ダメと言わない育児

2022年3月11日

子育て

子どもの好奇心を大人の都合でなくしてしまう

子ども達の目に映るもの、初めてやることは【これは何だろう?やってみたい!】と感じる物ばかりです。それを触ってみたい、口に入れてみたい、どんな風になるのか実際にやってみたいと思うのは当たり前だと思います。でも、それらは何十年も生きてきて結果が分かってしまっている大人にとっては、【危ないよ!汚れちゃうよ!できないに決まってるでしょ!】とついつい先走って行動を止めてしまいます。子ども達の行動を止めてしまうのは、大人の都合なのです。毎日家事に、育児に、仕事に追われているのにこれ以上仕事を増やさないでほしいという願いが心の中にあります。しかも、現代は昔と違って交通量も多いし、危ない事件も多い世の中。子ども達の自由になんか中々させてあげれないのも正直なところです。
赤ちゃんの頃は、まだまだ布団の上から動くこともなく、赤ちゃん自身が何かに興味をもって目をキョロキョロさせたり、初めて何かおもちゃや、物なんか掴めた日には家族中大喜びです。子どもの好奇心が嬉しいという母の気持ちも子どもが成長するにつれてそれが心配や、やめてほしいといった気持ちに変わります。寝返りをし、ハイハイなんかし始めたら母親も目が離せなくなります。おもちゃより、引き出しの中の日用雑貨なんかが大好きです。私の息子はボール、ザル、食品のストックが大好きでした。片付けてはバラバラにされるけど、グズグズしないで待てるなら仕方ないかと好き放題させてあげていました。食品のストックなど触ってくれている時は、夕食の支度をしながら息子を横で見ることができるので良かったです。顔を合わせて料理できるし、声かけもできるしどんどんバラバラにして下さいといった感じでした。でも、毎日いい子に待てたかというとそうではなくて、ハイハイした息子がネギをバラバラにしていた時は、ぎゃーっとなりましたが本人の顔を見ると臭いのにネギを床にバンバン打ちつけてニコニコしているので私も笑ってしまって記念の写真なんかを撮ってあげました。部屋中ネギ臭いけど、まぁいっかぁ。この《まぁいっかぁ。》が私の中に沢山あります。
一歳前後で歩き始めるともっと注意が増えます。歩けることで視野も行動範囲も増えるし、自分で出来ることもどんどん増えます。男の子なんか外に出たら足が止まりません!息子が歩き始めた頃は一歳4か月。ハイハイも混じっていたので公園に連れて行くと、地面をハイハイして落ち葉や石、ベンチなど一通り触ったり掴んでみたり。歩いてみれば、言葉の理解もまだまだなのでストップも分からずひたすら歩き続けます。家事が残ってるし、昼寝もあるし、なんておかまいなしで転んで怪我をして泣くまで外の刺激に触れていました。
それが幼稚園、保育園の時になると口も達者になるし、沢山のお友達と触れ合うことで、もっと自分の知らなかった世界が広がってやりたいことも盛り沢山です。母親の言うことなんかすんなり聞くはずもなく、逆にダメなことしてる時の方がいい笑顔をしているんじゃないのかなと思ってしまいます。息子と娘を育てていますが、男の子は先を考えず目の前のことに一生懸命。女の子は男の子より先のことを考えているかなぁと感じます。一概には言えませんが、男の子だって汚れることを嫌う子もいるし女の子でも活発な子もいます。私の娘は兄が3人もいる末っ子女子なので、当たり前ですが活発です。
私は自分自身の子育てで好奇心を大切にしました。あれもダメ、これもダメと止めてしまうと何もやらなくなるかなと思ったし、子ども達がのびのび育ってほしい、目と手足、体中全部で色々感じてほしい。あと一つ、その中で汚れても平気だと感じられる子どもに育ってほしいという願いもありました。私が子どもの頃は、手洗いなんかした記憶はありません。田舎育ちの私は、手洗いしないままお菓子も食べていましたし、家に帰ってからの手洗いうがい習慣なんかありませんでした。今考えると信じられない時代です。現代の子はコロナが流行りだしてから尚更ですが、消毒の徹底と手洗いうがい。私の理想とする汚れても平気だと思ってほしいからどんどん遠ざかっています。こんな中だからこそ、子どもの仕事である“遊び”に関しては自由に遊んでほしい、先のことを考えずやりたいという気持ちで動いてほしいと私は思っています。雨だから外で遊べないはイコールになりません。雨でも外に出たいなら出ればいいし、息子が3歳くらいの時は、雨の中雨具と傘を持って散歩に行きましたが、普段と違う格好で外に出れて喜んでいましたし、雨のおかげでできた水溜りに石を投げて大きな石だと水がはねるねと気づき、水溜りにアメンボがいて捕まえてみたり、晴れの日には感じれなかった体験がありました。体を動かせたわけではないですが、私も息子も大満足!私が最初に【寒いからやめようか】【雨だからやめようか】と止めていたらこの体験は出来なかったことです。息子も時間がたつと【寒いから入る】と言いました。自分で雨の時遊ぶと晴れの時とは違うんだなと気付けるのもいい体験でした。
私は、自分自身の子育ての中で汚れる=好奇心という繋がりがありました。汚れたくないなら私から【汚れてもいいよ、濡れてもいいよ、着替えたらいい】と声をかけます。この言葉は現在進行形です。雪国ですので、本当の春が来るまでは晴れていても公園に雪が残ります。体を動かしたい時は靴下、パンツ、ズボンを全員分もって公園に出発です。コンディションが悪い公園には誰もいるはずもなく、雪遊びに飽きた子ども達は雪の少し残った遊具にスノーウェアではなく、私服で遊んでいます。
幼少期の子どもは、やりたいように本能のままに生きているのに、私の都合で【服が汚れるからやめな】【着替え持ってきてないからやめて】など、汚れるからストップと止めてしまうことが私の中で何か許せない部分があります。全て自由かと言ったら違いますが、怪我をする、命にかかわることは本能のままとはいきません。幼稚園に通っている息子がいますが、幼稚園が終わると私の側から離れ走っていき、田んぼ道に消えていったり、ある時は大きな道路を挟んだ公園目がけて、名前を呼んでいる私のことなんか振り返りもせず一直線。これに関しては、私の得意な《まぁいっかぁ。》とは言っていられません。息子自身は、幼稚園が終わって友だちと行ける公園が嬉しくて私の言うことも聞かず走って行くのですか、車が来なかったから・車が子どもに気づいて止まってくれたからラッキーなだけで、命に関わる自由な行動をした息子は毎度私に叱られます。息子が汚れることに関しては、食べ物だろうが、泥だろうが、私が汚れた物を綺麗にするだけなのでお好きにどうぞスタイルです。この食に関する好奇心も幼いうちです。小学校に入って、幼児期よりマナーが大切になってくると、ボロボロこぼすことや、食べ方が汚いことなどお好きにどうぞとはいきません。食事、生活態度以外の遊びに関しては小学校高学年になる息子に関しても自由です。濡らしたければ濡らせばいいし、泥んこになりたければなればいい。この前、五年生になる息子に白いスニーカーを買ったその日に泥んこに入られましたが、本人気にせず楽しそうに雨上がりの泥んこまみれの公園で鬼ごっこをしていました。これが我が家の子ども達です。

私の育児でやらせた汚いこと・危ないこと

子ども達は、大人からすると【何でそこに入るの?】【何でそれを触るの?】【何で汚すの?】そんなことが大好きです。ダメと言われることをしてしまうのが子どもです。子どもからすると、危なくないからやっているし、汚くないから汚れています。一方大人は、我が子が怪我をして泣くことまで頭で想像します。だから高い所に登れば【なにやってるの!危ないから早く降りなさい!】と伝えます。そして靴のまま泥んこに入れば、帰ってから泥んこの始末をする自分を想像して【靴をぬらなさいの!あー、服が汚れるからやめなさい!】と注意します。何回も何回もダメと注意され続けると、子どもも怒られたくないので危ないことや、汚いと注意されることから遠ざかります。私は、大人になれば自然とやらなくなる遊びを子ども時代に存分に味わってほしいと思っています。危ないことをしたから、汚いことをしたからいい子になるとは思いません。ただ、子どもの“やってみたい”“やってみたらどうなるかな”のこんな気持ちを大切にしたいです。
私は自分の子育てで、周りから驚かれたり、時には【凄いねぇ】なんて褒められたりします。

子ども達は砂場が大好き!砂場より大好きなのが雨上がりの砂場です。幼稚園終わり、いつも行く大きな砂場があります。砂場は雨が降ると小さなプールみたいに水が沢山です。周りの子ども達は近くまでは行きますが棒でつついたり、石を投げたりその程度ですが、我が家の子ども達がすることは違います。まず靴と靴下を脱ぐことです。ここで我が家なら当たり前なのですが、驚かれることがあります。それは、【脱いでいい?】この言葉がない事です。小さい時から、靴を脱いだらダメだと言うことがないので自分が脱ぎたくなれば勝手に脱ぎます。裸足で水に入った時の顔ったら満面の笑みで、大喜び。私も驚いたのは、長男が幼稚園時代の時です。水たまりに入ってズボンなんかずぶ濡れだったのですが、最後には水たまりプールで着衣水泳が始まりました。足だけでも全身でも変わらないと思い、私も止めることなく本人がやめると言うまでやらせました。
砂場だけでなく、水たまりが溜まっているブランコも楽しい遊び場です。まず靴を脱いでブランコに乗ります。ブランコをこぐたびに、足に水しぶきがかかり、足の上には水たまりの中にあった枯れ葉が乗ったり楽しいお土産つきです。子ども達は【足で葉っぱが釣れたぞー】とまたまたびしょ濡れ。そのまま苔だらけの土の上を走って遊んでいました。
我が家の子ども達、みんながこうだったかというと違う面もありました。幼稚園に入る前、長男は自ら水たまりに入って遊ぶ子だったのですが次男は違いました。手を繋いで水たまりの前を歩くと、水たまりに入らずよけて歩くのです。何だか私がモヤモヤとしてしまったので、次男に【靴を脱いで入ってみない?】と提案しました。もしかして汚れることに抵抗があったのかも知れませんが、入ってみると水って気持ちいい!!と気づいてくれます。おすすめは、晴れた日の水たまり遊びです。これが楽しくて、乾いたアスファルトが紙に変身します。水たまりで水のインクをつけて、アスファルトの上を歩きます。そうすると道に可愛い足型が沢山つきます。次男もいつからか汚れることに抵抗なく過ごせるようになりました。
そして、感触遊びが好きな子ども達。我が家の定番は小麦粉と片栗粉です。粉を触るのもふわふわ楽しいのですが、自分で水の量を調整して固めていきます。これは、小さい時に何回も何回もやらせて服から床から、ひどいと顔や頭まで粉だらけ。始末が大変ですが、このおかげか男の子ですが、今でも料理の衣づけなんかが大好きです。そして小学生になった今でも衣の余った粉で遊びます。自分の指に小麦粉、卵、パン粉をつけて指を大きくしていた日は思わず笑ってしまいました。
家遊びでダイナミックだったのが絵の具遊びがその1つです。紙にかくのは最初だけ。手のひらに絵の具を塗って手形をしたり、三男が2歳の時顔中に絵の具で絵をかいていました。それを見た長男次男はお腹に絵の具です。中々自由な発想で楽しく遊べました。
男の子を育てていて感じたのは、高い所が大好き!金網なんかがあれば登りたいし、木があれば登りたい生き物です。金網を登るのも簡単ではなく、穴に足を引っ掛ける技も必要だし、指の力も必要です。私は子どもが登ったことのない所に登ろうとしていると【今はこの子の運動能力が伸びてるなー】と思います。だから止めません。公園みたいに登りやすい遊具とは違い、登るように作っていないので難しいです。難しいのに上まで登れたら達成感と、体の使い方も覚えることができます。時には道路標識の棒だって上り棒に変身!
その他にもよく公園の遊具で、滑り台を逆さから登ろうとして止めている姿を目にします。我が家の子ども達は、公園の遊具で遊ぶ時の約束があります。それは“誰もいなければ自由に使っていい”です。だから上から滑ってくる子がいなければ坂道登りはしてもいいのです。坂道登りも足裏と手を使うので普段出来ない運動体験になります。近所の公園に、横に広い滑り台があり我が家の子ども達が、そこで危険だけどいつも喜んでいる遊びがあります。爆弾と言って上から普通に滑ってくる子と、下から逆さ登りをして爆弾をよけながら上まで登る遊びです。わざと服を引っ張って引きずり落とそうとしたり、時にはぶつかって蹴られてしまったり。喧嘩もしますし、泣いたりもします。でも、我が家の子ども達は上から滑ってくる人をよけながら坂道を登るというハードな運動遊びが大好きです。そして、海も大好きです。海ではゴツゴツした岩場で身体のバランスをとりながら生き物探しをして、夏終わりの海では寒いから足だけだよと伝えても結局は服を全身着替えるほど濡れてしまいます。大きな海で気持ちが解放的になっている時に、体中思いっきり海と砂だらけになれる子ども達が素敵だなぁと感じます。さすがに寒い時期の海へ行った最後は、唇を紫色にして【寒いよー】とガタガタ震えていますが、これも経験の1つなのかなぁと思います。車に戻ってあったかくなれば、いつものいい笑顔で【すっごく楽しかったね】と言ってくれます。正直、公園の泥汚れより海の砂と海水の始末は大変ですが、海へ行った日はみんなが大満足して帰れるので夏に関係なく海へ遊びに行ってしまいます。
私は、案外危険な遊びほど、運動神経がよくなる遊びが多い気がします。運動神経が良くなるためには、飛ぶ、走る、くぐる、登る、引っ張るなどなど。【危ないからやめなさい】は怪我をしないように言っていますが、違う視点で見ると運動神経や運動能力向上につながります。私は命の危険がないのであれば、心の中で【いいぞー、もっと動け、もっとやれー!】と思いながら子ども達を見守っていると思います。もちろん、家の中でも自由なのでカーテンも壊れた事がありますし、我が家のソファーなんかトランポリン状態でくたくた。2台目を買いましたがもう遊び道具の1つに仲間入りです。家の中で色々させているので、クローゼットの調子も悪いし、壁紙もボロボロ。でも私はソファーで飛んでいる息子に【上手だね、もっと◯◯して飛んでみたら楽しいんじゃない?】と難しい課題を出してソファーをもっと、くたくたにしようとしてしまいます。将来、どんな運動神経がいい子ども達に育つか楽しみです。どんな経験も積み重ねが大切だと思います。

私の育児を目にした周囲のママ友の反応と今の我が家の子ども達

いつも私の育児を見たママ達から決まって言われる言葉があります。【さすが◯◯さん家の子だわぁ】これは褒め言葉の時もあり、【うちにはそんなこと出来ないわ】と少し軽蔑した目で見るお母さんもいると思います。その中でも、育児に困ったら私に相談してきてくれたり、『みんないい顔で遊んでるよね』『ここまでやらせてあげるなんてさすがだわ』と褒めてもらえることの方が多いと思います。伸び伸び子どもらしく遊んでいる子ども達を見てそう声をかけてもらえているなら嬉しいなぁと感じます。
私の育児のモットーは、“子どもが楽しければそれでいい”です。汚くても、始末が大変でもその瞬間、最高な笑顔なら私はそれでいいのです。子どもが笑顔になる時は、お母さんが笑ってる時、好きなおもちゃで遊んでいる時、欲しい物を買ってもらえた時、お友達と遊んでいる時など。その中でキラキラ輝く笑顔の時は、『ダメなことをしている時、汚いことをしている時』だと感じます。自然界にあるものでダイナミックに遊んで触れている時なんかは最高な笑顔!我が家の息子が幼稚園帰り、まだ肌寒い中裸足になって、砂場の水に入っていきました。そして、ある子が私に言いました。『あんなことして寒いよ、私はやらなーい』と。その後気になるようでしばらく見ていたので『お母さんに聞いて入ってみる?』と聞くと、『本当は少し入りたいけどダメって言われるから聞かない』と答えました。もちろん、私が他の子の泥の始末までできるわけではないので絶対強制しないし、入っているから偉いわけではないです。でも、ダメと言われるからやらないというのが私にはもったいないと思ってしまいます。
4人の育児をしていますが、全て私の考えで上手く過ごせていたわけではありません。一つだけ今でも忘れられない心に残るエピソードがあります。あれは、夏の頃。田舎に住んでいる私達は、幼稚園帰りにおたまじゃくしを見るために田んぼ道に向かいます。田んぼ道の脇には消しゴムくらいの大きさの石が沢山あります。息子は石を拾ってその石をどこまで投げられるかな?と田んぼに投げました。私はその時、何とも思わず『田んぼにポチャンと落ちて面白いね、どこまで遠くに投げられるかな』と言い石を投げた息子を止めませんでした。別の日、他のお友達と田んぼ道にいた時、お友達も田んぼに石を投げました。すると、お友達のお母さんが『こら、田んぼに石なんか投げちゃいけないよ!稲刈りする時機械に挟まったらどうするの、美味しいお米食べられないよ』と叱りました。私は思わずハッとして、息子にも同じようにやってはいけないよと伝えました。“子どもが楽しければいい”にも人の迷惑になることもあるので見守って伝えていかなければいけないなぁと思います。
我が家の子ども達は、裸足が大好きです。夏のアスファルトでも裸足になり、さすがに『熱い!』と自分でやめていました。冬も割と部屋の中も裸足で過ごすので2歳代の頃はみんな、しもやけになり皮膚科に行ったものです。裸足にも利点があって、足裏で外部の刺激を受けることができたり、土踏まずができるので運動神経がよくなったり。昔の子は年中裸足のイメージだし、遊び道具も少ない中外で石なんか投げたり、鬼ごっこをしたり。今の子は昔に比べると投げるとか飛ぶとかの基本的な運動能力も低下しているみたいです。これは、『危ないからやってはいけないよ、汚いからやってはいけないよ』の声がけも少なからず理由になっているような気がします。
幼児期まで、割とのびのび自由に育ててきました。これは小学生になると少し変わってきて、長男はもうすぐ高学年!学校終わりに私と公園にいくわけもなく、友だちとゲームをしたりサッカーをしたり。友だちとの関わりで環境も変わるので、遊びに関しては少しずつ私から離れている印象。あんなに公園が大好きだったのに、『公園に行こう』なんて言っても『えー、俺行かない』なんて言ってみたり。でも長男とは4人の中で誰よりも沢山色々経験させたので【小さい時もっと遊んであげたらよかったな】なんて思わないです。悔いなく沢山一緒に遊んで成長を見届けてきました。そんな長男、縄跳び跳び箱、鉄棒なんか体育の授業ではヒーローです!足の速さは1番ではないですが、今習い事でサッカーをしていますが、高学年の試合にも呼んでもらえたりチーム内で輝いてプレーをしています。運動神経や身のこなしがいいのも幼少期の経験が少しでも関係あるのかなと感じます。
次男も小学一年生。次男は性格的に怖がらないのでガツガツチャレンジします!もちろん体育ではヒーローで縄跳びの持久跳びなんかやると先生に『もうやめて下さい』なんて言われます。跳び箱も縄跳びもすいすいです。
三男は年中さん。なぜか高いところが苦手で、少しずつ慣れたらなと思います。でも身のこなしのよさ、体力的なものをみると今後が楽しみです。今はまだ私との危ない遊び、汚い遊び楽しみ中です。性格的にはお調子者で3人の中で1番男の子らしく感じます。
末っ子の長女、2歳ですがこちらも三男と同じく危ないこと、汚いこと継続中です。まだまだ体もしっかりしてないから尚更危なっかしいですが、高いところが大好きで兄達の真似しで遊んでいます。
私は仕事をやめて、子ども達の育児に専念しています。それは、子ども達が成長した時に【もっとこうしておけばよかった、もっと時間をとって遊ばせてあげたらよかった】と思いたくないからです。でも、私が沢山遊ばせていたから子ども達皆んなが私の思い通りに言うことを聞いて、素直で、叱ることなんてないと言ったら嘘になります。男の子らしく悪さもするし、嘘もつくし、兄弟に手を出したり。子ども達が小学生にあがったら、日常の子育てなんて上手くいかず悩んでばかりな毎日です。子どもの成長はあっという間で、知らないうちに私より友だちと遊ぶ時間も増えます。どうしても、普段育児をしていると『宿題したの?』『座って食べるんだよ』『もうゲームは終わりにしなさい』などなど生活面で注意することが増えます。時には雷かってくらい叱る時もあります。子どもも小学生になると、少し反抗的になって態度を変えたり、周りに当たったり。時には大きな声で叫んで感情を出してきます。子どもも成長していく中で私の言う通りになんか動かなくなり、そのタイミングで対立してまた落ち着いて、言われなくても自分でやるようになります。幼稚園までの間は、ただただ“ママが大好き”でいてくれます。その幼い時に子どもとの時間を沢山とって、ダメと言わないで沢山の経験をしてほしいと感じます。自然の中で、気持ちを解放させて汚れようが少し危なっかしくても、体いっぱい遊んでほしいです。そして、私が子ども達にしてきたこと、させてきたことを子ども達が将来家庭をもって、自分の子どもをもった時同じように沢山の遊びを経験させてほしいと思います。私自身も“もっと遊んであげていたら”なんて思わない子育てを現在進行形です。私が歳をとって、子ども達が私から離れた時、子ども達と遊んできた沢山の場所を1人で歩いた時、子ども達の沢山の写真を見た時私の中の思い出が一気に溢れて涙が止まらなくなるはずです。私の4人の子ども達、ママと沢山遊んでくれてありがとう。

前の記事へ

男性の育児参加。「性」ではなく「個」の時代へ

次の記事へ

のびのびとした子育てをするには

関連記事

詳しく見る