2022年1月31日
病児保育
人生において「入院」というのはとても大きな出来事ではないでしょうか。自分のことのみならず、夫や妻、子供や両親・兄弟、近しい友人などまで、突然の入院となると日常生活や精神面に与える影響は計り知れません。生活が今までとガラッと変わってしまうことも多く、たとえ計画的な入院であっても不安や心配が伴う場合がほとんどだと思います。ましてや小さな子供の入院となると、胸が張り裂ける思いですよね。そこで、我が子の入院をただ見守ることしが出来なかった私があれやこれやと悩みながら少しずつ成長していく過程を、その時々で選んだおもちゃと共にお話したいと思います。2男2女、2組の双子の母である私の体験談です。
双子の娘たちが1才になったばかりの頃、アデノウイルス感染症による急性胃腸炎で2人同時に緊急入院しました。脱水症状を起こしていたので、口からの飲食はストップ。点滴・腸管休息の治療で1週間の入院生活でした。これが、私が母となって初めての入院体験です。今思い返せば、娘たちが入院するほど悪化してしまったのは、私があまりにも子供の病気に対して無知であったことが原因です。実は、その無知が故の対処の悪さで夫も私も感染してしまったのでした。
始まりは双子の内1人の嘔吐からだったと思います。ミルクのはき戻しとは明らかに違いました。かかりつけの小児科を受診する為に車に2人を乗せ、夫は仕事で不在でしたので私が運転。具合の悪い娘の胸にタオルを掛けてチャイルドシートに座らせていましたが、移動中に再び嘔吐。路上で車を停めて処理をして、なんとか小児科に到着しました。小児科の先生は娘たちが生後3ヵ月の頃からお世話になっていて、とても信頼している先生です。娘の様子を見るなりいくつかの検査をしてくださり、アデノウイルス感染症という結果でした。私は初めて聞く病名に動揺しましたが、病状の説明と病気の説明書きの用紙をいただきなんとなく理解した上で、薬を処方していただきました。乳幼児は脱水症状を起こしやすいこと、嘔吐後は時間を置いて水分補給。まずはスプーン1杯から。今思えば、その説明は絶対あったと思います。しかし私の耳にはその半分も届いていなかったようです。
動揺していた当時の記憶は定かではありませんが、とにかく脱水症状にはさせない!という気持ちが強かったのだと思います。離乳食はもちろん食べさせませんでしたが、母乳で水分補給を!と考えていたのだと思います。薬を飲ませ、授乳。すると飲んでいるそばから嘔吐。当時、我が家の双子は同時授乳が基本でした。右乳を具合の悪い子、左乳を元気な子。左右で分ければ大丈夫、と思った私の考えが浅はかでした。間もなくしてもう1人も発症してしまったのです。さらに、吐しゃ物の処理方法にも大いに問題があり、後に夫や私も発症してしまうのでした。
娘たちは母乳を飲んでも全て…いえ、それ以上をも吐き出してしまうという勢いで症状が悪化していき、徐々に下痢症状に移行していった様子でした。下痢が続くとおむつかぶれを起こし、おしっこをしてもしみて痛くて泣くようになりました。その頃には夫も私も体調に異変を感じるようになっていましたが、それよりなにより小さな娘たちのぐったりした様子が心配でなりませんでした。2人に飲ませていた処方された薬はまだ残っていましたが、私は再び受診したいと思い小児科に電話をしました。娘たちの状態を伝えるとすぐに連れてきてくださいとの返答でした。その日は夫も家におり、車の運転は夫に任せて私は2人の様子を見ながら移動することが出来ました。小児科に到着し、まずは受付だけ済ませようと1人で院内へ入ると、電話で状態を聞いた先生がすでに紹介状を書いて用意してくださっていました。それを持って近くの総合病院へすぐに行きなさいとの指示を受け、そのまま総合病院へ。先生が電話連絡もしてくださっていたので、外来時間外でしたがすぐに受診することが出来ました。そして、脱水症状を起こしているので今すぐ入院治療が必要との診断でした。
「点滴をしますのでご両親は待合室でお待ちください。」と娘たちだけ連れて行かれたすぐ後に聞いた、待合室に響き渡る断末魔のような泣き叫び声は一生忘れないでしょう。今でも思い出すと胸が張り裂けそうです。手続きを済ませ病室へ。双子ということもあり、個室を2人で使わせていただくことになりました。そして私は退院まで泊まり込みで同じ病室に付き添えることになったのです。
娘たちの様子はというと、点滴につながれ背の高い柵に四方を囲まれた真っ白なベッドの上で憔悴しきった表情で、目だけで私の姿を追っているという状況。私に出来るのは2人の手を握ること位でした。親なのに何も出来ない自分がもどかしくて、申し訳なくて、その苦しみを全部もらってあげられたらいいのにと祈るばかりでした。
しばらくして夫と娘たちを病室に残し、入院荷物を取りに一旦帰宅することになりました。ひとりで家の中に入ると愛犬が出迎えてくれました。いつでも私を癒してくれる愛犬の姿を見て一瞬安堵しましたが、静まり返った部屋の中に娘たちが寝ていた布団が乱雑に並んでいて、不安と寂しさが込み上げてきました。「よし!入院荷物をまとめ、早く病室の娘たちのもとに戻るぞ!」と気持ちを奮い起こしました。初めての子供の入院である上に、とにかく早くしなくては、という焦りが空回りして何から手を付けたらいいのか分からないような状態であったと思います。入院案内にある必要なものリストを確認しながら準備は進み、他に何か…と考えた時に娘たちが少しでも安心できるようにと、家にある使い慣れたおもちゃや絵本をいくつか荷物に入れました。この時の私はこれがベストだと思っていました。
私が娘たちを思って持って行ったおもちゃは、嚙み慣れた歯がためやお気に入りの割れない鏡、遊び過ぎて音が出にくくなった携帯型のおもちゃ、可愛がっていたテディベア、毎日のように読んでいた絵本を数冊、そしていつも一緒の毛布。これらがあれば入院生活も安心して過ごせるのではと考えていました。しかし現実は全く違っていました。初めての入院生活というのは1才になったばかりの娘たちしてみると、ここにいなくてはいけない理由も分からず、ただただ恐怖でしかなかった訳ですから、私が選んだ物はその恐怖心を忘れて没頭できるほどのアイテムではなかったのです。ただひとつ、いつも一緒の毛布はなくてはならないアイテムでした。そうして私たちの初めての入院生活が始まりました。
病室に戻り、夫とバトンタッチをしました。そこで忘れてはいけないのは、私たち夫婦も胃腸炎らしき症状が出ているということ。夫は病院を出たその足で近所のクリニックを受診し、やはり急性胃腸炎との診断で薬を処方してもらったそうです。私はというと、押し寄せる腹痛の波に限界まで耐えましたが、どうしても限度があります。そしてその病院では病棟のトイレは入院患者だけしか使用出来ず、面会者や付添人は1階外来のトイレを使用しなくてはなりませんでした。その為、トイレへ行くのにエレベーターに乗り1階へ行って戻るにはかなりの時間を要したのでした。恐怖で怯えている娘たちにとって唯一の救いである私が病室を一歩出ていく度に、廊下に響き渡るような大声で泣きわめいていました。
そんな娘たちですから、点滴の異常を知らせるアラームが鳴るたびに昼夜を問わず恐怖で泣きわめき、それで駆けつけてくださる看護師さんやバイタルチェックの為に登場する看護師さんの姿を見ても泣きわめいていました。夜はさすがに寝るのですが、少しの物音で目を覚まし泣いてしまい、持参したおもちゃがベッドから落ちる音で泣かせてしまうこともありました。その度に落ち着くまでトントンしていた私ですが、自分の身体も限界を感じていました。胃腸の不調で満足に食べることも出来ず、娘たちの断食に伴い断乳を強いられている乳が張る痛みにも耐えながら、病室を出るのは必要最低限だったことにより精神的にも疲労困憊だったと思います。そして、ほぼその状況を維持したまま娘たちの病状は回復していき、予定通り1週間程でめでたく退院出来たのでした。
この時の入院体験では反省点が多々ありました。そもそも胃腸炎に対しての対応が出来ていませんでしたし、おもちゃのチョイスは最悪でした。もっと娘たちの心をつかめるようなアイテムがあれば、あんなに顔をパンパンに腫らせるほど泣かせずに済んだのかもしれません。そして何より私の不安や苦痛や疲労が伝わり、安心を与えることが出来ていなかったのだと思います。しかし、ここでの反省が次に活きてくるということは、当時の私は知る由もありません。
双子の娘たちが2才8ヵ月の頃、双子の息子たちを出産しました。この頃、娘たちは私の産前産後で保育園へ入園していました。2回目の双子妊娠が発覚した時の衝撃は今でも鮮明に覚えています。その現実を受け入れるまでに少々時間が必要でしたが、覚悟を決めてからは無事に出産することを目標にバースプランを立てることにしました。
まずは、藁をもつかむ思いで自治体の制度を調べ始めました。ハイリクス妊娠と言われる双子妊婦の経験から、妊娠後期はお腹の重さなどで日常生活にさえ支障が出ることが想定されます。さらに今回は幼い双子の育児をしながらの双子妊婦、そして双子出産…となるわけですから、覚悟は決めたもののただただ不安でしかありませんでした。そんな私たち家族を救済してくれる制度が何かないかと、何度となく子育て支援課の窓口へ相談に行きました。そこで、産前産後の短い期間だけではありますが、どうにか保育園へ入園出来ることになったのです。
「保育園=共働き」のイメージが強かった私は、この時相談に行っていなければ産前産後や疾病、介護や求職活動などの事由で保育園の申し込みが出来ることを知らないままだったと思います。親身になって相談に乗ってくださった職員の方々へは大変感謝しております。この時期に保育園へ入っていなかったら、私は出産前日まで自宅で過ごすことは出来なかったかもしれません。そして、この時知った数々の情報を活用しながら双子2組の育児を乗り越えていこうと考えることで、不安で真っ暗だった私の行く手に光が見えてきたのです。
そこから娘たちは保育園児になったわけです。慣らし保育から始まったのですが、初めて母と離れて集団生活をするわけですから、最初は大泣きしてしまうと覚悟をしていました。しかし、驚くことに2人は全く泣きません。母とは離れるものの双子の2人は一緒ですから心強かったようです。そんな娘たちの様子に救われたのを覚えています。また、お腹がだんだんと大きくなるにつれて満足に抱っこもしてあげられなくなっていきましたが、保育園で楽しく充実した時間を過ごしていたお陰で娘たちの心は安定していたのだと思います。私の出産入院中も保育園があったからこそ夫も仕事へ行かれましたし、私も安心して出産に臨むことが出来ました。
その後、産前産後期間が終わり娘たちは楽しかった保育園を泣く泣く退園しました。そしてすぐに幼稚園へ入園したのです。出産前から事前準備は充分にしていましたから、双子の新生児がいる生活の中でも移行はスムーズでした。心身ともにたくましく成長している娘たちもすぐに新しい環境に慣れていきました。
4人の育児、それはとても大変でした。それでも周囲の助けも借りながら4人はすくすくと育っていきました。そして息子たち1才9ヵ月の春、2人そろって保育園へ入園したのです。
今回、保育園へ入園できた事由は私の「就労」でした。申し込みをした前年11月の時点では「求職活動」でしたが、2月には就職が決まり「就労」という事由で入園しました。実はこの計画は妊娠時期から密かに考えていたことで、私の住む地域では「3人目以降の子供は保育料0円(条件あり)」という制度があり、これが決め手でした。上の娘たちは幼稚園、下の息子たちは保育園、私は働くことで社会と関わり、大人と会話をし、わずかながら自分時間を持てるのではと考えたからです。しかし、現実は厳しいものでした。
4月に入り、息子たちの慣らし保育が始まりました。まずは1日1時間からというものでした。私は娘たちの経験から、双子は2人一緒だから大丈夫!と安心していたのですが、娘たちの時とは違い泣くは泣くはで後ろ髪を引かれる思いでした。その泣き声を聞くと、なぜこんな思いをさせてまで私は息子たちを保育園に預けるのか?と自問自答するのでした。答えは出ないまま慣らし保育は1日3時間、半日、と長くなり、通常の1日保育となっていきました。その頃には息子たちも朝泣くことはなくなり、私も数年ぶりの社会復帰を果たしたのです。
そんな矢先、長男の発熱。続いて次男の発熱。そして長引く鼻水…。これがうわさに聞く「保育園の洗礼」?と、見事に洗礼を受けたのでした。幸い娘たちにうつることはなく元気に幼稚園に登園していたのですが、息子たちは辛そうです。ここでまた、なぜこんな思いをさせてまで私は息子たちを保育園に預けるのか?と自問自答するのでした。そしてまた答えが出ないまま回復した息子たちを保育園へ送るのです。
そんなある日、長男が突然の嘔吐。4月の終わりのことでした。
かかりつけの小児科が休診日だったので、初めて行く小児科を受診しました。お腹の風邪でしょう、とのことでお薬を処方していただきました。子供の嘔吐後の対処法は今まで何度となく経験してきたので、今回も慌てることなく様子をみながら対応出来ると思っていました。
ところが、長男はなかなか元気になりません。発熱もありましたし、嘔吐も続いていたので、水分補給もままならない状態でした。吐き気止めの座薬を投与しても、次の使用可能時間を待たずにまた嘔吐。夜間もそばで様子をみながら対応していたのですが、気付けばおしっこがほとんど出ていなかったのです。
「脱水症状…?」数年前に娘たちが入院した当時の記憶がよみがえります。
翌日、かかりつけの小児科を受診し経緯を詳細に伝えました。長男の状態をみた先生は総合病院への紹介状を書いてくださいました。そして、その足で以前娘たちが入院していた総合病院へ向かったのです。
偶然にも診察してくださったのは、娘たちがお世話になった小児科の先生でした。そして診断は当時と同じ、急性胃腸炎による「脱水症状」。点滴・腸管休息が必要でそのまま入院となりました。私はまた同じ失敗を繰り返してしまったのです。長男に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。あんなに水分補給の重要性は痛感していたのに、と。そして点滴をするからと長男1人連れて行かれた診察室から、断末魔の様な泣き叫ぶ声が聞こえてきたのです。私のせいで、と胸が張り裂けそうでした。私は弱り切った長男を抱いて病室へ向かいました。「ごめんね、ごめんね。」とつぶやきながら。
小児病棟の個室に案内され、そこで不安気な長男を抱っこしたままで諸々の手続きを済ませました。当時と変わらず真っ白いベッドは四方を高い柵で囲まれていて、長男はそこへ入ることを拒否しました。けれども当時と違うこともありました。それは長男にとって過酷なものでした。母である私が付き添えないということです。他3人の子供たちを残して24時間体制で付き添うことは不可能でした。
夕方、他3人のお迎えの時間が近づいてきました。長男の容態は点滴からの投薬のおかげか、吐き気は治まってきたようです。しかし一向にベッドに入ることを拒否しています。困った私は病棟の看護師さんに相談し、私が病室を出るまで長男を抱っこしてもらったのです。泣き叫ぶ声がだんだんと遠くなり、私は涙が止まりませんでした。
翌日、他3人を登園させてから長男のいる病院へ向かいます。途中、長男におもちゃを購入することにしました。娘たちの入院の際、自宅にある使い慣れたおもちゃを良かれと思い持って行ったのですが、これらは娘たちの気晴らしにもならなかったことを思い出し、目新しいおもちゃを持っていこうと考えたのです。
まず選んだのは長男が当時大好きだったEテレの番組、いないいないばあっ!のスマホ型おもちゃです。ワンワンやうーたんがおしゃべりをして、何曲か歌も入っていました。汚れても拭けばきれいに出来ますし、音は出ますが個室だったので大丈夫だと思い決めました。そして、ベッドの柵の隙間から落ちないよう、おもちゃ用のストラップも付けました。他には、やはり歌が流れる絵本。童謡が20曲位入っていたと思います。さらに絵本を数冊。これは汚れたら惜しみなく処分出来るよう安価なものを選びました。また、やはり安心材料としてお気に入りのガーゼやぬいぐるみは洗濯出来るものを持っていきました。
3日目に病室へ行った時にはポータブルDVDプレイヤーが設置されておりました。泣き止まない長男の為に病院の方で貸してくださったそうです。これは必須ですね。目新しいおもちゃや絵本も喜んで遊んでくれましたし、スマホ型おもちゃにストラップを付けてベッ柵に固定したのは大正解でした。ですが、私が帰る際は毎回大泣きで、毎回看護師さんにお願いしていました。長男に背を向けて病室を出る度に私も涙があふれる毎日でした。
そんな入院生活も5日が過ぎ、元気になった長男はめでたく退院の日を迎えたのです。退院後は数日間自宅で体力回復をはかり、その後双子そろって嬉しそうに保育園へ行き始めました。とても楽しそうに。
この時の入院体験での反省点は、とにかく水分補給を甘く見ていたところに尽きます。こんなにも簡単に脱水症状を起こすとは想定していませんでした。子供の身体、こんなに小さいんだからな…と反省しました。しかし一方で、今回は家族の誰一人うつることなく終息したので、自宅での感染予防策は間違っていなかったんだと安堵しました。そして目新しいおもちゃ作戦…ストラップも込みで良かったと思います。音楽で寂しさも少しは紛れたかもしれません。24時間体制で付き添えなかったので別れ時はどうしても泣かせてしまいますが、日中病室で一緒に遊んだり歌ったりすることで、おもちゃに母を感じてくれていたかもしれません。
下の双子の息子たちは順調に保育園生活に慣れていきました。保育士の先生のことも大好きで、毎日楽しそうに登園します。私の仕事もようやく本格的に始動開始です。朝は毎日戦争でしたが、長男の退院後は当たり前の日常が幸せなのだと思えるようになり頑張れました。
朝は5時過ぎに起床。幼稚園児の娘たちと夫のお弁当作りから始まります。その後、自分の身支度を簡単に済ませ、子供たちを起こしトイレ・おむつ替え、着替え、朝食、洗濯、ハミガキ、食器洗い、トイレ…などなど目まぐるしく働きます。保育園児の息子たちを車で送り、バス通園の幼稚園組は徒歩でバス停へ連れて行きます。この当時の私は、このバス停でママ友たちとたわいない会話をすることが唯一の気分転換だったように思います。園バスを見送り、一旦自宅へ戻り車で出勤しました。
仕事が終わると急いで家路に着きますが、途中、そのまま車で園バスのバス停へ向かいます。娘たちを連れ帰り、まずはおやつです。保育園はおやつの時間があるので、息子たちを迎えに行く前におやつを済ませます。その間にお弁当箱を洗ったり、夕食の準備に取り掛かったり、洗濯物を取り込んだり…目まぐるしく働きます。その後、保育園へ迎えに行きますが、先生やお友達とさようならをしてから車に乗り込むまでに時間がかかる息子たち。16時のお迎えだと早すぎて、まだまだ遊び足りなかったのだと思います。
そして、夕方の戦争が始まります。イヤイヤ期真っ盛りの次男を含む、1才の男子2人と3才の女子2人を大人1人で動かすのは一筋縄ではいきません。特にこの頃は、お昼寝をしていない幼稚園組の娘たちが夕食準備中に寝てしまうと大変でした。寝てしまわないように構いながら準備を進めなくてはならないのです。そのお陰か、イヤイヤ期真っ盛りの次男のスイッチが入って荒れ始めても、危険が無い限り放っておけばそのうち気が済んでケロッと笑顔になる、という発見をしました。これは私にとってとても有益でした。
そんな毎日を過ごしていたある日、それは長男の突然の嘔吐から始まりました。
7月初旬、私もだいぶ仕事に慣れ、生活のリズムも整ってきた頃の出来事でした。保育園から帰宅後の長男の様子がいつもと違うことが気になりましたが、夕方の自分の任務を遂行していました。そんな中、突然の嘔吐。長男の顔色は真っ青で、吐き気はなかなか治まりませんでした。17時を過ぎた頃だったと思います。今ならまだかかりつけの小児科を受診できると、慌てて他3人を近所の義母に預け病院へ向かいました。先生は長男の様子を見た後、真剣な表情でこう言いました。「腸重積症の疑いがあるから、今から総合病院へ行きなさい」と。
頭が真っ白になりました。しかし、止まって考えている場合ではありません。私は言われるがままに総合病院へ急ぎました。夜間救急で対応してもらえる病院は車で15分ほどの総合病院でした。待合室はたくさんの人が待っていて、待ち時間は長くなりそうです。そんな中でも長男の吐き気は治まらず嘔吐。用心の為持っていたビニール袋やタオルが役に立ちました。長男はそれでも苦しそうで、心配でなりませんでした。
やっと長男の順番がきて診察室へ。私は状況を必死に伝えました。すると、先生が「またお会いしましたね」と…。私はその瞬間気が付きました。その先生は4月に長男が入院した際にお世話になった小児科の先生だったのです。そして心配で張り裂けそうだった私の心が少し落ち着いたのを覚えています。夜間の小児科医不足で応援に来ているとのことでした。
丁寧に診察してもらい、腸重積症の疑いがあるとのことでしたが、そうではなくウイルス性胃腸炎ではないかという診断でした。しかし、心配な状態ではあるので、翌日に本来先生が所属している総合病院を受診することを勧められました。
帰宅後、他3人にうつさぬよう距離を取り、私は夜通し長男の様子を見ていました。吐き気止めの座薬で嘔吐こそ治まったものの、発熱がありぐったりとしていました。少しずつ少しずつ経口補水液を数10分おきに飲ませ、脱水症状だけは起こさぬよう細心の注意を払いながら。
翌日、他3人をそれぞれ登園させて、親切な先生が待つ総合病院へ向かいました。車で5分とかからない距離にある総合病院です。長男はぐったりした様子だったので、抱っこより楽だろうとベビーバギーに乗せて行ったので、相変わらず混雑している小児科の待合室でも座れないということはありませんでした。しばらくたって入った診察室では例の親切な先生が、夜間勤務明けとは思えない優しい表情で迎えてくれました。
いくつかの検査をしてもらった後、溶連菌感染症との診断でした。薬を飲めば大丈夫とのことでしたが、ぐったりしているのが心配だからと入院を勧められました。長男、2度目の入院です。4月に入院していた病室と同じ病室に案内され、長男は不安そうです。そして今回は病室で点滴を装着することになり、私は一旦病室の外へ。もう二度と聞きたくないと思っていた長男の泣き叫ぶ声が病棟中に響きました。母親なのに、またしても何もできない自分が不甲斐なく悲しくなりました。
この頃、娘たちの通う幼稚園は夏休み前の午前保育期間に入っていて、仕事は休みをもらっていても病室にいられる時間はごくごく僅かでした。入院当日も、憔悴しきって泣く声も力ない長男を置いて早々に病室を後にするしかありません。胸が張り裂けそうで、しばらく涙が止まりませんでした。
翌日、他3人をそれぞれ登園させた後、長男の待つ病院へ向かいます。新しいおもちゃを持って。
今回私が選んだおもちゃは、シールブックと月刊の知育絵本雑誌を数冊ずつ、マジックハンド型の恐竜のおもちゃと、書いては消せるお絵描きボードでした。それと長男が好きなDVDを数枚。お気に入りのガーゼは必須です。その頃保育園で好んでしていた遊びが出来るものをと選びました。シールは本だけでなく、顔や腕や足までにも貼って楽しそうに遊んでいましたし、知育絵本雑誌は大好きな戦隊もののページを開いてはポーズを真似たりして楽しそうでした。恐竜のおもちゃとお絵描きボードも喜んでくれました。
2日目の長男の様子は、顔色もだいぶ良くなっていてホッとしたのを覚えています。24時間体制で付き添えない為、辛い思いをさせてしまいますが、やはり24時間体制で看護してもらえるのは安心です。あの日に親切な先生に再会出来た奇跡に感謝しかありません。そのお陰で長男はみるみるうちに回復していきました。3日目に病室へ行った時には、ベビーバギーに乗ってナースステーションにいました。看護師さんに構ってもらいながらDVD鑑賞をしたり、お昼寝をしたり。私が帰った後も泣き止まない長男を看護師さんが連れて行ってくれるそうで、本当にありがたかったです。
4日目、長男は食事も取れるようになり容態も安定しているので翌日の退院が決まりました。私は嬉しくてすぐ長男に伝え、2人で喜びました。しかし、長男は「明日」と言ってもまだよく理解できない様子。「退院」=「今すぐ家に帰る」と思ってしまったようで、その日の別れ際は相当辛い思いをさせてしまいました。嬉しい気持ちが先走って、まだ1才である長男への配慮が出来なかった私のせいです。
そして退院の日、本当は朝一番で迎えに行きたかったのですが、訳あって夕方になってしまいました。病室に駆けつけると、その時もナースステーションで看護師さんに遊んでもらっていました。荷造りもすっかり済ませてくれていて、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。そんな看護師さんたちに元気に手を振り、ベビーバギーに乗って家路に着きました。そして帰宅、家族との再会に大興奮の4人の子供たちでした。
今回の入院で大変便利だったものはベビーバギーでした。看護師さんが病室を連れ出してくれたことで、かなり寂しさが紛れたのではないかと思います。そして1才11ヵ月という月齢に合ったおもちゃとして、シールブックや月刊の知育絵本雑誌は集中して遊んでくれていたので大正解でした。その中に好きなキャラクターなどがいると本当に嬉しそうでした。それでも別れ時はどうしても泣かせてしまいますが、おもちゃに思いを込めることで、そこに母を感じてくれていたならいいなと思います。
7月は下の双子の息子たちの誕生月です。7月の下旬、とても暑い日に生まれた息子たち。双子のお姉ちゃんたちにかわいがられ、すくすくと成長しています。私は毎年、子供の誕生日にはその時好きなキャラクターのケーキを作っています。何のキャラクターにするかはキャンドルに火を灯すその瞬間まで秘密にしておき、子供たちの反応を楽しみます。毎回、想像以上に喜んでくれるので私も嬉しくて、今年は何のキャラクターにしようかと考えるところから楽しいのです。
その年の7月は双子の長男の入院騒動に始まりました。幸い数日で回復して退院でき、帰宅した長男は数日ぶりの家族との再会に大興奮。私もほっと胸をなでおろしたのでした。2才のバースデーケーキはアンパンマンに決めました。
ところがその2日後の昼頃、今度は双子の次男が突然の嘔吐と発熱…。その日は祝日だったため、かかりつけの小児科は休診です。私は救急病院へ連絡をして、他3人の子供たちは夫に任せて、次男を連れて行くことにしました。車で15分ほどの総合病院です。吐き気が辛そうだったので、吐き気止めの座薬を使用してから車に乗せました。
相変わらず込み合う待合室でしたが、吐き気止めの座薬が効いているようで顔色は少し良くなったように感じられました。順番がきて診察室へ。双子の長男が急性胃腸炎に加え、溶連菌感染症で入院していたことを説明し、溶連菌の検査をしてもらうことになりました。結果は陰性。急性胃腸炎ではないかという診断でした。水分補給をしっかりとして様子をみるしかないでしょうと言われ、帰宅しました。
帰宅後も次男の熱はみるみる上がり、解熱用の座薬を使用しました。心配で夜通し様子をみては経口補水液を少量ずつ与え続けました。翌日は長男の退院後の経過観察で受診の予約が入っていたので、私は事前に病院へ連絡を入れ、次男も一緒に診察してもらうことにしました。
元気になった長男と、ぐったりとしている次男を連れて車で5分ほどの総合病院へ向かいました。長男の主治医の先生にこれまでの経緯を伝え次男の診察をしてもらいました。診断はやはり急性胃腸炎ではないかとのことでしたが、入院が必要なほどではない、しっかり水分もとれているねと言われ、ひとまず安心しました。一方で長男は、もう大丈夫と登園の許可もいただきました。
病院をあとにした私は、その足で長男を保育園へ送り、弱った次男と帰宅しました。次男の熱はその後も下がらず39℃。熱さましの座薬を使用しても効果が切れてくるとまた上がります。さらに下痢まで始まってしまったのです。水分補給に細心の注意を払いました。
タイミングの悪いことに、夫は翌日から1週間ほど出張に行くと言います。私は不安に押しつぶされそうになりながらも必死で看病をし、4日目、次男は熱も下痢も治まり食事もできるまで回復したのです。
しかし、ほっとしたのも束の間、翌日今度は長男が発熱。熱はどんどんどんどん上がり40℃…。まるでお風呂に入っているかのような体の熱さに、私は冷や汗が出ました。熱さましの座薬を使用しましたが、なかなか下がりません。夫は出張で不在だったこともあり、もし熱性けいれんでも起こしてしまったらどうしようかと心配で、私は全く眠れませんでした。
翌日は土曜日、他3人の子供たちを義実家にお願いして、長男とかかりつけの小児科へ向かいました。先生は長男の様子をみて、苦しそうだから総合病院を受診した方がいいと、紹介状を書いてくださいました。
私はその足で総合病院へ向かいました。そこは先週まで長男の入院していた病院です。そして、診察してくださったのも主治医の先生でした。いくつかの検査をして、RSウイルス感染症であることが判明しました。呼吸器の感染症で、2才以下の乳幼児では重症化しやすいものらしく、長男も少し呼吸が苦しい状態と言われました。熱も高いので、注意深く様子をみておく必要があるとのことでした。熱さましの座薬を多めに処方してもらい、長男を連れて病院をあとにしました。
途中、他3人の子供たちを迎えに行き帰宅。ちょうど昼食の時間でした。元気な3人の子供たちにご飯を食べさせている間も、高熱で真っ赤な顔の長男は眠っていました。7月中旬の暑い日でした。
眠り続ける長男。熱もなかなか下がりません。そして、おやつの時間の頃だったでしょうか、長男がお腹で呼吸をするようになってきました。胸とお腹が交互に膨らむ様子です。高熱も続いています。私は心配で仕方がなく、先程受診した総合病院へ電話をしました。小児科へつないでもらい、状況を伝えました。すると電話口に主治医の先生が出てくださったのです。私は詳しく長男の様子を伝えました。先生は私の説明を聞き終わると、「今から連れて来てください。入院しましょう」と言いました。
他3人の子供たちをまた義実家にお願いをして、長男を連れ病院へ急ぎました。病院の方ではすでに病室の準備を進めていてくれ、すぐに病室へ案内されました。先週まで入院していたその病室でした。1週間でまた戻ってしまったのです。そしてまた点滴…。弱り切った長男の鳴き声はとてもか細く、涙があふれました。高い柵に四方を囲まれている真っ白いベッドの真ん中に寝かされている長男。左手には点滴がしっかりと固定されており、口元には酸素マスク…。どれだけ苦しい状態でいたのだろうかと考えると、胸が締め付けられるように苦しくなりました。こんな状態の長男を残して病室を出ることがなかなかできず、他3人の迎えにも行かなければならないのに、私はしばらくその場を離れることができませんでした。
その日の夜、夫は出張先から戻り、翌日は日曜日。一緒に長男のお見舞いに行くことにしました。長男の入院している病院は、お見舞いに行っても中学生以下の子供は病室に入れません。なので、他3人の子供たちはエレベーターホールのベンチで待つことにしました。まだ幼い子供たちだけを置いては行かれないので、夫と私は順番に長男のいる病室へ行くことにしました。まず夫が向かい、1時間ほど一緒に過ごしたでしょうか。病室にいる夫から電話が…。長男を置いて病室を出ることができないから来てほしい、との内容でした。他3人の子供たちを一瞬だけエレベーターホールに残し、私はすぐ近くの長男の病室へ向かいます。夫は、日頃わんぱくな長男の点滴と酸素マスクを装着した姿がかわいそうで仕方なかったと話していました。
さて、その時私が持っていったおもちゃはというと、1週間前に退院したばかりのためかぶり気味でしたが、新しい月刊の知育絵本雑誌とシールブックを数冊。Eテレの番組いないいないばあっ!の歌が5曲ほど聞ける絵本と、書いては消せるお絵描きボードでした。しかし、その日の長男は呼吸が苦しかったからかあまり興味を示さず、抱っこ抱っこと甘えてくるばかりでした。点滴と酸素の管に注意しながらしばらく抱きしめて子守唄を歌っていました。
入院3日目、病室へ行くと主治医の先生から話があるということで廊下で話しました。検査の結果、長男は細気管支炎を起こしているとのことでした。点滴で投薬治療をして様子をみていくしかないそうで、しばらく酸素マスクをしておく必要があると。先生の説明を聞いて、長男の苦しさが理解できると涙があふれてきました。こんな小さな体で、そんなにも苦しい思いをしていたのかと思うとたまらなく涙が止まりませんでした。
そんな日の夜、上の双子の次女に元気がなく検温してみると38.5℃。頭痛を訴え、異常な眠気があるようでした。ひとまず解熱鎮痛剤を服用させて朝まで様子をみることに。朝になっても熱が下がりきらないのでかかりつけの小児科を受診しました。風邪か熱中症かな、との診断でした。私は入院している長男のことばかりに気を取られ、家にいる子供たちのケアが足りなかったのだと反省しました。幸い次女は悪化することなく4日ほどで回復したのです。
一方、入院5日目の長男は度々ベビーバギーに乗ってナースステーションに連れ出してもらっており、酸素マスクを外す外さないで看護師さんと押し問答になっていたり、忙しそうな看護師さんの隣でDVDを見せてもらっていたりと、活動的になってきたので少しほっとしました。そして6日目には酸素マスクは外れ、点滴のみに。その頃にはベッドで大人しく寝ていられず、私が行くと病室の中を所狭しと動きまわるように。いないいないばあっ!の歌を聞きながら踊ったりするので、点滴の管が絡まらないように追いかけまわすのがとても大変でした。そして7日目、長男・次男の誕生日2日前にめでたく退院できたのでした。
退院して帰宅すると、元気な長女と元気を取り戻した次女との再会に大興奮の長男。私もほっと胸をなでおろしたのですが、安心したのも束の間、不調の波は去っていなかったのです。長女・次女・長男の3人が楽しそうに遊んでいる様子を眺めていた時、一本の電話が。次男の行っている保育園からでした。熱が出ているので迎えに来てほしいとの内容でした。私は急いで迎えに行き、次男を連れ帰りました。
その後一晩様子をみましたが、幸いなことに次男は熱が上がることも他に症状が出ることもなく、翌日にはケロッとしていたのです。ようやく全員が元気になり、4人育児は大変ですが、やっぱり家族が健康であることが一番の幸せなのだと実感しました。次の日は下の双子の息子たち2才の誕生日。家族元気に全員そろってお祝いできたことに、感謝しかありませんでした。アンパンマンのバースデーケーキに大喜びの子供たちの姿を見て、それまでの疲れも一気に吹き飛びました。
今回の入院でもベビーバギーは大活躍でした。この時は兄弟の不調も重なり、今まで以上に病室で一緒にいられる時間が少なかったのですが、優しい看護師さんたちと仲良くなり構ってもらっていたので救われました。忙しい中本当にみなさん親切で、感謝の気持ちでいっぱいです。
8月、2才になった下の双子の息子たちと4歳の上の双子の娘たち、みんなが元気を取り戻し、ようやく我が家にも楽しい夏休みがやってきました。大きなビニールプールを庭に設置し、元気に水遊び。子供たちの笑い声が響き渡り、こんな日常が何よりも幸せなのだと強く感じました。自治会の盆踊りにも参加でき、浴衣や甚平姿はたまらなくかわいかったです。
そして、夏といえばやっぱりバーベキュー!ということで、近所の仲の良いご家族を招待して、子供たちの楽しめるバーベキューを計画しました。当日は大型タープを広げ日陰を作り、大きなテーブルのまわりにありったけのイスを並べ、食材もジュースもビールも大量購入。水着で集合した子供たちがビニールプールで大はしゃぎしているそばで、大人は冷えたビールで夏を満喫です。我が家のバーベキューはいつも男性陣が焼き担当で、女性陣は子供たちの世話をしながら楽しくおしゃべりです。子供14名、大人11名、6家族によるにぎやかなバーベキューは夜まで続き、暗くなってからはスイカを食べながら花火もしました。初めてひとりで花火を持った息子たちは大興奮で、それでもしっかり順番を守って何度も何度も花火を楽しみました。
さらに1週間後、またバーベキューを計画しました。今度は夫の友人数人に声をかけ、子供を連れて来てくれる方もいましたが大人中心のバーベキューとなりました。この日はプールは出さずに飲食メインでしたが、途中、近所の公園へ子供たちを連れ出してもらったり、近くの駄菓子屋さんにお菓子を買いに連れていってもらったり、子供たちも十分に楽しそうでした。お肉もモリモリと食べ、夜にはやっぱり花火をやりました。2週連続のバーベキュー、家族全員の楽しい夏の思い出となりました。
楽しい予定は続くもので、翌日は義実家から夕食に招待されました。前日飲み過ぎたのか、夫は昼頃からお腹の調子が悪いと言っていましたが、結局全員で向かいました。夕方到着すると、ちょうど宅配ピザが届いたところで、その日は義実家の屋上でピザパーティーとなりました。我が家は皆ピザが大好きで、子供たちも大喜び!…と思っていたのですが、長女の様子が少しおかしいのです。屋上にテーブルを広げ、たくさんのピザやポテト、ジュースが並んでいるのに、コロンと横になったままで食べようとしないのです。昨日のバーベキューではしゃいでいたので、疲れが出たのかな?とも思いましたが、具合が悪い様子で心配になりました。
すると、突然の嘔吐…。今までの経験から、私は常にビニール袋を持ち歩いていたので、すかさずキャッチ。その後も吐き気は治まらず、その日のピザパーティーは早々に切り上げ帰宅することにしました。他3人の食欲もあまりなく、また何かのウイルスでは…と不安になりました。
我が家の車は4つのチャイルドシートを付ける必要があるので、3列シートのワンボックスカーです。通常、2列目に下の双子の息子たち、3列目に上の双子の娘たちを乗せています。ですがその日の帰りは、私の目と手が届く場所にと、具合の悪い長女を2列目に乗せました。義実家は車で5分とかからない距離にあるのですが、その日はその距離がとても長く感じました。
無事に帰宅できることを祈っていましたが、やはり途中で嘔吐。長女の横に座り対応していた私の背後で声がしました。「ママ、気持ち悪い」…3列目に座ってた次女です。私はあわてて次女に新しいビニール袋を渡そうとしましたが、間に合わず嘔吐。まさかの事態にさすがの私もパニックです。そんな状態のまま自宅へ到着。何か
感染性のものかもしれないので、まず息子たちを注意しながら降ろし、その次に長女、次女、と降ろして家へ入れました。息子たちは夫とお風呂へ直行し、娘たちにはビニール袋をかぶせた洗面器のような容器を持たせました。そして私は車の掃除に。汚物の付いたチャイルドシートを外し、可能な限り分解して洗えるものは外で洗い流しました。外すことのできない車のシートやフロアマットは雑巾で何度も何度も拭き、除菌・招集スプレーを大量に吹きかけ、その日は窓を全開にしたままにしました。
汚物の処理をしていたからなのか、掃除の途中から私もだんだんと胃がムカムカするような気持ちが悪い感じがしてきました。掃除が終わり家で娘たちの対応をしていても私の気持ち悪さは治まらず、トイレに駆け込み嘔吐してしまいました。娘たちの吐き気も治まらす、3人とも嘔吐を繰り返してしまう最悪な状況です。吐き気が治まらないので、3人とも水分補給もほぼできませんでした。息子たちにうつしてはいけないと、この日は部屋を分けて寝ることにしました。夜中にもたびたび目を覚まして吐いてしまう娘たちが心配でほどんど眠ることができず、私自身も何度もトイレに駆け込む状態でした。
翌朝、夫も本調子ではない様子でしたが、元気な息子たちを保育園へ送ったあと会社へ向かいました。私と娘たちは病院へ向かいました。かかりつけの小児科は、小児科医と内科医の2人医師がいて、一般の内科もみてもらえるクリニックです。私はその内科を受診しようと、小児科とともに受付を済ませました。この日はめずらしく、内科は混雑していましたが小児科は思ったより早く順番がきました。診察室へ入り、いつもの先生にぐったりとしている娘たちをみてもらいました。先生の診断は急性胃腸炎で、点滴をした方が良いとのことでした。そのクリニックでも点滴をすることは可能なのですが、2人同時には難しいからと、近くの総合病院へ紹介状を書いてもらうことになりました。内科は変わらず混雑していて、私は自分の診察は受けずに、急いで娘たちを総合病院へ連れて行ったのです。
総合病院は、今年になって長男が3度も入院している病院で、みてくださったのも長男の主治医の先生でした。先生は娘たちを診察すると、何か変わったものを食べたり飲んだりしなかったかと聞いてきました。私は特に変わったものは食べていないけれど、2日前にバーベキューをしたことを伝えました。すると先生は、私と夫の他にも具合の悪い人がいるなら食中毒の可能性もあると言いました。すぐに参加者に連絡をとり確認したところ、3人の方たちも調子が悪いことが分かりました。けれど、娘たちから食中毒につながるような菌は見つからず、食中毒だと断定はされませんでしたが、参加してくれた方々に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
娘たちは、個室にベッドを2つ並べた病室に入院しました。少し前まで長男が一人きりで入院していた病室に比べると、2人一緒でとても安心できる環境です。さすがに点滴の針を刺すときは泣いていましたが、4才9ヵ月の娘たちのベッドは高い柵で囲まれてはおらず、病室内に簡易トイレも設置してありました。私はひとまずホッとして、入院準備を取りに帰宅しました。その途中、私自身も受診をし、薬を処方してもらったのです。
そして私は娘たちが待つ病院へ戻る前に、本屋に寄りました。長男の時に好評だった月刊の知育雑誌を購入するためです。そこには女の子の好きそうなプリキュアやリカちゃん、キティちゃんなどがたくさん載っていて、喜ぶ顔が目に浮かびました。いつもならば2人で1冊なのですが、この時は1人に1冊ずつ2種類の知育雑誌を購入。一緒に折り紙も多めに買いました。
病室に戻ると、早くも少し顔色が良くなっていて、点滴の効果を実感しました。購入した知育雑誌と折り紙に加え、家から持ってきたDVDを渡すと、やはり真っ先に知育雑誌を広げる娘たち。中に挟まっていたおまけを取り出すと、大人のメイク道具のような絵の具のパレットでした。目をキラキラさせた娘たちはこれを使いたいと言いましたが、まさか病院のベッドの上で絵の具をやらせるわけにはいかないので、これは元気に退院してからのお楽しみにしようと言い聞かせました。
翌日、夫と私の体調もだいぶ回復してきて、夫の友人たちも大丈夫とのことでした。病院へ顔を出すと、驚くことに娘たちはベッド上の食事をするテーブルで例の絵の具をしているではありませんか。タオルの上に置かれた容器にはたっぷり水も入っています。娘たちにいきさつを聞いてみると、長女が看護師さんにお願いをして用意してもらったと言います。よく見てみると、真っ白いシーツにカラフルな絵の具が点々と…。私は、様子を見に来てくれた看護師さんにお礼とお詫びを言いました。看護師さんは「大丈夫ですよ、しっかりしたお子さんですね」と、笑ってくださいました。娘たちが4日目に退院するまでの間、絵の具の水とタオルが欲しいときはもちろん、どのDVDが見たいかなどの要望をしっかりと自分たちで伝えられていたようで、私は娘たちの行動力に困った半面で、嬉しくも思いました。
さて、今回は4日間の入院となりましたが、4才9ヵ月である上、双子で同室ということもありお互い安心感はあったと思います。退院後、2人の絆がより深まったことは間違いありません。そして、今回も持っていった月刊の知育雑誌ですが、月齢や性別に合ったものを選びやすく、魅力的なおまけも付いてくるのでおすすめです。まさか病室で絵の具をするとは思いませんでしたが…。折り紙もいろいろと折って遊んでいました。看護師さんに鶴の折り方を教えてもらい、双子同士で教え合ったりと、微笑ましい光景も見ることができました。
退院後、残りわずかとなった夏休みはなるべく静かに家族で過ごし、体調を万全にして二学期を迎えたのでした。その後も我が家ではバーベキューを何度も開催していますが、肉をしっかり焼くことや衛生管理などの基本を徹底して、この時の出来事を忘れず教訓にしています。
下の双子の息子たちが保育園に入園した年、半年の間に4度も子供が入院をしました。保育園の洗礼を受けたのは間違いないと思うのですが、感染症の怖さを身をもって知った経験でした。そしてこの経験を機に、我が家でも感染症対策を日頃から実践することにしました。
まず、洗面所の手拭きタオルをペーパータオルに変更しました。これは小児科の先生の「タオルは分けた方がいい」とのアドバイスを受けてのことでした。あわせてハンドソープディスペンサーを非接触型のタイプに変更しました。第二の対策として、バスタオルを個別にしました。それまでは大判のバスタオルで4人を順番にバサバサッと拭きあげていたのですが、柄の違う4枚のスポーツタオルを用意して、子供たちに選ばせました。タオルを小さくしたことで洗濯後も乾きやすく、さらに自分で選んだ自分専用ということもあり、お風呂を出ると4人は喜んで自分で進んで拭くようになりました。
他には、室内の乾燥対策もおこないました。小児科の先生に、「定期的に、空間に霧吹きで水を吹いておけば大丈夫」と言われ実践していましたが、やはり買ってしまいました、空気清浄機。リビングと寝室に設置しました。加湿することで、つまりがちだった子供たちの鼻の通りも良くなったように感じます。同時に、置き型の空間除菌、クレベリンもリビングと寝室に置くことにしました。
そして、これらの対策をおこなうようになってから、子供たちが病気をしにくくなったのです。それでも1人が熱を出したなら、できるだけ離れて過ごさせるようにしました。夜寝る時は具合の悪い子と私が一緒に寝るのですが、普段はママ独り占めのできない子供たちは、具合の悪い時の特権とばかりに喜んでくれました。胃腸系の風邪の時の突然の嘔吐に備えて、ビニール袋をかぶせた容器をいつも用意しておきましたが、間に合わず衣服やタオルなどを汚してしまった時は、そのままビニール袋に入れて惜しみなく処分することにしました。そうすることで菌を広げず、家族内で胃腸炎などがまん延することがなくなりました。
そんな風に過ごして月日は流れ、その後現在に至るまで入院騒動は一度もありません。成長するにつれて病気に負けない強い体になってきたことが大きな理由だと思いますが、家族間の感染防止には私の講じた対策も一躍買っていると思います。
そして上の双子が小学校に上がった頃、私の友人の1才になったばかりの娘さんが先天性の病気であることを知りました。さらに、2か月後に大きな手術を控えているといいます。私は、自分の娘たちが1才になったばかりで入院した時の泣き顔を思い出し、胸が締め付けられる思いでした。ちょうど人見知りの激しい時期で、入院生活が恐怖でしかなかった娘たち。無邪気に遊ぶ友人の娘が、こんなに小さな体で手術を受け、1人で入院するなんて…。落ち着いて話をしてくれた友人も、状況を受け入れて人に話せるようになるまで相当時間がかかったと言っていました。
子供の入院が初めてだという友人に、私は自分の経験を話しました。ベビーバギーや知育絵本雑誌が便利だったことや、病室を出る時に泣かれて出るに出られなくなった時はナースコールで看護師さんに来てもらって抱っこしてもらったこと、私が付き添えない間にベビーバギーでナースステーションへ連れ出して遊んでもらっていたことなどを話しました。友人も上の子のお世話があって泊まり込みの付き添いはできないとのことだったので、私の経験を聞いて少し安心してくれたようでした。
その女の子は手術後1週間ほどの入院予定とのことでした。そこで私は、その女の子が入院する時に持っていかれるようなおもちゃをプレゼントしようと考えたのです。
そして私は思い出しました、娘たちが1才になったばかりの頃の入院体験を…。母になって初めての入院体験で、病室に持って行ったおもちゃは家にあったものばかりでした。娘たちにとっても初めての入院だったので、安心感を与えるために使い慣れたものを…と考えのことでしたが、目新しいおもちゃの方が良かったのではないかと、後になって思いました。確かに娘たちは殺風景な病室で不安を感じていたので、そのおもちゃによって少しほっとはしたでしょうが、それがもっと娘たちの心をつかむものであれば、もっと快適な入院生活を送れていたのではないかと思います。
そんな当時を反省しつつ、1才3か月の女の子が初めての入院で、ほんの少しでも不安を忘れる時間を作れるようなおもちゃ探しを始めました。
まず、我が家の子供たちが1才の頃に好んでいた遊びを考え、それが病院へ持ち込むおもちゃとして適しているかを考えました。最初に思いついたのはボール転がしのおもちゃでした。ボールをつかんでポトンと落とし、コロコロ転がる様子を目で追うといった感じのおもちゃですが、我が家の4人も無心になって何度も何度も繰り返し転がしていました。ディズニーやアンパンマンなどのキャラクターものもあり、これはいいかも!と思ったのですが、ボールを落としてしまったら?病室のベッドの柵の隙間から床へ落ちるでしょう。自分では拾えないので、きっと泣いてしまう…却下。その後、持ち運びがしやすく、ベビーカーなどにも取り付けられるような布絵本が良いのではないかと考えましたが、布という材質上、衛生面が心配になりました。洗濯のできる布絵本も多くありますが、病院ではなかなか洗濯はできそうにありません。そうなると、メルちゃんのようなお人形系も避けた方が無難です。
やはり衛生面重視で考えた方が良さそうです。サッと除菌シートなどで拭けるような素材で、持ち運びがしやすく、1才の女の子が夢中になるおもちゃ…。積み木やパズル、ブロックなど細かいものも、ベッドの柵の隙間から落ちるのでNGです。
そうなるともうこれしかありません、「いたずら1歳やりたい放題」!ただ、少し大きすぎるのではないかと思い、確認のためいろいろと検索してみると、すごいものを見つけました。「いたずら1歳やりたい放題 スマート本」!なんと、やりたい放題シリーズに、たためてスマートな本型があったのです。持ち運びのしやすいスマートタイプではあるのですが、1才の子供が両手を使って遊べるほど良いサイズ感。遊びの内容的にも、カギやコンセント、水道など従来のやりたい放題のいたずらはもちろんできて、スマホの画面操作風のいたずらまでできる優れものでした。
これなら1才3か月の女の子の心をつかむアイテムになるのではと、「いたずら1歳やりたい放題 スマート本」に決めました。そして早速プレゼント。入院予定日の2週間ほど前に手渡すことができました。
その後、予定通りその女の子は入院し、手術も無事終わったと友人から聞きました。プレゼントに関しては、その女の子もとても気に入ってくれたようで、入院中も退院してからも遊んでくれているとのことで、とても嬉しかったです。
このように、我が子の辛い入院体験が、小さな女の子の辛い入院生活の中において、ほんの少しでも安らぎになれたのなら、無駄な経験ではなかったのだなと思います。どんな経験も、その後の人生に活かしていくことで、決して無駄にはならないのだと実感した出来事でした。
この先もきっと、辛いこともたくさんあると思いますが、その経験を無駄にはせずその後の人生の糧とできるよう、家族で力を合わせて乗り越えていきたいと思います。