癇癪息子と歩んだ11年

2021年11月16日

子育て

言葉の遅れ、不安な日々

息子が生まれて1年、よく食べよく動き、すくすくと育っていました。
1つ気がかりなことと言えば、夜泣きと癇癪が酷いことです。
基本、抱っこでしか寝かしつけることが出来ず、寝たかなと思って横にさせると大泣きします。なので、家の中でも抱っこ紐は欠かせないのです。
息子を抱っこしながら、食事をしトイレにも連れて行き、料理の時はおんぶをして、話しかけながら作業するというのが日常でした。
手足をバタバタとバタつかせご機嫌な時もあれば、1時間以上泣きながらおんぶされていることもあって、私の耳元で大泣きする息子にイライラすることもしばしばありました。
お願いだから泣き止んでくれ、何がそんなに気に入らないの?と、私のほうが泣きたくなり、堪えきれず息子と一緒に泣いた日もありました。
私は世間で言うワンオペ育児だったと思います。
息子が私以外を受け付けないので、何をするにもべったりで離れられなかったのです。
そんな生活を1年以上も続けていると、たまには1人の時間がほしい。1人で出かけたい。1人で外食したいと思うこともありました。
そういう感情が私の中で膨らんでいって、いつ爆発するかわかない状態でした。
ある日、午前0時を過ぎた頃、何をしても泣き止まず、対応に困った私は息子を抱っこし外に連れていきました。
こんな夜中に子供を抱っこしながら、家の周りをうろうろとしていたら、ご近所さんにどう思われるだろう。そんな事も一瞬頭をよぎりましたが、その時は息子を落ち着かせることが先でした。
どれくらい歩いていたでしょうか、やっと息子が眠りにつきスヤスヤと寝息を立て始めました。やっと解放される。私は足早に家に入りました。
息子をお布団に寝かせ、時計を見ると夜中の3時を回っていました。
ドッと疲れが出て、そのまま私も眠りについたのです。
泣き止まないことに苛立ち、もうお母さんをやめたい。と思うことが何回もありましたが、可愛い寝顔を見ると、また明日頑張ろうと思えたのです。
こういう夜が必ず週に1回あったのですが、日中はよく遊ぶ子でした。
歩くのが早かったため、目を離すとすぐどこかへ行ってしまいます。
私は常に息子を追いかけて走っていました。
外食しても椅子から降りようとしてぐずったりするので中々外食には行けませんでした。
ご飯を食べに来ている家族連れを見ても、息子のような子はあまり見かけなかったので、何か他の子と違うのだろうか、どうしてうちの子はこんなにもすぐ癇癪を起こすのだろうか。と不安で仕方ありませんでした。
比べてはいけないことは分かっていたのですが、同じくらいの年の子と遊べる場所に連れて行けば何かわかるかもしれないと思ったのです。
自治体で運営している子育て広場に連れていき、1歳くらいの子たちの輪の中に入れてみたんです。
すると、明らかに言葉の発達が違うことがわかりました。
他のお子さんは上手に単語を並べ、ママたちに話しかけていました。
私はその光景にビックリして、息子の方を見ました。
息子は奇声にも近い声でおもちゃとおもちゃをガチャガチャとぶつけ合いながら、遊んでいたのです。
みんな上手に遊んでいるのに何でうちの子は出来ないの?
何かが違う。
もうすぐ1歳半健診があるからその時に聞いてみようと私は思いました。
そして、健診の日。
出産した病院へ行きました。
何組か他にも来ている親子がいて、順番待ちでした。
ベビーカーや抱っこ紐でみんな大人しくしているのに、息子はぐずり始めたのです。
私はすぐさま抱っこ紐に息子を入れ、病院の廊下を歩き周りました。
見えるもの全てに手を出す息子、それを阻止する私。
早く呼ばれてくれ。と祈るような気持ちでした。
そろそろ息子の限界が近づいてき時、やっと呼ばれたのです。
私は診察室に入り、息子を看護師さんに預けました。
身長や体重、手足を動かされ異常はないか診察されます。
私が先生と話していると、息子の泣き叫ぶ声が聞こえてきました。
体重を測る台から降りて走って逃げたようです。
先生は元気で良いですね。
と言うけど、私は気が気じゃありませんでした。
不安そうな顔をしている私に先生は「お母さん、ちゃんと休めてる?」と聞いてきました。
私は大丈夫です。ちゃんと休めています。と答えると、なぜか涙が溢れてきました。
泣くのをやめようやめようと思えば思うほど、涙が止まらなかったのです。
そんな私に先生は「相談したいことある?」と聞いてきたので、私はハンカチで顔を押さえながら頷きました。
ゆっくりでいいから話してね。と言われ、少しずつ不安に思っていることを吐き出しました。
まずは夜泣きと癇癪のこと、そして言葉の発達のこと。
先生が言うにはそれぞれ1人1人、個性があり言葉の発達も運動の発達も違うということ。
その子のペースがあって、息子の場合はまだ喋りたくないだけでちゃんと言葉を吸収しているということでした。
まだ1歳半、3歳くらいまでは様子見でいいとのことでした。
私はホッとして、健診の帰りに息子と公園に行くことにしました。
膝の上に乗せてブランコに乗り、ゆらゆらとしていると息子が「あー!」と指差したのです。
そこの公園からは電車が見えるのですが、通った電車に興奮したのです。
この子は動くものが好きなのかもと思ったので、電車の方へ行ってみました。
すると、さっきよりも大きな声で叫び出したのです。
私はそんな息子の興奮に笑いが出てしまい、今まで不安に思っていたことが大したことないように思えてきました。
こんなにも感受性豊かでよく笑う子を、何かが違うと他の子と比べてたことに恥ずかしささえ感じたのです。
その子にはその子のペース、息子には息子のペース、ゆっくり成長していってほしいと思いました。
そして、息子が話し始めたのは2歳を過ぎたころからでした。
これまでは、ママやマンマ、ブーブーなど同じ単語を繰り返す言葉しか話しませんでした。
それが、2歳を過ぎてからペラペラとよく話すようになったのです。
今まで言葉を溜め込んできたのかと思わせるくらい、いろんな言葉が出てきました。
言い間違いもよくあったり、さ行の滑舌が悪くた行に聞こえたり、それはそれで可愛かったので特に直したりはしませんでした。
癇癪は相変わらずでしたが、夜泣きが無くなった代わりに、夜中の3時に起き遊び始め、覚醒するという日々を送っていました。
寝かしつけようとしても寝てくれず、目もパッチリです。
そして、朝の6時過ぎにやっと寝るのです。
私は息子が寝てる間にお弁当を作り、洗濯や掃除などの家事をこなし、息子が起きるまで1時間ほど眠りにつきます。
朝9時頃に息子に起こされ、私は半分寝た状態で息子にご飯を食べさせます。
この時は何でも自分でやりたい時期で手を貸すと怒るので、私は息子の自由にさせて、汚れても洗えば良いという考えでした。
うまく食べられない事に癇癪を起こし、泣きわめき手のつけられない状態にまでなることもあります。
気持ちの切り替え方がわからないのも当然なのですが、大人の私から見たらこうすればいいのに、と思ってしまい、ついつい手を貸したくなります。
ただただイヤイヤと言われても私にはどうすることも出来ません。
俗に言うイヤイヤ期の突入です。
このイヤイヤ期、本当に大変で癇癪持ちの息子のパワーは計り知れませんでした。
公園と買い物に出かけて帰ってきた時のことです。
駐輪場に自転車を止め、息子を降ろし、マンションのエレベーターに向かうときでした。
突然、泣き出したのです。
私は何に泣いているのかわからず、どうしたの?と聞いても、泣き叫ぶだけです。
抱っこして帰ろうとしても体をのけ反り、暴れるのです。
どうすることも出来ず、何が嫌だったのか考えてみたのですが思いつかず、時間だけが過ぎていきました。
息子は泣きながら自転車を指差していたので、もう一度自転車の方に連れて行ったのですが、泣くばかりでわかりません。
私はもしかしたらと思い、自分で降りたかったの?と聞いてみました。
息子は地団駄を踏みながら、そうだと言うのです。
私は自転車を出し、息子を乗せ降りていいよと言ったのですが、一向に泣き止みません。
そこで気付いたのが、自転車のシートベルトを締めてから降ろすということでした。
そのこだわりがきっと正解だったのですが、息子はもう何に泣いているのかわからなくなっていました。
しばらく自転車のそばで寝そべり泣きじゃくっていたのですが、とうとう疲れたのかひっくひっく言いながらそのまま寝たのです。
私は大きくため息を付き、買い物の荷物と寝そべってる息子を抱きかかえ家に帰りました。
気付いたら夕方6時、3時間も駐輪場にいたのです。
いつも癇癪を起こし落ち着くまでに3時間、こんなにも時間がかかるものなのだろうか。
息子のこだわりの強さは私が理解してあげられてないからなのだろうか。
自問自答し、自分を責め、また私の不安が蘇ってきたのです。

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吃音、母として向き合う決心

また不安を抱えてから私は誰にも相談できず、モヤモヤした気持ちで過ごしていました。
息子のこだわりの強さは日に日に増すばかりで、一緒に遊んでいる時に積み木の乗せ方が違うと癇癪を起こしたり、車のおもちゃの向きはこうだと怒ったりするようになりました。
一緒にスーパーへ買い物に出かけてもすぐどこかへ行ってしまい、探すのに一苦労です。
カートに乗せようとしても自分が押したいと奇声を上げたり、カートに乗れたとしても立ち上がったりという状態でした。
階段やブロックの上など高いところに登りたがり、私が危ないからとやめさせようとすると癇癪を起こし泣きじゃくるのです。
やめさせた方がいいと分かっていても癇癪を起こされる方が面倒に思ってしまい、息子のやりたいことを優先させてしまっていました。
ある日、バギーに乗せてスーパーに行った時のことです。
息子におやつを渡したら、静かにバギーに乗りながら食べてくれていました。
私は今のうちに買い物を済ませようと、急いで必要な食材をカゴに入れていきました。
今日は順調に買い物を済ませそうだと思っていた時、息子がおやつの袋を全部ひっくり返しばら撒いたのです。
私はビックリして、おやつを拾い集め持ち歩いているゴミ袋に入れると、息子が泣き出したのです。また始まった。
落ちたおやつを自分の持ってる袋に入れてほしいと言うのですが、汚いから同じ種類の新しいおやつにしようと言いました。
しかし、息子はその落ちたおやつがいいと泣きじゃくり、バギーの上で暴れています。
私は新しいおやつを見せ、同じものだよ。と何回も言いました。
しかし、納得はせずスーパー中に響き渡る声で泣き叫びました。
今日もまたスムーズに事が進まないことに嫌気が差しうなだれていると、見知らぬ50代くらいの女性が話しかけてきたのです。
その女性は私に、今のうちからちゃんとしつけをしなければいけない。子供の言いなりになるから言うことを聞かなくなるのだ。などと言ってきたのです。
私はその女性の言葉も泣いている息子の声もだんだん聞こえなくなり、「すいません。」と謝り、買い物カゴもその場に置き、息子を乗せたバギーを押しスーパーを出ました。
泣きじゃくる息子をあやすこともなく、私は泣きました。
多分もう限界だったんだと思うんです。
私だって一生懸命頑張ってるのに、どうして見ず知らずの人に口を出されなきゃいけないのか、どうして私のせいだと決めつけられなきゃいけないのか、息子に振り回される日々は一生終わらないのではないか、そんな事を思っていました。
それから、息子の言葉の異変に気付いたのは2歳半を過ぎた頃でした。
最初の言葉を「あーー」や「いーー」というように伸ばして話すようになりました。
最初は話し始めるのが遅かったから、中々言葉が出てこないのかと思っていたのですが、その異変は日に日に酷くなる一方で、顔をしかめるほど苦しそうに話すのです。
私は一時のものではないような気がして、自治体の相談センターに電話してみました。
すると、もうすぐ3歳児健診があって、そこには保健師さんがいるから相談してみるといいということでした。
3歳児健診の日、言葉のことや癇癪のこと、これまでの行動やこだわりの強さなどを相談したら保健師さんとの面談室に通されました。
保健師さんが言うには吃音といって、言語障害の1つだというのです。
私は言語障害という言葉にショックを受け、治らないんですか?と聞きました。
保健師さんは専門家ではないから、専門の機関で言葉や聴覚の検査を受けてみた方がいいと進められ、こだわりや癇癪についても、専門の医師がいる支援センターを紹介されました。
私はこれから、何をしてあげればいいのか、息子にとって何が必要なのか、息子は普通に育つのだろうか、もし、何らかの病気や障害があって、他の子と同じように生活できなかったらどうしよう。と、とても不安になりました。
吃音は治りますかという問いに保健師さんの答えはなく、まだまだ理解されにくい障害の1つだと言っていました。
1か月後、言葉の発達の検査のため専門機関を訪れました。
まずは、聴覚に異常はないかという検査です。
3歳児健診の聴力検査では異常は見つからなかったので、違う検査をしました。
結果は問題なし。聴こえに関しては何も異常はなかったので、次はおもちゃがたくさん置いてある部屋で聴覚士さんと遊びながら言葉の発達を見ていく検査です。
息子の好きそうなおもちゃがたくさんあり、とても楽しそうに遊んでいました。
その中でも車や飛行機などに興味を持ち、椅子の上に立ち上がりそこからジャンプしたりと、少しヒヤヒヤするような遊びをしていましたが、聴覚士さんがいるので、私は口を出さずに見守っているだけです。
息子は一緒に何かをすると言うより、自分の世界を持っているような子なので、聴覚士さんの問いに中々耳を貸すことが出来ませんでした。
しかし、そこはプロ、上手に息子の世界に入っていき、上手く打ち解けているように思えました。
聴覚士さんとの会話の中で、息子は自分の話したいことだけ話しているようでした。
その時もやはり、吃音が出ていて苦しそうに話していました。
30分ほどの検査は終わり、聴覚士さんの話を聞きに私だけ別室に案内されました。
その間、息子は違う部屋で保育士さんと遊んで待っていました。
早速、聴覚士さんの話を聞くと、やはり吃音は強く出ているが、まだ3歳なので成長とともに改善されていく可能性もあるということでした。
吃音が強く出ている時はなるべく息子のペースに合わせ、甘やかすくらいの気持ちで接することを進められました。
そして、1番は吃音が出ている時は言えないことを指摘しないことで、見守ってあげることが大事だそうです。
言葉の発達に関しては、検査結果が出てからまた詳しく説明があるようでしたが、検査中の発言から少し遅れがあるように感じられたということです。
しかし、幼児の言葉の発達には個人差があるので、一概にそれが障害だということではないそうです。
聴覚士さんが息子との遊びの中で、特に気なったことがやはり行動面だったそうです。
息子に合わせる形で遊んでいたのですが、聴覚士さんからこうしてみたら?などの提案をすると、拒否すような態度や言動が見受けられたとのことでした。
検査中も高いところに登りたがり、落ち着いて遊ぶというよりは体を目一杯動かして遊び、自発的な言動が多かったそうです。
慣れない場所で気持ちが高ぶってしまったわけではなく、普段の生活の中でもそういった行動や言動が目立つことを伝えました。
今回の検査結果は次回の行動面などの検査を受ける時に聞けるということでした。
帰り道、私は自分のせいで吃音になってしまったのではないか、このまま治らず、小学生になった時にいじめの対象になるのではないかと不安にも思いましたが、自分を責めていても何も解決しないし、息子に支援が必要なら、そのための検査は受けさせてあげようと思いました。
息子が少しでも楽に暮らせるのならと。
それから1週間後、行動面での発達検査を受けに行きました。
検査中も落ち着きがなく、最後まで検査を受ける事が出来ませんでした。
発達の専門の先生から、年齢に対して少し幼く感じられたということだったのですが、ここで初めて発達障害という言葉を知りました。
息子はADHD(注意欠如多動性障害)という障害に該当する項目が多いということ。
しかし、まだ3歳なので断定は出来ず、いわゆるグレーゾーンです。
私はその話を聞いている時、ショックというよりは納得という感情でした。
先生は前回の言葉の検査結果を見ながら、吃音に関しても発達性が要因なのではないかと説明をしてくれました。
脳の伝達に何らかの障害があり、上手く意思疎通が取れなかったり、伝えられなかったりとそういう事も関連している場合があるそうです。
発達障害と吃音は併発することが稀にあり、息子の場合もその可能性は否定できないということでした。
私はショックを受け、悲しむというよりも、これで息子を理解してあげられるという気持ちのほうが強くなりました。
息子は言葉の教室よりも発達の療育を受けたほうがいいと進められたので、住んでいる地域の療育に通うことになりました。
そして私は、吃音や発達障害に関して勉強をするようになり、息子と向き合うために、理解してあげられるように、特別なことは出来なくても母として受け止め、何があっても味方でいてあげようと決心しました。

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出来ないことが多かった幼稚園生活

息子が療育に通い始めてから数ヶ月、週に1回嫌がることもなく楽しく行けていました。
私が住んでいる地域では、私立の幼稚園に通わせるのが主流で、私も近所の私立幼稚園の情報を集めていました。
近所の幼稚園を何件かピックアップし、直接幼稚園に電話し、体験教室に申し込むのです。
私は息子の特性などを伝えると、息子のような子は受け入れていないと言われてしまいました。
何とも言えない気持ちになりましたが、ここは息子には合わなかったのだと、気持ちを切り替え違う情報を探しました。
バス通園は少し不安があったため、自転車で送り迎えが出来る範囲で探したのですが、中々息子を受け入れてくれるところはなく、悩んだ末、1年待ち2年保育の公立の幼稚園に通わせることにしました。
それから、4歳になった息子はますます活発になり、私は追いかけるのに必死でした。
吃音は相変わらずでしたが、3歳の時より息子の言動や行動が理解できるようになったと思います。
息子が通う予定の幼稚園との面談の時に、息子の特性や吃音のことを伝えると、息子に1人お手伝いをしてくれる先生を付けてくれることになりました。
サポートしてくれることで私の気持ちも楽になったと思います。
入園直前の体験入園では、早速息子の本領発揮です。
みんなで輪になって座ろうという先生の言葉にも息子は輪の真ん中で走り回っていました。
周りの保護者の方の冷たい視線を浴びるのだろうと覚悟しましたが、近くにいたママさんたちは息子を見て、微笑ましく笑っていました。
今まで、私が受けてきた冷たい視線とは全く逆だったので、これからの幼稚園生活は楽しい日々になるように思えたのです。
そして入園式当日、いよいよ幼稚園生活のスタートです。
式の間も息子はソワソワとしていて落ち着きない様子で、教室に移動してからは立ち歩いておもちゃを触ったり、外に出ようとしたりと自由に動き回っていました。
しかし、そういう時でも先生が1人付いてくれることで、私は安心して見ていることが出来たのです。
そして翌週、私の手から離れ、数時間別々に過ごします。
心配もありましたが、成長を感じる時間でもありました。
生まれてから、ほとんど私と離れることがなかった息子が、お迎えに行くとキラキラとした笑顔で駆け寄ってきたのです。
私の顔を見るなり、幼稚園で楽しかったことをたくさん話してくれました。
「明日も行く!」と何度も言われ、楽しそうな息子の笑顔に安心したのです。
数日、数週間と、幼稚園に通うことにも慣れ、初めて担任の先生との面談です。
幼稚園での息子の様子は、お手伝いの先生と園庭で遊んでいることがほとんどだそうです。
今はまだ息子の自由にさせてあげて、幼稚園を好きになってもらうことが最優先だと言っていました。
今まで息子が周りに迷惑をかけてしまうのではないかという心配が大きかったので、誰かに預けたり、一時保育を利用したりすることはありませんでした。
しかし、幼稚園生活が始まって、こんなにも楽しそうに過ごしている息子を見ると、とても幸せな気持ちになったのです。
行事ごとに保護者の参観があるので、息子の様子を見られるのも楽しみにしていました。
大きな行事といえば、運動会だと思います。
初めての運動会、息子は気分が高ぶっている様子でした。
並ばなければいけない時に歩き回り、競技が始まってからも園庭を走り回っていました。
息子の出番になるとみんなが待っているところへお手伝いの先生が連れて行ってくれます。
かけっこにダンスにと、運動の得意な息子は楽しそうに参加していました。
みんなと同じことが出来なくても、楽しく体を動かし生き生きとした姿を見ることができ、息子にとって幼稚園は大好きな場所になっていることがわかりました。
この運動会をきっかけに他の保護者の方から声をかけられる事が多くなりました。
息子の個性的なダンスや足の速さなど、何人かの保護者の方に褒めてもらいとても嬉しかったです。
しかし、中には息子の他の子と違う行動に疑問を持ち、陰で噂する保護者の方もいました。
クラスに1人問題児がいると、トラブルが多くなるのではないか、遠足などの集団行動に支障をきたすのではないかなど、私の耳にも入ってくるようになりました。
ある日、お迎えに行った時同じクラスのママさんに声をかけられ、息子のことを聞かれました。
それは、何か療育のようなものを受けているのか、何かの障害なのか、他の子たちに迷惑になるようなことはしないでほしい、など攻撃とも思えるような強い口調で言われてしまいました。
私は胸がぎゅっとなるような感覚になりましたが、そこで隠して有る事無い事を噂されるよりは、正直に話した方がいいと思い、療育に通っていること、今はまだ診断はついていないということ、もし何かトラブルがあったら遠慮なく言ってほしい。という事を伝えました。
そのママさんがどう思ったのかわかりませんが、納得しているようには思えませんでした。
そんな私の状況を気遣ってくれるママさんが数人いたので、とても救われたのです。
息子がお友達とケンカをしてしまったり、叩いてしまったり、そういうトラブルのたびに私はお友達にも保護者の方にも謝り、それは良くないことだと息子に話しました。
息子はやりたい。行きたい。という感情が先で行動に移してしまうので、集団生活をする中では周りと合わせなければいけないこともあるということを、少しずつ覚えていってほしいと思っていました。
療育でも課題にしていることで、集中力が散漫している時は声掛けにも応じられず感情優先の行動が目立ってしまいます。
幼稚園でもそういう日があり、そういう日は何かしらのトラブルになりやすいです。
帰りの支度も先生に手伝ってもらうので、教室から出てくるのも1番遅く、私はその時間に合わせてお迎えに行くのですが、その日は何やら園庭や幼稚園の外が騒がしかったのです。
何かあったのかと思い、駆け寄ると息子が幼稚園から脱走したというのです。
幼稚園のすぐ近くには大きな道路が通っており、私は事故にでもあったらどうしようと、鼓動が早くなりました。
すると、幼稚園の柵に登ろうとしている息子を発見し、私は急いで息子の方へ走り、抱きかかえました。
息子は嫌がり暴れ出し、私を何度も叩いてきました。
先生たちが駆けつけてくれて暴れる息子を私から離してくれて、ようやく教室へ連れ戻してくれたのです。
外に出ると危ないので1人で外に出てはいけないことを先生と約束をし、その日は帰りました。
帰宅してから、息子にどうして外に出てしまったのか聞いてみると、早くママに会いたかったからと。みんなは早くお迎えに来るのに、ママはいつも遅いと言うのです。
何とも愛しい理由に翌日からは早くお迎えに行く約束をしました。
それから、息子も年長さんになり幼稚園生活最後の1年です。
少し、お兄さんになった息子はお友達と一緒に活動ができなくても、勝手に園庭に出たりすようなことは減っていました。
どうしても我慢できず、園庭に出たい時は先生に許可をもらい、時間を決めてから出るという約束がありました。
息子にとって約束を守るということはとても成長に繋がることです。
そんな成長を感じていた日々でしたが、大きなトラブルになる日もあります。
お迎え後の園庭開放中に隣のクラスのお友達とトラブルになってしまい、息子がお友達を叩いてしまったのです。
私はお友達とママさんに謝ったのですが、中々許してもらえず、そのママさんからは暴言とも思える言葉を浴びせられました。
しつけがなっていない。どう責任をとるのか、もう幼稚園に来ないでほしい。
息子みたいな子がいると、幼稚園の風紀が損なわれる。など、言われてしまいました。
私は息子に叩いてしまったことを謝るように言ったのですが、謝れずに癇癪を起こし始めたのです。
何があったのか聞いても、怒ってばかりです。
すると、同じクラスのママさんが来て、何があったのか話してくれました。
どうやら、私から見えない所で息子はその子から足を踏まれたり、つねられたりしていたそうです。
やめてと言ってもやめてもらえなかったので、我慢しきれず叩いてしまったようです。
私は一旦、その場を離れ息子を落ち着かせ、話をしました。
出来事を言葉で伝えるのが苦手な息子は私に分かってもらえず、イライラしたようです。
私も気付いてあげられなかったことには謝り、お友達を叩いてしまったことはちゃんと謝りに行こうと話しました。
しばらくして、先生たちが状況に気付き、間に入ってくれることになりました。
相手のママさんは怒りが抑えられない様子で、話し合いの場でも強い口調で叩かれたことを強調していました。
私はもう1度謝り、息子が先に痛い思いをしていたことを話すと、お友達からごめんね。という言葉が出てきました。
その言葉に息子もちゃんと謝る事ができ、子供同士は仲直りすることができました。
しかし、相手のママさんはその後も幼稚園側に息子のような子の受け入れはやめた方がいい。などと言っていたそうです。
例えば、トラブルに巻き込まれたり、怪我をしたりと不安なことが多いのもわかります。
しかし、息子も他のお子さんと同じく幼稚園に通い、楽しく過ごしてほしい。と私は思っていました。
いけないことはいけないと、良いことは良いと、人とふれあいながら学んでほしいというのが1番でした。
もちろん、落ち着きがなく、集中力も散漫してましたが、クラスの中の息子はトラブルメーカーではなく、ムードメーカーだと言われていました。
それはきっと、お友達との関わりや先生方の対応だと思います。
腫れ物扱いをせず、みんなと同じように接してくれていたから、楽しく幼稚園生活を送れていたのだと思います。
年長さんになってからの行事では、遠足の時に班長になったり、運動会でゼッケンを持つ係やリレーのアンカーを任されるなど、役割を与えられることが多くなりました。
きっと、先生方は息子に役割を与える事によって、達成感を味わってほしかったのだと思います。
そういう日々の積み重ねから、他のお友達は息子の事を頼れる存在だと言ってくれました。
出来ないことがほとんどだった息子が、お友達に頼られるなんて、夢にも思っていませんでした。
そして、いよいよ卒園式です。
しっかりとした足取りで壇上に上がり、大きな返事をし卒園証書をもらう姿は、この日のためにたくさん練習したのだとわかりました。
教室に戻ってからは、いつもの息子に戻り最後まで落ち着きなく過ごしていました。
この2年間の幼稚園生活でいろいろなことを学び、先生方から励まされ、応援される子になりました。
息子のようにグレーゾーンと呼ばれる子は、きっと生きにくさを感じたり、理解されず困ってしまうこともたくさんあると思います。
悲しい思いも辛い思いもするかもしれません。
しかし、周りの助けがあるだけで、こんなにも充実した日々を過ごせるのです。
出来ないことが多かった幼稚園生活、その分たくさん泣いて笑って、成長を感じることができた幼稚園生活でした。

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グレーゾーンだった息子と生きていくために

いよいよ、息子も小学生です。
入学式当日、周りをキョロキョロと見渡したりと、落ち着きない様子でしたが、立ち歩いたり走り回ったりせず、無事に入学式を終えることができました。
幼稚園の入園式から2年しか経っていないのに、とても成長したなと思いました。
療育は卒園とともに終了し、小学校では普通学級に通いながら、週に1回支援学級に通うことになります。
支援学級では少人数のグループでの活動になり、お友達とのコミュニケーションの取り方や、規則的な習慣を身に付けるなど、生活に必要な事を学んでいきます。
新しい環境になって、吃音が酷くなったり、落ち着きの無さが増したりするのではと心配しましたが、吃音は目立たなくなり、落ち着きは教室から出歩くなどの行動はしなくなりました。
これも、きっと幼稚園での生活と療育で学んだことが活かされているのだと思います。
しかし、まだまだ幼い部分はあり支援は必要とされていました。
これから勉強も始まり、自分のことは自分でやらなければいけないことが増えるので、ちゃんと出来るのか心配だったので、担任の先生に出来る範囲で声掛けをしてほしい事を伝えました。
最初の1学期は、登校時に門まで一緒に行き、校舎に入っていくのを見送っていました。
学校に忘れ物が多く、帰りの支度にも時間がかかってしまっているようで、帰ってくる時間が遅くなってしまうこともあり、どこかに行ってしまったのではないかと不安で、下校時間に学校の近くに行ってみたりもしました。
すると、お友達と仲良く帰ってくる姿が見えて、ホッとした時もあります。
ある日、学校から電話があり、お友達の持ち物を壊してしまったということでした。
私はお友達の保護者の方に謝罪のため電話をしたら、お互いにその持ち物で遊んでいて壊れてしまったから気にしないでほしい。と言ってもらい、いつも息子と仲良くしていて名前がよく出てくるという話をしてくれました。
幼稚園と違って、親が小学校に行く機会も少ないので、学校での様子は本人に聞いたりすることでしか知ることはできません。
そうやって、他のお友達と遊んでいるという話を聞けて、とても安心しました
小学校に入り、初めて担任の先生との面談です。
学校での息子は授業中に立ち歩いたりすることはないですが、お喋りが止まらないようです。
先生が話している最中も一方的に話しかけてしまったり、静かにしなくてはいけない時に、お友達にペラペラと話しかけてしまうようです。
その時に吃音が出ているか聞いてみたのですが、全く出ていないそうです。
体を自由に動かせない分、お喋りに移ってしまったのかもしれません。
先生といくつか約束を決め、1つ目は発言をする時は必ず手を挙げ、先生に差されてから発言をすること、2つ目はみんなで行動をする際にわからなくなってしまったら、勝手な行動はせず先生に聞くこと。
基本的なことだと思うのですが、息子にとってはとても困難なことなのです。
他にも息子が苦手意識の強いものが、工作などの手先を使うことと、作文などの文章を考えることです。
幼稚園や療育のときにも手先の不器用さは指摘されていて、先生に手伝ってもらいながら作業をしていました。
ハサミやのりの使い方など、先生に1つ1つ教えてもらいながら進めていくのです。
しかし、小学校では先生が1つ1つ教えてくれるわけではなく、見本や説明を聞きながら作業すると思います。
息子は視覚優先になるので、説明を聞いて理解するのに時間がかかります。
そういう苦手としていることを先生に伝え、サポート出来る部分はしてもらうことになりました。
2学期になり、私が門まで行かなくても登校出来るようになり、少しずつ学校に慣れてきたのを実感したのです。
1学期では出来なかったことが2学期に出来るようになっていたり、1学期に出来ていたことが2学期に出来なくなっていたりと、長期の休み明けはどうしても不安定になりやすいと思います。
そんな不安定な状態が続くとトラブルも起きやすいのです。
ある日、休み時間にお友達と遊んでいたのですが、その延長で教室に戻ってからも遊びに夢中になっていたようです。
お友達はもう、教室に戻ってきたから遊ぶのをやめようとしたのですが、息子はやめることが出来ず、お友達にちょっかいを出してしまいました。
何度かやめてと言われていてもやめることが出来ず、ケンカに発展してしまったようです。
ケンカはエスカレートし、息子はその場にある物を投げてしまったのです。
幸いにもお友達に当たることはなかったのですが、他のお友達が先生を呼びに行きその場は収まりました。
放課後、先生とお友達との話し合いでお互いに謝罪をし仲直りをしたのですが、1つ課題が残ったように思えました。
相手の気持ちや状況を考えたりすることが苦手な息子は、見通しを持てないことが多いのです。
ここまでは遊びだけど、相手がやめようとしたら終わりにするなど、中々その状況を見て判断することが難しいと思いました。
今回のトラブルを支援学級の先生とも共有し、今後の支援の課題になります。
先生とこまめに連絡を取り、支援学級の先生とも共有し、その後は大きなトラブルもなく2学期を終えました。
冬休みになり、息子と電車に乗って出かける機会も増えました。
混雑を避け、なるべく短時間で移動出来るようにします。
この日は出かけてからすぐに、何となく上手く行きませんでした。
ホームで電車を待っている間も落ち着きがなく、電車が到着して乗り込んだのですが、電車の音がうるさいと言っていました。
出かけるのをやめようか迷ったのですが、乗り換え1回の移動時間30分です。
空いてる席に座らせ、しばらくお話をしながら乗っていたのですが、数分経つと立ち上がりつり革を掴もうとジャンプし始めました。
私は他の乗客に迷惑になるからとやめさせようとしたのですが、嫌だと癇癪を起こしそうになったのです。
私はつい強い言い方をしてしまい、無理やり座らせました。
すると、嫌だと泣き始めたので抱っこしました。
中々、泣き止まず次の駅で降りようと思っていた時に、中年の男性に「うるさいから降りてくれ。」と、言われてしまいました。
私は降りようと思ってたことを言い、次の駅で降りました。
この日は、出かけるのを諦め途中下車した駅の近くの広場で遊ばせ、発散させてから帰ることにしました。
電車などで移動する時に、何か落ち着けるものはないかと考えてみたのです。
そこで思い付いたのが、タブレット端末です。
ヘッドフォンをして、息子の好きな音楽などを流し外の雑音をシャットアウトするのです。
それと、生物や恐竜などが好きなので、そのアプリを入れてみるのもいいと思いました。
冬休みも終わり、3学期も忘れ物は多いもののトラブルなく過ごすことが出来ました。
息子も2年生です。
大型連休を迎え、2人で出かけることにしました。
息子も楽しみにしていたバイキングで食事をし、息子の洋服など必要なものを買おうと思い、お店に入ったのですがゆっくり見ることが出来ず、私はタブレット端末に入っている恐竜のお話を再生し、息子に見せました。
店内に大きなソファーがあったのでそこに座らせ、ちゃんと座っているか確認をしながら私は買い物をしていました。
ほんの数秒だったと思いますが、息子がいなくなってしまったのです。
店内を探しても、通路を探してもどこにもいません。
まさか駐車場に出てしまったのではと、外も見ましたがいません。
迷子センターへ行こうと、もう1度先ほどのお店に行ってみました。
すると、ヘッドフォンをしながら歩いている息子を発見。
大きな声で息子の名前を叫び、駆け寄りました。
どうしていなくなってしまったのか聞くと、店内に面白そうなものが置いてあったから。と言うのです。
どうやら、行き違いになってしまったようです。
1人で勝手に行動をしてはいけないこと、気になるものがあったらママに言うことを約束し、事なきを得ました。
2年生の1学期後半に支援学級の先生と面談があり、お出かけ時のトラブルの話をし先生も何事もなくて良かったと安心してくれました。
この事を支援の課題にし、支援学級のお子さん達と話し合いをするそうです。
意識的にもう1度考えることも大事だと思いました。
それから、夏休みなどの長期の休みの時は、遠出して出かけることも増え、移動中はヘッドフォンを付けることにも慣れていました。
新幹線やロマンスカーに乗って出かけることも出来るようになり、一緒に出かけることが楽しくなったのです。
もちろん、旅先でのトラブルはつきもので迷子にならないように行動を制限したり、触ってはいけないものを触らないようにしたりすることで、息子の癇癪が始まったりすることもありますが、私の話を聞いてくれるようにもなりました。
どうして勝手な行動をしてはいけないのか、触ってはいけない物を触るとどうなるのか、そういった話を聞き、自分はどう思っているのかを話してくれるようになったのです。
「ぼくはこれをしたかったから。」
「ぼくはここに行きたかったから。」
など、泣きながらでも意思表示が上手になったと思いました。
息子のやりたい気持ちを否定するのではなく、聞いてあげて共感してあげることも大事だと私自身、気付かされる部分がありました。
冬休み前に、支援学級の先生との面談で今後の課題や振り返りなどを話しました。
今まで発達検査を何度か受けてきたのですが、同じ種類のもので支援が必要かを見るものでした。
小学生になり、年齢があがってきたので3年生になる前に、発達専門の病院などで精密な検査を受けてみてもいいということでした。
検査を実施している病院を紹介してもらい、電話したところ、ちょうど春休みに受けられることになりました。
検査日当日、今までの発達検査より長い時間がかかるので、その間私は近くのカフェへ行き連絡を待ったのですが、ちゃんと受けられるだろうか、癇癪を起こしたりしてないだろうか、と心配で早々に病院へ戻ってしまいました。
1時間ほど経ち、息子が検査室から出てきたので、楽しかったか聞いてみました。
息子は「疲れた。でも楽しかった。」と、とても頑張ったので帰りは美味しいものを食べて帰ろうと約束をしました。
詳しい検査結果は後日になりますが、検査を行った先生から検査の様子などのお話がありました。
検査中は時々、集中力が散漫してしまい、検査に関係ない話をしてしまうことが何度かあったようで、自発的な会話がやや多く、先生が話す時は息子を1度制止してから話すことが多かったようです。
しかし、先生からの問いにはちゃんと答えることができ、何よりも息子の愛嬌の良さやユーモアが溢れていて、先生も楽しい時間を過ごせたと言ってもらえました。
1週間後、検査結果を聞きに病院を訪れました。
発達専門の先生から詳しい検査結果を聞き、ADHDつまり注意欠如多動性障害と診断されました。
この障害は何らかの原因で脳の伝達部分に異常がある可能性が高いことが分かっています。
確実な具体的な原因は明らかになっていませんが、食べ物や家庭環境などでは発症しないそうです。
私は検査結果を聞いて、今までの癇癪の原因が障害によるものだと分かり、息子の気持ちを先に考えました。
きっと、分かってもらえず辛い時もあったはずだろうし、自分の感情を抑えることができず、苦しかったはずだろうと。
そんな息子も全て愛おしいもので、これからも息子と生きていくために、1つ1つゆっくりと一緒に寄り添いながら成長していけたらと思いました。

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反抗期を迎えて思うこと

息子も3年生になり、クラス替えをし、また新しい環境での学校生活が始まります。
3年生にあがる頃には吃音もほとんど目立たなくなり、気付かないほどになっていました。
私は診断を受けたことを担任の先生や支援学級の先生に伝え、これからの課題を再確認することになりました。
今まではコミュニケーションを中心に支援を受けていましたが、学年に合わせて少し負荷のかかるものなどを課題にしていくようです。
支援学級での授業中、他のお友達とふざけてしまい、中々気持ちを切り替えることが出来ないことが何度かあり、通常のクラスでも落ち着かない様子が続いていたそうです。
きっと、進級やクラス替えがあったからだろうということでした。
それに加え、運動会の練習も重なり、毎日頑張っていたそうです。
息子の学校では3年生からリレーの選手に選ばれるのですが、息子は見事に選ばれ走ることになりました。
リレーはもちろん、ダンスなど息子の成長を見られるいい機会なので、とても楽しみにしていました。
運動会当日、2年生までは椅子に座っていることが出来ず、校庭をウロウロとしていて、自分の番になるとお友達や先生が呼びに来ていたのですが、3年生になった息子は椅子に座っている時間も長くなり、自分の出る競技を分かっているようでした。
リレーでは緊張しているのが見ていて伝わってきましたが、とても頑張って走っていました。
そんな成長を見ることが出来た運動会、来年はもっと楽しみです。
3年生の夏休みは海やプール、映画に花火大会などたくさんのお出かけをしました。
迷子になってしまうリスクが大きかったので、お出かけをたくさん詰め込むことは避けていたのですが、色々なことに触れ合って学んで欲しいと思い、挑戦しました。
もちろん、行く先々で大変なことが多いですが、何よりも息子の楽しそうな顔を見ることが幸せに思うのです。
3年生の3学期になり、世界の状況が変わり、息子の学校も長期の休校になりました。
4年生になったら、運動系の習い事や息子が興味のあるところへ出かけたかったのですが、中々出来なくなってしまい、休校中は学校から出される課題を自宅で学習するのですが、外に出れない息子はストレスが溜まり、集中することが難しくなってしまいました。
お散歩に出かけたりしてみたのですが、普段の生活とは全く違うものなので、息子も発散できずに辛かったと思います。
そんな状況もあり、時折イライラした口調で私に話しかけることもありました。
4年生という年齢も心の成長を迎える歳だと思います。
ある日、学校の課題でわからないところがあり、私に聞いてきました。
私は何回も説明したのですが、中々理解できずイライラしている様子でした。
それから、自分で少しやってみるというので、口を出さずにいたのですが、一向に進みません。
時間だけが過ぎていき、私も痺れを切らし一緒にやろうと言ったのですが、気持ちの切り替えが上手く出来ていませんでした。
気持ちを切り替えてからやってみよう。という私の言葉に息子の感情が爆発してしまい、泣きながら気持ちを切り替えられないことを訴えてきました。
私はそんな息子を見て、なんて可愛いのだろうと思い、笑ってしまったのです。
しばらく泣いていたのですが、私が笑ってしまってることに気付いた息子は一緒に笑ってしまい、うまく切り替えることが出来ました。
今までは癇癪を起こしたら、気持ちを切り替えるまでに時間がかかってしまっていたのに、一緒に笑えるようになるなんてと、これもまた成長を感じたのです。
3ヶ月半の休校が明け、分散登校が始まりました。
マスク生活やお友達との距離、他のお子さんもそうだと思いますが、行動を制限されることは息子にとってとてもストレスになります。
何となく、朝から機嫌が悪かったり、落ち着きない様子が続いたり、宿題など集中して勉強できなかったりと、そういう日がしばらく続きました。
3年生で出来ていたことが、4年生になって出来なくなり、支援学級の先生ともその話になりました。
支援学級の授業中もお友達とちょっかいを出し合ったり、ふざけてしまったりということが多々あるそうです。
家でも歩き回ったり、お喋りをずっとしていたりと、頭をフル回転しているようで、疲れないのかなと心配になってしまうくらいでした。
先生からは、無理に集中させたり落ち着かせたりせずに、今は見守ってほしいと。
この頃から、息子の心の成長にも変化があったと思います。
片付けや勉強のことなど、私が口を出すと怒るようになってきました。
親からの助言を疎ましく思ったり、苛立ったりする気持ちも分かります。
しかし、息子のイライラは少し違ったように思えました。
元々、片付けが苦手で私と一緒に片付けるのですが、小学生になってからはあまり手を貸さずに、わからなくなったら聞きに来るということにしていました。
今までは、素直にどこに何を片付ければいいのか聞けていたことも、聞けずにイライラしている様子でした。
そこで私が、どこに片付けていいのかわからないの?と聞くと、その言葉に怒ってしまうのです。
もしかしたら、心の成長とともに自分の苦手なことを理解し始めたのかもしれません。
片付けたいのに片付け方が分からない。
聞きたいのに聞き方が分からない。
そういった事が、息子の苛立ちに繋がっていたのだと思います。
多動などの行動面は落ち着き始め、前ほど勝手にどこかへ行ってしまうことは減りました。
ちゃんと、これを見たい。ここに行きたい。と言えるようになってきたのです。
いつもより、短い夏休みに入り、どこかへ出かけることもなく家で過ごしていました。
何か一緒に出来ることはないかと考え、家で息子の好きな音楽を流し踊ってみる。ということをしてみました。
これが、息子の発散になったのか、とても楽しそうに自由に体を動かしていました。
料理にも挑戦して、手先が不器用な息子ですが上手に卵を割ることができたのです。
楽しみながら手先を使うことをしたかったので、私と競争してコイン建てもしました。
息子のようなタイプの子は達成感を味わうことが中々難しいと言われているので、小さな事でも達成感を味わえるように工夫するのもいいと思いました。
家での時間が増え、私にべったりということも多々あり、甘えてもらえる時はたくさん甘えてもらおうと思ってたので、何をするにもママと一緒がいいと言うようになりました。
きっと、気持ちが不安定だったのかなと思います。
2学期が始まり、不安定な状態は少し続いていて、軽いチックが出ていました。
吃音が目立たなくなった分、不安定な時は目をパチパチさせるなどのチックが出てしまいます。
しかし、それもずっとではないし、気持ちが安定すればいつの間にか治っていることがほとんどでした。
学校が休みの日は近くの公園に行ったり、息子の好きなものをテイクアウトしたりと、なるべく息子の要望に応えるようにしました。
甘やかしてることに近いかもしれませんが、心の安定が大事だと思ったからです。
2学期後半に支援学級の先生との面談で、不安定な状態が続いていること、チックのことなどを話しました。
支援学級に通ってるお子さんの中には、息子のように環境の変化に敏感な子たちもいるので、息子だけではないということを聞きました。
世の中の不安定な状況と、4年生の心の成長が重なったことも長引いてる原因になっているのかもしれません。
この年の年末は親戚などで集まらずに家族だけで新年を迎え、息子の心の安定を優先し、息子との時間や1日1日を大切に過ごすようにしました。
年が明けてから、息子も少しずつ安定してきました。
日々の生活の中で、うまく伝えられなかったり、私の言葉がうまく伝わらなかったり、そういうところから衝突してしまうこともありました。
しかし、ちゃんと言葉にするということは大切で、相手の気持ちを考えることも大切です。
衝突しながらも、毎回その話をしました。
その小さな積み重ねが安定と心の成長に繋がったように思います。
いよいよ、息子も5年生、高学年です。
クラス替えがあるため、またチックなどの不安定な状態に戻ってしまうかと心配したのですが、落ち着きない様子はあったものの心の安定は保てていたようです。
通常クラスでは気分が高ぶり過ぎてしまうことが時折あるようですが、新しい担任の先生とも良い関係が築けているとのことで、とても安心しました。
4年生の時も、運動会などの大きな行事は規模を小さくして行ったのですが、5年生でも同じように行いました。
保護者の観覧は制限されているため、入れ替え制なのですが、運動会も短い時間で見ることが出来ました。
ダンスの演技の時に、みんなで揃えた動きをするのですが、覚えていない振り付けもあったので、ちゃんと出来るのか心配でした。
本番が始まると、フラフラすることなくピシッと揃え、一糸乱れず演技していました。
私はそんな成長した息子の姿に涙が出てきたのです。
帰ってきた息子にとても格好良かったことを伝えると、照れながらありがとう。と言っていました。
5年生になってからの息子は、徐々に反抗期を迎え、今まで以上に私と衝突することも多くなっていました。
相変わらず、片付けは苦手で文句を言いながらも、私の助言のもと片付け始めます。
そして、少しずつ自分の苦手とすること、どうして支援学級に通っているかを認識し始めたように思えます。
どうして自分は出来ないんだ。僕ってダメな人間だ。など、そういう事を思ってしまうお子さんもいると聞きました。
これからはそういった事も課題になっていきそうです。
5年生で支援学級の先生が新しい先生に変わったのですが、長い間お世話になっていた先生からお手紙を頂きました。
そこには、2年生から4年生までの3年間、息子の担当になれたこと、とても感謝していて息子の素直さや愛嬌は、お母さんの深い愛情と大切に向き合ってきた証だと。
4年生の時に息子の不安定に向き合い、寄り添いながら見守っていたことが、今の安定に繋がっているということが書かれていました。
私は涙が溢れ、今までやってきたことが報われたような、そんな気持ちにさせてもらったお手紙でした。
息子の夜泣きに私も泣き、何度も癇癪を起すことにお母さんをやめたいと思った時もありました。
そんな息子を抱き抱え、周りからの冷たい視線を浴びる日もありました。
たくさん泣いたと思いますし、苦しい思いもしたと思います。
これからも、たくさん泣いて苦しい思いをするかもしれません。
今よりもっと、激しい反抗期になるかもしれません。
しかし、そういう事も全て、息子とのかけがえのない時間です。
そして、息子を11年間育ててきて今思うことは、育てにくい子だとしても、はみ出していたとしても、あなたはそのままでいい。
何も心配することはないし、負い目を感じることもないということです。
長い人生のうち、いつか私の手から離れていく息子のそばで、子育てをできる時間は限られています。
その限られた時間の中で、たくさんの経験をさせてくれたこと、寄り添い歩んでこられたこと、癇癪息子を育てることができたこと。
そして、私のところに生まれてきてくれたこと、感謝しかありません。
今朝も「行ってきます!」と元気に走る後ろ姿に笑みが溢れ、今日も1日頑張ろうという気持ちにさせてくれるのです。

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