発達障害児と歩んだ日々~幸せに生きてほしいと願って~

2021年10月25日

発達障害

発達障害の診断は必要?

ちょっと育てにくいな、というお子さんを育児中のママやパパの中には、発達障害という言葉がちらついている方もいると思います。
また、園や学校から、お子さんの発達検査を受けてみては、と勧められてどうしようか悩んでいるママやパパもいるでしょう。
私の長男と次男は、十数年前に発達障害と診断されました。
この記事では、診断当時の経験や、私の感じたこと、また、十数年を経た今だから思うことを書いています。

ママやパパの気持ちを大切に

私は、発達検査をするか、診断を受けるかどうかは、ママやパパの気持ち次第だと思います。
もしも検査を受けること、発達障害と診断されることが怖い、辛いという気持ちがあるなら、
子供のためにとか、園や学校に迷惑をかけないためになどの理由で無理して診断を受ける必要は無いのではないでしょうか。

私の場合は、あなたの子供は発達障害ですよ、と診断を受けたとき、ほっとしました。
なぜなら、これからはクリニックで相談すれば、息子の困りごとに対して何か手立てを提示してもらえるかもしれないと思ったからです。
また、長男がお友達や兄弟の気持ちを全く考えられないのは、性格がワガママだからでも、私の育児が悪かったからでもなく、発達障害の特性で、想像力に問題があったからで、仕方のないことだと安心したからです。

けれど、何年かは通院したものの、クリニックには途中でぱったり行かなくなってしまいました。
というのも、診察では、息子の様子を報告して悩んでいることを相談するのですが、明確な解決策が提示されることはありませんでした。
結局は私自身が息子の様子を見ながら、日々試行錯誤するほかなかったのです。
今思えばそれは当たり前で、クリニックの先生はお医者さんですから発達障害の専門家ですが、息子のもともとの性格や、行動パターン、日常習慣などを診察の30分できちんと把握できるはずはありません。
その全てを知っている母親こそが、息子の専門家なんだな、とよく思ったものです。

確かに、クリニックで検査や診断、診察をしてもらうことのメリットはあるでしょう。
けれど、発達障害について知ろうという気持ちと、我が子に寄り添う気持ちがあれば、乗り越えていけることもたくさんあります。
ただ、気力も体力も、健常児の育児より何倍も必要になるでしょう。
ですから、診断で心をすり減らすくらいなら、むしろ温存しておいて、日々の育児でめいっぱいがんばれたほうがいいのではないかと、私は思います。

診断を受けても、医者の話の全てを真に受けない

私の長男に発達障害の診断が出たとき、クリニックの先生からはこんなふうに説明されました。
「軽度広汎性発達障害で、ADHD,LDがあります。
ADHDからくる衝動性や多動性はそんなに強くはありませんが、周囲とコミュニケーションを上手に取ることがかなり苦手でしょう。
また、周囲に対する興味や関心がかなり希薄です。
今はまだ小学2年生なのでそんなに友達関係で悩むことは無いと思いますが、高学年になり、周りの同級生に親友のような存在ができ始める年齢になっても、この子にそういう存在はできないかもしれません。
同じ理由で、協調性があまり無いため、団体行動や、チームワークの必要なスポーツも難しいでしょう」

当時の私は、「親友ができない」という言葉にとてもショックを受けました。
いずれ孤立していじめに合うのではないかと不安にもなりましたし、そんな長男が不憫に思えました。

けれど、小学5年生になった頃、とても仲の良い友達ができ、中学生になると、親友と呼べる存在もできたのです。
また、同じく小学5年生のころ、野球をやりたいと言い始め、周囲の心配を押し切ってスポーツ少年団に入りました。
家族の誰もがすぐに辞めるだろうと思っていましたが、中学卒業まで続け、いっときは4番打者としてチームをひっぱる存在にもなりました。

診断を受けたとき一番不安に思ったこと、心配したことは、現実になることはなかったのです。
決して、診断が間違っていたというわけではありません。
学習面ではとても苦労しましたし、コミュニケーションが下手でいじめに合うこともたびたびありました。
しかし、発達障害があるからといって、成長の可能性まで限られているわけではないのです。
健常児に比べて、苦手なこと、上手にできないことは多くても、子供は必ず成長します。
医者の話を信じるなというのではありません。
子供の計り知れない可能性も信じてほしいなと思うのです。

子供のIQは人生に影響がある?

私の次男は、小学1年生のときに受けた発達検査で、IQがとても低いことが分かりました。
ひらがながなかなか覚えられず、学校の授業にも全くついていけていないようだったので、なんとなく覚悟はしていたものの、想像以上の結果にショックを受けました。
私はこのとき、この子の将来には健常児ほどの可能性は無いと言われたような気持ちになり、涙が止まらなかったことを覚えています。

この後、次男は全く勉強ができないまま中学校を卒業します。
けれど、休まず学校に行き、部活動を頑張り、(勉強以外は)真面目に取り組んでいたためか、一番心配していた高校受験はクリアしました。
そして今、したい仕事を見つけて、専門学校へ行くべく奮闘しています。
ちなみに、バイクの免許も取得できましたし、コンビニでのアルバイトも難なくできているようです。
確かに、勉強があまりにできないせいで辛い思いもしたことと思います。
けれど、自分でおこづかいを稼ぎ、欲しいものを買って、好きなスポーツを続けて、就きたい職業も見つけている・・・。
そんな彼を見ていると、IQの低さが人生をマイナスにするとは思えないのです。

発達障害の診断が出てよかったこと

発達検査でわかることは、簡単に言うと、その子が生活するうえで、また勉強するうえで、何が得意で、何が苦手かということです。
例えば、字をマス目の中におさめて書くのが難しい(書字障害)とか、記憶力が優れているとかです。
毎日見ていれば分かることなのですが、文書でもらうとより明確に理解できる点は良かったです。
また、薬を処方してもらえたので、困りごとの症状(集中できない)が緩和され、学習面でとても助かりました。
このほか、学校では通級という制度が利用できたり、宿題に配慮(集中力の無さや、書字障害があることから漢字の書き取りの量を減らしてもらう等)してもらえたりもしました。
診断がおりていないと利用できない制度もありますので、利用できる場所(利用はしませんでしたが、放課後の預かりデイサービスなども)が増えたことはありがたかったです。

その子は、その子

私は、長男が小さい頃には、発達障害の子どもだから、と思い過ぎていました。
発達障害というメガネを通して長男を見ていて、こうしなければ、ああしなければと思っていました。
今思うと、もっと長男自身をよく見てあげればよかったなあと思います。
発達障害の特性はたくさんの影響を生活に与えますが、そのことにフォーカスするよりも、会話や行動から、長男の気持ちにもっと寄り添ってあげるべきだったと後悔しています。
今、当時の私と同じような状況にあるママやパパには、発達障害児である前に、その子はその子だという当たり前のことを、大切にしてもらいたいなあと思います。

ハニークローバーはお子様お一人お一人に合わせて保育をさせていただきます。障害をお持ちのお子様もご利用いただけますので是非お気軽にお問い合わせ下さい。

発達障害の子供と言葉

発達障害のお子さんを育児中で、その子がコミュニケーションや想像力の部分に特に問題を抱えている場合、将来の人間関係を想像して不安になってしまうママやパパは多いと思います。
私の長男と次男は15年ほど前に発達障害と診断されました。
彼らの育児を通して気がついたこと、役にたったことや後悔していることを、この記事では主に「ことば」に焦点を当てて書いています。

”使える”けれど、”伝わらない”

私の長男と次男は、同じ発達障害でも全くタイプが違いました。
次男はコミュニケーション能力にさほど問題のあるタイプでは無く、周囲の気持ちを想像して行動することができ、友達関係は良好でした。
悩むことの多かったのは長男のほうで、本人も辛い経験をたくさんしました。

2人とも、地域の定期検診では、発達の遅れを指摘されたことはありません。
日常のいろんな場面で長男になんとなく感じていた言葉に関する不安や違和感も、初めての育児だったため、こんなものなのかなと思ってあまり気にしていませんでした。
というのも、私の言うことは理解しているようで、「ナイナイして(片付けて)」と言うと引き出しに物を入れる、というような”やり取り”はできていましたし、一語文や二語文も時期が来ればしゃべっていて、発達段階でのあきらかな遅れは無かったのです。

ただ、会話ができたのは幼稚園に入る3才の頃が初めてでした。
そのときのやり取りは、
「(歯科検診があった日だったので)今日、口の中を見られた?虫歯、何本あるって言われた?」
「さん(3)」
「えっひとつじゃないの?」
「さん(3)」
というものでした。
虫歯の多さのショックはさておき、初めて会話ができたのが嬉しかったので、今でもはっきりと覚えています。

その後、少しずつ会話はできるようになりましたが、年齢が大きくなるにつれ、トラブルを抱えるようになります。
なぜなら、年齢が上がるとともに、会話にはその場の雰囲気や人間関係、お互いの気持ちなどが複雑に絡んでくるようになりますが、それを身につけることができなかったからです。
今思えば、発達障害の特性である想像力の欠如や社会性の問題がとてもよく出ていた時期でした。

小学校の中学年くらいのとき、父親にひどくお説教をされ、「お前のしたことはおかしくないのか?黙ってないで、ウンとかスンとか言え!」と言われて、少し考えた長男は、「スン」と答え、さらに怒らせてしまったことがありました。
後に、大きくなってから話したとき、このときは「これ以上怒られないための答えはウンとスンのどっちかを考えて、会話の流れ的にウンは無いからスンだと思った」と言っていました。
「おかしかったと思う、ごめんなさい」という、父親の怒りを収める答えの正解は、彼には浮かばなかったのです。

長男は言葉の意味を理解することはできました。
でも、こちら側の言いたいことは全く伝わりませんでした。
指示なら通りますが、なぜそんな指示を出すのかという相手の意を汲むことは、かなり成長するまで想像することすらできなかったようです。

認知のかたよりから友達とのトラブルが起きることも

小学校高学年くらいになると、子供同士でもコミュニケーションが複雑になってきます。
好きな子にあえてイタズラをして気を引いたり、親しみを込めてからかったり・・・。
しかし、私の長男にとって、イタズラやからかいは意地悪でしかありませんでした。
お友達は悪気なくしたことでも、「意地悪された!いじめられた!」と言って泣くこともよくありました。
自分の考えや気持ちをベースにしてしか周りの行動の意味を考えられない長男に、「あなたが思ったり考えたりするように、お友達もするんだよ、いろんな考え方があるんだよ」と一生懸命に説明しても、なかなか理解できず・・・。
そして、一緒に遊んでいても思いがけず泣いたり怒ったりする長男を、周囲のお友達は敬遠しがちになってしまいました。

漫画はコミュニケーションの教科書

周囲と円滑な関係を築いて欲しいと強く願っていた私は、お友達とトラブルがあるたび、一生懸命にお説教ばかりしていました。
しかし、よほどつまらなかったのでしょう、私の説教が始まると、無になってスルーするスキルをどんどん磨くばかりで、どんなに心を砕いて話しても、のれんに腕押し状態だったのです。

そんな長男が少しずつ変わり始めたのは、漫画を読み始めてからでした。
それまでは自分の気持ちが全てだった彼が、周りのひとにも自分と同じように気持ちがあるということを意識し始めたのです。
気持ちの表現として言葉を使うということも分かり始めたようでした。
健常児はこのようなことをあえて教わらなくても自然に身につけていくのですが、長男のようなタイプの発達障害児には大きな壁のひとつでした。

なぜ、漫画が長男のコミュニケーション能力に影響を与えたのかを私なりに考えました。
漫画は、まず、場面の状態が絵で分かります。そして、その場面での登場人物の言葉(吹き出しの中のセリフ)、気持ち(セリフ以外の心の声)という、現実の会話の場面では分からない部分が全て分かるようになっています。
登場人物が、その場面でどんな気持ちでどんな発言をしたか、それを他の登場人物はどのように受け止め、どのように発言するか、その時、どんな気持ちだったか。
言葉につまった時の沈黙でさえ、「・・・」という吹き出しで表現されています。
発達障害児は基本的に視覚情報に強いと言われているため、パッと見て分かるのも良かったのかもしれません。
また、エンターテイメント要素が強いので、読むことが楽しく、楽しいのでかなり集中して読みます。ADHDの子の特徴として、興味のあることに対する集中力は人並み以上ということもあり、頭によく残ったようで、経験としてきちんと蓄積されていきました。

私が何万回も説教するより、よっぽど効果的にコミュニケーションを学べたのです。
このことに気づいた時には、小さな頃からもっともっと絵本などの読み聞かせをしてあげればよかったと、とても後悔しました。

経験は宝!リアルな感情が成長の糧になる

私の長男は、思春期になるとますます私の話すことには耳を傾けませんでした。
皆通る道かもしれませんが、当時の私は、発達障害児には何度も何度も繰り返し話してあげなければならない、ということをいろんな書籍等で読んでいたため、かなり意地になって、分かるまで話そうとしていました。
あらかじめいろんな忠告をすることで、辛い経験を減らしてやりたいという気持ちもあったのです。
そんな自分の行動の全てを無駄だったとは思いません。
けれど、最終的に私がたどり着いた考えは、母親である自分自身がまずは腹をくくって、どんなに子供が辛かろうと可愛そうだろうと、あらゆる経験をさせるべきだということです。
これは、健常児であっても同じかもしれません。
ただ、想像力に問題のある子どもは、経験して初めてリアルに分かる感情(達成感や喪失感、後悔、連帯感など)でしか成長してゆけないような気がするのです。
我が子が失敗して落ち込んだり、傷ついたりする姿には胸がしめつけられます。
けれど、子供はいつか親のもとを離れるときがきます。
その後にくじけてしまうよりも、側で支えてあげられるうちに、どんどんいろんな経験をさせ、ママやパパには、子供の成長を信じ、どんなときもしっかりと寄り添ってあげてほしいと思います。

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LDとのつき合い方

発達障害でLDのあるお子さんを育児中の方には、学習について、たくさんの悩みや不安があると思います。我が子の将来を思うあまり、ついキツい言い方をしてしまうこともあるかもしれません。私の長男と次男にはLDがあり、本当に学習面では苦労しました。この記事では、2人の息子を高校卒業まで育てた経験を通して感じたことを中心に、LDとの付き合い方について書いています。

学習面での健常児との違い

私が長男の発達障害を疑ったのは、小学2年生の夏休みの宿題がきっかけでした。漢字の宿題が出たものの(当時何マスのノートを使っていたのか忘れてしまいましたが)1日1ページがノルマだというのに、2マスから3マス書いては宙を見てぼーっとすることの繰り返しで、全く進まないのです。はじめのうちは面倒だからだと思ったのですが、まるで気力無くぼんやりするばかりな姿に、次第に違和感を持つようになりました。

その後、クリニックで受けた発達検査の結果から、マス目の中に字を入れて書くのが困難な書字障害があること、苦手なことに集中しにくいADHDがあることが分かりました。

同じ診断の出ている次男の場合は、ひらがなが全く頭に入らず、教えても教えても砂がこぼれるように忘れていき、同学年の子供たちとの差をはっきりと感じました。

私は、学習面において、発達障害児と健常児との違いのひとつに”気力”があると思います。
長男や次男の勉強に対する”無気力さ”は、面倒だとか嫌だとかいう”気持ち”では無い、”したくてもできない”ような無気力さ、取り組むこと自体への難しさを感じました。

服薬の効果について

クリニックを受診した際、長男も次男も薬の服用を勧められました。私は、彼らが少しでも楽に生活できるのならと、服薬に対して全く抵抗は無かったため、すぐに試すことにしました。

長男に処方されたのは『気持ちの落ち着く薬』で、毎日寝る前に飲み、血中である程度の濃度になると効果の出る、緩やかな効果のあるものでした。この薬はかなり眠気の出るものだったようで、朝、起きるのが大変でしたが、学習面では驚くべき変化が起こりました。
それまで書き取りさえ満足にできず、ほとんど書けなかった漢字が、どんどん頭に入るようになり、漢字の小テストでもいつも80点以上を取るようになったのです。
このことをクリニックで話すと、「気持ちが落ち着くことで、勉強にも集中できたのでしょう」ということでした。

次男に勧められたのは、飲むと即効性があり、数時間、集中力が続くというものでした。
この薬は長男も同時に試したのですが、2人とも飲み始めて1週間ほどで副作用が出て、服薬を中止しました。というのも、食欲減退という副作用があり、給食が全く食べられなくなったのです。まだまだ成長期だったこともあり、クリニックの先生とも相談して、中止という選択を取りました。
この『集中力が持続する薬』ですが、長男は、高校生になり体の成長を気にしなくてもよくなってから再開しました。当時、本人にどんな効果があるのか尋ねると「薬を飲むと、集中力が全然違う。意識がはっきりする」と言っていました。忘れっぽい、ルーズな長男でしたが、学校に行く日の朝には必ず服薬していたので、よほどの違いがあったのだと思います。

あきらめも肝心、自己肯定感を下げないことが大切

長男、次男とも、小学校では通級制度を利用していました。この通級を担当してくれた先生が養護学校で長く勤めた経験のある方で、普通なら保護者に言いにくいようなことでも、はっきりと言われる先生でした。
次男の懇談の時だったと思います。先生は、「(次男は)漢字を覚えるのは無理でしょうね。まあ、今はスマホやパソコンでのやり取りが主流ですから、漢字が書けなくてもやっていけますよ」と言ったのです。私はその時点では「まだあきらめてはいけない」、「少しずつでも漢字を覚えさせなければ」、という思いがありましたので、この言葉には驚きました。「えっ今、この時点でそんなにあきらめていいの?」と、本当にびっくりしましたが、苦手なことよりも、得意なことに着目するよう言われ、少し肩の荷がおりたような気持ちにもなりました。

小学校の高学年くらいになると、LDのある子供たちは、周囲に比べて学習面で劣っている部分があることに気がつくようになります。授業を受けていても、皆が分かることなのに自分には分からないという場面が増え、自信を失ってしまうのです。ただでさえそんな体験が増えていくのに、親までができないことに着目してしまうと、子供の自己肯定感はだだ下がりになってしまいますよね。
「どうせ、自分なんて」という気持ちを強く持ってしまうと、本来は得意なことですらやる気なんて起きるはずがありません。できないことは、いっそあきらめてしまってもいいのだと思います。

私の次男は今だに漢字はあまり書けません。けれど、日常生活にもアルバイトにも、学校生活にも何ら支障はありません。

自己肯定感は生活の活力です。「これはできないけれどこれはできる」、という思考回路を、ぜひとも持たせてあげてほしいなと思います。

環境を考え、自発的に学習できるように

長男、次男とも、中学校を卒業するまで、勉強はまるでやる気など無く、嫌いなままでした。
中学校では、試験前だというのにのんきに釣りへ出かけたり、ゲームセンターで遊んだりするような始末で、せめて家にいてほしいと言ったこともあります。

そんな2人ですが、長男は通信制高校に入学してから、次男は定時制高校に入学してから、勉強に対する姿勢が変化しました。

長男は全日制高校に入学後、不登校になり、通信制に編入しました。私は、それまで自宅で長男が勉強する姿はもちろん、教科書を開く姿すら見たことが無かったため、自宅学習が主になる通信制高校なんて卒業できるとは思えませんでした。
通信制高校では、自宅で学習して、期日までに課題を学校へ送る必要があります。
また、週に1日の登校日がありました。
日常生活を見ていて、何もかもにとてもルーズな長男でしたから、通信制高校に通うと決まった時点で、そういった課題の管理は私の仕事になるだろうと覚悟しました。
また、登校日には、私が出勤した後に自分で起きて登校しなければならなかったため、きちんと行けるのかも心配でした。
しかし、結果は無事に予定通り卒業、登校日も休むことは無く、課題の提出も、私は一度も手伝うことはありませんでした。
長男いわく、通信制高校に通った時間はとても楽しく充実していて、勉強することを初めて楽しいと感じたそうです。自己管理が大変なため、長男には無理と決めつけていた自宅学習ですが、自分のタイミングで始めて、自分のペースで進められるので、集中するのが難しい彼には合っていたようです。

次男は自由な校風に惹かれ、単位制高校の夜間部に進学しました。
そこに集うのは中学校で不登校だった子が多く、授業内容は中学校の復習のような内容から始まりました。中学校の授業には全くついていけなかった次男ですが、高校ではゆっくりと進む授業スピードが合ったようで、「分かる」ことが増え、どんどんやる気になり、テストでも「良い点数を取りたい」と言うようになりました。
私は初めて、彼の口から「テスト勉強をしないと」という言葉を聞いたのです。

私は、恥ずかしながら、長男の高校進学時には、「全日制に通ってほしい」と強く思っていました。”普通の進路”でないと、将来、何か困るのではと危惧していたのです。
けれど、今は全くそうは思いません。生涯、自発的に学習することなんて無いと思っていた彼らが、自分の意志で学ぼうとする姿を目の当たりにして、大切なのは、どれだけその子に合った学習環境を見つけてあげられるかだと思ったからです。
.Ldのあるお子さんを育児中の方には、ぜひ、その子が学ぶ意欲の出る環境を探してほしいと思います。

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思春期とうつ

私の長男は、発達障害の中でも特にコミュニケーション能力に問題がありました。というよりも、本人や私がその部分で苦しんだと言ったほうがいいのかもしれません。長男は認知のかたよりが強くて、周囲とよく衝突しました。周囲の中には私も含まれます。
この記事では、特に辛かった長男の思春期を中心に、経験したことや感じたことを書いています。

不登校の始まり~無理なのか、甘えなのか

私にとって、「子供が不登校になること」は、とても怖いことでした。
学習面での不安はもちろん、そのまま部屋や家から出て来なくなり、引きこもりになって社会から孤立してしまうのではないかと考えていたからです。
私の長男は、中学生から高校生にかけて、私の言葉を受け入れる気が全く無く、よくぶつかりました。
それでも、中学卒業までは学校に行きたくないと言うことはありませんでした。
ところが、高校に進学してすぐに、「学校を辞めたい」と言い始めたのです。
志望校でなかったことや、全く興味の無い(むしろ苦手な)学科に入ったことも、原因のひとつだったかもしれません。
私は、長男が少しも受験勉強をしなかったこと、辞めたいと言ったのが入学後1週間ほどだったことから、甘えていると思いました。
しかし、いったんは考え直して通ったものの、学年があがって数か月経った頃からは行けなくなってしまいました。
私は、学校からの連絡で、長男が登校していないことを知りました。毎朝いつもの時間に家を出ていたため、全く気づかなかったのです。家を出た後、学校に行けずにどこかで時間をつぶしていた長男の気持ちを思うと、責めることはできませんでしたし、ワガママでなく、本当に行けないんだなと思いました。
この時から、長男の不登校と向き合う日々が始まりました。

二次障害でうつになっていた

私の長男は、いつからか家でニコニコおしゃべりをすることはほとんどありませんでした。会話をしていても意外なことで怒るので、かなり気を使っていました。機嫌のいい時はほとんど無いので、伝えたいことはタイミングを考えて、耳を傾けてくれそうな時に話すようにしていたぐらいです。周囲に心を閉ざしていたような印象です。
今思うと、長男は成長とともにうつになっていたんだと思います。

特に中学性の頃にはストレス過多な毎日を過ごしていました。部活動ではきつい練習に加え、先輩からのいじめにも合いました。練習に身が入らず、同級生との実力差はどんどん開いていき、唯一自信の持てたものが無くなってしまったのです。

高校生の時に、気分の重さを訴えてクリニックに行きました。低用量の抗うつ薬が処方されましたが、劇的に気分が変化するようなものでは無かったこともあり、「なんの意味があるんだ」と言って、服薬を拒み、結局状況は変わりませんでした。
この頃には、自分が周囲とは何か違って、皆が普通にできることが自分にはできないと感じていたようです。

言い合いは貴重な「すり合わせタイム」

長男の思春期には、私からすると「間違っている」と思うことで注意をしても、反抗しか返ってきませんでした。けれど、そういう時こそ、長男の認知の偏りを少しでも修正できるよう、とことん話をしました。長男は、自分の考えが世間の常識と一致していないことがある、ということを受け入れるまでにかなりの時間が必要でした。
例えば、当時、私はシングルマザーでしたので、家計はかなり厳しかったですし、日々、時間と戦いながら家事、仕事、学校の役員などをこなしていました。
一方長男は、通信制高校に編入し、平日はずっと家におり、学校や私がアルバイトをすることを薦めても、家で布団からほとんど出ず、ゲームばかりしていました。
そんな状況で、私が家事をさぼっている、と文句を言うのです。私が、怒るくらいなら、洗い物くらいしてくれたらいいでしょう、と言うと、それは母親の仕事だ、CMだって、洗い物をしているのは必ず女の人じゃないか、それが世間の常識だ、自分に都合のいことばかり言うなと言うのです。
この発言には、普段の長男の生活ぶりを見ていた兄弟は呆れてしまいましたし、私自身も、愕然としました。
こんなことがしょっちゅうあり、私はそのたびに長男の感覚がかならずしも正しくはないことを話して聞かせました。長男には、自分の考えを変えろとは言わない、でも、周囲はあなたとは違う考えを持っている、あなたの考えだけで生きていくべきではないと、言い合いのたびに言っていました。

寄り添うことさえ難しい、一番つらかった時期

不登校になった長男は、自分が学校に行けないのは、学校の環境のせいだというようなことを言いました。工業科だったため、危険の伴う実習が多く、そういうことが苦手な長男には辛かったと思います。
また、仲のいい友達も数人いたのですが、学年が上がったときにクラスが離れてしまい、孤立したのも大きなきっかけだったと思います。
けれど当時の私は、「確かに辛い状況だと思う。でも、だからと言って、学校に行かないのが当たり前の選択じゃない。あなたのように辞める子もいるでしょう。けれど、辞めない子もいる。前者が30パーセントで後者が70パーセントだとして、あなたは30パーセントの中にいて、70パーセントの子は同じ選択をしないということを分かっておくべきだ」と、厳しい言葉をかけてしまいました。
その頃は、長男がうつであることや、ただくじけてしまっている時間だということに気づけませんでした。
今、その頃は長男も苦しかったんだと分かるのは、本来の長男が目の前にいるからです。普通に会話をし、いつもニコニコしています。自分の目標を持ち、毎日働いて、弟や妹を可愛がります。自分の苦手なことを知り、自分なりに対処しようと努力もしています。

彼が思春期の頃は、何度もあきらめてしまいたいと思いました。通信制高校に編入することで、不登校という問題はとりあえず解決しましたが、私の心理的負担は何も変わりませんでした。
言いたい放題の長男を、好きにしろと放り出せたらどんなに楽かと、寄り添う心なんて全く持てませんでした。最も辛い数年間だったと思います。

今、当時の私と同じような状況の親御さんがおられるとして、とても頑張れとは言えません。ただ、お子さんはうつかもしれないこと、そうであれば、頑張る気力も体力も無いので、ゆっくりと休む時間が必要であること、回復すれば、状況は大きく変わる可能性があることを心にとめてもらいたいなと思います。長男は不登校になりましたが、社会から孤立したり、引き込もりになったりは今のところしていません。振り返って、必要な休息時間だったんだなと思います。

ハニークローバーのベビーシッター派遣は、特定のシッターを直接ご指名いただいてご利用いただくことができます。マッチングの仕組みですが、品質の責任はシッターではなく弊社が取らせていただきます。

発達障害の世界で生きる

昨今、発達障害という言葉がメジャーになってから、「発達障害を治す」と謳った本やサプリなどをよく見かけます。
藁にもすがる思いでいる親御さんは、つい手に取りたくなるでしょう。しかし、発達障害を治すという意識を持っているからこそ辛いのだ、ということに気づいてほしいと思います。
私たちが日本という国の文化の中で生きているように、発達障害のある子たちは、発達障害という世界の文化の中で生きていると考えるのはどうでしょうか。
認識の違いや価値観の違いを認め合いながら、お互いが心地よく生活するために必要なすり合わせをする。国際交流のような感覚で育児と向き合う、そう考えると少し楽になりませんか?

進路を決めるとき

進路を決めるとき、進学にしても就職にしても先のことを考えると思います。就職に有利な学校だったりずっと勤められそうな会社だったり。確かにいい条件は魅力的ですが、それをモチベーションに頑張れるのは健常発達の人たちだと思います。
発達障害のある人たちは、苦手なことや気が向かないことに対してふんばりがききにくいところがあります。私の長男がそうで、就職先が合わなくて数か月で辞めてしまいました。
そのとき勤めていた会社の良いところを伝えても「もう無理」の一点張り。
会社にどんな魅力があろうと、今の自分のしんどさや辛さは変わらないと聞く耳を持ちませんでした。
ただ仕事を辞めたら辞めたで「なんで、自分は皆と同じようにできないのか」という気持ちに支配され、どんどん落ち込んでいきました。アルバイトを始めるまで半年ほどかかったのですが、その間は気持ちが沈んでとても辛かったようです。アルバイトを始めたときに「多少仕事で嫌なことがあっても、仕事をしていない辛さに比べればなんともない」と言っていたので、辛い時間を過ごした経験はアルバイトを続けるモチベーションになったようでした。
彼を見ていて気がついたのですが、きっと実際に体験したことと今感じていること以外を想像するのが難しいのだと思います。
どんなに条件のいい学校や会社でも、それが自分にどんなメリットがあるのかを想像してモチベーションを上げることはできないようでした。
アルバイトは2年ほど続いているのですが、途中から〇円貯金する、という目標もできてさらに意欲的に働いています。そのお金は進学費用にする予定です。
進学する学校を決めるにあたって、私は長男に「楽しそう」「ワクワクする」というインスピレーションだけを大切にするように言いました。就職に有利かどうかなんて考える必要はないと。楽しいと思えない日々に絶対に先はないと思うからです。もし就職に結びつかなくても、過ごした時間が楽しく充実していれば、それは人生の財産になり、彼の自己肯定感を高めてくれるに違いありません。

自分の空間や時間を持つのは大切

長男が仕事を辞めてからアルバイトを始めるまでの半年間、私は「このまま一生働かないんじゃないだろうか」ととても不安でした。何度か仕事を探すように言っても「分かってる」と言うだけでなかなか腰をあげないのです。
そんな様子に心配はつのりましたが、不思議とイライラすることはありませんでした。過去に不登校になったときは言わずにいられなかった小言も出てきませんでした。おそらく、生活環境が変わっていたことが理由だと思います。
私たち親子はずっとアパートで暮らしていたのですが、この頃には一軒家に引っ越していました。子供たちにも部屋ができたため1日で顔を合わせる回数はぐんと減少。アパートのときのように目の前でダラダラとゲームする姿を見ないせいもあり、彼の心境を客観的に考えることもできました。
「生まれてからずっとがんばってきたんだ。うつになるほど苦しみながら…限界がきたのかもしれない。今は休息の時期だ」と。数年間はこのままかもしれないと覚悟しましたが、長男が働き始めたのは半年後と案外早かったのです。
その後はどんどん元気になり笑顔も増えて今に至りますが、長男にとっても自分の部屋という空間でゆっくりできたことは心身の疲労を回復するためによかったようです。避難場所のような役目があったのでしょう。私としては母親の小言という攻撃の無かったことが一番の回復要因だと思いますが…。
子供が自分の空間を持つことは、親にとっても子供にとっても楽になれるひとつの方法だと感じました。

成人するころには

最近の長男を見ていると、相変わらず認知にズレはあるなあと感じるものの、逆にその性質のおかげで新しい切り口から物事を見ていて、面白い!と感じることがよくあります。
彼自身が周囲とのズレに悩み「自分」と向き合ってきた結果、自分の苦手なことややりたいことをよく知っていて、私が同じ年だった頃よりもずいぶんしっかりと生きているなあと思います。
次男に関しても「なりたい自分像」をしっかり持っています。職業も日常生活もこんなふうに生きるのが自分に合っているとよく考えていて、自分の力量を客観的に把握しています。彼は勤労学生なので、本来なら学業だけで過ごす高校生の時間に仕事も組み込まれています。部活動にも精力的に取り組んできたため、生活するうえで体力的なことや時間配分など、考えざるをえなかったのでしょう。

幼い頃には全く見えなかった20年後の姿を今目の前にして、彼らは発達障害があるからこその生き方をしてきたと感じます。確かに苦労や悩みはたくさんあったけれど、だからこそ人一倍「自分」と向き合い、具体的な将来が描けているのでしょう。
長男のように想像力に問題のある子供でも、成人するころにはたくさんの経験を通して「感じたこと」や「考えたこと」が武器になってくれるのだと感じています。

発達障害の世界で生きる

発達障害は、持って生まれたものであり、持って生きていくものです。

発達障害の子供やその親にとって一番大切なのは、子供自身が「自分」の取扱説明書を成長とともに作り上げることではないでしょうか。苦手なことや得意なこと、自分の認知の仕方(考え方のくせ)などをよく知って、日々の生活に活かし、そして、周囲との不必要な衝突を避ける。発達障害でなくても言えることかもしれませんが、世間の認識や常識とのズレでトラブルになりやすい彼らには特に大切なことだと思います。
私たち親にできるのは、彼らの感覚や認知の仕方を知るために、まずはどんなときに怒り、泣き、笑っているかをよく観察すること。そして、立ち止まってしまった時には、何が壁なのかを一緒に考え、乗り越えるべきか、回り道するべきか、一休みするべきか、寄り添いながら進み方を探ること。また、彼らの考えに世間とのズレを感じた時には、そのズレについて解説することです。彼らが間違っていると言うのではなく、世間の多くのひとはこんな風に考えるからねと伝え、そこにどんな誤解や衝突が生まれる可能性があるかを伝えたうえで、どんな選択をするかは任せましょう。

障害という名前はつきますが、良いことと悪いこととは裏表になっているものです。例えば、想像力や社会性の無さから空気がよめないせいで、皆があきらめるような窮地でも平常心で自分の最大限の力を発揮できるなど。「普通ならあきらめる状況」がわからないため、モチベーションを保てるのです。そんなことは普通できません。これを障害でなく才能だと捉えることもできますよね。

現在、発達障害のお子さんを育児中の親御さんにとって、この記事が少しでも役に立てたり気持ちが楽になったりするといいなと願っています。

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