子供の可能性を発見してからの育児日記

2022年3月8日

子育て

◆第一章:夜泣きに疲弊する日々からの脱却~新たな希望

待望の第一子女児誕生の喜びも束の間、出産直後から新生児の24時間体制でのお世話が始まりました。完全母乳育児にこだわる訳ではなかったのですが、母乳がそれなりに出てくれたことと、胸が張る痛みもあったのでどんどん吸い取ってもらいたく、迷うことなく母乳育児でスタートしました。
完母(母乳のみ)、混合(母乳とミルクを混合しながら)、完ミ(ミルクのみ)については、当時は新米ママさん達の話のネタのトップ3に入る頻度で耳にしていましたが、娘の成長とともに別の課題に直面するたびに、いつの間にか少し前の話題(悩み)は消え去っていくのが育児なのだなぁと今でもつくづく思う日々です。
当時は寝不足の日々を過ごす中で、思考回路は常にボヤけており、今現在自分は育児のどの段階までクリアしてきたのだろうなどと俯瞰して眺めるような余裕はなかった中、他のママさんたちとの会話の中で、「夜はまとまった時間を寝てくれるようになって楽になった」、「日中のお昼寝は4時間くらいしてくれる時もあって自分の時間が持てるようになった」など、何だかしばらく経験していない「自分の時間」というフレーズに焦りを感じてしまいました。確かにお昼寝の時間は少しずつ長くなってきた気はするものの、新生児の時期から「夜泣き」は続いており、いつになったら私は連続3時間寝られるのか、人生で初めて「発狂」というものを経験しました。授乳しながらの夜の寝かしつけが終わり、自分の抑えていた眠気を解放して崩れるように深い眠りについた頃、隣でモソモソと動く音が聞こえ始め「オギャー!」と夜泣きが始まります。無理矢理起こされ、半分寝ぼけながらの授乳、オムツ交換、疲労困憊の体で1時間以上抱っこし続け、足も腕も首もガクガクと力が抜けそうになり娘をベッドに下ろした瞬間、「もう無理ー!!」「早く寝てよ!!」「うるさい!!」という言葉が溢れ出てしまいました。隣で寝ている主人を起こさないよう、夜泣きが始まるとすぐに娘を抱いて寝室からリビングに移動していましたが、私の発狂する声を聞きつけた日から、主人も夜泣き対応に協力してくれるようになりました。今思うとその後の子育てに協力的な主人はここから始まったように思います。よっぽど妻が発狂する姿にショックを受けたのでしょう。
今日も夜が来るのが怖いなぁと思う日々で悪夢もよく見ていましたが、救いだったのが、日中娘と過ごしながら娘が出来るようになったことへの喜び、そして何をするのも可愛い!愛おしい!という感情は確実に持ち続けていたことでした。娘の成長を主観的に間近で見ている感覚から、少しだけ距離を空けて上の方から見ているような感覚に変わってきたのがこの頃でした。
娘の成長を日々感じる中で、このくらいの月齢の子はこういう事が出来るようになるのだなぁと、ただただ嬉しい気持ちで過ごしてました。母子手帳の「保護者の記録 9~10ヶ月頃」を記入する頃になり、項目の内容は全てクリアしている(とっくに)段階となり、女児は男児に比べて発達が早いともよく聞くし、順調なのね、くらいに思っていました。娘はおしゃべりの意欲が高いようで、わりと早い時期から何かしら声を発していましたが、当然ながら言葉として聞き取るには親でもまだ分からないものもあり娘の要求に上手く答えられないこともありました。
ある時、娘が私に向かって「じんどちょーだい!」と何かを要求してきました。何度か聞き返しましたがなかなか理解できない私。すると娘はキッチンを指差してまた同じ言葉を放つので、何かが食べたいのかな?と思い、いつも与えているおやつを見せて「これが食べたいの?」と訊くと首を横に振ります。キッチンに見えているものを色々指差して「これ?それともこれかな?」と訊いてみてもどれも違うみたいです。すると娘は隣の部屋から赤くて丸いおもちゃを持ってキッチンを指差して同じ言葉を発します。ん?食べたいのでなく、おもちゃが欲しかったのかな?と思い、その赤くて丸いおもちゃを持って「どぉーぞ!」と差し出してみると、不思議そうな表情で首を横に振ります。今思うと「え?まだ分からないの?」ということだったのかもしれません。一体何をして欲しいのかなぁ?とフリーズしていると、娘は「アポーちょーだい!」とさっきと違う言葉を言い出しました。ん?「アポー?」、欲しいものが変わったのかな?と更に混乱していると、娘はすかさず絵本を持ってきてその中に描かれている「赤いりんご」を指差しました。りんご?もしや「Apple」のこと?アポー?と言ったの?。娘はネイティブ発音で「Apple」と言っていたのでした。ベネッセの「しまじろうシリーズ 英語のDVD」を何となく見せていたので、歌を歌うように英語も真似て覚えた言葉だったのでしょう。それより何より私が驚いたのは、「りんごをちょうだい」がなかなか伝わらずとも、怒り出したり泣き喚くこともせず、とにかく相手に分かってもらうために、今持ち合わせている知識やスキルをフル稼働して行動する姿に、まだ1才にならない乳幼児がここまでできるもの?と、我が子ながら感心したものでした。
この後も似たようなケースが何度かあり、子供の要求を察する自分の能力のなさに情けなさを感じつつも、娘の潜在的に備わる能力に興味が湧くようになってきたのでした。私の育児スキルだけでは娘の能力を持て余してしまうかもしれないと感じるようになり、育児雑誌などに掲載されている幼児教室を調べてみることにしました。我が家の育児方針など主人と話し合ったこともなく、ただただ日々のお世話に邁進する中で、娘にどんな教育を受けさせてどんな人間になって欲しいのか、ということを初めて考えるきっかけになったのがこの時期でした。まだ1才の娘について「こんな性格」だとはっきり判断出来るわけもなかったので、親である主人と私の性格や生い立ちから考えてみました。二人揃って唯一の取り柄は「真面目」であること。二人ともごく普通の一般家庭で育ち、中学受験を経験して、主人は男子校に6年間、私は女子校に6年間通い、それぞれ4年制大学へ進学して、それぞれお堅い業界へ就職。何だか似た者夫婦だったのね、と再確認しながらも、漠然とではありますが、私たち夫婦は「自由気ままで楽」な人生よりも「夢や目標に向かって進んでいく人生」を好むことで一致しました。そこから娘に通わせたい幼児教室を絞っていくことができました。3才までに多くの刺激を脳に与えることが大事、という話や、むしろ色々詰め込むよりも子供のしたいことをそのままさせてのびのびと育てる方が大事だ、など、どちらも大事だよなぁとしか思えないフレーズに振り回されながらも、何となくバランス良く備えていると感じる幼児教室を見つけることができました。「叱らずに子供の可能性を引き出す育児」を掲げる教室です。元々「叱らない育児」には何となく興味がありました。私たちの世代が幼少の頃は、少しずつ「叱らない育児」という言葉が出てきてはいたもののまだまだ反対派が多数の時代だったようですが、「地の時代から風の時代へ」と言われる今日この頃、「今までのやり方は間違いだった?通用しなくなってきた?」と思わざるを得ないようなことが起こり始めているように感じており、これまでよしとされてきた育児法についてもこれからの時代には合わない部分も出てくるのではないかとぼんやりと考えるようになっていました。後に占星学を学び始める私自身が、この頃に感じていたことは概ね間違いではなかったことを知るに至ります。
「叱らない育児」と聞いて、「要は甘やかすということでしょ?それじゃあ子供はわがまま三昧よね?」と解釈することは不思議と私にはありませんでした。私の幼少期は母に叱られることもよくありました。叱られた直後は、母が怖いこともありすぐに謝って「もうしません」とひれ伏しますが、その後は「叱られるから辞めておこう」という思考になっており、表面的には聞き分けの良い子供でありながらも「なぜそれをしてはいけなかったのか?」という物事の本質が分からない子供になってしまうように思うのです。年齢の低い子供やセンシティブな子供であれば、お母さんの怖い表情や声、怖い言葉だけが心や頭に残り、ネガティブな感情が蓄積されて人格形成にも支障をきたす可能性もあります。「特に3才までに受けた刺激は生涯を通じて何らかの影響をもたらす」と言う話を聞くと、この時期に「叱る」ことの危険性の方が高いという結論に至ってしまいました。「叱らなくても子供の可能性を伸ばせる」なら是非ともやってみたい!と私にはすんなり入っていった育児法となりました。
娘がもうすぐ1才になろうとする頃にその幼児教室の体験レッスンに参加しました。生徒の皆さんは笑顔で楽しそうに取り組んでいましたが、途中で飽きてしまい席を立ってふらっとその場から離れてしまうお子さんがいると、そのお母さんは「だめでしょ!ちゃんと座ってやりなさい!」と当然言いますが、先生は「お母さん、大丈夫ですよ。そのままさせてあげて下さい。ここまで◯◯くんもお母さんも頑張りましたね!」という声がけをされていたことに驚きました。そしてレッスンの最後には先生がその子に声をかけて「◯◯くん!最後だけみんなでご挨拶しようか?」と促すと、離れて好きな遊びをしていたその子がパッと席に戻ってお母さんと目を合わせみんなと一緒にご挨拶をしているのでした。その子が席を外している間はレッスンに参加していないので内容を得る時間にはならなかったかもしれませんが、自分の行為を否定されることなく受け入れられた時間を過ごしたのは間違いないと思いました。そして一見放任のように見えても、先生は最後のご挨拶の時には声がけをしてメンバーの一員であることを自覚してもらい、決して見放しているわけではないことを伝えているようにも見えました。そのお母さんにも「叱らないでもう少し見守ってあげてみてください。必ず戻ってきますよ!」とアドバイスされており、「親子教室」と名を打つだけあり、お母さんへのケアも大切にされているのがよく分かりました。いくつかの幼児教室と比較してから入会を決める予定でいましたが、この体験レッスン当日に入会を即決してしまいました。
この頃から娘の夜泣きの間隔は少しずつ長くなり、先の見えない暗いトンネルの先に明るい光が差し込み、育児の次のステージに入った時期だったのだと今となって思い返すところです。

◆第二章:お受験への道のり〜幼稚園、お受験塾、志望校の選択

幼児教室の体験レッスンを経て、いよいよ初日のレッスンがスタートしました。最初に『マザーリング』と呼ばれる、先生からお母さん方への育児についてのヒアリングやアドバイスの時間が設定されていました。「育児で何か困っていることはありますか?」と質問して下さったので、夜泣きについて回答すると「必ず終わりがきますので大丈夫ですよ!日中お外遊びや室内でも身体を動かす遊びをたくさんさせてあげるとずいぶん変わってきますよ。お母さんも睡眠不足で大変な時期ですから、家事は少し楽をして◯◯ちゃんのお昼寝と一緒にママもお昼寝してしまいましょう」というアドバイスを下さいました。子供のことだけでなく母親のことも気遣って下さり、ピンと張り詰めていた糸がフッと緩んだように気持ちが楽になりました。
マザーリングがひと通り終わると既に15分程経過しており、いよいよ親子でのレッスンが始まりました。この幼児教室のオープニングテーマ曲なのか、ごあいさつの英語の歌が流れ始めて、先生と一緒に歌いながら振り付けもする形式です。お母さんたちは膝に子供を座らせて一緒に歌いながら子供の手をとって振りをします。次は先生が一人一人の名前を呼んで「ハイ!」のお返事をする時間です。すぐに反応するお子さんもいれば、よく分からず黙ってしまう子もいますが、その場合はお母さんが子供の手を上げて返事をします。先生はその場合も「元気にお返事できましたね!」と応えてくれます。次に『百玉そろばん』と呼ばれる大きなそろばんのようなもので数を数える練習です。横列に10個並んだ玉が、縦列に色違いで10段並んであり、好きな色の段を子供に選ばせて子供の指をお母さんが持ち一つずつ玉を動かして「1、2、3、、」と口に出して数えていくものです。視覚、触覚、聴覚を同時に刺激されており、これは脳が間違いなく反応する課題であるとすぐに理解できました。次はフラッシュカードと呼ばれる、絵とその文字が書かれたカードを子供たちの前で一枚ずつ読み上げながら高速でめくって見せていくものです。まだ1才前後のベビーにとって、絵の意味、ましてや文字など分かるはずもないと思うのですが、子供たちは夢中で見入っています。娘もその様子が新鮮なのか目をパチクリさせながら真剣な表情で見ていまいました。その後も簡単な運動や、巧緻性を鍛えるおもちゃ遊び、手遊び、パズル、お絵描き、具体物の操作、そして最後は絵本の読み聞かせとなり、間髪入れることなく次々と異なる課題を短時間で与えられる状況に、初日はさすがに親子ともども圧倒されてしまいましたが、娘に色々な体験をさせてあげられた、という何だか充実感のようなもの
その後も娘は嫌がることなく通い続けることができ、私も育児についてじっくり話せるようなママ友を作ることができました。今考えてみても後に浅いお付き合いのママ友はたくさん出来たものの、育児の深い話や、ママ自身の話をお互いにできるような関係のママ友は、この幼児教室で出会った人ばかりでした。
娘は幼児教室に通う前から、新しい体験に対してそれ程怖がることなく楽しそうにしているタイプでしたが、レッスンでも様々なことを楽しく体験してどんどん吸収するようになり、いつのまにか在籍するクラスでは「一番できる子」の立ち位置になっていました。
この幼児教室では3才になると知能検査を受けることになっており、その時点での知能指数(IQ)や精神年齢など数値化されたものが上がってきます。娘は入会して早2年になろうとしている頃、この検査を受けることになり、そしてこの結果が後に我が家の育児方針を決定づけるものとなりました。幼児教室などの知育系の習い事をしていない一般的な3歳児の知能指数の平均値は「100」前後とされており、この幼児教室に通う子供の平均値は「120-140」とのことでした。そして娘の結果は「170」。精神年齢も「6歳」という結果に。年上のお姉ちゃんと遊ぶのがとても楽しそうなのはそのせいだったのかしら?と、妙に納得したりと、普段の娘の様子を数値化するとこういうことなのか、と高知能児であることを何となく自然に受け止めていたように思います。同時に、娘に備わっている知能を維持し続けることが将来の可能性を広げる為の重要なツールになると確信しました。この先にある保育・教育機関を選択する際の我が家の指標が見えてきたのがこの時期からでした。
幼稚園を選択する時期がまもなくやってきました。都内の一部地域では、人気のある幼稚園を希望する場合、その園の年少クラ2-3歳児の「未就園児クラス」に既に入っていることが優先的に入園できる条件となる園が多いとの話を聞きました。自宅近くには4-5つの幼稚園が点在し、中でも人気の高い幼稚園は「園内の調理室での厳選食材使用の給食がある」ことが売りの園でした。給食は確かにありがたいと思い、興味本意で園のホームページを見てみると、「未就園児クラスの募集は定員に達した為、締切りました」との記載があり既に出遅れてしまった感で若干焦りました。残りの候補は2つの園。1つ目のA幼稚園は、自宅から徒歩3分程の好立地にあり、キリスト教会が併設する園で牧師さんが園長を務めています。園長の言葉に「幼児期に文字や数字を与える必要はなく、思いきり身体を動かして遊んで五感を鍛えることが大事」とあり、いわゆる「のびのび系の幼稚園」という印象でした。またキリスト教の「隣人愛」の精神から、子供たちを皆で愛し見守っていこう、という規律があり、普段から親御さんの係や、行事のお手伝いとしての参加率が高いという特徴もありました。2つ目のB幼稚園は、自宅から子供の足で徒歩30分はかかり、自転車送迎でも15分程度かかる所にある幼稚園です。90年程の歴史があり、園長も代々同族で受け継がれています。以前は「お受験幼稚園」と呼ばれており、毎年の国立・私立小学校への進学者数が多いことでも有名な園でした。昨今は少子化や周囲の新しい幼稚園にも人気が集まり、以前程の勢いは無くなったものの、園の案内資料には進学実績が毎年記載されています。都内では貴重な広い園庭があり、四季折々の木々や草花が子供たちに季節感を与えてくれる環境もあります。私が惹かれたのは園の保育・教育方針でした。同族経営ということもあり保守的なイメージがあったものの、副園長の海外での幼児教育研究などから、最新の教育方法をどんどん取り入れているとのこと。A幼稚園のような「遊びの中で多くのことを吸収する」という伸びやかな保育を実践しつつも、それだけに留めず将来の学習の前身となるような課題制作、表現力を伸ばす制作、リトミック、ネイティブティーチャーによる英会話、専門講師による体操指導、季節の行事を手作りで楽しむ等々、盛りだくさんの内容を誇る園でした。
結果、 B幼稚園に決めることにしました。自宅周辺の幼稚園の中では保育費用が最も高額でありながらも、娘の好奇心旺盛な性格や高い知能を伸ばしていく為には、幼児のうちから様々な体験をさせてもらえる環境が必要であると感じたことと、万が一小学校受験を視野に入れた場合に、園からもママ友からも情報を得やすい環境であるということでした。未就園児クラスには早々に申し込みをして入ることができ、少しずつ園に慣れさせながら、入園試験を経て、翌年に無事入園することができました。
娘が高知能児であることが分かってから意識し始めたのが「小学校受験」でした。幼児教室の先生から、「高知能のお子さんは小学校に入っても理解が早くお勉強が出来てしまう為、基本的に進みの遅い子供に合わせた教育指導がされる公立小学校では、授業が退屈になり逆に勉強から離れてしまうケースもある」というお話を聞きました。実際、娘は幼児教室でも一番最初に課題が終わるため、他の生徒さんが終わるまでの間は手持ち無沙汰状態となってしまうことがよくありました。我が家の住む地域の学区は比較的評判が良く、学区の公立小学校からは7-8割が中学受験をするような地域であり教育意識の高い親御さんが多いと聞いていました。最寄り駅の沿線には国立・私立小学校が多く点在していることから小学校受験をする家庭も多いようで、制服を着た小学生が電車やバスで通学する姿をあちこちで見かける地域でもあります。そのような環境であることからも元々小学校受験に対して抵抗感はなく、私も主人も容易に視野に入れることができる育児テーマとなりました。
年少の1学期が終わり夏休みを経て、秋頃からお受験に向けての塾を探し始めました。早いご家庭では入園前からお受験塾に通わせているので意識してはいましたが、初めての集団生活を送っている娘の様子を見ながら親子共に無理のないスタートを切りたかったというのがありました。大手の塾から個人塾まで資料請求をして調べてみると、塾代が高額なところも多くありました。小学校受験は、中学、高校受験のように学力試験の点数で合否が決まるシンプルなものではなく、塾で一番出来るような秀才のお子さんでも不合格になることがよくある世界だと聞いていました。学校によっては、そのご家庭の質や、我々の見えない裏にある「何か(コネ等)」による合否判定もよくあると聞きます。我が家は一般的な家庭であることと、私自身コネクションのようなものがあまり好きではなく、あったとしてもそれに対する謝礼や関係性を考えると、おそらく使うことはないだろうという思いもあり、高額な塾代を払い続けて子供に必死に頑張らせても合格の保証はなく、受験保険のごとく高額を支払うことは腑に落ちませんでした。普段は自宅で受験対策をして、季節講習会のみ塾に通う方法も考えていました。そんな時お受験経験のあるママ友からあるC塾を勧められました。規模としては中堅レベルながらも、合格実績はそれなりに安定して出しており、受験対策に必要な項目は全て網羅した大手に引けを取らないカリキュラムで、大手塾の半分程度の費用で運営する塾でした。場所は自宅から少し離れており電車で通塾する必要があるものの、電車賃を加えたとしても年間の塾代は他と比べても抑えられることが分かりました。主人もお受験を決めたものの、入学前から高額な費用がかかることは懸念していた為、この塾の話をした途端、「ここに決めよう!」と即決となりました。とは言っても、大手塾の最大の売りは「分析力と情報量」とのこと。お受験は表沙汰にならないような学校別のテクニックも必要であり、その点についてC塾がどの程度の情報量を持っているかというのは気になる点でした。入塾前にそこまで確認することは難しく、あれこれ拘っているうちに受験対策の遅れをとってしまう懸念もあり、体験レッスンを経て入塾を決めました。
お受験塾では、この時期のクラスを「新年中クラス」と呼び、ペーパー問題、行動観察、巧緻性、運動、制作、絵画、生活習慣といったお受験に必要なひと通りの項目に早速取り組みます。机上での課題は幼児にとって退屈であったりジッと座り続けられないお子さんもいます。娘は幼児教室での経験が生かされたのか、きちんと取り組めるタイプと見なされたようで先生からは「〇〇ちゃんはお受験向きのお子さんですね。これからの伸びが楽しみですね」というお言葉を頂きました。
通い始めて3-4ヶ月経った頃、初めての「模試」を受ける時期になりました。C塾は都内に3教室あり、模試は全ての教室の年中クラスを対象としたものです。年長クラスに比べてまだまだ人数の少ない時期ということもあり今回の模試の受験者は70名程度でした。そして模試の結果についての面談がありました。結果を見せていただき驚きました。娘の順位は1番でした。点数は98点。1問の誤答のみ。幼児教室での取組み具合、知能検査の結果、そしてお受験塾での模試の結果、少しずつ娘の関わる範囲が広がり比較要素の母数が増える中でも知能は安定して発揮されていることが分かりました。その後クラスの人数が徐々に増え、C塾全体の生徒数も3桁に増えてくる中で年に4回の模試が実施されました。結果は全て1-3位の順位を維持していました。
お受験本番まで1年を切り、いよいよ年長クラスへ進級となりました。クラスの人数は定員いっぱいとなり、お母さん方の雰囲気もピリッとしてきたように感じられます。娘はこれまで通塾を嫌がることは一度もなく、先生のお話しをしっかり聞き取り、与えられる課題は必ず最後までやり遂げていました。先生からは「何でもできる〇〇ちゃん」と言って頂き、どの項目についても万遍なくこなしていました。しかしながら、若干5-6才の子供がお受験本番まで安定して力を発揮できるかは不確実であり、この調子を維持してくれることを願うばかりでした。
中学受験者数が年々増加する中、自分の経験も踏まえ、人格形成の時期でもある大切な多感な時期に、受験勉強に専念する生活を出来るだけさせたくないというのが当初からの我が家の方針でした。遊びたい盛りの幼児期に机上でのお勉強をさせることに反論する意見もありますが、少なくとも親がサポートできる時期に親子で一緒に取組み、将来の受験戦争を回避できる附属小学校への進学を強く希望していました。
そして志望校は名門大学もしくは高校の附属校を中心に候補を決めていきました。高学歴である主人は当初からその中でも最難関校を希望しており私も賛成ではありました。しかし、万が一最難関校に合格したとしても、進級先の中学や高校にハイレベルな外部生が入学してくることで内部生の進級枠争いがあるとの話を聞きました。受験戦争を回避できたとしても、校内での競争に勝つための勉強をしなくてはならないのです。それが私が娘にさせたい経験となるのか疑問符が残りました。
様々な学校の資料を見ていくうちに、名門校や進学校の肩書き無くして素直に教育方針に魅了された学校がありました。附属高校までの一貫校であり、基本的に内部生全員が進級できる制度です。一人一人の興味に寄り添う先生方の指導方法、立地も都内にありながら自然豊かな広々とした環境にあり、のびのびと学校生活を送ることができると感じました。体験型学習を重要視しており、机上での学習だけでなく実体験の機会を通して学びを深めるという教育方針、そして数十年前の創立当初からの通知表での評価をしない、偏差値偏向教育をしないという一貫した考えがなされている学校です。ふと思ったことは、時代がこの学校に追い付いてきたのではないか?ということです。これからの時代、学歴社会が少しずつ淘汰されていくと想像した場合、名門校、進学校の存在価値とは一体どうなっていくのだろう、と。
そんな疑問が頭に残りつつも、娘の成績は安定してトップグループを維持し、塾の先生からは最難関校の受験を強く勧められました。他の塾が主催する模試の結果についても志望校別判定では「合格圏内」の結果を出していた為、我が家は必然的に最難関校への対策に力を入れるようになっていました。その学校は、幼児なりにも自立した子供を好む傾向があり、日常の生活習慣で自分で出来ることを増やすこと、自分で考えて行動出来ること、を常に意識しながらの育児生活となっていきました。また、しっかり確立している訳ではない我が家の教育方針とその学校の教育理念を合致させるべく、無理矢理感も否めないような志望動機を考えたりと、どこか本心と乖離しているような方向へ進んでいたのかもしれないと当時を回顧しています。

◆第三章:子供の可能性を伸ばすために一番大切な事に気付く

お受験本番まで4ヶ月という頃、幼稚園は夏休みに入り、毎朝のお弁当作りもなくなり少しのんびり過ごせるかと思ったのも束の間、塾の夏期講習や週1のペースで受けに行く模試により、夏の予定表はあっという間に埋まりました。幼稚園では、プール遊びや夏祭りのイベントも予定されており、娘には最後の幼稚園生活をお友達と楽しんで欲しいという思いでしたが、夏休みの頑張りが合否を分けるとも言われるお受験ですので、日にちが重なるものはお受験関連の予定を優先せざるを得ない状況でした。
真夏の炎天下でのほぼ毎日の通塾、そして遠方の会場で行われる模試に電車を乗り継いで受けに行く日々はとても過酷なものでした。娘も疲れているはずですが、文句も言わずにこなしている姿に逞しさを感じずにはいられませんでした。お受験をしないお友達は、親御さんに楽しい予定を立ててもらい夏休みを満喫していると思うと、娘の頑張る姿から涙が出そうになりました。ただでさえ真夏の蒸し暑さが苦手な私にとって、まるで拷問のような毎日の外出は、後のお受験直前まで後遺症のようになり心身の回復に時間を要してしまうほどでした。
お受験を決めて、準備をスタートした当初から意識していたことがあります。子供を志望校に何としてでも入れたい思いから母親がピリピリするようになり、それが子供に緊張感を与え続け、お受験本番直前になって子供にチックが起こってしまうような事例がよくあると聞いていました。我が子の将来の幸福を願う気持ちから小学校受験を選択したはずが、結果的に幼い我が子に大きな負担をかけてしまうことは絶対に避けたく、子供にネガティブな気持ちを持たせることなくお受験を突破しようと。
夏休み中盤頃になると、志望校の願書を書き始める時期となり、塾の先生による願書添削、アドバイスを経て、本番の願書提出へと進んでいく流れになるパターンが多いようです。そしてお受験3か月前頃から面接対策も本格的に始まります。願書も面接も両親の力量が試される重要な項目であることから、子供だけでなく両親の頑張りもピークになってくる時期となります。
私は過酷な夏休みが終わって、暑さもいくらか落ち着いてくる9月下旬になっても疲れが取れず、家事や育児への意欲減退のみならず、お受験自体への意欲も薄れてしまう状態がしばらく続きました。何より拒否反応を示したのは通塾でした。夏休みに散々通った塾に、直前期になると週3〜4日通わなければならない時もありました。あまり考えたくないお受験のことに嫌でも触れなければならない状況にフラストレーションが溜まり、家族にあたってしまうこともありました。本来、子供のメンタルを最優先する時期であり、両親がドンと構えてサポートしなければならないにも関わらず、肝心な母親がメンタルを壊してしまうという状況に焦りと不安を感じながら、これまでの娘の頑張りを絶対に無駄にしたくない思いでもがき続けていました。
ペーパー問題は志望校別のものに取り組み始め難易度も上がってきました。これまでそつなくこなしてきた娘にとっても、じっくり考えなくては正解を導き出せない問題が出てきました。娘が目に涙を浮かべながら問題を解く姿を目の当たりにして、こんな思いをさせてまで難問を解かせなければならないものか、と親として悔しさのような感情も出てきたように思います。そんな中でも娘の成績は安定してトップグループを維持していた為、過度に課題を増やすことを止めることにしました。
結局お受験の間際の3週間前になり、ようやく私自身にスイッチが入ってきました。お受験に対するネガティブな感情から、お受験がまもなく終わる!、あともう少しで窮屈な生活から解放される!という思いが強くなりました。それなら最後に有終の美を飾って終わりたい!と俄然ヤル気に満ちてきた私を見て、安堵していた主人の顔が忘れられません。そしてこの「有終の美」がどんな結果を表すことになるのか、この時は考える余地はありませんでした。
我が家は、私立小学校3校と国立小学校2校に出願しました。私立は、主人の希望する最難関校、私の希望する難関校、近場にある名門女子校の3校に絞りました。常にトップを維持してきた成績からおそらく大丈夫だろう、あわよくば全勝の可能性もなきにしもあらず、という思いも正直ありました。
人気校の受験日は、11月第1週目に集中する為、受験番号によっては日程が重複する懸念もありましたが、結果的に志望校全てを受験できる日程となり、今思うとここで運を使ったように思います。
私立3校は日程が連続となり、面接日を含めて4日間連続の受験となりました。最初の2校の合否結果を、3校目の受験日の帰りに知ることになりました。結果は「不合格」。娘との受験帰りの駅のホームで、私は足が震え呆然と立ち尽くしました。「嘘でしょ?」という思いと、隣にいる娘の無邪気な表情を見て涙が溢れてきました。娘に気づかれないよう気丈に振る舞いつつも、体に力が入らずふらつきながらホームを歩いていると電車が入ってきました。その風圧に倒れそうになると、娘が私の手を引っ張り、「危ないよ!お母さん大丈夫?」と驚いた表情で見上げていました。この子に「不合格」を知らせることは絶対しない、と決めました。合否を待つ私立校は残り1校の上、抽選が2回ある国立校はほとんど運次第なので、最悪の場合、全敗の可能性が出てきたことにショックを受けました。まさかそんな状況に遭遇するとは思ってもみませんでした。塾に結果を報告すると、淡々と「よくあることなので落ち込まないで下さい、次がまだあるから!」と前向きな言葉を頂いたものの、しばらく立ち直れず無気力状態が続きました。そして最後の私立校の結果は「合格」。勤務中の主人とメールで喜び合いました。やっと娘に「合格」をさせてあげることができたことに、洗濯物を干していた手を止めてベランダで嗚咽しながら泣きました。塾に報告をすると、先生は電話越しに「おー!ほんとに良かったー!本当におめでとうございます!」と涙声で喜んで下さいました。電話の奥からは他の先生方の喜ぶ声や拍手の音も聞こえ、ありがたい気持ちでいっぱいでした。残りの国立小2校の抽選は見事に落選。出願した5校中1校からご縁をいただく結果となりました。私はこの結果から、神様がもしも我が家に「試練」を与えるつもりならば、「全敗」にさせて何かを学ばせると思います。しかしながら、複数のご縁を与えず1校にのみご縁を下さったのは、「他と迷うことなく、この学校に行きなさい。」と言われているとしか思えませんでした。そしてその学校は、私が娘に一番行かせたかったあの学校なのでした。これからの時代に対する、私の思いや考えを神様は肯定してくれたのかもしれない、と思わずにはいられませんでした。
初めて小学校受験というものを経験して感じた事があります。我が家にとって「お受験」は、結果的にやって良かった、ということです。そう思えるまでには葛藤もありました。お受験をしないお子さんに比べて、我慢させなければならない事が多かったかもしれません。幼い子供に毎日机上でペーパー問題をさせ、お受験で評価されるようなお絵描きのテクニックを身に付けることに専念してしまい、自由な発想でのびのびとお絵描きをさせてあげられなかった、お友達との遊ぶ時間も短縮し、遊びの途中で帰らなくてはならなかった、等々。振り返ると私が本当にしたかった育児とは真反対のことをしなければならない状況だったようにも思います。その反面、草花の種類、様々な生き物の特徴を覚えることも兼ねて、写真や絵だけはなく、実際に自然の中へ出向いて親子で昆虫採集をしたり、季節ごとの草花を観察し、自宅では野菜栽培をしたりと、親子で本物を感じる機会を作っていたことは親子の絆も深まりとても良い経験になったと思います。
お受験が終わった後も、娘が自主的に継続していることは、お受験対策の中でも楽しそうに取り組んでいたものばかりです。読書、工作、運動、お部屋の雑巾がけ、整理整頓、植物への水やり、そして机上でのお勉強の習慣も身に付きました。
娘を見ていて確信できた事は、学びを楽しむことが物事の習得の近道であるということです。一人きりではなく、親や先生といった親しい大人と一緒に取り組むことで、安心感の中で学びを楽しむことがで出来たのだと思います。そして親も楽しんでいること。子供といる時に私も笑顔でいると、娘は張り切ってどんどん遊びを提案してきます。楽しそうな大人と一緒に楽しいことをしたいのです。これから成長していくにつれて「楽しさ」をベースに様々な事を吸収し、大人になっても学びを継続できる人間になれると信じています。

 

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