母親が働くことの難しさ

2022年2月10日

子育て

第一章 子どもが産まれるまで

はじめに

子どもが1歳3か月のとき、夫の転勤のため、私は約14年勤めた会社を退職しました。
もともとバリバリ働きたいというキャリア志向ではなかったこともあり、退職時は、長く勤めていた会社を離れる寂しさを感じつつも、「子どもが小さいうちは家にいる方がいいのかもしれない」「子どもがもう少し大きくなったら、また働けばいい」と簡単に考えていました。
社会人経験もそれなりに長く、勤めていた会社も、社会的信頼もあるであろう大手金融機関だったので、再就職に対して、そこまでの不安を感じていなかったのです。
しかし、現実は厳しいものでした。子どもが少し大きくなり、いざ働こうかなと思っても、子育てをしながら勤められるような条件の仕事は、ほとんどありませんでした。
前職の経験を活かしたいと思い求人情報を探してみても、子育て中となると、勤務時間の条件など、どうしても折り合いがつかず、応募すら出来ないものばかりなのです。
新卒から同じ会社に勤めていた私は、そもそも再就職活動の大変さを知りませんでした。何より、子どもを持つ母親が働くことの難しさを全く理解できていなかったということを、このときはじめて思い知らされました。

子どもが産まれるまで、仕事をすることは当然のことだと思っていました。
それが、母親になった途端に、働くことは非常に難しいことなのだという認識に変わりました。当たり前だと思っていた、仕事をするということが、こんなにも大変なことだとは、想像もしていませんでした。
現在も、今後、どう働いていくかを模索中です。

ここでは、私が感じた母親となってから仕事をすること、見つけることの大変さについて書いていきたいと思います。

独身時代

私は、新卒で入社してからずっと、金融機関で事務の仕事をしていました。
特に「この仕事がしたい」と強い希望があったわけではなく、土日・祝日が休みであること、時間外勤務が少ないところに魅力を感じて志望した会社でしたが、人間関係にも恵まれ、大きなストレスにさらされることもなく、日々、充実した仕事生活を送っていました。
今振り返ると、とても恵まれた職場環境だったと思います。
私が働いていた職場は、上司を除いてほとんどが女性という環境だったこともあり、子育て中の女性に対して、非常に理解のある職場でした。
私が入社した頃は、まだ結婚や妊娠を機に仕事を辞める人がほとんどだったらしく、子どもがいながら働いている社員の数はかなり少なかったように記憶していますが、ちょうど、社会的にも産休・育休普及の過渡期だったのか、年々、産休や育休を取る人が増え、いつのまにか産休・育休の取得は当たり前のような状態になっていました。
部署には必ず1人以上、産休・育休の取得者がいて、妊娠中で、今後取得予定の人も控えているというような環境です。育休後、短時間勤務で復帰する社員も多く、保育園からの連絡で早退することも日常茶飯事と言っていいくらい頻繁に起こることでした。
よく、産休・育休をとる人がいると周りが迷惑を被るというような話を聞きますが、そのように思ったことはありませんでしたし、周りから不平不満の声を聞くことも、ほとんどありませんでした。もちろん、人員が減るので、その分仕事が大変になることはありましたが、女性がほとんどの職場だったので、「誰にでも起こるもの」という意識もあり、皆で協力し合いながら業務を行っていました。
そんな環境だったので、私も、結婚して子どもを産んでからも、産休や育休を取って、短時間勤務をしながら働くのだろうと、未婚のときから漠然と思っていました。
よく、出産をきっかけに仕事を辞めることを余儀なくされたという話を聞くことがありますが、それは自分には無縁の話だと思っていました。会社は出産にも育児にも理解があるし、私自身も仕事をする意欲がある。まさか、数年後、育児を理由に退職することになるだなんて、考えてもいなかったのです。

結婚してから

入社してから8年後、私も結婚をしました。
結婚後も働き続けることが当然のような環境だったので、私も迷うことなく、仕事を続けることにしました。
時間外勤務の少ない仕事だったので、結婚してからも特に負担や不都合を感じることもなく、前と同じように働き続けることができていました。夫は朝早くから仕事に行き、夜中に帰ってくるというような激務だったので、私の時間外勤務が少ないことは非常にありがたいことだったと思います。
結婚後に変わったことといえば、上司との面接などで「子どもの予定は?」と聞かれるようになったことです。産休や育休などの人繰りの関係で聞いていたのだと思いますが、ことあるごとに、そういったことを問われるようになりました。
私も夫も、当時は子どもについて「いつかは欲しい」とは思っていたものの、すぐに産みたいという希望はなかったため、面接のたびに「今のところは、予定はありません」と答えていました。
今思うと、もっとこの時期に子どもを産む時期について考えていればよかったと思います。
結婚してから2年ほど経った頃、転機が訪れました。夫の関西への転勤が決まったのです。
転勤のある仕事であるとは分かっていたものの、夫の前の配属先も首都圏外だったこともあり、転居を伴う転勤はもう少し先になるだろうと思っていたので、正直なところ、驚きの辞令でした。
すぐさま、私の勤務先にその旨を伝えると、ありがたいことに、私も関西の拠点へ異動させてもらえることになりました。
夫は、辞令が発令されてから二週間で新たな職場に配属となります。同じタイミングで行くことは難しかったので、夫には先に関西へと行ってもらうことにしました。
私は、引っ越しの準備や職場の引継ぎなどをしながら、三か月後に引っ越しをして、新しい職場で働き始めることになりました。
部署の異動などは何度か経験したものの、約十年間勤めた職場から去るのはとても寂しく、また、新たな場所で生活を始めることも、同じ会社ではあっても、別の拠点で働くことも、不安でたまりませんでした。
いろいろな不安や心配が押し寄せる中、引っ越しや異動の準備をしていると、今後の生活や人生設計についても、いろいろと考えさせられるようになりました。
そのころ、私の年齢も三十歳を超えていました。「子どもはいつ産むべきなのだろう」と、このときになってようやく考えるようになったのです。
「いつかは欲しい」と思いながらも、今の生活が快適だったので、具体的に考えることをしていませんでした。
今は三十歳を過ぎての出産も珍しいことではありませんが、それでも、高齢になればなるほど妊娠できる確率は下がるといわれています。いつか産みたいのであれば、そろそろ真剣に考えなくてはいけないのではないかと思うようになったのです。
「新しい職場に行ってすぐに妊娠をして産休に入るのは迷惑なのではないか」
「だけど、東京に戻ってくるのは早くても三年先だし、それを待っていたら高齢出産になってしまうかもしれない」
「それに、次の転勤先だって東京だとは限らない。もしかしたら、もっと遠くへ引っ越すこともあるかもしれない。そうなったら、いつ産めばいいのだろう」
環境が変わることをきっかけに、そんな風に危機感を抱くようになりました。

引っ越しの準備や仕事の引継ぎに追われ、忙しく過ごしている間に三か月が過ぎ、私は、東京の職場に別れを告げ、関西へと引っ越すことになりました。
子どものことを常に頭の片隅で考えながらも、新たな生活が始まったのです。

第2章 転勤先での出産と復職

新しい生活と仕事

新しい場所での生活は、やはり、大変なことの連続でした。
買い物などの日常生活も、通勤に使う路線も、何もかもが分からないことだらけなのです。
ありがたかったのは、新しい職場の人たちが皆優しく、温かく迎え入れてくれたことでした。
丁寧に指導してもらえたおかげで、幸いなことに、職場環境と仕事にはすぐに慣れることができました。
妊娠・出産のことを頭の片隅で考えてはいましたが、「せっかくこんなにも親切にしてくれているのだから」と、ひとまず妊活を始めるのはやめて、仕事に集中することにしました。「せめて、ちゃんとした実績をあげるまでは、新しい職場に迷惑はかけてはいけない」と思ったのです。
その考えが正しかったのかは分かりません。女性には出産のリミットがあるし、いざ妊娠したいと思ってもすぐに出来るかは分からない。職場への迷惑を考えるあまり、タイミングを逃すようなことになれば、後悔を生むことになると思います。私の場合、まだ考え始めたばかりだったことや、転勤先での妊娠・出産に迷いがあったこともあり、仕事を優先しましたが、絶対に子どもが欲しいのだという意思があるのであれば、どんな時期であっても妊活を始めて良いと思います。
本来であれば、自分とパートナーの気持ちが合ったタイミングで考えれば良いことのはずですが、やはり、働いている以上、職場への配慮も求められる。働く女性の出産のタイミグというのは、本当に難しいものだとつくづく思いました。

妊活開始と妊娠

しばらくは仕事に専念する日々が続きましたが、引っ越しから一年ほど経った頃、仕事に慣れてきたこともあり、また出産のタイミングについてよく考えるようになりました。周囲に妊娠の話を聞くようになったことも重なって、以前のように「なんとなく」考えるのではなく、明確に、「子どもが欲しい」と思うようになったのです。すぐに授かれない可能性を考えると、やはり年齢的にもそろそろ本格的に妊活に取り組みたい時期でもありました。
仕事も一通り出来るようになり、ある程度は実績を上げられるようになっていました。ちょうどチームのメンバーも揃っていて、産休を取得したとしても大きな迷惑をかけることもないタイミングだったこともあり、異動から1年を区切りに、いよいよ妊活を開始することにしました。
夫の任期がいつまでなのか分からない状態だったので、「もしも、産休や育休中に転勤が決まったらどうしよう」「子どもが産まれた後に転勤になったら、仕事は辞めることになるのだろうか」と、色々と不安はありましたが、このときは、何よりも「子どもが欲しい」という気持ちが勝っていました。
今思うと、自分にとってちょうど良いタイミングだったのだと思います。

待望の妊娠

幸いなことに、妊活をはじめてすぐに子供を授かることができました。もちろん、とても嬉しかったのですが、喜びも束の間、すぐに猛烈なつわりに苦しめられる日々が始まりました。とにかく胃が気持ち悪く、常に吐き気が襲ってくるのです。なんとか吐き気に耐えながら、座れるようと朝早い時間の電車に乗って仕事に行き、帰ってきてからはぐったりと横になって休むというような生活が続きました。
今まで、職場でたくさんの妊婦さんを見てきましたが、つわりがこんなにも辛いものだとは思ってもいませんでした。もちろん、つわりには個人差がありますが、辛いことを周囲に見せずに仕事をやり切っていた妊婦さんたちを心から尊敬しました。
つわりの辛さの一つには、「終わりが見えない」ということがあります。当時は、どうにか楽になりたいという気持ちから、ネットで「つわり」の情報を常に検索していましたが、それもよくなかったのでしょう。つわりに関する体験談は多く載っていましたが、あまりポジティブなものはなく、中には出産まで続いたと書いている人もいて、「あと何ヶ月もこの辛さが続いたらどうしよう」と不安を増大させてばかりいました。
職場に話せば配慮してくれるのかもしれませんが、やはり心情として、安定期前に周囲に妊娠を告げるのは嫌なものです。働きながら妊娠して子供を産むことの大変さを、このときはじめて思い知りました。

「いつまでこんなに辛い状態が続くのだろう」と不安に思っていましたが、その後、徐々に辛さは和らいでいき、安定期を迎える頃にはほとんどなくなりました。今考えると、ネットを見たせいで取り越し苦労をしていたような気がします。
安定期に入ったころ、職場にも妊娠を伝えました。上司も同僚も温かく受け入れてくれたので、ほっとしたことを今でも覚えています。
重いものを持つときや、移動が生じるときなど、周囲の方々が気を遣ってくれたことは、本当にありがたいことでした。
安定期といえど、妊娠中は何があるのか分かりません。通勤や仕事中も常に緊張しているような状態でしたが、周りの方たちの協力もあって、つわり以降は特にトラブルもなく、順調な妊婦生活を送ることができました。
そしてそのまま、ついに産前休暇に入りました。

出産と育休

出産は、里帰りを選びました。出産後、夫が赤ちゃんと過ごせないことは残念でしたが、やはり誰も頼れる人がいない場所での出産は不安だったからです。出産予定日の6週前に産休に入り、すぐに実家へ帰りました。
実家では、両親に甘えさせてもらい、ゆったりとした気持ちで妊婦生活を送ることができました。もしも何かあっても両親に頼れると思えることが、とても心強く感じました。
そして、出産。予定日よりも早くに破水し、陣痛がきて、そのまま、特にトラブルもなくお産は進み、無事に赤ちゃんを産むことができました。
赤ちゃんはとても可愛く、そして、夫も両親もとても喜んでくれて幸せでしたが、新生児との生活は、想像していたよりも大変でした。朝も夜も泣きっぱなしで、一切眠れないのです。初めての育児は戸惑うことも多く、両親のサポートがなければ乗り切ることは難しかったと思います。里帰り出産にしてよかったと心から思いました。
夫は、産まれてからすぐに休暇を取って来てくれ、その後も休みの度に会いに来ましたが、やはり仕事は忙しく、平日は全くサポートを期待できないような状況のようでした。
本来は1か月検診が終わった後、関西へ戻る予定でしたが、「もう少し、ご両親のお世話になったら?」と夫が言ってくれたので、予定を延長して、3か月ほど実家で生活した後、関西へ戻りました。

実家での生活が快適だった分、関西に戻ると同時に、一気に現実に引き戻されたような気がしました。
育児に奮闘しながらの保育園活動、通称「保活」が始まったのです。
育休は、最長で2年間取ることができます。保育園に入りやすいタイミングは4月なので、1歳になる前の4月に保育園に入れて復帰するか、その次の年の4月まで育休を取得するかのどちらかになります。同時期に出産した同僚は「翌年まで育休を取る」と言っていましたが、私は、育休中に夫の転勤が決まったら困るという思いが強かったため、「もう少し赤ちゃんとゆったりと過ごしたい」という気持ちはあったものの、子どもが1歳を迎える前の4月に復帰をすることにしました。
役所に行って保育園の情報を集めたり、近隣の保育園を見学しに回ったりと、忙しい日々が始まりました。東京に比べると保育園には入りやすい環境のようでしたが、やはり、人気のある園は倍率が高く、第一希望の保育園に入れる確率は低いようでした。いくつも保育園を見に行き、どこが人気があるのか、入りやすいのはどこなのかを調べる日々が続きました。
その結果、家から一番近くにある小規模保育園を第一希望とすることにしました。2歳児までの小さい子だけの園だからなのか、見学をしてみて、保育士さんの目が一番行き届いていると思ったからです。温かい雰囲気で、とても良い保育園だと感じましたが、園庭もない小さな園で、なおかつ3歳になってから別の保育園に移らなくてはいけないため人気は高くはなく、入りやすいというのも希望した理由の一つでした。
おそらく3歳まではこの地で生活しないであろう私には、ちょうどいい保育園だったのです。
結果、無事第一志望の保育園に入園できることになり、4月からの復帰が決まりました。
そして、ワーキングマザー生活がついに始まったのです。

第3章 夫の帰任と私の退職

職場復帰を決めてから

4月からの職場復帰を決め、子どもは保育園に通うことになりました。
その頃、子どもはまだ10か月。それまで私から離れたことなど一度もなかった我が子は、慣らし保育のため保育園に連れていくと、当然のように泣き叫びました。
そんな我が子の姿を見る度に、自分で復帰すると決めたものの、「まだこんなに小さいのに、本当にこの子と離れて仕事をしてよいのだろうか」と思い悩みました。慣らし保育は2週間ありましたが、その間に子どもが慣れてくれることはありませんでした。毎日後ろ髪を引かれる思いで泣いて嫌がる子どもを保育園に預け、ついに職場復帰の日を迎えました。

1年足らずの産休・育休だったため、職場環境が大幅に変わっていることはなく、仕事には比較的すぐに慣れることができましたが、それでも、仕事と子育ての両立は想像以上に大変なものでした。
朝、バタバタと家を出て、子どもを保育園に連れて行くところから始まって、通勤、仕事、そして、バタバタと帰る支度をして電車に乗り、保育園に迎えに行く。家に帰ってからは、子供用の夕食と大人用を作り、子どもにご飯を食べさせ、お風呂に入れて、子どもを寝かしつけるだけのつもりが私も一緒に寝てしまい、いつの間にか朝を迎える。そんな日々の連続で毎日クタクタです。
しかし、大変なことだらけではありましたが、職場復帰をしたことで得た良いこともありました。
ずっと子どもと過ごす日々が続いていたので、育休中は大人と話す機会がほとんどありませんでしたが、職場に行けば、同僚や上司と言葉を交わします。人と話せるということが、その当時の私にはとても新鮮に感じ、嬉しかったのです。
子どもはとても可愛いですが、まだ話せない赤ちゃんとずっと2人で過ごすのは、やはり辛いものがあります。復帰をして、職場や保育園など、外の世界が広がったことは、私にとって、とてもありがたいことでした。

復帰後、大変だったこと

職場復帰後、一番困ったのは、子どもが風邪をひいたときです。集団生活が初めての我が子は、保育園に通い始めてからしょっちゅう風邪をひいてしまうようになりました。
風邪といっても、幸いなことに高熱が出るようなことはなく微熱がほとんどで、症状も少し咳や鼻水が出る程度でしたが、保育園から職場にしょっちゅう連絡がきて、早退をせざるを得なくなりました。そうなると、一日で治ることはほとんどなく、翌日も仕事は休むことになります。
職場に「休みます」と連絡を入れる度に、子どもの風邪の心配と、職場に対する申し訳なさで胸が締め付けられました。
ときには、会社に着いたと同時に保育園から連絡が入り、席に着く前に帰るということもありました。そんなときは「何しに来たのだろう」と空しい気持ちにもなりました。
「早期に復帰したものの、職場に迷惑ばかりかけているのではないだろうか」と思い、落ち込みましたが、職場の人たちから「早く戻ってきてくれて助かったよ」「子どもが小さいうちは仕方がないことだから気にしないで」と声をかけてもらえて、心が軽くなったことを覚えています。
現在は共働きが増えていますが、働きながら子どもを育てるということは、やはり大変なことです。この状況で、職場から冷たい対応を取られたら、精神的に辛くなってしまうでしょう。改めて、理解のある職場環境に感謝しました。
早退や休みを繰り返しながらも、職場の理解に助けられながら、なんとか仕事と育児を両立させていました。

夫の辞令と私の退職

職場復帰をして4か月ほど経った頃、なんと、夫に転勤の辞令が下りました。関西に異動してから、ぴったり3年のタイミングでした。
勤務先は東京。それ自体は嬉しかったのですが、想定よりも早い辞令で、職場復帰したばかりだったこともあり、複雑な気分になったことを覚えています。
夫はすぐに新しい職場に行かなくてはいけません。今回も、一緒に行くことは不可能だったため、夫は一人で先に行って短期間だけ会社の寮に入ってもらい、その間に家族で住む家を探してもらうことになりました。
仕事をどうすべきか悩みましたが、まず、住むところが決まらなければ保育園も探せません。
預け先が決まらなければ、異動を願い出ることも出来ない。
悩んだ末、仕事は辞めることにしました。もったいないと思う気持ちもありましたが、子どもを預けながら働いている中で、「小さいうちは側にいたい」という気持ちも大きくなっていたのです。また、仮に東京の拠点に異動させてもらえたとしても、子どもの風邪で早退や休暇を繰り返すことを考えると、新たな環境で働く気力が湧かなかったというのも事実です。
「ちょうどいいタイミングなのかもしれない」と思い、職場に退職を申し出ました。家がまだ見つかっていないことや、引き継ぎや引っ越し準備など、やらなくてはならないこともあるため、退職日は3か月後にしました。
結局、職場には迷惑ばかりかけてしまい、申し訳なく思いましたが、辞めると決めてからはスッキリと晴れやかな気持ちになりました。やはり、育児と仕事の両立は心身共に負担がかかっていたのだと思います。

子どもとの二人暮らしが始まってから、関西に大きな台風が直撃しました。職場が気を遣ってくれて、私は電車が走っているうちに早退させてもらいましたが、職場では帰れない人もいたと聞いて、ゾッとしました。
その少し前には、大きな地震も起こっていました。ちょうど朝の通勤時間帯に発生した地震でしたが、短時間勤務だったことが幸いし、私は電車に乗る前だったので直接大きな影響を受けずに済みましたが、もう少し遅い時間帯に地震が起こっていたら、電車に閉じ込められたり、途中の駅で降りることになっていたと思います。家に帰れる距離だったらいいものの、職場の近くまで行ってしまったら、帰ることもできず大変なことになっていたはずです。
職場と家は、電車でも一時間以上かかるうえに、大きな川を渡らなくてはいけません。有事の際、とても歩いて帰られる状況ではないでしょう。子どもと二人で暮らしている今、もしも、私が会社にいるときに何か起こったら、と考えると怖くなりました。近くには、誰も頼れる人がいません。もしも今、私になにかあったら子どもはどうなるのだろうか。そう考えると、不安が募りました。

台風のあとは、災害なども起こらず、無事に過ごすことが出来ましたが、仕事をしている間、子どもを遠くに残してきているのだという恐怖が常にありました。
それは、東京に帰ってからも同じです。もしも私も仕事を続けた場合、日中、夫と私が仕事に出たら、子どもは一人、遠く離れた保育園にいることになります。
もしも地震などの災害が起こったら、長い間離ればなれになってしまうし、安否の確認さえとれないかもしれない。そんな状況になったら、生きている心地もしないでしょう。
会社を辞める選択をしてよかったと、その頃は心の底から思っていました。

夫の辞令から約3か月後、無事、家も決まり、私は退職して、子どもと東京へ行きました。
職場には迷惑をかけっぱなしで申し訳なかったですが、その頃には、私の心の中に迷いはありませんでした。またいつか働きたいとは思っていましたが、もう少し子どもが大きくなったら、子どもがいてもできる仕事を探せばいいと、簡単に考えていたのです。
そして、東京での専業主婦生活が始まりました。

第4章 専業主婦生活のはじまり

専業主婦生活突入

東京に戻ると同時に仕事を辞め、ついに専業主婦になりました。初めのうちは、引っ越しの片付けや手続きなどで忙しく実感があまり湧きませんでしたが、生活が落ち着いてくると、改めて専業主婦になったのだと感じるようになりました。今まで仕事に行っていた時間に、子どもと二人で過ごす。それ自体は嬉しくもありましたが、やはり大変さを感じることもありました。以前の産休中とは違い、子どもは大きくなっています。ただ家の中で過ごしているわけにもいかず、毎日のように公園や散歩に行く日々が始まりました。公園に行くといっても、まだ遊具などで一人で遊べるわけでもなく、ブランコに一緒に乗ったり、砂場で遊んだり…。もちろん可愛いと思う瞬間もたくさんありますが、言葉を話せない子どもと二人で遊ぶことを辛いと思ってしまうこともたくさんありました。やはり、誰かと話したいという気持ちが湧き出てきたのです。「私には、専業主婦は向いていないのかもしれない」「仕事に戻りたいな」と感じてしまう瞬間もでてきました。だからといって、1歳の子どもが今から保育園に入れるわけもありません。ときどき、以前からの友達と会ったりして気分転換をしていましたが、子どもを連れて電車に乗るのも大変だし、ゆっくりと話すことも難しいものです。「家の近くで気軽に会える友達がいたらいいな」と思っていたところ、久しぶりに会った友達から「近所の児童館に行くとママ友ができるよ」と教えてもらいました。それまで、児童館がどういうものなのかも分かっていなかったので、家に帰ってさっそく児童館について調べてみました。

児童館に行ってみたら

幸いなことに、家の近くに児童館があることが分かりました。そこは、主に幼稚園に入る前の乳幼児とそのママが集まる広場のような場所で、まさに私たちにピッタリでした。あまり社交的なタイプではなく、本来は誰も知らない場所に行くのは苦手な性格なのですが、とにかく誰かと話したいという気持ちが勝り、勇気をだして児童館に行ってみました。
「すでにみんな仲良くなっていて、輪に入れないのではないか」と緊張しましたが、入ると同時に児童館の職員の方が明るく話しかけてくれたので安心しました。子どもも、広いスペースで、目新しいおもちゃがたくさんある児童館を気に入ったようで、あれこれ手に取ったり、歩き回ったりして楽しそうです。その姿を見て、勇気を出して児童館に来てみてよかったと心から思いました。児童館に来ても、すぐに友達ができるわけではなく、しばらくは子どもと二人で遊ぶことが続きましたが、そのうちに顔見知りの親子が増え、少しずつ話もできるようにもなりました。

仕事をしているときは、自分の住んでいる地域にある公共の施設などを利用したことはありませんでしたが、専業主婦になって児童館を利用するようになってから、そのありがたみがよく分かりました。子どもがいて、さらにずっと家にいる生活をしていると、地域との関係が密接になります。家族以外に、家の近くに自分や子どものことを知ってくれている人がいるというだけで、とても心強く思えました。児童館という、いつでも行ける場所ができ、ママ友とは言えないまでも、会えば話せるような相手が出来たことで、心がかなり楽になりました。子育て情報もいろいろと教えてもらい、子どもが楽しめるような遊び場に連れていったり、習い事を探してみたりと、最初は向いていないと思っていた専業主婦生活を、徐々に楽しめるようになっていきました。

東京に帰ってきてから4か月ほど経ち、年が明けた頃、児童館で職場復帰に関する話を聞くことが増えてきました。子どもはまだ2歳未満。次の4月で職場に戻る予定の人も多くいたのです。同じように児童館に通うママたちの中に仕事を始める人がいるということに、少し焦りも感じましたが、私が住んでいる地域は保育園の激戦区で、仕事をしていない私は優先順が低く、保育園に入れる可能性はほとんどありません。それに、少しずつ近所にも友達ができ、子どもも習い事なども始め、生活が充実し始めていました。「いつかは仕事をしたい」という気持ちはあるものの、「せっかく仕事を辞めたのだから、子どもと一緒に楽しく過ごしたい」と思う気持ちが大きくなってきていました。子どもも、児童館や習い事で会うお友達やママにも慣れ、毎日が楽しそうです。私自身も、ママ友と呼べるような存在ができて、子育てを苦しいと思うことは少なくなっていました。自分自身の収入がないことを不安に思う気持ちはありましたが、この頃は、「仕事は、子どもがもう少し大きくなってからすればいい」と考えていました。仕事は、自分がやりたいと思えばいつでも始められるものだと信じ込んでいたのです。

コロナウイルスの流行

専業主婦として子育てをしている中、子どもが2歳半を迎えた頃、世の中にコロナウイルスが流行り始めました。最初はそこまで深刻に捉えていませんでしたが、徐々にウイルスは広がり、やがて、緊急事態宣言が発令されました。4月から通う予定だった幼稚園のプレ教室や習い事は休校になり、飲食店や百貨店も閉まるという、今まで体験したことのないような世の中の情勢に戸惑いましたが、未知のウイルスはやはり恐ろしく、私も子どもと家に閉じこもるようになりました。
家の中で子どもと二人きりでいることは大変でしたが、子どもを保育園に預けながら働いている姉から「保育園が休みになって大変だ」という話を聞いて、働くことの大変さを再認識しました。この頃は、コロナウイルスとはどんなものなのか、どのくらいの感染力があるのかもはっきりしておらず、子どもが万が一感染したらと考えるだけで恐怖を感じていましたが、それでも仕事をしていれば、会社に行かなければいけません。子どもを保育園に預けることも、自身が電車に乗って通勤することにも不安を感じるはずです。緊急事態宣言により保育園が休園になると、当然、仕事を休まないといけなくなる。感染のリスクは減るものの、職場に迷惑をかけてしまうことは心苦しいでしょう。働いているママたちの大変さを思いながらも、仕事のことを考えずに家で子どもと一緒にいられる現状に感謝しました。
やがて緊急事態宣言は解除され、プレ幼稚園も短時間ながら始まり、徐々に普通の生活に戻っていきましたが、コロナウイルスは依然として流行したままでした。万が一、子どもが感染しても重症化しにくいと聞いて安堵しましたが、やはり不安はあったので、極力出かけることを控える日々が続きました。
そうしているうちにあっという間に時が経ち、来年度の幼稚園の入園願書の提出日が近づいてきました。

保育園か、幼稚園か

子どもが3歳になると保育園にも入りやすくなると聞いていたので、このタイミングで保育園に行くか、それともこのまま幼稚園に入園するか悩みましたが、区のホームページ上に載っている3歳児の保育園入園可能数は思っていたよりも少なくて、驚いてしまいました。区役所に話を聞きにいくと、やはり、優先順位はすでに働く先が決まっている人になるので、保育園に確実に入れるかは分からないとの返答でした。就職活動を始めようかとも思いましたが、来年4月からの求人はなく、仮に今、就職先が決まったとしても、子どもの預け先がありません。保育園に入れてから就職活動をするつもりで幼稚園に願書を出さなかったら、もしも、保育園に入れなかった場合、子どもはどこにも行けないことになってしまいます。
それに、コロナウイルスに対する不安も、やはりまだありました。まだまだ流行は収まりそうにありません。コロナウイルスの流行が終焉してからと考えていると一向に働けないということは分かってはいるものの、さらに感染拡大するかもしれないというときに、子どもを預け新たに仕事をしてもいいものか、悩みました。
悩んだ末に、保育園には願書を出さず、子どもは幼稚園に入れることに決めました。
この頃から「いつから働けるのだろう」と心配になることが増えてきました。専業主婦生活は楽しいものの、やはり、自分に収入が一切無いということが不安だったのです。
しかしまだ、自分さえ仕事をする気になり、子どもの預け先を確保出来ればすぐに働けるものだと、この頃は信じ切っていました。

第5章 再就職の壁

再就職活動スタート

子どもが幼稚園に入園後も、依然としてコロナウイルスの流行は続いていました。
幼稚園では降園時間が通常よりも早い時間に設定され、基本的に預かり保育もしないという方針になってしまいました。幼稚園に行っているとはいえ、午前中だけで帰ってきては、とても仕事をすることはできません。再就職については考えるのは一旦ストップとなりました。
結局、再就職活動を始められたのは、夏休みが明け、コロナウイルスの感染者が減少に伴い降園時間が通常通りに戻り、預かり保育も再開されてからでした。
預かり保育は時間も短く、頻繁ではないものの幼稚園には保護者の集まりもあったため、フルタイムは諦めてパートで探すことにしました。パートタイムでも要件を越えていれば就業中の認定がとれるので、年中になってからの保育園の編入もしやすいのではと思ったのです。
就職活動をするにあたり、まず頼ったのはハローワークでした。ハローワークには母親専用の「マザーズハローワーク」というところがあるので、そこに行き求人を見せてもらいました。前職の経験を活かしたいと考えていましたが、それらの仕事はフルタイムの募集ばかりで、私が就業可能な時間帯のものはありません。ハローワークに何度か通った後、結局、パソコンスキルを活かせそうで、希望に合う時間帯と勤務地の、全く経験のない仕事2件に応募することになりました。
履歴書や職務経歴書を書いた経験もほとんどなかったため、必要書類を作成することも難しく、ハローワークの相談員の方のサポートを経てなんとか書き上げました。
しかし結果は両方とも不採用。1社は書類選考落ち、もう1社は面接後不採用通知を受け取りました。
パートタイムでの仕事であってもなかなか採用してもらえないということに、正直なところショックを受けました。まさか、書類だけで落とされることがあるだなんて、考えてもいなかったのです。ここで初めて、働くことは簡単ではないということに気付かされました。

仕事が決まらない・・・

その後も、ハローワークに通いましたが、やはり勤務時間がネックになり、希望する仕事の求人はなく、なかなか応募したいと思う仕事を見つけることはできませんでした。その他にも、いくつか派遣会社の求人サイトに会員登録をして、気になった求人に応募もしてみましたが、勤務時間や開始時期が合わず、ほとんど面接に進めることすらできませんでした。
いずれはフルタイムで以前と同じように働きたいという希望があったので、パートタイムでも、次につなげるような仕事をしたいと考えていました。しかし、前職の経験を活かせる仕事はパートタイムではほぼなく、パソコンなどの事務スキルを活かせると思われる仕事を見つけて応募してみても、採用してもらえません。日に日に「仕事を辞めるべきではなかったのかもしれない」と後悔するようになってしまいました。
もしかしたら、仕事を選ばなければ何かしらのパートに就くことはできたのかもしれません。しかし、せっかく仕事をするならば、ずっと続けたいと思える仕事をしたいという希望が強くありました。
「子どもが幼稚園を卒業すれば時間的な制約がなくなるし、そこからフルタイムの仕事を探すのでも良いのではないだろうか」
そんな風に思うこともありました。実際、子どもはまだ急に熱を出してしまったりと、急に幼稚園を休むこともあります。それに、夏休みなどの長期休みの預かり先を決めなくてはならないなど、仕事をするには考えなくてはいけないこともたくさんありました。
だけど、パートタイムでも全く仕事が決まらないのに、これ以上ブランクを作るとさらに採用されにくくなるのではないかという不安も大きく、なかなか仕事探しをやめることもできませんでした。
このときは、自分でもこの先どうしたいのが分からず、焦ってばかりいました。

在宅ワーク開始

いつものようにネットで求人を探しているときに、「クラウドソーシングサービス」というものの存在を知りました。インターネットで仕事を受注できること、自宅で好きなタイミングでできることは、子どもの幼稚園の時間に縛られている私には魅力的で、さっそく登録して、クラウドソーシングでWebライティングを始めてみました。前職でも資料作成は頻繁に行っていたし、文章を書くのは比較的好きだったので、ライティングならば自分にもできるのではないかと思ったのです。
全くの素人なので、もちろん単価の高い仕事は受けることができません。それでも、「初心者向け」とされている仕事もたくさんあり、始めてからすぐに、いくつかの仕事を受注できました。正直なところ、受け取る報酬はかなり低いものでしたが、ツールの操作方法やライティングのやり方を学べることができたので、とくに不満を持つこともなく、納得して取り組むことができました。何より、少しでも収入を得たことが嬉しかったし、「仕事をしている」という充実感を得られたことは自分にとって大きなことでした。
就職活動が上手くいかず、いつの間にか仕事をすることに対して、後ろ向きにな気持ちを持ち始めていましたが、Webライティングを始めたことにより、「やはり仕事をすることは楽しい」と思えるようになりました。
Webライティングを本業にしてしっかりと稼いでいる人もいると聞き、私も本業として頑張ってみようかとも思いましたが、続けていくうちに、自分には難しいと思うようになりました。何かに特化した専門知識を持ってるわけでもなく、なおかつ初心者なので高単価の受注は難しい。それならば本数を増やそうと思っても、執筆スピードをなかなか上げられない。パートタイムの仕事並に収入を得るためには、今の生活では圧倒的に時間が足りないと気付いたのです。
ただ、Webライティングはやりがいもあり、時間の融通がきく、自分のペースで進められるというメリットがあります。子どもを幼稚園に通わせながら仕事ができるのは、とてもありがたいことでした。
しばらくは、Webライティングを続けながら、再就職活動を続けていこうと決めました。

再就職の壁

今現在も、仕事は決まっておらず、Webライティングをしながら求人情報を見る生活を送っています。
正直なところ、「再就職の壁」がこんなにも高いとは思ってもいませんでした。
私は、前職が大手金融機関であったこともあり「比較的信用度の高い仕事を10年以上やっていたのだから、再就職先も決まるだろう」と、何の根拠もなくそう考えていました。
しかし、実際は、前職のネームバリューは何の役にも立ちませんでした。自分自身に誇れる資格やスキルがなかったということを、今更痛感しています。
「仕事を辞めなければよかった」と思ってしまうこともありますが、例え仕事を続けていたとしても、今度は育児との両立やコロナウイルス時の対応など、悩むことも多かったのだろうと思います。
実際、今、再びコロナウイルスが猛威を振るいだし、幼稚園が休園になり、近隣の保育園がお休みしていると耳にすることが多くなりました。働いていたらどうなっていたのだろうと考えると、「仕事をしていなくてよかった」と思う自分もいます。
ただでさえ育児と仕事の両立は難しいことなのに、コロナ禍という特殊な環境で母親が働くということは、本当に大変なことなのだと、再就職活動を始めて改めて実感しました。

再就職活動を始めて半年近くが経ち、ようやく肩の力を抜いて仕事について考えられるようになった気がします。
焦りがないといえば嘘になりますが、今は、無理に仕事を探す必要はないと思えるようになりました。コロナウイルスがいつ落ち着くか分からない今、新しく仕事を始めると苦しくなってしまうでしょう。それならば、Webライティングを続けながら資格の勉強をして、良いタイミングで仕事に就けるよう、スキルを磨く時間に充てるほうが有意義なのではないかと考えるようになったのです。
母親になると、一気に時間の制約ができてしまい、自分の思うようには動けなくなります。自分の希望する仕事に就くことは、そう簡単なことではありません。自分がいかに「再就職の壁」を甘く考えていたのかを痛感させられました。
それでも、やはり働きたいという気持ちに変わりはありません。今後、自分に合った仕事を見つけられるよう、今は焦らずに、自分に出来ることをやっていきたいと思っています。

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子育てと自己犠牲のはざま 〜海外で育児中の『育児専業主婦』のおはなし

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