高齢出産! 早生まれ男子の育児3650日

2021年11月17日

発達障害

はじめまして。都内在住、小4の1人息子を持つ主婦です。私は37歳で出産をし、息子は3月の早生まれです。「早生まれの、とくに男の子の育児は大変」ってよく聞きませんか?
私にとっては、早生まれの息子の幼児期は怒涛の毎日だった気がします。気にしないで過ごせば良いのかもしませんが、出来ることは何でもやってあげたい!と思い、今も試行錯誤の毎日です。育児も10年目を迎えます。長いようで、早かったような、そんな10年間を思い出しながら綴っていきたいと思います。よろしくお願いいたします。

37歳の初産

36歳の8月に妊娠判明。
その時は嬉しさでいっぱいでしたが、やっぱり高齢妊婦って若い人よりリスクは付き物なのだと、実感する日々でした。

◆妊娠中にうつ病に!

妊娠検査薬で陽性が出てから数日後に都内の病院を受診しました。
医師から「おめでとうございます!」って言われるのかな?とドラマで見るようなセリフを期待してましたが、実際に告げられたのは「高齢妊娠と流産の確率」でした。「次の受診日までに出血が出たり流産するかもしれないけど、それは貴方が悪いんじゃないからね。年齢的に4人に1人は仕方ないから。40代になると2人に1人は流産しちゃうから。だから気にしないで。では2週間後にまた来て下さい。」という言葉。医師は、きっと良かれと思って言ったのかも知れないけど、私は愕然としました。
おめでとう!じゃないの?高齢妊娠ってこんなリスクあるなんて知らなかった。赤ちゃん流れたらどうしよう・・・次にまた妊娠するなんて分からないじゃん。私は、長年働いていた仕事を辞め、お腹の中の赤ちゃんを守る事に必死になっていました。8月下旬には悪阻も出てきてベッド生活。時間があるせいか余計な事を考えるようになり、流産の不安やホルモンバランスの変化のせいか涙も止まらないしで、とうとう「妊娠うつ」になってしまいました。
2011年、2012年は芸能人の妊娠出産ラッシュが続いていた年です。最初で最後の妊娠かも!と思い、芸能人も多く利用するS病院へ転院しました。ですが、うつ症状が酷くなりタクシーで緊急受診をしたある日。「うちは精神科や心療内科が特別あるわけではないので、大学病院へ転院したほうが良いかもしれないです。」と言われ、再びの転院となってしまったのです。

◆妊娠高血圧症候群で緊急入院

S病院から紹介状をもらっていたので、大学病院側はすんなりと私を引き受けてくれました。そこで医師に言われたのが「ハイリスク外来」です。そんな特別外来があるなんて、ここで初めて知りました。精神科との連携も取って頂き、ハイリスク外来への定期健診。一般外来との差は分かりませんが、ハイリスク外来へ行くことで安心感は得られていました。検査数値が悪いと点滴を打ってくれたり、精神科では妊娠に影響の少ない薬を考えて処方してくれました。
妊娠7ヶ月にして「男の子」と判明。なんとなく自分でも男の子だと感じていたので予想的中でした。そしてハイリスク外来へ転院してからは朝夕の血圧測定が欠かせませんでした。3月の20日も過ぎたあたりでしょうか。なんだか血圧が普段よりも高くなってきたのに気づきました。そして3月23日のハイリスク外来定期健診の日に、血圧手帳を見た医師から「もういつ産んでも大丈夫なので今日から入院しましょう!」と言われたのです。突然の事で、びっくりでした。ただ妊娠9ヶ月を過ぎたあたりから、万が一のための入院セットは荷造りしていたので、私は病院に残ったまま、母に荷物を取ってきてもらうだけですみました。早めの入院準備をしていて正解でした。
自分のカルテを覗いてみると、医師は「妊娠高血圧症候群」と書いていました。

◆4月生まれ予定が3月に出産!

私の出産予定日は2012年4月6日でした。母からは「3月に出産にならないようにね。早生まれは大変だよ。」と何度も言われていました。3月の20日を過ぎても子宮口が開いてるような兆候もないので、4月に産める!大丈夫!と思っていた私としては、緊急入院は寝耳に水状態。うつ症状の改善に気を取られていたせいか「妊娠高血圧症候群」という病名も初耳でした。入院と決まると車椅子へ座らされ、担当医師との話がありました。「明日、出産しましょう!」本当に驚きです。しかも定期健診の赤ちゃんの推定体重は2500g以下でした。当初は陣痛促進剤で
の自然分娩を提案されましたが、精神的に耐えれないと思い「帝王切開でお願いします。」と自分でお願いしました。精神科の担当医師の所へも行き「明日、出産します。」と話すと「あら。それは急だね。」と驚いていましたが、すぐに産科の入院病棟へ来て下さり、先生同士でご挨拶をされていました。大学病院の連携プレーです。
本当に今でも感謝しかありません。

◆産後発覚!20人に1人の停留精巣の疑い。

出産前の推定体重は2500g以下。なので、医師や看護師さんからも出産後すぐにICUへ運ぶ予定と聞かされていました。ですが、いざ生まれた息子は2700gを超えていました。ということで、幸運にもICU行きは免れました。個室に入院していたので出産後すぐに看護師さんが息子を連れてきてくれました。目と鼻と口がある。手がある。指が5本ある。それだけでも嬉しかったです。薬を服用しながらの妊娠だったので、不安ではありましたが、無事に五体満足な赤ちゃんを授かることが出来ました。薬を服用していたので、母乳は禁止とのことで、出産してすぐに「母乳が止まる薬」を渡されました。たった1錠の薬でしたが、その後、母乳は、ほぼ出なくなりました。
帝王切開後の痛みですが、術後も背中に麻酔の管が入っており、痛いときは自分で注入することが出来たので、ちょっと痛むかな?くらいですみました。後陣痛というのもよくわからなかったです。ただ術後、像のように足がパンパンに腫れたのには驚きでした。(笑)
それから出産してから数日後。突然看護師さんに呼ばれて、息子の所に行ってみると、白衣を着た医師が3人ほどで息子を取り囲んでいました。何事?と思い、私は動揺して泣いてしまいました。すると医師から「看護師が触診で片方の精巣が上がっているのを見つけて、今みてるところです。停留精巣は20人に1人は起こるんで、そんな深刻な病気じゃないから大丈夫ですよ。自然に降りてくる事もあるから、そんなに悩まないでね。」と説明を受けました。男の子の事なんて初めてなので「停留精巣」という言葉も初めて知りましたし「精巣が陰嚢内に入っていない」という意味も分かりませんした。でも20人に1人は起こると聞いて、一応安心しました。
この疾患は、精巣が上がり下がり移動する事もあり「移動性精巣」とも言うらしいです。
その後は、小児外科へ2か月に1度の定期通院となり、自然に降りてくる事を願い、待つことになりました。

ベビーシッター派遣のハニークローバーは、入院中のお子様のお世話もさせていただくことができます。着替えや洗濯、絵本の読み聞かせなど、お子様が楽しく過ごしていただけるよう、入院中のサポートもさせていただきます。

怒涛の毎日!早生まれの2歳児男子の育児

息子の乳児期はミルクを3時間ごとにしっかり与えていました。夜中も3時間後に目覚ましをかけて起きてミルクをあげる、飲んでくれた量を毎回ノートに記入する、という育児書に書いてあるとおりの方法です。正直、夜中のミルク作りはしんどかったです。今思えば、3時間ごとのミルクというより、赤ちゃんが欲しがったら与えるという方法で良かったんじゃないかと思っています。出産しても、うつ症状は改善しなかったのですが薬の制限がなくなったので色んな薬を試して、産後1年過ぎたあたりから改善方向へ向かい始めました。息子は1歳1ヶ月で歩くようになり、元気そのもの印に育ってくれていました。

◆月齢差を思い知らされる!

息子が歩き出した時は嬉しかったのですが、とにかくちょこまかして落ち着きがなく走り回るので、外で一緒に歩く時は大変でした。本当はやりたくなったのですが、リュックに紐を付けて息子に背負わせて私はその紐を持つ。そのくらいしないと、どこかに逃げてしまうんです。なので、大抵はベビーカーに乗せて移動していました。2歳も近づいてきた頃、そろそろ習い事をさせようと思い、水泳、体操、英語に通う事にしました。
習い事を始めて、ママ友が出来たり、息子もまだ会話は出来なくても気の合うお友達が出来たりと世界が広がってきました。習い事には、同じ年齢の子供達がいます。でも3月生まれの息子が2歳になった頃、4月生まれの子供は3歳になります。周りを見渡すとママと子供で沢山会話をしているし、トイレトレーニングが終わってる子供もいました。うちの子は、全然おしゃべり出来ないし、トイレトレーニングなんて全く出来ていなかったので、すごく焦りました。うどんを箸を使って食べてる子供を見たときは衝撃でした。
「3月生まれだから仕方ないよ。」と周りは言ってくれますが、どうしても出来る子供と比べてしまいました。個々のペースがあると言われても、不安と焦りは無くならなかったです。そして体操教室で気づいた事。ほかの子供達は先生の言う事を聞いてやっているのに、うちの息子は寝そべったり、教室の中をぐるぐると走り回っていました。先生が捕まえても逃げようとするし、この落ち着きの無さって月齢のせいか?とだんだん発達面で心配になってきたのです。

◆発達支援センターを利用してみる

あまりに発達に対して心配になったので、近所の保健センターに相談をしてみました。すると、区内に発達に特化した支援センターがあるとの事。でも今すぐには入れないので、保健センター内で、発達の心配なお子さんを集めたグループ活動があるので参加してみませんか?と教えて頂き、発達支援センターに行くことが出来るまで、保健センターのグループ活動に参加する事にしました。グループ活動は月2回。先生方と子供達で玩具遊びをしたり絵本の読み聞かせをしてもらったり、その間お母さん達は別室に集められて、先生からアドバイスを貰ったりしていました。参加しているお子さん達は一見、見た感じは何で来てるの?といった子達ばかりでした。でも、それぞれにお母さん達は悩みがあって来ているはずです。さすがに「何で来てるんですか?」とは聞けなかったです。
2歳3ヶ月になり『新型K式 発達検査2001』という発達検査を支援センターで受けれる事になりました。結果は、運動能力は2歳4ヶ月でしたが、後の結果は月齢以下。特に言語に関しては1歳5ケ月との事でショックでした。相手の問いかけに応える力に関しては要課題。それと手先が不器用という指摘もありました。それから2ケ月ほど待って、支援センター内のグループ活動にようやく参加出来る事になりました。保健センターよりも数倍広い施設で、玩具遊びや、サーキットといった運動遊び、親子揃ってのバルーン遊びや絵本の読み聞かせなどの内容を月2回のペースで行いました。支援センターは発達専門機関なので、保健センターと違って、見た感じ明らかに大変そうな子供と、見た感じ全く分からない子供と混在していました。
うちは多分「グレーゾーン」だったと思います。幾度か参加をしていくうちに、自我が強いお子さんに度々叩かれてしまう事があり、例えば玩具の取り合いになり叩かれてしまったり、両手をバタバタさせてるお子さんの横にいて平手打ちに合ってしまったり、参加の意味が分からなくなり休む事もありました。正直、今でもこのグループに参加して何が変わったとか、全く分かりません。でも、色んなタイプのお子さんがいて、様々な悩みを抱えるママ達と出会って、「孤独の悩み」から解放された事は良かったと思っています。

◆停留精巣の手術を受ける

話は前に戻り、産後見つかった停留精巣ですが、3ケ月に1度のペースで小児外科で超音波検査をしていましたが、なかなか自然に降りてきませんでした。息子の通っていた大学病院は「停留精巣(移動性精巣)の手術は2歳がベスト」と推奨していました。理由としては、自然に降りてくる事があるので2歳になるまで経過観察する事と、成長するにつれて手術の恐怖を感じてくるので、さほど記憶が残らない2歳の手術が好ましいとの事。
そして2歳も5ケ月を迎えようとしていた夏に医師から「降りてくる様子もないので、手術しましょう。」と言われました。手術当日、病院着を着ている息子はすごくご機嫌でした。これから手術をする事も理解してない様子。もう少し大きくなってからの手術だったら相当ごねただろうな、と思いながら、手術室へ連れていかれる息子を見送っていました。手術はそんなに難しくないと聞いてたので安心でしたが、「全身麻酔」という事が1番の不安でした。実際、全身麻酔から覚めてきた息子はベッドの上で物凄く泣き叫び始めました。全身麻酔後に暴れる子もいるとは説明を受けていたのですが、長時間の泣き叫びには参りました。団体部屋だったので、周りの患者さんにも申し訳なかっ
たです。
入院は3泊4日で無事退院。今でも術後観察として、年に1回のペースで超音波検査を受けています。そして、2歳の時に手術した事を覚えているか息子に聞いてみると、全く覚えてないとの事。2歳で手術をして正解でした。子供の治癒力はすごく今では、術後の傷口も全く分かりません。手術をして本当に良かったと思っています。

◆私立幼稚園の面接試験は2歳7か月

私の住んでいる区は3年保育の幼稚園は私立のみです。自分も主人も3年保育の私立幼稚園出身なので、息子も3年保育に入れるつもりでいました。幼稚園選びっていつだろう?って悠長にしていたのですが、早生まれの子供って幼稚園の面接を2歳で受けないといけないんです。気づいた時には、プレ保育の申し込みは終わっていました。でも、特にプレに入れる予定は無かったので6園ほど見学に行って、募集人数が多いジャンボ幼稚園を2園受ける事にしました。支援センターの先生にも幼稚園を受ける事を報告すると「落ちた場合どうしますか?」と聞かれました。ん?ん?と思いましたが「落ちたら区立幼稚園に行きます。」と告げ、いざ11月の幼稚園試験の当日。
1園目の幼稚園では試験中、椅子に座った途端、泣き出しました。再テストをさせて頂きどうにかクリアはしたものの、先生とのご挨拶の時に目が合わせられず「目を見て挨拶しようね。」と注意をされました。
2園目は、本命幼稚園でした。何度も説明会に足を運び、出席回数を重ねてアピールをしていたのですが、「オムツが外れてないんですか?早生まれの子供こそオムツは早く外すべきです。」と面接で言われ、結局2園ともあっけなく落ちてしまったのです。

◆どうする?3年保育の受け入れ先が無い!

幼稚園の試験が落ちるかもしれないとは思ってはいたものの、実際落ちてみると物凄くショックでした。周りのお友達のお子さん達は皆無事に合格をしたので、息子と一緒に遊んでくれるお友達もいなくなると思うと、目の前が真っ暗に。
私は泣きながら支援センターの先生に電話をしました。「幼稚園の試験、落ちちゃいました。うちの子は3年保育はやはり無理なんでしょうか。 先生は正直どう思いますか?」と尋ねてみると「今回、合格出来ればそれで良かったなと思っていて、でも正直に言うと 息子さんは3年保育の幼稚園行くのは難しいかなと思います。」と。
その言葉を聞いて、私立幼稚園に行く事は諦めました。幸い、区立幼稚園もあるのですが区立だと2年保育からになります。この1年、どうすべきか悩みました。民間の発達幼児教室や、学習系の幼児教室など色々体験レッスンを受けさせたのですが、ネットで英語保育園の存在を知り、思い切ってインターナショナルスクールのプリスクールに問い合わせる事にしました。
親が日本語OKの所を探し、息子の発達の事や、幼稚園が落ちてしまった事など色々相談をしました。体験入園をさせて頂くと、園長先生は快く息子を迎えてくれました。言語に関しては、まだ日本語もうまく話せないので、息子自体も日本語でなくても抵抗はない様子でした。そして2歳9ケ月を迎え、息子をインターナショナルスクールの 
プリスクールに通わせてみる事にしたのです。

ベビーシッター派遣のハニークローバーは、お子様の送迎保育もさせていただきます。短時間送迎は1時間よりご利用いただくことができます。

やっと入れた幼稚園

3年保育の幼稚園が落ちてしまったので、プリスクールに通わせる事にしましたが、やはりインターナショナルスクールは、月謝が高額。なので週2~3日のペースで通う事にしました。息子が通っていたプリスクールは、日本人の子供が大半。知り合いも出来てきて入園理由を伺うと、英語が話せるようになって欲しいと言う事だけではなく、3年保育の幼稚園が落ちたという理由で通わせ始めた方、保育園に入園するための点数を稼ぐために通ってる方、発達が遅く日本の幼稚園だと厳しいという理由で入れた方など様々でした。
私と同じような理由でプリスクールを選んでる方もいて安堵しました。月謝は、きつかったですが、プリスクールに入れた事は、今でも後悔してません。プリスクールに入れた事で、新たな世界が広がり、自分の気持ちも安定し、息子にとっても良い経験になったと思います。通わせて本当に良かったと思っています。

◆幼稚園面接は3歳7か月

プリスクールに入りたての2歳9ケ月の頃、息子は母子分離が初めてだったので、最初の2ケ月くらいは泣いていました。でも、徐々に慣れてきて気の合うお友達を見つけて3歳を迎えるころは楽しそうに通っていました。オールイングリッシュの環境ですが、子供は慣れるのも早いので特に問題は無かったです。3歳手前くらいからようやく日本語のお喋りも出来るようになってきて、英語も少しですが日常で話す事もありました。プリスクールには週に2~3回で通っていましたが、残りの日中は区立幼稚園のプレ保育に月2~3回通い、発達支援センターのグループ活動にも月1~2回通っていました。支援センターのグループは新たなグループになり、3年保育の幼稚園に行く方や、支援センターの先生からの紹介で支援センター内の保育園のような施設に通園のお子さんはグループを卒業していました。グループ活動に参加している子は男の子が多く、誕生日を聞くと2月や3月という子が多かったです。
「早生まれだしね。」と、グループ活動に行っては、親同士で励ましあっていました。参加のお母さん達の年齢層も、30代後半以降の方が多かったと思います。という事で、プリスクール(英語保育園)と区立幼稚園のプレ保育と掛け持ちをし、息子の今後の進路を考えていました。区立幼稚園の入園申込は11月1日からになります。私立幼稚園の面接は2歳7ケ月でしたが、今度は3歳7か月。
とりあえず、それまでにオムツを外そう!と言う目標は、立てていました。

◆区立幼稚園に入園して良かった!

夏休みを過ぎると、区役所での区立幼稚園の説明会が始まります。私は、このまま就学するまでプリスクールで過ごすか、区立幼稚園に移るか迷っていました。支援センターの先生に相談してみると「小学校はどうされますか?日本の小学校に行くなら日本の幼稚園に行ったほうが良いと思います。」と言われ、区立幼稚園に行こうかなと思うようになりました。小学校もインターナショナルスクールと考えたのですが学費を計算したら年間300万円以上掛かり論外でした。ちなみに息子の通っていたプリスクールはイベントやらの別途費用が掛かり週2~3回の通園でも年間80万円くらいは掛かったと思います。プリスクールのママ友にも進路の相談をすると、幼稚園に行く予定の方、プリスクールに残る方と様々でした。
オムツも3歳半前に無事に外れる事が出来ました。4月のオムツ無し通園も可能になった事ですし、区立幼稚園に進路を変え、区役所の幼稚園説明会へ出席しました。区立幼稚園は定員オーバーの時は抽選になり、それ以外、定員枠内に入れば入園可能になります。面接と行動観察があるのですが通常は1回で終わりです。抽選も免れ無事に面接まで進めたのですが、息子は行動観察で引っ掛かってしまい3回もテストを受けることになりました。上履きを履くのが遅く団体行動に支障が出来るのと、遊具で遊ぶときに危険行動をする恐れがあるというご指摘でした。3回目は、
別の指定場所で、別の幼稚園の先生による面接と観察テストでした。そこには各区立幼稚園から40組近くのご家族が来ていたと思います。行ってみて分かったのですが、就園にあたりどのような措置を取るべきか、介助指導員が必要かどうかの審査だったようで、入園予定の先生とは別の先生が今一度、判断をするとの事でした。そして「今日の結果は入園したら分かります。」と言われました。
無事に幼稚園に入園してみると、ばっちり息子に介助の先生が付いていました。区立幼稚園に入園して驚いたのは、先生の多さでした。1クラス25人くらいだったのですが、クラス担任の先生の他に介助の先生も含め常時3~4人の先生が園児を見守ってくれていました。この手厚さには感動でした。しかも、介助の先生は区の審査で付いたため無料です。私としては、息子の不器用さや、危険行動など不安もあったので、すごく有難く感じていました。区立幼稚園は隣接小学校との連携もあり、行事の時やプールなど小学校の施設を使う事が出来ます。園児達は小学校に行く心構えも出来ますし、沢山の先生が見守って下さるので、安心感がありました。この手厚さに、区立幼稚園に入って良かったと思いました。
発達がゆっくりな息子にとっては、2年保育の区立幼稚園で正解だったと思います。

◆療育施設を利用してみる

区立幼稚園の入園が決まり、日中のプリスクールは通えなくなるため、入園後は同じインターナショナルスクールのアフタースクールへ通う事にしました。発達支援センターのグループ活動は終了となるのですが、支援センターの先生との個別面談が2ケ月に1度行われる事になりました。個別面談は、約1時間ほど。子供の行動観察30分。親との面談が30分です。良き悩み相談の場でした。園生活は、やはり上履きを履いたり、園服の着用が遅くて帰りの会の準備でも一番最後に出てくる事がしばしばでした。手先も不器用ですし、周りを意識せずに行動するので転んでしまったり等、まだまだ課題はありました。幼稚園にいる時、先生がちょっとよそ見をしてた間に、息子が遊具から落ちて骨折した時がありました。何のための介助員なのか?と思ったりもしましたが、危ない行動を取った息子にも責任があります。支援センターの先生にも相談をしたところ「小学校に向けての準備として、療育を利用してみませんか?」と勧められました。グレーゾーンのお子さん達が行く療育施設を紹介して頂き、幼稚園からも自転車で近かったので施設長さんと面談をし、週1で通う事にしました。療育費用は有料になってしまうのですが1割負担で利用出来たので月額費用も安く、行ってみると殆どが男の子でした。6名くらいまでの少人数制で、保護者は別室でモニター観察が出来ます。1つのテーブルに正座して保護者達はモニターを見ていたので、皆で仲良く雑談したり、情報交換をしたりする事も出来ました。療育に来ているお子さん達は、見た感じはどうして来ているのか分からなかったの
ですが、話を聞くと、親が子供の事を案じ色々不安を抱えている事が分かりました。「そんなところに行く必要なんてないよ。全然普通じゃん。」って思う人もいるかと思います。私も周りの人から結構言われました。でも親としては、出来る限りの事はしてあげたいと思うものです。私は、ここに来ているお母さん達の気持ちがすごく分かり、そして励みにもなりました。

◆就学相談を利用してみる

年長になり小学校の準備も進めようという時期に、幼稚園に「就学相談」というポスターが貼られました。発達面や身体の不自由な子などの入学、進学相談なのですが療育に来ているお母さん達も就学相談を利用する、利用しないで悩んでいました。「利用しない」という方が殆どで、私も利用しない予定でいました。
やはり入学した後の偏見やいじめが怖くて躊躇してました。療育でも2ケ月に1度のペースで個別面談があるのですが、先生に相談したところ「就学相談の結果、例えば特別支援に行く行かないも保護者の任意なので、利用するだけしてみてはいかがでしょうか。損はないと思います。」と言われ、それならいいかな、と思い就学相談を申し込む事にしました。結局のところ、療育に来ていた同じグループの方の殆どが、就学相談を申し込む事にしたようでした。
就学相談は、発達検査と行動観察テスト・面接があります。申し込み者の数も結構多かったようで、予約を取るのも日にちも掛かりました。10月に発達検査をする事になり心理の先生と息子で約80分の長時間の検査を別室でやっていました。実施日は5歳6ケ月だったのですが、その日は調子が良かったのか7歳児の問題まで解けたそうで、IQが115という今までにない数字が出ました。そして後日、就学相談委員による行動観察と面接がありました。面接をして頂いた先生からは「IQもこれだけあるし特に問題ないんじゃないかな。後日結果はお電話しますね。」と言われ安堵しながら帰宅しました。ですが、後日就学相談委員の方から電話が来て「結論から申し上げると、普通級だけで良いという意見と、行動観察の中で、マイルールで行動するような様子も見られたので、特別支援教室も利用した方が良いという意見と半々のジャッチが出ました。半々のジャッチなので、特別支援教室を利用するも、しないも保護者様の判断で決めていいですよ。」と言われ、心の中で、そう言われても……。特に問題ないって言ってなかった?と思いながら、私は電話を切りました。

ベビーシッター派遣のハニークローバーは、入会金、年会費、当日手配料の全てを無料でご利用いただくことができます。お気軽にご利用ください。

小学校入学

幼稚園が2年保育のため、なんだか、あっという間に就学準備の時期が来ました。ランドセルは年長の夏に注文。試着する息子を見ると、ランドセルがあまりにも大きく感じて初々しかったです。

◆どうする?小学校探し

我が家は幸いにも区立小学校が、住まいから徒歩圏内に数校あります。通学区域の学校は決まっていますが、学校選択制を利用すれば希望する小学校へ入学する事が可能でした。私はとりあえず、息子が幼稚園に入園した4歳の時から小学校をどこにしようか動き出しました。幼稚園選びの時に動いたのが遅かったので小学校選びは早めにしようと思ったのです。先輩ママから情報をもらったり、ホームページを確認したりして、学校公開がある日に近隣の小学校は全部行く事にしました。学校情報は良い噂や悪い噂が流れてくると思いますが「百聞は一見に如かず」です。絶対に自分で実際行ってチェックすべきです。実際に見に行ってみると、通学区域になっている小学校は自分の息子に合わないと感じました。学校選択で毎年抽選になるほどの人気校なのですが、とにかくレベルが高い。ちなみにうちは、通学区域の学校だったので必ず入学出来る学校でした。6年生の「将来の夢」の発表会の授業を見学していたのですが、東大や外科医、獣医、クリエイターなど、生徒達が目標を持って語っていて、さすが中学受験をする生徒が多いと言う噂は本当かも、と納得しました。そして実際にその学校へ通わせている保護者の方に、特別支援教室を利用している子や発達に問題があるような生徒さんがいるかを尋ねると「聞いたことがない」と言われ、レベルの高さと中学受験率が高すぎるのも考えると「学校選択制」を利用して他の学校へ行く事に決めました。学校それぞれに特色があり、小規模でアットホームな学校や、新設されて設備の整った大規模な学校など色々ありました。アットホームな学校も人気校なのですが、何となく保護者同士の距離感が近い感じがして、もう少し適度な距離が欲しいと思い候補から外しました。新設された学校は生徒数の多い学校のため、ずっと敬遠していたのですが、実際に行ってみると、副校長先生が3名体制であったり、特別支援学級や特別支援教室の体制も整っており、給食における厳しいアレルギーチェック等も含め、生徒1人1人に合わせたきめ細やかな対応が出来ている事に驚きを受けました。
大規模な学校ほど、生徒の事を見落としがちと思っていたのですが、逆に沢山の先生の目があり手厚い体制が出来ている事が分かり、この学校にしようと決めました。実際見学をしてみると、敬遠していた学校が1番良かったのです。

◆特別支援教室を利用してみる

「就学相談」を受けた結果、特別支援教室を利用するかしないかは保護者の判断で良いと言われ、どうしようかずっと悩んでいました。就学相談を受けて感じたのですが就学相談委員の先生は、相談日に初めて相談に来ている子供達と会うので、その日に気持ちのコントロールや調子が良かった子供は、審査で「普通級のみ」と判断されてしまいます。実際に特別支援教室を利用したいおうちの方が、相談日に結果が良くて利用出来なくて困ってらしたので、1回の審査で本当に判別がつくのかも疑問でした。特別支援教室は、普通級を利用しながら週に2時間、通級指導拠点校の先生が個々の子供に合わせて「自立活動支援」をして下さいます。偏見や虐めの心配もあったので悩んでいても仕方ないと思い、希望校に電話をして特別支援教室を見学出来るか問い合わせてみました。すると副校長先生が快く見学を許可して下さり、見学可能な日程を調整してくれました。2時間見学する事が出来て、最初の1時間目は、国語や算数などの苦手な科目を先生にマンツーマンで教わっている生徒や、タブレットのタイマー機能を使って時間内にテストを終わらせる訓練をする生徒など、手厚く先生が見て下さっていました。しかも、静かな部屋で勉強がしやすい環境になっており、すごく良い雰囲気だなと感じました。2時間目は個人授業から小グループに変更し、工作作りやゲームや合奏など、協調性を学ぶ指導をやっていました。園児の息子も一緒に工作作りに参加させて頂き、とても楽しそうでした。特別支援教室に関して、偏見される心配があったのですが、実際見学すると全く違い、個々に合わせた苦手分野の指導する、まるで個別指導塾のような雰囲気でした。何しろ、生徒も楽しそうですし、拠点校から来ていた先生方がすごく良かったので是非利用したいと思うようになり、就学相談員の先生に「利用希望」を伝えました。学校選択の申込前に特別支援教室の見学に行ったので、入学出来なかったらどうしようと思いましたが、無事入学許可が出ました。就学前面談が副校長先生とあったのですが「お箸がまだ持てないのですが、どうしたら良いでしょうか」と伺うと「スプーンやフォークを持参して食べれば良いですよ。」と仰って下さり、入学する前に使えるように促されると思ってたので、なんだかとても安心しました。2歳からお箸を持つ訓練をさせてたのですが、エジソン箸は持てるのですが、補助器具がないと上手く挟めずにいました。副校長先生からスプーン、フォークでも良いと言われた事で私も焦りが消えたのが良かったのか、幼稚園のお弁当にお箸を持って行って、その日に上手く使えなくても小言を言う事をやめました。すると就学前ぎりぎりですが、自然とお箸でご飯が食べれるようになっていました。入学前にお箸が使えるようになって、間に合って本当に良かったです。特別支援教室ですが、入学してみると利用する生徒が意外と多く、担任の先生も週に2時間抜けても支障がない時間割を組んで下さいました。常駐の特別支援教室の支援員の先生も巡回に来て下さり、生徒の学校生活を見守ってくれていました。息子の課題は「気持ちの切り替え」と「手先の巧緻性」にも重点が置かれました。というのも、入学してみると、筆圧が無くノートの字が薄かったり、線が上手く書けずミミズみたいな線になったり、うちの子だけハサミを上手く持てていないと担任の先生からご指摘も受けました。特別支援教室の授業内容は、毎週書面で報告して頂けます。運筆訓練で使ったプリントが一緒にファイルされていたり、時には、手先の訓練の為に作った工作物も持ち帰ってきてくれました。どんな授業をしたか細かく記録されていたので、この手厚さには感激でした。小1は授業でも運筆訓練をするので、担任の先生から別途運筆プリントを頂いて、家でもやらせていました。鉛筆は2Bが基本ですが、うちは4Bと先生から教えて頂いた鉛筆補助具を100均で購入して使わせていました。そして夏休みに入り、特別支援教室利用者が希望で出来る「WISC-IV」という知能検査を息子にやらせてみました。結果は平均値だったので安堵しました。入学してから、大きな心配事がもう1つありました。と言うのは、息子は入学してから母子分離が難しく「ママ、ママ」と毎日泣いていました。なので、毎日登下校の送り迎えをしていたので、いつまで続くのだろうと、心配でたまりませんでした。
先生方に相談すると「入学したての時は良くある事なので秋になっても続くようならまた考えましょう。」と言われて夏休みを迎えたのです。9月の始業式に学校に行ってくれるかも不安だったので、夏休みはちょこちょこ校内の学童保育へ入れてみました。ですが9月になると突然1人で登校をするようになったのです。なんでか分からないのですが「1人で行ってみる。」と言い出しました。バスで国語塾に通っていたのですが「1人でバスに乗ってみたい。」と言い出し、帰りは迎えに行きましたが、行きは1人でバスに乗って行くようになりました。
私も主人も息子の急激な自立に驚きでしたが、6歳半になり、そこからが著しい成長の始まりだったのかもしれません。小1の3学期になると、工作もだんだん上手く作れるようになり、席にもきちんと座れるようになっていました。そして3学期の2月の特別支援面談の日、「特別支援教室を退会しても良いと思います。」と担任の先生と支援員の先生から言われ、無事に退会をする事が出来たのです。

◆いざ!中学受験へ!

以前、幼稚園の先生から「早生まれの子供は最初は成長がゆっくりでも8歳位には追いつくと言われてるんですよ。」と教えて頂き、私はそれを励みに育児をしていました。周りの子供よりも背丈も小さく、どうしても色々と差が出てしまい、焦りもあったのですが「小3までに追いつけばいいんだ」と自分に言い聞かせていました。年長の発達検査でIQ115が出た事で、知力に関しては追いつきを見せていたので、特別支援教室の退会が決まってからは「中学受験」に関しても考えるようになりました。私も主人も私立の学校に通っていたので、息子の性格に合った学校で伸び伸び楽しめる学園生活を送らせてあげたいと思い、小2の2月から進学塾へ通わせてみる事にしました。最初は塾への送り迎えをしていたのですが、「1人で行けるから大丈夫。」と息子に言われ、すっかりお兄さんになっていました。そして息子本人も中学受験を自ら希望するようになっていました。
中学受験の勉強は小3までは準備段階のような感じで宿題もすぐ終わっていたのですが、小4になった途端に宿題の量も増え、塾の宿題と学校の宿題に追わて一時期息子の免疫力が低下して体調を崩す時もありました。不器用な性分は変わらないので時間配分も上手く出来てないのが現状です。毎日毎日勉強に追われている息子を見ると可哀想に思える時も多々あります。本人に「中学受験辞める?」と何度も尋ねたのですが「塾は辞めない。中学受験する。」といつも言ってきます。もうすぐ小5になるので益々塾の時間も増えて宿題も増えてきます。それでも本人はやると言っているので応援するしかありません。中学受験は「親子受験」とも言われているので、逆にこの中学受験は息子と関われる大切な時間だと思っています。早生まれで成長が遅かった息子が、今では真面目な性格でルールをしっかり守る子に成長しています。幼児期の走り回って迷子になったり危険を顧みずに行動して骨折したりした事が噓のようです。発達支援センターや療育、特別支援教室を利用して訓練した事が役立ったのか、早生まれの子供の成長が自然と追いついてきたからなのかは、正直分かりません。でも色々とやってみる事で知らなかった世界を知る事が出来たのは良かったと思っていますし、こうやって色々な訓練をさせたからこそ、同学年の子供に追いつけたのかもしれません。手先が不器用なのは治っていないのですが、私も裁縫とか全然出来ないので、それでも生きていけてるし、まあ仕方ないかなと思っています。今は「中学受験」を希望する息子を支えて、親が出来る事は何でもしてあげたいと
思っています。息子が将来「生まれてきて良かった!」と心から思える人生になるように出来る限りサポートしようと考えています。

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