子供を3人産むかどうか迷った話

2022年6月21日

子育て

第一章 初めての出産

結婚してすぐに子供を授かった私は、33歳でした。そしてギリギリ34歳での出産。できれば高齢出産を避けたかったので、35歳になるまでに子供を生めたことはとても嬉しかったでした。

私は姉が一人いる二人姉妹で、夫は兄が一人いる二人兄弟。ですので、結婚したばかりの頃はお互い子供は二人いたらいいね。や、もし子供ができるのであれば、一人っ子では寂しいから兄弟はいた方がいい。年齢が離れるよりは兄弟はなるべく近い方がいいなどの話をすることもありました。でも、授かれないこともあるかもしれないなど、弱気な話もでたりしました。

そんな中ありがたいことに、私たちはすぐに子供を授かることができました。妊娠中は、つわりが酷く一日中寝ていることも多かったです。半年以上つわりと戦う日々。早く終わって欲しいと毎日願っていました。そんな辛い日々を乗り越え、とうとう第一子が誕生しました。陣痛が始まってから、生まれるまで丸一日かかるキツイ出産でしたが、我が子を初めて見た時の感動は今でも忘れる事のない思い出となっています。

子育ては、ただ単に楽しいものだと思っていました。しかし実際のところはというと、きついことの方が多かったです。これは戦いと言っても過言ではありません。自分との闘いです。忍耐です。子供中心で自分の時間はほとんどなくなってしまうばかりか、疲労や睡眠不足などによる、体調不良など体の悩みも一気に増えました。しかし、子供は可愛いです。愛おしさがあるからこそ、この辛さを乗り越えられるものなのです。

長女は、3000グラム未満で生まれたのでミルクを飲む体力もあまりなく、飲み終わるまで時間がかかっていました。ミルクの前に母乳を飲ませていたのですが、母乳は飲むのに力が必要なため、最後には疲れてしまい哺乳瓶でミルクを飲まそうとしても途中で寝てしまったりするなど、あまり飲んでくれませんでした。体重が落ちてしまうと困るので、途中で寝てしまう娘を起こしながら、何とか粘って時間をかけ飲ませていました。そのため毎日親子共々疲れ果ててしまう日々。

私が産後一番キツかったことと言えば、寝起きの時に体の節々が痛かったことです。手首を始め、肘や肩。膝なども痛みました。起きてすぐは痛みでゆっくりでしか動くことができず、まるでなまけものの様な動きになっていました。動けるようになるのに時間がかかったため、娘が夜中に泣いてもすぐに抱き上げることができませんでした。ですから授乳するために、座った私の膝に夫が娘を乗せていました。そんな痛みは、20分以上すると徐々に消えていきます。ですから朝起きて、しばらくすると何事もなかったように動けるので日中は不都合なことは特にありませんでした。

そんなことが産後3カ月続いた頃、赤ちゃんのベビーマッサージの講座を受けました。その際、お産した産院の助産師に節々の痛みの事を質問することができました。何か病気が隠れていると怖いから、一度整形外科の受診をした方がいいと言われ従うことにしました。
病院では採血を取ってリュウマチの検査をすることになり、ドキドキしましたが結果は問題ありませんでした。しかし、これからなる確率はゼロではないと言われたのです。これからなるかもしれないし、ならないかもしれない。今度出産した時になるかもしれないとも言われ、今後の出産に不安を抱いてしまいました。

節々の痛みは何もしなくてもいずれ消えていくということでしたので、特に治療とかはありませんでした。そして痛み止めの薬は授乳中だったため飲めなくて、ただひたすら我慢です。そうしているうちに、時間はかかりましたが先生の言った通り痛みは徐々に無くなっていきました。

リュウマチになる可能性があるという問題は残っていましたが、日々の忙しさに押されそんなに気にすることはありませんでした。
授乳はというと、その後も母乳とミルクの混合で子供を育てていました。少しずつですが体重が増えていくにつれて体力もついてきたので、短い時間でたくさんのミルクを飲むことができるようになりました。そんな中、母乳の方を多く飲ませたいという思いが強くなっていき、どうしたらいいのかといつも考えていました。結果、頻回授乳で頑張り、飲ませていたら母乳も出るようになるのではないかと淡い期待を抱くようになったのです。その結果、だいたい産後六ヶ月過ぎた当たりから、少しずつですがミルクの回数を減らせるほど母乳が出るようになっていったのです。誰でもそうなるわけではないのですが、私の場合は粘り勝ちという結果になったのでした。他に何を努力しかかと言えば、食事や水分補給などです。日頃そんなに水分を取るタイプではない私は、たくさんの水分を取るのはとても大変でした。初めての子育ては、分からない事ばかりでしたので手探りの毎日。友達から聞いたりネットで情報を調べたりしたりしていました。ネットで調べると余計な情報まで目にすることも多く、自分の子供と比較してしまうなど悪いこともありました。皆、成長するスピードは様々です。比較して一喜一憂することはしなくてもいい事。ちゃんと自分の子供と向き合い、その成長を喜んで一緒に楽しんでいければいいと思います。

私の夫はどちらかというと、育児によく参加してくれていたと思います。いつも帰りは遅いので、平日のお風呂は私一人で入れていたのですが、帰宅後はミルクや寝かしつけなどを積極的にしていたのはもちろん、話しかけたり歌を歌ったりして、子供と遊んだりもしていました。とても仕事が忙しく帰りが遅かったりもするため、毎日同じようにという風にはなりませんが、在宅の時はよくしてくれていたと思います。子育てに参加してくれるのはとても嬉しいのですが、その反面口出しも多くよく意見がぶつかっていました。どちらも頑固ですので、一度ぶつかると長引くので大変でした。子育てに無関心な人もいる中、積極的に向き合ってくれるのは世間的には受けがいいと思いますが、夫は口出しが非常に多いタイプだったため、子育てに積極的なのも良し悪しだと私は思いました。

そんな慌ただしい毎日の中でも、長女が1歳を過ぎた頃から、二人目をどうするか夫婦で少しずつ話をするようになりました。私が子育てにまだまだ慣れない中、妊娠を考えてもいいのだろうか、こんな状況で二歳差の子供を育てられるのだろうか。三歳差に離した方がいいのではないか?産後のあの辛い関節の節々の痛みが、またあるのではないか。そしてリュウマチになる確率の事を考えると、不安にもなりました。このように考えると、悩みは次から次へと出てきます。しかしそんなことを考えるときりがなく、自分の年齢の事を思うとそんなに迷っている暇はないと思い妊活に踏みきることにしました。

生理がまだ安定していなかったのですが、早く子供を授かりたかったため、娘を生んだ産院を受診しました。結果、高温期が長く続いていないためこのままでは妊娠はできないと言われました。薬を処方してもらい、しばらくすると無事に子供を授かることができました。しかし10週を迎えることなく切迫流産になり、薬を飲んでひたすら安静にしていましたが、出血が収まることはなくそのまま流産してしまいました。初めての流産で、私はかなりのショックを受けてしまい、しばらくは突然涙が出てくるなど不安定な状態が続きましたが、気持ちを切り替えてまた妊活に戻りました。

第二章 二人目の出産

再び二人目の妊活を始めて、二カ月余りで妊娠することができました。

二人目の時もつわりが酷く、しょっちゅう寝込むこともありました。そんな日が続く中、また切迫流産になってしまったのです。上の子がいる中、自宅での安静の日々が二カ月以上続き精神的にもきつかったでしたが、実母が毎日手伝いに来てくれたおかげで、何とか無事に乗り越えることができました。安静が解け、外出ができるようになった時、上の子は公園が大好きなので、よく連れて行くようになりました。公園で子供が遊んでいる姿を見ていると、他の家族にも目が行くようになり「あら、三人兄弟なんだ。」「あそこは、二人兄弟なのかな?」「一人っ子かぁ」などと、見るようになりました。そうしているうちに、三人兄弟ってよさそうだなぁ、と思うようになりました。初めの頃は二人と考えていたのですが、二人目を妊娠してからは、外出先で子供にばかり目が行くようになったので、少しずつですが、三人生んだらどうなるのかなという考えが出始めたのです。とはいえ、まだ二人目の出産も終わってもいないのでその頃はまだぼんやりとした考えでした。

出産前には早めに実家にお世話になろうと考えていましたが、予定が狂って出産ギリギリになってしまいました。結果、里帰り出産で実家に行った当日の夜に、陣痛がきて病院に駆け込むことになりました。陣痛がき出したのは晩御飯を食べている時。急いでお風呂を済ませ、上の子の寝かしつけに入りました。寝かしつけの歌を歌いながら陣痛に耐え無事に寝た後には陣痛の間隔が狭まっていました。長女が寝てから病院に向かったため、病院についたときにはもう生まれる直前でした。子宮口がほぼ全開だったのです。陣痛がある中、車での移動はとても過酷。実家から車で三分という距離だったのが何よりも救いでした。次女は病院についてから約45分で生まれるというスピード出産。実家での出産にならなくて本当によかったです。でも、早めに実家に行って、出産までの間は少しでもゆっくりできたらと思っていたのでその面ではとても残念でしたが、甘えん坊の長女が寝ている間に出産できたらと前々から考えていて、それは希望通りでしたので良かったです。出産は、いざやってみないとどうなるのかわからないからとても不安になります。それに出産は毎回違うというので、本当にドキドキしました次女は長女と同じく3000グラム未満でしたが、長女よりは少し大きかったのでミルクをよく飲んでくれるかと期待していたのですが、大きく裏切られてしまいました。

母乳をあげても吸っている感じはなく、哺乳瓶でミルクを飲ませようとしても、なかなか飲まなくてとても時間がかかり、さらに変な音までしていたのです。飲もうとするのですが、上手にできないので次女は最後には疲れ果てていました。
母乳をなかなか飲んでくれなかったため、対策として搾乳をして哺乳瓶で飲ませることにして授乳をしていくことにしました。

退院するときには、ギリギリ体重をクリアしたので良かったのですが一週間検診のときには体重減少でひっかかり、入院してしまいました。入院中は搾乳した母乳を届けに会いに行きました。看護師さんたちが頑張ってくれて体重も増え、5日で退院することができました。
結局哺乳瓶で飲むときに、変な音がしていたのはハート舌のせいだったのです。ハート舌だと、上手にミルクを飲むことができない原因になります。

次女は、母乳を直で飲めるようになったのは生後二か月を過ぎてからでした。それまでずっと搾乳をしていたので本当に大変でした。洗い物も多かったのはもちろん、飲ませるのも一回の授乳にあたり平均50分かかっていました。三時間おきの授乳なのに、一回当たりの授乳に時間がかかるので次の授乳との差が余りませんでした。赤ちゃんも授乳するのに疲れていましたが、こちらも同じく疲れ果てていました。

実家をでて、普段の生活に戻ってもまだまだ授乳に時間がかかっていたので大変困りました。でも、次女も少しずつ成長をし、大きくなっていくので飲む力も増えていきます。少しずつですが授乳時間もだんだん短くなり、負担も軽くなっていきました。とはいえ、他の子と同じように飲めるようになったのは6カ月あたりになった頃でした。もう、離乳食が始まるころです。二人目育児は、想像した以上に大変でした。長女は赤ちゃん返りもありましたし、療育にも行くことになりましたので、とにかく毎日がバタバタしていました。
二人の子供でてこずっていたので、しばらくは三人目の事なんて考えることはありませんでした。

離乳食はというと、次女は何でもパクパク食べてくれたのでその面では救われました。次女はその後順調に成長をし、特に問題もなく大きくなっていきました。

次女が色々と興味を持ち始め、表情も豊かになってくると家族を始め祖父母までメロメロになっていきました。長女は赤ちゃん返りもあったのですが、今まで自分だけ見ていてくれた人たちが次女にいっちゃうのがとても悲しかったようでよくすねていました。
長女のフォローをするのも大事なこと。子供が増えると楽しいことも増えていきますが、今までなかったことも増えていきました。あと、子供の喧嘩などもそうです。どっちかに肩入れしてもよくないし、お姉ちゃんだからなんていうのもよくない。ずっと見ているわけではないので、どっちが先に手を出したのかなんて分からないことも多々ありました。喧嘩の仲裁が、私は苦手です。どっちかをフォローすると、片方が納得しなくてさらにエスカレートしたりもするのでお手上げ状態。三人になったらどうなのだろうと、思ったりもしました。三人になると社会ができる。なんて言うのも聞いたりしました。しかし、二人でこんなにてこずっているのに、三人なんて無理なんじゃないのかな。なんていう考えもたまによぎったりもします。仕事が忙しい夫は帰りが遅いので、お風呂も私が一人で入れます。二人入れるので体力も消費します。お風呂もですが、車で出かけるのも私一人だと大変でした。チャイルドシートに乗せるのも時間がかかりますし、雨だとびしょびしょになるのが辛かったです。しかし、二人とも女の子でしたのでそんなに激しく暴れることもなく、何かとスムーズにいくことが多かったのかなと思いました。洋服は、上の子のお下がりをそのまま使えるので、経済面でもそこまで負担になることもなかったです。しかし、ミルクをたくさん飲む次女はミルク代がかかりました。一歳あたりからフォローアップミルクに切り替えたので金額は下がったのですが毎日たくさん飲むのでお金がかかったというのは、ミルク代くらいでした。

子どもがいて楽しいのは、子供と触れ合う時間です。そして子どもが二人で遊ぶ姿は何とも言えない可愛さがあります。喧嘩は大変ですが、楽しそうに遊ぶ子供たちはやはり微笑ましいものでした。そういう姿を見ると、ちらほらと三人目の迷いが生じるのです。
しかし、夫は三人目については積極的ではありませんでした。いてもいいけどどっちでも。と、いう考え。夫は仕事で帰りが遅いので、育児のほとんどの負担が私にかかるというのが理由で、三人目をどうするか決めるのは私に任せると言いました。
確かにそうですが、もっと意見を言ってほしいのが正直なところ。しつこくどうするか聞いていると、夫もだんだんと考えてくれるようになりました。

第三章 三人目を生むことを決めた理由

三人目の子供を生むかどうかを決めるのには、とても悩みました。三人の子供を連れているお母さんを外出先で見かけてはいいなぁと思い、家でバタバタと子育てに追われている時にはやっぱり無理!と、思ったり迷いの繰り返しでした。
あとは、自分のキャパを超えてしまうのではないかと、悩みもました。でも、外出先で見かける三人兄弟なのかなと思われる子供たちを見ていたら、子供同士で話している姿はとても魅力的に見えたのです。二人で話しているのと、三人では全然違って見えたからです。あと買い物しているお母さんの横で、子供三人が汽車ポッポで仲良く遊んでいる姿もとても可愛かったのも印象的でした。そういう姿を見ていくにつれて、気持ちは二人よりも三人に偏っていったのです。

三人目の判断は、私のキャパにもかかっていました。その当時、長女が療育に通っていて、送迎などに時間がとられていたのがあったからです。とにかくそんな時間がない私に、三人も育てられるのか。それに、長女と次女の歳の差は二歳。三番目の子供を産むとしたら私の現在の年齢を考えると、また二歳差しかできません。二人を生んでみて二歳差はとても大変でしたので、さらにまた二歳差の子供が増えるとなると、迷いが生じてしまいます。しかし、私の年齢を考えたらこれ以上年を離して生むことはできないので、他の選択肢はありませんでした。だからこそ決断がなかなかつかなかったのです。

そういう状況でしたのでネットでの情報検索も欠かせませんでした。三人の子育てについて色々と調べてみたら、やはり結構大変だったいう意見が多かったです。色々な情報を集める中、三人目の決断をするきっかけになる大きな出来事がありました。それは、私の父の手術です。
父は、私が二人目を生んで里帰りをしていた時に癌が発覚しました。検査を重ねてやっと手術をする当日、父の兄弟夫婦達もそろって来てくれました。家族の待合室とは別の部屋になったのですが、みんな待っていてくれたのです。手術中は母と姉の三人だけで待っていたので心細かったのですが、終わった時に叔父や叔母が待っているところに行ったとき、顔を見たらとてもホッとしたのを覚えています。父は五人兄弟。一人だけ県外に住んでいたのでいなかったのですが、他の兄弟は夫婦そろって来てくれていました。6人の叔父と叔母がいてくれたのは心強かったです。この時兄弟が多いというのは、こういう事なんだと思いました。

子どもは何人生むかと考えるまで、兄弟の人数なんて気にもしていませんでした。自分が二人姉妹でも、他に兄弟がいたらなと思うこともなかったし、友達で三人兄弟もいましたが何も気に留めることもありませんでした。でも、一人だけ三人姉妹で二人の妹がいる友達がいたのですが、三人はとても仲良しで、大人になっても一緒に遊びに行くのはもちろん、結婚してからも仲良く出かけたりしていたので、それは羨ましく思ったことはありました。その友達は高校から仲良くしている子なのですが、妹二人もその頃から一緒に遊んだりしていたので、大人になっても私も何度か一緒に出掛けたりすることがありました。三人は二歳差でとても仲良し。私は、姉とは4歳離れていたので中学校過ぎてからはあまり仲良く遊ぶということはなかったで、友達の姉妹はまるで友達みたいな感じにも見え、年の近い兄弟はいいなと思っていたのは覚えています。子供の頃に感じる思いと、大人になってから感じる思いは変わりました。子供の頃は、遊び相手くらいにしか考えていませんでしたが、大人になるにつれて遊び相手はもちろん、相談相手、そして助け合い支えあうこともできます。

父の入院中に、父の兄弟夫婦と母の兄弟夫婦のお見舞いが、たまたま一緒になった時がありました。母も同じく5人兄弟で3夫婦と一人(旦那さんが他界)が来てくれていました。叔父と叔母だけで13人でしたので病室に入りきれなくて、お茶などを飲めるスペースのあるフロアに移動しました。皆でワイワイとお茶を飲みながら話をして過ごしたのですが、兄弟夫婦だけでこの人数、目の当りにしたら凄いの一言でした。皆に囲まれた父は、本当に嬉しそうでしたし安心した様子でもありました。両親を見ていて兄弟が多くて羨ましいなと思いました。兄弟が多いと結婚したらパートナーも加わりますから、さらに人数が増えて賑やかになるものだということもこの時意識しました。父の手術を境に、子どもは一人でも多い方がいいなと実感し、子供はやはり三人だと思ったのです。

私もそんなに若くもないので、子供たちに兄弟というものを残してあげられたら、それが一番のプレゼントにもなるのではないかという考えもありました。私たち夫婦に何かあっても、兄弟で助け合いができるのではないかと思えたら、それだけで私も安心します。
ずっと悩み続けやっと三人目をと決めたのに、妊活をいつするかと考え出した矢先、新型コロナウイルスが世間を騒がせ始めました。妊活をするかどうかまた迷うことになったのです。ただでさえ感染したらどうなるのかと不安なのに、妊娠だなんて考えられませんでした。
しかし、もうタイミング的にラストチャンスが近づいていました。最後の悩みの中、決断したのは生むという事でした。今いる娘二人に、さらに兄弟を作ってあげたいという思いの方が勝ったのです。

妊活を始め、三人目の妊娠も意外と早かったでした。
三人目も、また切迫流産の危機があり二カ月半の安静期間を乗り越え無事に安定期までたどりつくことができました。今回の切迫流産は、半分の確率で流産すると言われていたので、本当に心配しました。
安定期に入り、療育の心理士の先生と話す機会があったのですが、子供三人で、しかも二歳差の子育ては本当に大変だよ。と、言われました。とにかく親が大変。子供達もなかなか甘えられないから寂しい思いもする。でも、いつかは子供達のためになるから!三人になると社会ができる。二人だとただの話になるけど、三人になると話し合いになるから。小さい時は大変だけど、大きくなると力になる。大変だけど頑張りなさいと励まされたのです。心理士の方が話してくれたことは、私が想像していた三人の兄弟像と同じだったのでとても嬉しかったです。たくさん迷ったけれど、三人に決めて本当に良かったと思いました。

妊娠が進むにつれて、お腹の子の名前を話し合いだしたのですが、なぜだか女の子と勝手に決めつけていました。なぜかというと、すでに女の子二人はいたのですが、私自身も姉妹だし姉の子供も女の子二人、きっと私の家系では女の子が産まれる確率が高い。だから、今回も女の子!と信じていたのです。そしてもちろん名前も女の子の物しか候補に挙げていませんでした。
ある検診の日、待合室で名前の本を見ながら他にいい名前はないかと探していた直後、診察室で性別を告げられたのです。なんと男の子。思わず、えー!と声が出ました。先生も意外な反応に面白がり、ほらここに見えるでしょと笑いながらエコー画面を指差したのでした。女の子とばかり決めつけて、三人姉妹だから。などと未来の姿も勝手に想像していたのでショックも大きかったです。その気持ちは二週間くらい引きずりました。次の検診も、再度確認したくらいです。私は姉妹で育ち、周りが女ばかりだった環境で過ごしてきたので、男の子の子育てには不安しかありませんでした。しかし気持ちを切り替え、同じく上二人が女の子で、二番目が男の子を育てている友達に子育ての状況を聞いたりして、情報を集めることにしました。実際、上二人が姉妹で、弟を一人持つ友達がいたので大人になってからの事も聞くことができました。

聞くところによると、上に二人のお姉さんがいる男の子は優しい子になる傾向があるという事でした。
男の子の子育てに大きな不安を感じていたので、それを聞いたら安心し残りの妊婦生活も落ち着いて過ごすことができました。

第四章 三人目を生んでみて思ったこと

三人目の子供を出産するときは、早めに実家に帰って少しはゆっくりしたいと考えていました。次女を出産する時は、里帰りした当日に陣痛が始まりゆっくりなんてできなかったからです。三人目の時はというと、やっと実家に帰れたと思った矢先、今度はおしるしらしきものがあったのです。それは実家について3時間のことでした。

産院に連絡して確認したら、いますぐに来院するように言われたのでした。
先生は二人目を出産の際、私が子宮口全開で来たため、スタッフ全員がお産の準備で慌ただしくなり、先生も急に呼ばれたため今回は、それを阻止しようと考えたとのことでした。
結局来院してから3時間後には、陣痛が始まったのです。そしてそのまま出産。私としては、できれば娘二人を寝かしつけした後に産院へ行きたかったと思い、娘たちに寂しい思いをさせてしまったなと、それだけが心残りでした。そんなお産の途中、私の母から電話で娘たちが無事に眠ったと聞き、ホッとしてその後はお産に集中することができました。娘たちは寂しがり屋で、夜は私がいないと泣いたりするのでとても気がかりだったのです。そうしている中、無事に長男が誕生しました。
私は妊娠後期から腰痛で眠れない日々が二カ月程続き、その状態のまま出産したので、寝不足のまま長男のお世話がスタートしたのです。ですから、眠れない日々がそのまま続行というわけです。入院中は長男だけなので、気持ちも体力も余裕がありましたが、退院後はこの睡眠不足の中で三人の子育てが始まると考えただけで疲労感がアップしました。幸いにも産後の体調はとてもよくて、どこかが痛むなどの事もありませんでした。

退院し長男を連れて帰ると、四歳の長女は可愛い可愛いと、とても喜んで長男から離れませんでした。しかし二歳の次女はじっと見つめ固まりしばらく動きませんでした。長女は長男をとても可愛がり、お世話をする時もよく手伝ってくれます。ただでさえ長女は自身でできることもぐっと増えていたので、それだけでも助かっていたのに、さらに手伝うとなるととてもありがたかったです。長女のお手伝いはというと、オムツやおしりふきを持ってきてくれる簡単な事はもちろん、おもちゃを使って泣いた長男をあやしたり、赤ちゃんの気を引くようなしゃべり方をしたりして、それはほぼ大人と変わらない程上手なものでした。

あとはお尻の臭いをかいで、「おならだけだったよ!」や、「これはうんちもしているよ!」などと、判断をして私に教えてくれていました。離乳食が始まるころには、長女が長男に食べさせてくれたり、ミルクを飲ませてくれたりもしました。なかなか私の手が回らない時も多く、長女の手伝いはとても助かりました。ですから、私が忙しい時など、長男に離乳食あげて!とよくお願いしてしまいます。だけどまだまだ4歳なので、もちろん見守ることはしていました。しかし長女は長男に話しかけながら、なかなか上手にミルクをあげたり、離乳食をあげたりしていました。

そして自分たちの食事を運んだり、食器を下げてくれたりなど、気が向いたらしてくれるお手伝いも増えてきてぐっとお姉ちゃんになりました。三人の子育てに追われる私を見てなのか、だいぶしっかりしてきたのです。三人目を生むまでは、ワンオペで三人の子供の面倒を見るとばかり思っていたのですが、違いました。子供も成長するということを忘れていたのです。長女がこんなに手伝ってくれると、本当に助かります。下に妹や弟ができたらこんなにもしっかりするものだと驚く程でした。
長男の出産前に心理士の先生から、長女は三番目の赤ちゃんは面倒見るだろうが、二歳差でイヤイヤ期である次女の事の面倒は見ないだろうと言われていました。そして、そのとおりでイヤイヤ期真っ盛りの次女は、長女とぶつかってばかりで長女は次女の事をよく避けていました。次女が洋服をうまく着られなくて困っている時、長女にお手伝いをお願いしたことがありましたが、嫌だとはっきり断られてしまいました。それに遊びたくないなど、長女もはっきりと言うものですから、次女はますますひねくれてイヤイヤが増すばかりでした。長男の世話や家事で追われる私は、なかなか仲裁にも入れなくて好きでイヤイヤ言っているわけではない次女は、辛い思いをしていたのかもしれません。寂しさなどもあって、イヤイヤも強くなっていたので本当に大変でした。例えば着替える時や、ご飯を食べる時、お風呂に入る時やお出かけする時も、いろんな場面でイヤイヤが出ました。泣いて嫌がるし、対策として選択肢を出しても必死で抵抗してきました。そんなもどかしい日々を過ごしていき、長女が5歳になり次女が3歳になった頃になると、次女はまだイヤイヤが出るのですが、長女と一緒に遊ぶことがぐっと増え、二人でこそこそとままごとしたり、お絵かきしたりして遊んでいました。長男はというと、まだ1歳前後だったので一緒に遊ぶと言うよりは二人をじっと見ていたり、はいはいで後をついて回ったりしていました。歩くようになったら行動範囲も増え、益々姉二人にまとわりつくようになりました。

長女は、小さい子供が大好きなのでよく遊んでくれました。次女と長男が喧嘩をしだしたら、必ずと言っていいほど長男の事をかばっていました。次女が叩いてきたら、体を張ってかばったりもしていました。よく喧嘩もしますが、仲良く遊ぶときは次女の面倒もよく見てくれるようにもなりました。後は次女のトイレに付き添ってくれて、拭いてくれたのがとても驚きでした。この頃になると洋服を着るのも手伝ってくれるようになり、二歳差なのに長女は面倒を見てくれました。この次女のトイレの手伝いは、気が向いたときにしかしてくれませんが、私がお風呂に入っていたりして長女がするしかないという時や、私がお願いと頼んだときにはしてくれました。こういう長女の姿勢を見てか、次女も手伝いの幅をだんだんと広げてきてくれました。自ら手伝うと申し出てくれることもあります。たまには長男の遊び相手にもなったりして、次女も少しずつ成長を見せてくれました。しかし年が近いので、私が長男を抱っこしていると次女はライバル心むき出しになり、すぐに自分もと言ってきます。それは、一年たっても一年半たっても変わりませんでした。それどころか三歳の次女はますます対抗心が増していったのです。お姉ちゃん部分も見えてくるが、まだまだの所もありますのでこれは仕方がありません。

長男が言葉を話すようになってきたら、少しずつですが三人で遊ぶようになってきました。まだまだ長男は遊び相手にはなりませんが、二人の遊びに混ざるようになりよく笑うようになりました。その姿はとても微笑ましく、とても嬉しいものでした。
上に二人の姉がいるので、長男の成長は早かったです。ご飯を食べるのも遊ぶのも、体を動かして遊ぶこともずっとじっと見つめて、真似をしていたからです。
あと、男の子の兄弟しかいない子に比べると、長男は大人しいし動きもそこまで激しいものではありませんでした。このまま大きくなるとどうなるのかはまだ分かりませんが、この様子だと穏やかな子になるのではないかなと思っています。

あとは、とにかく三番目の子は可愛いです。末っ子長男ということもあると思いますが、メロメロになってしまいます。長男ばかり可愛がらないように気を付けてはいますが、たまに夫から指摘を受けることもしばしばあります。

三人生んで、とても賑やかになったことと、子供達も遊び相手が多くなると遊びの幅も広がり楽しそうです。結論から言いますと、私は三人生んでとても良かったと思います。子育ては想像以上に大変ですが、後悔はなく、むしろそれ以上にかけがえのない時間を過ごすことができました。これからの成長がとても楽しみでもあります。

 

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