親が助けを求めないと子供が助かる道はない

2022年5月19日

子育てパパ

話し合いやめますか?それとも夫婦やめますか?

私たち夫婦は今まで何度も離婚しかけました。
きっかけは様々ですが、特に子供が生まれてからは実際に離婚や別居という単語が会話の中に出てきました。
私や妻が明らかな過ちを犯したことが原因だったわけではありません。端的に言えば、夫婦で話し合いをしなくなったことが最も大きな理由です。原因が明らかなものではなく、小さな積み重ねだったからこそ、気付かないうちに少しずつ歯車が狂っていったんだと思います。

それでも私たちが今日も夫婦として仲良くやれているのは、間違いなく「夫婦でゆっくり話す機会や時間を意識的に作ってきた」からです。

子供が生まれるまでは私たちはあまりケンカをしない夫婦でした。
少々雰囲気が悪くなることはあっても、そのたびに話し合いをして乗り越えてきたという自負が私にも妻にもありました。
妊活を始めた当初も中々子供に恵まれなかったため、不妊治療中も何度も話し合いをして気持ちを立て直しました。その結果、長男を授かることができました。この日のことは一生忘れられないと思うほど二人で喜びました。同時に、これからは子供のことを第一に考えて生きていこうと妻と誓いました。

私も妻も会社員として平日は朝から晩まで働いており、残業もほとんどありません。休日も土日祝と同じなので、世の中の共働き世帯の中では比較的家族で過ごす時間が長い部類に入ると思います。

それでも子供が生まれてからというもの、夫婦だけでゆっくり話す時間が途端にとれなくなりました。次第にそれが夫婦関係の悪化に繋がっていきました。

あまりにも子供に対して全精力を注ごうとするあまり、夫婦間のコミュニケーションが疎かになっていたのです。
妻と話していても途中で子供が泣き出すとそのまま会話が終わってしまったり、私か妻のどちらかが落ち込んだ様子だったとしても子供をあやすことを優先していました。一つ一つで見ていけばどれも些細なことですが、まさに【塵も積もれば山となる】です。みるみるうちに話す気力がなくなっていき、本来なら話し合うべき重要なことでさえ話そうとしないクセが付いてしまいました。

何も違和感を感じなかったわけではありません。そこまで強くはなかったにせよ、どことなく「このままではいけない」という気持ちはあったので、休日にゆっくり話そうと試みました。
しかし、妻としては平日は忙しくて家事に時間をかけられない分、私が子供を見ている休日に溜まった家事を片づけたかったようです。一日中動き回っており、とても二人でゆっくり話すタイミングなんてありませんでした。
子供が寝ている時間がチャンスとも思ったのですが、時には妻が、時には私が子供を寝かしつける際にそのまま一緒に寝てしまうというのが定番のオチになっており、こちらも話す時間を確保するには至りませんでした。

そんな生活を続けていたある日、とうとう事件が起こりました。普段は温厚な妻が声を荒げて「もう無理」と叫びながら、壁に物を投げつけ始めたのです。子供も幼いながらに妻のあまりの豹変ぶりに驚き、泣きながら私にしがみついてきました。子供をあやしながら妻を制止し、なんとか二人を少しずつ落ち着かせました。

妻がホルモンバランスの崩れで精神的に不安定になっていたことも要因の一つだったかもしれません。しかし、最も大きな要因はその時すでに夫婦関係が破綻しかけていたことであるのは明らかでした。その頃は一緒の空間にいることさえ苦痛で、お互いできるだけ避けるようにして生活していたのです。働きながら子育てをしているにも関わらず、理解してくれない夫に対して我慢の限界だったんだと思います。
私も声こそ荒げなかったものの、妻に対しての不満もピークに達していたので、その晩に話し合いをすることになりました。皮肉にもこれが子供が生まれてから初めての夫婦二人だけのちゃんとした話し合いの場でした。

子供を寝かしつけた後、私たちは部屋を変えて話し始めました。

話の最初の方はお互いの言い分を主張し合うだけでした。「別居して落ち着こう」「離婚してみんなが幸せになるなら、それも選択肢の一つ」など感情に任せた発言ばかりで、本質的でもなければ建設的でもなかったように思います。
ところが、そもそもなぜこうなってしまったのかという経緯をたどっていくと、お互い言いたいけど言えなかったこと、言えなかった場面が今までたくさんあったことがわかりました。私も妻も「その時にそう言ってくれたら良かったのに!」と思うことばかりで、いかにコミュニケーションがとれていなかったかを痛感しました。時間や心の余裕がないことを理由にまともに話そうとせず、言葉ではなく態度で示すことで更なる誤解を生んでいたのです。

胸中を打ち明けることで徐々に私たちは落ち着きを取り戻し、コミュニケーション不足だったことを再認識しました。
そして互いに自分の非を求め、謝った上で明日からまた夫婦として、家族として再スタートを切ることになりました。

その上で今後はこんなことが起きないよう、新しいルールを作りました。

それは「相手の話をきちんと聞く。聞けないときは「あとでゆっくり話そう」と伝え、必ず後で時間を作る」ことです。
言葉にすると小学生でも分かるようなルールですが、これができていなかったからこそ、私たちは離婚という言葉を口にしてしまいました。
敢えてしっかり言語化することで、妻と目的意識が共有できたように思います。

他にも週に一度、最低でも二週間に一度は夫婦で10分だけでも話す時間を作ろうと提案しました。
大事な話はもちろんですが、たとえ他愛もない会話であったとしてもお互いの今の気持ちや状況を知るきっかけになると思ったからです。妻もこの提案に賛成してくれました。

その日から私たちは先日の話し合いで決めたことを守ろうという強い意識をもって生活しました。
一度染み付いてしまったこの話そうとしないクセを完全に直すまでには半年以上の時間を要しましたが、そのたびに話し合いの場を設けて軌道修正を図りました

とは言ってもライフスタイルそのものはほとんど変わっていないので、自由に使える時間が増えたり、余裕ができたわけではありません。話し合いの場を作るために一人の時間を削ったり、家事を途中で諦めたり、睡眠時間を削ったりして時間を確保しました。
それらは全て翌日に持ち越せる、取り返せるものだと考えるようになったからです。
逆に話し合うことを放棄すると、着実に夫婦の溝を深めてしまうことを思い知りました。私たちはぎりぎりのところで踏みとどまれましたが、あのまま過ごしていれば取り返しのつかない事態にまで発展していたかと思うと恐ろしい限りです。

こうして少しずつ夫婦関係は回復し、次第に会話も増えていきました。真面目な話だけでなく冗談も言い合うようになり、コミュニケーションそのものが円滑になりました。コミュニケーションが円滑になったことで、些細なことでも話すようになり、それが相手に新たな気付きや発見を与えてくれるという好循環を生んでいます。

また、約束通り週に一度、少なくとも二週間に一度は夫婦で晩酌をしたり、録画していたテレビ番組を一緒に見るようになりました。寝不足になることもありますが、私も妻も上機嫌で翌日を迎え、後悔したことは一度もありません。
私たちがニコニコしているのが子供も嬉しいようで、休日は以前にも増して楽しそうに笑ったり、甘えてくるようになりました。子供を健やかに育てるための環境作りにおいて、最も大切なのは夫婦関係が円満であることを再認識しました。

子育てをしている以上、気持ちや時間に余裕のない瞬間は必ずあります。共働きなら尚更そうです。だからこそ、限られた時間の中で家族が幸せに過ごすにはどうするかという話は欠かせないはずです。
普段から何でも相談し合う空気や習慣さえあれば、子供が将来悩みを抱えることがあっても一人で抱え込まず話してくれると考えています。

先日、妻と飲んでいる時に「夫婦間のコミュニケーションは血液みたいだね」という話をしました。
当たり前のようにいつもそこに流れているものですが、無茶や不摂生を繰り返していると徐々にドロドロになっていきます。その結果、至るところで症状として問題が表面化するという点では、夫婦の会話と似ているように感じます。

これから先、家族構成やライフスタイルが変わったとしても、夫婦でゆっくり話す時間を確保しようという気持ちは変わりません。
早速明日、この記事を妻に見せて新たな会話のきっかけにしようと思います。

親が助けを求めないと子供が助かる道はない

子育てをする上で両親や親戚、知人や近所の方と協力しあう姿勢が大切だという話は、子供が生まれる前からテレビや本などでよく見ていました。私たち夫婦もその考えには同意していましたが、具体的にどう協力しあうのか、どう協力を仰げばいいかなど、今思えば詰めが甘い部分があったと思います。

私の親の家までは車で1時間ほど、妻の親の家までは自転車で5分ほどの距離です。私の実家もそこまで遠くはありませんが、妻の実家はかなり近い距離にあります。今の家に住む理由の一つとして妻の実家が近いからというのもありました。いざ何かあった時に助けてもらおうという考えがあったからです。
実際、妻の立場からすれば頼み事をするなら、当然姑より自分の親の方が頼みやすい部分もあったようで、物理的に距離が近いのは頼み事をする上で大きなメリットでした。

ただ、私の親も妻の親も60歳を過ぎていますが、私たちと変わらないくらいまだまだ現役で働いています。今後もしばらくは働き続けると聞いていたので「休みが合う時に遊んでもらえばいいか」と楽観的に考えていました。

しかし、実際に子供が生まれてからそんな悠長なことは言っていられない状況になりました。
その中でも、特に周りの人のサポートについて考え方が変わる大きな機会が二度ありました。

一度目は妻が育児休暇中の時です。

育児休暇中は妻が子供に付きっ切りなので、病気やトラブルがあったときにすぐ対処できます。が、付きっ切りであるが故に、何かあったら全て自分の責任というプレッシャーと、それを吐き出す場所がない孤独感から妻に大きなストレスがかかっていました。

妻は普段おしゃべりですが、子供と四六時中二人っきりなのでろくに話す相手がいません。友人にLINEしたり、SNSでコミュニケーションをとるだけでは十分にストレスを解消することはできなかったようです。私が帰宅後、いつも妻が溜まったフラストレーションを吐き出すかのように矢継ぎ早に話すのを聞いていましたが、その最中に子供が泣き出すこともあり、聞き役としての役目は完璧には果たせていませんでした。

日に日に消耗していく妻を見て、共通の友人や私の親を家に呼んで、少し気分転換しようと提案しましたが妻は反対でした。
理由は「人を呼ぶ準備ができないから」だそうです。

具体的に言うと人を招く以上、まず家をきっちり片づけたいというのが妻の主張でした。しかし、子供を見ながらそこまで片づけや掃除はできないため、人を呼びたくないとのことでした。

また家の中だけではなく、妻の身なりについても人と会うなら髪を整えたり化粧をしたいがその余裕も今はないとのことでした。
私としては気にしすぎではと思う部分もありましたが、疲労しきった妻をそれ以上問いただすようなことはできませんでした。

そこで、しばらく子供と一緒に実家に帰ってはどうかと提案しました。
自分の親ならば身なりを気にする必要もありませんし、家に行くのであれば片づけをする必要もないからです。
他にもメリットはたくさんありました。子育ての経験のある自分の親なら子供を任せやすいですし、妻や子供の分の洗濯やご飯の用意などもしてもらえれば家事の負担も減るという点においても、助けになるのではと思いました。

それでも妻は最初はすぐに首を縦に振ることはありませんでした。
子供が生まれる前は「周りの人と協力して子供を育てていく」という考えであったはずが、いつからか「一人で子育てできないダメな親」というレッテルを貼られることに対しての抵抗感によって、人に助けを求めない状態に陥っていたのです。
そこで、結果的に余裕のない状態で子育てをする方が子供にとっても良くないと説得することで、ようやく妻も了承してくれました。もちろん、妻の両親もこの提案にすぐ賛成してくれました。

早速土曜の朝から私と妻と子供の3人で妻の実家に行きました。いきなり妻と子供を行かせることは私も不安だったので、一晩私も泊まり込み、翌日の夜に帰宅しました。

一週間後、妻の自宅に行くと以前より明るい表情をした妻が出迎えてくれました。妻の両親がサポートしてくれたお陰であることは言うまでもありません。
妻自身も「親に助けてもらったり、話を聞いてもらったおかげで元気になった」と言っていました。ゆとりを持つこと、自分の気持ちを周りに伝えることの重要性を再認識した様子でした。
たった一週間の間でしたが、妻の心境は確実に変化していました。

そのまま妻と子供を引き取り、自宅での生活に戻りました。その後も時々実家に帰ったり、友人と会って話すことによってストレスを抱えることはかなり減りました。このサイクルを続けられれば、これからもきっとうまくいくという明るい展望が私と妻の中で見え始めていました。

しかし、私たちはもう一度周りの人からのサポートについて考えを改めることになります。

二度目の考えるきっかけになったのは子供が病気になった時でした。

子供が保育園に通うようになってから、よく病気をもらってくるようになりました。ひどい時だと二週間に一度は風邪をもらってきていたので、1ヶ月以上いつも鼻水を垂らしている時もありました。

子供が苦しそうにしているのは見ているだけでも辛いですが、突発性発疹という病気にかかったときはまた別の辛さがありました。
別名「不機嫌病」とも言われているこの病気、とにかく四六時中、子供の機嫌が悪いのです。

日中は少しでも気に入らないことがあると怒ります。妻が少し子供から離れるだけでも泣くので、簡単な家事や炊事でさえできなくなりました。
特に夜寝ているとき、急に大声で泣き出すということが、朝起きるまでに7,8回はありました。これには自分たちでも分かるほど気力と体力を奪われました。泣き出すたびに交代制で子供をあやしていましたが、あまりの頻度の多さにほとんど意味を成していませんでした。

しかし、子供に責任はありません。誰を責めることもできなかったので、私たちはただただ疲れ果てていき、雰囲気は暗く、重苦しくなっていきました。

更に子供の体調不良を理由に休んだり、早退したりを繰り返していた妻に、職場から仕事の内容に関する電話が何度もかかってくることがありました。比較的子育てに対する理解はある職場だったのですが、妻の職務上、その時期はどうしても確認が必要な事項があったようです。

一気に心身の負担が増えたことで妻が体調を崩し始めていました。このままでは家族が共倒れになってしまうと思い、助けを求めようと妻に相談しました。ここでも妻は「まだ私たちだけで対応できる」と以前と同じように意地を張って納得しませんでした。というより、考える気力さえなかったのかもしれません。
しかし、どう見ても今の状況は私たちだけでは乗り切れそうにありませんでした。

そこで私は妻に内緒でこっそり、私の両親と妻の両親に連絡しました。
事情を説明した上で「仕事で忙しいことは分かっているが、可能な限り助けてほしい」と伝え、返事を待ちました。

翌日、妻の母が駆けつけてくれました。仕事を予定より早く切り上げて、心配して妻の様子を見に来てくれたのです。
妻は最初こそ驚いていましたが、やはり限界だったのか素直に善意に甘えることになりました。

妻の母が家事や炊事をやってくれている間、私たち二人で子供を看病しました。今まではどちらか片方が少しでも休めるようにと交代制でやっていたのですが、一人で泣き続ける子供をあやすのは精神的にも肉体的にもかなり堪えました。
しかし、不思議と二人で看病していると少しだけ気持ちに余裕が芽生え、今までよりも前向きな姿勢と言葉を子供に向けられるようになりました。
その後も妻の母親は洗濯物を持ち帰ってくれたり、ご飯や食材を買ってきてくれたりなど可能な限り私たちを助けてくれました。

週末には私の母も家に来てくれました。逆に私の母は子供をずっと見ていてくれたので、私たちは溜まりに溜まった家事を片づけたり、食事の作り置きができました。

おかげで私たちはその後もしばらくの期間、子供の看病に全精力を注ぐことができ、子供も徐々に回復していきました。

人に助けを求めることは決して恥ずかしいことではないということを私たちは学びました。
同時に、子供を育てる上で親が少しのゆとりや余裕を持つことが非常に大切だということを知りました。

私たちに生活があるように、親や友人にも生活がある以上「助けてほしい」と言える場面ばかりではありません。しかし、言葉にして伝えないと相手に状況を分かってもらえないことだけは確かです。

夫婦間だけで悩まずに、人に打ち明けることで解決する問題や、広がる未来があるのではないかと今では思います。

子育ての時間が「ない」人へ。方法は「あります」。

「子供にゆっくり手をかけたいが、その時間がない」という悩みは、現在共働きで子育てをしている人たち全員が抱えている悩みではないでしょうか。

私たち夫婦も例外ではありません。

二人とも残業はほとんどなし、土日祝休みと比較的時間を確保できる方だと思っていたのですが、それでも子育てにじゅうぶんな時間をかけられていないと感じていました。
ただでさえ共働きだとどうしても子供のそばにいられる時間が少ないのに、家事や炊事を疎かにすれば子供の発育にも悪影響を及ぼします。そのため仕方なくテレビを見せて、その間に大急ぎで用事を済ませる…という日々を泣く泣く続けていました。

テレビやゲームから学べるものもあるとは思いますが、私たちの教育方針としてはなるべく子供が小さいうちに実際に触れたり感じたりするような視覚以外の五感を刺激する体験を多くさせたいと考えていました。
親の都合でそういった機会を奪ってしまっていると思うと、どうしても罪悪感が募ります。しかし、削れる時間は既に十分削っていましたし、家事や炊事の時間まで削ってしまうと生活の質まで下がるので、そこだけは手を付けられずにいました。

ある日、都心に住む姉夫婦とテレビ電話をしているときに、家事や炊事で子育ての時間がとれないことを相談しました。
姉夫婦にも3歳の子供がいます。共働きでありながら、二人とも比較的責任のある立場で大きなプロジェクトを担当し、成果もしっかり出しているという話を聞いていました。一方でSNSには休日や平日の夜に、子供と遊んだり色んなところに出かけている様子がよくアップされていました。

「どこにそんな時間があるんだろう?」という話は妻ともよくしていたので、姉夫婦に相談するに至った次第です。

姉夫婦も子育てに十分な時間を割けていないとは言いつつ、その中でも少しでも時間を捻出できるようあらゆる便利家電や家事代行サービスを利用していることを教えてもらいました。
世の中には共働き世帯の味方になってくれるものがたくさんあること自体は知ってはいたのですが、今までどこかそれらを他人事のように聞いていたようです。「自分達でも利用できるんだ!」ということが分かった瞬間、いても立ってもいられなくなり、電話を切ってすぐに行動を始めました。

まず、家電を購入しました。中でも大きな効果があったのはドラム式洗濯機とロボット掃除機です。

ドラム式洗濯機の魅力は何と言っても乾燥までしてくれるところです。一度洗濯機に入れれば、洗濯完了後そのまま畳んでタンスに入れられるのは実際にやってみると感動するレベルでした。
いつもやっていた洗濯後の作業、まずは一つずつ服をハンガーなどにかけ、その後ベランダまで持って行って一つずつ干して…夕方乾いていたら取り込んで、また一つずつ畳んで…という工程が省けるのは言葉で説明する以上に楽です。
また、実際にドラム式洗濯機で洗濯するようになってから気付いたのですが洗濯する、取り込むという作業をするのは出勤する前の朝と帰宅後の夕方で、親が一番忙しい時間帯です。忙しい時間帯の大仕事が一つなくなるのは心理的な負担を大幅に軽減することにも繋がりました。

実はドラム式洗濯機を購入する前、洗濯物は日光の下で乾かすべきだと言っていた妻はドラム式洗濯機の購入に反対していました。しかし、子供のことが一番大切に思うなら一度試すだけでいいから使ってみてほしいと説得し、最後に渋々了承してくれました。
ドラム式洗濯機を使い始めた当初は何かと小言を言いながら使っていましたが、今では「前の洗濯機にはもう戻れない」そうです。心配していた洗濯の仕上がりや、洗濯後のにおいなども全く問題なく、負担が減り、自由な時間が増えたことに大満足の様子でした。
時間が増えたことで、絵本を一緒に読んだり、少しだけ近所を散歩する習慣ができました。

新たに導入した掃除機ロボットも非常にいい仕事をしてくれました。

妻はきれい好きです。料理をするにしても、新しく物を買うときも整理整頓や片付けのことを考えながらいつも行動しています。なので、家の中もいつもきれいだと私は思っていました。

しかし、妻は違いました。
私の実家も妻の実家も母親は専業主婦だったため、毎日掃除機をかけるという環境の中で私たちは育ってきました。そのため、毎日掃除機をかけられないことに妻は強い不満を感じていました。子供がくしゃみをするたびに「ハウスダストかな?」と申し訳なさそうにしていたほどです。
週末は私が子供を見ている間に、かなり時間をかけて掃除機をかけていました。それでも妻はやはり毎日かけたいという思いがあったようですし、私もせっかく家族全員揃う休日に掃除に多く時間をとられることに少し不満がありました。

だからこそ、ロボット掃除機を買おうと提案したのです。ドラム式洗濯機とは違って反対はされませんでしたが、あまり期待もしていない様子でした。まずは二階用に1台購入して、もしそれが良かったら一階にも導入しようという話になりました。

ドラム式洗濯機と違ってロボット掃除機は私たちが仕事で家を空けてから動くので、すぐには効果を実感できませんでした。
しかし、一週間経ってロボット掃除機のダストボックスのごみを捨てようとした時、想像以上のごみが入っていたので私も妻もショックを受けました。

更に季節が変わって扇風機を片付けようとした時のことです。
一階にある扇風機のフレーム部分や羽部分にはそれなりの量のホコリがついていました。それらを水雑巾で拭きとってから片付けました。
しかし、掃除機ロボットが毎日掃除している二階に置いていた扇風機にはほとんどホコリがついていなかったのです。最初はなぜか分からなかったのですが、一階も二階もほぼ同じ条件下で、唯一の違いは掃除機ロボットがあるかないかくらいでした。
妻もこれにはかなり衝撃を受けたようで、しばらくして妻の方から「一階にも掃除機ロボットを置きたい」という申し出がありました。

今でも変わらず週末になると妻は掃除機をかけますが、その時間は大幅に減りました。また、週末遠出をするときはまず掃除機をかけてから家を出発するという暗黙のルールがあったのですが、「今週は掃除機はお休みして来週にすればいいか!」と妻が言うようになりました。そのおかげで家を出発する時間が少し早まり、子供が外出先で遊べる時間も増えました。

家電だけでもかなり負担は減りましたが、姉夫婦から話を聞いた上でもう一つ手をつけたいものがありました。

それは食事の準備です。

姉夫婦は都心に住んでいるので、仕事で遅くなるときは晩御飯はウーバーイーツなどの宅配サービスをよく利用していると言っていました。しかし、私たちが住んでいるのはどちらかと言うと田舎なので、ウーバーイーツ対象外地域です。それに加えて私たちは外食はたまにしかせず、基本的には家の味付けを好む傾向があったので全く同じようにしようとは思いませんでした。

そこで、週に二回だけ生協のミールキットを購入することにしました。
ミールキットは既に計量、カットされた野菜などの材料や調味料のセットのことです。あとはレシピ通りに炒めたりするだけなので下準備と片付けの手間を減らせます。生協なので食の安全性は担保されていますし、栄養もそこまで偏る心配もありません。
その他にも「晩御飯は何にしよう?」と考えなくてもいいのも、実際に利用してみて感じた意外なメリットでした。

妻は家事の中で料理が一番苦手意識が強かったので、週に二回おいしくて栄養バランスのとれた食事を簡単に作れる日が確約されたことは心理的にも相当楽になったようでした。初めて届いた日から妻はとても嬉しそうで、今回取り組んだ家事負担の施策の中で一番反応が良かったように思います。
外食と違って味も優しく、家族全員が笑顔になるきっかけになったので、本当に利用して良かったなと思います。

今回の取り組みの甲斐あって、妻は平日も自由な時間をある程度確保できるようになり、そのおかげで子供と遊ぶ時間が増えました。子供も嬉しそうで、心なしか以前より「遊ぼう!遊ぼう!」と手を引っ張ってくることが増えたように感じます。
妻自身も負担が軽減したことでゆとりが生まれ、追われる感覚が減ったようで、子育てだけでなく夫婦の会話も以前より余裕をもってできるようになりました。

経済的なコストは確かにかかりますが、それだけの価値は大いにあると思います。
限られた時間の中で子育てをしなければならない共働き世帯にとって、これからの時代こういったアイテムやサービスは欠かせないものになるのではないでしょうか。

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