一歳半検診で引っかかって悩んでいるお母さんへ

2022年3月26日

子育て

一歳半検診

いざ一歳半検診

私の住んでいる地区では一歳六ヶ月になる少し前に、市役所から一歳半検診のお知らせが届きます。
それは、一歳半検診の会場や時間帯などが記されているもので、「噂に聞いていた恐怖の一歳半検診の日が来るのだ」と、緊張が走った事を鮮明に覚えています。

一歳半検診では、保健師さんに普段の子どもの様子を伝えたり、お医者さんに体の成長を見せたり、さらには歯科健診や体重測定、簡単なテストなど様々な項目があります。

息子と同じ一歳六ヵ月の子どもたちとそのお母さんがおおよそ30人近く集まり自分の順番が来るのをまっていました。

実は一歳半検診のテストというものが非常に難しいと、事前に先輩ママから教えられていました。

指差しはしているか、言葉はいくつ話すか、保健師さんがする質問に対しての応答はどうかなど、いくつものチェック項目があるらしく、それに向けた練習なるものをみっちりしてから一歳半検診に挑んだと教えてもらっていました。

「ありのままの子どもの状態を見せればいいんじゃない?厳しいって言ったって、練習までする?」と私は内心、疑問を抱いていました。

そして、私は特に何の練習もせずに一歳半検診に向かいました。

一歳半検診当日は聞いていた通りの簡単なテストがあり、結論から言うと息子は別室に呼ばれることになりました。

「おかあさん、息子さんね、目が合わないよ。遠くにいれば少しは合うけどね、近くにいたら全然目を見ないの。」
「それと、話す言葉は『ママ』だけだよね?一歳半検診の一つの目安として、3つは話せないといけないんだ。」

と言われ私はびっくりして、保健師さんが何を言っているのか理解するのに時間がかかりました。
そして私はとっさに心の中で、初めて会う人なんだし目を合わせないなんて当たり前じゃないの?と、不安で押しつぶされそうな心を自分自身で必死に守っていました。

普段、息子と目が合わないと思った事はありませんでした。言葉はそのうち出てくるだろうと思っていましたし、意思疎通もできていたので、保健師さんが言っている事に素直に耳を傾ける事が出来ませんでした。

しかし、心のどこかで自分の中にあった息子に対する不安な部分と、保健師さんに指摘された部分が繋がった気がしたのです。

というのも、息子は何度呼んでも振り向かないことがありました。
呼んでも振り向かないので、目の前まで行って呼ぶこともあったのです。

他にも、車のおもちゃについているタイヤをずっと回して遊ぶことが多くありました。

子どもってこんな感じなの?と不思議に思いながらも、義理母から聞かされていた私の夫の子どもの頃と似ている箇所が多く、個性なのだと思って大して気にはしていませんでした。

しかし、そのなんとなく心に引っかかっていた部分を保健師さんに指摘されているように思いました。

そして、保健師さんからことばの教室に通うように促されました。

ことばの教室

ことばの教室とは、各市町村で実施されているもので、一歳半検診で観察が必要と判断された子どもや、発達に悩みを抱えた子どもが通う教室です。

一歳半検診が終わってからことばの教室が始まるまでは、一ヶ月程ありました。

私はその一ヶ月間、毎日毎日ネットで検索する日々が続きました。
ありとあらゆる書き込みを読んで一喜一憂。

「一歳半検診 ひっかかった」
「一歳半検診 目が合わない」
「一歳半検診 ことばの数」

などキーワードを何度も何度も打ち込んで、寝る間も惜しんで調べ続けました。

調べるほど深みにはまり、もしかしたらもしかしたらと悪い方ばかりに考えが進み、心が不安定になり、無邪気に遊ぶ息子の前で涙することもありました。

今いるこの世界は現実なのか、夢なのかもよく分からなくなる程に、悪く考えすぎて憔悴していた自分がいました。

夫に相談しても考えすぎだと言われ、親に相談すると不安を煽られ、仲の良い友達には気を使われ、徐々に不安を一人で抱え込んでいきました。

一歳半検診から一ヶ月程が経ち、ついにことばの教室に行く日が来ました。

ことばの教室では一週間に一回、約1時間の中で様々な遊びを行い、最後に保健師さんと話の時間が設けられています。

遊びといっても発達支援に関する資格を持った方が考えてくれているので、遊びの中で脳に刺激を与え発達を促していくのです。

息子は楽しそうに遊んでいました。
息子を合わせて全部で10名くらいの子どもと、子ども2人に対して1人~2人くらいの割合で保健師さんがおり、1時間いっぱい子どもの様子をチェックします。

楽しそうにしている息子を見ながらも、他の子どもと息子を比べてしまい「あの子より出来ている」「あの子より出来ていない」とそこでも考えすぎて心がパンクしそうになっていました。

何度か通っているうちにお母さんたちとも仲良くなり話をすることが増えました。
当時は、同じような境遇のお母さんたちと話をすることが心の支えになっており、ことばの教室に通うのが楽しみになっていました。

ことばの教室には6ヵ月ほど通いました。
その6ヵ月の中で目が合わないのも気にならない程度だという事や、息子の言葉の数が増えてきたという事で卒業となりました。

今日で卒業ですと言われた時には安堵で涙が出ました。

一歳半検診に行ってから、ことばの教室を卒業するまで、私の人生の中で一番長く感じ、不安になり涙し、精神的に参っていた、そんな暗くて長い時間でした。

脳の発育に大切なこと

ことばの教室に通っている中で、保健師さんたちからケータイやテレビは極力させない事を強く言われました。

ケータイやテレビを見ている時間は脳が何も働いていないそうで、幼児期にはいい影響を与えないのです。そして極力毎日外に出て刺激を与えることを勧められました。

私は反省しました。
自分の時間が欲しい時によく息子にテレビを見せていたからです。
息子はテレビが好きでテレビをつけると何十分でも平気で見続けていました。

それから私は息子を毎日外へ連れ出しました。

あまり歩かなくて抱っこ抱っことせがむ息子を何とか歩かせながら、虫や花や空や雲などありとあらゆものを見せ、水たまりでびしょ濡れになって遊び、泥んこになってあそび、息子の興味のままに何時間も遊びました。

公園でピクニックもしました。
毎日毎日たくさん散歩をして虫を探して、それが私たちの日課になり少しずつ暗い気持ちが晴れていきました。

それが良かったのかはわかりませんが、息子はどんどん言葉を覚えました。

一歳半検診で『ママ』だけだったのが、2歳を過ぎたころから爆発的に増え、二語文三語文が出始めたと思っているうちに一気に文章で話だして周りをビックリさせる程でした。

7歳になった息子

現在息子は1年生になりました。

学校では仲良しの友達も沢山出来ました。
毎日友達と自転車に乗っていろいろな公園に行き遊びまわっています。

そして、そろばんが得意です。
先生にも褒められるほど優秀だそうで、先生に褒められたと本人が得意げに話してくれます。

弟が生まれ、面倒見のいいお兄ちゃんになりました。

当時の私の不安は何だったのかと思えるほどに、優しくて賢くてユーモアがあってたくましい子どもに成長しました。

今でも呼ぶと振り返らないことがしょっちゅうあります。
しかしそれが息子の興味のある話だと一瞬で振り向くのです。

なんですぐ返事しないの?と聞くと、無視してると言われ大笑いしました。

そして、回るものが今でも好きです。
ハンドスピナーが流行った時には目をキラキラさせて眺めていました。

当時私が不安に思って考えすぎていたのは息子の個性だったのだと今では思います。

なんで車のタイヤを回すんだろう、なんで振り向かないんだろう、目が合わないってなんでだろう、もしかしてもしかしてと涙しながら必死にケータイで検索していたあの日々に戻れるのなら、『大丈夫だから。心配しないで。泣かないで。ケータイを置いて、笑って息子と過ごしてほしい』という事を伝えたいです。

いま不安な人へ

子どもを育てるってすごく大変なことですよね。
正解がない分、少しでも周りと違う部分があると悩んだりもします。

私は息子を育てるうえで本当に沢山の悩みがありました。

でもそれは間違っていて、歩きはじめるのが遅かったけど、歩いています。
話し出すのも遅かったけど、話しています。
呼んでも振り向きにくいけど、振り向いているのです。

息子の苦手な部分に目を向けすぎていました。
もっと得意で素敵な部分に目を向けるべきでした。

悩んで悩んで暗い時間を過ごしていた自分みたいな人をもう、一人も出したくないのです。

悩む気持ちは痛いほどにわかります。

今すぐに悩んでいる方のもとへ飛んで行って話を聞いてあげたいです。

でも、経験上悩んだからと言って未来は何も変わりません。

悩む時間があるのなら、一緒に笑って、一緒に遊んで楽しい時間を過ごした方が何十倍もいいです。

もし解決できない悩みがあるのなら、ケータイで検索するよりも専門家の意見を仰いだ方がお子さんの為でもありお母さんの為でもあります。
市町村に設置されている相談窓口がありますから相談してみてください。
しかるべき処置をとってくださいますし、保健師さんはみんな知識もあり、優しく支えになってくれる人ばかりです。

一人で悩むのはお終いです。
大丈夫です。
なるようにしかならないのです。
顔を上げて深呼吸して、お子さんとのかけがえのない時間を過ごしましょう。

ことばの教室とショックだった出来ごと

悲しくなった事

一歳半検診で引っ掛かり、市で行われていることばの教室に通うことになった息子。
1歳8カ月を迎えたころに初めてそちらへ行きました。

何をするんだろう?
誰がいるんだろう?
何を言われるんだろう?
いつ終わるんだろう?
様々な疑問と少しの恐怖を抱え到着した、おおよそ学校のひとクラスくらいの広さがあるそこには、総勢10名前後の子どもたちとその保護者の方、そして保健師さんが大勢いました。

笑顔で出迎えてくれた保健師さんたち、名札をもらったり服をかける場所を教えていただいたり、始まるまでの間しばし保健師さんとお話がありました。
ことばの教室に来ることになった経緯については保健師さんたちで共有しているらしく、息子の言葉の数が少ないことや、目が合わないことをもう一度確認していました。

いざ始まると、幼稚園に来ているかのような楽しい雰囲気でリズム体操をみんなで踊ったり競争をしたり動物の真似をしたり小さなパズルのようなもので遊んだり、さらにはお菓子の時間も設けられていました。

息子は終始楽しくしており、笑顔でいました。

しかし私は非常に驚き悲しい気持ちになった事がありました。

競争や動物の真似をしたポーズでスタートからゴールを目指す遊びが始まった時に、保健師さんの一人がゴールにある壁をバンバンバンバンと強くたたき「ここ!ここがゴール!こーこ!」と言いました。

今考えるとおそらく、ゴールがそこであることやゴールまで走ることを意識させるためにやったことだと思うのですが、当時の私には非常にショックな光景で息子も驚いていました。
そんなに強い力で壁を叩いたら子どもたちが悲しくなるのではないかと思うほどにそれは強く壁を叩き、大きな声でした。

さらに、パズルで遊ぶ時間になった時に先ほどの保健師さんが来て、「ちょうだい!ぱずるちょうだい!」と片方の手のひらともう片方の手の甲をパチンパチンと鳴らすジェスチャーをしながら大きな声で息子にいいました。
息子は集中すると周りの声が聞こえなくなるので、保健師さんの声をスルーしてパズルで遊び続けていました。
すると息子がパズルを渡すまで何度も何度もちょうだいのジェスチャーをして大声で「ちょうだい!ぱずるちょうだい!」と言い続け、息子が渡すまで続きました。

親が手を貸したりサポートする事は禁止されており、ただただ見ていることしかできず、しかしその光景がなんだかつらく悲しく、もっと優しく言ってくれればいいのにと、当時の私には追い打ちをかける程ショックな出来事になりました。

その保健師さんなりの考えがあるのは重々承知なのですが、今思い返しても複雑な気分になるほど、怒っているような大きな声を覚えています。

母の言葉

私の母は非常に厳しい人で私の結婚出産に関して賛成や歓迎はなく、しょうがなく受け入れたという感じでおり、息子に対してもどう接していいのかわからずにいるような人でした。

そんな母に、一歳半検診での出来事を話し相談したことがありました。

すると母はすぐに息子のことを「発達障害だわ。」と言いました。

私の中で、もしかしたら息子は発達障害なのかもしれないという可能性を少しも感じていなかったわけではないですが、突然の母の言葉にショックを受けました。

自分勝手ではありますが私は心のどこかで今感じている自分の不安に対して共感してほしいと思っていたのかもしれません。しかしその真逆のような言葉が私に鋭く突き刺さり、涙があふれ、心臓が締め付けられるような気持になりました。

さらに息子がことばの教室で習ってやっと覚えた、「ちょうだいのジェスチャー」に対しても嫌悪感を示していました。

私がショックだったことは、自分の気持ちに共感してくれなかったことよりも、もしも息子が発達障害だった場合に母は受け入れてくれないかもしれないと感じた事でした。

考えすぎていた日々と後悔

私は性格上神経質なこともあり、今回の一連の出来事で深く落ち込んでいました。
しかし息子に対してできるだけのことはしていかないといけないと思い、言葉がたくさん出る様に毎日のように外へ行きたくさんのことを教えました。

さらに自分だけではできることにも限りがあると感じ、近くの幼稚園の親子レクに参加することにしました。

幼稚園の親子レクには10組の親子が参加しており、週に1回1時間半の間たくさんのことをしました。
色々な親子がおり、同い年でもすでに「ぼく〇〇」と自分の名前を話せる子がおり驚きました。

当時私は、息子の話す言葉が少ないと周りに指摘されるのではないか、目が合わないと思われるのではないかと余計な心配ばかりしていました。ですからことばの教室に通っていることや一歳半検診で引っかかったことは内緒にし続けていました。

1年間幼稚園の親子レクに通い、息子もかなり言葉が増えていきました。3月の幼稚園の親子レク卒業の日に先生へ向けてお母さんたちから一言ずつ話す場面が設けられました。

そこで私は初めて、実は幼稚園の親子レクに通い始めたのは一歳半検診で引っかかったことで悩んでおり、息子に刺激を与えるために参加したことを言いました。

すると驚くことに、担任の先生の娘さんも過去に1歳半検診で引っかかった経験があり、ことばの教室に通っていたのだと教えてくださいました。

私はもっと早くこの担任の先生に相談できていればよかったと後悔しました。
幼稚園の親子レクの間一人で抱え苦しんでいたことを、こんなに近くにいる人が経験者であったこと、そして担任の先生からももっと早く話して欲しかったと涙ながらに伝えてくださいました。

未熟さと経験の少なさ

なぜ私がこれほどまでに悩みすぎ考えすぎていたのか。
それは圧倒的な経験値不足です。

私が息子を出産したのは23歳でした。
周りに出産経験者がほぼいない状態で頼れる人もおらず、夫も仕事で忙しかったので一人で育ててきました。
一人で育ててしまっていたから偏った考え方になってしまい溜め込む一方で吐き出せもせず迷い続けていたのだと思います。

現在息子を出産してから7年たちますが、今もし当時と同じ状況になっても悩みません。

なぜならば、この7年間で様々な人との触れ合いがあり何人もの子どもを見てきていますし、子育ての経験も積んできました。
当時の一歳半で話せないのは息子だけだと感じていたのが何だったのかというように、色々な個性を持った子どもがたくさんいます。

今ならそれを知っているから一歳半検診で引っかかったとしても、不安になったりせずに現状と向き合い自分で消化できますし、例えば誰かに気になることや嫌なことを言われても気にしない様に過ごすことができます。

つまり、当時の私がなぜそこまで悩みすぎていたのかというと経験値不足だったのです。

わからないから一人でネット検索し、深みにはまり、辛くなっていました。

辛くなって深みにはまる前に誰にでも相談してみる事が大切です。
それが誰だっていいのです。
知り合いよりも意外と第三者くらいの人の方が悩みを話しやすかったりするので、児童センターに出向いて保育士さんに聞いてもらうのもいいですし、遊びに来ているママに聞いてもらってもいいです。

もしくは電話相談センターのようなところもあります。
匿名で電話が掛けられますし、親身になって聞いてくれますよ。
誰かに話し共感してもらうことは、悩んでいるお母さんにとって非常に大切なことです。
私も当時ネットで必死になって同じ境遇の方を探し続けていました。

大丈夫ですよ!
子育ては本当に人それぞれですから、育児書通りには進みません。
息子は雑よく誌に載っている様な、〇〇ヵ月は寝返りとか、〇〇ヵ月はつかまり立ちとかそういったものには全て当てはまらず、その1か月後ろをついていく感じでした。

2人目の息子は雑誌よりも全部1ヵ月先を行くような子どもでしたし、2人ともそれが性格に出ています。
ですから、子育てに正解は無いというとよく聞くような言葉になりますが本当にその通りで、悩みは尽きないものですが過剰に考えすぎてしまうと辛くなるだけです。

ことばでいうのは非常に簡単で、当時悩んでいる私に同じことを聞かせて、ああそうですかとすぐに前を向いていたかと考えると、それは非常に難しいかもしれません。

でも、こういった先輩ママの経験談のような情報が世の中にたくさんあればそこまで悩まなかったとは思います。

私は義母が良く言っていた「息子(私の夫)の小さい頃とそっくり!歩くのも話すのも遅かったけどすぐ話すようになるよ。話し始めたらうるさいよー!」という言葉に何度も救われました。

私の記事が悩んでいる誰かの救いになれたらいいなと思います。

ネットサーフィンと涙する毎日

ネット検索とその正確性

私のネットサーフィンが始まったのは一歳半検診があったその日からでした。
保健師さんから言われずっと引っかかっていた言葉「息子さんと目が合わないよ」。
一歳半検診の会場を出て車に乗り込みすぐに調べ始めました。
何を検索したのか正確には覚えていませんが、心臓が高鳴って手が震えていたのを覚えています。

それから毎日、暇さえあればネット検索。
検索した言葉を見て落ち込んだり明るくなったり、また落ち込んだりの日々でした。
検索していた内容は主に同じ境遇の人がいないか。
一歳半検診で引っかかったお子さんは今どう過ごしているのか。

何度も何度も検索して、少しずつ検索ワードを変えて、ほんの少しでも似たような人の記事があると食い入るように見ていました。

しかしどれだけ毎日検索していても、同じような境遇の人はほとんどいませんでした。
全くいないわけではないのですが、引っかかりましたという人がその後記事を更新していなかったり、引っかかったけれど2歳頃また連絡しますという過程を通過し、2歳で電話が来てそれでおしまいだった人など。

私が知りたい情報がほとんどなく、ほんの少しいる同じ境遇の人の何年も前の記事や情報をすがるような思いで何度も見ていました。

毎日毎日検索し続け、正確かどうかわからない情報を真に受けて悲観し泣き、苦しい日々を過ごしていました。
そして当時の私は正確な情報を選ぶ力がありませんでした。

近年ではたくさんの情報が溢れています。
そんな中で、きちんとした情報を選んでいくことが私たちには必要です。
間違った情報を信じ振り回されないことが非常に大切です。

私はありとあらゆる情報を検索し振り回されていた一人です。
一歳半検診 目が合わない
と検索しただけで本当に様々な情報を見ることができます。
しかしその検索結果全てが正確な情報とは限りません。

私はあらゆる検索の結果、息子は自閉症を疑われているのかもしれないと思うようになりました。保健師さんから指摘された息子の行動のほとんどが自閉症の方の幼少期にみられる行動と一致する部分があったからです。
「息子は自閉所を疑われているのだな」と勝手に思い込み始めました。

息子が自閉症だと誰にもいわれていないのにネットの情報を自分なりに解釈し、一歳半検診で再検査になった子が結局は自閉症であったという記事ばかりに目が行くようになりどんどん息子の将来への不安が増していくのでした。

こうして一人でネット検索した情報を勘違いして先走ってうのみにして、一人で完結して悩んで負のスパイラルに陥っていましたが、しかし実際はただの勘違いでした。

ネットはいまや私たちには欠かせない物となっていますが、使い方を間違えればとんでもないことになります。
どんな情報が目に入ってもそれが正しい情報とは限らないという事。
そしてネットの情報をうのみにしてはいけない。
当時の私にはそれができていませんでした。

人に頼ることの大切さ

一歳半検診で再検査になりことばの教室に通うようになった私にはとにかく情報がありませんでした。
周りに子どもを産んでいる人もほとんどいませんでしたし、他に相談したり頼れるような人もいませんでした。

ですからネットで検索して情報を得るしかなかったのです。

元々引っ込み思案な私には、近所にママ友がいるわけでもありませんでしたし、児童館の先生たちに気さくに話しかけられても人見知りしてしまい相談もできませんでした。
なにせ息子が特別な目で見られるのではないかと思い必要以上に周りと関わらない様にしていました。
ことばの教室の中には経験豊富な保健師さんたちもたくさんいるのに、なぜだか悩みを相談することはできませんでした。

実際に一歳半検診で再検査になった人がその後どうなったのか、ことばの教室はいつ卒業できるのか、同じような人はいるのか。少しでも知ることができれば自分の気持ちは楽になるのに性格上聞くことができずにいました。

しかし、ことばの教室で出会ったお母さんが非常に明るい人で、深い話はしないものの「幼稚園きめた?」とか「兄弟いるの?」などごく当たり前な話をしてくれただけで嬉しかったことを覚えています。

私が気にしすぎて周りの人から息子が特別な目で見られているような気がして不安でたまらなかった時に、普通に接してくれたことでそのお母さんと話をする時間が楽しい時間になっていきました。
何回か会ううちに思い切って「ことばの教室はいつ卒業になるかわかりますか?」ときいてみると、「わかんないけど家にいてもやる事ないから、ここにきて遊ばせてもらってるのすごい助かってる」と笑って言いました。

私はすごく驚きました。
そんな考えになった事が無かった私には本当に前向きな言葉で、衝撃的でした。

そしてそのお母さんの楽観的な考え方に本当に救われました。

一人で考えていると、どうしても考え方が一つの方向にしか行かず偏ってしまう傾向にありますが、誰かを頼ってみたり人の意見を聞いてみたりすることで違う世界が見えて思わぬ方向に解決策が見えてきたるするものなのだと感じました。

息子の成長過程

息子は幼いころから私以外にはほとんど懐かない子でした。
ですので、家族や親せきの家に連れて行ってもほとんど私の所にいて、おトイレやご飯、遊ぶのも私と一緒にしたがりました。

遊びの中では車や新幹線が好きでした。
車のおもちゃのタイヤをずっと回して遊んでました。
乗るタイプの車のおもちゃも、乗って遊ぶのではなくひっくり返してひたすらタイヤを回していました。

クレーン現象といわれる行動もいつもやっていました。

実際の電車を見るのも大好きで、よく近くの線路まで電車を見に行っていましたが息子は大きい音が苦手で、耳をふさぎながら電車をみていました。
ディズニーランドに遊びに行った時にも、アトラクションの大きい音が苦手でずっと耳をふさぎ、さらに私の手も使い二重で耳をふさいでいました。

歩き始めは1歳3カ月頃で、歩き始めてからはよくつま先歩きで歩いていました。
テーブルの周りをぐるぐる走って遊ぶことも好きでした。

母子手帳を見返すと、1歳のページに「バイバイなどの身振りはしますか」という項目にいいえがついていました。
そして1歳6ヵ月の「意味のある言葉を話しますか」という項目にもいいえがついていました。

さらに息子は、外で歩くことを非常に嫌がりいつも抱っこで行動していました。
手が汚れたり服が汚れたりすることもあまり好きではないようでした。

初めての育児という事もあり、少しでも母子手帳にいいえがついたり、育児雑誌の成長過程と少しでもズレていると不安になりました。
さらに1歳半検診で指摘されてからネット検索をするようになると、息子の行動は発達障害の子どもが行う行動だという情報がたくさんありました。

結局一歳半検診で再検査の結果ことばの教室に通うようになり2歳過ぎにことばの教室を卒業し、その後は幼稚園に入園。
3歳児検診は問題なく終了し、そして現在7歳になりましたが現段階まで発達障害という診断は一切ありません。

学校で何か問題行動があるかといえばそれもありません。

ですから子どもがどんな行動をとったからと言って一概にそれが発達障害だとかそうではないとかはわからないのです。
もしかするとこれから先息子が何かしらの診断がされるかもしれません。
しかしそれはそのときになってから息子にとっての最善策を考えてあげられればいいのです。

ネットにはたくさんの情報が溢れています。
悩んでいるお母さんの投稿も多く見かけます。

そのお子さんが将来的にどういう風に成長するのか、非常に悩む部分ではありますが私の経験上将来の不安を考えてもどうにもなりません。

息子のように、幼いころに発達障害を疑われる行動が多数あっても、イコール発達障害に結び付けることができるわけでありませんし、逆も同じで、一歳半検診で特に問題が無くてもその後に診断されるケースもあります。

大切な子どもがもしかしたら何かあるかもしれないと思っても、深く考える必要はないことを私は学びました。

6年経って思うこと

6年6ヵ月経った息子

一歳半検診から6年と6ヵ月余りがたちました。
息子はすくすくとたくましく成長し、最近では格好つけて自分を「おれ」と呼ぶようになました。
お友達とオンラインのゲームを楽しみにするようになり、学校の給食を1番目に食べ終わったか2番目に食べ終わったかを競う負けず嫌いになり、毎日宿題を欠かさずにするしっかり者になりました。弟と喧嘩をしたり仲良く遊んだり楽しく毎日を過ごすかっこいい1年生になりました。
親バカですが本当に優しく賢く育ったと思っています。

学校でのトラブルが全くないわけではありません。
でもお友達と謝られたり謝ったりを繰り返して楽しく学校生活を送っています。

当時一歳半検診で引っかかり、毎日泣いて過ごしていた私が悲観していた未来とは全く異なった未来がやってきました。
私は毎日のように、「息子が将来こうなったらどうしよう」「息子はどうなるのかな」とマイナスのことばかり考えていました。
自分ばかりどうして悲しいことが起こるんだ、なぜ他の子たちは何もなく過ごしているんだ、あの子なんかすぐお友達に手が出ているし、あの子は親の話を全然聞いていないのに、なんで私だけ?なんで息子だけ?私たちはどうなっていくの?どんな生活を送ることになるの?学校は?

どんどん不安な未来を想像して悲しくなっていたのですが、はっきり言ってそれは全くもって見当はずれでした。
未来を当てる事なんてできません。そんなの当たり前ですよね。
悲観して想像していた時間は無駄でした。

息子の行動をネットで調べて不安になっていましたが、それが発達障害の子どもの特性だったというわけではなく、息子の性格的なものだったのだと思います。
そして今でも息子の個性として残っている部分がたくさんあります。

例えば息子はおもちゃの車のタイヤをよく回していました。
ジーっと見つめ、何十分でもずっと回して観察していました。

時が立って息子はピタゴラスイッチのようなカラクリが大好きになりました。
ボールがどんどん落ちていき、さまざまな仕掛けを通り過ぎる様子を食い入るように見ています。
そのまなざしは幼い頃に回ったタイヤを見ていた目そのもので、興味を持って考えている目をしています。
ピタゴラスイッチを真剣にみる息子が突然「わかった!どういう仕掛けになっているかわかった!!」と、大きい声でいい、大人でも理解に困る仕掛けを、自分なりに解読して説明してくれるのです。
それは我が息子ながらに「さすがだな」と思うものです。

もしかすると幼い頃にひたすらタイヤを回していた時も同じように「これどうなっているのかな?」と真剣に考えていたのかもしれません。
それなのに私は、誰かに変な目で見られたら嫌だと思い、おもちゃの車をこっそり隠して遊ばない様にしてしまったことがありました。
子どもが変な目で見られない様にと言いつつ、自分の為に行動していた自分が恥ずかしくて思い出したくもない程です。

そして息子にはこだわりが強い部分がありました。
例えば、公園に行っても手や服が汚れるのを異常に嫌がっていました。
これは今考えると息子の性格で、今でもきれい好きな一面があります。

片付けや掃除が得意というわけではなくて、手洗いをしたり服をきれいに保ったり身なりをきれいにすることが好きです。

小学校から帰ってくると私が何も言わなくても手洗いをきちんとします。
汚い話ですが、トイレに行って大便をしてもきれいになるまで何度も拭いています。笑

そのように、自分の体が汚れることがあまり好きではないようで、幼い頃の行動を考えるとあれは性格だったんだなあと今になって理解することができます。

砂場で汚れるのを嫌がる息子のそばで、大胆に汚れながら遊んでいる他の子を見て、どうしてこんな風に遊べないんだろうと考えたこともありました。

全ては息子の個性ですし、「普通の子ども」は存在しません。
どの子どもも色々な個性を持って生まれ、色々な性格があります。
大人の考える「普通」という感覚に子どもを当てはめるのは絶対にいけない事です。
育児書も育児雑誌も参考程度で考えなくてはいけないのです。

大人が考える「普通」子どもを当てはめて個性を殺してしまうのではなく、その子ども一人一人が一人の人間なのですから尊重してあげることができたらいいですよね。

6年6ヵ月経った私

私は6年6カ月たって自分自身が成長したと胸を張って言えます。
世の中にはたくさんの子どもがいてそれぞれ個性があることを理解することができる様になりました。

未熟だったころの私は、子どもは大好きでしたが子育て未経験という事もあり子連れの方々に理解を示すことができていませんでした。
例えばスーパーで泣いている子や走っている子を見ると、「親のしつけが悪いんだな。」と思っていました。
そんな考えがあった私が息子を産んで、息子がスーパーで泣くと、親のしつけが悪いと思われるのではないかと周りの目を気にしていました。

そんなこじれた考えをもっていた私が、子どもにはそれぞれの個性があり色々な子どもがいるのだと気づくことができ考え方を変えることができたのはまぎれもなく息子のおかげです。

周りの目が気になってしまうお母さんも少なくはないと思うのですが、そんなお母さんに言いたいことは、スーパーで子どもが泣いてしまったときに嫌に思う人には思わせておけばいいし、そんなこと考える人は圧倒的に少ないという事です。
私の経験上、ほとんどの人が優しい気持ちで接してくれます。
通りすがりのお母さんやおばあちゃんおじいちゃん、おじさんたちに何度も何度も優しい言葉をかけてもらいました。
周りの人との関りが減ってきている現代でも、優しい言葉がけをしてくれる人はたくさんいました。
「元気だね」「お菓子たべたいんだね」「おかあさん大変だね」「がんばってるね」とたくさんの優しい言葉をもらったり、私がお会計をしたくても息子の癇癪に困って動けないでいるときには、近くにいた女性の方が「みててあげるから行ってきな!」と、泣いている息子を抱っこしていてくれました。
実際に声に出さなくても微笑んでくれる人もいました。

息子の声が大きすぎてみんなに迷惑をかけているのではないかと肩身が狭くなっている私に、本当に優しい言葉をたくさんかけてくれる人が大勢いました。
その言葉で何度も救われ、凝り固まっていた自分の考えがどんどん変わっていきました。

今の私はもしスーパーなどで泣いている子どもがいても昔の自分が思っていたように「親のしつけがわるいんだな」なんてことは一ミリも考えません。

「わかるよお母さん、大変だよね」と、心でエールを送っています。

世の中は優しい人で溢れています。
周りの目が気になる気持ちは痛いほどわかります。
子どもが泣きはじめると、周りに迷惑がかかるのではないかとすごく焦りますよね。
しかし、気にしなくても案外大丈夫だという事を心にとめておいてほしいです。

さいごに

私は息子が一歳半検診でひっかかり、非常暗く悲しい日々を過ごしました。
それは自分の知識の無さがほとんどで、もっと知っていることが多ければ悲しむ必要が無かったのだと思います。
そして同じような経験をした人の経験談や共感をずっと欲していました。

一歳半検診で引っかかって悩んでいるお母さんやお父さんに私の経験を共有して、少しでも悲しい思いをする人が減ったらいいと考えこの記事を書き始めました。

そして、一歳半検診で引っかかった方の中には再検査やことばの教室、さらには保健師さんに対して嫌悪感を示す人が少数ですがいるのも事実です。
当時の私もその一人でした。

しかし、国や市が保健師さんに依頼してやっていくれている一歳半検診や再検査、ことばの教室などは全て子どもたちの為なのです。万が一子どもたちに発達障害や自閉症などがあった場合に少しでも早く兆候を見つけ早期に療育に繋げることが目的であり、私の息子のように結果的に何もなかったとしても少しでも気になる点があった場合に見落とすことが無いように真剣に子どもたちを見てくれています。
それは本当感謝すべきことなのです。

私は一歳半検診で引っかからなければ気が付かなかったことがたくさんあります。
ですから今ではすべてに感謝していますし、もし一歳半検診で引っかかっていなければ未だに子育てに関して未熟な部分が多く、子どもの為になることを積極的に行えていなかったかもしれません。

子育ては楽しい反面とても難しいです。
一つの命を育てて、社会に出してあげる責任があります。

しかしそんな難しいことを一人で背負う必要はありません。

夫、親、友達、保健師さん、幼稚園や保育園の先生、近所の人。
あなたの周りにはたくさんの人がいますから、相談して頼って気楽に考えて悩みを減らしていってくださいね。

どんな道を進むことになったとしても、今悩むことは何もありません。
未来を悲観しても当たりません。
そんな暗い時間を過ごすよりも、子どもの為になる楽しいことをしていきませんか。

ぜひプラス思考で一緒に人生楽しく過ごしていきましょう。

前の記事へ

タイでのコロナ時期の子育て

次の記事へ

育休復帰の体験談

関連記事

詳しく見る