過酷だった2人目妊娠体験記

2022年1月21日

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1歳半の子育てと悪阻

2018年の春、私は初めての子である長男を出産しました。
そして翌年の夏、長男が1歳5ヶ月になった時、2人目の子である長女を妊娠しました。
これは、その時のお話しです。

長男がお腹に来てくれるまで、とても時間のかかった私達夫婦。
その為、2歳差で私達の元に、2人目の赤ちゃんが来てくれた時はとても驚きました。
1人目の時に経験した、生理不順や排卵障害。そろそろ通院や妊活を考え始めよう…と思っていた矢先の出来事でした。
「息子がお兄ちゃんになる」その事が嬉しくて、そして久しぶりに味わう妊婦の感覚に、不思議な気持ちになったのを覚えています。

当時、姪っ子が産まれたばかりでした。
息子は、産まれたての姪っ子にとても興味を示し、不思議そうに眺めたり、お顔を触ったり…
約8か月後、「自分の妹か弟にもこんな風に接してくれるかな?」と、とても温かい気持ちになりました。

長男妊娠時、悪阻はまだ軽い方で、主に食べ悪阻が主だった私。
今回も悪阻に関しては、あまり心配はしていませんでしたが、その予想は見事に裏切られたのでした。
妊娠が発覚して約3週間後、気持ちが悪くて起きられない朝がありました。
きっと息子の時も同じような事があったはず。でも今回決定的に違うのは、現在1歳半の子を絶賛子育て中だと言う事。
寝て居たくても、息子の起床に合わせて起きなければなりません。
その日も無理矢理、身体を起こし、息子に朝ごはんを食べさせ、洗濯し、いつも通り午前中に公園へ。おそらく今回も食べ悪阻。おせんべいや飴等、気持ちが悪い時はそれらを食べ、何とか凌ぎました。
結局この日、休めたのは、息子のお昼寝の時間だけでした。
「今回も食べ悪阻だと思うけれど、安定期まで続いたら嫌だな…」
安定期まで約2ヶ月。先が思いやられました。

息子の時は、自分の体調とお腹の子第一。ただ、自分の身体を大切にする事だけを考えていれば良かったのに、1歳半の子供のいる暮らしでは、そんな事は出来ません。
これまで自分の体調不良の際、“休みたくても休めない”は経験していたものの、お腹の子を守りながら自分の体調不良と戦うのは、とても辛いものでした。

そしてもう1つ、当時の私をとてつもなく悩ませた問題がありました。
それは“息子へのイライラ”です。
1歳を過ぎた頃から自我が出始めた息子。
成長するにつれ、体重もどんどん重くなり力も強くなる。
外出中に自分の行きたい方向へ行けなかった時、自分の触りたいものに触れられなかった時など、泣き叫び抵抗する事に、毎度悩まされていました。
朝から晩までずーっと一緒。息子と2人っきりの毎日が「大変だな…しんどいな…」と思っていた頃でした。
そこに加わった、妊娠によるホルモンバランスの急激な変化。
人にもよるとは思いますが、私の場合、生理前のようなイライラが毎日続き、私の予想を遥かに上回る行動を取る息子に、イライラが止まりませんでした。
「自分には母性が足りない、母親失格だ」と何度も思い、時には涙が溢れてきました。

そしてさらに追い打ちをかける様に、妊娠3か月を迎えた頃、軽いと思っていた悪阻が悪化してしまったのです。午前中、とにかく気持ちが悪い。
「これは食べ悪阻とは違う!」
前回は経験する事のなかった、初めての悪阻の感覚でした。
当時、主人は忙しく、帰って来るのは息子が寝た後。
実家の母も、出産直後の妹のお世話で手いっぱいの状態。
誰にも気軽に頼る事が出来ない環境下で、「上の子のお世話をしなければならない、好きな時に休めない」と、精神的な負担がかかっていた為だと思います。

自分の身体の負荷を最小限にしたいのに、増えるのは体に負担のかかるお世話ばかり。
12キロ弱の息子を抱っこしたり、外に連れ出したり、時にはイヤイヤで反り返る息子を抱えて帰宅したり…「2人目の妊娠ってこんなに大変なんだ…」と、実感する日々でした。

妊娠4か月目を迎えたこの頃、私の頭を悩ませる問題が更にまた1つ増えました。
それは息子の“夜泣き”です。
私がお世話になる産院は、実家の近くだった為、検診の度に、息子と2人で実家に泊まっていたのですが、その際、必ずと言って良いほど、酷い夜泣きをしていました。

1歳3ヶ月の時におしゃぶり断ちをし、その後1ヶ月ほどかかって、やっと落ち着いてきた夜泣き。ですが、息子は環境の変化に敏感で、いつもと違う環境下で就寝する際、酷い夜泣きをするようになりました。
実家の一室で、一旦就寝はするものの、数時間後に、夜泣き。
それは、私の両親も心配するほどの泣き声で、酷いものでした。
様子を見ようと放っておいても、泣き声はどんどん酷くなるばかり。
トントンでも寝ない為、12キロ弱の息子を身重の身体で抱っこ。それを寝るまで継続。
「やっと寝た!」と安心したのも束の間。布団に下すとまた泣いてしまう…
まるで、新生児を育てている様な気分でした。

酷い日はそれが2時間近く続き、頭がおかしくなりそうでした。
「体を休めなきゃいけないはずなのに…これじゃあお腹の赤ちゃんがダメになってしまう」
睡眠不足とお腹への負荷で、精神的に不安定になり、大泣きしながら夜泣きの対応をした日もありました。

2度目の妊娠。
息子の時よりは、私も大きく構えていたものの、やはりお腹の赤ちゃんの事は心配で…
毎月の検診時、医師の診察の前に、助産師さんが赤ちゃんの心音を聞かせてくれるのですが、
元気な心音が確認できるまで、いつもドキドキしていました。
よく、産まれてから「2人目は強い」という話を耳にしますが、
妊娠中からお腹の中で、上の子に振り回されている状況。
「強くならないわけがない」と思いました。

また、2人目妊娠時に初めて実感した事がありました。
それは“自分の体力の低下”です。
1年半とは言え、子供を産み、年齢を重ね、息子に振り回され、産後ロクに体力を回復しないまま、ここまで来てしまった私。

自分が小学生の時以来、かかる事のなかった胃腸炎に、息子と一緒にかかってしまったのです。
「去年息子が胃腸炎にかかった時は、一度も貰わなかったのに…」
自分の体力の低下と共に、“妊娠中は免疫力が低下する”という事を、身をもって体感しました。

この時は安定期に入る数日前。
息子は軽い下痢症状で済んだものの、私は悪阻でも味わったことの無い吐き気に襲われ、夜中中トイレとお友達状態。
「胃腸炎ってこんなに辛いものだったっけ…」久しぶりに味わう、胃腸炎の辛さに打ちひしがれていました。

翌日、同じ市内に住む私の父が、様子を見にやって来てくれました。
気持ち悪さが抜けないまま、息子の排泄物の処理などで、てんてこ舞いだった私。
2時間程だけでしたが、父に息子を見て貰い、眠る事が出来、本当に助かりました。

また体調の悩みは、体力の低下だけではありませんでした。
この頃、もともと悩まされていた片頭痛にも、頭を抱えていた私。

息子の妊娠時も悪阻は軽い方でしたが、酷い頭痛に悩まされていました。
逆上せるような感覚で、強い吐き気を伴うものもあれば、時には視野が狭くなり、酷い痛みと吐き気に苦しむ事も。

息子の時は、辛い時は横になり、保冷剤で冷やし、痛みが無くなるのを待つ事が出来ましたが、今回はそうはいきません。
産院で処方して貰った、妊娠中でも服用して良い頭痛薬を常に持ち歩いていたものの、お腹の赤ちゃんの事を考えると、頻繁に服用する事は避けたいと思っていました。

「こんなにやる事が沢山あるのに。元気な体でなければいけないはずなのに…」
と、いつも疲れが抜けず、度々体調不良に見舞われる自分の身体を前に、歯痒い気持ちでいっぱいでした。

妊娠中の長男の体調不良

妊娠5ヶ月目。無事に安定期を迎える事が出来た時、息子は1歳8ヶ月になっていました。
食べるのが大好きな息子は、体重もどんどん増え、体つきもしっかり。
赤ちゃんの頃、ふわふわだった体は、抱っこすると、ずしっと重く感じられるようになっていました。

この頃の私は、悪阻は落ち着いていたものの、赤ちゃんの成長に伴い、体が疲れやすくなっていました。とは言え、自分の身体を休ませる為には、息子のお昼寝時間を出来るだけ長く確保しなければなりません。

息子のお昼寝時間は、私にとって日中唯一休める至福の時間。
その為、午前中、いかに息子を外で遊ばせ、疲れさせるか、私はその事に日々一生懸命になっていました。

近くの公園や支援センター、スーパーへのちょっとした買い物や、保育園の親子ルーム…
体力もつき、どんどん逞しくなる息子の体力を削る為、ありとあらゆる事をしていました。
とは言え、そこまでの移動が妊娠中の私にとっては大問題。
当時はまだ電動自転車も所有しておらず、息子との移動はベビーカー一択。
息子はベビーカーに大人しく座っていられるタイプではなかった為、まず乗せるのに手こずりました。
朝起きて、息子にごはんを食べさせ、洗濯物を片づけ、外に出られる程度のお化粧をササッとしてやっと出かけられる!と思った矢先の、ベビーカー拒否。
この時点で既に、くたくたになっている私。そして目の前には言う事を聞いてくれず泣きじゃくる息子。
「何の為にこんなに頑張っているんだろう…」と、どうにもならない気持ちを誰にも吐き出せず、出発前に泣いた日もありました。

また、楽しく遊んだ帰り道も、とても大変でした。
食べる事が大好きな息子はお腹が減り、家までのわずか10分の道のりも持ちません。
おせんべいや魚肉ソーセージ等、その後のお昼に影響が出ないように食べさせながら帰宅しますが、帰宅後もすぐ、“ごはんごはん!”と泣くので、帰宅してから息子にごはんを食べさせるまでの間が1日の中で1番の修羅場でした。
出かける前に、お昼の準備をしておけば良かったのかもしれません。
ですが、朝起きて、息子をなだめながら、出かけるまでの準備をするので精一杯でした。

そんな中、妊娠も6ヶ月目に突入したある日、困った出来事が起こりました。
夜寝る前、どことなく熱がありそうだった息子。
測ると38.5℃。風邪かな?と思い、その夜は様子を見る事に。
次の日の朝も熱は下がらず38.5℃のまま。この時はインフルエンザの大流行期。
心配になった私は、念の為、近くの小児科で診てもらう事にしました。

まだ熱が出てから間もない為、インフルエンザの検査は出来ず、「集団生活もしていないし、家族に症状が出ている人が居ないから」との判断で、ただの風邪との診断が下されました。

息子は体調不良の際、食欲に影響がすぐ出る子で、お昼ご飯に出した大好物も全て残してしましました。
体調は更に悪化している様子。熱を測るとなんと40℃を超えていました。。

この日は金曜日。小児科の先生には、「これ以上熱が上がる様なら、週末に備えて明日また来てください」と言われていました。
小児科は土曜日の午前中しか開いていません。土曜日の午後以降に更に症状が悪化した場合、救急に駆け込むのも嫌だったので、翌日、再度受診する事にしました。

翌日の土曜日。この日は主人が休みだった為、息子を小児科に連れて行ってくれました。
インフルエンザの検査をして貰った所、結果は陰性。
この結果にとりあえず胸を撫で下ろしました。

週末は療養に努めましたが、息子の体調が良くなる傾向はありません。
そうこうしているうちに、息子は食べたものを吐き戻してしまいました。
胃腸炎なのか、はたまた高熱による吐き気なのか、はっきりせず、とても不安な週末でした。

息子は抱っこで一旦眠るものの、布団に下すと吐き気で気持ちが悪いのか、全く横になろうとしません。主人が抱っこで寝付いた息子を、布団に下そうと何度か頑張ってくれましたが、大号泣して起きてしまいます。
夜も体調不良時には必ず悪化する夜泣きも加わり、私達は熟睡する事が出来ませんでした。
「主人がいる週末でまだ良かった…」と心の底から思いました。

翌日、息子の体調不良の原因がやっと発覚しました。
なんと“突発性発疹”だったのです。お腹中に細かな発疹が大量に発生し、その後、全身に広がって行きました。息子の体調不良の原因が分かるまで、実に4日を要しました。
この時息子は、1歳9ヶ月。
この時の私は、“突発性発疹は1歳までに殆どの子が罹る”と言う認識だった為、とにかく驚きました。
「そう言えばやっていなかったな…1歳も過ぎて大分経っているから、症状が無いまま終わっているのかと思っていた…」
息子が1歳になる前までは、いつ来るのだろう?と恐れていた突発性発疹。ですが、症状も無く終わる子もいると聞いてから、私はその存在をすっかり忘れていたのです。

息子の熱は下がってきたものの、厄介な事は続きました。
突発性発疹は別名“不機嫌病”。そう言われる通り、熱が下がり発疹が出てきた頃から
息子の不機嫌は更に激しさを増してきました。
加えてこの時の息子は胃腸も弱っている様子。飲んだお茶すら、時間差で戻してしまいます。
息子は、食欲が出てきたのに、食べさせて貰えない事に、怒り、泣きじゃくっていました。

吐き戻す事で溜まる洗濯物。
そのままにしておくと衛生的にも良くない為、私は自身の感染に気を付けながら、泣く息子をなだめ、大量の洗濯物の処理に追われ、1日を過ごしました。

その後、実に3日もかけ、息子は徐々に回復。
久しぶりに固形物を口に出来た時は、とてもホッとしました。
息子の突発性発疹に悩まされたこの1週間は、自分が妊婦である事を忘れて過ごしていた気がします。そうせざるを得ない状況だったのですが。

突発性発疹騒ぎで大変だった1週間を経て、私は、「息子と室内で過ごす時間をもう少し増やしても良いのかもしれない…」と思うようになりました。
これまで、息子を外に遊びに連れ出す事だけを考え、自分の身体を無理矢理動かしていましたが、妊娠中期も後半に入り、自分の身体の“疲れた”というサインを、正直に認めようと思ったのです。

とは言え、言葉の出も特別早いわけではない息子と、1日中家にいても、上手く遊べる自信はありません。自分の身体を休めながら、欲を言えば寝ながら、息子と遊べる方法は何かないかと考えていました。
もちろん、スマホの動画サイトをずっと観せておけば、息子はずっと静かにしていてくれるかもしれません。ですが、1日中、決まりも無く視聴させる事は、親として絶対に避けたいと思っていました。

そこで私は2つの方法を取り入れました。
1つ目は“新しいおもちゃを買う”です。おもちゃを与えて解決するのも気が引けましたが、今は非常事態。私達の生活を、より楽しくしてくれる物ならと考え、決断しました。
息子に買ったのは、木製のキッチンセット。児童センターなどにあるキッチンセットでよく遊んでいた息子は、このおもちゃをすぐ気に入りました。
息子が野菜を切ったり、お鍋で料理を作るマネをするのを、横で寝そべりながら対応する事が出来、本当に買って良かったと思っています。

2つ目は“幼児用の教育教材”に入会しました。
会費も月数千円で、毎月おもちゃや、2月に1回教育DVDが届くので、とても助かりました。
特にDVDは、子供の成長に合わせた、簡単な教育の内容も組み込まれていたので、いつもより視聴時間が長くなっても、罪悪感がとても少なく済みました。

テレビやスマホに頼るのはどうかと思われがちな世の中ですが、妊娠中は非常事態同然です。
自分の納得する方法で、それらに頼る事で、お腹の赤ちゃんとの生活が楽になるのであれば、素直に頼って良いのではないか?と思いました。
実際、この2つの方法は、この時の私の心と身体を軽くしてくれ、息子が居る妊娠中の生活を、とても楽にしてくれました。

36週での切迫早産

年が明け息子は1歳10ヶ月、私は妊娠7か月目に入りました。
この頃、少し気がかりな出来事が1つ。
それは、コロナウイルス患者が、日本で初めて確認されたとのニュースでした。
まさかこの後、自分の出産にまで影響を及ぼす事になるとは、この時の私は知る由もありません。

2歳も目前となった息子でしたが、1つ私にとって困った事がありました。
それは、環境の変化に敏感な息子は、同時に“引っ込み思案”だという事。
定期的に同年代の子供達と遊ばせはしていたものの、お友達と場所に慣れるまでの数時間、息子はいつも決まって私の傍で、抱っこをせがみました。

この頃の私は、お腹の赤ちゃんの成長に伴い、足の静脈瘤が悪化。
その為、歩くだけでも痛いのに、息子を抱っこすると激痛が走りました。
「お友達同士で遊んでくれれば、こっちはラクなのに…」
元気に遊ぶ、他のお子さん達を見ては、羨ましく思う日々でした。

これから引越しも控えているのに、息子は今こんな状態。
春には妹か弟も産まれ、環境の変化が続く日々です。
息子のメンタルに悪い影響を及ぼさないか、とにかく心配でした。

ですが、私のこの予想は大きく外れ、息子はこの引越しを機に、大きな成長を遂げるのです。

引越し当日。
この日は1日、私の両親と、近くにいる妹家族に息子を預かって貰う事になっていました。
これまで、私や主人の居ない状況で、長い時間を過ごした事の無かった息子。
預ける際や、預けている間も、大号泣して、両親や妹家族に迷惑をかけるのではないか…と、とても心配でした。

ところが、息子は、私の両親が迎えに来たのを確認した途端、早く行きたい!とせがみ、私達に目もくれず、両親の車に乗って、早々行ってしまいました。
息子のこの様子に、私も主人も唖然。
引越し作業中も、両親から送られてくる息子の写真は笑顔ばかり。
「いつからこんな事が出来る様になったんだろう…」
私の両親と、妹家族の力が大きかった事はもちろんですが、息子も徐々に、“お兄さん”になる準備をしている気がして、とても幸せな気持ちになりました。

新居に移ってからも、息子はすんなり新しい家を受け入れてくれました。
「子供の適応能力はすごい」
環境の変化に敏感だと思っていた息子に対し、初めてそう感じた瞬間でした。

それから約1か月後、息子は晴れて2歳になりました。
この頃から、コロナによる外出制限が開始。
下手な外出や、遠出する事は、どこか“悪”として考えられるようになりました。
いつも行っていた児童センターは閉鎖。公園ですら、子供を思いっきり遊ばせていいものか悩む生活。「予定日まで、毎日をどうやってやり過ごそう」日々、頭を悩ませていました。

同じ頃、産院でも入院時の“面会禁止”が発表されました。
「予定日まであと2ヶ月弱。その頃には解除されているよね…」
そんな風に呑気に考えていましたが、もちろん、それは叶いませんでした。

日々の生活を窮屈に感じていたある日、事件が起こりました。
なんと、私が切迫早産になってしまったのです。
この時は36週と0日。正産期と言われる37週まであと1週間の出来事でした。

前日の夕方から、お腹の張りが定期的に来て、夜も熟睡出来ず…
朝を迎えても張りは治まらず、念の為向かった産院で、即日入院となってしまったのです。
「張り止めの薬を貰って終わりかな…」などと悠長に考えていた私の予想は見事に裏切られたのです。

入院が決まってから、私は息子の事が心配でなりませんでした。
病院に向かう前、息子を実家に預けてきており、「すぐに戻って来るからね」と伝えて出てきてしまったのです。
常に一緒で、息子と少し離れたいとさえ思っていた私。ですが、いざ、その状況になると、一緒に居られない事をとても歯痒く思いました。
「赤ちゃんの大きさが十分に無い為、本音を言えば、37週を迎えるまで入院していて欲しい」
医師からはそう告げられましたが、私は息子の事が心配だったので、出来るだけ早く家に帰る事を希望していました。とは言え、今はお腹の子の命が最優先。
張り止めの薬を服用し、ただひたすら張りが治まるのを祈りながら過ごしました。

心配だった息子のお世話は、在宅勤務だった主人が、急遽実家に泊まってくれる事になり、解決しました。主人が在宅勤務だった事が不幸中の幸いでした。

そして翌日。
先生の治療と懸命に励ましてくれた助産師さんのお陰もあり、なんと奇跡的に張りが治まったのです。
先生は私の希望を聞いてくれ、“絶対安静の条件付き”で退院の許可を出してくれました。

晴れて退院する事の出来た私ですが、基本は寝たきり。
息子のお世話など、十分にする事は出来ません。
実家に居るのは私の父と母。ですが、母は日中仕事に出ており、基本居るのは高齢の父のみ。
激しく動き回る2歳児を、1日中お願いしておくことは不可能です。
「どうしよう…」
悩んだ末、息子は義理の実家と私の実家を、数日置きに行き来する事になりました。
“主人が在宅勤務の時は、主人と一緒に義理の実家に。
そして主人が出社の際は、前日の夜に、私の実家に戻り、私と一緒に過ごす。”

主人の会社で在宅勤務が推奨され始めた為、出来た事でした。
コロナの流行が始まり、嫌な事続きでしたが、この点については、本当に“運が良かった”と心の底から思います。そして協力してくれた家族、そして義理の両親に頭が上がりませんでした。

なんとか今後の見通しがついたものの、環境の変化に弱い息子。
義理の実家で、果たして無事に元気に過ごす事が出来るのか?私は心配でなりませんでした。
特に心配なのは夜。私が居ない環境で夜泣きしないわけがありません。

ですが、引越しの時同様、私の心配は杞憂に終わりました。
初日の夜も、主人からの報告を心配しながら待っていましたが、
「夜は1回泣いたけど、トントンしてあげたら寝た」との事。

「私が居なくても大丈夫なんだ」
あんなに頼りなかった息子が、少し逞しくなった気がして…少し寂しく、そして嬉しく思いました。

その後も下の子が産まれるまで、息子の“両実家行き来生活”は続きました。
寝る環境がコロコロ変わり、大丈夫かな?と思っていましたが、私の実家に来た際も、息子が以前のような酷い夜泣きをすることは一切ありませんでした。

「出来るだけ長く、大きくなるまでお腹に居てね」
私の願いが届いたのか、妊娠39週と2日を迎えた日、無事に長女を出産しました。

退院の日。
入院中、面会も出来ず、息子とはテレビ電話で会話をしたのみ。
「久しぶりに会う母親が、自分より小さな赤ちゃんを抱っこしていたら、息子は混乱してしまうだろう」そう思い、家に入る際は、赤ちゃんを主人に抱っこして貰う作戦を立てていました。

主人とも打ち合わせし、いざ、息子との対面の時。
ですが、その作戦は失敗に終わりました。
娘を私が車から降ろし、主人に預けようとしたその瞬間、窓越しにこちらを覗く息子と目が合ってしまったのです。
「やばい!嫉妬してしまう!」
焦った私でしたが、次の瞬間。
息子は窓越しからでもはっきりと分かるように、「赤ちゃん!赤ちゃん!」と嬉しそうに腕の中の妹を見て、興奮し始めたのです。

実家に入ってからも息子は自分の妹に釘づけ。
久しぶりに会う母親はそっちのけで、妹の枕元を陣取り、優しくハイローチェアを揺らし始めました。

久しぶりの息子との再会が、淡泊に終わり、少し寂しい気持ちもありましたが、自分の妹に夢中になる息子を見られた事が、とにかく嬉しく、とても幸せな気持ちになりました。

あれから1年半。
小さかった妹も1歳半を迎え、息子は3歳半になりました。
毎日喧嘩はしているものの、いつも隣にいる2人。
妊娠中はとても辛かったけれど、こうして大切な存在が2人も出来た事を、本当に幸せに思っています。

2歳差の妊娠。
一番上の子に手がかかる時期で、何度も「もう無理!」と思いました。
けれど経験してから思う事は、「妊娠中はただでさえ非常事態なのだから、もう無理!で良い」という事です。
いつも頑張っている自分のSOSを素直に認めて、休み、手を抜く。おもちゃやメディア、人に頼る。お腹の赤ちゃんを守る上でも大切な事です。
今、2歳差の妊娠で、大変な思いをしている方が居るならば、上の子を毎日元気に生かしてあげているだけで、もう十分です。
どうか、私の様に、お腹の赤ちゃんに負担をかけない為にも、自分を存分に甘やかしてあげて下さい。

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