これって実は、産後うつだった?

2021年12月1日

子育て

「赤ちゃんが生まれた瞬間からが”産後”」

【30時間の痛みに耐え、やっと】

 (ん?なんかお腹痛いかも…。)
この日はまだ薄暗い時間に目が覚めた。アラームを何回もつけておかないと起きられない私にとって、こんな時間に目が覚めるのは不自然なことだった。
(これはもしや…。)
痛み、お腹の張り、そして波のようにリズムをもって訪れる痛みで、これが陣痛だと確信した。隣に寝ている夫を起こし、「陣痛が来たかもしれない。」と伝えると、急いで仕事を休む手配をし、病院に付き添ってくれることとなった。運良く、その日は妊婦健診の日。準備万端の入院セットを持参し、痛みを感じながら待合室で順番を待った。
「ん~、まだ子宮口全然開いてないな。一旦帰宅してください。痛みの感覚がもう少し短くなったら連絡して。」
(…え?まだ産まれないの?…え?こんなに痛いのに、準備もしてきたのに帰らされるの!?)
担当医師の言葉に衝撃を受け言葉も出ず、仕方なく帰宅することに。徐々に増してくる痛みを抱えながらも軽く食事をしたり、テレビを見たりして気を紛らわしていたものの、のたうち回るほどになってとうとう限界を感じ、およそ14時間ぶりの病院へ向かった。
(こんなに痛いんだからもう産まれるはず!)と思っていたのに、陣痛室でさらに7時間も苦しむことになった。(隣の陣痛室はさっきから3人も入れ替わっているのに、私はなんでまだなの?)気持ちも体もフラフラになってきたころ、ようやく分娩台へ。

【感動…?のご対面】

 信じられないくらいの痛みに耐え、ようやく出産。みぞおちを打ったときよりも、事故で骨折した時よりも比べ物にならないくらいの痛みだった…。しかしありがたいことに母子ともに異常なく、“安産”と呼ばれる出産だった。
 “カンガルーケア”を推奨している病院なだけに、赤ちゃんの計測等が済むとすぐに抱っこさせてくれる。「産まれてからできるだけ早く肌を合わせることが赤ちゃんにとっての安心感につながるんですよ。」と助産師さんが話してくれたことを思い出す。
 まだ分娩台に座っている私のもとに赤ちゃんが連れてこられた。ついに感動の対面だ。
「とっても元気ですよ。胸元にのせて抱っこしてあげてくださいね。」
(………うん。小さいな……。産まれたてってこんな感じなのか……。)
赤ちゃんを見て触れあっているのに、なぜか感動が湧いてこない。一滴の涙も出ない。
むしろ頭に浮かぶのは、これが自分の中に入っていたなんて信じられないな、私がこの“人間”を産んだのか、世界中の母親はこんなことをしているなんてすごいな、なんて冷静で無機質なことばかり。こんなことを考えるなんて、私は冷たいのだろうか。
 小さな口を動かしながらおっぱいを吸おうとしている我が子を見ながらも、自身の体力の限界を感じ、
「あの…、もう大丈夫です。」
と赤ちゃんを助産師さんに手渡した。

【あれ?歩けない…】

 車いすで病室に向かう途中でお手洗いに寄ろうとしたら、急に異変を感じた。両足で立つことはできるのだが、腰のあたりにおかしな感覚があった。痛みに耐えている間ずっと力が入っていたせいかと思ったが、一歩二歩と歩くと、足の付け根あたりがグラグラしている感じがした。(あれ?まともに歩けない…。出産すると関節もおかしくなるの?こんなの聞いてないんだけど。)今まで、無事に出産することばかり考えていた私は、産後の母体の体について何も知らなかったのだ。

【恐怖の母子同室】

 出産の翌朝、赤ちゃんが私のベッドの横に置かれた。首がぐらぐらな我が子をひやひやしながら抱き上げ、何が正解なのかわからない授乳をしてみる。赤ちゃんの口元は動いていても飲めているのかはわからない。そして気づいたことは、この子は赤ちゃんなのに全然寝ないということ。赤ちゃんとはすやすや眠って過ごすもの、と私が思いこんでいたのだ。産まれた直後の赤ちゃんのことを全く把握していなかったことを改めて後悔した。
 「授乳やおむつ替え、沐浴など一通りのお世話を、一緒にやりながら教えるからね。あとはできるだけゆっくり休んでね。」と話す、担当の助産師さん。母子同室とは分かっていたが、まさか自分がこんなに満身創痍の状態で過ごすとは予想していなかった。本当にたった5日間でお世話ができるようになり、退院できるのだろうか。不安がよぎった。
 赤ちゃんが泣いたらおむつを替えたり、授乳をしたり、抱っこして泣き止ませたりする。静かになったタイミングを見計らって、お手洗いに行く。その数分も泣いていないかと考えながら用を足す。ようやく眠ったと思ったら、その間にたまった祝福メールに返信し、まだ出産の報告をしていなかった学生時代の友達にメールする。眠っている我が子のいろいろな表情を残しておきたいと思い写真を撮り、夫・祖父母にメールで送る。出生届や職場に出す書類も今のうちに書いておかなきゃ…。そうこうしているうちにまた泣き出す我が子。一体いつ休んだらいいんだろう。昼間は家族が面会に来たり、病棟自体もざわざわしたりしているので、我が子が泣き出しても気にならなかったが、本当の恐怖は夜だった。

【夜が来るのが怖い】

4人同室だったため、我が子の泣き声で他の赤ちゃんも起こしてしまうのではないかとひやひやしながら過ごしていた。というのも、どうやら我が子は他の赤ちゃんよりも特に泣き方が激しく、泣くというより叫ぶという言い方のほうがぴったりなくらいだったからだ。うっすらと泣き声が聞こえたらすかさず抱っこする。こんな小さな声で目が覚めるようになるなんて自分でびっくりする。授乳やおむつ替えをしても泣き声が激しくなってきたら、廊下に出てベビーカートを押してうろうろしてみる。カートの揺れが心地よいこともあるらしく、うとうとし始めるときもあるが、他の部屋の赤ちゃんまで起こしてはいけないし、出産用件で入院している方だけではないし、ますます泣き声は激しくなるし、どうしよう…とおろおろしていると、夜勤の助産師さんが夜間授乳室という部屋に案内してくれた。
「そういうときはここに来るといいよ。夜中でも助産師がいるから安心だし、ここならどれだけ大きな声で泣いてても他の部屋に聞こえないからね。赤ちゃんも産まれたばっかりだけど、ママもママになったばかりなんだから、一人で悩まなくていいんだよ。」
気づいたら涙が出てきた。赤ちゃんと対面したときにも泣かなかったのに、助産師さんの一言でぽろぽろこぼれてきた。そうだ、私苦しかったんだ。どうしたらいいかわからなくて困ってたんだ。ここに来て頼っていいんだ。急に心強くなった気がした。退院まで毎晩、夜中も煌々と電気がついているその部屋に通うことになり、私は夜間授乳室の常連さんになった。助産師さんが授乳するときの抱き方やくわえさせ方など教えてくれるも、やっぱりいまいちわからない。そもそも初めて会った助産師さんにあっさり体をさらさなくてはいけないことも嫌だったが、そんなことを言っている場合ではなかった。そして寝不足。一晩に何度も夜間授乳室に行き、やっと寝ついたかと思って病室に連れて帰るとまた泣き出す。この繰り返しで、一体私はいつ寝たらいいのか。(他のママさんたちはどうしているんだろう。こんなに夜中に泣いてる赤ちゃん同じ部屋にはいない、ということは、我が子はあまり寝ないタイプかも…。)満身創痍な状態から回復していない中で、さらなる疲れと不安ばかり募っていた。
それでも、「あら、今日も来てるのね。この子は夜が好きなのかもね。」「お、常連さん。今夜は3回目かな?授乳お手伝いしようか。」「ママのほうがつらそうだね。今日はミルクにしてみる?」と声をかけてくれる助産師さんたちに支えられ、なんとか入院生活を過ごしてこられた。
 ついに退院の日を迎えた。寝不足続きで体は疲弊しており、これからの生活を考えると不安ばかりだったが、母子ともに健康に退院できたのは、いつも気にかけてくれた助産師さんのおかげだったと感じた。本当に苦しいのはこれからであることなど知らぬまま、笑顔で挨拶を済ませ病院を後にした。

「地獄の産後1か月」

【ほっと一息…】

 30時間の陣痛に耐えやっとの思いで出産、不安と戦った5日間の入院を終え、ようやく退院した私と赤ちゃん。退院後は落ち着くまで実家で生活する予定をしていた。妊娠中から「産後は安静に!」と実母から念を押されていたし、比較的近いのでパートナーもすぐ会いに来ることができると考えていたのだ。
 いざ実家に着き、荷ほどきもほどほどに、ソファに座った。「ふう…。」と一息つくことができたのはいつぶりだっただろうか。全身の緊張感がすーっとほぐれていくような気がした…のもほんの一瞬。「ギャー!」といつもの泣き声、というより叫び声が響いた。(また始まった!)ぐっと体中に緊張が走る感覚になる。しかし、『一息つく』という言葉はこういう状態から生まれた言葉なのかも、と冷静な自分もいるので少し怖くなる。仕方ない、と感じながら、今日も抱っこ・授乳・抱っこの繰り返しで時間が過ぎていくようだ。

【この子って…】

 我が子の泣いている姿を見た実母は、かなり驚いた様子。
母「ねえ、この子っていつもこんな泣き方なの?それとも慣れないお家に来たからなのかねえ。」
私「どういうこと?病院にいるときからこんな感じだけど。」
母「なんというか、泣き声があまりに激しくない?」
私「そうなんだよね。他の子よりも声が大きいというか、激しいというか。泣くっていうより叫んでる感じだよね。」
 やはり実母から見ても、我が子の泣き方は激しいらしい。病室に比べて部屋が狭いからか、泣き声が反響して、今まで以上に激しさを増しているように思える。そして、その動きや表情もなかなかのものなのだ。
生後間もない赤ちゃんには“モロー反射”と呼ばれる現象がある。外部からの刺激(音や光など)に対して驚いたときに見せる反応のことで、生まれた時から備わっている赤ちゃん特有の現象である。びくっとしたり、両手を伸ばすような動きをしたりすることが多いと言われている。大半の赤ちゃんは生後4か月ごろまでにこの現象が落ち着いてくるという。
では、我が子の場合。まず、何に驚いているのかわからないが、急に両手・両足をぴんと伸ばし(伸ばすとそんなに長いの⁉と毎回こっちが驚かされる)、目と口を思いっきり開く(分かりやすい“びっくり”な顔)。そして、自分のその動きにまたびっくりしたようで、大きな声で泣き出す。いや、自分にびっくりしてどうするのよ…、毎回同じパターンじゃん…とツッコミを入れたくなるくらいの滑稽さなのだ。しかも泣いているときは、声を出しすぎているのか、まだ呼吸がうまくないのか、顔を真っ赤にしている。よくよく観察してみると、「オギャーーーーー…。ごほっごほっ。」と咳き込んでいる。どうやら風船に空気を入れるときのように、息を吐ききるまで泣き声を出し続けているらしい。
 一連の行動を見ていた実母は、
「この泣き方大丈夫なの?かんしゃく持ちとかじゃないよね。」
と言うが、わたしもまだ出会って6日目。さっぱりわからない。むしろ子育て歴30年の実母から教えてほしいくらいだ。
 
この子って、大丈夫?

【30年前とは違う】

 育児本や子育て情報サイトなどを見ても、「赤ちゃんが泣いたら、まずおむつ替えか授乳をしてみましょう」と書かれている。赤ちゃんは“不快である”というメッセージを泣くことで伝えているのだという。
 我が子が泣いたときももちろんそのようにお世話をする。まずおむつをチェックして、汚れていたら取り替える。
「あら~、今のおむつは交換しやすくていいわねえ。おしりふきもウェットティッシュみたいになってるのね。あなたのときは布おむつだったから洗うのが大変で…。」
 おむつを替えてから抱っこしていてもご機嫌ナナメなら、授乳をする。まだグラグラの首を支えつつ横抱きにして、ちょうどいい高さになるようにクッションを使って、でもこんな角度でよかったんだっけ、もう私の腕が筋肉痛だよ…、そんなことを考えながら悪戦苦闘する。生まれてすぐの赤ちゃんとはいえ、約3㎏ある。片手で赤ちゃんを抱き上げて反対の手でおっぱいをくわえさせる、次は反対側に抱っこして…。これを24時間の中で数時間やっていたら、筋肉痛にもなる。まして数日前には、交通事故にあったレベルの満身創痍で、そこから回復しきっていない状態なのだ。少しでも楽をしたい、体を休ませたい、というのが正直なところ。実家の中を見渡すと、ちょうどいい高さの机があった。(ここに腕を乗せて赤ちゃんを抱っこすれば楽かも!)
「そんなとこに乗せておっぱいあげるつもり⁉」
実母の驚きの一声にモヤモヤしながらも何も言い返せない自分がいた。わかってる、自分でも机まで使って授乳しようなんてベストではないことくらいわかっている。でも、もうそれくらい体がきつかった。
 その後も実母の言葉にモヤモヤが止まらない。
「裸足のままなんてかわいそうじゃない!もっとあったかくしてあげないと!」
「ねえ、こんなに激しく泣くなんておっぱい足りてないんじゃない?ミルクはあげないの?昔はミルクのほうが栄養があるって言われててさあ…。」
「あなたもちゃんと寝ないと。体がもたないわよ。」
どれもその通りだけど、今の私にはどれだけ手を尽くしてもどうにもできないことばかりだった。実母に悪気は全くないし、ただ赤ちゃんと私のことを考えて気づいたことを言葉にしてくれているだけ。でも母親学級で教わったこととはズレているし、それをいちいち説明するのも疲れてきた…。
それでも、自宅だったらこれに加えて家事をしなければいけないと考えたら、里帰りはありがたい。ご飯は上げ膳据え膳だし、洗濯だってきれいにたたまれて戻ってくるし、お風呂に入るときは赤ちゃんを見ていてもらえる。やはり里帰りにしておいてよかったと感じた。

【眠れない、眠れない、眠れない】

 ゆっくりするために実家に里帰りしているはずなのだが、全然ゆっくりなんてできない。特にすごいのは夜。あたりが暗くなってくると、私の気分もどんよりしてくる。(あぁ、またあの夜になってしまう…)。
夜中の何時であろうと、赤ちゃんが泣けばおむつ替え・授乳をする。寝っ転がったままで眠ったことなんてないから、授乳の後はもちろん抱っこ。しかも座ったままの抱っこなんて許せないようで、奇声に聞こえるほどの大泣き。抱っこして歩いたり、立ったままゆらゆら揺れたりすると、ようやく普通程度の泣き方になる。抱っこすること2時間くらい、ようやく目を閉じたと思ってベッドにおろすと、“背中のスイッチ”なるものが発動する。モロー反射とともに「ギャー!」という声が響き、もう一回イチからやり直し。これが一晩中続くのである。外が暗い間に私が眠れたのは一晩に1時間あるかないか。しかも毎日…。
(なんでこの子はこんなに寝ないんだろう。寝なくても大丈夫なのかな。)と初めは心配していたが、こうも毎日続くとだんだん変化してくる。(どうにか楽にする方法はないかな。まだ新生児だけど抱っこひも使えるかな。いや座ったままでゆらゆらできる方法ないかな。)こんな工夫ならまだいいのだが、私の頭はそれどころではなくなってしまっていた。(なんでこの子は私のことをいつまでも寝かせてくれないの?ママのことそんなに嫌いなの?)
 気づいたらもう何日も、この子のことを“かわいい”と思えなくなっていた。

【なんかモヤモヤする】

 パートナーは平日には必ず連絡をくれたし、週末には実家に会いに来てくれた。実家に来たら抱っこもしてくれるし、沐浴もしてくれた。赤ちゃんのお世話にとても積極的なのだが、…なぜか私の心の中にはいつもモヤモヤが残った。
 (なんでパパがいるときはよく寝てるの?なんでパパが抱っこするときはそんなにご機嫌なの?赤ちゃんがかわいいのはその通りなんだけど、命がけで産んで、毎日育ててるのは私なのに、なんで何も言ってくれないの?)そう思ったが、きっと自宅に帰って毎日一緒に過ごすようになったらもう少し分かってくれるのだろう、今は週に1回しか会わないからあまり状況が読めていないんだろう、と思うことにした。

【実家から自宅へ】

 出産から約1か月を迎え、そろそろ床上げ。自宅に戻る準備を始めた。出産前にベビーベッドやおむつ、着替えなど、一通りのものは自宅に揃えてあったが、実際に赤ちゃんと1か月過ごしてみてもう少し準備をしておきたいということになり、赤ちゃんを実母に預けてほんの数時間だけ自宅に戻った。
 (え…。この散乱した部屋は私の家?)私がいなかった1か月の間に自宅はすさまじく乱れていた。テーブルには食べ終わったコンビニ弁当の箱、床には脱いだ服やペットボトルなどのごみ、ベビーベッドにまで使ったタオルや下着が放り込まれている始末…。
「ねえ、きれいにしておいてって言ったよね。しかも、私たちが明日自宅に帰ることも、今日様子見に来ることも言ってあったよね!?」
「いやぁ、昨日仕事が遅くなっちゃってさ。しかもそのあと後輩とご飯食べに行っちゃったから片付けられなくてさぁ。」
 私はしばらく言葉が出なかった。これからの毎日に、暗雲が立ち込めた瞬間であり、パートナーへの気持ちは一気に冷めていった。
(こんな感覚の人と毎日やっていけるのかな…。)

「パートナーとの大きな壁」

【いざ自宅へ、その前に…】

自宅を大掃除した翌日、ついに自宅へ戻った。出産時でも涙が出なかった私だが、実家を出るときには涙がどんどんこぼれてきた。それを見た実母と、言葉は交わさなかったが抱き合って泣いた。自分でも気づかなかったが自宅に戻る不安に押しつぶされそうだったんだと思う。実母はそれを分かっていた。
実家から自宅まで、車で約30分。モロー反射が大得意な我が子、車移動でも大泣きしてしまったら対処が分からない。授乳・おむつ替えを済ませ、今だ!というベストなタイミングで出発した。
抱っこ紐の中でうつらうつらしていた我が子。(これなら泣く前に帰れそう…)と思っていると、パートナーから一言。
「俺の友達が今集まってるんだけど、ちょっとだけ赤ちゃん見せてもいい?」
場所を聞くと、帰り道で寄れる場所だった。ちょっと顔を見せるくらいなら、と了承したが、これが数時間後にとても後悔することとなった。友達の家に着いたのだが、駐車場から歩き、階段も多く、外廊下の風が強い。ちょっと顔を見せるだけと聞いていたが、どうやら食事会に加わってしまったらしく、パートナーはごはんを食べ始め、旧友と談笑し始めた。初めて会う人たちの中で、赤ちゃんを抱え立ち尽くす私。(これはどういう状況?すでに変える予定の30分過ぎてるんだけど…)
 時折、「赤ちゃんかわいいね、ちっちゃいね」と覗いてくれる人もいたが、みなほぼ酔っている様子。不思議なことに、我が子もおとなしくしており、泣き声の一つも出さない。こんなに静かにしているなんて、この後が怖くなってくる。パートナーに、
「そろそろ赤ちゃんのおむつ替え時間なんだけど」
「こんなに長く抱っこひもしていたことないから早く帰ろうよ」
「このあとすごく大泣きすると思うんだけど。こんなに長く外にいたことないんだよ。」
と話しても、空返事で食事、談笑…。徐々に怒りがこみ上げてくる。結局実家を出発してから自宅に着いたのは4時間後だった。大人にとっての4時間はたいしたことないが、このときは赤ちゃんの様子に合わせて、数分単位でやることを考え、気を張って生活していた時。この時間間隔のギャップにイライラが増した。
 自宅に着いて抱っこ紐から我が子を下ろすと、やっぱり大泣き!しかも産まれてから最大級の大泣きだった。(だから早く帰ろうって何回も言ったじゃん)おむつを替えると、抱っこ紐の時間が長かったからか、おしりや足に跡がくっきりついてかぶれそう。授乳をしようとしても全く飲みたがらず、とにかく泣き止まない。泣きすぎてむせて苦しそうになっている。そんなときパートナーは何をしているのかちらっと見ると、ソファでスマホをいじっていた。
 今日からこの人と一緒に暮らしていくの?確かにこの子が生まれてからの1か月をこのパートナーは体験していない。赤ちゃんのいる生活がどれだけ大変なのかを知らないのは仕方ない。でも、想像することはできるはずだと感じた。こんなに大泣きしている娘と、1時間以上も上着を脱ぐタイミングすら逃してバタバタと焦っている妻を見て、どうしたらいいか考えるくらいはできるだろう。そんな感覚すらない様子のパートナーとこれからどう過ごしていくか、これは新たな問題、そして最大の問題だ。

【今日私は誰とも会話しなかった】

自宅に帰ってきた日、結局私は一睡もできなかった。我が子もほぼ寝ていない。それだけ我が子にとっては苦痛だったんだと感じ、どうにかしてもっと早く帰って来れなかったかという後悔と、苦しい思いをさせてごめんという気持ちになった。
 2週間もすると、自宅での生活には少しずつ慣れてきた。相変わらず夜は細切れにしか眠れなかったが、昼間はどんな時間に食事したっていいし、我が子が眠れば昼寝をしたっていい。かわいい写真が撮れたらパートナーや実家に送って共有する。授乳も安定してできるようになってきて、しっかり飲めているのが感じられたし、満腹そうな我が子の表情も見て取れた。買い物は、近くのスーパーの宅配サービスを使えたし、おむつもネット通販で買える。テレビを見ていると、我が子はCMソングや効果音に良く反応する。私が歌ったり声をかけてもよく反応していて、音楽や歌が好きだということも分かった。いろいろなことがわかってきたし、できるようになってきたけど、ふとしたときに涙がこみ上げることがある。テレビやネットを見ていても、なんか涙もろい。そしてなんかモヤモヤする。何でだろう。
私が思い出すここまでの赤ちゃんとの生活に、パートナーの姿はほぼない。この子は私だけの子なのかと思うくらい、一人でお世話をしていることに気づいた。もちろん仕事中は仕方ないし、仕事から帰ってきたら抱っこしたり遊んだりしてくれている。でもやっぱりモヤモヤする。
 パートナーも寝て、深夜に授乳をしているとき思った。(今日外に出なかったな。そういえば、今日誰とも会話してない。)産休前には、お客様と会話するのが仕事の毎日だったが、今の私が会話する相手と言えば、パートナー、スーパーのレジの人、宅配便のお兄さん、近所で話しかけてくれるおばあちゃん…ぐらいしかいない。そのパートナーですら、
「今日何時ごろ帰るから」「うんち出てるみたいだけど?」「今日の夕飯何?」
くらいの会話しかできていない。
 このままどんどん家にこもっていくんだろうか…。息苦しいな。

【かわいさが癒し】

3か月、4か月、5か月…と月を重ねるごとに、我が子はどんどんふっくらし、表情が豊かになってきた。相変わらず大泣きの悪魔タイムは多いが、機嫌よくにこにこする天使タイムも出始めた。発育も順調で、むしろ大きすぎるくらいだった。
季節的にもちょうどよかったので、ちょくちょく児童館に行ったり、近くの公園をお散歩したりするようにした。ベビーカーに乗せて歩いていると、多くの人が声をかけてくれる。そんな少しのやりとりで心が温かくなるのを何度も感じた。自分が、実は人とのかかわりをこんなに求めていたことに気づいた。

【あと一歩考えてほしいのに】

 産後は、“ガルガル期”というものになりやすいということを育児雑誌で読んだ。「ガルガル期とは、ホルモンバランスの乱れによって、お母さんの体調や精神状態が不安定になってしまう時期のこと」だという。もちろん私もガルガル期があった。しかしこれって、本当に女性のホルモンバランスだけのせいにしていいのかと疑問に思う。ガルガル期だったとしても、そこに火種がまかれるから燃えてしまうのだ。
私に火をつけたのは、いつもパートナーの言葉だった。

「今日1日何してたの?(1日の流れを話すと、)…まじ?いいなあ、昼寝していられて。」
→(わかるよ、あなたが一生懸命仕事している間にずっと家にいたんだから、何してたのか知りたいのはわかる。でもね、昼寝しないとこっちが倒れるくらい、眠れてないの。あなたが夜中いびきをかいてぐっすり寝ている間、私はほとんど起きているの。あなたの大きすぎるいびきで起こされた我が子を寝かしつけているのは私なんだからね!)

「全然泣き止まないよ?やっぱりママがいいって。(と言いながら抱っこを交代しようとする)」
→(いやいや、泣き止まないのはいつものことだよ。これが日常なのよ。それをわかってもらうために抱っこしてもらってるんだからそんなに簡単にパスしようとしてこないでよ。)

「ねえねえ、出かけるときくらいもうちょっときれいにしたら?」
→(は?出かけるために数時間前から我が子の授乳リズムを見てタイミング図って、出かけるのに必要な荷物詰めて、合間にあなたの朝食出して、我が子にベストなタイミングで出発しようとしてるわけよ。15分前に起きてのんびり朝ごはん食べてるあなたに言われたくないわけ。私だってほんとはもっと時間かけてきれいにしたいけどできなくて、それでも我が子のことを優先にした結果がこれなの。そんなこと言うならあなたがもっと早く起きて子どものこと全部やってよ!)

「なんでそんなにイライラしてんの?怖いんだけど。」
→(なんでイライラしてるか分からないあなたにイライラしてんの!)

 パートナーの一言一言にイライラしていた。しかしすぐに言い返せない私の性格、そして常に我が子を中心に動いていてけんかどころではなかったことから、言い合うことはなかった。パートナーは私がなぜイライラしているか一向に分からず、私はイライラしながらもストレスを溜めていた。

「忘れたころにやってきた夜泣き?シーズン」

【かわいいけど、息苦しい】

ハーフバースデーも終え、毎日我が子のシャッターチャンスを楽しむ日々。相変わらず、お散歩をしていると「色白でかわいい子ねえ」とたくさん言われる。おもちゃを握ってふりふりするのがかわいいし、Eテレを見てノリノリなところもかわいい。
でも、どうしても気分が晴れない。自分の中にダークなものが渦巻いている感じ。視界にもやがかかっているような感じ。いつものどの奥の方がきゅっと息苦しい感じ。そうだ、これは睡眠不足のせいだ。だってこの子が産まれてから一晩寝られたことなんて一度もない。睡眠不足なのは事実だけど、それだけがこのモヤモヤ感・ダークさの理由でないことは自分でも分かっていた。はっきりとした理由は私も言葉で表すことはできない。でも、何かのせいにしていないと立っていられない毎日だった。

【全部見せよう】

ある日の夜、1日中機嫌が悪い我が子に手を尽くし切ってしまった私は、もうどうしようもなくなってしまった。今日は1回も座って食事ができなかったし、夕飯なんて一口だけかじってから2時間も経って食べる気もなくなった。トイレだって我慢しきゃいけない状況ばかりだし、大泣きする7キロを何時間も支え続けてもう腕が限界だった。
(つらい・・・。もう無理。)
私は、まだ大泣きしている我が子をプレイマットに下ろし、意識を飛ばした。正確に言うと、“無”になった。声も、音も、視覚も感じなくなったような感じ。

数分経ったのか、さっと自分の腕が伸びて我に返った。“ゴン!”という鈍い音がしたのはほぼ同時だった。こんな状態でも我が子のことは目で追ってるんだな、体って自然に動くものなんだな、と冷静に思考している反面、涙が出ていることにはしばらく気づけなかった。
涙を止められないまま、起きているんだかうとうとしているんだか意識もうつろなまま授乳していると、ガチャっとカギの音がした。仕事終わりで飲み会に行っていたパートナーが帰宅した。
「ただいま~。
えっ!?どうしたの?こんな時間なのにまだ夕飯食べてないの!?」
 しばらく時計も見ていなかったが、そろそろ日が変わるころだったらしい。
パートナーの顔を見るだけでイライラが一気に増す。(まず、鍵の音がうるさい。ただいまの声が大きい。この子が寝たばかりだったら絶対起こしてる。というか、まず第一声で夕飯の心配?一日家にいるのになぜこんな状況になっているのかちょっとは考えないの!?)と思ったが、何か言い返す気力も残っていない。目を合わせるので精一杯だった。自分の中のダークな部分が濃さを増してきたのを感じる。
「○○ちゃん、寝てるじゃん。ベッドに寝かせてくれば?」
 言われて見てみると、我が子は目を閉じていた。(眠ったというよりは寝始めたところで、まだ背中スイッチが発動するレベルの浅い眠り。ここから深い眠りになるまでじっと耐え、息遣いが変わってからベッドに下ろさないと、また寝かしつけをやり直すことになる。だからまだじっとしていないと。大きな声出さないで。)それにしても、我が子の眠りにはいつも細心の注意を払っているはずなのに、それに気づかないくらい、授乳しながら私の意識や視線はおかしくなっていたらしい。
「あ~疲れた。シャワー浴びてくるわ。」
パートナーのこの一言で、私のダムは決壊した。

「……は?」
 自分でもびっくりするくらい低い声が出た。鈍感なパートナーも、さすがに声の異変には気付いたらしい。決壊したダムから溢れる言葉は止まらない。同時に、こぼれる涙も止まらない…。
「あのさ、この状況を見て、どう思う?この時間になんで夕飯が残ってるんだと思う?」
「よく疲れたなんて言えたね。そっちは同僚と飲んで食べてきてんでしょ?こっちはね、座ってご飯食べることもできてないの。夕飯なんてまだ一口しか食べてないの。トイレも自由に行けないし、腕もパンパン。なんなら昨日だってほぼ寝れてないんだよ。」
「お仕事して稼いでくれてるのはありがたいんだけどさ、あなたは変わらないよね。時間の使い方も、食べるものも、着るものも…。父親になったんじゃないの?どうしたらいいかもうちょっと想像力働かせなよ。」
「毎日我が子の写真共有して、一日どんな様子だったか話してるよね。私は子育てのことをあなたに見せて共有してるつもりだったけど、あなたは違ったの?」
「子育ては二人でするものだよね?家がこんな散らかってて妻がこんな状態なのを見て、何にも感じないわけ?それとも、私に任せておけばどうにかしてくれるから大丈夫だって思ってるの?」私の涙で、抱きしめていた我が子の服は濡れてしまっていた。

「何も言い返せません。ごめんなさい。」
怒涛の言葉を浴びたパートナーは、それだけしか言わなかった。翌日から、我が子と私の様子をよく見るようになったパートナー。何かできることを探そうとはしてくれるが、何をしてもピントが合っていない。今まで私に任せっきりで自分事として考えていなかったことが改めてよく分かった。

【自分のメンタルを保つために…】

ダムが決壊したとこで、多少気分は軽くなったらしい。でも、モヤモヤとしたダークさは拭えない。それなら少しでも、自分の機嫌をとる努力をしたいと考えた。
こんな毎日の中で、何ができるだろうか。何をしているときが楽しいかと考えたときに浮かんだのは、同じくらいの赤ちゃんをもつママさんたちの顔だった。私は、児童館や支援センターに行く回数を増やすようにした。安全なスペースで我が子を遊ばせながら、近くにいたママさんと言葉を交わす。離乳食やベビー服など当たり障りないことを話すだけ。顔見知りのママさんとは、ちょっとした子育ての悩みを話し合ったり、近所の公園や予防接種の話をしたりしながらベビー同士を並べて写真を撮って楽しむ。大したことはしていないのだが、このときの私にとっては、こうやって誰かと思いを共有できることがとても嬉しかった。
少しづつ仲良しのママ友さんが数人でき、いっしょに公園へ行ったり、ショッピングモールへ出かけたりすることで、素直に楽しいと思えることが増えてきた。出かけるために多少服装やメイクに気を遣い、時間的にもメリハリができ、我が子の睡眠時間も長くなることがあった。何より、気持ちをわかってもらえる、素直に話せるということがこんなにも沁みるものかといつも感じた。

【深夜のおままごと】

すっかり寒くなったころ、深夜の我が子に異変が起きた。いわゆる“夜泣き”というやつ、と思っていた。
夜中に授乳をしても、ぱっちり目を開いてじたばたしてしまう。部屋も暗いのに、完全に覚醒してしまっているのだ。リビングに行くと、おもちゃで遊びたそうな様子。腕も疲れたので下ろしてみると、昼間と同じように遊びだした!夜中はなぜか機嫌よく一人遊びをする。おままごとセットの野菜をカチャカチャと遊ぶこと、なんと2時間!こっちは体が冷えるし、眠いが、一人にしておくわけにはいかないので、近くで見守るしかない。これは、“夜泣き”ではなく“夜遊び”とでもいうのだろうか。育児本にもこんな例は載っていなかった。
この深夜のおままごとはこの日から約1か月続いた。深夜に寝たいのに2時間無理やり起こされている状況が1か月…。睡眠不足はやはり、体にも心にも暗さや重さをもたらす…。

【たぶんずっと根に持つと思う】

深夜のおままごとが始まって数日したころ、パートナーにもその話をした。すると、
「週末は俺が夜中見るよ。その間ゆっくり寝てていいからさ。俺のこと起こしていいからね。」
と言ってくれた。(少しずつ協力的になってくれているな。週末までがんばろう。)と感じられた。わかってくれて、正直ホッとできた。

 その週末も、やはり我が子は深夜にぱっちり目を覚ました。ダメ元でパートナーに声をかけると、起きてくれた!
「あとは代わるからいいよ~。寝ておいで。」
という言葉に、すっと体が軽くなって布団にもぐりこむことができた。
ふと目が覚めると、布団に入ってから20分しか経っていない…。これはいやな予感…。すると、我が子を抱っこしたパートナーが寝室に戻ってきた。そして、またも私のダムを決壊させる一言を放った。

「○○ちゃん、泣いてるんだよね。やっぱりママがいいって。」

「ママがいいなんて○○ちゃんが言ったわけじゃないでしょ。それって、もう自分じゃ面倒見切れないから私に託すってことだよね?諦めたってことだよね?」
「出産と授乳は女しかできないけどさ、他のことは男の人でもできるよね?あとは自分がやらなきゃっていう責任感がどれだけあるかだと思うんだよね。あなたはこの子のお世話を、自分のこととして感じてないんじゃない?いつもどこかで私に任せてる。もしかして、女の人は母性本能があるから子育てのこと何でもできるなんて思ってる?それって勘違いだから。こっちはこの子を育てるためにめちゃめちゃ調べたり試行錯誤したりして勉強してるからいろいろできるようになってるんだよ。この子の命を守るためにずっと気を張ってるの!」
すると、パートナーは我が子を下ろし、
「せっかく起きてやったのになんで文句言われなきゃなんないんだよ。」
と言って、ベッドに入ってしまった。言葉がきつかったのは反省してる。でも命を守るというこの重圧は本当に苦しい。

その後も数週間続く、深夜のおままごと。その日から私は、パートナーを起こすのはやめた。嬉しくなって、期待して、落胆して、イライラして、傷ついて…、そんなことなら頼らないで自分で対応したほうがましだと思った。
そんなある日、我が子の声で目を覚ました私は、いつも通り授乳の前におむつ替えをしていた。すると、パートナーがごそごそして、珍しく目を覚ましたのだ。目を覚まして、こちらを見て、私と目が合って・・・寝たふりをした。
(この瞬間、たぶん一生忘れないし根に持つと思う。このままだと、ほんとにあなたのこといらなくなるかもしれない。)

「もう大丈夫かも…と思えた瞬間」

【割り切る、諦める】

夜泣きに対するパートナーの対応を目の当たりにして、私は愕然とした。そして、今まで一生懸命作ろうとしていたものを諦めた。
私は、パートナーと手を取り合って、同じスタンスで子育てしていきたかった。同じくらいの熱量で、二人で子育てしたかった。そのために、我が子の成長を細かく共有したり、お世話のポイントを伝えたりしてきた。だから、初めての離乳食も初めて行く場所も、いつもパートナーが一緒にいられるときに合わせてきた。
しかし、なんだこのパートナーの対応は。妊娠したと伝えたときに「子どもは大好きだからお世話は任せて!」と言ってくれた言葉を信じてやってきたのに。伝えたらきっとわかってくれると信じてきたのに。
もういい。子育てのことは私が一人で調べるし、我が子の初めて体験を共有する必要もない。パートナーは、パートナーなりに愛情をもって子育てをすればいい。そう割り切ることにした。パートナーとの二人育児を諦めた。

【嫌いな言葉】

私には、2つ嫌いな言葉がある。「夫育て」である。
私が赤ちゃんを育てていたころは、子育て情報HPや子育て雑誌に「イクメン」「夫をパパに育てましょう」という内容の記事がたくさんあった。どうしてこんな言葉が生まれるのか、私には不思議だった。「イクメン」はそろそろ下火になってきたようで安心しているが、「夫を育てる」という記述はいまだにいろいろなところで見かける。女性は、妊娠した時から少しづつ母としての自覚をもつ。そして、出産を経て、日々新生児育児に奮闘しながら母になっていく。では男性はどうか。妊娠中は、赤ちゃんが見えないし感じることもできず、なかなか父親という自覚を持つことが難しいのかもしれない。経験したことのない妊娠・出産について想像するのは簡単ではないことはわかる。しかし、出産後は赤ちゃんを見て触れることができる。ここからは、父親となった男性の意識次第だと私は思う。自分事として子育てするか、ママのお手伝いとして子育てするか、ママがやってくれるものと思って過ごすか。
ここで、「夫育て」である。夫が家事や子育てをできるようになるため、妻が夫を育てるというものである。「夫育て」の情報には、たいていこう書かれている。
「夫が家事・育児をしてくれたら、多少ずれていてもほめてあげましょう」
「家事・育児を見える化して、夫が取り組みやすくしてあげましょう」
「子どもが小さいうちに夫育てをしておくと、後が楽になりますよ!」
こんな記述を読んで、(なんて子ども扱いされた夫なんだろう。おだてられて喜んでいるだけだよね。こんなに上から目線で見られているのに、夫はそれでいいの?)と感じるのは私だけだろうか。そもそも夫を育てるのは、夫の両親の役目であって、妻がやることではないと感じてしまう。
 男性の育休取得が増えている今、この「夫育て」が早く死語になってほしいと思う。

【もう大丈夫かも…】

我が子があと数日で1歳の誕生日を迎えるころ、その日は突然訪れた。
 夜の11時ごろに寝かしつけたあと、明るくなるまで眠ることができた。夜に寝て朝に起きるなんて、仕事をしていたころなら当たり前のことだが、これが1年間一度も叶わなかったのだ。
 目が覚め、外が明るいことに驚き、まず我が子の安否を確認した。(よかった。ちゃんと息してる…。…私、一晩寝られたんだ…。)ようやくホッとできた。
 我が子が起きるまで、眠れた驚きでしばらく動けずいた。その間、いろいろな思いが浮かんできた。(こうやって一歩ずつ成長していくんだ、大変なことでもいつまでもこのまま悩むことはないんだ、子どもが成長すればどんどん変わっていくんだ…)暗い長いトンネルの奥に、出口の光が見えた感じ、心の中のドロドロとした感覚が少しずつ緩やかに流れていく感じがした。
 もちろん、一晩寝ればおっぱいは張って痛いし、目を覚ました我が子は驚くほどのギャン泣きだった。一晩眠れることはまだまだレアで、この翌日もその次も夜中に何度も起こされた。
それでも、この頃の急成長により、私の気持ちは楽になってきた。欲しいものを指さしたり、「ママ」「ワンワン」と言葉にしたりして表現できるようになり、“泣く”以外の伝え方ができるようになった。大人の話す単語も少しずつ理解できているのか、言葉でのコミュニケーションが通じるようになってきた。他にも、歩けるようになったこと、いろいろな食材が食べられるようになったことで、我が子は笑顔が格段に増えてきた。
(こんなにかわいいと思えるなんて…。)
(もう大丈夫かも…。)

【赤ちゃんの成長とママのメンタル】

自分は、赤ちゃんを産んだその日から、ものごとの価値観が大きく変わったと感じている。それまでは、自分のため、家族のため、世のため人のためと過ごしてきた。それが、赤ちゃんを産んだ日からは100%赤ちゃんのための生活に変わったのだ。自分の睡眠・食事の時間も削って我が子の命を守るためにあらゆる手を尽くす。この子の命が自分にかかっているという責任は重すぎる。重すぎて一人では支えきれないし、押しつぶされそうになる。押しつぶされそうになるところを何とかやってこられたのは、やはり我が子の命を守らなければいけないという責任と、我が子の見せる笑顔だったと思う。

赤ちゃんの成長とママのメンタルはつながっていると思う。赤ちゃんが健康で機嫌よくいればママもホッとするし、ママが落ち着いてニコニコしながら接していれば赤ちゃんは安心する。反対に、赤ちゃんの調子が悪く機嫌が悪いとママは焦ったり困惑したりするし、ママがイライラしながら接すると赤ちゃんも不安になる。
パパも責任や喜びを感じられることは同じだが、10か月間お腹の中で育てていたというママの実績が、命を守らなければいけないという責任感を強めているように感じる。

 0歳、1歳、2歳…ママにとっては新たな困りごと・悩みが出てくる。でもそれは、我が子が成長している証として、喜ばしいことでもある。
離乳食が大変なのは、ご飯が食べられるようになったということ。
外を歩くと危なくて心配なのは、自分で歩けるようになったということ、好奇心が旺盛になったということ。
イヤイヤ期は、「自分でやりたい!」という気持ちが育ってきたということ。

きっと子どもが何歳になっても、悩みは多かれ少なかれ尽きることはないのではないかと思う。親の悩みが多いのは、それだけ我が子のことを想っているということ。

【ママ・赤ちゃんから、親子へ】

 これから我が子がもっと大きくなったら、私はどうなっていくんだろう。自分の全てをこの子に尽くしていたけど、いずれそうではなくなる。そうなったとき、自分には何が残るんだろうと考えるときがある。
 子どもと親は、別々の人間で、子どもには子どもの人生が、親には親の人生がある。一般的には当たり前のことだが、子育て真っ最中の親は忘れていることがある。
 子育て期(特に子供が小さいころ)は、子ども中心の生活を送りたいと私は考えている。あなたのことを愛しているよ、あなたと一緒の時間を大切にしているよ、というメッセージを送りながら、育てていきたい。
少し落ち着いたら、もっと先のことも考えていきたい。子どもが大きくなってからも人生は長い。子どもが大きくなった時、どんな親・どんな大人でありたいか。私は、あなたのことをいつも見守っているよ、ここは帰ってこられる場所だよ、というメッセージを伝えながら、子どもが背中を見て育ってくれるような親でありたいと思う。

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