2022年4月6日
子育て
私たち夫婦は再婚同士で、当時私が35歳、夫が39歳という年齢でした。
私には出産した経験がありましたが、再婚にあたって夫が子どもを持ちたい気持ちはわかっていました。前の夫と離婚する前、ストレスからか「若年性更年期障害」になってしまい、ピルを服用していました。「若年性更年期障害」とは文字通り更年期が平均的な年齢より早くきているとうことで、私の場合はおおよそ10年以上早く症状が出てしまっていました。早くに更年期障害になると「骨粗しょう症」やその他の病気になるリスクが上がってしまう為、ホルモン投薬することが多いようです。私は妊娠を望んでいなかったのでピルを服用することになっていました。ピルを服用するということは排卵が起きないので妊娠することはほぼありません。私は生理不順から更年期がわかった訳ではなく、生理はだいたい30~40日で来ていました。妊娠を望んでいない、生理不順でもない私がなぜ「若年性更年期障害」とわかたのかというと、生理の量でした。健康な女性は大体5日~7日。1~3日目が最も量が多くなるのですが、私の場合3日ほどで終わってしまう月と10日くらいダラダラ続く月があったので、心配になり子宮がん検査を受けた際に聞いてみたらホルモン値検査をしようということになりわかったという流れです。
夫の子どもを持ちたい気持ちがわかっていたので、産婦人科の先生に相談し、ピルの服用を辞めました。ピルを服用し、卵巣を休めることで服用をやめた後にホルモン状態が正常になることもあるそうで、しばらく自然に任せることにしました。
今まで4回妊娠・出産したので、心のどこかで「すぐ妊娠するだろう」と思っていました。
しかしその考えは甘く、私の「妊活生活」が始まったのです。
まず、基礎体温を付けて排卵日付近にタイミングを取っていきましたが、なかなか妊娠に至らず。年齢のこともあり焦りは増えていきました。
次に「排卵検査薬」を使ってみることにしました。「排卵検査薬」とは、排卵日付近になると尿中に混じる排卵を知らせるホルモンに反応するものです。生理が終わってから何本も使うので、安い海外製の「排卵検査薬」をネットで購入していました。しかし、妊娠には至りませんでした。
結婚する前の年に、私は卵巣を1つ切除していました。「卵巣嚢腫」があった私は「卵巣捻転」を起こしてしまったのです。通常卵巣は親指の先ほどの大きさなのですが、それが腫れてしまい、6cmを超えると捻じれやすくなります。本当に些細なきっかけで捻じれるそうで、私の場合しゃがんだ状態から立ち上がった時に捻じれ始めたようでした。それはそれは強烈な痛みでした。救急車で運ばれ、緊急手術で切除になりました。幸い良性で、手術した先生は「今後の妊娠には影響はない」っと言っていました。しかし、産婦人科の担当の先生は「本来2つあるものが1つしかないのだから影響はあると思う。医学的にホルモンは足りる程出るが、年齢やストレスなどから2つあるより1つの方が影響は出やすいと考える医師が多い」っとも言っていました。
「若年性更年期障害」「卵巣が1つしかない」「年齢」このトリプルパンチで容易に妊娠するわけがなかったのです。もっと他に原因があるかもしれませんし、たまたまなのかもしれません。しかし、その3つは確実に妊娠への道を険しくしているのは明確でした。
こうして医学の力を借りようということになったのです。
まさか自分が不妊治療をするなどと思ってもいませんでした。しかし一向に妊娠に至らず、年齢的にもリミットがある女性側としては、焦りが出てきます。
こればっかりは自分でどうにか出来ることではないと腹をくくりました。
まず初めに「排卵誘発剤」を使い、きちんと排卵をさせ、その後高温期に黄体ホルモンを補充するという、最初にする治療から始め、同時に卵管が詰まっていないか検査をしたり、不妊になる原因がないか一通り検査をしました。検査の結果はこれという原因は見つからず、やはりこの時期にこういうホルモンがこれだけ必要という状況を作り出せていないことが大きな原因ではということになりました。
生理5日目から排卵誘発剤を服用し、生理11目くらいから卵胞の大きさを見るためにエコーに通い、指示のもとタイミングを取り、きちんと排卵するように注射を打ち、きちんと排卵したかどうかをエコーで確認しまた注射を打つ。そこから黄体ホルモンの投薬を始める。1ヵ月で最低でも5回は病院に行かなければいけません。仕事をしながら通うのは正直大変でした。排卵は待ってはくれませんし、仕事も私の排卵に合わせてくれる訳ではありません。最初の治療でも妊娠には至らず、どんどん気持ちが沈んでいきました。そしてステップアップと言って、更に踏み込んだ治療、人工受精を試すことにしました。流れ的には最初の治療とあまり変わりはないのですが、指定された日に夫の精子を採取し持っていかなければいけないのですが、夫次第になってしまうのでなかなか採取できない月もあり、妊娠に至らない月が更に続きました。年齢のこともあり、体外受精まで踏み込むことも夫婦で考えましたが、夫も再婚で養育費があり、経済的に余裕もなくただひたすら人工受精か普通にタイミングを取るだけの日々を過ごしました。
妊活を始めて何十回目かの生理が来た日、何故か初めて「妊活を休もう」っと思ったのです。妊活は始めてしまうと出口は「妊娠」もしくは本当に感じる「諦め」しかありません。どんなに頑張って、辛くても、それが実る保証はどこにもなく、生理が来るたびに夫に申し訳なく思い、自分が不甲斐なく、女性として生まれたら当たり前のことが出来ない辛さを何度も感じなければいけないのです。更に、排卵付近ではタイミングを取って「もらう」為に、言葉などにも気を付け、気を遣う…二人が望んでいるはずの子どもなのに一人で頑張っている気持ちになり…ホルモン投薬の副作用などで夫に当たることも増える。こんなこと誰も望んでいない、ただ子どもが欲しいだけなのに…妊婦さんを見ることも、妊娠報告を心からおめでとうと思えないことも自己嫌悪でした。でもやめることも、1年に多くて12回しかない排卵回数を考えると、休む選択もできないのです。まさにお手上げ状態です。
しかし、その日初めて「休む」決断が出来たのです。1回妊活から離れて楽しいことをして、夫のぬくもりを感じたいときに感じて、沢山笑える1ヵ月にしよう。それからのことはまたその時考えようと。そして私は基礎体温を含め、全ての妊活を休むことにしました。
次はいつ始めるかも、始めようと思えるかもわかりませんでしたが、不思議と焦りや不安はありませんでした。心底妊活に疲れてしまったのです。
結果的にいうと、驚くことに妊活を休んだ月に息子はやってきました。
その月は基礎体温を計っていなかったのですが、おそらく生理予定日を過ぎてから排卵したようです。全然来ない生理に、いくらお休み期間でもこれはまずいと思い病院にいくと小さな息子が…それはそれは先生も私もびっくりでした。先生はたまにこういうことがあると言っていました。休み期間に入ったことで、ストレスが減って妊娠することがあるそうです。
妊活を休んだ日々はとても楽しく、充実していました。夫と色々なところへ行き、美味しいものを食べ、体を温めなければ!とか、夫にタイミングをお願いしなくては!とかもなく好きなように過ごした日々でした。
そんな日々の中、夫が私に話してくれたことがあります。
「子どもを作るためにいっぱい薬を使ったり、辛い思いをしてる姿を見るのが辛かった。でも、簡単に辞めたら?とか休んだら?とか言えなかった。僕は子どもは欲しいけど、いなくても君がいればそれでいいし、君が笑ってるのが僕の幸せだから」と泣きながら言ったのです。
妊活中は見てる方向が違うように思えたりすれ違っているように思っていたけど、夫はちゃんと私を、私の頑張りを見てくれていたと知って心の底から「二人で生きていくのも悪くない」と思ったのです。この人と結婚したのは子どもを産むためじゃなく、幸せな人生を歩むためだったなと。夫婦のありかたを再認識して、更に息子が来てくれたことは奇跡なのかもしれません。そんなに簡単にいかないのが妊活だということもわかっています。しかし、改めてストレスは大敵だと思います。私の決断が正しかったのかはわかりませんが、万病の元と言われるストレスをどう減らすか、夫のことや仕事のこと、自分を追いつめていることを見つめなおし、何かを決断するのも悪くはないと思います。
私の妊活のお話でしたが、妊活をされてる皆さんにベビーが来ることを願っています。