2021年10月22日
子育て
私は34週の早産で第一子を出産しました。当時「まさか私が低出生体重児の出産を経験することになるなんて…」と戸惑いながら、様々な想いを抱えて育児をしてきた経験についてお話します。低出生体重児の出産、NICUやGCU入院、退院後の成長について当時のことを振り返りながら今悩んでいるママに向けてお話します。少しでも参考になると嬉しいです。
7か月検診の頃、担当の医師から「子宮頸管が短いからしばらく自宅で安静に」と告げられ、張り止めの薬を処方して頂きました。実際に主治医から「子宮頸管が短い」と言われても十分な理解ができなかったというケースも多いのではないでしょうか?実際に当時の私もそうでした。調べてみると子宮頸管は妊娠によって変化し、分娩に向けて短縮していくそうです。つまり、早い時期に著しく子宮頸管の短縮が見られると切迫早産のリスクがあるということ。切迫早産とは、早産となる危険性が高いと考えられる状態を表しているため、当時の私は仕事や毎日していたウォーキングを止め、家で寝たきりの生活を送ることになりました。「これもお腹の子のため…」そう思いながら毎日過ごしました。
家で自宅安静の日々を送っていた私。妊娠後期に入り少しお腹が張ったりすることは珍しくはなかったものの、出来るだけ横になり安静にしていました。しかし、この日だけは夜中から朝方にかけてお腹に強い痛みがあり、それが長時間続いたのです。初めての妊娠だったので「この痛みも我慢すればそのうち落ち着くだろう」と数時間耐えたのですが、のたうち回るほどの痛みを感じ「これは普通じゃない!」と気づきました。すぐに痛みの間隔を計ると、もうすでに5分間隔…。急いで病院に連絡すると、「いますぐ来てください」と言われたことでやっと、事の重大さに気づいたのです。
病院に着いてすぐに担当の医師に内診してもらい、この時点ですでに陣痛が始まっており、現段階で子宮口が4センチ開いていてる事を伝えられました。私が通っていたのは個人病院。ここでの出産は設備が整っていないということで総合病院に緊急搬送されることになったのですが「立ち上がると赤ちゃんが下がってくるかもしれないから横になっていてね」と言われ、横になった状態で陣痛を抑える点滴をつないだまま救急車へと運ばれたのです。この時私は、「もし今日産まれてしまったらどうしよう」という不安に襲われたのを覚えています。この時のお腹の子の体重は1920gでした。「あのときもっと早く病院に連絡していたら…」と自分を責めて苦しい思いでした。
総合病院に到着すると、医師から「点滴で陣痛を抑える処置をしながら正産期を迎えるまで入院しましょう」と言われ、急遽入院が決まりました。正産期とは37週からのことであり、私の場合あと5週間もあったのです。すでに子宮口が4センチ開いている状態なので、点滴が効かなくなり陣痛が来ればそのまま出産することになります。当然、病院内を歩くことも許されず、ずっと寝たきり。シャワーもしばらく禁止とのことでした。我が子に会えるのを楽しみに過ごしていた毎日が、この日を堺に不安で苦しい毎日となったのです。「まだお腹に居てね、もうちょっと待ってね」とお腹に話しかけながら泣いてばかりで自分を責め続けました。「もしも早産になってしまったら…」と考え、きっと大丈夫だと安心したい気持ちから気づけばネットで早産について検索する毎日を送っていました。「あと◯日、あと◯日…」と数えながら。
早産について無知だった私は、早産について知っておこうと思い医師や看護師に不安な気持ちをぶつけました。「もしも今産まれてしまったら?」「早産だとどんなリスクがあるの?」疑問に思うことは全て丁寧に教えて頂きました。早産とは正期産より前の出産で、妊娠22週から36週6日までの出産のことを言うそうです。そして低出生体重児とは「産まれたときの体重が2,500g未満の赤ちゃん」のこと。医師からは「今はとにかく赤ちゃんの体重が2,500gになるのを目標に頑張りましょう」と言われました。実際に早産で産まれた赤ちゃんが抱えるリスクは様々で、
・呼吸器官が未発達
・感染症にかかりやすい
・発達の遅れ
・難聴
・黄疸が出やすい
・低血糖が起こりやすい
・発作が起こりやすい
・未熟児内膜症の心配
・授乳が進みにくい
この他にも様々なリスクが考えられます。赤ちゃんがお腹の中で過ごす1日は、たった1日でも身体の発達で考えるとすごく大きな事なので「とにかく一日でも長くお腹に居てもらうことを考えましょう」とのことでした。
「どうして私が…」と毎日自分を責め、消灯後のベッドで涙を流していました。早産になるかもしれない、その原因はどのようなことが考えられるのでしょうか。妊娠前に切迫早産や早産についての知識が少しでもあれば、妊娠中の生活で気をつけられることがあったかもしれません。まず、早産の原因として挙げられていることは
・双子の妊娠
・子宮内感染
・高齢出産
・子宮頸管無力症
・子宮の病気や異常
・過度なダイエットや動きすぎるなど
私の場合初めての妊娠で無知だったこともあり、子宮頸管が短いと指摘されるまではウォーキング時間が長かったこと、そしてお仕事で多少の力仕事をしてしまっていたことがありました。「たくさん歩けばお産が軽くなる」といったことを聞いたことはありませんか?正産期を迎えた後ならたくさん歩いてもいいかもしれません。しかしお腹の張りに気をつける必要があり、お仕事を調整したり、家事は出来るだけ家族にお願いする、重い荷物は持たないようにするなど自身で気をつけられることがあったと感じます。もし、これから妊婦生活を送る方、現在切迫早産と診断されている方は無理をしすぎないことだけは頭においておくといいでしょう。リスクは少しでも減らしておきたいものです。
・安静
・子宮収縮抑制(点滴)
・膣洗浄と抗生剤の服用
私の入院していた病院ではこの方法でした。子宮収縮を抑える点滴をしていても、週数が進むにつれてお腹に張りを感じることがあり、その都度点滴の量を調整しながら陣痛が来るのを抑えます。最初は点滴をする時に手が震えたり、ドキドキするような事がありました。毎朝NSTでお腹の張りと赤ちゃんの心拍確認、数日に1度は膣洗浄と内診をしていて、入院しているといつでも赤ちゃんや母体の経過を診てもらえるということが、安心に繋がっていました。私の場合は週数が浅かったこともあり病院内は車椅子移動。トイレなど用事があるときにはナースコールを押してお手伝いしてもらう形でした。
「切迫早産で緊急入院」と最初に医師から伝えられたときは不安からすごく落ち込んでいました。しかし入院生活にもある程度慣れてくると、自分の中で不安で落ち込み最初は「赤ちゃん、ごめんね」と思っていたのも、だんだんと「赤ちゃん、一緒に頑張ろうね」と前向きになることが出来たのです。入院中の妊婦さんはみんなそれぞれの状況でまずは◯週、次は◯週と赤ちゃんの成長に応じて目標週数を乗り越えながら頑張っています。入院していると普段は滅多に聞くことが出来ない助産師さんからのアドバイスが聞けることや、妊娠中の体の変化や出産について、これから始まる育児についてなど様々な情報が入ってくることがあります。私の場合は初めての妊娠、出産だったのでとても心強く感じました。一人で悩んでいるよりも、不安なことはすぐに聞くことが出来るということは入院生活の中でも大きなメリットです。この入院期間は人生でわずかな期間だと思い、お腹の子とゆっくり向き合うことが大切ですよ。
入院から2週間経ったある日、朝のNSTでお腹の痛みがひどく点滴の量を増やしてもしばらくお腹の張りが続きました。痛みの度合いとしては激しい生理痛が止まらないような感覚。医師の診断結果、子宮口が5センチ開いておりお産が進んでいるとのこと。「おそらく今日中に産まれます。陣痛室で休みましょう」と言われ、モニターを付けながら8時間ほど横になっていましたが時々痛みが和らぐので自分の部屋に戻ることに。夜になると再び激しい痛みに襲われ、10分間隔の強い張りと子宮口が5センチ開いていることからそのまま分娩室へ移動する流れとなりました。そしてついに、分娩台に乗ってから1時間ほどで第一子を出産することが出来ました。34週2日、2060gです。正産期前に陣痛が起こり肺が未発達だと言われたままの出産で、赤ちゃんが泣いてくれるかとても不安な中での出産になりましたが、無事産声を上げてくれたことで安堵したのを覚えています。とはいえ低出生体重児で呼吸が安定しないということもあり、出産してから私が赤ちゃんに触れることも出来ず、すぐに保育器に入れられて赤ちゃんはNICUへと運ばれました。そのくらい小さく産まれた赤ちゃんにはリスクがあるということなんですね。
32週と週数の浅いうちに急に陣痛が起こり、お腹の張りや痛みを常に感じながらの入院生活を思い返すと、産むときの痛みはそこまで感じず今までの痛みや不安がどれだけ大きいものだったかったのかを思い知らされました。私は当時の出産を振り返ると、いかに健康な状態で子どもを産むことが奇跡的なことなのかを身を持って感じることが出来たのです。それは自分以外にも様々な状況で入院し、頑張っている妊婦さんを近くで見てきたこと、真摯に私の不安な気持ちを受け止めてくださった医師や看護師、助産師さん方のおかげでした。
無事出産を終え、赤ちゃんも小さいながらに頑張ってくれている。あとは自分の身体を休めながら赤ちゃんのお世話をして退院…と思っていたのですが、赤ちゃんはNICUに入院しているため、私は周りのママさんたちのようにお部屋で授乳をしたり、赤ちゃんのお世話をすることが出来ませんでした。「産後すぐにおっぱいを吸ってもらうことで母乳が出やすくなる」ということは知っていたものの、赤ちゃんがそばに居ないのでそれすら出来ず。私は助産師さんに手絞りでの母乳の出し方を教わりながら、毎日スピッツに搾乳しました。スピッツとは母乳をためる容器のことで、ここに母乳を入れてNICUに持っていき赤ちゃんに飲ませます。赤ちゃんがそばに居なくても3時間おきにアラームをかけて、夜中に搾乳し続けました。もちろん、周りのベッドからは赤ちゃんとお話しているママさん達の声や、お腹が空いて泣いている赤ちゃんの声が24時間響き渡っているのです。とても辛く虚しい時間でした。「私だって赤ちゃんを産んだのに…」「私だってみんなと同じようにママなのに…」何度もそう思い、寂しさと虚しさを感じていました。今思うと、自分が産んだのに赤ちゃんと一緒に入れないことがとっても悲しいと感じていたこのときの感情は、すでに母性だったのだなと。
私が出産した病院では、産後は沐浴指導と調乳指導を受けることになっていました。「初めての出産だし、よく聞いてないと帰ってから困るし有り難いなぁ」と思い何も気にせず参加したのですが、周りのママさんはみんな赤ちゃんを抱いていて、私だけ赤ちゃんなしでの参加でした。もちろん、病院内には私のように小さく赤ちゃんを産んで赤ちゃんがNICUに入院しているというママさんも居ます。それでも沐浴指導や調乳指導は、実践しながら教えて貰う形だったのが本当に辛かったのを今でもはっきりと覚えています。私には赤ちゃんの人形を渡され、「今日はこの子でやってみてね」と。みんなが産まれたばかりの我が子を抱っこして一生懸命指導を受けている姿を見ているだけで涙が出そうなくらい虚しい気持ちになってしまいました。私はこの時点で、まだ我が子を抱っこすら出来ていなかったので、羨ましいという感情だったかもしれません。赤ちゃんもNICUで頑張っている、分かっているのに側でお世話できないという現実が本当に辛かったのです。赤ちゃんに会いたくて一日に何度もNICUに通いました。保育器に入っていてまだ触れることは出来なくても、顔を見ているだけで幸せで何時間も見ていられるほどでした。
赤ちゃんは産まれてすぐからずっとNICUに入院しています。NICUに面会に行く際は届けを出すことが決まりになっていました。自分のベッドで搾乳し、それを持ってNICUに面会に行くのを赤ちゃんが退院するまで毎日繰り返すことになります。初めてNICUに面会に行ったときは、管がたくさんつながっていて少し不安になりましたが、NICUの看護師の方から面会に行くたびに赤ちゃんの様子を詳しく教えてもらうことが出来るので、様子を聞くのが毎回楽しみでした。「ミルクを◯ccのんだよ」「今日は体重が◯グラムだったよ」と手作りの日記をつけてくださっていました。赤ちゃんと一緒に居られないママ達にとってすごく嬉しいですよね。
小さく産まれた赤ちゃんはまだ口で吸う力が弱く、上手にミルクや母乳を飲むことができないそうで、入院中は5ccずつしか飲めていない状況が続いていました。赤ちゃんが退院するためには身体の成熟と体重を増やすことが必要なので、ミルクをなかなか飲んでくれない事が続くと当然体重も増えず、「早く大きくなってほしい」という思いでいっぱいになっていました。今思えば当時は早くずっと一緒に居られる日が来てほしいと待ち望んでいたため、焦る気持ちがあったのです。
産後5日間入院し、子宮の戻りなど異常がなかったため私だけ先に退院することが決まりました。赤ちゃんはもうしばらく入院になるので、寂しい思いとこれからの不安を抱えていたのですが、看護師の方が「赤ちゃんがくれたママのゆっくりする時間だと思って、お家で少しゆっくりしてくださいね」と言ってくださいました。振り返ると全部で15日間の入院生活でしたが、感情の波も激しく長い長い入院生活だったように感じました。最終日にNICUに面会に行くとミルクの量は1回で20ccを8回飲めるようになっていたのです。手足もバタバタ出来るようにまで成長しており、安心して退院することが出来ました。
初めての出産で想像もしていなかったお産の形を経験することになり、赤ちゃんに会えるまで「ちゃんと泣いてくれるかな」「健康な身体で産まれてくれるだろうか」「早産になったらどうなるのだろう」とたくさんの不安を感じ、自分の妊娠中の行動を振り返っては「自分は駄目な親なのかもしれない」とまで思い悩むことがありました。しかし妊娠後期から出産を迎えるまで病院に入院し安静にすることで、いつでも医師や看護師、助産師の方がそばに居てくれることが安心へとつながっていたことを改めて感じ、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。そしてNICUで小さく産まれた赤ちゃんをたくさん目の当たりにして、現在の医療の発達でたくさんの子ども救ってくれていることを実感したのです。もしも今不安な毎日を過ごされている方が居れば、医師や看護師の方に話を聞いてもらったり正しい情報を直接聞くことで少し前向きになれるかもしれないと言いたいです。
出産とは必ずしも安産ばかりではなく、母子ともに危険と隣り合わせでリスクを伴うことがあります。妊娠中に赤ちゃんになんらかのトラブルが発覚したり、赤ちゃんの呼吸や循環状態がままならず管理入院が必要になることもあります。早産ともなるとそのリスクが高まるためNICU(新生児週治療管理室)にて医療スタッフが24時間体制で赤ちゃんのお世話をしてくれるのです。NICUにはたくさんの保育器があり、保育器には赤ちゃんの体温調節をしてくれる役割があるため、小さく産まれた赤ちゃんが安心して過ごせるようになっていました。私が通っていた病院のNICUは「携帯電話の持ち込み不可、カメラならok」という規定があったので、そういった細かいことも確認しておくと良いでしょう。
一方GCUとは回復治療室と呼ばれ、NICUで状態が安定してきた赤ちゃんが退院に向けて引き続き治療を受ける場所です。赤ちゃんの体重や状態によっては最初からGCUに入院する場合もあるそうですが、私の場合はNICUで入院後、状況を見てGCUに移動するといった流れでした。退院後に赤ちゃんをお家に連れて帰るためにも、初めて家族で過ごすためのサポートをしてくれたり、育児環境の提供や育児指導などを行っている場所でした。
私が退院した次の日、いつも通り搾乳した母乳を持って赤ちゃんの面会に行きました。NICUの面会に行く際は、手洗いうがいと消毒、検温が必須になります。赤ちゃんの呼吸が安定したとのことでこの日から保育器から出られることになり、産まれてから初めて我が子を抱っこ、そして初めてのオムツ替えをすることが出来ました。オムツは一番小さいサイズでも大きいため、NICUでは2回くらい折って使用している子がほとんどでした。周りのママさんたちを見てずっとずっと羨ましく思っていたので、やっとのことで我が子を抱いた時はすごく嬉しかったのを覚えています。産まれてからむくみが取れたのでこのときで少し体重が落ちて1918gです。抱っこすると改めて「小さいなぁ」と愛おしく感じました。
NICUに面会に行くたび、医療スタッフの方から赤ちゃんの夜中の様子や飲んだ母乳の量、体重についてのお話がありました。私がNICUに面会に来ている時間以外は、私が家で搾乳して持ってきた母乳を哺乳瓶から飲ませてもらっていましたが、赤ちゃんと一緒に居られる時は直接おっぱいをあげる練習を毎日繰り返しました。どうしても口で吸い付く力が弱く、おっぱいを飲もうと頑張っているうちに疲れて眠ってしまうことがしばしば…。なかなか上手に飲めるようにならず、体重が増えないことがこの頃の一番の悩みでした。毎日面会に行くたびに体重をはかっては「増えた!」「減った」と小さく産まれたからこそ、当時の私は大きくしてあげたいと思って焦っていたのかもしれません。
いつも通りNICUに面会に行くと「赤ちゃんの点滴が取れたので、今日からGCUに移りましたよ!」とスタッフの方に告げられました。GCUに移ればそこからは退院に向けての準備だと言われていたため、「もう少しで赤ちゃんを連れて帰れるのかもしれない」とワクワクした気持ちになっていました。しかし、GCUに移動できても一向に直接おっぱいを飲むことが上手くならず難しいようで、私の身体で母乳が作られる量と赤ちゃんが自分で飲んでくれる量の比率がだんだん合わなくなっていきました。看護師さんいわく、どうしても小さく産まれた赤ちゃんは最初は自分の口から飲むのが苦手な子が多く、慣れていくしかないとのこと。こういった悩みも早産だから故かもしれませんね。
GCUでは実際に赤ちゃんの沐浴をさせてもらったり、退院に向けての育児指導をしていただくことが多く、とても嬉しかったです。赤ちゃんがGCUに入院している周りのママさんも「うちの子、そろそろ退院できそうですか?」と聞いているような声を何度も耳にし、みんな状況は違えど、色々な想いがあり赤ちゃんを連れて帰れることを心待ちにしているのだろうと思いました。そしてGCUに移った3日後、ついに「1週間後くらいに退院できそうです」と言って頂けたのです。
退院前にファミリールームで家族の時間を過ごすことを勧めて頂いたので、私達家族が初めてみんなで一緒に過ごしたのは、このファミリールームでした。ファミリールームとは、看護師さんが沐浴やオムツ交換、授乳(哺乳瓶の洗浄)など困ったときにサポートしてくれながら家族が一緒に過ごすお部屋のことです。通常の大きさで赤ちゃんを出産したママと違い、NICUやGCUに我が子が長期間入院していた場合は、夜中の赤ちゃんのお世話が初めてだったり、1から10までお世話をすることも初めて。赤ちゃんの体の大きさや状態によってお世話の仕方が変わってくる場合があるため、退院前に赤ちゃんのお世話を24時間する練習が出来るのは本当に有り難かったです。
ファミリールームに一泊した感想としては、「つきっきりの育児は想像以上にバタバタだ」ということ。今までは長くても5.6時間ほどの面会だったため、哺乳瓶で母乳をあげても哺乳瓶の洗浄など細かなサポートはスタッフの方がしてくれていました。全てを主人と二人でこなしてみて初めて分かる大変さも多く、本当にいい経験となりました。もちろん、ママになれば誰もがやって当たり前のお世話だとは思うのですが、授乳が終わっても母乳が止まらず搾乳する必要があったり、授乳→オムツ替え→抱っこを永遠に繰り返したり…。夜のお世話は初めてだったので、「こんな風に夜もお腹が空くと泣いて起こしてくれるんだなぁ」と初めての経験がたくさんでした。ファミリールームを使わせて頂けたことで、退院後の赤ちゃんとの生活のイメージをすることが出来ました。赤ちゃんが入院している日でも3時間おきに搾乳はしていたものの、初めての家族で過ごした次の日は私も主人も想像以上に寝不足でした。
産後28日経ち、無事退院することが出来ました。退院時の体重は2235g。この数ヶ月で母子ともに色々なことがありすぎて、退院日は涙が出るほど嬉しかったです。NICU・GCUを退院した赤ちゃんは、発達や発育について今後もフォローアップ外来に通うことになります。そして、早産で産まれた赤ちゃんはRSウィルスが流行する時期になると、シナジス注射を打ってもらう必要があるのです。シナジス注射を打つことによって、RSウィルス感染により生じる肺炎を予防し、赤ちゃんを守ることができます。早産だったことで言葉や知能の発達が少し遅れることもあるそうなので、定期的に発達の検査をしてもらえることで安心できますね。
振り返ると、総合病院に緊急搬送されてきたときの私の精神状態は、今思い返しても本当に酷く毎晩泣いてばかりだったのですが、同じように切迫早産で入院しているママさんが夜中にシクシクと泣く声もたくさん聞いてきたので、誰もが急に「早産になるかもしれない」となれば自分を責めてしまい不安な毎日を送るのだと、そう思います。ここまで色々な感情と向き合いながら頑張ってきましたが、やはりどんな形で出産しようが我が子はとっても可愛い。その一言に尽きます。退院した後にも育児で悩むことはたくさんありましたが、元気で居てさえくれればいいとそう思えるのは、今回のような経験が出来たからだと思っています。
退院後は順調に成長していたのですが、1歳の誕生日が近づいてきた頃、周りの子どもと我が子の成長を比べてしまうことが多々ありました。低出生体重児でなくても子育てしていると同じくらいの月齢の子の成長をみて「もうこんな事が出来るの?」なんて思うことはよくあると思います。しかし私の場合は「もしかして早産だったから…?」と少しのことで発達が遅れているのではないかと心配になることがありました。その子によって出来ること出来ないことがあるのは当たり前で、それも個性だと思いたい気持ちもありましたが、お友達と遊んだときに音楽に合わせて声を出して歌ったり踊ったりする子を見たり、気になるものをたくさん指差ししている子を見ていて、「うちの子はあまりそういう行動しないなぁ」と心のなかで少しずつ気にすることが増えていったのです。振り返ってみるとお喋りも遅く、意味のある言葉を発したのは1歳半すぎくらいからだったと思います。身体的な成長で心配になることはなかったのですが、知能的な部分で不安に感じることは、1歳が近づくにつれて増えていきました。
低出生体重児や早産児の場合、発達のスピードが正期産で産まれた赤ちゃんとは全く違います。育児書には「◯か月でおすわり、◯か月で歩き始める」などのめあすが書かれていると思いますが、小さく産まれた赤ちゃんはもともとの予定日を産まれた日と仮定し、そこから数えた月齢を「修正月齢」とし、発達状況を見ていくのです。私の場合は、予定日より約2か月ほど早い出産だったので修正月齢はマイナス2か月して考えます。分かりやすく言うと一般的に赤ちゃんの首すわりは早くても3か月からと言われていますが、我が子の場合は5か月くらいの首すわりで大丈夫ということになります。
フォローアップ外来の際に修正月齢の見方や、月齢にあった離乳食の進め方についても説明がありましたが、同じ低出生体重児でもその子によって産まれてからの成長過程が違うため、先生に発達状況を診て貰う必要があります。3歳くらいまでフォローアップ外来でみてもらう場合もあるそうですが、私の場合は問題ないと判断されたため1歳で最後となりました。また、予防接種に関しては病院で何も言われていない場合は修正月齢ではなく、産まれたその日から数えた月齢で接種していきます。小さく産まれた場合病院に行く機会が多く大変でしたが、頻繁に発育状況を診ていただけるのは安心にも繋がり良かったと思っています。
小児科で1歳半検診を受けた際、先生からの簡単な質問に答える項目があり、我が子はまだ意味のある言葉がそこまで出ていなかったため、ほとんど答えることが出来ませんでした。母子手帳には「言語発達、要観察」と記載されており、今まで不安に思ってきたことが確信に変わった瞬間でした。「私が小さく産んでしまったから、言語発達が遅いのかもしれない…」初めての子育てで右も左も分からない中「周りの子と違う」と指摘されたような感覚でとても悲しくなってしまいました。そして発達療育センターへの紹介状を出され、外来の申込みをしたのです。実際に電話してみると「外来の予約が混み合っていて最短で半年後の予約になる」と言われました。知り合いのお子さんでも言葉が遅い、または親が心配な場合は念の為発達療育センターでみてもらうという場合も多いのだそう。私の場合は病院の先生が「早産だったのなら、一応診てもらったほうが安心できるのではないか」と勧めてくれたのでした。
1歳半検診が終えてからというもの、今まで以上に絵本の読み聞かせに力を入れたり毎日外に出て子どもにたくさん話しかけるように意識しながら過ごしました。今思うとあの頃の私は本当に必死だったと思います。両親にも「そこまでしなくても、大きくなって全く話せないことはないだろうから」と言われていましたが、どうしても「今の発達」にこだわっていた自分がいました。きっと早産になってしまった自分を再び責めて、責任を感じていたのだと思います。今まで楽しめていた育児も、病院で指摘されてから神経質になってしまい心から子どもとの時間を楽しめていなかったのです。そして子どもの成長について悩んでいることは周りに知られたくないと思うようになり、自分の中で葛藤する日々でした。「心配しすぎ」と周り言われることが極端に億劫に感じていたのです。
予約していた診察当日、子どもに色々な絵を見せられて「これ何か分かる?、これは?」と絵を見て何か答えられるかという簡単なテストを行いました。1歳半検診の時から半年ほど経っていたので、少し言葉がでるようになっていたこともあり「問題ない」とおっしゃって頂けてほっとしました。言葉の発達が不安な子たちのクラスに週に何度か通うという方法もあるうようでしたが、私はこの時点ですでに二人目を出産したばかりだったので様子を見ることを選択しました。とはいえ先生のお話だと、男の子の場合は言葉が遅い子も多く、現状でそこまで心配することはないとのことで、小児科だと「一応、発達医療センターで診てもらうと安心」という意味で紹介されることも多いとおっしゃっていました。実際に周りのママ友と話していると「子どもが小さいときに発達医療センターに行ったことがある」というママが数人おり、心配だったから診てもらったという子が多いのも事実かもしれませんね。
低出生体重児の長男を出産後、私は1年ほどで2人目を授かり出産しました。まず、1人目が早産だったこともあり個人病院での出産予約は受け入れられず、最初に出産した総合病院を受診するように言われました。私の地域の総合病院は、高齢出産や過去に早産などリスクがある出産を経験した場合のみ予約ができるという形でした。一番最初に心拍確認が出来た際に医師から言われたのが、「切迫早産は繰り返す可能性が高いので、今回は早産にならないように妊娠後期に入り次第、管理入院になると思っておいてください」とのことでした。早産の原因として体質も大きく関係するらしく、体質は何度妊娠しても影響することなので切迫早産の可能性はつきまとうそう。
実際に2人目の妊婦生活は、上の子のお世話をしながらなので切迫ぎみになる妊婦さんが多いということもあり、家族の助けが必要になりますが、入院したほうがお腹の子のためだなと冷静に考えられるようになっていました。案の定妊娠後期に近づくにつれて「子宮頸管が短い」と言われるようになり、次男の出産時も1か月ほど入院しましたが正産期までお腹の中で育てることが出来、37週で2795gの赤ちゃんを無事出産することが出来ました。一度切迫早産を経験している経産婦の方は、動き過ぎなどにより注意しておくことが大切だと思います。
当時2060gと小さく産まれた息子も、今では6歳になりました。この6年間で体の発達に何か指摘をされたこともなく、肺が未発達の状態で産まれたにも関わらずほとんど風を引いたことがないくらい本当に元気に育っています。身体がすごく小さいということもなく、同級生のお友達と全く変わりがないですよ。そして当時心配していた言語発達についてですが、2歳半をすぎた頃から急にお喋りがすごく上手になったのです。男の子の方が言葉が出るのが遅い傾向にあると言われていたとおり、伝えたいけど上手くお話ができないもどかしい期間を経て、急にたくさんの言葉を話すようになったような印象を受けました。今でもどちらかと言うとかなりお喋りな方で、お友達のお母さんからは「よく喋る子だよね」と言われるほどになりました。今思うとあのときの自分に「焦るな」と言ってあげたいですが、それは今があるから故なのだと思います。
我が子を小さく産んだことで必要以上に自分を責めてしまう方や、子どもの発達面での不安を抱えている方はたくさん居ると思います。これを読んでくれているあなたももしかしたらそうかもしれませんね。そんな悩みを抱える親子のために頼れる施設や医師、先生方がたくさんいます。私はそんな周りの方にたくさん助けられてきたと思っています。「あのときこうしていなげれば」と思うことで自分を必要以上に責めてしまうのは止めて、前を向いて乗り越えてほしいと思います。