子供の成長につれておこった育児のつまづき

2022年3月9日

子育て

第一章

世間に「育児書」と呼ばれる物は多数存在しますが、「育児書通りにいく子育て」は果たしてどれほどあるかを考えた時に、私はそんなもの無いのでは?と思います。
もちろん子育てに悩み、行き詰まり、ネットや育児書で同じようなパターンを調べた結果、悩みが解消された!というようなケースもあると思いますが、私は見事に検索沼にハマったあげく親子ともに辛い時期を過ごした経験があります。

それは長男が生後3か月の頃。初めての育児で右も左も分からず手探りで必死に子育てをしていた私は、産院で教えてもらった「絶対母乳論」と「授乳は片乳10分ずつ計20分を3時間おき」という教えを忠実に守って生活をしていました。
2時間半で泣き出してもなんとか30分間抱っこで誤魔化して3時間という間隔を守ったり、逆に4時間空いてしまったら子供が寝ていても慌てて起こして授乳したりと、今思えば神経質になっていたと思います。

それでも特に問題はなく夜中も3時間おきの授乳で過ごしていたのですが、ある日授乳を終えておっぱいを離すと、いつも寝るか満足そうにご機嫌になっていた子供がぐずりだしました。
「あぁ、まだお腹いっぱいになっていなかったんだな」と思い更に授乳を続け、30分近く授乳をしたのでこれで今から3時間は大丈夫だな・・と思っていたのに、子供はその後2時間ほどでまた泣き出しました。

おかしいなとは思ったものの、赤ちゃんは理由もなく泣くものらしいしこの日はたまたま機嫌が悪かったのかなと思い、まだ前の授乳から時間もそんなに経っていないので抱っこで寝かしつけをしました。

しかしそんな事がその日から頻繁に起こるようになりました。

しっかり授乳しても3時間どころか2時間も間隔を空けずにぐずりだしてしまう。
抱っこをすれば何とか寝てくれるものの、激しく泣いてしまう。
夜中もおっぱいを離せば泣くのでずっと咥えさせた状態で離れられない。

状況はどんどん酷くなり、私はもう1日中授乳をしているか抱っこをしているかのどちらかの状態でした。

「どうしてこんなに泣くんだろう?」「どうしてまとまって寝てくれないんだろう?」

答えが欲しくて、私は授乳や抱っこをしながらスマホで毎日毎日検索を繰り返しました。
でもそこに書かれていた答えは
・赤ちゃんは泣くのが仕事なので、オムツが清潔で、授乳もしっかりして、あとは部屋の温度に気を付けてあげれば多少は泣かせても大丈夫!
・黄昏泣きと言って、夕方に意味もなく泣く赤ちゃんは多い
・うまく眠れなくて泣いているのでは?寝ぐずりはどの赤ちゃんもするので問題はありません。
・成長している証拠。よほどおかしな泣き方をする以外は心配しなくて大丈夫。

といったように、「赤ちゃんは泣くもの」といったような記事ばかりでした。

それらを読んでは
「大丈夫、大丈夫。みんなこうなんだ。赤ちゃんは泣くものなんだ!」

と自分に言い聞かせて、1日中家の中でも抱っこ紐をつけて極力泣かさないように抱っこをして、なるべく授乳の時間の間隔が空くようにと頑張っていました。

それでもあまりにもぐずる時間が多く、特に夜中は一晩中授乳の地獄の日々でした。
やっと寝たと思って私もウトウトしだすと隣から「ふえぇ・・」と鳴き声が。

あまりにイライラして子供を乱暴に引き寄せて授乳をした私を見た夫は
「イライラするのは分かるけど、それはあまりにも子供がかわいそう。俺が夜中の抱っこでも何でも代わるからそんなに乱暴に扱わないで」

と言われました。

夫の言いたいことはよく分かります。心配してくれた気持ちも有難いです。
でも早朝から夜遅くまで激務の夫を夜中に起こすなんてとても出来るわけもなく、私はさらに孤独に追い込まれた感覚がして、一人でひっそりと泣きながら朝まで授乳をしました。

「もしかして・・母乳が足りてないのでは⁈」

と思い始めたのもその頃です。
もちろんすぐに検索をして答えを探しました。

すると、やはりうちの子はお腹がすいているから泣いているのだという確信に似たものを覚えました。
それなら答えは簡単です。ミルクを足してお腹いっぱいにしてあげたらいいのですから。

でも私はそこですぐに「ミルクを足そう」という考えにはなりませんでした。
それはやはり産院で「母乳」を強く推奨された事と、ネット上に溢れる「母乳神話」を信じ込んでしまっていたからかもしれません。

必ずしも母乳のみで育てる必要はないと頭では理解していても、でもここまで問題なく母乳だけで育ててきたんだからここで諦めたくない!いう葛藤がありました。

そこで、「母乳を増やす方法」を検索するようになりました。

母乳を増やす食べ物
母乳を増やすにはどうしたらよいのか
そもそも本当に母乳は足りていないのか?

毎日毎日ネット検索をしては自分の納得できる答えを探していました。

そしてこんな答えを見つけました。

「今は母乳が足りていなくても、ずっとあげ続けることで体がもっと母乳の生産を増やさないといけないと気付き、子供に必要な量を作れるようになる。そうなるまで約二週間ほどかかるが、ミルクに頼ると必要量の母乳が作られなくなってしまうので諦めずに授乳をし続けましょう」

文面は違いますがこのような内容で、これはまさに私の求めていた答えだったと思います。
だから私は「今のままで間違っていなかった!このまま頑張ればあと少しでこの暗いトンネルを抜けられる!」という希望をもち、昼も夜もまともに眠れない日々を約2か月過ごせたのだと思います。

しかしそんな日々はある日突然終わりを告げました。

それが「市の3か月検診」です。私の住んでいる地域は少し遅めに案内が届くので、うちも検診を受けたのは生後4か月の時でした。

そこで初めて同じ月例の子供たちをたくさん見て、我が子の小ささや成長の遅さに驚きました。
他の子供達はふくふくとした手足で、一部の子は既に寝返りもしていました。
そしてなによりも印象的だったのは今にもぐずりそうな我が子と違って、とても機嫌よくニコニコしている子供達の表情でした。
子供達も、他のお母さん達も、全てが自分たちとは違い何もかもが順調に見えました。
精神的に参っていたのでそう見えただけかもしれませんが。

その検診では身長や体重測定はもちろん、発達の悩みを保健師さんに相談できるので、そこで私は現状の悩みを相談するつもりでいたのですが、こちらから相談する前に保健師さんは言いました。

「お母さん、お子さんの発達があまり順調とは言えないかもしれない。身長も体重も成長曲線の最低ラインでしょう?この子は多分すごくお腹が空いていると思うの。ミルクを足すと母乳が出なくなるかもしれないという不安は分かるけど、今、お腹が空いて泣いているこの子を何とかしてあげるのが先じゃないかな?躊躇せずにミルクを足してあげよう」

この言葉は私の心にストンと降りてきて、

「あぁそうか。私は間違っていた。やっと分かった。」

と、憑き物が落ちたかのように我に返ることが出来ました。

 

「今すぐにミルクをあげたい」

3か月検診の帰り道にドラッグストアで哺乳瓶やミルクの粉を購入して慌てて帰ったのを覚えています。

「ごめんね・・ずっと気付いてあげられなくて本当にごめんね・・!」

帰ってすぐにミルクを作ると、ゴクゴクと一気に飲み干して満足そうな顔をした我が子を見て謝らずにはいられませんでした。

その後は積極的にミルクを足していったおかげで体重も右肩上がりに増え、昼や夜もまとまって寝てくれるようになりました。

どうしてもっと早くミルクを足さなかったのか。どうして偏った情報ばかりを信じてしまったのか。今思えば冷静さを欠いていた行動には反省してもしきれませんが、ワンオペ育児でネットの情報しか頼る所がなかった私のような家庭は多いのではないでしょうか?

もしも、今、当時の私に声をかけてあげられるなら「頑張りすぎないで」と伝えてあげたいです。

第二章

私には今4人の子供がいます。上から9歳、7歳、5歳、3歳で全員が2学年差の男の子です。
なのでよく「子育てのベテランだね~」とか、「すごいパワフル!子育てが余裕だからそんなに産めるんだね!」などと言われますがもちろんそんなことはありません。なぜなら子供は全員個性がバラバラで、産むたびに新たな気づきがありますし、一人目で通用した育児ノウハウが二人目には全く通用しなかったりするからです。

第一章でのつまづきから脱し、もうネットの情報ばかりを信用してはいけないと学んだはずなのに、ネット検索は一人で育児に奮闘するワンオペママにとっては育児のバイブルであり、心強い味方であり、何よりも頼りになる存在なので簡単には手放せません。

一人目を出産した直後から起こった「2人目問題」でも早速ネットで色々と検索をしました。
何人産むのか?年齢差は?1人目とは違う性別を望むのなら産み分けは?何歳差が1番育てやすいのか?保育園に入れるなら何月産まれを狙うのか?
次から次へと疑問が出てくるので、ヒマな時間が出来るたびに延々と調べては自分なりの正解を探していました。

結局は2学年差での出産を希望した私は、妊娠に時間がかかるかもしれないからと早めに妊活を始めた結果、予想よりも早く第2子を授かることができたので長男が1歳半頃、私は妊娠後期のいわゆる「臨月」でした。

望み通りの2学年差。でも1歳半の長男は活発で、お外が大好きで、自我が強くて、何に対しても反発をしてきて、気にくわないことがあると泣きわめく、つまり「イヤイヤ期」というものでした。そのくせ言葉の発育が遅く、1歳半検診では意味を持って話せる単語があまりにも少なかったために「要観察」という認定を受けてしまい、この時期私の悩みの種は尽きることはありませんでした

イヤイヤ期の子供の扱い方。1歳の子供への接し方。1歳半の言葉の発達。年子育児。2人目の育て方。などなど、気になる事はとことん調べて、その中で当時私が育児の軸として確立したことが

・テレビやスマホに子守りをなるべく頼らない
・とにかく毎日出来る限りお外遊びに付き合う
・離乳食は毎食手作り。レトルトは外食時などの、どうしても無理な時だけ頼る
・下の子が産まれても絶対に上の子を優先させる

というような、今思い返しても自分に厳しいものでした。

中でも特に私を苦しめたのが「テレビやスマホに頼らずなるべくお外遊びに付き合う」でした。

子供が産まれる前からテレビやスマホに頼る育児に批判的な意見が多いのは分かっていたので、もとから後ろめたさがあり、なるべくは知育玩具や絵本で相手をしてあげよう!とは思ってはいたものの、描いていた理想は、実際に1人で育児をしていると自分を追い詰める強迫観念のようなものへと姿を変えました。

それでなくても長男は私にべったりの子で、1日中どこにいても家中ずっと私を追いかけ回し、遊んでとせがむか、外に行きたいと怒り泣くかのいわゆる「育てにくい子」でした。
なので夫に預けたり、一時保育に預けることに抵抗があり、「私がいないとダメなんだ」という強い思い込みに囚われ、次男を出産するまでほとんど離れたことのないくらいに母子だけで過ごしました。

そのうえ、スマホ検索で見かけるアドバイスと言えば
「スマホ育児に頼ると表情の乏しい子供になる」「テレビばかり見せると見も悪くなるし、自分で考える力が発達しない」と言ったネガティブなものばかりで、毎日いかに1日を過ごすかに悪戦苦闘していました。

長男の朝は早く、5時台には起床。4時半頃から起こされる日もありました。
起きてから8時ごろまでが1日のうちで1番が機嫌が良かったので、その間に朝食の準備・掃除洗濯・お昼ご飯の準備・自分の身支度をバタバタと済ませられるだけ済ませます。

朝と夕方だけはNHKの子供番組が充実している時間帯なのでお世話になると決めていて、テレビを見てくれている間だけは唯一自分のペースで動ける貴重な時間でした。
と言っても番組の内容によってもその差は大きく「おかあさんといっしょ」だと安心して離れられるけど、「にほんごであそぼ」だとぐずるときもある、といったような感じで波があったので常に近くにはいないといけなかったのだけが難点でしたが。

そうこうしているうちに、お気に入りの番組が全て終わってしまうのがだいたい8時20分頃。
終わるとすぐに「あぁあ゛―!」とどこかへ連れて行けと怒りだします。その時点ですぐに外に出られる状態でないとずっと泣き続けるのでなるべく早くお出かけしなければなりません。

行き先はいつも決まっていませんでした。ほとんどのご家庭では家から一番近い公園が毎日のルーティンになる事が多いかと思いますが、なぜかうちの子はいつも同じ公園だと許してくれなかったのです。
とりあえず近所の公園に行ってみますが、その日の気分ではないとベビーカーから降りる事さえ拒否して不機嫌な顔で「ここではない」ことをアピールします。
そうなるとその公園はスルーして別の公園へ行かざるを得ません。多いときは3~4か所の公園をはしごすることも珍しくなかったので、1日8時間公園にいたという日もありました。

公園だけでは行ける範囲に限界があったのでショッピングセンターや児童センター、また、電車が大好きだったので新幹線を見に行ったり環状線を1周したりと、子供を連れて行けそうな場所には全て行きました。遠出をしたり初めて行く場所に連れて行くと、とても喜んでくれる子だったので喜んでくれる姿を見る事だけが毎日の私のモチベーションでした。

そんな生活は次男が産まれてからも続きましたが、さすがに新生児期は外に連れ出せないので家の中でいかに満足してもらうかで毎日必死でした。おもちゃを買い込み、テレビにももう少し頼り、とにかく家中のありとあらゆる物と場所を提供してなんとか家で過ごしました。

2人目は勝手に育つと周りから聞いていたのですが、次男は長男と同じく眠りが浅くすぐに泣く子だったので結局家の中でも抱っこ紐を使用し、退院後すぐから1日中抱っこをしながら長男の相手をするという毎日。よくあの頃の自分、体調を崩さなかったなと今頃になって我ながら感心しています。

そんな中で心がけていたことは
「下の子が産まれても絶対に上の子を優先させる」という事。

次男が産まれる前から決めていた通り、多少次男が泣いていても長男を優先させましたが、やはり長男からすると次男という存在自体が許せない部分もあったのでしょう、少しでも目を離して子供2人だけにするとすぐに次男の泣き声が聞こえてくるので急いで戻ると、次男の顔や手に引っかかれた傷あるという事も日常茶飯事でした。

何もかもがいっぱいいっぱいの毎日で、どうしようもなく、3人で大泣きした日もありました。

今思えば真面目に頑張り過ぎました。
もっとテレビやスマホに頼って家でゴロゴロする日があっても良かった、もっとレトルト食品に頼って手を抜けば良かった、もっと理想の母親像のハードルを下げれば良かった、と思います。

そんな今振り返ると地獄のような毎日をどう乗り切ったのかと聞かれると、結局は時間が解決してくれたとしか言いようがありません。2歳頃になると長男ともだいぶ意思疎通が取れるようになり、相変わらずお外は大好きでしたが以前ほどの激しさはなくなっていました。

弟への敵意も日に日に落ち着き、気づけばオムツを替えてあげようとしたり、絵本を読んであげようとしたりと、目を離すと引っ掻いてばかりだった頃からは想像も出来ない成長を遂げていました。

育児に行き詰っている時に「時間が経てば解決する」「手がかかるのは今だけ」といった声をかけられた時の「そんなことを聞きたいわけではない!」という苛立ちにも似た気持ちは自分自身が身に染みて分かっています。

なので、そんな月並みのことを言うのは歯がゆいですが、もし今同じような悩みを持ったお母さんに出会ったら
「今は本当にツライと思うし、終わりが見えなくて不安だと思う。今すぐこの状況を解決出来る答えが欲しいと思う気持ちはよく分かるけど、時間と共に解決することもたくさんある。とにかくまずはお母さんの気持ちのケアを優先して、自分のご機嫌をとって無理をしないで下さいね」

と声をかけたいなと思います。

第三章

「初めての子育て」と聞くとなんとなく乳幼児期のイメージをもちますが、初めての子供が5歳になっても10歳になっても親としては初めての経験だらけで、子供の成長につれて様々な悩みが出てきます。
生後3か月で母乳不足で悩み、1歳半の頃にはイヤイヤ期や赤ちゃん返りで悩み、その後も言葉の発達の遅れや初めての幼稚園での集団生活など、悩みは尽きませんでしたが、それでも大きな問題はなく長男は小学1年生になりました。

学校での勉強や毎日の宿題に文句は言うものの楽しく通っていたのですが、それは夏休みの明けた9月のある平日に突然始まりました。
その朝、いつも通り学校へ行く準備を終え登校間際になって、突然長男が「お腹が痛い・・」と言い出しました。
え?じゃあ早くトイレに行きなさい!と声をかけたのですが、「・・・・・。」と黙り込む長男。
どうしたの?黙ってたら分からないよ!お腹が痛いならとにかくトイレに行っておいで!学校遅刻しちゃうよ?と声をかけ続けると
「・・・学校・・・行きたくない・・・」
と弱弱しく答える長男。

この時点ではまだ「登校拒否」とまでは思い及ばなかったので、「昨日学校でなにか嫌なことあった?」「今日嫌な授業がある?」と色々と詮索してみるも、「行きたくない」の一点張り。
行きたくないでは分からないでしょ?誰かに嫌なこと言われるの?何かひどいことされたりした?
とにかく急なことで私自身どうすれば良いのか分からず、ただ納得する理由が欲しくて質問攻めにしてみるも長男は泣き出すばかりで何にも言いません。

登校時間はとっくに過ぎ、もうすぐ門が閉まる時間です。休むなら学校に電話をしないといけないけれど、休む理由はなんと言えばいいのだろう?
そもそも理由も分からず学校を休ませていいのだろうか?一度休めると分かると、このままズルズルと休みグセがついてしまうのではないだろうか?など、様々な思いが駆け巡りました。

「とりあえず行こう?」「行ってみてしんどかったら保健室に行けばいいし、どうしても無理だったらお迎えに行くから」と、何とか行ってもらおうと声をかけ続けますが長男はただ泣き続けるばかり。
段々と私もイライラしてきて、「泣いてたって分からないでしょ⁉」「理由もないのにお休みするなんてズルいんだよ、分かる⁉」と、声を荒げて怒鳴ってしまいましが、それを聞いた長男の泣き声も大きくなるばかり。
とても行けるような状態ではなくなったので、その日は「体調不良で・・」と学校に連絡をして休むことにしました。

「学校には休むと連絡したから今日はお休みしてもいいよ」と伝えると、長男は途端に泣き止みテレビを見だしました。
それを見てやっぱりズル休みだったのでは?無理にでも行かせた方が良かったかな?とも思いましたが、その時は1日休んでリフレッシュすれば明日からはまた元気に登校出来るだろうと思いなおし、その日はのんびりと長男と過ごしました。
翌日は昨日休んだ後ろめたさからかすんなりと登校したのでほっとしたのもつかの間、その翌日には「学校に行きたくない・・!」とまた泣き出し学校には行けませんでした。

そこからがいわゆる「不登校」の始まりでした。

朝になるとお腹や頭が痛くなり、布団からも出てこられなくなりました。どれだけ優しく諭しても、きつく叱っても、このまま休み続けるとどうなるのか話し合ってみても、どれも子供の心には響きませんでした。
父親が休みで家に居るときには「甘えるな!」と、怖いくらいに怒鳴りつけて、服を引きずって玄関の外に引っ張り出したこともありましたが、家の外でも狂ったように泣き続けるのですぐにこちらが根負けして結局休ませました。

担任の先生はとても熱心な先生で、毎日電話を代わって声をかけてくれたり、放課後も毎日家まで来てくれて、どうにか少しでも心を開いてもらおうととても努力してくださったのですが、初めの頃こそ先生とおしゃべりをしていた長男も、段々と先生を避けるようになりました。

どうして学校に行けないのか理由を聞いても「勉強がいやだ」「〇〇さんに嫌なことを言われた」「給食がしんどい」など、毎日色々な返答をするのですがどうもどれも「何か言わないと」と考えながら話しているような雰囲気で、これといった理由は見つかりませんでした。

学校のスクールカウンセラーの先生にも相談しました。でも「きっとお子さんはとても真面目。学校生活に少し疲れてしまったのだろうから、好きなだけ休ませてあげればいつか自分から行くときがきますよ」と、好きなだけ休ませてあげるようにアドバイスされて終わりました。

確かに不登校の子供への対応方法などを本やネットなどで調べてみると
「とにかく無理をさせずに休ませてあげましょう」というような内容をよく見かけました。
周りの友達などに相談してみても
「1年生だったら休んでも勉強が遅れるようなこともあまりないだろうし、気にせず休ませてみたら?」
と言われました。

でもその時の長男は学校の近くを通ることさえ怖がり拒否、先生から電話がかかってくるだけでトイレに逃げ込み、学校の話をするだけで顔を曇らせるような状態で、「本当にこのまま休み続けることが最善なのだろうか?」と不安で仕方ありませんでした。

そんな中で、担任の先生だけは「まるっきり学校から離れてしまうと戻りにくいだろうから、毎日少しでいいので学校まで来たり、門をタッチして帰るだけでもいいので学校のことを1日1回は思い出す時間を持ってほしい」と言われていました。

最初は先生に会うことはもちろん学校の近くを通ることさえ無理だった長男をなんとか励まし、門の前を通り過ぎるところから始まり、クリアできたら次は門の中に入ってみる。次は保健室まで行ってみる。と、少しずつ少しずつ学校に慣れさせていきました。

どうやら長男の場合は「学校」に対してではなく「友達」に対して苦手意識があるようで、保健室まではなんとか来れたものの、友達に見つかりそうになると異常なまでに拒絶反応を示しました。
そこで、人の行き来が多い保健室に長居するのでなく、特別に普段使用していない教室を1つ貸して頂き、そこで私と2人で過ごしてみようという事になりました。
個室を与えられたことと、親の私がずっと一緒にいることで安心できたのか長男はそこでの勉強は嫌がらずに毎日通えるようになりました。

そこで次は少しずつ友達と触れ合う機会を作って頂きました。最初は不登校になる前に長男と仲良しだった友達を1人だけこっそりと教室から連れてきてもらい数秒だけ顔を合わせました。
そこから給食を運んでもらったり、プリントを運んでもらったり、他のクラスメイトには秘密にして特定の友達と少しだけ会う機会を作ると、友達に対する苦手意識は薄れていき、少しずつ会える友達の数も増えていきました。

そんなある日いつものように特別教室からクラスの方を眺めていると、廊下にいたクラスメイトが長男に気づき手を振ってくれました。すると周りにいたクラスの子たちがみんな長男に気づき、嬉しそうに「おー―――い!」とたくさんたくさん手を振ってくれたのです。長男は照れ臭そうに、手を振り返しました。

そこから教室に戻れるようになるのに時間はかかりませんでした。

教室に戻ってきた長男を温かく迎え入れてくれたクラスメイトと、最後まで諦めずに一生懸命励ましてくれた担任の先生には感謝しかありません。

不登校の日々は突然やってきて、突然去っていきました。
当事者になってみて初めて感じた葛藤、自分の対応は正解なのかという不安、出口の見えない焦り、色々な感情を体験しました。

当時は正解が欲しくて必死でしたが、ひとくくりに「不登校」と言ってもその子の性格や家庭環境、なぜ行けないのかという理由などによって対応は異なると思うので、正解なんてものはなく、きっとその子に合わせて親子ともに手探りで答えを見つけていくしかないのだと今ならそう思います。

あれから2年ほど経った現在、長男は毎日学校に通っています。当時のことを聞いても「なぜ行けなかったのかよく分からない」と言っています。

我が家の場合は約半年ほどの出来事でしたが、精神的にも肉体的にもとても長い長い半年だったように思います。

きっとこれからも子供の成長に合わせてたくさん悩み、つまづき、一喜一憂しながら親も成長していくのだと思うので、どんな困難も一つ一つ、子供と一緒に乗り越えていきたいです。

 

前の記事へ

公務員の男性職員の育児休暇は?大分県の取組が素晴らしい

次の記事へ

ママの疑問。『父親の育児参加』男性はどう考えてる?

関連記事

詳しく見る