我が家のケース〜自閉症スペクトラム疑い〜

2022年4月4日

発達障害

確信に変わるまで…

2019年の夏、私たちにとって待望の第一子が誕生しました。
私たち夫婦は再婚で年齢も年齢なので、障害など心配はしていたものの息子は健康に生まれてくれました。
私にとっては4人目の育児の始まりです。
息子は本当によく泣く子で、寝たと思っておろすと敏感に感じ起きる…を繰り返していて、久しぶりの乳児に疲労困憊状態。抱っこしても泣いていることも多く、どうしてこんなに泣くのかわかりませんでした。ぐっすり寝たと思っても、背中センサーの敏感さは群を抜いていました。
長女も生後2ヵ月頃までよく泣いていたので、いつかなくなるかな?くらいの感覚しかなかったのです。
よく泣くと同時によく笑い、目をみてこちらの話をきいてる様子もあり、その頃は心配なことはありませんでした。
離乳食が始まると、不思議に思うことが増えていきます。
まったく食べない、進まない…手作りも食べない、市販の離乳食に関してはフルーツ以外食べたことはありません。息子の様子を見てると、食に興味がないわけではなく、口に入る感覚が嫌なようでした。月齢にあった離乳食を口にいれるとオエッっとなり、うまく飲み込めない様子で、おかゆより普通にたいたお米を好んで食べていました。違和感は感じつつ、まだ上手に食べれないのだろう、それも個性だと思っていました。しかし、生後1歳になっても食べれるものは極限られていて、私の経験上でここまでの偏食はかなりの違和感がありました。
納豆・ヨーグルト・白米・おやつ(ボーロは食べない)・スティックパン・いちご・キウイ・バナナ・ぶどう・パインだけでした。飲み物は水やお茶、牛乳も飲んでくれたので助かりました。この頃からほんの少し自分の中で疑いを持つようになりました。【偏食】っというキーワードから、もしかしたら発達障害があるのかもしれないと結びつきました。しかし、まだまだ個性、成長速度の違いという感覚の方が強かったです。
1歳を過ぎ、少しづつ私の疑念は膨らんでいくことになります。
それは【言語遅滞】…言葉の遅れです。息子は腰の座り、ハイハイ、つかまり立ち、歩き始めなど、身体能力に関するものは通常の月齢より早く習得してました。
9ヵ月の頃には歩き、1歳の頃は上手にテクテク歩けていて、運動が出来る子なのかもと思っていました。
しかし言葉の面では、1歳を過ぎても喃語をほんの少し話す程度。まず、あまり声を出さない子でした。「男の子は言葉が遅めだよ」や、旦那も言葉はかなり遅かったそうで「顔も旦那に似てるから言葉も似て遅いだけだよ」など…周りは心配しなくても大丈夫だと言ってくれていました。確かに、保育園にも行っていないので、上の子たちと比べると遅くても仕方ないのかもしれないと、私自身心配しすぎなのかもしれないと思うくらいでした。
1歳頃の子は意味のある単語が3~10は出る、あくまでも平均的な基準があるのですが、息子は0。意味のある言葉はまったく出ていませんでした。喃語の破裂音「ぱ」は言えていたので、旦那はよく「パパって言った」っと喜んでいましたが、私は3人育ててきたのでそれが通常のパパと違うことはわかっていました。
しかし、こちらの言うことはかなりわかっていて指示も通り、いないいないばぁや、バイバイなどのジェスチャーも出来ていたので、やっぱりただ言葉が遅いだけなのかな…と心配と大丈夫だという気持ちが行ったり来たりしていました。
1歳5ヵ月でようやく「パパ」が出るようになり、いないいないばぁをするとき「ばぁ」も言えるようになり、1歳6ヵ月で「ママ」が出ましたが、明らかに語彙数(言葉の数)が他の子と比べられないくらい少なく、気にはなりつつも言葉が出たということ自体が嬉しかったです。
今から言葉が溢れ出てくる…そう信じていました。言葉の爆発期が来るんだと…
しかし、一向に来ませんでした。少しづつ言える単語は増えていきましたが、1歳10ヵ月でも1歳程度の単語しか出ていませんでした。私は毎日息子といるので、身体能力と言葉の発達の差があまりにもあり、私の中でどんどん不安が膨らんでいきました。
それでも、お手伝いが大好きで、目を合わせてコミニケションもとれる。特段困っていることは偏食以外はない。それが現状でした。
保育園に行っていたり、近くに祖父母がいたり、ママ友と交流があればもしかしたら困ることがあったかもしれませんが、夫婦の考えで幼稚園からと決めていましたし、転勤族ゆえに祖父母も近くにおらず、コロナでママ友との交流もない状態だったので、外からの刺激がない状態だと元々ゆっくり成長する子は更にゆっくりになっても仕方ないのかもしれない…そんな思いもありました。
気になるのは言葉の遅れと、偏食。私の知っている【自閉症】【発達障害】とは少し違う印象で、この頃は本当にどうしたらいいのかわかりませんでした。
周期的に襲ってくる不安、周りに励まされてまたしばらく様子を見ようと思う日々を過ごしていました。
1歳半すぎた頃、アンパンマンにハマりだした息子は『だだんだん』が大好きでだだんだんは言えるようになりましたが、この年齢で言えるはずのアンパンマンは言えず。
ようやくアンパンマンらしき言葉が出たのは1歳10ヵ月頃でした。
しかし発音がおかしく、『アンクンクン』(喉で音を鳴らし、鼻から出すような発声)と言うのです。
バナナもずっと『ばー』のまま、お茶も『クク』っと喉で音を鳴らし、鼻から出すような発音でした。話せる単語が出てきても発音の不明瞭さは明らかでした。
そして、語彙数や発音の不明瞭さだけではなくあと一つ気になっていたこと…それは【相槌や共感】でした。
先ほど書いたコミュニケーションが取れているというのは、息子がしてほしいことがわかる・嫌なことがわかる・指示が通るというコミュニケーションで、【相槌や共感】はまったく出来ていませんでした。
どこか違う世界にいる息子に話しかけているような感じでした。
「お花きれいだねー」「これ食べる?」「ここが痛いの?」っと聞いても返事が返ってくることはなく、「うん」や「ううん」のジェスチャーさえなかったのです。
これはさすがにおかしいと思っていました。上の子たちも、上の子たちの保育園でも聞いたことのない話し方でしたし、いくら言葉が遅くても、「うん」くらいはするだろう。
周りはやっと話し始めたところだし、私が息子の気持ちを汲み取りすぎてるから返事をしなくても息子自身何も困らないからじゃないか、今から発音も変わってくるし、私が少し汲み取ることをやめれば返事もするようになると言っていましたが、その後も不思議な発音は増えていき、息子にただ話しかける日々で、返事が返ってくることはありませんでした。
ネットで調べ、私にできることはしていました。こちらは正しい単語で返す(「アンクンクン」っと息子が言うと「アンパンマンだね~」など)や、絵カードを使ってみたり、汲み取りすぎないようにわからないふりをしたり、参考になる動画を見たり。しかし、正確な発音で言うことも返事が返ってくることもありませんでした。
ただひたすらどこか別の世界にいるような息子に話しかけ、返事や何かしらのジェスチャーが返ってくることがない日々を過ごしていました。
周りは考えすぎだと言う、旦那もわかってくれない…孤独で不安な日々でした。
2歳2ヵ月のある日、ある言語聴覚士の方の動画を見ました。そこで話していたのは【構音障害】という障害についてでした。それを見たとき『これだ!』と思いました。その言語聴覚士の方の動画を全て見終わるころ、私の中の今後がハッキリ決まりました。
そして、勇気を出してその言語聴覚士の方にメッセージを送りました。すると返事を頂けて、その内容を見て初めて心の底から思ったのです。
『病院へ行こう』
息子の中で【なにか】が起きていると確信したのです。
言語聴覚士の方は私の話を決して心配しすぎだとか、否定せずに聞いてくれました。その時涙が溢れてきて、ずっと不安で孤独でどうにかしたかったんだと自分の気持ちがわかった瞬間でもありました。
一緒にいる時間が長い母親だからわかることもあり、周りからその不安や心配を否定され続けると孤独になり、一人で抱えてしまうようになります。
私もそうでした。私が心配しすぎなんだろう、気にしすぎなんだろう…大丈夫、みんなそう言ってるし。っと言い聞かせていました。
しかし、もう周りに何と言われても病院へ連れて行くと決めてからはブレることはありませんでした。これがきっと息子の為になると信じていました。
ただ一つ懸念がありました。病院に行くにはクリアしなければいけない問題…息子は大丈夫と信じている旦那の説得するという難問です。しかし、それまで母親である私がウダウダ悩み、行ったり着たりしているうちに息子は2歳3ヵ月…もっと早く決断できなかった自分が情けない、やるしかない!そう思い、旦那と話し合いました。
あれこれ考えましたが旦那にはストレートに言うことに。
「やっぱり息子は言葉が遅い。偏食も心配だけど、返事がないこととかなん言葉が遅いのか調べたい。何かあるなら対処してあげたい。このまま様子を見る年齢じゃないと思う」っと。
今までずっと息子は言葉が遅いだけで大丈夫だと言ってきた旦那でしたが、意外とすんなり合意してくれたのです。更には「自分もその話をしようと思ってた」っと話し始めました。
その会話の数日前、旦那と息子が二人で公園に行ったのですが、そこで息子より3ヵ月小さい男の子と会ったそうで、その男の子が息子より遥かにしゃべれていて、お父さんともコミュニケーションが取れていてびっくりしたのだそうです。その男の子が息子に話しかけてくれているのに息子は嬉しそうにニコニコし、その子に近づいただけだったと。
旦那は子育てもしたことがなく、こうして公園で同じくらいの子と出会うこともなく、わからなかったらしいのでしが、その光景を目の当たりにして初めて【なにか】を感じたそうです。そして「ずっとこんな思いをさせてごめん。出来ることはしていこう」っと言ってくれました。
旦那の説得がいとも簡単に終わり、更には私の気持ちや今までのことを理解してくれて、やっと息子に起きていることがわかるんだととても安心しました。

行動した先にあったもの…

旦那の説得があっさり終わり、次にやること…それは【耳の検査】です。
色々調べたところ、言葉が遅い時はまず聴覚検査を勧めるという記事をよく目にし、動画で見た言語聴覚士の方も聴覚検査を勧めていました。
新生児スクリーニングテストをパスしていても稀に後からわかることもあるのだそうです。
転勤で来た土地だったため、とりあえずネットで良さそうな個人病院に行くことに。
しかしまだ、2歳3ヵ月だと起きてる状態の検査は難しいということで、大学病院に紹介状を持って行くことになりました。大学病院ではあらかじめ眠くなる薬をお尻から入れて、眠ってから防音室に入り、脳波で聞こえているか調べるというものでした。
結果は後日聞きに行くようになっていたのですが、医師の方の話し方で異常なしではないなと思いました。
結果は【経度難聴】30dbという結果でした。30dbというのは葉っぱの音、外での小さな声などが聞こえないレベルです。日常生活で困ることがなければ特に何かする必要はないと言われました。再検査もしたければするけど、しなくてもいいと。
何かする必要がないと言われても、異常があったことにショックを受けました。耳は聞こえてるだろうっと思っていたからです。再検査したところで出来ることもないのであれば、息子にわざわざ嫌な思いをさせる必要はないと思い、再検査は受けないことにしました。
耳の検査と平行して、前から気になっていた個人病院の小児科で発達相談や、訓練をしているという病院に予約を入れていました。その病院は珍しく小学校に行ってからも訓練が受けれる、市では何ヵ月と待たなければならないのですが、翌々週には初診の予約が取れました。
予約の日の為に、息子の詳細を記録した冊子のようなものを作り持参しました。当日は私への聞き取り、息子の様子を見たり、息子に話しかけたりというもので終わりました。私が作った息子に関する記録も読み、【円城寺式乳幼児分析的発達検査】というものに当てはめていっていました。その結果、息子は2歳3ヵ月で言語理解が1歳5ヵ月相当、発語に関しては1歳1か月という結果でした。反対に移動運動の項目は3歳2ヵ月…
運動と言葉で2年の差がありました。わかっていたことでしたが、事実を突きつけられ帰りの車で泣きました。息子のこれからが不安で、どうなっていくのか怖くてたまりませんでした。
元々発達障害の子供を持つママ友もいましたし、発達障害がある・ないという差を自分の中で持っている意識はなく、むしろ割とフラットな感覚だと思っていました。
しかし、医師から直接「何らかの特性はあるかもしれない」っと言われた時、言いようのない気持ちが襲ってきたのです。先生は3歳にならないと正確な判断はできないと言っていましたが、言語面と運動面の差が大きいこと、感覚的な過敏があることなどを踏まえても何らかの特性があるかもしれないと…
ちゃんとわかったらスッキリするだろう、先が見えるだろうと思っていた私は覚悟していたとは言え、全くスッキリせず、先も見えず、ただただ怖かったです。
旦那の帰りを待って、事実を伝えました。旦那は信じたくないようで、私に「息子はこんなことも出来るし、これは言ってるし」っと一生懸命話していました。「そういうことじゃないんだよ…」っと返したのを覚えています。
そこから更に苦悩の日々が始まったのです。旦那はとにかく信じたくないようで、出来ることを増やそうと躍起になっていました。私は息子のすること全てが【発達障害】を起因とする行動に見えて堪りませんでした。息子はおもちゃを並べるのが好きで、トミカなどを走らせるような遊びはせず、ひたすら綺麗に並べていました。少しでも乱れると怒って全てグチャグチャにしてしまうのです。また、話せないのでクレーン現象も多く、ただ普通のことでも私は過剰に反応してしまうようになってしまいました。
発達障害だったとしても、自分たちの出来ることをしてあげる、そして息子が困らないように助けてあげなければ。その想いでいっぱいでした。
しかし、この想いは合っているようで間違っているんです。この時の私はまだわかっていませんでした。本当の意味での【息子の為になること】を…
愛する息子であることに変わりない。それは綺麗事です。悩みぬいてその苦悩を乗り越えた人か、発達障害ではない子を持つ人の綺麗事。当事者、その最中にいる親は【愛する息子であることに変わりない】っと必死に言い聞かせて、何とか踏ん張っているのです。
語弊があるかもしれませんが、実際可愛いのは変わりないのです。しかし、医師からそう言われてから目の前にいる息子が私の知らない息子になってしまったような感覚でした。旦那含め、周りの人は「病院に行けば何かしら言われる。診断されるものだ。信用ならない」っと言っていました。そう言われることも想定していました。周りにとっても可愛い息子、孫、甥であるわけで、毎日一緒にいるわけではないので、信じたくないし、信じられないだろうと思います。でも、私の目の前にいる息子は発達障害にあてはまる状態なのです。それが現実なのです。
私はまた孤独になりました。
それでも進むしかありません。言語の訓練が始まり、言語聴覚士の先生からの評価もあり、人とコミュニケーションを取りたいと思っていない様子だと言われました。息子のコミュニケーションは要求であると。
また、口腔内の感覚過敏(偏食)もすごいので、運動面でも評価があり、仰向けになることや特定の動きが苦手という評価が出たので、作業療法士の先生の訓練も入ることになりました。
言語聴覚士の先生の評価と、作業療法士の先生の評価から正式に 【自閉症スペクトラム障害の疑い】と言われました。
その頃の私は息子が困らないように、しっかり生きていけるようにしなくては…という思いに支配されていました。発達支援を受けるために【受給者証】を取得して、療育施設を探さなければ…車も旦那が乗っている一台しかないからバスで通えるところにしなければ…など、家族は誰もわかってくれない、自分で何とかしなければいけないと自分を追い込んでいました。
旦那は療育施設に通うことに反対でした。不愉快に思われる方もいると思うのですが、我が家のリアルなのでお話させて下さい。旦那の反対の理由、それは「もし、息子に発達障害があったとしてもそれは経度だと思う。だから、発達障害が自分にあるって知った時にどう思うかわからない。息子より重度の子がいて、そっちに症状が寄っていくんじゃないかと思うと怖い。これでいいんだって思ってほしくない」っということでした。「でも、息子は普通じゃないんだよ!」っと怒鳴り、泣きながら言いました。自分で言いながら自分でとても傷つきました。
「このまま言葉が遅かったら幼稚園もどうなるかわからない。普通の子(ここでは定型発達の子をそう言わせて下さい)と一緒に過ごせるようになったらいじめられるかもしれない。トイレトレーニングだって言葉が出ないと始まらない。偏食でみんなと同じごはんだって食べれない。毎日毎日何を食べさせよう…何を食べてくれる?って考えて食べてくれない。人と違うところが多すぎる」っと言っても分かり合えることはありませんでした。
「俺だってママだって人と違うところがある。それも特性だと言えばそうでしょ。息子が特別なわけじゃないよ」と旦那は言っていました。
その意味を、全く理解できませんでした。
たまたま平日に休みが取れ、訓練の日だったので、旦那も一緒に行くことになりました。
言語訓練を1時間、作業療法を1時間。旦那はその後先生と二人で話をしていました。長く話していたと思います。そして帰りの車で「初めて訓練を見て、毎回ママがこんな気持ちでみてることを知った。先生と話したけど、とりあえず療育施設を探して話を聞こう。でも療育に行くかはまだ答えが出ない。息子が発達障害だったとしても、俺は普通の子と過ごさせたいし、息子が発達障害だからあれこれ特別なことをする意味がわからない。でも、息子にこういう訓練が必要なことはわかったし、ママの気持ちもわかった」っと話してくれました。先生と何を話したのか、私は今もわかりませんし聞きません。でも、先生と話して頑なだった旦那の意見が少しだけ緩くなったのはわかりました。

その後~現在まで

それからというもの、躍起になって療育施設を探しました。発達クリニックの先生に教えてもらったり、口コミを見たり…バス送迎や交通手段のない遠い場所にある施設でよさそうな所があっても、旦那は療育施設に通うことに反対しているようなので、車を借りることはできない。毎日のように話し合い、喧嘩していました。自分の息子のことなのにどうして協力してくれないのだろう…と思っていました。
旦那は子煩悩で、息子を溺愛しているのに、どうして息子の為に協力してくれないのか私には理解できませんでした。
通園手段をクリアできないのですが、1件良さそうな療育施設を見つけて問い合わせました。問い合わせて良かったら通園手段は自分でなんとかしようと思っていました。しかし、今年度はもう定員がいっぱいのようで来年度の受付まで待機になるようでした。確かにそうです。その時12月に入ろうかという時期だった上に、良さそうな所なので簡単に入れるわけはないどです。
その療育施設に問い合わせた時、担当の方に「お母さん、辛かったでしょう。よく頑張ってきましたね。僕で良ければ何でも言って下さい。もう抱えなくて大丈夫ですよ」っと言われました。なんて暖かい言葉なんだろうっと電話を切った後息子を抱きしめながら泣きました。
家の雰囲気も悪く、旦那とも喧嘩が増え、誰もわかってくれないという気持ちでいっぱいで、素直に話すこともできなくなっていました。そんなことを知っているかのように話してくれて、あの担当の方の優しさは忘れられません。
ある日、発達病院の先生と話している時に「息子が生きていくうえで困らないようにしなくてはという思いが強すぎてどうしたらいいのかわからない。発達障害というだけでまだまだ理解されないから、息子が傷つかないようにしてあげたい。周りはみんな息子は普通だというけど、あれもこれも目についてしまう。ちゃんとしてあげなきゃと思えば思うほど辛い」と相談をしたのです。
先生は「それはお母さんだから当たり前のこと。でも、その想いが強すぎると逆に息子君や家族、自分を追いつめてしまうようになる。ひとつ質問だけど、息子君今何か困ってることありそう?言葉が遅いけどなにか不便がありそう?」っと聞いてきました。私が答えに悩み、考えていると先生は「そういうことです」っと言って笑いました。
なぜかその先生一言で、その時わかったのです。確かに言葉が遅いことはサポートしてあげないといけないけど、この子は今、何も困ってない。助けを必要とはしてない。
憑き物が落ちたようでした。私は先回りして、【みんなと同じように生きる】ということを何よりも優先して考えてしまっていたのです。息子が困らないようにと思うばかりに、今困ってないこともどうにかしようとしていました。旦那のいうことが少しわかたように思いました。
誰よりも私自身が息子の結果を受け入れられてなかったのです。発達障害という障害に囚われていたのは私だったのです。
息子は【息子なりに】生きていけばいいのです。家でいくらトミカを綺麗に並べようと、並べたトモカを眺めようと、几帳面だろうと、家では思う存分息子でいればいいのです。
どの行動が【自閉症スペクトラム】に当てはまるかなんて考えなくて良かったのです。ただ一つ、困ったことがある時にサポートするだけでよかったのです。
そして先生は続けて「発達障害というのは人が勝手にカテゴライズした結果なだけで、定型発達の子も発達障害の子も我が子が困っているのを助ける、サポートするっていうのには変わりがない。発達障害の子はそのサポートが定型発達の子より少し多い、工夫が必要だというだけだと僕は思ってます。障害っていう名前が付くからややこしくなるのかな。でも、それも発達障害があるお子さんを守る為のカテゴライズネームだったりするからね」と。
私はずっと大事なことを見失っていました。息子を守る為の名前だたのかもしれませんが、大事なことを見失うくらい、障害という響きはとても重かったのです。
きっと幼稚園に行けば息子は、色々大変なことがあるし、困ることもあるだろう。しかし、その時に対処すればいい。息子自身が困ったこと、助けてほしいことに対処していけばいいのだ。その為には柔軟な考え、周りの助けが必要なのだ。発達障害だから助けてほしいではなく、息子がこんなことで困っているから助けてほしいと言えば、私の家族は助けてくれるに違いない。今はただ訓練で成長する息子をほめていこう。出来ること、出来るようになったことに目を向けていこう。そう思えました。綺麗事かもしれませんが、綺麗事も言えなかった私がそう思えることが少し前に進めたということだったのかもしれません。
息子は週2回の訓練と、週1回の一時預かり保育園で沢山の刺激を受け、目覚ましい成長を見せてくれました。
詳しい訓練の内容は書けませんが、訓練という感じではなくて【人との繋がり】を学んでいたような気がします。私以外からの刺激がとても良かったのだろうと思います。
まず、最初に感じた成長は、私が言った言葉を真似ようとすることが増えたことでした。まだまだ発音はできてませんでしたが、私と関わろうとしてくれることがわかり、とても嬉しかったです。そして、首を縦に振ったり、横に振ったりして私の問いに答えようとするようになりました。「お茶飲む?」の問いかけに首を振る。それだけでも天にも昇る気分でした。こんな当たり前のことが嬉しくて、幸せに感じれるのは息子が自閉症スペクトラム疑いだからこそです。
そこから成長の一途を辿り、クンクンという独特の発音もなくなりました。
息子とコミュニケーションを取れることがどんなに嬉しくて、どんなに幸せなことか…図り知れません。
そして私は療育施設へは行かないという決断をしました。
この決断が正しかったかはわかりません。【自閉症スペクトラムの疑い】があれば、療育施設に通ったほうがいいということもわかっています。でも、息子を見てると今は必要ではないと思うのです。訓練はまだまだ必要ですが、受給者証を取って、療育手帳を取って…は今じゃないと思っています。
年が明けてすぐ、我が家の転勤が決まってしまい、たった3ヵ月でその病院と離れることになってしまいました。しかし、訓練をしてから3ヵ月で息子は先生が驚くほど成長しました。その3ヵ月で私が、息子が、どれ程救われたか言葉にできません。知らない土地へ行っても大丈夫と思えました。
私は息子は【自閉症スペクトラム】ではないとは思っていません。まだまだ課題はあります。偏食も全然進歩してないですし、成長するにつれて感覚過敏が酷くなっているところもあります。言葉もまだ同じ2歳8ヵ月には追いついていません。
転勤先では市の訓練に通うことにしました。民間の療育施設は予約はすぐ取れるのですが、受給者証を貰わなくてはいけないのです。今の息子に必要なものではないと思っているので、少し待っても市の訓練に通う決断をしました。
予約の日までまだ少しあります。息子の記録を追記するために、久しぶりに記録の冊子を見ると本当に息子が成長した記録があり、家族で乗り越えた証がありました。
そして、幼稚園のプレに通うことにしました。刺激を沢山受けて、息子なりの成長をしてくれればそれでいいのです。
これからも沢山悩み、この障害を嫌になることもあると思います。現に今はシャンプーが嫌すぎて泣き叫ぶ2歳児です。いつか通報されないかと困っています。更に口腔過敏が増して、歯磨きも至難の業です。ですが、息子が持ってきてくれたこの【特性という個性】を私も楽しめるように、これからも息子の半歩後ろで見守っていきたいと思っています。

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