ワーキングママ 急な呼び出し

2022年3月29日

ワーキングママ

保育園の急なお呼び出し!どうやって切り抜ける?

息子の保育園の内定が決まった時、仕事復帰にむけて不安に思ったことがたくさんあります。はやく保育園に慣れてくれるかな、預ける時に泣かないかな、ミルクは飲めるかな、仕事と家事育児うまくやっていけるかな…。

たくさんある中でも特に心配だったことは、病気をした時の対応です。特に保育園1年目は免疫ができていない赤ちゃんにとって、病気をしにいくようなものと考えていましたし、学生時代の友人である先輩ママたちからも、「1年目は覚悟したほうがいいよ」という話を聞いていました。

私も主人も、ともにフルタイムで社員として働いていました。有給休暇も限りがあるものですし、お互いにいつでも休めるわけではありません。
幸い、実家が比較的近い場所にあり、前もって発熱や下痢などの体調不良で休む場合は、実母に自宅に来てもらうか、早朝に実家に連れていき子どもの面倒を見てもらうことをお願いすることになりました。

しかし、困ったことに当日の発熱の呼び出しには実母は対応できません。そして、主人の勤務地が遠方のため、呼び出し連絡は必ず母である私に連絡がくることになったのです。

たくさんの不安な思いを抱えて4月がスタートしました。保育園に入園するには、まず「慣らし保育」といって短時間からの預かり保育からスタートします。人見知りのあまりなかった息子は、預ける時に泣くこともなく、順調に保育園生活になじんでいくかと思えました。

そして2週目。そろそろ時間をのばしてみようかと、先生から言われた翌日でした。予定の時刻よりも少し早めに保育園から電話がかかってきたのです。「熱はないのだけど、目やにも多いし目が充血しています。受診したほうがいいかもしれません。」

保育園に通うようになって間もなく、さっそくのお呼び出し電話でした。まだ慣らし保育中だったため完全に仕事復帰はしていませんでした。すぐにお迎えにも行き、受診することができました。

受診の結果はアデノウイルスによる感染性結膜炎。医師の登園届が必要な感染症のため、症状が落ち着くまで登園できなくなり、せっかく慣れてきた保育園でしたが慣らし保育も途中のまま中断となりました。

さっそく恐れていたことが起きたことで、今後の病気に対する不安が高まったことは言うまでもありません。
登園届をもらい、登園した日が育休最後の日となりました。

早々に保育園の洗礼を受けた私は、急な呼び出しが怖くてたまりませんでした。息子の熱が少し高めな時や、食欲がないかもと感じると、すぐに実母に連絡をいれて保育園をお休みさせていました。5.6月と過ぎていき、あまりに頻度が高く「そこまで神経質にならなくてもいいんじゃない」と言われるほど、たびたび休みを繰り返していました。

実母からの指摘を受け、少し体調が心配でも保育園に預けるようになりました。毎回、体調が悪くなるたびに、朝早くから体調の悪い息子を実家につれていくのも楽ではありませんでしたし、自宅に来てもらうのも申し訳なく思っていたところではありました。

主人とも相談してお互いに休めそうな日は休みをとったり、午前中は私は出勤して午後からは主人は出勤するなど半休をうまくつかいながら、自分たちでも子どもの休みに対応できるように工夫できる余裕ができてきました。

なんとなく体温が高めかな?と感じて、保育園の先生には「何かあったら連絡ください」と伝えたり、職場の上司にも「子どもの熱が高めだったので、お迎えの電話がくるかもしれません」と伝えて、急な呼び出しに備えていました。

前もって伝えることで、自分自身心構えもできますし、職場でもすぐに引継ぎができるよう仕事の配分を配慮してくれていました。

不思議なもので。そのように呼び出しても帰れるように根回しをしている時は、だいたい1日元気にすごしていて笑顔で出迎えてくれるのです。「なんとか1日のりきったね」とそんな気分にさせられました。

ある日のこと。いつも通り機嫌もよく、笑顔で保育園に行った息子。体調の悪い様子もありませんでした。
昼前ごろに職場に保育園から急に電話がかかってきました。「○○くんが今、38℃超えた熱があるので、できるだけ早くお迎えをお願いします。」
え、まさか。と思わずにはいられませんでした。

数時間前は元気に手を振ってくれた息子が、発熱して食事もとれてないというのです。まさか熱が出るとも思っていませんでしたし、休みの対策もなにもしていません。主人に連絡しても、もちろんすぐ帰れませんでした。

私の仕事もすぐに帰れる状況ではありませんでしたが、上司や同僚に頭を下げ急いで保育園に向かいました。そこには熱で顔を真っ赤にした息子の姿があり、私を見るなり泣き始めたのです。

今までめったなことでは泣くことがなかった息子が泣き、よほどつらい状態なのだとすぐにわかりました。私も泣きそうな思いでしたがグッとこらえ、なんとか午前中の診療時間にかけこみ、小児科で受診しました。

症状が発熱だけでしたので、風邪の診断で解熱剤と薬を処方されました。帰宅後も熱でぐずりが続いたので解熱剤を処方したところようやく眠りにつきました。涙をためながら眠りにつく息子に、私も知らず知らず泣いていました。

ママが気づいてあげられなくてごめんね
つらい思いをさせてごめんね
そんな思いで頭はいっぱいでした。

朝は笑顔だった息子が、数時間で体調の急変。赤ちゃんの体調が悪くなる時は、本当に早いのだと身をもって感じました。

その後、たびたび発熱を繰り返したり感染症で休むこともあり、1週間に1回はかならず休んでいた息子。ようやく保育園に1週間毎日通える週が増えてきました。

連絡帳に、「最近は体力がついてきたのか、熱がでることもなく元気に保育園に通えています」と書いた日のこと。
職場に保育園から呼び出しの電話がありました。担任の先生から、それはそれはとても申し訳なさそうに。

連絡帳に同じようなことを書いたり、先生に「最近は熱をださずに通えています」というような話をすると、なぜか発熱して急なお呼び出し電話があるのです。
子どもなりに、なにか察しているのでしょうか。

だんだんと休みに対して余裕が出てきた頃には、先生とも「『保育園を休まなくなりました』って話すと、お熱だしちゃうから冗談でも言えないね」と、笑い話で話せるようになっています。

ここ数年は共働き家庭が増え、母親も同じように社員として働くことが当たり前になってきています。それに伴い、病児や病後児保育、病児専門のベビーシッターなど、社会のサービスも充実してきました。

私が住んでいる地域は、まだサービスが普及しておらず、自分たちで急なお呼び出しや病気に対応しなくてはならないいけない現状です。

急な呼び出しで、周りの目を気にしたり、仕事がたまったりと大変な時期もありました。それ以上に子どもが発熱で苦しむ姿をみるのは心が痛みました。本当に仕事を続けていいのか、何度も自分自身に問いかけました。

しかし、過ぎてみれば呼び出しの多かった時期は1~2年で終わり、免疫がついた頃には熱をだすこともなく、今ではすっかり健康優良児です。

1人目ほどではありませんが、2人目3人目も同じように、保育園1年目は発熱の連続でした。きっと子どもたちも初めての環境で、免疫をつけるために小さな体で頑張っているのだと思います。

つらい思いもしましたが、あの時仕事を辞める選択肢を選ばなくて良かったです。

 

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