子育てがキラキラしたものだという幻想

2022年5月6日

子育て

第一章 こんなに眠れないなんて聞いてない

なかなか子供に恵まれなかった私にとって、子育てはキラキラした憧れのものでした。街中で赤ちゃんを連れているママを見てもみんなキラキラ輝いて見えて、とにかく「子供が欲しい、素敵なママになりたい」と夢見ていました。でも、実際に子育てを経験してみると、それは想像していたよりもずっとずっと大変なものでした。

息子を妊娠中、子供がいる友人から「子供が生まれたらまともに眠れなくなるから、たくさん寝ておきなよ」と言われていました。もちろん赤ちゃんが夜泣きをすることは知っていました。しかし、それは漠然としたイメージなだけであって、実際どれだけ眠れなくなるのか、夜泣きはどれぐらい続くのか、全く理解はできていませんでした。

息子は生まれてすぐにNICUに入りました。低体重で生まれたわけでも、お腹にいた時に異常があったわけでもありませんが、私の産道を通ってくる時に「B群溶連菌」感染症になってしまったのです。高熱が出て呼吸も弱く、3週間NICUにお世話になりましたが、そこで早速眠れない日々が始まります。私は出産した夜からNICUと同じフロアにある病室に移りました。NICUの赤ちゃんには授乳できるタイミングが決まっていて、0時、3時、6時といった3時間ごとのみでした。産後のボロボロの体で、夜中の0時や3時にスマホのアラームをかけて眠い目をこすりながら授乳しに行きました。その後私だけ先に退院しましたが、息子に母乳を届けるため、息子がそばにいなくても3時間ごとに搾乳をしていました。息子を一人病院に残している心苦しさや、直接母乳をあげられない悔しさを感じながら深夜搾乳をすることは、精神的にとても辛かったのを覚えています。この頃すでに夜通し眠れない辛さは感じていましたが、息子が退院してからが地獄の日々の始まりでした。

息子はとにかく寝るのが下手な子でした。まず寝かしつけに1時間近く抱っこでゆらゆらする必要がありました。ようやく寝たかと思ってベッドに下ろすと「ふぇ、ふぇ、ふぇーん」と泣き声が聞こえてきます。また抱っこしてどうにか寝かせると、夜中は2時間ごとに必ず泣いて起きてしまいます。その度に授乳させましたが、息子は飲むのが遅いので授乳に30分以上かかります。ようやく飲み終わって寝たかと思えば今度は私が眠れません。産後のホルモンバランスの変化なのか、一度目が覚めるとなかなか寝付けなくなってしまったのです。体も頭もクタクタで眠いはずなのに、眠れない。そしてやっと眠れた時にはまた息子が泣き出します。出産するまで、一度寝ると朝まで起きずに熟睡していた私にとって、睡眠時間が確保できないことは本当に耐えがたい苦痛でした。

夫や実母には「夜眠れない分赤ちゃんと一緒にお昼寝したらいい」と言われました。でも息子は布団で昼寝することができなかったのです。朝寝、昼寝、夕寝の1日3回抱っこ紐で寝かしつけていました。布団に下ろすと起きてしまうので、抱っこ紐で寝ている息子を抱えて、毎回1時間以上立っているか、ソファに腰かけていました。一緒にウトウトすることはありましたが、疲れは全く取れません。そしてまた眠れない夜がやってくるのです。

私が眠れなかった原因は、実は息子だけではありません。一緒に寝ていた夫のいびきがひどかったのです。赤ちゃんが泣いても起きるのは私だけで、夫が起きることはありませんでした。「たまには夜泣きの対応を代わって欲しい」とお願いしたことがありましたが、赤ちゃんが泣いているのに気づいてもらえないことにはどうしようもありませんでした。赤ちゃんの泣き声に気づかないなんて父親失格だと思ったこともありました。せっかく寝かしつけて私も寝ようと思った時に、隣から聞こえてくる爆音で眠れない。今だから言えることですが、夜な夜なスマホで「夫、いびき、離婚」など検索していたほどに悩まされていました。

その後、息子が生後7か月の時に広い家に引っ越し、夫とは部屋を分けて寝ることができるようになったため、いびき問題は解決しました。しかし今度は息子の本格的な夜泣きが始まったのです。それまでは夜泣きといっても授乳すれば泣き止んでくれたのに、この頃から何をしても泣き止まなくなりました。一度泣き出すと、抱っこしても電気をつけても泣き止みません。夜泣きに関する本やネットの記事を読み漁り試しても、全く解決しませんでした。
お隣さんからクレームが来るのではないかと、できるだけ外に音が漏れない場所に移動して、ひたすら抱っこで泣き声を聞き続ける時間は本当に辛い時間でした。睡眠不足とは恐ろしいもので、まともな思考ができなくなります。当時の私は、夜中に何度も「こんなに辛いなら生まなきゃよかった」と思っていました。

夜だけでなく、お昼寝の時間も恐怖の時間でした。今ならあんなに必死に寝かせなくてもよかったなと思えるのですが、当時は「赤ちゃんは疲れ過ぎると余計に眠れなくなる、夜の睡眠のためにもお昼寝は大事」という情報にこだわってしまい、何が何でも寝かせなくてはと必死でした。我が家の近くには100段を超える石段の坂道があります。息子はその階段を上り下りする揺れが心地いいようで、寝てくれることが多かったので、暑い日も雨の日も息子を抱っこ紐に入れて歩いていました。スムーズに寝てくれる日はいいですが、いくら歩いても寝てくれない日もあります。そんな日は昼寝を諦めて夜早めに寝かせようと考えるのですが、そんなにうまくいくはずもなく、寝て欲しくない夕方に大泣きしながら眠ってしまったりするのです。すると夜の寝かしつけの時には目がらんらんとしている息子。疲れ切って眠くて仕方がない私をよそに、0時近くまで寝てくれません。布団で一緒にごろごろしていると、うとうとしてしまう私の顔を「起きて」と言わんばかりに叩いてきます。どんなに疲れていても息子に合わせてしか寝ることができない日々。第一子だったこともあって、この眠れない日々にいつ終わりが来るのかわからなかったのも相当なストレスでした。

そんな息子も1歳半頃を境に夜泣きは落ち着き、朝までぐっすり寝てくれる日が増えました。それでも母親の敏感センサーが働くのでしょう。息子が布団をはいでいないか、部屋が暑くないか、息子のことが気になって夜中に2、3度目覚める体質になってしまいました。寝相が悪く布団から落ちる息子を引っ張り上げたり、息子の寝言にびくっと反応したりしてしまい、私が夜通し眠れる日はほとんどありません。とは言え、0~1歳の頃のような夜泣きがない分だいぶ楽になったなと感じる日々です。

息子は3歳になった今でも刺激が多かった日は夜中に起きて抱っこを求めてきます。特に幼稚園に入園したばかりの時は、一晩に3~4回抱っこすることもありました。ただ、なぜ泣いているのか理由がわかっているので、いくら起こされてもそれほど苦痛ではありません。赤ちゃんの時の夜泣きは、理由がないこと、何をしても泣き止んでくれないこと、この2つが本当に辛かったのだと思います。

私と息子のようなケースばかりではなく、赤ちゃんの時から夜通し寝る子がいることは理解しています。それでも、私は出産前にこんなにも眠れない可能性があることを、事前に知っておきたかったと強く思います。心の準備ができていれば寝不足への向き合い方も少しは違ったでしょう。そして、私のように本当に眠れなくて辛いお母さんがいることをもっとたくさんの人に理解して欲しいと思います。

第二章 こんなに孤独だなんて聞いてない

眠れなかったことと同じくらい辛かったことに、産後の孤独感があります。私は里帰り出産だったため、息子が退院してから約1か月間を地方の実家で過ごしました。実家には両親、祖母に加えて兄の家族も同居しており、とにかくにぎやかな状態でした。朝から晩まで誰かが私と息子のそばにいてくれて、なかなか寝てくれない息子の抱っこを代わってくれたり、私の悩みを聞いてくれたりしました。食事の時間もにぎやかで、ダイニングに設置したベビーベッドの息子を見ながら、常に話題は息子の話で大盛り上がりでした。眠れないことは辛かったけど、それでもこの頃は「赤ちゃんってかわいいな」「子供を産んでよかったな」そう思っていたと思います。

里帰りを終えて夫と息子3人の生活になってからそんな思いは一変しました。夫は月曜から金曜まで毎日会社に出勤していたので、朝夫を見送ってからは息子と2人の時間です。赤ちゃんにはたくさん話しかけてあげた方がいいと思っていたので、まだ話すことのできない息子にひたすら話しかけていました。家にいてもお散歩中でも「今日はいいお天気だね」とか「お花がきれいだね」とか、他愛のない言葉を繰り返します。恐らく当時の私は「良いお母さん」を目指して必死だったのだと思います。子供の目の前でスマホをいじるなんて言語道断。テレビも赤ちゃんの目に悪いと育児書で読み、息子が寝ている時間以外つけることはありませんでした。元々家では常にテレビをつけていた私にとって、自分の発する声と赤ちゃんの泣き声しか聞こえない空間はとても寂しいものでした。

息子が笑ってくれた、息子がはじめておもちゃを握れた、そんな瞬間を共感する相手がいないことにも孤独感は募りました。里帰り中の雰囲気との違いが寂しくて仕方がありませんでした。家にいると息が詰まるような感じがしたので、積極的に外に出てみようと思いましたが一人で慣れない赤ちゃんを連れて外出することは不安も多く、結局近所のスーパーに買い物に行って帰ってくることがほとんどです。外に出ると多少気持ちが軽くなることもありますが、誰とも話せないことによる孤独感はなくなりません。そして息子と2人で過ごす時間がどんどん辛い時間になっていったのです。

まだねんね時期の赤ちゃんとの過ごし方が、当時の私には全くわかりませんでした。今では息子がたくさんおしゃべりもするし、遊びの内容もバリエーションが豊富なのでいくらでも遊びに付き合ってあげることができます。でも、0歳の赤ちゃんではガラガラを目の前で振ったり、動揺を歌ってあげたりすることぐらいしかできず、そんな遊びは一瞬で終わってしまいます。しかもまだまだ反応の薄い赤ちゃん。シーンと静まり返った部屋の中、私の歌声だけが響き、なんとも言えない寂しい気持ちを感じていました。当時はこの毎日の繰り返しが本当に辛く、早く1日が過ぎることだけを考えていました。今となっては、赤ちゃん時期は一瞬で、もっとゆっくり大事にできていたらよかったなと思います。

また、お昼ご飯の時間も孤独を感じやすい時間でした。前述したとおり、息子は寝るのが苦手な赤ちゃんだったので、ベビーカーでお散歩させながら寝かせることがよくありました。なかなか寝てくれない息子と1時間以上近所をぐるぐる歩き回ることが何度もありました。やっとの思いで寝てくれると私はお昼ご飯の時間ですが、ベビーカーからおろすと起きてしまうので、そのまま公園で過ごします。持ってきたおにぎりを一人公園のベンチで食べるのです。元々会社勤めをしていた私は、同僚とのランチの時間が大好きでした。仕事の話やプライベートの話で盛り上がりながら、おしゃれなお店で過ごす時間。私にはあんな時間はもう戻ってこないんだと思うと、また孤独感に襲われます。

そして、孤独を感じる最大の原因は、話す相手がいないという物理的なものではありませんでした。誰にもこの孤独感をわかってもらえないということが何よりも孤独だったのです。

その代表は夫でした。仕事で疲れている夫は、あまり私の話をじっくり聞いてくれませんでした。もちろん息子のことはとてもかわいいので、息子が今日1日どうだったかという話には耳を傾けてくれます。帰ってきたらまず1番に息子の顔を見に行き、話しかけています。でも、私自身の話にはあまり興味がないようでした。夫からしたら、息子と1日のんびりしている生活のどこに辛さがあるのかわからなかったのでしょう。どんなに私の孤独感を訴えても、「それならもっと友達に会いに行けばいい」「何ならもう一度里帰りしてきたらいい」といった感じで、夫自身が私の助けになろうという雰囲気は感じられませんでした。最も近くにいるはずの夫にわかってもらえない、これは本当に辛かったです。

出産前まで仕事をバリバリこなしていた私にとって、仕事で周囲の人に認められること、感謝されることは、私の生きるモチベーションになっていたのだなと感じたのもこの頃でした。子供を産んだ以上育てるのは当たり前で、何をしても褒められるわけではありません。子育ては何か努力して成果が出るわけではありません。眠ること一つとっても、いくら私が一生懸命努力しても寝ないものは寝ないのです。大抵のことは自分の努力で何とかなると思っていた私にとって、どうにもならないことだらけの子育ては苦しいことばかりでした。

母乳が出るのはお母さんで、当然母親が育児の主体になるのはわかっています。でも母親だって一人の人間です。夫から「今日も育児お疲れ様」とか「いつも息子の面倒を見てくれてありがとう」と言ってもらえたら、当時の辛さも少しは和らいだのではないかと思っています。

もう一つ私が孤独感を感じたのは、他のママさんとの関係です。私の住む地域では、生後1歳までの赤ちゃん連れの人が参加する「赤ちゃん教室」が月に1回行われていました。そこで気の合うママ友を作ることができたのですが、私は息子が生後7か月の時に引っ越してしまったので、その際にママ友が一人もいなくなってしまったのです。引っ越し先にも同じようなママの集まりはありました。しかし、一度足を運んでみたものの、すでにグループができていて、お互いの家に遊びに行くような関係だったので、その中に入ることはできませんでした。気を使って話かけてくれたママさんもいましたが、そもそもそのママたちの話に私自身興味を持てませんでした。お互い子育ての悩みを相談し合うような雰囲気はなく、自分の子供の自慢と他の赤ちゃんをわざとらしく褒め合うような話ばかりでちっとも楽しくありません。そのママ達からしたら楽しい時間だったかもしれませんが、私にとっては本音がない上辺だけの関係に感じてしまい、距離を置こうと考えました。気の合う子育て仲間がそばにおらず、孤独感は益々つのっていくばかりでした。

この孤独感との闘いは生後3か月~10か月ぐらいがピークでした。1歳近くになり息子がよちよち歩きを始めると、私自身少し余裕が出てきて、連れていける子供の遊び場も増え、日中楽しく過ごせる日が出てきました。しかし、これで孤独感から解放されたかと思ったその矢先、コロナの流行で子供の遊び場がみんな閉鎖してしまったのです。どこにも連れていけなくなり、息子は外に遊びに行けないことで、家でよく泣くようになりました。私も息子と家の中だけで過ごす時間にストレスがたまりました。これは私だけの話ではなく、0歳のお子さんをもつお母さんにとって、家以外の逃げ場がないというのは本当に辛い日々だったと思います。

最終章 まさかの産後鬱

寝不足状態に耐えがたいほどの孤独感。私の心は少しずつ壊れていきました。まず初めに異常を感じたのは、生後3か月頃に夜間授乳をしていた時のことです。息子を授乳クッションにのせて、私はウトウトしながら授乳していました。隣でいびきをかいている夫を見ると殺意を感じそうなぐらい、イライラしていました。授乳が終わり、息子を抱きかかえてベビーベッドに戻そうとした時のことです。「今私が手を放し、この子を床に落としたらどうなるんだろう」という恐ろしい考えがふと頭をよぎりました。もちろん手を離すことはありません。それでも、私の中で息子の存在を始めて否定した瞬間だったと思います。それからは「息子がいなくなったら、私は朝まで眠れるのではないか」「息子がいなくなったら、夫との関係は元に戻るのだろうか」そんな考えがいつも頭の片隅にあるようになりました。

始めは眠れないことや夫が理解してくれないことが原因で子育てが辛くなっていきましたが、もう一つ私を追い詰めたのは、良い母親でなければならないという自分へのプレッシャーでした。当時は2時間起きの頻回授乳が続いていたので、息子とは片時も離れることができないと考えていました。その2時間の間にだって、カフェに行ってゆっくりお茶をしたり、本屋で好きな本を探したり、息子と離れることはいくらでも出来たはずです。でもそうしなかったのは、「母親」であることへの責任感が必要以上に強過ぎたからだと思います。母親なのに息子と離れたいと思ってしまうこと自体が悪いこと、息子がいなければと考えてしまうなんて情けない。誰にも責められていないのに、母親失格だと毎日自分を責めていました。当時の私の状況は、完全に産後鬱の状態でした。

息子を産んでからというものの、周囲から「息子の母親」としてしか見られなくなったのも辛かったことの一つです。児童館や子育て支援センターに行っても、私の名前を聞かれることはなく、息子の名前しか聞かれません。生活の全てが息子中心に回り、母親として以外の自分の存在意義を感じられなくなっていたのです。

初めての子育ては本当に全てが手探りの状態です。中でも、息子は出産時に感染症にかかってしまったため、里帰りから戻ってきた後も、その再発がないか、常に息子の体温や呼吸を気にしなければなりませんでした。夫が一緒にいる時はいいのですが、一人で息子の面倒を見ている時は「赤ちゃんの命を守れるのは私だけ」という気持ちから必要以上にプレッシャーを感じていました。自分がいなければ生きていくことができない赤ちゃんの存在を、少しずつ恐ろしく思ってしまっていたのです。

そんな私に転機が訪れたのは、息子が生後5か月の時のことです。息子は生まれて初めて咳と鼻水が出始めました。熱はあまり高くなかったものの、初めてのことだったので小児科を受診。ひどい症状ではないので様子を見ることになりましたが、その日の夜、咳が1時間近く止まらなくなってしまいました。息子を抱きながら不安な夜を過ごした翌朝のことです。母乳を飲ませようとしても、呼吸が苦しいのか上手に飲むことができません。急いで小児科を受診すると、近くの大きな病院を紹介されました。紹介された病院に向かうとすぐに色々な検査が始まります。まず採血のために息子と離れると、診察室から息子の凄まじい泣き声が聞こえます。母乳もミルクもうまく飲めていなかったので点滴も必要になり、腕に針が刺され包帯でぐるぐる巻きにされていました。そんな息子と対面した時には「こんな小さい体に辛い思いをさせてごめんね」と本当に苦しい思いでいっぱいでした。その後も胸のレントゲンなどの検査を行い、ようやく診察室で先生と話をすることになりました。先生からは「母乳もミルクも飲めていないので入院が必要です。百日咳の疑いもあります」と言われました。私の頭の中はパニックでした。もちろんただの風邪である可能性も高かったのですが、小さい体で何が起こるかわからない。大げさかもしれませんが「息子が死んでしまうかも」とも思っていました。

それまで「息子がいなくなれば」なんて考えていたくせに、本当にいなくなってしまうかもしれないと思うと、「何が何でも助けたい」そう強く思ったのを覚えています。あんなに自分のことを母親失格だと思っていたのに、「やっぱり私はこの子の母親なんだ」「この子がいなくなるなんて考えられないんだ」と息子への愛情を再確認しました。結局息子は入院した途端に元気になり始め、3日間で退院できました。大事にならなかったので言えることですが、あの入院は私が息子と向き合うために必要な3日間だったと思っています。

この入院でもう一つ良かったことが、ある看護師さんとの出会いでした。巡回に来てくれた一人の看護師さんが、「お母さんよく頑張っていますね、この子幸せそうですね」と声をかけてくれたのです。その言葉を聞いた瞬間、これまで慣れない育児で張りつめていたものが全て解き放たれて、私は看護師さんの前で号泣してしまったのです。その後、看護師さんは自分の仕事もあったでしょうに、私の話をじっくり聞いてくれました。今までの子育ての苦しさを全て打ち明けると、看護師さんは「わかる、わかる、私の子育てもそんな感じよ」と自身のことを話してくれました。なんとその看護師さんも産後数か月は鬱状態だったと言うのです。子供の扱いはプロであろう小児科の看護師さんでさえ、自身の子育てに悩むのかと思ったら、私の悩みや苦しみも特別なことではないのだと思えてきました。

看護師さんからは、とにかく自分の気持ちを吐き出すこと、そして息子と離れる時間を作ることを勧められました。当時の私は、子育てについての悩みは夫にしか話していませんでした。そして夫に理解してもらえないことでさらに辛くなる、という負のスパイラルです。そこで、ブログを始めて自分の飾らない気持ちを綴ることにしました。書いて吐き出すだけでだいぶ心が軽くなりましたが、書き続けていると共感のメッセージをくれる人が増えてきました。これまで周りのお母さんがみんな楽しそうに子育てをしていると思っていたけれど、私と同じ気持ちで子育てをしている人はこんなにたくさんいるんだと思うと、子育てに向かう気持ちがすごく軽くなったのを覚えています。

そして、心配をかけてはいけないと思い相談をしていなかった母親にも、頻繁に電話をして話をするようにしました。電話中に泣いてしまうことも何度もありました。私にとって母は理想の母親像そのもので、母の弱い所を見たことがありません。子供の前で声を荒げることも、ましてや泣くこともありません。だからこそ、母のようになれない情けない自分を見せるのはとても恥ずかしかったですが、話してみると母は私の話全てを受け入れてくれました。そして、私がまだ幼かった頃、子供たちの寝顔を見ながら泣いていたこともあったということを話してくれました。完璧に思えていた母でさえ、子育てに中に悩んでいたことを知り、安心すると共に勇気づけられました。

息子の入院をきっかけに子育ての悩みを吐き出す方法を見つけた私は、鬱の状態から少しずつ抜け出せるようになっていきました。もちろん3年経った今でも子育ての悩みは尽きません。それでも理想の母親像にこだわることはなく、周りの人に助けてもらいながら息子と楽しい日々を過ごせています。

今子育てに悩むお母さんに私が言いたいことは、「子育てが辛い」と思うのは悪いことではないということです。子育てはキラキラしたものではありません。これまでの生活とは一変するし、寝不足や授乳で身体もクタクタになります。私は自分が鬱になるなんて想像もしていませんでした。私のように産後苦しい思いを抱えた時は、どんな方法でもいいので大きな声で辛いと言うべきです。そうして、共感者や協力者を得ることが、子育てをしていく上で最も大切なことではないかと思います。

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