子供から教わること(自分との対比)

2022年3月7日

子育て

第1章「私の育児を確立しているもの」—自分の好みと子供の好みについて

人には必ず好みがあって、何かを選択するときの指標となります。
特に育児に関してはその好みを実現するための指標が、より強く協調されるのではないかと思います。

私の好みへのこだわりと育児方針、そこからどのように子供との折り合いをつけて、育児方針を固めていったかを記します。

私が好きなことは、自然の中にいることです。
山や海、畑で過ごすことによって、心地よさを感じて、日々の活力の源となります。
私が子どものために揃えるものは、やはり、この感覚から選ばれるのは必然です。
与えるものは、自然に近い素材のものが中心です。
木のおもちゃや、絵本、布製のお人形、五感へ刺激を与えるものなどです。
過ごす場所と言えば、公園やキャンプ場など、いるだけで自然を感じられる場所です。
食べ物に対しては特にこだわり、添加物をなるべく排除して、オーガニックなものを選んでいきました。
育児書を読んでは、自分の好みのアンテナに引っかかるものだけを選び、日々の育児に落とし込んでいきました。

初めのうちは、親として子どもがよりよい環境を完璧に用意してあげることに、とても満足していました。
自分が用意したおもちゃや、場所で、子どもが笑顔で過ごすことに、私は心からの充足感を得ていました。

自分の自己肯定感が最上級で、こんな素晴らしい子育てをしている自分は、最高の自分だと思っていました。

ところが、子供の自我が芽生えた時から、急に変わっていきました。

子どもも生きているので、周りの環境からたくさんの情報を得ています。
無意識にどんどん提供される、楽しそうな情報は、魅力的です。

当然、子どもは魅力を感じる方へと、どんどん引き込まれていきます。
今考えれば、そのようにして、子供なりに自分の好みを確立していっていたのだなと、理解できるのですが、当時の私は、違っていました。

自分が作った、「よい子育て環境」から違う道に行くことを、潔癖というレベルで排除していたのです。

テレビに夢中になり、私が買い与えたもの以外のお菓子を、喜んで食べて、ゲームやスマホに執着する姿、
外遊びを嫌がる子どもを見るたびに、自分のストレスを感じるようになっていったのです。

私は、自分の頭の中で作り上げた「素晴らしい子育て環境」というものを、崩されることを、強く怖がっていたのだと思います。
私が固執すればするほど、子どもは嫌だという気持ちをアピールするという悪循環が生まれてしまいました。

いやいや期といわれる2歳ころは、特に、自分の感情と子どもから発されるサインとのギャップで、とても苦しかったことが強烈に残っています。

悪循環から抜け出す糸口が見えずに、初めて経験する絶望感でした。

そのくらい状況から脱した転機は、2人目の妊娠でした。
切迫早産の危険があるとの診断で、今まで活発に動いていた私に下された、急停止です。
安静を最優先にすることを指示されました。

それまで、子供のためにと、あっちこっちに動いていた状況に、自然とストップがかかるのですから、初めはとても苦痛でした。
「この子に今大切な、外遊びや、他の人たちとの交流が止まってしまっては、困る!ごめんね」と、こどもに対して罪悪感も湧いてきました。

ところが、パニックになってしまった私をよそに、子どもは全然違った様子を見せたのです。
おうち遊びが主流になってしまった状況に、全く動じないのです。
やむを得ず横になっている私のそばで、好きなおもちゃを次々に並べてにこにこし、テレビを観ては大笑いです。
好きなお菓子を持ってきて、私と自分の分を取り分けては満足そうにおやつタイムをします。

その時に、はっと気づきました。

私の好みの押しつけから解放されたことで、この子は、しっかりと好み明確にして、自分で選び、そこから喜びを得ることができているのだと確信したのです。
そこで、私がこの子に良かれと思って施してきたことは、親としての私の自己満足であり、わたしが勝手に作り上げた、「良いと思うもの」であったことに気付きました。
しっかりした親でなければならないと思い込んでいた責任感が、一気に緩んだのをはっきりと覚えています。

私はそれまで、育児とは子供をコントロールするものだと思っていました。
親は、子供を自立するように教えなければならないと思っていたのは、私のおごりだったのです。

自立することを学ぶため、ともに歩むパートナーと考えてしまえばとても気持ちが楽になります。

縦の関係ではなくて、横の関係です。

そもそも、親だって、人の親になるのは初めての経験です。自分が教えられることなどは限られています。
私個人の主観の範囲でしか生きていけないなんて、子どもにとっては、なんとも理不尽な環境に他なりません。

親と自分と違いを全力でアピールしてくれるのですから、こちらも子どもの意見対して、対等に向き合うべきだと思いました。

それが子どもへの敬意です。子どもは、私から発される敬意を、敏感にキャッチして、心を開いてくれます。

この気づきから、子どもの動きや話すことを優先にして、過ごし方を組み立てていくようになりました。
食べたいもの、行きたい場所、使いたいもの、欲しいものと、生活の中には選ぶことが連続しています。
その都度、子どもの好みと、私の好み、お互いに出し合って、ちょうどいいところを選んでいくようにしていきました。
選んだ結果にお互いが納得しているので、ストレスも最小限です。
自然とお互いが心地よい距離感を取ることができるようになったと思います。

育児方針はあってもいいけれど、妥協点というか、お互いの折り合いのポイントを見つけることはとても大切です。
子どもは、無邪気にたくさんの気付きをあたえてくれます。
その気づきをヒントに、よりお互いが心地よく過ごしていけるかが、親の腕の見せ所なのではないかと思います。
嫌なものは嫌だし、好きなものはとことん飽きるまでやっていたいと思うのは、子どもの自然の姿です。
どんなことが好きなのか、どんなタイミングで話しかければ聞いてもらえるのか、どんなことなら許容範囲なのかと、子どもを観察しながら、ポイントを探っていきました。
知識や環境を与えるのではなく、子どもをみるという視点こそが、自分の育児方針を確立するための、重要な鍵だったのです。

もともと持っているものや価値観が違うのは、大人であれ子どもであれ、当然のことです。

根本は、好みです。
好みは、自分が選んでそうするというよりも、その前の段階で、なんとなく選んでいるもの、心地が良いと思うものです。
常に自分の好みの中にいることが当然いいのです。
心地よいとは真逆のことが起こると、モヤモヤしたものが溜まっていきます。
気づかないうちにどんどん、大きくなって、気づいたら、大きくなりすぎていたこともあります。
どのように消化するのか、自分がどのレベルなら我慢できるのか、知っていると、大きな爆発が起きなくて済みます。
それは、子どもも大人も同じことです。どちらかが我慢するのではなく、親子のちょうどよいところを見つけることが大切です。
そのためには、親も、自分の本当の好みを知っておくことが重要です。
私の場合は自然が好きなことです。
そこから派生する、教育論や教育方法は全く別物と考えていいと思います。
真面目に、育児書を読むから頭でっかちになってしまいます。育児書は親子の数だけあっていいと、私は思います。

子どもを見つめて、自分を見つめて、真ん中を見つける。
これが、私の育児を確立しているものです。

第2章「心と体のシンクロ」—自分の体調と子供の体調の調和について

シンクロニシティとは、意味のある偶然の一致のことを指します。
子どもと母親のあらゆる面でのシンクロは、決して不思議なものではないと、私は思っています。
生命として、地球で生きられるようになるまで、母親の胎内で成長し、機が熟してこの世に誕生することにより、突然に、それまでつながっていた母親と、分断されるわけです。
同じ生命が、たった一瞬で別々の生き物となるのです。
あまりにも急な出来事に、もしかしたら、別々になったことに思考が追いつけないでいる子供もいるかもしれません。
それゆえ、少しの期間だけ、いえ、それぞれの親子にとって必要な期間は、一つの生き物のまま、しばらく生存しているのではないでしょうか。

そして、その特別な期間は、お互いに、とても好都合なシンクロが起こる、お楽しみ期間なのだと思います。

その証拠と思える出来事を、私は何度となく経験してきました。
初めは、タイミングの悪さにとても不運だと感じて、ネガティブに捉えていたのですが、最後には結果オーライと感じることが増えていることにきづいたのです。
好機に転じるきっかけであることに気づき、ありがたく、シンクロに従って、過ごしてみることにしました。

まず、私の子供は、歩けるようになる一歳ころまでは、とにかく私から離れることのできない赤ちゃんでした。
人見知りをするという以前に、私の抱っこでしか泣き止まない赤ちゃんだったのです。
寝ている間も、私の気配が消えると泣き、日中も、家事をしようとしては泣き、ハイハイができるようになると、どこにいてもついてきて、トイレも、子どもを膝にのせて用を足すことは、日常茶飯事でした。
周りから見たら、大変そうだとみえていたようですが、当の私は、そこまで深刻に感じていなかったと思います。
むしろ、自分だけがこの子の安心できる、唯一の存在であるという事実に満足していたくらいです。
それは、さすがに一人になりたくて、旦那に頼んで息抜きをすることもありました。
他の大人とのスキンシップも大切だと、親や親せきに言われて、離れてみることもしました。
しかし、私としてはどうも納得がいかないし、子どもの泣き方も、さらに強くなるような気がしていました。
たくさん泣いた日は、夜泣きが追い打ちをかけて、私も子どもも寝られないという悪循環がおきました。
ですので、あまりに長時間、お互いが離れることはない乳児期間を過ごしたのです。
そこで、わたしは、どうしてこの子は、私と離れることを嫌がるのか、泣くという行為は、どんな要求があるのだろうということを、考えてみることにしました。
そして、このタイミングで思い出したことがありました。
私自身の幼少期の思い出です。
三姉妹の長女として育った私は、どうしても母親とのスキンシップに、我慢を強いられていました。
下の子を優先して、抱っこをしてもらいたい感情を必死に抑えていたのです。
その思い出と、自分の子どもの気持ちを、いつの間にか重ね合わせていたのではないかと、考えました。
思う存分に、お母さんの抱っこを味わっていたい。その感情を、子どもが私に思い出させてくれて、さらにその時の我慢を、今、癒そうとしているのではないかなと、考えるようになりました。
私は子どもを抱っこすると同時に、小さかった頃の私の気持ちも、抱きしめてあげていたのです。

子どもが泣くことには、たくさんの意味があるといいます。
お腹がすいていること、おむつの心地が悪いこと、寒いこと、暑いこと。
そして、たくさん抱っこして欲しいこと。

私は、この気づきから、子どもは、子ども自身の要求を満たすためだけに泣くわけではないことを、教えてもらいました。
母親である、私の心の中の思いまでも知らせてくれる、とっても重要なシンクロなのだと思いました。
このおかげで、育児への嫌悪感というものとは無縁の乳児期を過ごすことができました。

そしてもう一つ、印象的な経験があります。
上の子の小学校入学説明会の日のことです。
私は、引っ越してきたばかりの土地で、周りにママ友と呼べる人がいないこと、子どもが初めて学校に行くこと、PTAの役員選出がることなど、心配しても仕方のない不安と緊張に押しつぶされそうになっていました。
そして、同席しては迷惑になるであろう3歳の下の子は、保育施設へ預ける予定にしていました。
しかしというべきか、案の定と言うべきか、下の子は熱を出し、預かってもらえないということになってしまったのです。
症状は軽度なもので、ただの熱だけ。この年頃の子供にとっては、よくある症状とはいいますが、その子にとっては、本当に珍しく、1歳のころの突発性発疹以来の熱だったのです。
私は当然、なんでよりによってこの日なのだと困惑しました。
どう考えても、わたしの数日前からの緊張感や、熱をおびるほどの心配思考のループが、子どもに伝染したのだろうと推測はつきました。
近所に頼れる親戚もおらず、仕方がないので、説明会場に連れていくことにしました。
学校には、諸事情を説明し、会場で同席を許可してもらいました。
子どもが騒いで、会の邪魔にならないようにと、会場のはじの方の席を確保して、待っていたところ、同じように、小さなお子さんを連れているお母さんが数人、いらっしゃいました。
私と同じ考えなのか、必然的に会場のすみに子連れグループができあがり、安心して会に参加することができたのです。
子どもを連れていることにより、共通の話題ができて、コミュニケーションのきっかけが広がったことは、とても大きな収穫でした。
下の子が熱を出していなかったら、一人でこの会場で緊張しながら会が進み、知り合いも出来ないまま、帰宅していたのだと思います。
そして、その緊張感をそのまま上の子に伝染させていたかもしれません。
下の子の熱はというと、任務完了とでもいうように、あっさり下がってしまいました。のどの痛み、鼻水や咳といった風邪らしき症状を残さなかったことは、まさに、任務のみの熱だったことを物語っていました。

この経験から、心配しすぎることは不要なことだと、教えられました。
新しい環境への不安は、自分が作り上げた幻想でしかないわけです。
現実ではない不安の先取りをすることは、なんのメリットもないのです。
そして、その突破口は、何がきっかけになるか分からないということです。

私たち大人は、お腹の調子を悪くしたり、熱を出したりする子どもを見ると、つい悪い方へと思いを巡らせます。
どこかに原因があるのではないかと、環境や食べ物、そして流行している感染症などを疑います。
目に見える原因を突き止めるのは、お医者様が得意とする分野です。
もちろん、重篤な病気が潜んでいる場合があるので、おかしいと思ったら受診をためらってはいけないと思います。
しかし私は、何度も子どもの体調の変化に救われています。
その症状が伝えていることは何なのかということを考えてみると、自分の生活を振り返って、考え方のくせに気づくことがあるのです。
病気ではない子供の体調の変化を、感じ取ることができたら、さらに、子どもを愛おしく感じることができました。
母親と子供との間に、幼少期にだけ起こるこの不思議なシンクロを、見逃す手はないのではないかと思います。

どういうわけか、子どもが年齢を重ねるにつれて、このシンクロを体験することが少なくなってきたように感じます。そろそろ、子どもとの分離の時が来たのかなと、さみしいような思いが湧いてきます。
しかし、こうやって哀愁を感じながら人間は世代を繋いでいくのです。
現代までに、親子の数だけたくさんのシンクロが起こっているのかなと想像すると、世の中がとても不思議な世界に感じてしまうから、おもしろいです。

第3章「親だけが我が子を育てているのではない」—価値観の違いを育むことについて

子供が成長するにつれて、人間関係が大きく広がっていくことは必然です。
その中で、今まで培われた価値観が、大きく変わることがあると思います。
どんな点で怒られるのか、何をしたら褒められるのかを、子どもたちは経験から学んでいきます。

まず初めに経験することとして、幼稚園などの保育士施設の入園が挙げられます。
そこには、幅広い年齢層の大人や、同年代の子供たちと、実にさまざまな人との出会いがあります。

そこで共同生活を行っていく中で、自然と協調性というものを理解していきます。
しかし、大人であれ子どもであれ、それぞれの価値観は必ず存在します。
それゆえ、お互いがかかわりあう中で、意見の違いを感じることが、増えてくるわけです。
腑に落ちないことを感じつつも、どうにか自分の意見と、まわりの環境に折り合いをつけることを学びます。

そして同時に何をしていることが楽しいのか、何を大切にして判断するのか、そして、絶対に譲れない事柄は何なのかという、アイデンティティーを確立するのだと思います。

子どもたちは、そこまで深くは考えていないかもしれませんが、違いを感じることは、自己の考えを明確にするうえで、非常に大切な経験だと思います。

それまではある程度、母親や父親が用意した環境で、その家族が良いと思うアンテナに引っかかったものだけで、子供の価値観は作り上げられると思います。
多少、子ども本人が納得のいかなかったことでも、環境がそうであれば、成り行きで、よしとするものが決まってきます。
しかし、親以外の外の環境が、自分の趣向と合致すると、子どもは水を得た魚のように、それまでは隠れていた本質が見えてくることがあるのです。

特に顕著に現れた事例がありました。

私たち夫婦は、屋外で過ごすことこそ、子供らしく健やかな成長ができるという考えを持っています。
ですから、休みの日には、外で遊んでいる姿を肯定するような発言が多かったと思います。
逆に、家にこもって、ゲームに没頭することには、否定的な雰囲気を出していました。

ある日、外遊びをしていた時のことです。
近所の子供が、ゲーム機を持って遊びにやってきました。
当然、我が子は、普段は接することがないゲーム機に興味津々です。
私たちに、後ろめたそうな様子を見せながらも、案の定、お天気がいい絶好の外遊びの時間を、子どもはゲームをして過ごしました。
その姿を見たときに、私は、嫌悪感が先に立ち、あまり明るい反応を示すことができませんでした。
しかし、子どもの様子を見ていると、実に楽しそうにしています。
小さな画面の周りに数人が集まり、ああでもない、こうでもないと、攻略する方法について意見を出しながら、ゲームを進めていました。
そして、さらに観察してみると、意見を発する子、意見をまとめる子、ゲームを操作する子、と、自然と役割分担がされていたのです。
これは、興味深い発見でした。
ゲームをするという行為について、私が持っていた印象が、がらりと変わったような気がしました。

私が望む子どもの姿として、コミュニケーション能力の高さを大切に考えています。
さらに、そのことを育む環境は、ゲームをすることで得るものではなかったのです。
しかし、この経験から、どんな方法でもコミュニケーションをとることができるということに気付きました。

子どもが、多種多様な友達関係を作ることにより、私に与えた価値観の変化でした。

私が柔軟な価値観を持つことで、子どもをとりまく環境を広めていくことは、とても重要なことだなと、感じる出来事でした。

その後、子どもの世界が広がったのは、少年野球団への入団でした。
地域の有志でコーチや監督が組織され、さらに父母会の団結が強く、チーム一丸で子どもを育てる雰囲気があります。
地区では強豪のチームで、その練習量は、我が子にとっては非常に多いものでした。
しかしそれを承知で、このチームに入団を決めたのは、他でもない子ども本人です。
それまで、家族以外の大人と接することは、学校以外にない子ですし、自分を追い込む根性を感じたことは、あまりありませんでした。
ですので、この決断に、私たち家族はたいへん驚きました。
練習内容もハードで、弱音が出ることもしばしばですが、何とか続けています。
この決断に、子どもからのどんなメッセージがあるのかと考えてみました。

要領よく、なんでもこなしてしまう我が子は、あまり人から怒られることがありません。
私は以前から、そこを少々危惧していました。
怒られることは、私自身、好きではありませんが、自分を見つめるチャンスにはなると思っています。
そして、その怒る役目は、親では意味がないと思っていました。
親の私が、違うと思ったことを注意しても、子どもにとっては、ただの小言にしか受け取ることができず、真剣に向き合おうとしません。
しかし、それが監督やコーチ、他の団員の父兄からだと、全く違う受け取り方をしています。

ある時、話の聞き方についてコーチから指導を受けたそうです。
目を見て聞くことが大切だということでした。
私としては、このような当然のことは、できていると思っていました。
しかし、実際は、どんな受け答えをしていたのかは分かりません。
親子間では、曖昧になってしまう所作の大切さを指導してもらい、とてもありがたいことだと感じました。

さらに、試合に出たときのことです。
入団して、初めての練習試合に、代打で立たせていただきました。
そこでチームのみんなは、口々に勝ち気で行けと、声を掛けてくれるのです。
子どもは、緊張しながらもバッターボックスに立ち、威勢よくピッチャーに声を上げます。
応援を受けて、思いっきり振ったバットは、コーンと音を立ててボールを見事に捉えました。結果はショートゴロ。
ですが、初打席でバットにボールを当てた子供に対して、ベンチは大いに沸きました。
よくやったと、声を掛けられて、ベンチに戻った我が子の顔は、とても充実感に満ちていたことは、言うまでもありません。

私だったら、リラックスして、とか、ショートゴロでドンマイといった、フォローの言葉をかけていたと思います。
勝ち気で行け、という考え方と、ショートゴロでナイスピッチングという言葉は、決して出なかったと思います。
こうして、親とは違う価値観から繰り出された言葉をかけてもらう経験は、子どもにとって、どんなに有意義であったかということを、感じずにはいられません。
子どもは、このような経験をしたくて、野球団への入団を決めたのかもしれないと、感じています。

人が成長するということは、多くの理不尽と対峙することだと思います。
眠たいのに早起きして、学校へ行かなくてはいけないこと、嫌いな授業を受けなくてはならないこと、きつい野球の練習に耐えること。
そして、この理不尽を感じたことと同じくらい、自分という人格が明らかになるきっかけを発見していると思います。
自分が生きていくうえで、何を基準に判断するのか、これが明確にあると、人生の舵取りが優位に進むと思います。
そして大切なことは、たまに、自分の価値観を俯瞰して見ることです。その結果、必要な調整を見出した先に見つかるのは、新たな価値観です。
何が起来ても不思議ではないこの時代を生きる子供たちは、いつも、非常に柔軟に、価値観をアップデートしているようです。
それを、いつも後から気付かされるのは、大人である私の方だったりします。
子どもだからと決して見くびることなく、いつも発してくれるメッセージを敏感に察知できる母親でありたいと思います。

前の記事へ

イヤイヤ期とモンテッソーリ教育との関係について

次の記事へ

兄弟でも全然違うよ。みんな違ってみんないい‼

関連記事

詳しく見る