来たものの、それも1日おき。
時には、急遽、午前のみ出社になる日もあり、基本は2人連れての登園でした。

当時は、電動自転車もまだ所有しておらず、基本は歩き。
仮に自転車があったしても、生後2ヶ月の娘を前に抱いた状態で、15キロの息子を乗せ、自転車を漕がなければならない状態。
世の中には、そのようにして自転車に乗っている方も沢山いらっしゃると思いますが、運動神経の悪い自分にとっては、かなり危険な行為だと感じていました。

娘を抱っこした状態で、息子を歩かせる事も考えましたが、当時息子は2歳3ヶ月。
1キロ弱の距離を真っ直ぐ歩くはずがありません。
寄り道はもちろん、途中で疲れ、抱っこをせがまれる光景が安易に想像出来ます。
迷った挙句、既に子供2人を育てている友人数人に、相談する事にしました。

当時、私の考えていた方法は、
①ベビーカーに息子を乗せ、娘は抱っこ紐
②息子は歩き、娘は抱っこ紐
③息子は歩き、娘はベビーカーに乗せる
④ベビーカーにバギーボードを装着し、息子と娘を乗せる
以上4つでした。

友人に相談した結果、なんと全員一致で①だったのです。

理由としては、②は、息子が真っ直ぐ歩くわけも無く、また途中で抱っこをせがまれた際、荷物も私が抱える事になる為。
③は、荷物を乗せる事は出来るが、ベビーカーを押しながら、息子が車道に出ないよう操作するのが大変な為。
④も有力かと思いましたが、2歳頃だと、バギーボードに大人しく乗ってくれず、途中で降り、道草を食う事になる為。

全て、子育ての先輩だからこその意見で、相談して本当に良かったと思いました。

こうして、娘を抱っこしつつ、息子をベビーカーに乗せての登園が始まりました。
初めこそ慣れなかったものの、1週間程経つと、徐々に定着して来ました。

無事に登園問題クリア!と思っていた矢先、新たな問題が発生します。
それは梅雨。
雨が降るだけで、登園の難易度は普段の数倍にも跳ね上がりました。

息子にカッパを着せ、ベビーカーにもレインカバーをかけ、自身も娘が濡れないようカッパを着用。やっと出られると思ったら、今度は息子がベビーカーのレインカバーを嫌がり、乗車拒否。まさに手が足りない!
「何の修行だろう…。」と何度も思いました。
時には、やっとの思いで園の正門に着いた瞬間、息子が登園を拒否し、雨の中足にしがみつかれる事も。娘を抱っこし、足には泣きじゃくる息子。まさに地獄絵図でした。

数か月後に電動自転車を購入するまで、この送迎問題は続き、今思い返しても、「あの時よく頑張れたな…」と心の底から思います。

ついに始まった離乳食

苦労して通わせた幼稚園も1学期が終了。夏休みに入りました。
約40日間の夏休みは、幼稚園の有難みを実感する毎日でした。

とにかく手が足りない。
生後3ヶ月の娘のお世話、そして最低限の家事、合間に2歳4ヶ月の息子を、外遊びにも連れて行かなければならず、頭の中は常にタスクで溢れ返っていました。

夏休みに入り、外は灼熱地獄。その為、外に出るのは午前中に限られます。
朝起き、娘の授乳に2人のおむつ替え、朝ごはんを終え、息子を着替えさせ、洗濯物を干し、大急ぎで自分の準備。
やっと外に出られる頃には、ヘトヘトになっていました。
帰宅後も、授乳時間の重なった娘と、お腹の空いた息子の泣きの大合唱。
娘の授乳をさせ、息子にお昼ごはんを摂らせるまで、息つく暇もありませんでした。

この頃、私の育児の足を引っ張る問題が、新たに発生。
それは産後の不調。腰痛や肩こり、慢性的な倦怠感。特に1番の厄介物は“頭痛”でした。
元々片頭痛持ちの私は、出かける時、必ず頭痛薬を携帯している程。
「頭痛が来そうだ!」と思った時に、早めに薬を飲み、調子の悪い日は、早めに就寝し、たっぷりと睡眠を取る事で、これまでやり過ごしていました。

それが現在の状況はどうでしょう。授乳中の為、飲める頭痛薬は限られ、夜は授乳がある為、十分な睡眠時間を確保できない状態。
「子育てと頭痛って、どうしてこんなに相性が悪いんだろう。」
同じく子育て中かつ、頭痛持ちの友人が以前、こんな事を話しており、当時、激しく同意したのを覚えています。

当時私は、午前中からとても眠たく、疲れが出るとそれに引っ張られるように、頭痛が出ていました。その為、日中、僅かでも自分のお昼寝時間を確保する事が必須。
当時、息子はお昼寝をしなくても1日過ごせるような状態になっていたものの、自分のお昼寝時間を確保する為に、半ば無理矢理お昼寝をさせていました。

食後すぐに眠気のピークが来る息子。それを逃すと全く寝てくれません。
息子のご飯の食べ終わりを待って、急いで昼寝をさせました。娘を授乳しながら、息子を横に寝かせ、片手でトントン。
私自身も疲れから、いつの間にか眠りについていました。
その後、30分足らずで、目が覚めてしまうのですが、起きた時はまさに爽快。
人間、「眠い!」と思った時に寝るのが1番なのだと、この時実感しました。

この頃、1日のスケジュールの中で、変化を加えた事がありました。
それは、夜の娘の寝かしつけ。
ある日インスタで紹介されていたネントレ本を購入し、そこに書かれていた、“親は子供が熟睡するまで、隣に居なくても良い”の一言を見た事がキッカケでした。

これまで娘を次の授乳時間まで、主人に預かって貰ったり、昼夜の区別がつくようになってからは、2人同時の寝かし付けに戻したり…正直迷走していました。
このネントレ本に書かれている寝かし付けは、“夜泣き対策”にも効果があると知り、私は飛びつきました。なぜなら、息子は2歳になるまで夜泣きが酷く、とにかく振り回されていたからです。「寝かし付けも楽になりそうだし、何より息子の時の夜泣きを二度と経験したくない!」そんな思いから、試して見る事にしたのです。

ネントレ本に書かれていた寝かし付けの方法とは、夜、真っ暗にした寝室(豆電球の明かりも消し、カーテンは遮光)に連れて行き、子供をベッドに寝かせ、子守歌を歌い、親はすぐ退出するという方法。その時間、僅か2分。
「こんな方法で本当に良いの!?」と半信半疑でしたが、実際やってみると、なんと娘は初日にしてすんなり就寝したのです。
これまで、どちらかの眠い時間に合わせ、一緒に寝室に入っていたので、寝る前はてんやわんや。主人が在宅の日は手を借りられたものの、出社の日は、娘を見ながら息子のお片づけや歯磨きやおむつ替えに、てんてこ舞いでした。
この方法が定着した事で、娘を寝かし付けた後は、少しだけ息子1人と向き合う時間が出来る様に。チャレンジして本当に良かったと思いました。

長かった夏休みが明け、1月程経った頃、娘の離乳食をスタートさせました。
これまで母乳以外のものを口にしたことのなかった娘。
初めはスプーンに慣れさせるため、麦茶からスタート。これを1週間続けました。
娘は初めて口にする麦茶を全力で拒否。一切口にせず、全て吐き戻す日も。
「こんなんじゃ、おかゆなんて絶対に食べないだろうな…。」
1週間後、今度は10倍粥をブレンダーで溶いたものをあげてみました。
私の予想は見事的中。娘は初めて口にする“異物”に驚き、吐き戻し。1口も受け付けませんでした。
こんな調子で始まった離乳食。
全く口にしない娘だったので、本当に、“時間のある時”に離乳食の練習をしていました。
息子の時は、時間を決め、きっちりあげていたのに…2人目ともなると、1人目の育児の“隙間時間”にあげる事しか出来ません。ある日は夜、ある日は朝。
“2人目は嫌でもテキトーになる”この事を痛感していました。

この離乳食の練習は1月程続けましたが、事態は全く変わりませんでした。
麦茶は少しずつ飲めるようになってはきたものの、お粥はNG。「女の子だし、甘みのあるものなら食べるかもしれない…」と、にんじんペーストをあげてみるも効果0。「これなら食べるだろう!」と確信をもってあげた、バナナのペーストですら、吐き戻した時は、「もうダメだわ。」と半ば諦めました。
息子は離乳食をよく食べる子で、初日にあげたお粥ですら完食していたのに…時間を捻出し、作った離乳食もほぼ捨てている状態。正直とても落ち込みました。

このように、時間が取られるだけで、何の進展も無いと感じていた、娘の離乳食の時間でしたが、1つ良かった事と言えば、「息子と娘のコミュニケーションを取る時間にはなったかな」という事です。
息子は、娘の離乳食を毎度あげたがり、お手伝いをしてくれました。
そういった面では、この時間も大切な時間だったかと思います。

離乳食を始め、2月程経った頃、事態が好転する出来事が起こりました。
ある日、5ヶ月から食べられる、赤ちゃんせんべいを、砕いてあげてみました。するとどうでしょう。一切食べ物を受付けなかった娘の表情が変わり、1欠片を食べきったのです。
その後も、食べ続け、気付けば1/2本を完食。
何にも食べなかった娘にとっては大進歩!息子の時は「お菓子なんて…」と思ったかもしれませんが、「おせんべいも米のうち!」と、ポジティブに娘の成長を喜ぶ事が出来ました。
これを機に、おせんべいと野菜のペースト、おせんべいとお粥等、娘はおせんべいとセットで離乳食を徐々に食べてくれるようになりました。

離乳食に慣れ始めた頃、自然と離乳食の時間も定着するように。
息子を登園させ、帰宅し、しばらく経った午前10時~11時頃が娘の離乳食の時間になりました。
前の授乳から3時間程経ち、お腹が空き始めたかなと思う頃。そして、離乳食後の授乳で、ちょうど眠たくなってくれる時間でした。
娘はそれから2時間程眠ってくれたので、私にとっても好都合。疲れている日は仮眠を取り、息子が帰って来るまでの間に、夕食の準備をする事が出来ました。
こうして徐々に、娘の1日のスケジュールが出来始めました。

生後6か月にしてやっと、離乳食が軌道に乗ってきた娘ですが、この頃、息子にも生活リズムの変化が訪れました。
それは昼寝の卒業です。息子が2歳8ヶ月の時でした。
この頃、幼稚園終わりに、お友達と公園に行く事が増え、昼寝をする時間が自然と無くなっていったのです。
夕方、公園から帰って眠そうにはしていましたが、すぐにお風呂に入れ、無理矢理覚醒。
これまでは20時頃に娘を、21時頃に息子を寝かし付けていましたが、昼寝が無くなった事で、息子は19:30頃には限界が来るように。その為、2人同時に寝室に連れて行くようになりました。

定着していた娘の寝かしつけ方法は、ほぼそのまま。
息子は真っ暗な寝室に放置する事を嫌がった為、仕方なく寝るまで隣で寝たふりをしていましたが、遊び倒した息子は10分もかからず就寝。
これまで息子の寝かし付けには、1時間以上拘束されていたので、2人が寝た後の時間は、まさに至福の時間でした。

息子のお昼寝が無くなる事に、どこか不安に感じ、なかなか踏み切れずにいましたが、思い切って昼寝を無くした事で、生活が一気に楽になり、本当に良かったと感じています。

いつもいっしょ

兄妹の寝かし付けが楽になり、喜んでいたのも束の間。また新たな問題が発生しました。
それは娘の夜泣き。生後8ヶ月頃から、意味も無く、夜間頻繁に泣くようになったのです。

「また夜泣きに苦しむのか…」
世の中、朝までぐっすり眠る赤ちゃんも居る中、息子に引き続き、娘まで…。
正直とても落ち込みました。
ですが、1つ良かった事は、自分自身、夜泣きに慣れている事でした。

1年半前に経験した、息子の夜泣きは酷く、酷い時は、夜間1時間おきに起きてしまった事も。
当時の私は、何とかしようと色んな方法を試しましたが、1度起きた息子は、何をしても泣き止まず、なかなか寝てくれない日もありました。
その為、息子の時よりも、夜泣きに対し、どっしりと構えていられた気がします。

そしてもう1つ、ネントレ本を読んでいた事も良かった事でした。

生後4ヶ月頃にスタートさせた娘の寝かし付け。
寝かし付けが楽になったと同時に、この先待ち受ける夜泣きを、悪化させない事を目的に始めました。
ネントレ本が、寝付く際、“ほぼ放置”を勧める理由は、“夜泣きで起きた際の環境と、寝付いた時の環境を一緒にする為”でした。
子供は眠りが浅くなった際、寝付いた時と同じ状況でないと、再度自分で眠る事が出来なくなるそうです。添い乳で寝たなら添い乳を、添い寝で寝たなら、隣で寝ていた親を求め泣いてしまうそう。
実際、寝かし付けの際“ほぼ放置”を練習していた娘は、夜泣きの際、息子よりも再度寝付くのが上手でした。
授乳の時間と見分けがつかず、授乳で泣き止ませた事もありましたが、やはり一番効果的だったのは“放っておく事”。
しばらくすると、自分で指しゃぶりを始め、再度寝付いてくれたので、ネントレの効果が出てくれたのかなと思います。
むしろ、娘の夜泣きの際、気を使ったのは、息子の方でした。
娘が泣き出した瞬間、娘ではなく、息子の身体をトントンし、泣き声で起きてしまわないよう気を遣いました。

こうして夜泣きが始まってしまった娘ですが、これを機に、私は意識し始めた事が2つありました。
それは、“3回食の開始”と“卒乳”です。
全ては自分の良質な睡眠時間の確保の為。
いくら息子の時より楽だと言っても、一晩に何度も起こされるのは、もう懲り懲りでした。

夜泣き軽減の為に、3回食と卒乳を意識したのには理由があります。
それは、「離乳食を進めた方が、腹持ちが良くなり、夜間授乳を卒業出来るのではないか?」更に、「卒乳すれば、夜泣きの際、授乳の選択肢が無くなる」と考えたからです。

当時生後9ヶ月になっていた娘。
息子の時の経験から、“母乳と粉ミルクの混合→3回食スタート→卒乳”といったスケジュールを何となく思い描いていた私。
まず、それらを開始するにあたり、必要だったのは、粉ミルクの練習でした。
おしゃぶり大好きだった息子に対し、おしゃぶりを一切受け付けてくれなかった娘。
そして、これまで完母だった事も相まって、哺乳瓶の乳首ですら異物とみなし、口に入れる事すら拒否されました。
何度か哺乳瓶にチャレンジしたものの、うまく行かず結局断念。悩んだ結果、ストローマグで粉ミルクを飲ませる練習を始めました。

一旦哺乳瓶で作ったミルクを冷まし、マグに入れ替える。
この作業が地味に面倒で、息子がイヤイヤしている時など、とても大変でした。
初めは、せっかく作ったミルクも毎度吐き出され、ほぼ捨てている状態。ですが、娘の吐き戻しに負けず、数週間ほど根気良く続けた結果、徐々に飲んでくれるようになりました。
それと並行し、3回食をスタート。徐々に母乳の量を減らしていきました。
幸い、私の母乳の出も自然と悪くなってきていたので、上手く調整が取れました。

3回食のスタートに上手く漕ぎつけたものの、3回もの離乳食を、いつあげるのかが問題でした。とにかく時間が無い!
現状、2回食は、1回目を午前中、2回目を午後、手の空いた時間に…と、あまり時間を決めずにあげている状況。
あと1回追加する食事を、昼寝から起きた、お昼頃にしようと思いつつも、立ちはだかったのは息子のお迎えでした。当時、未就園児クラスに属していた息子の降園時間は13:30だったのです。

息子を朝幼稚園に送迎し、10時頃に離乳食をあげる。食べ終わる10:30~11時頃から、娘のお昼寝がスタート。2時間程寝てくれていたので、起きるのは13時頃。
そうなると、離乳食の食べ終わりが、お迎えの時間ギリギリになってしまいます。

徐々に1回目の離乳食の時間を早め、調整はしていたものの、上手く昼寝してくれずに、お迎え前に離乳食をあげられない日もありました。

そして、もう一つ問題だったのは、夜の離乳食です。
これまで午後の空いている時間にあげていましたが、3回食をスタートさせた事で、3回目は夜の忙しい時間帯に被る事に。
我が家の夕方のスケジュールは、帰宅後、お風呂→食事の順でした。
自分達の食事を済ませた後、娘の離乳食を…とも考えましたが、そこまで娘のお腹が持たず、一度授乳を挟まなければなりません。この授乳をしてしまうと、離乳食の食べが悪くなるので、なるべく自分達の食事の時間にあげたいと思っていました。

ですが、ただでさえ、夕食前はバタバタな状況。
お風呂上りの2人を着替えさせ、最低限自分の事をこなし、息子と自分達の食事の準備。そこに娘の離乳食の準備など、出来るはずがありません。
「どう考えても手が足りない!」まさに猫の手も借りたい状態。
そう思った私は、悩んだ末、当時2歳11ヶ月の息子を頼る事にしたのです。

10ヶ月を迎えた娘は、小さく切った食パンなら、食べられるようになっていました。
お椀に入れた食パンを息子に渡し、娘に1つずつ渡してあげるようお願いしました。
お世話好きな息子は、この役目を喜んで引き受けてくれました。
最後に、食パンのおこぼれを1.2切れ貰うのも、楽しみにしていた様です。

息子が娘の相手をしてくれているのを横目で見ながら、急いで息子と自分の食事の準備をしました。そしてやっと夕食の時間。私と息子が食事をしていると、娘は食べ物を欲しがる為、冷凍ストックしていた娘用の野菜スープを解凍し、自分の食事を摂りつつ、あげていました。

2人目の離乳食は、“食べさせてあげる時間がない”と感じていたので、早く手掴み食べを習得して欲しいと思っていました。
食パンを切ったものや、おやき、バナナ、さつまいも…
栄養バランスを考えると、大量に×が付いてしまいそうな我が家の離乳食ですが、自分で食べる意欲は養えたかと思います。

そんなこんなで3回食が定着し、粉ミルクの量も増えていった娘。
いつしか夜間授乳が無くなり、生後11ヶ月になった日の朝の授乳を最後に、無事に卒乳する事が出来ました。

時を同じくして、息子は3歳のお誕生日を迎えました。
この1年、妹が出来、幼稚園に入園し、環境の変化が著しかった息子。
「無理をさせてしまうかな…」と初めはとても心配でしたが、この1年の息子の成長はとても著しいものでした。
これまで日中、私以外の人と殆ど触れ合う事のなかった息子。
赤ちゃんとは言え、そこに妹が入る事で、生活が変わり、そして彩りが出たのではないかと思います。
そして何より、喧嘩やお互いの泣き声に、文句を言いつつも、2人はいつも一緒。
仲良し兄妹に成長してくれました。

私自身も、この1年はとても大変でしたが、振り返ってみると、正直、息子が1歳を迎えるまでの1年間よりも、ずっと精神的には楽でした。
息子が1歳になるまでの1年間は、子供と1対1。お互いがお互いにしか頼れない生活で、その生活をとても窮屈で、どこか緊張感のあるものだと感じていました。
そこに娘が加わった事で、1対1を脱出する事が出来、気持ちが楽になった気がします。

育児は大変の繰り返しの中に、ふとした楽しさがあるものだと感じます。
現在息子は4歳、娘は2歳になりました。
娘のイヤイヤ期、そして息子の中間反抗期が重なり、逃げ出したくなる事もありますが、娘が1歳になるまでの期間の経験を糧に、この先の課題にも、ゆるりと向き合って行きたいと思います。

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