泣き虫長男の幼稚園の思い出

2022年6月9日

子育て

第一章 初めて親と離れる瞬間

第一子である長男は、私の両親にとっても初孫でとても甘やかされて育ったせいか、泣き虫で甘えん坊な性格です。人見知りはありませんでしたが、基本的にはママにくっついてばかりの子供です。
また早生まれでもあり、入園の頃は3歳になったばかりで4月生まれの子と比べると体格面はもちろん、言葉遣いや手先の器用さも同級生とは思えないほどの差がありました。
私と息子は入園する半年前から、入園する予定の園に週に1度1時間のプレ保育に通っていました。そこでは、最初の30分は親子で歌ったり踊ったり手遊びをしたりして過ごし、残りの30分は母子分離され、先生と子供たちで紙芝居をしたり、塗り絵をしたり、折り紙をしたりする時間となっていました。
10人程度のクラスで、母子分離の時間では最初は泣いてしまう子は半分くらいでしたが、半年間最後まで泣いていたのは息子1人でした。入園後のことを考えると心配で胸が痛み、先生に不安を相談しました。先生によると、毎年1学期が終わる頃まで泣いてしまう子はいるとのことでした。心配を抱えたままプレ保育を卒業しましたが、まだこの時点では私の中には、泣いている姿もきっと思い出に残るだろうという能天気な考えもありました。
そしてついに入園式の日がやってきました。会場に入ると園児席は前、保護者席は後ろのなっていて、子供たちは次々と前のほうへ集まっていきます。そんな中息子は大泣きしていつまでも1人で園児席に行くことができず、私のそばを離れられません。ただ、同じ状況の子供は半分くらいいて、その子達はみんな仕方なく保護者の近くでの参加となりました。3歳児はこんなものかと少しほっとしたのを覚えています。
そんな入園式も終わり、子供たちのクラスと担任の先生も発表されました。いよいよ、それぞれの家庭から初めて離れ、お友達を作っていろんなことを覚えていろんな経験をする、そんな社会生活の始まりです。プレ保育の時や入園式での姿を思い出すと、大泣きの日々が始まってしまうのではないだろうかと心配はありましたが、きっといろんなことができるようになるのだろうと、息子の成長を考えると楽しみでわくわくした気持ちにもなりました。
そして登園日の朝、寂しい気持ちにならないように楽しい話をたくさんして、元気に自転車で幼稚園に送り届け、私は先生に挨拶をして帰ろうしました。
すると突然、
「ママぁ-っ!!!!!いかないでぇ-っっ!!!」
と息子が大声で泣き始めました。
しかし、私は心を鬼にして息子を引き離し、急いでその場を離れ振り返らずに門を出ました。
前から、送り届けた時に子供が泣いているからと親がいつまでもその場に留まるのは逆効果になると聞いていたからです。親がその場からすっと立ち去るほうが子供が切り替えをしやすくなる場合が多いそうなのです。
門を出て自転車をこぎだした私も、泣いていました。あんなに泣かせてまで、今幼稚園に入れなければならなかったのか、早生まれなのだし無理やり3年保育でなくとも、2年保育でも良かったのではないだろうか、あの後息子はずっと泣いているのだろうか、どんな風に過ごすのだろうか、これも今まで私が過保護に育ててしまったせいなのだろうか、などと、家に帰った後も何も手につかず、お迎えの時間になるまでぼんやりと過ごしていました。初日は午前保育だったのでたった2~3時間のことだったのですが、その時間がとても長く感じたことを覚えています。
迎えに行ったらどんな顔をしているだろう、泣き腫らした目をしているのかな、お友達とお話できたかな、何をしたのかな、楽しく過ごせたかな、いろんな思いを抱えてどきどきしながら幼稚園に入りました。
すると、玄関で靴を履いて先生と一緒に座っている姿が見えました。
私の顔を見ると、にこにこと笑って元気に走ってきました。その顔は想像していたよりもずっと明るく、心配していたような泣き腫らした目ではありませんでした。
先生に園での様子を聞くと、私が帰った後30分くらいはそのまま大泣きして、その後30分くらい放心状態になっていたそうです。そしてやっと自分でなんとか切り替えができたようで、これからはみんなと歌ったり踊ったりしながら楽しく過ごすことができていたそうです。あとになって、この時のことを聞くと泣き止むことができたのは、「先生が優しかったから」とのことでした。幼稚園が怖いところではないと理解できたのでしょうか。
先生との相性は重要といいますが、息子が初めて担任してもらったその先生は、とても優しくて甘ったれな男の子を抱きしめて受け止めてくれる方だったので、息子とも相性が良くきっと安心して甘えることができたのだと思います。
息子と一緒に歌いながら自転車に乗り、幸せな気分で帰宅しました。部屋に入り、お昼ごはんに準備していたお弁当をもりもり食べながら、幼稚園でどんなことをしたのか,楽しかったことはなにか、お友達はできたのかなど、たくさん質問攻めをしてしまいました。でも返ってくる言葉はほとんど、「わすれちゃった」のひとことで、あっという間に昼寝してしまいました。
起きてからも、まだまだ幼稚園での話を聞きたかったのですがぐっとこらえ、また明日からの幼稚園へ向けての話をすることにしました。今日の姿を見て、いつまでも赤ちゃん扱いをすることはやめて、心配ばかりするのではなくもっと信じてみようと思いました。そこで、
「パパは会社でお仕事をしているでしょ、ママはお家でご飯を作ったりお掃除したりしているでしょ、あなたは幼稚園に行くことがお仕事なんだよ」
と説明しました。「お仕事」という役割を与えることでやる気になれるのではないかと思ったからです。
そして次の日の朝、
「お仕事がんばってね!」
と声をかけると、効果抜群で、
「うん!!がんばってくるね!」
と、全く泣かずに張り切って幼稚園の玄関を入っていきました。
先生は、
「今日は泣かずにがんばってきてくれたんだね、えらいね」
と抱きしめてくださり、息子はもうにこにこの笑顔です。
「ぼくのおしごとはようちえんのおしごとなんだよ」
と言いながら1日元気に過ごすことができたようでした。
先生の優しい声掛けや、抱きしめてくれる温かさはとても大切で、親にとってもそんな愛情をたっぷり与えてくださる先生の存在は大きく、本当に幸せな気持ちになれるものです。
私の息子はたまたま入園してから、親と離れることで泣くことはなくなりました。
しかし周りではやはり1学期の間は毎朝泣いている子はちらほら見かけました。当人の立場になってみると胸が痛みますし、なんでみんな泣かずに行っているのにうちの子は・・・とか、悲観的になってしまっているのではないかと心配にもなりました。
でもこうして後になって振り返ってみると、いつかは泣かなくなる日が来ることを知っているので、泣いていた日々さえかわいくて懐かしく、貴重な思い出だったのだということがわかります。
初めて親から離れる日、そして自分の世界への一歩を踏み出す日、そんな、人生の中でも大切な瞬間は、しっかりと目に焼き付けて心に残しておこうと意識しなければ、忙しくバタバタと過ぎ去ってしまう、あっという間の日々でもあります。今でもたまに思い出すと、もう一度あの日々に戻ってあの時の息子を抱きしめたいと、胸がギュッと切なくなります。

第二章 お友達トラブル

入園したばかりの3歳くらいの年少さんの子供たちというのは、特定の仲良しのお友達を作ってグループで遊ぶということは少なく、特に男子の場合はまだ興味のあるおもちゃのところに集まったり、好きな遊び方をしているお友達のところに近寄っていって一緒に遊ぶという雰囲気が多いそうです。
また、集団で仲間外れにしたり、誰かを攻撃したりということはほとんどないようですが、おもちゃの取り合いから発展した喧嘩や、自分の思い通りにならないことの怒りを相手にぶつけてしまうような個人間でのトラブルは多いようです。
息子が年少の頃の話ですが、幼稚園生活にも慣れてきて、帰ってきてから幼稚園での出来事をたくさん話してくれるようになりました。すると話を聞くにつれ気になることが出てきました。
同じ男の子の名前を出すたびに沈んだ顔になるのです。だんだんとそれが毎日のことになり、内容はその子に「叩かれた、押された、意地悪を言われた」というものでした。最初は息子の言うことが全て正しいとも限りませんので、様子を見ていましたが、あまりにも毎日続くので先生に相談してみることにしました。
「お友達とうまくいっていないようで家で悩んでいるのですが、何か心当たりあるようでしたら教えてください」
と聞いてみたところ、相手のお友達の名前は出しませんでしたが、先生はすぐに気づいたようで、
「それはつらい思いをさせてしまって申し訳ありませんでした。お友達とぶつかって泣いてしまったり、押されて転んで泣いてしまったりすることはありました。」
という話をされました。
ただ息子だけが揉めているというわけではなさそうで、相手の子は他のお友達とも同じようなトラブルがあるようでした。心配で息子のほうはその子に手を出したり嫌なことを言っていることはないか聞きましたが、それは一度もないとのことでした。そして、今後嫌な思いをすることのないよう目を光らせて一層気を付けて見ていきますと約束してくださったので、家に帰り息子に、
「何か嫌なことがあったらその場ですぐに先生に言うこと」
「自分でもその子にやめて、と強く言いなさい」
と話しました。
これで解決の方向に向かってくれるように願いながら、もう少し様子を見ていくことにしました。その後に個人面談がありましたが、その際もお友達トラブルの話はなく、息子は特定の仲の良いお友達と遊んでいるというより、みんなと同じように仲良くしていて、楽しいところに進んで入っていって遊んでいるタイプとのことでした。
息子の幼稚園は自転車で送り迎えをしている人がクラスの半分くらいおり、幼稚園が終わるとたまにみんなで公園に寄って遊んでいました。その中に例の男の子とお母さんもいて、その日は個人面談の話題になりました。するとそのお母さんは面談で、うちの息子と仲が良いと言われたというのです。私は、自分の息子は叩かれた、意地悪されたと毎日のように悩んでいるのに、仲が良いと思われているのかと、衝撃を受けました。
さらに、公園で遊ぶ姿を見ていても、気に入らないことがあると、お友達を押したり、叩いたり、意地悪を言ったりと、手が出てしまう場面を直接目撃することもありました。息子は一生懸命に私に訴えており、実際に私もそういう場面を目の当たりにしたこともあったけれど、それは中々言い出せず、息子と二人もやもやした気持ちを抱えたまま過ごしていました。
しかし時が経つにつれ仲の良いお友達もできてきて、幼稚園に行きたくないと言うことは一度もなく毎日元気に通っていましたので、楽しく過ごしているのだろうと感じていました。
そして2学期も半ばまで過ぎ、運動会の練習も佳境に入ったころ、息子が夜泣きをするようになりました。さらに寝言で泣きながら怒鳴るようになったのです。私は初めての運動会の練習でストレスが溜まっているのだろうか、私が下の子を妊娠しているせいで赤ちゃん返りをしてしまっているのだろうかと、考えました。
すると、ある日の帰り息子の手の甲に傷があることに気づきました。傷の原因を聞くと、泣き出しました。例の男の子に引っ掻かれたというのです。詳しく話を聞くと、急に遊んでいたブロックを壊されて取り上げられて、そのブロックで叩かれたり、爪で引っ掻かれたとのことでした。息子は落ち込んでいてその話をもうしたくないと言うので、ひとまずそれ以上は聞かず、次の日の朝に先生に聞いてみることにしました。
その夜、仲の良いお友達のママからラインが来ました。そのお友達の手の甲にも傷があり、息子と一緒に引っ掻かれたと言っていたようでした。男の子ですし、喧嘩をして傷ができることくらいこの先にもたくさんあるだろうとは思いますが、息子は何度も私に訴えてきていたのに、結局何も解決してあげることができていなかったことや、こうして傷になって悲しませてしまったこと、最近の夜泣きはお友達とのことでも悩んでいたのではないだろうかと考え、本当に悲しくなりました。次の日の朝、先生にこの一件を話すと、先生が知らない間の出来事のようでした。
お迎えの時にまた先生からお話があり、その子にこの一件のことを問いただしたところ、覚えていないと言っていたようでした。その時に、最近その子が先生の見ていないところでお友達に意地悪をしていることや、やり返してこなさそうな子、先生に言いつけなさそうな子を選んで、意地悪をしているようだと聞き、とても腹が立ちショックを受け、このまま放っておくわけにはいかないと思いました。
相手のお母さんにも先生からお話をしたとのことで、すぐに連絡が来ました。仲が良いと思っていたのにそんな傷をつけて辛い思いをさせていたなんて本当に申し訳ないと、謝罪されました。私は公園でその子がお友達に暴力を振るっている姿を実際に目撃したことがあることを伝えました。しかし今後も年中、年長とずっと一緒に過ごしていくのだから、お互い良い成長ができるように見守っていきたいと話しました。そのためには大きな怪我につながらないよう手を出すようなことがあったら、私からその子に直接注意してもいいか聞きました。
「注意してくれるならそんなに有難いことはない」と言われました。それまで公園で注意する母親の姿を見ることはありましたが、全く言うことを聞かず効果がないのです。他の大人の人に注意してもらったほうが言うことをきくのでそうしてもらえたら助かるとのことでした。自分の子供の躾は親がするべきだとは思いますが、大切なのは誰が注意するかではなくて、子供にとって何が良いかということではないかと思うので、私はその子にとっても息子にとっても、今ここできちんと解決しあげられるよう声掛けをしていこうと、考えました。
その後は公園に行ったら、私だけではなく一緒にいるお母さんたちもみんなで、なるべく見守りつつ積極的に声掛けをするようにしました。
そこから、見守らなくても心配なく遊べるようになるまで、本当に時間はかかったし、それまでに何度も同じようなトラブルを繰り返しましたが、その度に話し合い、やっと年長になった頃には、自分の思い通りにならないからと相手を傷つけることはとても少なくなりました。
意地悪をされた、してしまったから、とその子を避けるのではなくてみんなで声を掛け合って乗り越えていくという解決は、根気のいることですし、なかなかできることではないと思います。
息子が過ごした幼稚園は3年間クラス替えもなく、とても恵まれていたクラスメイトだったのだとも思います。
ただ、お友達と喧嘩をしたり仲直りしたりする姿を親がすぐそばで見守ることができる期間は限られていて、小学生になるとそのような場面は急激になくなります。
辛い思いもしたしたくさん悩んだけれど、今となっては私にとっても息子にとっても、公園で一緒に遊んだ仲間たちにとっても、本当にいい経験だったと思っています。

第三章 親同士の関わり、役員をやってみて

私は昔から人見知りはしないほうですが、友達は決して多いタイプではなく本当に仲良くなるまではとても時間がかかるほうでした。学生時代は毎日教室で長い時間を一緒に過ごしていく中で友達ができましたが、大人になってから新しく友達ができるということはあまりありませんでした。
しかし入園してからは、同じ年齢の子供を持つお母さんたちと幼稚園でのいろいろな行事を一緒に行い、送り迎えで毎日顔を合わせ、子供同士もどんどん仲良くなって帰りは公園でみんなで遊んだりピクニックをしたり、このような日々の繰り返しの中で、自然と一緒に過ごす時間が長くなっていきました。
毎朝決まった時間に「おはよう」とお馴染みの顔がそろうと、なんだか学生時代に戻ったような気持ちでとても楽しい気持ちにもなりました。毎日顔を見ているとそのうちに仲の良いママの顔を見ただけで、元気がないな、何かあったのかな、などちょっとした変化にも気付くようにもなりました。悩みを相談しあったり、面白いことがあれば一緒に笑いあったりしているうちに、私にも親友ができました。大人になってから親友ができるとは思ってもみませんでしたが、思い返してみると、私の母親も私が幼稚園に通っていたころにできた友達とその後も何十年と付き合っていました。お母さんたちの年齢はバラバラですが、同じ年齢の子供を持っている、そして子供が同じクラスで一緒に過ごしているというだけで、悩みは共通していることも多く、相談しやすい環境なので、気が合えばそこから距離がぐっと近くなるのだと思いました。出身地も年齢も育った環境もみんな違いますが、フラットな関係性が心地よくもありました。子供同士が揉めたり喧嘩をしてしまうこともたくさんありますが、子供はすぐに仲直りできるので、そんな姿を間近で見ていると大人同士もこんな風にさっぱりと関わっていけたら理想的だなぁと学ぶこともありました。
ただ、女の子のお母さんだと少し感覚も違うようで、女の子は男の子よりも精神年齢も高く、単独で行動するよりも、グループで行動することが多いようなので、女の子特有の悩みを抱えていました。喧嘩も男の子のそれとは少し違い、和解するのにどうしてアドバイスをするべきか親でも悩むようなものでした。例えば、二人で遊んでいる女の子のところにいって、「い-れ-て!」と、言ったところ、「今はふたりであそびたいからだめ!」と言われて落ち込んで帰ってきた、というようなことです。意地悪な気持ちがあってそうした言動になっているのであれば問題なのですが、だからといってどうして解決したら良いのか考えてしまいます。そもそも意地悪な気持ちは目で見えないので本当のところはわかりません。他のお友達と遊んだらどうかという提案くらいでしょうか。そのような悩みは女の子のお母さんは多く抱えていたようでした。
そんな中、息子が年中の終わりを迎えるころに、先生から年長さんで役員を引き受けてもらえないか、との打診がありました。年長の役員は仕事がとても多くかなり大変だということは聞いており、下の子がまだ小さかったので本当に私にできる仕事なのかと、不安になり少し悩みました。しかし前向きに検討したいという気持ちになりました。というのも、息子のクラスはとても仲が良く、お母さん同士の雰囲気もとても良かったので、何か思い出作りに携わりたいという気持ちや、園での子供たちの様子をもっと近くで見たいという気持ちもあり、全く役員をやりたくないというわけではなかったからです。そして、一緒に打診された仲の良い友達と何日か考えて悩んだ結果、思い切って引き受けることに決めました。
幼稚園によって役員が関わる内容や、仕事量は全く違うようで、そもそも役員制度がない園もあるようですが、息子の園はとにかく年長役員の仕事量は膨大なものでした。
そして年長になり、初めて10名ほどの年長役員が集まって仕事内容を確認した日は、みんなで覚悟を決めて気合いを入れ直したほどです。しかし、息子の園は3年間クラス替えがなく、初めて会う方も多かった上、コロナ禍でしたのでなかなかみんなで集まって会議をすることができませんでした。各クラスから一人ずつの少人数で集まったり、オンライン会議をしたりしながら、卒園記念品を決めたり、卒園アルバムの内容を決めたりというところから始まりました。決めなくてはいけないことが多い中、直接顔を見て話し合いができないのは、とてももどかしいことでした。オンライン会議で発言するのは顔を合わせての会議よりもハードルが高く、なかなか本音で意見を組み交わすことができず、お母さんたちの年齢もバラバラで好みも違うし、クラスが違う方とは普段ほとんど会えないので、会議で発言できないと、意見の違いさえもわからないまま決めていくことになり、まとめ役の会長の気苦労はとても大変なものだったと思います。
そしてついに、卒園アルバムの制作、謝恩会の企画と運営が始まりました。年長役員が最も骨の折れる仕事がこの二つでした。同時期に進めなくてはならないし、コロナ禍でその都度状況が変わるので、ぱっと決めることもできず、世の中の流れを見ながら内容を考えなくてはならず、頭を悩ませる時期が続いていました。そもそも開催自体ができるのかどうか、それについても幼稚園側の意見、そして役員同士での考え方も全く違うし、幼稚園の各家庭の考え方もそれぞれ違うものだったと思います。それでもイベントが少ない日々を過ごしてきた先生と子供たちに、特別な思い出を一つでも多く残してあげたいという思いで、話し合いを重ねました。
行動制限が少し緩くなったころ、役員全員で毎週集まり謝恩会に向けての準備が始まりました。なんでも手作りの得意なお母さんもいれば、苦手な方もいて、パソコンが得意な方もいればそうでない方もいる、自分の意見をはっきりと言える方もいればそうでない方もいて、ミスをしてしまうこともあるし、この時期でもどこか他人事のような発言をしてしまう人もいる、当たり前ですがいろんな人がいるわけですから、ここでは何度も揉めました。みんな大人ですが、喧嘩をすることもありました。今振り返ってみると、くすっと笑えてしまうようなことなのですが、当時の私たちはみんな一生懸命でしたので喧嘩も真剣でした。ただみんな一緒なのは、子供たちと先生方を喜ばせたいというところです。最終目的が一緒で、そのためにがんばっている役員同士ですので揉めても喧嘩をしても、腹を割って話し合い解決して、また一緒に活動できたのだと思います。その感覚はまるで自分たちの学生時代の文化祭の準備のようでした。忙しいながらも青春時代に戻ったようで、毎日生き生きとしていてとても充実していました。入園してからの成長を振り返る動画を作ったり、先生へのメッセージを撮影したり、子供たちに絵を描いてもらったりと、かわいい子供たちの姿をたくさん見てきれいな心にたくさん触れていると、心が浄化されていくようで、忙しさも全く苦になりませんでした。
謝恩会前日の夜に役員全員で会場装飾をして、当日を迎えました。朝、お互いの顔を見ると今まで一緒にがんばってきたことを思い出して、それだけで涙が出そうなくらい感極まっていました。その日で全員での仕事は最後なので寂しさもあったのだと思います。謝恩会は無事に大成功を収めることができ、先生方や保護者の方に労いの言葉をかけていただいて達成感で胸がいっぱいになりました。最後に役員で集まってみんなで泣きながらお互いをよくがんばったと称え合いました。
この3年間、自分自身の学生時代よりも青春を味わえたのではないかと思います。これで幼稚園生活が終わってしまうと思ったら本当に寂しくて仕方ないのですが、これほどまでに充実していて貴重な時間を過ごせたことがありがたく、どれも忘れられない私の人生の中での宝物の思い出となりました。

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