孤独を感じた!初めての育児体験記

2022年3月8日

子育て

産後の体調不良とワンオペ育児

2018年の春、私は初めての子である長男を出産しました。
これは、日々悩みながら過ごした、息子が1歳半になるまでのお話しです。

運動部で培った、気力と根性が取り柄の私は、「産後の育児は大変だけれど、頑張れば何とかなる!」と思っていました。その意気込みを、いとも簡単に阻んだのは“産後の体調不良”でした。

大変な出産を終え、もうこれ以上痛い事はない!と思ったのも束の間。
子育てに全力を注ごうとする自分を邪魔したのは、
“会陰部の痛み”“ホルモンバランスの急激な変化”そして“頭痛”でした。

出産したその日、“産後は全治三か月の交通事故に遭ったのと同様”とよく聞くように、体中が痛く、歩く事などままなりませんでした。
自分の子供の顔を見ようと体の向きを変えようものなら、お腹に力が入らず、会陰部に激痛が。座る事も困難、トイレで用を足す事などもっての他!
自分の身体がこんなにも弱り、不自由を強いられる経験は初めてでした。

そして徐々に出てきた頭痛…
もともと頭痛持ちの私は、外出する際の頭痛薬は必須。妊娠中も、どうにも我慢がきかない時は、医師に処方して貰った頭痛薬を服用していました。
入院中は、頭痛薬を飲み、ベッドで体を休め、母体の回復に努めましたが、次の日にはまた頭痛に襲われる始末。
「退院後、こんな体で赤ちゃんのお世話なんて出来るのだろうか?」と、不安でいっぱいでした。

そして遂に退院。私の不安は的中し、とても過酷な日々が始まったのです。
防御力0、戦闘力も0、そんな中、私は“子育て”という、まさに“戦場”に放り込まれたのです。

頻発する頭痛に、立っていると悪化する会陰部の痛み、そして常に不安な我が子のお世話…
産後1ヶ月は実家で、衣食住のお世話をして貰っていたものの、これほどまで新生児に、心も身体も振り回されるとは、思ってもみませんでした。
昼夜問わずやってくる授乳におむつ替え、自分の体力を回復する為、寝て居たくても子供の事が気になって、熟睡など出来ず…
そんな中、おっぱいの痛みまで加わり、悲惨な状況に。
そして始まった“ホルモンバランスの変化による、精神不安定”。
産後1ヶ月は子供と自分の生活のペースを掴む事に、とにかく必死でした。

毎日不安と体調不良と戦う日々…ですがそんな中でも、僅かな希望に出会いました。
それは、同じ時期に出産をした方々の、SNS上の投稿です。

「“産後は母乳で痩せて綺麗なママで居たい”と言う夢は崩れ去り、現実は“毛玉だらけのスウェットにすっぴん、着厚ソックスに浮腫んだ体”」という投稿や、
「熟睡中の子供がうんちをしたと思い、オムツ替えに臨んだものの、うんちはしておらず、更に息子は泣いて覚醒」等、
今まで私が「どうしてこんな簡単な事も出来ないのだろう?」と思って落胆していた出来事の数々が、日本中の新生児を育てるママの間で起こっている事を知り、とても励まされました。

生後1ヶ月を迎えるまでの間、“息子が夜中3時間覚醒していた日”や、“大量に吐き戻し、授乳に悩んだ日”“私自身が風邪を引いてしまった日”等、大変な事は沢山ありましたが、SNSの投稿や、先輩ママである友人の言葉に支えられながら、息子と2人、何とか生き延びる事が出来ました。

そして出産してから約1か月後。
お世話になった実家を後にし、遂に息子と私そして主人の、3人での生活が始まったのです。
当時、主人は帰りも遅く、また国内・海外問わず、出張が多く、平日はとても忙しく過ごしていました。
その為、朝、主人を見送ってからは、もちろん私と息子の2人きり。まさにワンオペ。
これまで息子のお世話オンリーだった私は、それに加え、食事や洗濯、掃除等の家事をどうやってすれば良いのか、皆目見当もつきませんでした。

子供を持つ前、毎日仕事に忙殺されていた当時、子供を自宅で育てている友人を、心底羨ましいと思っていました。かわいい赤ちゃん、そしてゆったりとした生活…
と、同時に、寝てばかりの赤ちゃんと少しの家事をこなす生活は“手持ち無沙汰”になるのではないか?と、本気で思っていました。「暇が辛くないのかな…?」と、全国の子育て中の方々に、殴られても仕方が無い様な事を思っていたのです。

「赤ちゃんが寝ている間に、家事をこなせば良い。」
その“当たり前”が出来ない事を、痛感する毎日でした。
息子は日によって、抱っこをしていないと泣いてしまう日があり、自分が使った朝ごはんの食器を洗う事すら難しい日もありました。
息子が1人で寝てくれる時間があろうものなら、その間に溜まった洗濯物や、掃除、午後機嫌が悪くなる事に備え、夕飯の準備をするのに大忙し。
息子の機嫌を取りながら、隙を見ては通常の生活を送る為の家事をこなす…
日々家に居て、“時間の余裕はある”ばずなのに、“余裕の無い生活”を送っていました。

思えば生後6ヶ月を迎えるまで、主人と何度も喧嘩をしました。
赤ちゃんが産まれ、自分の生活がガラッと変わってしまった妻と、基本の生活スタイルは変わらない夫。

主人が帰って来るのは、いつも息子が寝た後、いわば戦いが終わった後です。
ただ息子の可愛いところだけを見て過ごせる主人が心底羨ましく、そして憎らしく思いました。

息子が寝た後も、溜まった家事をこなす私の横で、テレビを観てゆっくりと休んでいる主人。
仕事を1日頑張って来て、家で休むのは当たり前の事なのに、自分の境遇が辛すぎて、その光景に何度もイライラしました。
主人と何度も衝突し、負担の無い程度の家事を担当して貰う事で、いくらか落ち着きました。

息子が2ヶ月を迎えた頃、少しずつ、外にお散歩に連れて行くようになりました。
この頃、ママ友もおらず、主人が出張の時などは、24時間、いや、48時間以上大人と話す機会の無かった私。
スーパーのレジの方や、散歩中に話しかけて下さったおばさん達との何気ない会話に、とても救われていました。
そしてこの頃、自分の身体に新たな不調が加わりました。
それは“手の痺れ”です。
息子が生後2ヶ月を迎える少し前から「朝起きると手が痺れているな…」と感じる事が徐々に増えました。
「きっと、腕を体の下敷きにして、寝てしまって居たからだ」と思い込んでいましたが、徐々に強くなる痺れに「これはおかしい」と気付いたのです。

この頃、夜の授乳もあり、頭痛持ちの自分にとって、「睡眠時間をいかに確保するか」がとても大事でしたが、特に朝方強くなる痺れに眠る事が出来なくなりました。
「息子が寝てくれている貴重な時間なのに、なんで眠れないの…」と落胆する日々。
調べてみると、産後のホルモンバランスの変化で、痺れが出る人がいる事を知りました。
よく“腱鞘炎”や“ばね指”になる事例は聞いていましたが、“痺れ”は自分にとって初耳でした。

授乳中という事で、強い薬の服用は出来ず、近くの整形外科で貰ったビタミン剤で様子を見る日々。ビタミン剤の効果は少なく、日によっては息子を乗せたベビーカーを押す事すら辛いと感じる日もありました。
結局この痛みは、卒乳をするまでの約10か月間続きました。

息子が生後4ヶ月を迎えた頃、地域の親子イベントで、近所に住むママさん達と仲良くなり、連絡先を交換する機会がありました。
初めて出来た“ママ友のグループLINE”にとても高揚した気持ちになったのを覚えています。

ですがその反面、付き合い方に、とても迷いました。
各々時間はあるはずなのに、気軽に誘えない。
誰かから提案をしないと、会う機会を作れない事が、こんなにも大変だとは思いませんでした。

息子が幼稚園生になった今は、毎日の送迎でママ友と“自然に”会って話をする機会がありますが、それが全く無いとなると、自分で機会を作らなければならないのです。
「誘ったら迷惑かな」「1度遊んで貰っても、次の約束は?」等、“子供を介して出来た友人”との付き合い方の難しさを痛感する日々でした。

そんなこんなで、ママ友との関係性に進展は無く…結局息子と2人で過ごす日々。
「平凡な1週間をどうやって過ごそう?」一見贅沢とも言えるこの事が、自分にとって大きな悩みでした。

孤独、そして離れたい日々

息子を出産するまで、私は1人の時間を楽しむ事が、とても好きな人間でした。
主人を含め、誰かと一緒に何かを楽しむ事も大好きでしたが、そればかりだと疲れてしまうのです。
だからこそ、1人でフラッと買い物に行ったり、散歩したり、考え事をしたり…そんな何気ない行動で、自分のメンタルをいつもリセットしていた気がします。

そんな中始まった、常に息子と一緒の日々…。
常に一緒で居られる事は、とても恵まれている事。
けれどこれまで、1人の時間で自分をリセットしていた私にとって、“辛い”と思う事が増えて来てしまったのです。

季節は秋を迎え、小さかった息子も6か月を迎えました。
新生児の事から比べると、各段に出来る事も、連れて行ける場所も増え、着実に“楽”になってきているはずなのに…いつも頭の中がモヤモヤしている…。
息子の可愛さは増す一方、けれどいつも「大変だな、孤独だな、何かに追われているな、身体が元気じゃないな…」という、自分の発するSOSと戦っていた気がします。

この頃、同じ時期に出産した、昔の会社の同期や友人は、“保活”を始めていました。
私自身、事情もあり、息子の妊娠と共に会社を辞めてしまっていたのですが、育休中で“職場復帰の予定がある”という人達の事を、心底羨ましく思っていました。

“ずっと子供と一緒に居たいのに、仕事の都合で預けなければいけない”
そんな方々が大勢いる中、恵まれた環境下に居る。その事は重々承知していました。
ですが、自分の性格上、「親も子も、お互い、ほんの少しの間でも、離れている時間がある方が、一緒にいる時間をもっと元気に笑顔で過ごせる」そんな風に思っていたのです。

「何か行動を起こせば、自分のメンタルも、息子との関係性にも変化が産まれるかな…。」
ふと思い立って、私も保活をしてみる事にしたのです。
私の住む地域は保育園激戦区。
現在、専業主婦の自分など、門前払いだという事は重々承知していました。
ですが、実際動いてみる事で、自分の気持ちは大きく変化していきました。

保育園をピックアップし、そして電話をし、見学の予約をする。
“自分と息子に予定がある”その事が少し、自分の気持ちを上向きにしてくれました。
実際、何件か見学をする事で良い収穫もありました。
園によって、規模も、園での活動も、先生方の雰囲気も様々で…保育園と言っても一括りに出来ないという事を知りました。

また、“一時保育”の存在を知る事が出来ました。
公立保育園や私立保育園で、仕事以外の私情の場合でも、子供を預かってくれる一時保育の存在は、「24時間いつも子供と一緒でなくても良いんだよ」と、誰かに言って貰っている気がして、とても心が救われました。

何件かの見学を経て、実際秋に、保育園の申し込みの申請をし、年明け、不承諾通知が届くのですが、この保活は“息子の保育をお願いする場所”を考える良いきっかけとなりました。

息子が7ヶ月を迎えた頃から、夜中に覚醒する事が多くなってきました。
この頃季節は冬に向かい、寒くなる一方。
夜中の2時に起床し、酷い日は3時間覚醒する息子。真夜中に笑い声をあげ、部屋を動き回り、空気清浄機や枕元の携帯電話をいじって遊び始めてしまいます。
「遊んでいる途中で寝落ちして、布団もかけずに風邪を引いてしまったらどうしよう…。」そんな不安から、私も覚醒する息子の事を放っておけず、夜中熟睡する事が出来ませんでした。

正直、体力の限界でした。
ただでさえ、痺れのせいで熟睡出来ず、自分の寝る時間を確保するので必死だったのに、この事態。寝不足の日は頭痛が出てしまう事もとても気がかりでした。

「どうしよう…。」悩んだ末、私は日中、自分の休憩時間を確保する事に決めたのです。
この頃、お昼寝の時間もまとまってきていた息子。
息子のお昼寝の合間は、溜まっていた家事をこなす事に充てていたのですが、思い切って自分のお昼寝&休憩時間にする事にしたのです。
息子が寝始めたら、自分も寝る。そして自分が目覚めた時、息子もまだ寝ているのなら、携帯をいじったり、読みたかった本を読んで過ごす。
自分に足りなかった大好きな“1人時間”をこうして確保する事にしたのです。

もちろん、息子の起床後はバタバタで…夕飯の支度も、お風呂の準備も、泣く息子をなだめながらこなす事になるのですが、1日のうちで、一旦休息の時間を取り入れる事で、寝かしつけまでの後半戦を頑張れる気がしました。

このように日々、試行錯誤を繰り返し、「息子との生活をどうすれば良いものに出来るのか?お互い心地良く過ごすにはどうすれば良いのか?」
この頃の私は必死になっていた気がします。ですが、いつも正解に辿り着けずにいました。

そんなある日、児童センターで、息子とお誕生日が2日違いのお子さんに出会いました。
その子のお母さんはとても積極的な方で、意気投合し、連絡先を交換する事になりました。

「息子と私にお友達が出来た」その事がとても嬉しく、お誘い頂ける事がとても有り難かったのですが、この事が私にとって1つの悩みの種となって行くのです。

自分から誘う事が苦手な私は、「遊びませんか?」とお誘い頂ける事が心底嬉しく、自分と息子に予定がある事実が嬉しくてたまらなかったのですが、1つ問題がありました。
それは、“息子とそのお友達のお昼寝の時間帯が、全く異なる”という事。

当時、息子は10ヶ月を目前に控え、お昼寝も1日1回、まとまってするようになっていました。
朝7時~8時の間に起き、午前中目いっぱい遊ばせ、昼ごはんの後、12時頃から昼寝。
長い時は3時間程、お昼寝をしてくれる事もありました。
ところが、お相手のお子さんはまだ朝寝をしているとの事。
朝10時頃から正午にかけ朝寝をし、また夕方にかけ2回目の昼寝をしていたのです。
すなわち、私達親子とお相手の“都合の良い時間帯”が全く異なっていたのです。

いつもお誘い頂けるのは午後。
初めは、息子のお昼ごはんや、お昼寝の時間帯を早めたり、調整をしたり…相手の都合の良い時間に合わせていましたが、やはりそれはとても疲れる行為でした。
“午前中の方が都合が良い事”を、それとなく相手に伝えてみても、正直相手は困っている様子。これまで、時間を合わせ、遊んで来て貰ったわけなので、相手の反応も無理はありません。
そうこうしているうちに、この事が悩みの種となり、自然と相手と距離を置くようになりました。
お互い子供が小さいと、一緒に遊ぶ事も一苦労です。
遊ぶ場所、時間、行きたい場所、内容…子供によっては、室内が好きな子、外で遊ぶのが好きな子、それぞれです。
せっかく出来たお友達でしたが、お互い心地良く遊ぶことが出来なければ意味がありません。
今回、私達とお相手の都合が合わなかったのも、縁なのかな…と思い、やり過ごしました。

息子が11ヶ月を迎えた頃、私はある親子イベントに申し込みをしました。
それは“なかまほいく”というものでした。
その存在を知ったのは、息子がまた生後3ヶ月の頃。
いつもお世話になっていた小児科の待合室に、なかまほいくのパンフレットが置いてあったのです。

その内容は、親子のリフレッシュを目的とした親子の集まりで、一番の特徴は、“お互いの子供を預け合う”という事でした。
どうやら、参加者の中で2班に分かれ、1方は親だけでリフレッシュの時間、もう1方はその間、全員の子の子守をする。といった内容のようでした。

私はこの、子供を誰かに“預ける”という所にとても惹かれたのです。
“子供と少しの間だけでも離れ、リフレッシュする。”
まさに今の自分が1番求めている事でした。

パンフレットを手に取った当時は、息子もまだ小さかったので、参加を諦めましたが、1歳を迎えたら参加をしたいと切望していたのです。

なかまほいくのスタートは、息子が1歳2ヶ月になった頃。それまで約3ヶ月弱。
予定の無い日々を送っていた私は、なかまほいくのスタートが楽しみでなりませんでした。

初めて出来た“仲間”

3月。息子は1歳を迎えました。
1年前ふにゃふにゃの赤ちゃんだった息子は、まだあどけない顔つきを残しつつも、体も随分しっかりとし、徐々に男の子らしくなっていました。

行動範囲も徐々に増え、訳も分からず泣いている時間も減り、少し余裕が出てきたのかな?と感じられた頃。
ただ、「1日中、2人で何をして過ごそう」と言う悩みは相変わらずでした。

4月。1歳1か月を迎えた頃、息子が歩きました。
初めて靴を買い、毎日近くの公園に行っては、歩く練習をしていました。
これまで、公園に行っても、ベンチに掴まる程度しか出来なかった息子。
歩く事が出来るようになり、公園での遊びの幅もグンと広がり、少し“2人遊び”に充実感を覚え始めた頃でした。

そしてGWも明け5月。ついに待ちに待った“なかまほいく”のスタートの日がやってきたのです。
私がこのなかまほいくに惹かれた理由は“預け合いが出来る”という事だけではありませんでした。
なかまほいくは全10回。毎週決まった曜日に、決まった場所・時間に開催されるのです。
私が1番苦手としていた“誰かと会う約束”をしなくても“自然と毎週誰かに会える”という部分にもとても惹かれました。

初日。息子と2人、なかま保育が実施される、地域の公民館にドキドキしながら向かいました。
そこには、息子と同じくらいの月齢のお子さんを連れた、親子が沢山!
緊張しながら、受付に向かうと、担当の先生が一言。
「あら!そのお鼻どうしたのー??」
初対面にも関わらず、息子の顔を見て、フレンドリーに話しかけてくれたのです。

そう、息子はかれこれ1週間前、椅子から転倒。顔面から着地してしまい、鼻に大きな傷を作っていたのです。

それを聞いて、周りのママさんの1人が話かけてくれました。
「傷って目立つよね、でも子供の回復力ってすごいから、いつの間にか消えちゃうよね!」と。
15組の親子が集まるこの会で、初めて参加者と話が出来た瞬間でした。
息子に怪我をさせてしまった時は、もの凄く自分を責めましたが、この事がまさか、誰かと話すきっかけになるなんて。心がとても温かくなった瞬間でした。

室内に入ると、先生を囲み、何人かの参加者が会話を楽しんでいました。
「元々のお友達なんだろうな…既にグループが出来てしまっているのは嫌だなあ。」
そう感じながら、息子と2人、空いている場所に座りました。
しばらくして、参加者が揃うと、主催の先生たちが手遊びを始めてくれました。
息子は慣れない環境、そして大勢の人に囲まれ緊張しっぱなし。私の膝の上から全く離れようとしませんでした。
初日の今日は、ゲームをしつつ、他の参加者のママさん達との自己紹介タイム。
自己紹介を周りの人が見ている環境でするのなんて、何年ぶりでしょう?
自分が人前で話す事が下手になっている事に気付きました。

なかまほいくの開催時間は午前中の2時間。
途中、お腹が空いてしまい、息子の機嫌が悪くなったりで大変でしたが、私と息子だけでは出来ない遊びや、他の大人との会話を楽しむ事が出来、心地よい疲労感と共に帰宅しました。

第2回、第3回と、「緊張する、でもとても楽しみ」と言う気持ちで臨みました。
回を重ねる事で、参加者の顔と名前が一致し始め、それにより関係性も見えてきました。
初日、グループだと思っていた人達は、前回のなかまほいくの参加者達だったのです。
今考えると、初日に話しかけてくれたママさんもその1人。
通りでみんないつも、固まらず、色んな人と積極的にコミュニケーションを取っていたわけです。前回の参加者は、新規の参加者が孤立したりしないよう、良い雰囲気作りを心がけてくれていました。
その姿に、なんだか心がホッと温かくなりました。

そして4回目。ついに待ちに待った、預合いのスタートの日です。
初回、私は子供を“預ける側”。これまでの3回、息子は片時も私から離れず、少し離れただけでも大号泣。「こんな調子で大丈夫だろうか…」上手くいく自信が全くもってありませんでした。
そんな私の不安をよそに、テキパキと進行は行われ、あれよあれよという間に息子を預ける時間に。

預合いを行う時にはルールがあります。それは、“自分の子供に説明をしてから離れる事”。
これは、言葉が分かっていない月齢の子に対しても、一緒です。
実際、1歳2ヶ月の息子には説明しても分かるはずもなく…初日、私が離れた瞬間、大絶叫の大泣きでした。

司会の先生に(ほぼ無理矢理)息子を預け、何とか退出。
預合い初日の今日は、フリーになった参加者達との雑談の時間でした。
子供を預け、隣の別部屋に入った瞬間、自然に「ふう…」と声が出ました。
子育ての荷が下りて、解放された瞬間でした。

子供と少しでも離れるなんて、平日では考えられない事。
気が付くと、他の参加者も、同じように息を吐く人が沢山。何だか笑ってしまいました。

子育ての事、自分の事、久しぶりに同年代の大人と話す事が出来、楽しい時間は過ぎて行きました。
そして1時間後、息子と再会の瞬間です。
不安半分、楽しみ半分の気持ちで、息子たちが過ごす部屋の扉を開けました。

すると、「あれ?」
大号泣の大騒ぎ、一際目立っているであろうと予想した、息子の姿がありません。
部屋の中をぐるりと一周見渡してみると、なんと隅の方で大の字で熟睡している息子を発見。
その光景に私は驚いてしまいました。息子は泣き疲れ、司会の先生の抱っこで寝てしまったのです。

背中スイッチの敏感な息子。先生も下すのに苦労したとの事ですが、
参加者の1人が、“座布団を背に当てたまま、下すと良い”との情報を提供してくれたようで、着地に成功したとの事でした。
“私が居ない所で、参加者や先生たちが力を合わせ、自分の子供を見ていてくれた。”
その事がとても嬉しく、これまで自分1人で頑張ってきた子育てを、初めて誰かに手伝って貰った瞬間でした。

なかまほいくに参加し、嬉しい事は他にもありました。
平日、偶然にもスーパーで参加者の1人に遭遇。
街中で、誰か知り合いに遭遇する事など、これまで一度も無かった私。
短いながらも楽しく会話をし、別れ際には「また○曜日に!」の挨拶。
別れた後、その一言が嬉しくて、顔がにやけてしまいました。

“私の住む街で、息子と私の事を知ってくれている人が居る”
この事が、こんなにも心強く、嬉しい事だとは知りませんでした。

全10回のプログラムが終了した後も、嬉しい収穫は続きました。
久しぶりにみんなで集まったり、町で偶然会った時など、皆が息子を見て
「背が大きくなったね」「こんなに話せるようになったんだ」「ママから離れて遊べるようになってる!」等、息子の僅かな成長に気付いてくれるのです。

これはお互い、子供を預け合った経験があるからこそ。
この事は、1人で子育てをしていた自分を、徐々に孤独から解放してくれました。

これまで、自分は「母性が足りないのではないか?」とずっと思い悩んできました。
「息子と離れたい」「短時間でも誰かに預けたい」せっかく可愛い我が子と一緒に居られるのに、こんな風に思う自分はおかしいのではないか?と思っていたのです。

けれど、なかまほいくには、そんな気持ちを持つ人が沢山居ました。
自分自身「恥ずかしい」と思っていたこの気持ちを、肯定出来る仲間が沢山居たのです。

息子が産まれてから、ずっと1人で子育てに奮闘して来ました。
友達を作ろうにも上手くいかず、結局息子と2人の環境を変えられず、思い悩んだ事もありました。
けれど、1歩、世界を踏み出した事で、自分と同じ感情を持つ仲間に出会う事が出来ました。

もし、今現在、私と同じように、1人で孤独に思い悩んでいる人が居るならば、
「自分が無理せず、心地良いと思える場所は、きっとあるはず」と信じて欲しいです。
決して焦らずゆっくりと、そんな自分なりの心地良い場所を、より多くの人が見つけられると良いなと思います。

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