娘の卒乳の話 断乳ではなく卒乳を選べて良かったこと

2021年11月10日

子育て

断乳がいいのか、卒乳がいいのか。
これは子育てをする上で多くのお母さんが立ち止まるとても難しい問題だと思います。
私たち親子はいろいろ悩んだ結果、卒乳を選びました。私たちにとっては「これが正解だった」と言えますが、他の方から見たらどう思われるのかはわかりません。
私がなぜ断乳ではなく卒乳を選んだのか。
娘を産んでから卒乳するまでのお話を書いていきたいと思います。

娘を産んで初めての育児

人生で初めての出産。そして初めての育児。
赤ちゃんにとっていちばん大切な授乳はお母さんになった自分にとって幸せでもあり苦痛な時間でもありました。
娘がお腹にいる時からフォロミを飲み始めるまでの1年ちょっと。まずは授乳について一番悩んでいた頃のお話です。

母乳かミルクか

赤ちゃんを母乳で育てるかミルクで育てるか。
これはおそらく、たくさんのお母さんが子育て中に一度は悩む問題だと思います。

私の場合、出産前も出産後も「母乳で足りればそれでいいし、ダメならミルクでいいや」くらいに思っていましたが、結果的には母乳は出るものの赤ちゃんのお腹を満たすほどの量が出るわけでもなく、初めからずっと混合で育てていた形でした。

他の病院で産んだ人の話を聞くと、ある病院では完母を目指して出産前から指導されるところもあるそうですが、偶然にも私が出産した病院は母乳育児にものすごくこだわるという感じのところではありませんでした。
そして、自分自身に母乳に対して強いこだわりがあったわけでもなく、「子供が育てばそれでよい」という考えのもと、わけあって我が家は混合での育児になっていきました。

混合育児ですくすく成長

私が出産した病院では産後4日目までは母子別室で過ごす形をとっていて、「疲れていれば授乳をしなくてもOK」という感じでした。そのため、まずは自分の体力を回復するために最初の2日はゆっくり寝ることを優先して過ごしていたのです。
3日目は昼間の授乳と沐浴はさせてもらいましたが、あとは看護師さん任せ。4日目でようやく母子同室になりましたが、娘の身体に強めの黄疸が出ていることが発覚し、すぐに新生児室に連れ戻されてしまったために、入院中もあまり赤ちゃんと触れることなく自分だけ先に退院をしてしまいました。

その後、娘が退院するまで約1か月、毎日病院へ通いました。
家で少しは努力していたものの1日に1回だけの授乳では母乳がしっかり出ることがなく、娘が退院して家で生活をするようになっても目に見えて量が増えることはありませんでした。
それでも1日1回の授乳でお母さんのおっぱいをしっかり覚えてくれた娘。
ミルクもおいしいのでしょうが、お母さんのおっぱいには何か違うものを感じていくれていたようです。

そんな状態だったので娘も産後1か月はほぼミルクで育ったせいか、退院後も母乳とミルクの混合ですくすく成長をしていってくれました。

離乳食が順調に進む娘

娘が4か月になる頃から、市の子育て支援センターに通うようになりました。
のちに娘が通うことになる保育園の敷地内に併設されていた子育て支援センターでは、普段から園の保育士さんが出入りをしているのでいろいろな情報も入りますし、同じくらいの月例の子どもやママ達とも交流が出来るので私たち親子にとってはとても楽しいところでした。

その子育て支援センターの中でも子供が6か月を過ぎてくると離乳食の話題で盛り上がることが増えてきました。
なかなか離乳食が進まないという子もいれば、我すんなりと離乳食が進んでくれる子もいます。
我が家の場合は、離乳食の初日からスッと重湯を口にしてくれて、その後も食べ進まないものもあるものの離乳食の進み自体は悩むことがありませんでした。

離乳食が進んでいけば、母乳やミルクを飲ませる回数は減っていきます。
娘は本当に良く食べる子で、離乳食の進み自体も良く、食事の量もしっかり取れていたので、離乳食の進みだけで見たら早い段階でおっぱいを飲まなくなるのかな、と思っていたくらいでした。

しかし、それは全くの思い過ごしでした。
娘の場合は朝起きればすぐにおっぱいを飲みたがり、眠る時間が近づけば自然におっぱいのあたりをごそごそと触りに来る感じで食事とは全く別のところでおっぱいを考えているのかな?という雰囲気さえ漂わせていたのです。

フォロミも麦茶も苦手 しかし母乳では足りず

今でこそ麦茶を好んで飲むようになった娘ですが、3歳くらいまでは麦茶の味が苦手で絶対に口にしませんでした。またフォロミも好きではなく、粉ミルクを卒業してからは食事、母乳、時々ジュースという形で水分をとっていたのですが、ある時に事件が起きたのです。

いまでこそ驚くほど身体が丈夫な娘ですが、1歳半くらいまではよく熱を出していました。

1歳を目前にしたある日、高熱が数日続き、一度は回復したもののまたぶり返してしまい40度近い熱が出ていました。
苦しくて食事もとれない状態です。そんな状態でも麦茶も飲まず、フォロミも飲まず、薄めたスポーツドリンクを少しずつ飲ませてはいましたが、娘は苦しい中でどうしても母乳を飲みたがっていました。しかし、そもそも母乳の量があまり出ていないのに苦しい中では更に母乳を上手に飲むことは出来なくてとても苦しい思いをしていたのです。
高熱が続いたことが原因なのか、娘は熱性けいれんを起こしてしまいました。
救急車を呼んで処置をしてもらったのでなんとか事なきを得ましたが、自分の母乳が出にくいことをこの時ほど苦しいと思ったことはありませんでした。

娘は水分補給になどならない量しか母乳を飲めていなかったかもしれません。

こんなに娘が苦しい想いをするのならば母乳をやめたほうがいいのかな?とも思いました。しかし、娘は熱があっても苦しくてもおっぱいが欲しいのです。
苦しくてもおっぱいを欲しがる娘を抱きかかえながら「これで少しでもなんとかできるのならば・・・」と葛藤しつつその後も母乳を与え続けました。

ありがたいことにその後は症状が出ることもなく、すくすくと娘は育っていくのですが、この日を境に自分の中で母乳を上げ続けることについて小さな疑問と迷いが生まれることとなったのです。

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「断乳か卒乳か」を考える時期が来る

 娘の熱性けいれんをきっかけに今後の授乳についてどうしたらいいのかを悩み始めました。
「1歳を過ぎたら断乳」という声が耳に入ってくるようになった中、私はある人との出会いによってこの迷いに対する出口を見つけることになりました。

1歳 保育園の一時保育に通い始める

 熱性けいれんを発症した娘でしたが、その後は再発することもなく経過観察期間も何事もなく過ごすことが出来ました。

「1歳になる頃には保育園に・・・」と考えていて、保育園の子育て支援センターでも入園についての相談をいろいろしていたところでしたが、娘の体調不良によって計画は一時中断。
経過観察期間を終えて再開した時には時すでに遅く、希望していた保育園の定員はいっぱいになってしました。
「0歳・1歳の入園は4月でないと厳しい」という話は聞いていましたが、それでもひと月前に中途で入園できたお友達がいたことで少しだけ希望をもっていたのですが、やはり現実は厳しいものでした。

支援センターで慣れ親しんだ園に娘を通わせたい、という気持ちもありました。
園の方針・通いやすさ・在園中に習えるもので選ぶとどうしてもそこの保育園に通わせたい!という思いもあり、夫とも相談して育児休暇明けはひとまず4月までは短時間勤務にしてもらう方向で職場と話し合いをすることになり、入園まで一時保育の利用をすることとなりました。

子育て支援センターで仲良くしていただいていた先生が一時保育の担当で入る日もあったため、意外とすんなりと一時保育にも溶け込めた娘ですが、ものすごく大きな問題を抱えていることを先生から告げられたのです。

「娘さん、普段は昼寝してますか?園では全く寝ないのですが・・・」
娘は授乳をしないとどうしても寝てくれなかったので、それが寝る前の儀式のような物になっていたようで園の先生の寝かしつけでは全く昼寝をすることがなかったのです。
いろいろなことを試してくれてはみたものの、先生も「寝ないなら仕方ない」という方向に転換してくれて、昼寝の時間も静かにしていられればOKということで目をつぶってくれることとなりました。

1歳半 入園面接で授乳について注意を受ける

何度目かの審査が過ぎ、なかなか入園許可が下りないまま時間がだけが過ぎていきます。

保育園の一時保育は楽しく通っていた娘でしたが、とにかく昼寝をせず先生を困らせていて、「このまま入園しても大丈夫なのかな??」という不安はありました。しかし、働かないわけにはいかないのでなんとか入園できる日を心待ちにしながら一時保育の利用を続ける日々でした。

待機のお知らせばかりがたまる中、今度はいよいよ4月入園の申込をする時期がやってきました。
2歳児のクラスは一気に人数が増えることと、4月入園は他の月に比べればまだ入園がしやすいこと、そして数か月の待機を続けていたことで「ここを絶対に逃すものか!」という勢いで、申請書を提出しました。

数か月の待機期間を経て、本当にありがたいことに入園許可を頂き、4月の入園に向けて準備が始まります。

そして迎えた保育園の面談の日、担当してくれた先生は子育て支援センターで何度もお会いしたことのある保育士さんだったのですが、その日は入園に向けての面談ということで少しかしこまった雰囲気を出していました。
「お子さんの起床時間は?」
「好き嫌いは?」
「着替えはどのくらい自分で出来ますか?」
事前に記入した用紙を見ながら面談をしていき、世間話を交えつつ盛り上がっていたのですが、「ところで断乳はすんでいますか?」という保育士さんの一言で私は完全にかたまってしまいます。
「いや・・・それが・・・まだ・・・」
「そうですよね。一時保育ではよかったですが、入園後はみんなとお昼寝ができるように断乳とお昼寝の練習をしていただきたいです。」と言われてしまったのです。

昼寝については本当に先生にご迷惑をおかけしていたのでなんとかしたい気持ちはありました。
そして2歳になるのだから、「もう断乳した方がいいんじゃないか?」と言われる保育士のご意見ももっともだなと思いました。

もともと授乳に対して強いこだわりを持っていたわけではありません。
どちらかというとこの時は「辞め時がわからない」という感じになっていたような気もします。
そんな時に保育士さんから言われた言葉でその日の帰り道には「保育園入園に向けて断乳というのはひとつの目標としてアリだな」と一瞬は思いました。
しかし、眠る前の娘のあの嬉しそうにおっぱいを飲む顔を見てしまうと「それは自分の中での正解なのかな?娘は納得するのかな?」とまた疑問を持ってしまったのです。

そうして一人でもやもやしているうちにあっという間に保育園入園の日が来てしまいました。

入園式に聞いた園長先生の意外な言葉

4月1日から保育園に通い始め、その翌週の土曜日に入園式を迎えました。
入園する全ての学年の子が一斉に入園式に参加するため、想像していたものとは少し違いましたが、年長さんの歌や先生方の温かい笑顔に迎えていただきとても良い雰囲気の式典となりました。

いろいろ思うところもありながら結局は授乳を続けたまま迎えた入園式。
少しだけ後ろめたい気持ちを持ちつつも、無事に入園できた喜びに包まれて式場で時間を過ごしていました。

式も終盤に差し掛かり、いよいよ園長先生のお話の段となりました。
園の方針や園で行われる行事についての説明をしたり、一通りのお話を終えた後、園長先生は意外な言葉を口にしました。
「お父さん・お母さんのもとを離れて保育園で過ごす子供たちは不安でいっぱいです。おうちに帰ったら、子供たちをしっかり抱きしめてあげてください。そして思う存分おっぱいを触らせてあげてください。子供はお母さんのおっぱいが一番安心します。お父さん・お母さんは忙しいと思いますが、しっかり抱きしめてあげることは時間もかからないしお金もかからない一番確かな愛情の示し方です。」
というようなお話をしたのです。

園長先生の話を聞いて、私の中でまた「それは自分の中での正解なのかな?娘は納得するのかな?」という疑問がふつふつと湧き上がってきました。

保育園に入園したけれど授乳は続く

おっぱいを触らせてあげた方が良いということを言うのであれば、飲ませ続けることも何も問題はないのかもしれない。
入園式依頼、私はそう思うようになりました。

相変わらず昼寝は苦手な娘でしたが、正式に入園する前から保育園で使うための新しいお昼寝布団を使って1人で眠る練習を続けた甲斐もあり、タイミングが合えばおっぱいなしでも1人で眠ることが出来るようになってきました。

娘の中でも「この布団で昼寝をするんだな」という意識付けが少しは出来たようで、完全に寝ないまでもお布団で静かにゴロゴロしていることは出来るようになったのです。

一時保育に行っている時も、夫や義母が娘をみているときも昼間はおっぱいを欲しがることはなくなっていました。
家に私と2人でいる時もおっぱいを触ることはあっても昼間は飲みたがることはなくなっていました。

昼間をおっぱいなしで過ごせるのだったら家で授乳しようと保育士さんに迷惑をかけることもないし娘も困ることはない。
無理やりに断乳をしてしまう方が娘にとっては良くないかもしれないから、ひとまずは2歳まで様子を見てもいいのかもしれない。

「保育士さんに授乳のことさえ言わなければ問題なんじゃないの?」
「娘は無理やりに断乳する必要はないんじゃないの?」
入園後の娘の様子を見ているうちに私の中でそう思うようになっていったのです。

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ついに卒乳を決意する

入園式の園長先生のお言葉で無理に断乳をするという考えはなくなりました。
かといっていつまでも授乳を続けていくのかについてはもやもやが残ったままの毎日。
おっぱいを飲んでいることについて娘自身がどう思っているのか、これからどうしていくのかを娘と一緒に考えていくことになりました。

「おっぱいさよなら」について娘と話し合う

いまでこそ女子らしくものすごくおしゃべりな娘ですが、実は1歳半を過ぎたころにもあまり言葉を口にすることがありませんでした。
1歳半の検診で保健士さんに相談もしたりしていたのですが、保育園に入園して1カ月もたつと爆発的に話をするようになりました。

たくさん話しかけているつもりではありましたが、家にいる時は私と2人でいる時間がほとんどだったので、耳に入ってくる言葉の量が少なかったのかもしれません。
昨日までポツリポツリと単語を話したり、話しかけても「うん」とか「う~ん」とかで返事をしていた娘が、まるでバケツの水があふれるように言葉を話し出したのです。

それででは一時保育での出来事を聞いてもニコニコして「う~ん」と答えることが多かった娘でしたが、本当にいろいろな事を話し出しました。
娘が急激に話をするようになって保育園での様子もわかるようになってきました。
そして自分のことも人にいろいろ話せるようになったようで、園で保育士さんに家庭での出来事も話すようになっていきました。

そんな中、娘はある日のお昼寝の時間に保育士さんに家での昼寝について聞かれ、「お母さんと一緒に寝てる。おっぱい飲んでる」という話をしたようです。
その日の連絡帳にその話が書かれていました。

もちろん娘の中では同じクラスの他の子どもたちがおっぱいを飲んでいるかどうかは知りません。
私の中では授乳をしていることは気になることではないけれど、「なるべく人には言わない」と決めていたので娘が保育士さんに話をしていたのをちょっと複雑な気持ちで連絡帳を読み見ました。
娘に「先生はなんて言ってた?」と聞くと、案の定「2歳のおねえちゃんになるからそろそろバイバイねって言われた~」と言っています。

本人は「2歳のおねえちゃんはおっぱいしないんだね~」と特に何も考えず口にしたようでしたが、もしかしたらこれがきっかけになるかも?と思い切ってその日の夜に娘と二人で話をしました。
「あと少しで2歳のおねえちゃんになるからもうおっぱいやめる?」と聞くと、娘は「うん。お姉ちゃんになるからやめるよ」と、おそらく深い考えもなく答えたのです。

2歳の誕生日までのカウントダウン

その日から娘と何度も話をして「2歳の誕生日にはおっぱいさよならにしよう!」と約束をして、誕生日のちょうど1か月前からカレンダーに印をつけてカウントダウンを始めました。
娘はやはりイマイチわかっていないところもあるようで、毎回の授乳のたびに話をして夜寝る前に話をして・・・を繰り返してもニコニコして「うん」と答えるばかりです。

私の中では娘にわかるようにかみ砕いて話をしているつもりではありましたが、もしかしたら娘には伝わっていないのかもしれない、という不安はありました。
こんなにもおっぱいに愛着のある(執着している?)娘がそう簡単にスパッとおっぱいをやめられるものなのか?
娘の心の中ではどんなストーリーで出来上がっているのか?
とても疑問を感じていました。しかし娘に何度話しをしてもその答えはわからないままです。

娘はおしゃぶりも大好きでした。
生後3か月位から使い初めて、何度か買い換えながら1年くらいおしゃぶりを使っていました。しかし、おしゃぶりは泣くこともなくスパッとやめられたのでもしかしたら?という期待もあったのです。

おしゃぶりの時は最後に使っていたものが壊れてしまったのをきっかけに、「壊れちゃったからもうナイナイだね~」と伝えたところ素直に受け入れていたのです。
後から思えばその時は「おしゃぶりはなくなったけど、まだおっぱいがあるからいいや」くらいの感覚だったのかもしれません。
あの時のようにもしかしたらスパッとやめられるのか?という気持ちと不安とが入り交じっている状態でした。
しかし、娘の様子はまったく変わらないままに一日一日と娘の誕生日が近づいていったのでした。

娘はやめてもいいと本心で思って
いるのか?
そして私自身もそれを正解と思っているのか?
自分の気持ちも娘の気持ちもよくわからないまま時間はどんどん過ぎていきました。

誕生日前日 「何のための卒乳なのか?」

あっという間に1か月が過ぎ、娘の誕生日の前日の夜を迎えます。

その日もいつもと変わらず娘と2人でお風呂に入り、お風呂の中で改めて娘と話をしました。
「明日でおっぱいさよならだね。今日の夜に飲んだらおしまいね。」
と娘の目を見て伝えると、話の途中で娘が急に不安そうな顔をして
「お母さんのおっぱいはどこにいっちゃうの?今日やめたらなくならない?」
と聞いてきたのです。

「お母さんのおっぱいはなくならないよ。このままだよ」
と答えると娘は
「おしゃぶりはなくなっちゃったけど、お母さんのおっぱいはなくらなないの?」
「だったらおっぱいやめないよ。お母さん好きだからやめたくない」と急に泣き出したのです。

娘はおしゃぶりが壊れてしまった日のことをはっきりと覚えていたのです。

おしゃぶりが大好きでずっと使い続けていたら壊れてしまった。
じゃあお母さんのおっぱいも吸い続けていたら、壊れてしまう。
あの時のようにおっぱいがなくなってしまう。
お母さんがかわいそう。
そんな風に娘は思っていたのだそうです。

大好きなおっぱいを私のために諦めようとしていたのだ、とわかるとなんだか胸が苦しくなりました。
「何のための卒乳なのか?」
「いま卒乳することで本当に娘は納得できるのか?」
「娘は傷つくんじゃないのか?」

約束の卒乳の日を明日に控え、モヤモヤを抱えながら眠ることになりました。

誕生日当日 「卒乳より心の満足を優先しよう」

 いよいよ娘の2歳の誕生日を迎えました。
昨夜のことがあり、娘は夜中に何度も目を覚まして私の胸を探していました。
もちろん自分自身もモヤモヤの中で熟睡することなく朝を迎えました。

いつものように抱き付いてきて娘は「お母さんおはよう。おっぱいあるね」と笑います。
パジャマの中に手を入れていつもと変わらずにペタペタと身体を触ってきます。

その顔を見て私は「無理に卒乳することはやめよう」と答えを決めました。
娘が私の身体に触れることで安心できるのであれば。
娘がおっぱいを飲むことで幸せを感じているのであれば。
それが娘の心の成長には必要なことなのだ、とわかったのです。

娘と2人でカレンダーの前に立ち、今日の日付の「2さいたんじょうび おっぱいさよなら」と書いてあるところを指差します。
娘にペンを持たせて「おっぱいさよならだけ×にしよう」と伝えると娘はなにも言わず満面の笑みでカレンダーに×を書きました。
娘は全てを理解し、そして振り替えって「おっぱい飲めるの?嬉しい」とまた満面の笑みで抱きついてきました。

「じゃあまたおっぱいは寝る前にね。」
としっかり娘を抱きしめて保育園に行くための準備を始めます。
娘は元気いっぱいに「うん」と返事をして急いで着替えて朝ご飯を食べ始めます。

病気でもない。
妊娠したわけでもない。
ただ2歳になるからという理由で卒乳を考えていました。
しかしおっぱいをのむことは娘の心を育てていたのです。
私はこの日を境に卒乳は流れに任せて娘が決めればいい、と思うようになったのでした。

断乳ではなく卒乳を選べて良かった

2歳の誕生日を前に、一度は授乳をやめる決意をしたのですが、娘の気持ちを考えるとやめることが正解とは思えず、その後も授乳を続けることになりました。
いつくるのかわからない卒乳の日。娘との濃密な日々は続いていきます。

授乳は寝る前の親子の大事なスキンシップ

 一度はお別れすることに気持ちが動いたことが原因だったのか、そのまま授乳を続けることになってからは以前に増して娘のおっぱい大好きの気持ちが強くなっていきます。

2歳の頃には夜寝る前にだけ授乳をするようにはなっていました。
授乳の回数はかわらず夜1回だけでした。母乳の量だってたくさん出るわけではありません。
それでも5~10分くらいかけておっぱいを飲み、飲み終わった後も名残惜しそうにしておぱいを触ったり頬を寄せたりしています。
何といっていいのかわかりませんが、そんな娘の姿をとても愛おしいと感じ、眠る前の大事なスキンシップの時間だから思う存分甘えればいい、と自分の中でも思うようになっていきました。

赤ちゃんの頃から眠りにつくのが本当に苦手な子でしたが、十分にスキンシップをしてからだと安心してスッと眠ってしまうようになったのです。
時には私の胸に手を当てたまま眠ってしまったり。
お腹の上に乗ったままねむってしまったり。
眠る前はお気に入りのぬいぐるみとお母さんがいないと眠れない、という感じになっていました。

既に歯も生えてきているので授乳をしていると時々いたい時も出てきましたが、それでも娘の幸せそうな寝顔を見ていると「まぁいいか」と思ってしまうのです。
柔らかい娘の手は私の気持ちも温かく包んでくれていました。

3歳の誕生日 娘が卒乳を意識し始める

特にこれといったこと事もなく、2歳半を過ぎても変わらず夜の授乳は続いていきました。
その後は授乳をやめるかどうかということについて私から聞くこともなく、娘の自由に任せていたので、当たり前に眠る前に授乳をする生活が続いていたのです。

しかし、ある日、ついに娘の心に変化が訪れました。

その日、一週間後に控えた娘の誕生日カード用に園庭で写真撮影をしたそうです。
そしてその日の帰り、迎えに行った時に対応してくれた先生から
「すごくお姉ちゃんになったね。もう制服着ていてもおかしくないくらい大きくなったね。」
と言われた娘はなぜか複雑そうな顔をしていました。

いつもだったら「お姉さん」「大きくなった」には嬉しい顔をする娘がその日に限ってなぜか嬉しそうな顔をしていません。

車に戻って娘に理由を聞いたところ、
「来年になったら制服着るんだよ?すごいお姉さんになるんだよ?もうおっぱい飲んでるのおかしいよね?」
と、初めて自分がおっぱいを飲んでいることに対して疑問を持ったようでした。

「だっておっぱい飲んでる子、お友達にいないよ?私だけだよね?」
娘はいつの頃からかクラスの中で自分だけがおっぱいを飲んでいることをしっかりとわかっていたのです。
大丈夫と思っていたけれど、3歳=すごいお姉さんだからもう赤ちゃんじゃないという図式が娘の中でも保育園の中でも出来ていたようで、自分の行動に初めて「あれ?もしかして私だけ違うの?」と思ってしまったようでした。

夜眠る前に改めて娘から
「ねぇお母さん。3歳の子はみんなおっぱい飲まないの?私だけなの?」
と質問されました。
「保育園の子にはいないかもしれないけれど、3歳になってもおっぱい飲んでいる子はいるよ。お母さんは別にいいと思っているよ。」
そう。お母さんは別に気にしていないし、娘がよければそれで良かったのです。

しかし娘の中では3歳になることはとても大きな問題でした。
すごくお姉さんになることだから自分の行動を考えなければいけないのだ、と娘の中で何かが動き始めたのです。

意外とあっさり 卒乳の日

そうは言っても3歳の誕生を過ぎたところでやはりおっぱいを卒業しようとはしませんでした。
おっぱいを飲んでいるからといっても娘は食が細いわけでもなく、とても順調に成長していました。

周りの子より少し身体が大きい娘。本当の年齢は3歳ですが、背丈だけを見ると年中さんの中に混ざってもおかしくないくらい大きくなりました。歯もずいぶんと生えそろい、身体のちからもすごく強くなってきました。

そんな中での授乳は娘にも気を使ってもらわないといけません。
赤ちゃんの時のように吸いつかれると歯が当たってとても痛いのです。
肌に触れる時に爪を立てられるとお腹や胸に傷がつくこともあるのです。
それでも多少のことは我慢して授乳を続けてきましたが、ある日、娘が授乳中にバランスを崩したことにより、思いっきり噛みつかれてしまったのです。

爪がささり、歯がささり、胸からかなり出血がありました。
それまでも何度も傷が出来たり出血することはありましたが、ここまで大量の出血があったのは初めてです。
傷みと驚きで私は娘を引き離してうずくまりました。
私の胸から血が出ていることに驚き、娘は大きな声で泣き出します。
私は娘を何とかしたい気持ちもありましたが、何よりも痛みと出血をまずはどうにかするべく慌ててお風呂場へと駆け込みました。

血を流し、傷の処置をして戻ってくると娘はまだ泣いています。
「お母さんごめんなさい。血が・・・血が・・・。」
そういって泣いている娘を抱きしめました。
「うん。血は止まったけど傷が痛いからおっぱいはしばらく無理かも」
そういうと娘は
「じゃあもうおっぱいやめるよ。お母さんがケガしちゃうもん。」
と言います。

そして本当にその日を境に娘はおっぱいを飲むことをやめました。
3歳3か月。泣くこともなく、嫌がることもなく、娘は自分の意思で卒乳しました。

卒乳のその後 それでもおっぱいは大好きだから

卒乳したその日から娘は一度もおっぱいを飲みたがることはありませんでした。
しばらくは私の方が「大丈夫かな?」と心配していましたが、本当に一度も「おっぱい飲みたい」とは言ってきませんでした。

それから数年、娘も小学生になりました。
相変わらず朝起きてから眠るまでの間に「お母さんギューして~」と何度も抱き着いていきます。お風呂や着替えの時には胸を触りたがります。
胸だけではなくお腹や二の腕など身体の柔らかい部分を1日に何度も触ってきます。

「お母さんのお腹気持ちいい」
「腕のここの部分、ムニムニして気持ちいい」
「お母さんのおっぱい柔らかくて好き」
はっきり言葉にしながら気持ちよさそうに私の身体のあちこちを触ってきます。

母親の身体のぬくもりや柔らかさは子どもにとってとても大事な物で一番落ち着く場所なのだと思います。
おっぱいを飲むことを卒業しただけで、お母さんのおっぱいはそこにあるのです。
家で人目がないところだったら触ったっていいんです。

娘の入園式の日に園長先生がおっしゃったように、私は可能な範囲で娘の望むように胸やお腹、二の腕などを触らせています。
たくさん抱きしめて、たくさん胸を触らせています。

周りのみんなよりはずっと遅くなった卒乳でしたが、娘と授乳を通じて過ごした時間は私と娘の間の強いきずなを作りました。
毎日眠る前の儀式のようにギューッと抱き合っています。
おっぱいはないけれど、娘は夫ともギューッと抱き合うことが大好きです。
授乳を通じて、スキンシップを通して、娘への愛情がたくさん娘の中へと入っていきました。

子どもとのスキンシップはとても大切な時間です。
時には忙しくてリクエストにこたえられない時もありますが、手が空いた時にはこちらから近寄っていってギューッとしてあげます。
それで娘が落ち着くのならば。
それで娘の気持ちが満たされるのならば。
それで私も幸せです。

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