2022年2月21日
子育て
私の息子が8ヶ月の頃、まだ育児の始まりの時期に、不運にも突発性難聴になってしまいました。そもそも不器用である自分ですが、難聴になった事については、なぜもっと自分を大事にできなかったのか、うまくやれなかったのかと今も悔やまれます。
発症したのは7月の中旬、暑さの増す時期でした。私と主人、息子は私の実家に住んでいたのですが、主人の転職をきっかけに引っ越すこととなりました。
主人は一足先に転居して仕事を始めており、追って私と息子は車に荷物を乗せて、転居先へと向かいました。しかし、2日前に手足口病にかかっており、前日に点滴で解熱をして、その翌日の引越し作業でした。今思えば、どうしてそんな体調の中、無理をして動いてしまったのかと思います。
初めて罹患した手足口病というもの。発熱の他、手、足、口の中に発疹ができて、その箇所に触れるだけで、とても痛かったのを覚えています。大人の方が重症化するとのことで、私は後に全ての爪も剥がれてきてしまった為、きつい部類だったのだと思います。とにかくそのような状況で、朝食も口が痛いため、ほとんど摂らず、引っ越し作業に入りました。
何故そんな無茶な日程で、引っ越すこととなったのか。それは転居先で購入した冷蔵庫、エアコンがその日到着する、主人は仕事の為、私しか対応するものがいない、という理由でした。そのような体調でありながらも車に息子と荷物を乗せて、山越えで新しい街にやってきました。
到着して、まず業者の方が来られて、エアコンの設置を完了されました。他のものは何ひとつ揃っていない転居先のアパートで私が最初に考えたのは、息子の泣き声がアパートの住民の方々に迷惑にならないか、という事でした。
それまでは実家の戸建てでの育児で、ご近所への迷惑などほぼ考えたことがなかった為、余計にでした。この小さなアパートでは、授乳期である息子の泣き声など筒抜けだろう、という神経質なほどの思いが湧き上がってきました。そういう思いもあったので、泣きかけると慌てて授乳をして、泣き止ませようとしていた記憶が蘇ります。
慣れない環境での、焦りや不安。そして発症して間もない手足口病により、台所の前に立って何かするだけでも、足の裏が非常に痛くまともに立っておられない状態でもありました。せめてスリッパなどがあれば痛みも和らいだのですが。。更にはお昼もまともに食べておらず、飲み物も切らしてしまった為、向かいのスーパーに買いに行きたいと思っていた所に、スコールのような大雨が降ってきました。しかし傘がなく、こんな雨の中を息子を抱いて外には出られないと諦めました。
自分はほとんど飲まず食わずの状態の中、やはり息子はお腹が空いて泣くので、その度に慌てて授乳。それ以外でも泣く時には、必死で泣き止ませていたと思います。そうこうしているうちに、冷蔵庫も配送、設置して頂き、一段落した夕方には空腹と心労でヘトヘトになっていました。
何もない部屋で、ハイハイをする息子を見ながら涙がこみ上げてきて、泣き顔は見せぬよう反対を向いて、「もうしんどい、しんどいよ、、」と呟いていました。息子はいつもと違う様子の私に気付いたのか、あどけない表情で私の膝をポンポンと叩き、「どうしたの?」「大丈夫」とでも言ってるかのような顔をしていました。その時の事は時間が経った今でも、印象的に覚えています。
そして夜になり、帰宅した主人とその日は夕飯を食べに出かけました。思えば、新しい仕事についたばかりの夫は、当時大きなストレスを抱えていました。私が引っ越し作業くらいでヘトヘトになっている様子を見て、呆れている様子でした。
そして寝る時間となり、ついたばかりのエアコンの下、親子三人で横になりました。極端に温度を下げて寝る夫。私には少し寒く、慣れないエアコンの音も気になり、その日も一時間ほどしか寝られませんでした。
<その日も>というのは、この時期、夜中の授乳をしている中で、不眠症のようになっていたのです。自律神経の乱れから、一回の授乳を終えると、次の授乳の時間まで寝られないという事が続き、平均して一時間ほどしか眠れない状態が続いていました。
翌朝、起きると右耳が蓋をしたような状態で、聞こえにくい。おかしいなと感じながらも、その時はまだ大した事だと考えませんでした。そして近所の耳鼻科で受診すると、鼓膜にも異常がなく、突発性難聴という診断でした。
何となく予想はしていた事でしたが、その時はあぁ、やはりそうだったのかという落胆の気持ちが大きかったです。特に私は元々音楽の仕事をしていた為、耳に障害を持つ事は大変ショックでした。
その後、総合病院で治療を始め、右耳の聴力検査の結果を見られた先生がまず言われたことは、「睡眠不足やね」という一言でした。そのことが一番の原因だったようです。恐らく、睡眠が足りないだけでは発症しなかったのだと思いますが、免疫力が落ちている中で、手足口病にもなって無理をしたこと、また水分もきちんと摂れていなかったこと、心的ストレスも溜まっていたこと、悪い要因が一度に重なり、それがトリガーとなって病気が引き起こされたようです。
他の病院でも診察を受け、そちらの先生が言われていたことは、ストレスをうまく逃がすことも大切です、という事でした。しかし、私にとってはストレスを逃がすというのは、大変至難の技です。改善していけるとするならば、睡眠不足、水分不足の解消だと思いました。
酸素カプセルに通って自律神経を整えたり、自分なりの不眠解消の方法は見つける事ができました。また発症した際に診て頂いた先生からは、1日2リットルの水を飲むように言われ、それを心がけていました。
しかし、その他様々な治療法を試してみましたが、私の場合は運悪く治す事はできませんでした。
突発性難聴が発症して3,4ヶ月経過して知ったのは、もっと早い時期に酸素カプセルに入っていれば、良くなっていただろうという事でした。酸素を体内に満たすことで、血流が良くなるもので、私の通っていた酸素カプセルには難聴だけではなく、不妊の方や、うつ病、末期がんの方など様々な症状の方が来られていました。
しばらくは落ち込みましたが、とにかくなってしまったのは仕方がない、毎日育児で耳のことで落ち込んでる暇がない、といつしか考えられるようになりました。この障害を持ちながら、自分なりの育児をしていくしかない、と。
耳に障害を持って、子育てで1番大変なことは、子供の大きな声が耳に痛い、ということです。可愛いはずの子供の声が、時には恐怖の時もあります。私の場合は、右耳が完全に聞こえない訳ではなく、低域のみが聞こえないため、左右の耳の聞こえの違いから、色んな音が耳にきつく響きます。診て頂いていた先生には、聞こえない音域の音が気持ち悪く感じるだろう、とも伝えられました。
とにかく大好きなピアノの音も耳に響き、2、3歳の子供が高音で叫んだり、言葉が溢れて喋り続ける事も、私の耳にはとてもきつく、疲労してしまいます。そしていずれの場合も、対応策は耳栓をする事。耳栓が見当たらない場合は、ティッシュを小さくちぎり細くして、即席耳栓を作ります。それを耳に入れるだけで、耳への負担が減り楽になります。
この事で気づいたのは、子供のイヤイヤ期などで、イライラしがちな気持ちも耳栓をすることで軽減する事ができる、ということでした。個人差はあると思いますが、耳栓をする事で、気持ち的に少し子供との距離を置くことができます。
勿論、子供がどんな状況にあるか、危険なことはないか、などには気を配り、その上で気持ちは一歩引いて一緒にいられると感じます。耳に障害がない方でも、本当にイライラして怒ってしまう時、自分を落ち着かせたい時などには使える方法ではないかと思いました。子供の安全を第一にしながらも。
私のように不器用で、無茶により障害を持ってしまうお母さんは少ないだろうと思います。ただ、すべての親御さんにとって、やはり自分の体が健康でなければ、どこかで育児に行き詰まったり、結果的に子供に迷惑をかけてしまう事になると思います。
子供のことが一番、であると同時に、多くの親御さんたちがご自分の体をいたわり、できる限り整えられていくことを願います。私のように育児のはじめから障害を持ってしまわれませんように。。
私の息子が保育園に通い始めたのは、1歳4ヶ月の時でした。初めての集団生活であり、大丈夫かなと思いましたが、ほとんどぐずる事もなく慣れていきました。
保育園に入る前、3ヶ月ほどは幼児教室に通っていました。モンテッソーリ的な内容であり、そういったプログラムが私にとっても新鮮で、子供も楽しんで取り組んでいたと思います。
そちらの先生には、教室で取り組む内容を、家でも出来るだけ実践するように言われ、知育的なことを家でもしていました。その事もあり、いわゆる市販で売っている玩具、ブロック等などは家に置いておらず、幼児らしい遊びをすることは少なかったのかもしれません。
そのように過ごしていた我が子ですが、保育園に入って、まもなく先生方から指摘されたことがあり、それは園のブロックやおもちゃなどで遊ばないという事でした。
ブロックなどの入った箱を自分で出してきても、バラバラと床に広げるだけで、遊ばないということでした。何をしているかというと、大体何かを言いながらお部屋の中を歩いている、と言われました。
正直、そのように指摘された時には、本当にショックでした。勿論、先生方も悪気はなく、他の子の様におもちゃで遊ばないことを不思議に感じられたのだと思います。家ではどの様に遊んでいるのかを尋ねてこられました。
当時の私や夫は、息子がまだブロックなどで遊ぶ歳ではないと、考えていたと思います。もしくは私達が小さい頃に、あまりそういった遊びをしていなかったという背景もありました。
二人共、息子の歳に何で遊ばせたらよいかわからず、教室で習った知育的な事をしたり、メディアで数字やひらがな、英語、生物、宇宙などを学べるものを観せていました。
そのため、保育園で指摘された時は、自分たちのやり方が間違っていたのかと、気持ちも沈みました。
その反面、どのような事を家でしているかを知ってもらいたいと思ったのです。教室で行っていた知育遊びをする、息子の姿を写真に撮り、それらを先生方に見てもらいました。
そこまでしてくる親に、先生方は驚いたかもしれません。それでも、家で何もしていないわけではない、息子はこういった事は出来る、ということを先生方に知ってほしいと思いました。
それからは、特段、おもちゃで遊ばないことに対してこちらに言われることはなくなりました。
私達の育て方や、息子自身の性格もあると思いますが、興味の対象が他の子と違うと理解して下さったのかもしれません。
そんな息子でしたが、他のお友達がブロックやおもちゃで遊ぶのを見たりしているうちに、徐々にそれらのものでも遊ぶようになったようです。
自宅でもあらゆるブロックを購入し、遊べるようにしていましたが、家ではなかなか興味を持ちませんでした。
一方、ひらがな、数字、アルファベットなどは早くから覚えて言うようになり、その点で先生方は感心されていました。
またお話することが早い時期に出来ていた為、先生方も楽しいと言われていました。
賛否両論があると思いますが、文字や言葉を早く覚えられたのには、メディアの影響が大きかったと思います。家では知育的な動画や、文字や色を教えてくれるアニメーションをよく観せていました。
無論、メディアに頼ってばかりではいけないという事も常に心にあり、時間を守りながら観せている感じでした。
とにかくそのような感じで、幼児らしい遊びについては、徐々に覚えていった我が子ですが、もう一つ同じ時期に指摘された事がありました。
それは名前を呼んでも、反応しないということでした。保育園での生活で、次の動作に移る時などに名前を呼んでも、息子はやっていることに夢中である為か振り向かない、という事を言われたのです。
その指摘にもやはり心配になりました。「お家で何と呼ばれていますか?」と尋ねられる先生。勿論、先生方がされている呼び方と同じでした。家では何となく、呼べば反応していた記憶があったのですが、そう言われると自信もなくなってきました。
また私の方でも気になる事がありました。息子はスーパーなど広くて開放感のある場所で、走り出してはどこに行ったかわからなくなることが頻繁にありました。
その際、何度大きい声で呼び止めても、反応しませんでした。聞こえているけれど、言うことを聞きたくない、というのもあったと思いますが、やはり私にとっては気がかりな事であり、とても労力を使う時間でした。
今思えば、何かに対する集中力や、これをどうしてもしたい!という願望が、人よりも強い子であるのかもしれません。
今でも走り出して止まらない事はありますが、以前よりは私を探して戻ってきたり、変化が見られるようになりました。
また、同じ時期に1歳半健診を受けた時のことです。会場の部屋に入った時に、やはり息子は先に走り出してしまいました。
その姿を見た保健師の方は、発達に問題がないか、健診の最後に心理士にみてもらう事を勧められました。
この時の私の心情としては、発達に心配がないわけではなかったけれど、そのように追加検査に回されてしまう事に驚きました。
まさかそんな事だけで、発達に問題があるかもと、指摘されるとは思わなかったからです。
問診の中でされる、指差しや積み木などはとてもよくしていて、保健師さんもそれは認められていました。ただ先に走り出してしまった事、それだけで問題ありとされました。
他のお子さん達は基本の健診を受けて帰っていくのに、息子だけがその後も発達の検査を受けなければいけない、という事が親としてとても辛く感じました。
恐らく、我が子だけではなく、そういったお子さんは何人かおられたのだと思いますが。
心理士のおられる部屋に入り、その方と少し息子の様子を話した後、知育的なおもちゃを使ってテストのような事を始められました。
それらのおもちゃは、この歳の子供には難しいものと感じたので、恐らく先生の問いかけにどのように反応するかを見ていたのかなと思います。緊張もあったと思いますが、息子はあまり問いかけに応えられず、そのテストは終了しました。
その後、私にお話をされたのですが、結果的には発達に問題なしという事でした。走り回るのも、この歳、この時期によくある事だろうと。
テストが終わり、お部屋のカーペットで大人しく待っている息子を見て、感心さえされていました。
私はホッと安堵の一時でしたが、後から湧いてきた感情としては、それでは何故健診に来てこのような思いで待たされたのだろう、という憤りに近いものでした。
保健士の方が、万が一の事を考えて、少しでも発達に疑いがあると思う子にテストをさせる、という事なのでしょう。
しかし結果的に問題がないと言われた親としては、疑問を感じずにはおられませんでした。こちらから、心理士の先生にぜひ診てほしい、と願っていたのなら別ですが。
日頃から、私自身も心配はあったのだから、しっかりテストしてもらって良かったのではと考える方もいると思います。
しかし、心配しながらも、前向きに考え暮らしている者としては、不要のことだと感じました。
そのようにして終えた1歳半健診でしたが、一年経った頃、市の方からその後の息子の様子はどうか、とお電話がありました。
正直、そのようなお電話についても、いかにも健診で発達について指摘された子供、という扱いを受けているようで、気持ちの良いものではありません。
最近見た記事の中に、発達障害に関する誤診、過剰検査が増えているというものを見つけました。
昔よりも発達障害についての疑い件数が増え、その分野の医師は予約が埋まり、手が回らない状況がある事も書かれていました。
発達障害のように感じる子供の振る舞いであっても、昔であれば<その子の個性>として考えられていたと思います。
今はグレーゾーンという言葉が使われ、どちらかに確定されないような見方があるようですが、何でも過剰になってしまうのは良くない風潮だと、私は思います。
私の子供も、いわゆるグレーゾーンのように見る人もいるかもしれませんが、私自身は息子の個性と考えています。
いつか、もっと大きくなって何か問題があれば、その事に目を背けず対峙しなければいけないと思います。
ですが、この幼い年齢の時に、心理士の方が問題ないという子供に対して簡単に疑いをかけることは、やはり過剰でおかしな現象の様に、今も感じています。
我が子の様なケースで、悩む親御さん達が他にもおられると思います。できるならば、周りの人達の意見にあまり振り回されず、ご自分の育て方を信じて、まず愛情を注いであげる事が大切だと、今の私自身は思っています。
子供がまだ1歳の時、支援センターでお話ししたお母さんが仰っていた事を、最近よく思い出します。それは「どんどん大変になりますよ」というお言葉。
正直、子供は年齢を重ねていく毎に、自分で出来る事も増え、親としては大変さが減ると思っていました。
実際、自分でしっかり歩き、自分で食べる等、手がかからなくなってきた部分も多い息子。しかし、3歳でイヤイヤ期の真っ最中である今、そのお母さんが言われた事がとてもよく分かります。
また、私自身が41歳で初産という、高齢出産であった事や、難聴、年齢によるしんどさや、気持ちの不安定な部分もあるのかもしれません。
最近では、毎日イライラし、家にいる間ずっと息子を怒っている気がします。そして多くの親御さん達がそうであるように、自己嫌悪に陥る日々。
私が何故イライラして、子供は何を嫌がっているのか、その点を改めて考えてみました。
息子の場合、イヤイヤの原因がはっきりとしています。
顕著なもので言うと、着るものへのイヤイヤ。
2歳9ヶ月位までは何でも着ていたのに、ある日から今まで着ていたもの以外は、強く拒否するようになりました。
サイズはどんどん小さくなるのに、新しい服を買っても着てくれない。息子の好きなはらぺこあおむしのトレーナーを探しても、色が気に入らないのかそれも着てくれず、デザインがシンプルで好きな色であるアイボリー系のものを買ってもだめでした。
1番困ったのは、冬場、厚めのジャンパーやコートを着てくれないこと。
薄手のキルト生地のものしか着たがらず、結局、中にトレーナーを2枚着るという方法に切り替えました。
他にはトレーニングパンツやマスク等。こちらは拒否されると、物事が進まず本当に困ってしまいます。
幸い、トレーニングパンツは、先日お気に入りのミッキーマウスの柄の物を選ぶと、初めに拒否はあったものの、遂に履いてくれました。
今までは何を言ってもダメでしたが、3歳2ヶ月にして遂に履いてくれました。
マスクについては、大手の英会話教室でキッズ英会話を受講させようとした際に、3歳以上はマスクを必ずつけるという条件がありました。
その時、教室の方からマスクの事を聞いただけで、その場で大泣きしてしまうほど、拒否していた我が子。残念ながら、全くマスクを受け付けない息子は断念する事としました。
私としては2歳より3歳の方が、イヤイヤは落ち着くのかな?と思い込んでいましたが、やはり3歳の方が抵抗する際の力も、表現も大きくなり、悪魔の3歳と言われることに納得の日々です。
しかし、うちの子はお風呂もご飯も拒否することはなく、遊び場から帰る時などもスムーズなため、そういう意味では他のお子さんよりも、イヤイヤは少ないのかな、とも思ってきました。
では、私のこれほどのイライラはどこから来ているのでしょうか。。
子供のイヤイヤ以外にしんどいと思ってしまう事は
◯家事や出かける準備などをしている時にまとわりついて来てしまう事。
◯お昼寝をしてくれない時、休めない事。
◯やる事が多くて夜には疲れてしまう上、寝かしつけが遅くなると焦ってしまう事。
◯最もしんどいのは、家にいると息子がずっと叫んだり喋り通しで、耳や気持ちが疲れてしまう事。
私の場合、突発性難聴がある為、これは余計にあるかもしれません。
これらのしんどい事に対して、自分なりにできる事を考えてみました。
まず、何かをしようとする時に、まとわりついてきてしまう事。
相手をして欲しいし、愛情を求めて来ているのだと思うのですが、用事に集中できなかったり、私の性格もあって、イライラとしてしまいます。
家事は、手伝わせてしまうのが良いとよく耳にしますが、なかなかそう簡単にはいかないもの。。野菜の皮を手で剥いてくれたり、ボールに卵を割ったものを混ぜてくれたり、やれる事をしてもらってもすぐに終わってしまう。また、大体イライラしてしまう時は、急いでいる時のため、なかなか手伝わせる段取りが出来なかったり、自分でやって速く済ませたりしてしまいます。
掃除機もやりたい様子でつかみにくるので、少し持たせると、間もなく興味が無くなり、置き去りにしてしまいます。
急いでいる時に、その手伝わせるということが、また時間をとる要素になってしまう。だから、多くのお母さん達は子供をメディアに預けて、家事を済ませるのではと思います。理想はもちろん、手伝わせる事なのですが。
メディアを見せる事以外には、やはり少しだけでも一緒に遊んであげて、1人遊びにつながる様にしてやる事くらいしか浮かびません。それもなかなか出来ない事が多いです。
あるお坊さんが言われていた事は、子供にとっての最大の遊びは、お母さんの体だということ。お母さんが家事をして働いている様子を見ている事が、子供にとってはまず面白く意味のある事であるように話されていました。
昔は畑の脇に籠を置いて、子供をそこに入れて畑仕事をされていた事を例に出されて、なるほどと思いました。昔は今のように溢れるおもちゃもなければ、知育だのなんだのという意識もなかったと思います。それでも、そういった環境の中からも多くの偉人達が生まれている。
そのお坊さんの言葉を聞いてから、家事をしている姿を見せているだけで、それは子供にとって有意義な遊びになるのだと、その様には思えてきました。
また、お昼寝をせず、私自身が休めない事は、やはり5分でも10分でも、自分自身が横になるしかないと思います。眠れなくてもいい、できたら目の上にタオルを乗せたり、光をなるべくシャットダウンして、休む。
先日は息子が上に乗ってきて怒ってしまいましたが、「お母さんは少しだけ休むから、少し向こうに行ってて!」と言うと、大人しく隣の部屋で遊んでくれていました。
窓の鍵をしっかりかけたり、刃物などの危ないものは片付けてあって、問題ない環境を作っておけば、3歳の子に理解させてお母さんだけでも少し眠る時間があって良いはずです。私はそう思います。
もちろん、その時はメディアに頼っても良いと思います。
ほんの5分、10分だけでも1人で体を横にできれば、仮に眠れなくても楽になります。
やる事が多くて夜には疲れてしまう事については、最近、突然電池が切れて鬱々としてしまう事が多いです。イライラするより良くないかもしれません。
夜は疲れていて当たり前なのだから、手間のかかる作業は日中に終えてしまうべきなのですが、手の遅い私のため、お風呂が洗えていなかったり、食器が洗えていなかったり。。
他のお母さんは、もっと手早く終えているのだろうなと思うと、また自己肯定感なども下がって行く気がします。
今まで出来ていないのだから、その事ではもう自分を責めず、出来る限りのことを頑張る、と切り替えた方が良いのかもしれません。
お皿も翌朝必要なものだけ洗う、生ゴミだけはゴミ箱に捨てる。お風呂洗いも、浴槽だけ手早く洗い、洗い場の洗剤を落とすのは、自分が始めに体を洗うときに一緒に流したり。
思いつく限りの時短を取り入れて行くしかないかと思います。
寝かしつけが遅くなると焦ってしまう事も、努力を続けながらも、遅くなってしまった事で、自分を責めても何も変わりません。理想の就寝時間というのは、誰もが頭にあると思いますが、それではその時間を過ぎたら、子供にどれだけの影響があるのか?命に関わるのか?
そのように考えると、寝かしつけの時間を気にして、毎日ぐったりと疲れてしまっている現状を、何とかした方が良いと思います。
これでなくてはいけない、という概念に縛られ過ぎているのかもしれません。
そして息子がずっと大きい声を出して、耳や気持ちが疲れてしまう問題は、イヤホンで好きな動画の音声を聴いて過ごす事が有効でした。
耳栓の役目と、好きな番組を聴いている、私と息子の2人だけではなく、第三者がいてくれる様な気がする、という面で良いのかなと思いました。
そう、「この第三者がいてくれる」、誰かがいてくれるという事が、本当は1番良いのだと思います。
それというのも、主人の仕事がリモートの時、特段子供の相手をしてくれる訳ではなく、パソコンに向かっているのだけど、息子は主人の近くで一人で遊んだりしています。私自身も一人ではなく二人で子供を見ている感覚になれて、以前のようなイライラがピタッと止みました。
小さな子供さん、特にイヤイヤ期のお子さんを持たれる方は、皆、イライラしてしまう事で悩まれていると思います。
「今だけだよ」と言われても、そんな風にはなかなか思えない、心が折れそうな時もあると思います。私自身もそうです。
本当にしんどい時は、「我が子が健康で、無事に目の前に居てくれることが当たり前の事ではない」と、考えるべきなのかもしれません。
その大切な存在を、突然失う方達もいる。
どんなに上手くいかない毎日であっても、目の前に愛しい我が子が居てくれる事に感謝すべきではないかと、自分に問いかけています。