イライラワーママの私の火が消えた

2022年5月9日

ワーキングママ

第1章.共働きでワンオペ状態の私の対処法

1人目出産後から少しずつイライラが始まり、2人目出産後にピークに達しました。ほぼ1人で子どもの世話から家事などをこなし、時間も気持ちも余裕が持てず、イライラは加速しました。ささいなことでイライラし、止まらなくなってしまいます。夫にあたり散らし、「離婚」の2文字が頭に浮かんだこともあります。

そんな私ですが、今は穏やかに過ごせています。以前に比べればですが、かなり落ち着きました。言葉にするのは難しいのですが、例えて言うと「無」です。まさに火が消えたように、ふと感じなくなりました。以前ならイライラするような出来事が起きても感情が湧かず、「無」の状態で、それはそれは冷静に反応します。端から見たら少し冷酷に感じるかもしれません。
しかし私にとって「無」が最強の自己防衛なのです。

「無」に至るまで本当に苦労しました。試行錯誤してやっとたどり着いたのが、「無」=諦めです。諦らめることができたら「無」になり、イライラすることが格段に減り、引きづることもなくなりました。今はとても気持ちが穏やかです。
試行錯誤の末に行き着いた「無」に関しては、第3章で実体験と共にお伝えします。諦めることができるようになるまでの私の話をします。

まず、私の家族構成をご紹介します。夫と今年新1年生になった6歳の娘と、保育園の年少さんになった3歳の息子がいます。夫婦共働きで、夫も私もフルタイムで働いています。

私は家事全般が苦手です。料理も掃除も洗濯も好きではありません。ですので、夫と結婚するときに約束したことがあります。

「共働きなら共家事」。

私は家事が苦手だから、働きながら家事もこなすのは自信がない。もし私に家事をすべて任せたいのなら仕事を辞めさせてください。と伝えました。
家事はできる人ができることをしましょう、と約束しました。ちょっとした結婚の条件のようなものです。夫は快諾してくれました。

約束通り、できる家事はしてくれています。皿洗い、ゴミ出し、お風呂掃除、洗濯、などできるときはしてくれます。夫婦2人暮らしのときは特に問題もなく不満もなく暮らしていたと思います。

私たちは結婚してすぐに子どもを授かり、結婚して1年たたないうちに娘が産まれました。
育休中ももちろん「共家事」は有効です。育児のための休みであり、育児が仕事だからです。初めての育児に奮闘しながら、苦手な家事をこなすのは予想以上に大変なことでした。この頃から少しずつイライラに火が着きはじめます。

夫も家事を手伝ってくれてはいましたが、どこか事欠けているのです。例えば、皿洗いはするけどシンクは汚いまま、洗濯機をまわしてくれるけど明らかに量が多すぎる、洗濯物を干してくれるけどシワシワ、さらに袖が丸まったまま、そういうことが目につくようになりました。目についたらやり直したり、結局自分でやらなくてはなりません。子どものリズムで生活している状況では、時間はとても貴重です。

目についたことに関しては夫に注意していました。しかし、直りません。なぜでしょうか。今でも謎のままです。こうしてイライラは募り、火はどんどん大きくなっていくのです。

育休が終わり、仕事と家事と育児に追われる日々が始まりました。
子ども1人のうちは、もちろん大変でしたが、今思うとそれなりにやっていたと思います。
当時、夫は前職に就いていましたが、朝は9時半出社でゆっくりめ、夜は比較的定時で帰ってきていました。今と比べると生活のリズムが規則的でした。
また、アパートに住んでいたので、掃除する部屋が少なく、荷物も最小限で済ませていました。

娘が3歳のとき、2人目を出産しました。2人目の育休は想像をはるかに超え、1人目の育休とは全く違うものでした。
まず上の子がいるため、保育園への送り迎えがあり、時間に制限があることです。限られた時間の中で家事をこなし、子どもの世話もする、時間に制限があることの大変さを痛感しました。同時に仕事が始まったら、ますます時間は限られるのにやっていけるのか不安になりました。

さらに夫が転職していて、出社の時間も帰宅の時間も不規則になり、生活のリズムも不規則になっていました。いつ帰ってくるか分からない夫のために食事は出しっぱなし、洗濯機もまわせない、子どもの世話を1人でしなければならない、そんな毎日でした。これがワンオペという状況か、と思い知らされました。育休中だからこそ、なんとかこなせていましたが、仕事が始まったらどうなるのか、という不安に押しつぶされてしまいそうでした。

また、マイホームを購入していたことも大きな変化でした。掃除が苦手な私にとって、一戸建ては思った以上に広すぎました。。家も広くなっていている上に、庭もあります。庭に関しては、もはや手がまわらず、たまに来る私の母がやってくれていました。

育休中というのは不思議なもので「共家事」と言いながらも、私は休みなんだからできるだけやらなくては、という気持ちにさせます。夫は仕事で疲れている、私が家事をするべきだ、と思わせる魔力があります。

仕事復帰した今だから思うのですが、会社へ来て仕事をする方が、赤ちゃんのお世話をするより疲れません。常に命と向き合い、夜も眠れなかった育休中の方が精神的にも肉体的にも疲弊していました。

2人目の育休は忙しく過ごしたせいか、あっという間に過ぎ、いつの間にか仕事復帰していました。

復帰後は予想していた通り、朝も夜もワンオペ状態で、時間も気持ちも余裕がなくやっとの思いで過ごしていました。

特に夜が忙しく、仕事が多すぎます。夕食作り、食事、お風呂、洗濯、寝る準備、寝かしつけ、帰ってからの3時間程度ですべて終わらせることは不可能であり、早く終わらせなければと思うと大変なストレスになっていました。

そこで、どうしてもこの現状を改善したかった私は、夜の仕事を、夜以外の時間にシフトできないか考えました。

まず、シフトできそうなものとして「洗濯」を選びました。朝に洗濯をする人をよく見かけるからです。しかし、私の場合、お風呂に入っている間に洗濯機をまわし、あがったら干すという習慣がついていました。すでにお風呂と洗濯は同時進行できていたので、たいした時間短縮にならないと判断しました。

他にシフトできそうな仕事は「夕食作り」しかありません。子どもが寝てから作ることも考えましたが、私は夜に弱いのです。寝かしつけをしていると、子どもより早く寝てしまうことの方が多いくらいです。逆に朝は強いことに気が付きました。
「そうだ!朝のうちに夕食を作ればいいんだ!」
そう閃いたときは本当にスカッとして、モヤが晴れたようでした。朝のうちに夕食を作るため、4時半に起きることに決め、いざ、4時半に起きてみると案外起きることができました。

夕食作りが終わっていることで、時間にして30分以上も余裕が生まれたのです。これにより夜の過ごし方が激変します。帰ったら、夕食を済ませ、お風呂と洗濯は同時進行、最後に寝る準備をして寝かしつけで終了です。帰ってからの3時間で夜の仕事を終わらせることができるようになりました。しかも以前より忙しく動く必要はなく、少し余裕を持って動けるので、ストレスも減りました。それどころか夫の帰宅時間によっては、少しゆっくりする時間まであったりします。私の生活に対するイライラは少し軽減されました。

いかがでしょうか。ワーママ経験者の方でしたら、30分の貴重さをご存知だと思います。また、変化のすごさも想像できるのではないかと思います。時間に少しでも余裕があると、心も生活も豊かになります。

ワンオペで辛いという方、もう少し時間が欲しいという方、家事をする時間をシフトさせてみるのも1つの手です。この時間にしなくてダメ、というのは意外と自分が固執しているだけかもしれません。今日やらなくても、明日にまわしてもいいと思います。毎日やらなくても、2日に1回、1週間に1回でも気にならないかもしれません。頭を柔らかく、できる範囲で、自分に優しい生活を送ることで、ストレスが減り、イライラも減ります。周りになんと言われようと、自分のリズムで生活していいのです。

第2章では私のイライラを詳しくお話しします。第3章ではイライラに対して私が試してきたことと私の息抜きの方法をご紹介します。

第2章.産前の強烈なイライラから2人目出産まで

私のイライラに火がつき始めたのは1人目を出産してからです。夫と2人暮らしの頃はイライラはあまり感じていませんでした。

1人目出産を控える臨月のときに、私たちが住むアパートから車で10分程の実家へ里帰りしていました。予定日から10日が過ぎ、促進剤を使っての出産を終え、初めての育児が始まりました。里帰りだったため、育児以外の家事は母がやってくれます。それでも初めての育児は常に気の張った状態で疲労していました。

娘は昼夜が逆転していて、とにかく寝ない子でした。夜9時になると娘を連れて寝室へ行くのですが、毎日その時間が来るのが怖くて仕方ありません。なぜなら私は疲れて眠たいのですが、娘は全然寝てくれないのです。授乳して抱っこして寝かしつけようとするほど、大泣きしました。泣き疲れて寝ても、布団に置くと起きて、また大泣きの繰り返しです。ひどいときは夜9時から朝10時まで、その状態が続いたことがあります。娘と一緒に泣きながら、夜を明かしていました。朝10時くらいになると、やっと寝始めるので私もやっと寝ることができました。

そんな毎日を送っているとは知りもしない夫にイライラが始まります。仕事終わりに少し寄って抱っこして、泣いたら私に渡し、まさに良いとこどりだと思いました。同じ親なのになぜ私ばかり泣きながら切ない思いをしているのか、納得いきませんでした。少しでも大変さを分かってもらいたいので、週末に実家に泊まってもらい、娘との夜を体験してもらうことにしました。しかし、私の思いとは反対に、娘は夫がいるときに限って寝てくれるのです。今思うと、娘は私の気持ちを敏感に感じ取っていて、私1人のときは緊張を感じとって大泣きし、夫がいるときは安心感を感じとって眠れたのだと思います。何度か挑戦しましたが、夫に娘との辛い夜を体験してもらうことはできずに終わりました。

里帰りを終え、アパートでの3人暮らしが始まると、すぐに違和感を感じました。赤ちゃんがいるのに、夫の生活や行動が変わっていないのです。朝起きたら自分の支度をして出勤し、帰ってきたら夕食とお風呂を済ませ、寝るだけです。育休の魔法にかかっている私は、「仕事が休みなのだから私が家事をやるべき」と夫がいないうちに家事も済ませてしまっていました。私から見た夫の生活は、1人暮らしをしているかのようで、以前より楽そうに見えました。そんな違和感が積もっていき、イライラの火は少しずつ確実に大きくなっていくと共に、夫に対する小言も増えていきました。ほぼ1人で育児と家事をしていた私は、ストレスからなのか体重が妊娠前より12キロも減ってしまい、誰かに会うと必ず心配されていました。私自身は人に言われるまで痩せていたことに気づいておらず、言われて初めて体重計に乗り驚いたのを覚えています。

育休が終わり、仕事復帰をした私がまず感じたことは、開放感でした。娘と離れる寂しさももちろんありましたが、保育園に送り届けたあと1人で動ける軽さは背中に羽が生えたようでした。1人の時間に感動し、仕事もとても楽しく感じました。さらに仕事を終え、娘を迎えに行き対面を果たすと愛おしさ倍増です。しかし、幸せな時間はここまでです。ここからが戦争、時間との戦いなのです。夫も育休とは違うと感じていたのか、動いてくれていたようです。私からしたら全然やってないように見えましたが、夫はやっていると主張していました。夫の実家や私の友達からは優しくて良いパパと思われていて、私の実感との差に落胆することも多かったです。

娘が2歳のときに2人目を妊娠しました。1人目の妊娠中は心穏やかに過ごせたのですが、2人目の妊娠中は常にイライラしていました。つわりがひどく横になりたいのですが、娘がそうさせてくれません。夫も娘を私から離そうとしますが、「ママがいい!」と離れないので、結局は私が娘のお世話をすることになります。この頃から、夫に対しての気持ちが急激に変わっていきます。気持ちが変わっていくのと同時に、夫への態度もだんだんと冷たくなっていきました。夫の頼りなさを感じるたびにイラつき、傷つきました。娘を妊娠してから2年も経つのに、夫は何も変わっていないと心が痛むのです。

だんだんと心がすさんでいった私はあることを決意します。「夫に頼る私が悪い。期待するから傷つく。自分でなんとかすればいい」と心に決めました。それからはまるで夫がいないかのように過ごし、私から話しかけることはなくなりました。子どもが増えるに伴い新しく家具を購入し、夕食を食べながらテレビを見る夫を横目に1人で組み立てました。夫も私の様子に反感していたのだと思いますが、身重な妻が家具を組み立てていても声ひとつ掛けてきません。自分で決心し実行した結果なのですが、元はと言えば夫のせいでこうなったのに、と虚しくなりました。今思うと、妊娠中ということもあり、かなり情緒不安定でした。

そしてある日、私は娘を連れて家出をします。家出といっても近くにある自分の実家に、ですが、初めて夫に連絡もなしに外泊しました。さすがに心配して、連絡をしてくるだろうと思っていましたが、連絡はありませんでした。妊婦の妻と娘がなんの連絡もなしに帰ってこなかったら、何かあったのかと心配するのが当たり前と思っていた私には衝撃でした。どうせ実家にいるだろうと思っていても、確認の連絡くらいしませんか?お腹の子に何かあったのか、娘に何かあったのか、と考えるのが普通の人だと思うのですが、夫は普通ではなかったのです。もし万が一、本当に何かあっても夫は知ることさえない、そう思ったとき「離婚」の2文字が浮かびました。お腹の子を無事に産み、育休を終え、仕事復帰したら離婚する、そんな計画が頭に浮かびました。

ストレスを抱えながら過ごしていたせいか、無理して動きすぎたせいか、妊娠27週のときに切迫早産と診断され即入院となりました。とにかく自分を責めました。お腹の子に負担をかけてしまったこと、父親と2人暮らしになる娘に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。入院の準備を済ませ、夫に送ってもらっている車の中で、娘と離れることが辛く心配なこと、娘の生活についてを夫に話して聞かせました。その日、娘は保育園から帰ってきたら、いきなり母親がいない生活になり、寂しくないか、ご飯は食べられるか、夜はちゃんと寝れるのか、夫に精一杯伝えてお願いしました。そしてその日の夜、娘が寝て一段落したら連絡が来るだろうと待っていたのですが、11時を過ぎても連絡は来ません。さすがに娘は寝てるだろうと、連絡すると「少し泣いたけど9時半頃に寝たよ」とすぐに返事が来ました。あれだけ心配していると伝えたはずなのに、娘の様子を知らせる連絡もくれない夫に腹が立ちました。この頃にはイライラを通り過ぎ、夫のことが嫌いになっていました。

入院中は私の母が毎日のように娘を連れて病院に来てくれました。毎日の夕食も母が用意してくれていたので、食事に関しては安心です。入院中は、娘と母が来てくれる時間が私の唯一の楽しみであり支えでした。なぜ唯一かというと、入院初日の連絡以来、1度も夫から連絡や写真が送られてくることはなかったからです。夫のことが嫌いだった私は、連絡を要求することもしませんでした。

私の入院が始まったのは12月の初めでした。これからクリスマス、年越しとイベントがたくさんある時期だったので、いつ退院できるのか、そればかり考えていました。病院のベッドで娘のクリスマスプレゼントを選び、ケーキも予約しました。もうすぐ3歳になる娘はやっとサンタさんが分かるようになり、クリスマスの朝はどんな反応をしてくれるのか楽しみでした。

しかし、クリスマスも年越しも病院で過ごすことになります。サンタさんからのプレゼントを見た娘の様子は直接見ることができないので、絶対に動画を撮るようにお願いしました。クリスマス当日は休日だったので、夫が娘とクリスマスケーキを持って病院へ来ました。娘の動画は送られてきてなかったので、娘に直接話を聞き想像することしかできません。夫と娘が帰り、1人になると沸々と怒りが込み上げ、長文のLINEを送っていました。夫からは「ごめんなさい」と一言だけの返信がきました。

年が明けて、1月の半ばに退院の許可がおります。自宅へ戻り、家族3人での生活が始まりましたが、夫が嫌いだったので話をすることはほとんどなく、娘と2人暮らしのように過ごしました。今となっては、家の中を気まずい空気にしてしまい、娘に悪いことをしたと反省しています。

2月の半ば、出産予定日の前日に無事に息子が産まれます。可愛い我が子が2人になり、愛おしさを感じるほど、産前の夫のしたことが許せません。嫌いという感情はだんだん膨らみ、「離婚」に対する思いも大きくなっていきました。

育休中の私は、夫が家にいるときは常に不機嫌で、近くに寄ることさえ嫌がり露骨に避けていました。子どもたちに触れられることさえ嫌でしたが、それは子どもたちに悪影響になると思い我慢していました。会話は必要最低限、目を見て話すなんてことはなかったので、顔も忘れてしまいそうでした。この冷戦状態が、いつまで続いたかというと、育休が終わり、仕事復帰したあと、生活に慣れるまでです。第3章では、仕事復帰してからの私の変化と夫に対して試して来たことをご紹介します。

第3章.産後も続くイライラ、私なりの息抜きを見つけるまで

2人目と1人目の育休の生活は、子どもが2人に増えているので大きく違います。上の子の保育園の時間に合わせて動かなくてはならないことが、私の余裕をさらになくしました。相変わらず夫の生活はほとんど変わらず、下の子のお世話は1人目のときよりしなくなっていました。1人目のときは夜泣きをすると起きることがありましたが、下の子が夜泣きをして起きたことは1度もありません。

また、産まれたばかりの赤ちゃんがいるというのに、お風呂あがりで暑いからと暖房を消したり、夏には寝ているときにエアコンの設定温度を下げたり、まるで1人暮らしをしているかのような振舞いでした。そんな夫への嫌悪感が増していき、ますますコミュニケーションは減りました。

2人の子どもを産み、私は体も立場も生活も何もかもが変わったのに対して、父親の自覚すらないように感じる夫にイライラは募るばかりで、離婚への決意がどんどんと固まっていきます。

2人目の育休は、1人目の育休と比べ物にならないくらいにあっという間に終わりました。仕事復帰をすると、さらに忙しい日々を送ることになり、離婚について考える暇もないほどです。そんな日々を送っていると、だんだん離婚への気持ちが薄れていきました。あれだけ離婚すると決意していたのに、実際の生活を考えると、経済的に不安でできないのです。さらに、子どもたちから父親を奪うことへの罪悪感まで生まれてきます。夫と一緒にいたくないのに、離婚できない状況に落ち込む毎日でした。

そのうち、離婚できないなら夫に父親の自覚を持ってもらおうと考えはじめます。最初にしたことは友達への相談です。しかし相談したところで、夫は優しいと思われています。話を信じてもらえないことが多く、すぐに挫折しました。

次に相談したのが、母親です。母親は親身になって相談に乗ってくれましたが、やはり夫の本質までは分からないので、効果的なアドバイスはでてきませんでした。

人に相談するのは諦めて、父親の自覚を持ってもらうにはどうしたらいいのか調べることにしました。夫と話をしたくない私は、読んでほしい記事のURLを送りまくりました。しかし、これも読んでいるか分からず、さらにイライラするのですぐにやめました。

仕事復帰して半年が経ったころ、母親に誘われてゲッターズ飯田さんのトークライブに行くことになりました。私は特に興味があるわけではなかったので、ただの付き添い感覚で行きました。トークライブの帰り道、私はひどく傷ついていました。なぜなら、悪いのは私の方ではないかと考えさせられていたからです。

ゲッターズ飯田さんの話で、特に印象的だったのが
「誰かを変えようとするのは不可能。自分が変われば相手も変わる。嫌いな人を好きになることが一番の近道。好きになれなければ感謝しよう。」
という話でした。好きになるところや、感謝するところはなんでもいいそうで、嫌いな人が持っている物だったり、いつも元気に挨拶していることを感謝したり、その人自身じゃなくてもいいとのことでした。どうしても無理なら、生きてくれてるだけで感謝、そう思ってみてください、と言っていました。正直、それすらも感謝できないと感じた私は、なんて汚い人間なんだろうと落ち込み、傷ついていたのです。ゲッターズ飯田さんは、どうしても感謝できないという人は「フリ」から始めればいいと言ってくれました。気持ちがこもっていなくても、「生きていてくれてありがとう」と心の中で唱えればいいそうです。

傷ついて影響を受けたのだから、せっかくなら実行してみようと思いました。思い出したときに、心の中で唱えていましたが、最初のうちはかなり抵抗がありました。自分に嘘をついているので気持ち悪いのです。しかし、言い続けていると慣れてきて、夫のいないところで声に出して言うことができるまでになりました。夫への嫌悪感から開放されたような不思議な感覚で、道がひらけたような気がしました。妊娠してから、夫への不満に悩まされ続け、苦しい毎日を送っていたのに、たった数時間のゲッターズ飯田さんの話で開放されたのです。

そこからスピリチュアルにはまっていきます。YouTubeで毎日のようにスピリチュアル系の動画を見ては、実践していきました。たくさん見てきて感じることは、伝え方が違うだけで結局は同じことを言っているということです。その中でも私が気をつけていたことが2つあります。

1つ目は「ある」ことに目を向けることです。つい「ない」ことに目を向けてしまいがちですが、「ある」ことに気付くと日常に感謝できます。

2つ目は「他人と比べないこと」です。他人と比べるから、嫉妬したり執着してしまい、自分を傷つけてしまいます。自分の生活の中で幸せを見つけることが大切だなと思い、ささいな幸せをたくさん見つけようと思いました。

忙しい生活を送っていると「時間がない」「お金がない」と言ってしまいがちですが、「あるフリ」をしました。「時間はある」「お金はある」と言い続けました。すると不思議なことに、ここに時間がある、ここにお金があった、と今まで見えなかったことが見えるようになってきました。

例えば、毎日見ているYouTubeですが、だんだんと時間を作るのに苦労するようになり、見ない日もでてきました。しかし、朝の化粧をしている時間に見れることに気付きます。声だけ聞こえれば十分なことに気付いた私は、化粧をしているときにスピリチュアルのYouTubeを聞くことが日課になりました。

また、仕事復帰してから大好きな韓国ドラマを見ることができなくなっていたことも悲しかったのですが、見る時間を見つけました。会社の休憩時間です。もともと1人で昼食を食べていましたし、暇つぶしにSNSを見たりしていたので、この時間で韓国ドラマを見れることに気付きました。

さらに「他人と比べない」ことで、それまでは、あの人は毎週末に外食に行っていて羨ましい、など嫉妬ばかりしていましたが、自分たちの収入で幸せに暮らすことを心がけるようになりました。そして、他人を気にしなくなりました。収入は変わっていないのに余裕がある気がして、心が軽くなっていきました。

この「他人と比べない」ことで、良い意味で他人に興味がなくなりました。よそはよそ、うちはうち、という感覚です。同時に夫にも良い意味で興味がなくなっていきます。夫は夫、私は私、そう考えられるようになりました。夫を1人の人間として見ることができるようになったのです。極端に言ってしまうと、夫でもなく、父親でもなく、1人の人間で、同居人という感じです。そう感じられるようになると、夫として頼ったり、父親として期待したり、そういう気持ちがなくなっていきます。対等な人間なので、対等な関係を求めるようになり、良い意味で諦めがつきました。諦めがつくと、夫のすることにいちいちイライラすることもなく、やってほしいことを淡々と伝え、できてなかったときも淡々と伝えるようになりました。こうして私の心は平穏を取り戻していき、イライラの火は小さくなり、今ではほとんど消えています。たまに再燃しますが、引きずることもなく消えてくれます。

私のイライラを消したのは、好きなことを見つけ、好きなことをする時間を見つけられたこと。さらに、夫を1人の人間として見ることができるようになったこと。この2つのおかげです。夫も私の小言が減り、前よりも自由に明るくなった気がします。夫のことが好きとまでは言えませんが、可愛い子どもたちを授けてくれたこと、仕事をして稼いでくれていること、少しでも家事をしてくれていることに、今は感謝しています。イライラしてばかりで口も利かない私とよく別れようと思わなかったな、と少しですが尊敬もしています。

ゲッターズ飯田さんの話を聞かなかったら、ここまで変われなかったと思うので感謝しかありません。誘ってくれた母にも感謝です。

イライラしてしまう自分や夫婦関係に悩んでいる方がいましたら、相手を責めてしまう気持ちもよく分かります。しかし、それでは解決しないことがほとんどだと思います。まず、自分が変わる努力をしてみませんか。「フリ」から始めてもいいのです。

働きながら家事や育児をこなすことは、とても大変なことです。時間も体も余裕がなくなれば、心にも余裕はなくなります。そうなれば誰しもイライラしてしまうと思います。限られた時間でやりくりするには工夫が必要になってきます。子どもがいると自分のことは後回しになってしまいがちですが、自分の生活リズムや自分の性格など向き合ってみることをおすすめします。私の場合は朝が強いことから、早朝に夕食作りをシフトさせました。また大好きな韓国ドラマを見る時間を見つけ、ストレス発散することができています。ちょっとした気づきで、自分の時間ができたり、心のゆとりが持てたりします。

また自分と向き合うことで、自分にとっての幸せとは何か、がはっきりすると周りが気にならなくなります。「人は人、自分は自分」です。とても難しいことですが、まずは「フリ」から始めてみてください。いつか「フリ」が「当たり前」になっていきます。「当たり前」になるとイライラすることはなくなり、心が軽くなります。ぜひ試してみてもらいたいです。何かが変わる感覚を感じてみませんか。

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