コロナ禍での育児

2022年3月30日

子育て

第一章 妊娠発覚〜出産の様子

不安な妊娠生活の幕開け

2020年1月中旬頃、妊娠が発覚しました。妊娠が判明する少し前ごろから「中国の武漢で肺炎が流行っている」というニュースが出てきました。当時私は大都市の駅ビルで接客業をしていました。外国人観光客も毎日何人も接客します。その中のほとんどが中国人の観光客でした。アパレル業ということで、(当時は)マスクをすることもできず、不安な気持ちを抱えながら接客していました。
前例のない、目に見えないウイルス。妊娠中の自分が罹ったらどうなってしまうのか?お腹の赤ちゃんへの影響は?毎日テレビやネットのニュースを見ても不安になるばかりでした。駅ビルということで、不特定多数の人と接する機会は仕事をする限りなくなりません。いっそ、辞めてしまおうか?と何回も思いました。

不安でいっぱいの妊婦健診

コロナの不安を感じたのは妊婦健診に行くときもでした。不妊治療をしていた病院から紹介された病院は、大きな総合病院でした。悪阻もあったので車の運転もできず、仕方なくバスで通っていました。
狭いバスの中に20分ほど座って病院へ向かう。そして病院の中に入るとまたもや沢山の人々。玄関では「発熱していて近所の病院で診察してもらえないから来た」と大声で受付に訴えている人も見かけました。毎回の健診にコロナ感染の恐怖が付きまとっていました。
また妊娠前から夫婦で楽しみにしていた妊婦健診も、付き添いができないことになっていました。せめて一度だけでも一緒に赤ちゃんのエコーを見てほしいと思っていましたが、結局一度も見てもらう事はできませんでした。旦那さんもとても悲しがっていました。病院の規定で、写真や動画も取れず、エコー写真だけが唯一旦那さんが見ることのできるものでした。健診の付き添いがだめなので、パパママ教室もありません。資料を渡され、「読んでおいてください」で終わりでした。初めての妊娠出産だったので、わからないことばかりです。パパママ教室は旦那さんにとっても貴重なものだと思っていたので、とても残念でした。

出産準備も一苦労

友人にも会う事も出来ないので出産準備等の情報収集はSNSに頼りっきりでした。もちろん気軽に買い物へも行けないので、ネットショッピングを利用しましたが、実際に商品を見ることが出来ずとても不安でした。買い物へ行きたくても感染が怖くて行けない…そう思いながら準備を進めていました。『赤ちゃん用のガーゼが売っていない!』とニュースになっていたのもこの時期です。買い物を最低限の時間でしたいと思っていましたが、ガーゼや体温計は本当になくて何軒もお店を回りました。

里帰りさえ簡単にできない

いよいよ里帰りの時期になりました。コロナが流行りだした当初は、里帰り自体を受け入れないといった病院もあったそうですが、里帰り先の病院からは、里帰りをしてから2週間待機し、何もなければ健診にくるようにと言われました。34週までには里帰り先で健診を受けてほしいということを前々から言われていたので、その週数より2週間前から里帰りをすることになりました。そこで産休の日程も2週間前倒しにしてもらいました。幸い職場からは快く送り出してもらう事が出来たので、大きな問題はなくほっとしました。
更に、里帰り先の病院からは「出産前にPCR検査を受け、陽性が出たら他の病院へ転院し、場合によっては帝王切開になる。」と、言われました。また「現時点では立ち合い出産
を中止しています。」とも言われました。「状況によっては時間の制限を設けて立ち合うことができるかもしれませんが、条件として、(2週間前より)同居している家族一名のみになります。」と言われました。つまり里帰り出産の場合は、基本的に旦那さんは立ち合いができないというものでした。また、退院するまで誰にも会うことができません。産まれるときも、産まれてからも、退院するまで誰にも会う事ができないの?と、とても不安な気持ちになりました。

やっと産院での出産が確定!

臨月に入り、いよいよ出産間近に。予想通りコロナは終息することもなく、立ち合い出産・入院中の面会不可のままでした。ここまでくるともう開き直ってしまい、一人で頑張るしかないという気持ちでした。あとはPCR検査で陽性が出ないことを祈るばかりでした。検査の数日後、PCR検査が陰性であることがわかりました。この産院で産むことが出来るんだ、とやっと安心することができました。38週目の出来事でした。

おしるしがきた!

予定日の朝ちょうどにおしるしがあり、いよいよ出産だなという実感がわいてきました。それから2日経った頃、いつもとは違うお腹の痛みを感じていました。午前4時、産院に電話をし、車で向かう事になりました。陣痛の間隔は5分になっていて、産院へ向かう途中も痛くて話せない程でした。
産院に着くと玄関で助産師さんが迎えてくれました。「ご家族の方はこちらまでになります。」と言われ、玄関の前で母親と別れました。これから退院するまでは誰にも会えないのか、と心細く思いました。その後の診察の結果、子宮口が4cm開いていたので入院となり、個室へ案内されました。看護師さんからはPHSを渡され、「何かあったら電話してね」と言われましたが、個室で一人、数分毎にやってくる陣痛にじっと耐えるのはとても辛かったです。

コロナ禍での出産

6時を過ぎた頃、もう限界だと感じたので、「麻酔お願いします…」と看護師さんに連絡をしました。こんなこともあろうかと、事前に無痛分娩の予約をしていました。分娩先の産院では、無痛分娩の説明会に参加していれば、いつでも無痛分娩にしてもらえるというものでした。きっと一人で長時間痛みに耐えることは精神的に辛いだろうと思い、無痛分娩ができることも、この産院に決めた一つの理由でした。
無痛分娩に向けての診察や処置が終わり、痛みから解放されたのは8時前でした。そこでやっと旦那さんや家族に連絡を取ることが出来ました。一人で陣痛に耐えるのが辛かったこと、麻酔の処理の際に助産師さんが近くにいてくれてとても心強かったこと…人によってそれぞれだと思いますが、私はやっぱり旦那さんにそばにいて欲しかったと思いました。因みに、基本的に一人以外の時は陣痛がきていてもマスクを着用しています。

マスクの上から酸素マスクをつけて出産

健診でも言われていましたが、赤ちゃんは首にへその緒を2回巻きつけている状態で、陣痛の度に赤ちゃんの心音が落ちることが何度もありました。しばらくして、「酸素マスクをつけながら出産することになるかもしれない。」と言われました。その後、麻酔のおかげで上手く力が抜けていたことや、赤ちゃんが下りてくるのが上手だったことが重なり、いよいよ産まれるところまでやってきました。旦那さんとはオンラインで立ち合ってもらうことになっていました。生まれる直前に繋げる形です。
陣痛が強くなり、麻酔が効いていてもきつい生理痛のような痛みが襲ってきます。「そろ
そろ陣痛に合わせていきんでみようか」と言われ、いきむ練習が始まりました。数回いきむ練習すると、「酸素マスクつけるね!」と、マスクの上から酸素マスクを付けられました。その後2、3回いきみ、お腹を押され、吸引されながら我が子が産まれました。旦那さんに繋がってから数分後のことでした。「赤ちゃんきますよ」と胸の上に赤ちゃんを置いてもらい、初めての対面をしました。ビデオ通話で繋いでいた旦那さんとはここでお別れ。退院まで会えないのは自分も旦那さんも辛いな、と改めて感じました。

安心して出産できる世の中になって欲しい

前例のないコロナウイルス。妊娠が判明した当初は本当に何も分からず、不安でいっぱいでした。思い描いていた妊娠生活とは程遠く、「コロナがなかったら…」と何度も何度も思いました。妊婦さんや赤ちゃんの悲しいニュースを耳にする中、母子共に健康で無事に出産を終えることができたのが何よりでした。現在も立ち合い出産ができず、私のように初めての出産を不安いっぱいで迎える人が沢山いると思います。早くコロナが落ち着いて、みんなが安心して出産を迎えることができる日を願っています。

第二章 初めての育児の様子

ふたりきりの入院生活が始まる

 コロナ禍のイレギュラーな妊娠を乗り越え、無事出産を終えました。母子ともに健康で、特に大きな問題はありませんでしたが、出血量が少し多かったので、出産当日は赤ちゃんを預かってもらい、身体を休めることに。
翌朝、コットに入った赤ちゃんが部屋に運ばれてきました。ミルクの飲ませかた、おむつの替えかたを簡単に教えてもらったあと、助産師さんは部屋の外へ。出産をした産院は基本的に全部屋個室だったので、助産師さんがいなくなったあとは、赤ちゃんと二人きりになりました。このときはまだ出産した実感もなく、この子が私の赤ちゃんなの?といった感じでした。

テレビ電話で名前が決まる

出産前にはいくつか名前の候補は挙がってたものの、「最後は赤ちゃんの顔を見てから決めようか」と旦那さんと話していたので、産まれてから3日間は名前が決まっていませんでした。当時は気づきませんでしたが、旦那さんが赤ちゃんの顔を見られるのは5日後の退院の日。出生届の提出もあるので、早めに決めたほうがよいのではと思い、旦那さんに相談することに。
テレビ電話で赤ちゃんの顔を映しながら、候補に挙げていた名前を二人で確認し、十数分話し合って、無事名前をつけることが出来ました。名前を考えていたときは、まさかこんな風に名前を決めることになるとは思ってもいなかったです。

パパと初めての対面

入院最終日。最後に助産師さんから母乳指導を受け、荷物の整理を終え、いよいよ退院です。この日は旦那さん以外にも、母・義母・私の祖母(里帰りでお世話になっていた)が病院まで迎えに来てくれました。
玄関を出ると、赤ちゃんと家族が初めての対面です。旦那さんはやっと我が子を抱っこすることができました。初めて家族が揃った日のことを私は今でもしっかり覚えています。

授乳ができず途中下車

すぐに自宅へ向おうとしましたが、小さい赤ちゃんをチャイルドシートに乗せるのがまず一苦労でした。隙間にタオルを詰めて、なんとか自宅へ向けて出発です。しばらくすると、赤ちゃんが泣き出してしまいました。授乳の時間になってしまったのです。ちょうど最後の授乳から3時間近く経つ頃でした。
産院では退院時間が密にならないよう、時間をずらして一人ずつ退院するようになっていました。私は退院前に行われた母乳教室や、荷物の整理に時間がかかってしまい、その日最後の順番になってしまいました。更にチャイルドシートに乗せるのにも時間がかかったので、家に到着する前に次の授乳時間になってしまいました。
車で泣き続ける息子。病院でミルク缶はもらいましたが、哺乳瓶もお湯もありません。母乳をあげようにもまだ上手く出ません。急いで途中のベビー用品店に立ち寄り、哺乳瓶と液体ミルクを買って、駐車場で飲ませることができました。

1ヶ月の里帰り生活

 退院してからひと月は実家で暮らすことに決めていました。実家同士が近かったので、両方の両親にはすぐに赤ちゃんと対面してもらうことができました。同時期に出産した友達は、遠方の両親にまだ赤ちゃんを会わす目処が立っていないと言っ
ていたので、本当に近場でよかったなと思いました。
いくつか出産を報告した友達からお祝いを貰いましたが、コロナを警戒し、郵送で届くばかりで誰も来ることはありませんでした。そのため、産後も誰とも会えず、孤立した気持ちになることが多かったです。

里帰り終了自宅へ

 いよいよ里帰りを終えて自宅に帰ることに。初めての3人暮らしは楽しみ半分、不安半分といった感じでした。ありがたいことに、家からすぐ近くに大きなスーパーがあるので、息子を連れて買い物に行くことができました。しかし息子が生まれたことで、コロナへの恐怖は更に大きくなり、なるべく人混みの少ない朝に買い物へ行くようにしていました。

支援センター、コロナなのに行けるの?

市の助産師訪問で「5ヶ月くらいになったら支援センターに行くのをおすすめします」と言われたので、電話で予約を取ることに。コロナの感染も不安でしたが、ずっと息子と二人きりで過ごすことに限界を感じ、行ってみることにしました。
当日は私自身もドキドキしながら向かいました。到着すると笑顔で迎えてくれた支援員さん。「名前は?」「困ってることはない?」など、話をたくさん聞いてもらいました。旦那さん以外の大人と話す機会が少なくなっていたので、とても嬉しかったです。
支援員さんによると、今までは人数制限もなく自由に遊べていたのが、現在はコロナの影響で、午前午後の時間制になり、人数は各10組までという決まりができたそうです。更に人数制限のため、週に2日だけしか利用できないと言われました。この日は予約のとり方や利用方法を聞き、次回の予約をとって帰宅しました。
それから現在も週2で支援センターに行っていますが、通う中で気づいたことがありました。息子が極度の人見知りだということです。産まれてから家族以外には会うことがなかったからでしょうか。もちろん、息子の性格の部分もあると思いますが、コロナ禍であまり人と合う機会がなかったのも原因の一つかな?と思っています。結局1歳を過ぎるまでずっと私のそばから離れることはできず、支援員さんや、他の子・お母さんが近づく度に泣いていました。

緊急事態宣言が発令!

 支援センターへ通い始めてしばらく経ったころ、『緊急事態宣言』が発令されました。支援員さんから「緊急事態宣言が出たので、支援センターはお休みになります。」と電話がありました。またまた家に閉じこもる日々です。色んなイベントは中止になり、予定していた旅行もキャンセルしました。
なかなか外出ができない中、支援センターに行くことで、息子に様々な経験をさせてあげたいと思って通っていました。しかし実際にはそれだけでなく、私自身の相談や息抜きの場だったんだと改めて気付かされました。

ワクチンどうする?

しばらくして、ワクチンの接種券が自宅に届きました。ありがたいことに、全国的にも早く到着し、早々に予約することが可能でした。
しかし、接種券は届いたものの、実際にワクチンを打つかどうかとても悩みました。新しいワクチン。どんな副反応があるのかもわかりません。まして私は授乳中です。母乳を通して赤ちゃんに影響があったら…?
いろいろな情報を調べ、旦那さんと考えた結果、赤ちゃんはワクチンが打てないので、私たちから赤ちゃんへ伝染らないためにも、私たちがワクチンを打つことに
しました。ワクチンに関しては様々な意見があると思いますが、自分たちでしっかり悩んで考えることが大切かなと思っています。

コロナが少しずつ落ち着いてくる

 ワクチン接種が広がり、少しずつコロナの感染者が減ってきました。この頃から友達と会うことが少しずつ増え、気持ちが楽になってきました。お出かけの幅も広がり、ずっと行きたかった趣味のキャンプへ行くことに。息子は相変わらず家族以外の人には泣いてばかりでしたが、いつもとは違った人や場所で過ごすことは、良い経験になったのではないかと思います。

コロナ禍に育児がはじまって

コロナ禍の出産もイレギュラーなものでしたが、育児もイレギュラーなものだったのではないかと思います。育児はコロナがあってもなくても、色々なことに悩みながらしていくものだと思っています。コロナがなかったらもっと色んなことができたのになと思うことはありますが、今の現状でできることをたくさん経験させてあげたい、ということをいつも頭において過ごすように心がけていました。

第三章 現在の育児の様子

いまだ収束しないコロナウイルス

 コロナウイルスが流行りだして、あっという間に3年目に突入しました。マスクをせずに過ごしてきた今までが嘘のように、今ではマスクをするのが当たり前になっています。ワクチン接種が進んでも、次々にウイルスが変異してしまい、なかなか収束することは難しそうです。世の中の流れも、コロナとどう共存していくか、という考え方が増えてきたように感じます。だんだんと私たちもそのような考え方にシフトするようになりました。
今まではコロナを恐れて外出を控えるということが多かったですが、人混みを避けて外出をするというようになりました。他にも、人混みに行く場合はマスクを外す飲食は控えるようにする、帰宅したらすぐに着替えるなど、色々工夫をして出かけるようにしていました。もちろん息子はワクチン接種もできず、マスクをつけることもできないので、帰宅時の手洗いは大人同様に息子もしっかりと行うように心がけていました。
そうしていくうちに、以前よりも出かけられる範囲や頻度が増えました。息子のお出かけの経験が増えるだけでなく、どこかへ出かけるということだけで私たちの息抜きにもなり、心がとても楽になりました。わざわざ遠出しなくても、いつもと違った所へ出かけるだけで、本当に気持ちが楽になりました。

息子がお出かけに慣れてきた

出かける場所や機会が増えてきたので、段々と息子もお出かけに慣れてきた様子でした。また、私たちも息子を連れて出かけることに慣れてきました。回数を重ねるうちに、旦那さん抜きで私と息子の2人だけで車に乗り、少し遠目のスーパーに出かけたり、1時間ほど掛けて実家に帰ったりすることもできるようになりました。
すると、もっとお出かけしたい!旅行にも行きたい!と思うようになりました。今まで泊まりでどこかに出かけたのは、お互いの実家を除くとキャンプに行っただけ。もう1歳を過ぎたので、もっと色々な所へ出かけたいな、と今まで以上に思うようになりました。コロナへの感染を考えると、水族館・動物園なども予約制で人数制限をしていますが、人混みが気になってなかなか行く決心がつきませんでした。もちろん、電車や新幹線、飛行機での旅行はなかなか踏み切ることはできませんでした。もう少し落ち着いてから…と思っていますが、いつになるかはわかりません。

少しずつ人にも慣れてきた息子

出かけることを増やすと、息子が少しずつ人との関わりに慣れてきたように感じました。出かけることが増え、人混みにも慣れたのか、コロナが落ち着いたころを見計らって家族や友人に会う機会を増やしたからなのか、単に成長したからなのかはわかりません。しかし、私たち以外の大人や子どもと怖じけずに関わることが増えてきたのは、とても嬉しいことでした。もっともっと人と関わらせてあげたいと思うようになりました。

仕事を復帰して保育園にあずけたい

そんな中、そろそろ仕事にも復帰しようかなと思う気持ちが少しずつ出てきました。息子が段々と私たち以外の人との関わりができるようになってきたこと、そして私の育休が2歳の誕生日を迎えるまでに復帰しないといけないことが理由です。今までは知らない人との関わりを全く拒否していた息子ですが、友達に会ったり、支援センターに通い続けたりするうちに、他の人と関わりを持とうとする姿がでてきました。そこで、保育園に通うことで、新しい大人や子どもたちともっと関わって欲しいと思うようになりました。

保育園や仕事先での感染の不安を考える

現在、旦那さんは仕事のほとんどがリモートワークで、出社は多くて週2日程。しかも会社までは徒歩で通勤しています。しかし、私の勤務先は大都市の駅ビル。加えて接客業です。職場復帰するとなれば、コロナに感染する確率は今よりもはるかに高くなるでしょう。更に息子が保育園に通い始めるということで、より一層感染率は高くなると思います。
周りの友達も、「子どもの保育園・学校でコロナが出て休園・休校になった」という声を、今まで以上に聞くことが増えました。今までは同じ保育園・学校だったのが、保育園・学校の同じクラスというように、より一層身近になってきました。友達の中には「自分や自分の家族がコロナ感染者・濃厚接触者になってしまった」という子もいました。
そのようなことを聞いていると、本当に今仕事復帰するべきなんだろうか?と思うようになってきました。しかし、収入がなくては困るので、働かないわけにはい
きません。自宅のある市は保育園の激戦区。更に希望する園は駅前で人気の園なので、待機児童の数もとても多い園です。旦那さんとの相談の結果、すぐに入園できる可能性は低いだろうと考え、ひとまず市に保育園の申請書を提出し、保育園が受かったら仕事に復帰することに決めました。

またまたコロナの感染者が増えてくる

そうこうしているうちに、またコロナの感染者が増えてきました。また人混みを避ける日々。ああ、やっぱりまだしばらくはこの繰り返しなんだなと思いました。段々とコロナが流行りだした初期のころと比べ、私たちの考えや行動も変わってきました。緊急事態宣言や、まん延防止措置が出ても、今までのようにじっと家に閉じこもって過ごすのではなく、人の少ない時間帯を狙って出かけるや、密にならないような屋外の広いところへ出かけるようにするといった工夫をするようになりました。
そして、コロナの感染者が増えてきたら、人混みを避け、出かけること自体を減らす。落ち着いたらまたお出かけを増やす。その繰り返しをしながら過ごしていました。

友達と会う機会が増えてきた

 なかなか会っていなかった友達と会う機会も少しずつ増えてきました。もちろん頻繁に会ったり、どこかへご飯を食べに行ったりなど、以前と同じようなことはできていませんが、会う回数が増えてきました。
子育てをしていると、一日息子と二人きりのことが多く、出かけることができても近くの公園や支援センターです。やはり友達と会って、他愛の無い話をしたりすることだけでも、気持ちはとても楽になります。もっと頻繁に会うことができたらな、と思いますが、現状では仕方がないことなのかなと思っています。

コロナと共存しながらの育児

息子が生まれてもうすぐ一年半になります。実はまだ遠方に住む旦那さんのおばあちゃんに息子を会わせたことがありません。残念なことに、二人いたおばあちゃんのうち、一人は息子に会わせる前に亡くなってしまいました。
「コロナがなければ…」と、もう何万回考えたでしょうか。もっと息子とこうしたい、ああしたいと思うことばかりでした。自分が思い描いていた妊娠生活や育児は正直できていません。しかし、くよくよしていても何も変わりません。
ただでさえ制限や準備が多い子連れのお出かけ。加えてコロナへの感染に気をつけながら、人の多い公園でお花見をしたり、買い物へ出かけたりすることは、親にとってしんどい部分も増えます。しかし、それでも息子には色んな経験をさせてあげたいと思っています。
「コロナだから」といって、他の人と関わるきっかけや経験を失ってほしくない。「コロナだから」といって、旅行やお出かけの機会を失ってほしくない。息子の今は今しかないのだから、今の現状でできることをできる範囲でやっていきたいと思っています。

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