可愛い我が子に「何か違う?」と思い始めた日

2021年10月20日

発達障害

我が子の誕生~ただただ可愛い我が子と立ちはだかる母乳神話~

結婚して1年、結婚式を挙げてすぐに妊娠検査薬で陽性反応を見ることができました。
これまで何度も何度も使ってきた検査薬。初めて見れた青い2本線。
旦那と飛び上がって喜びました。

毎回ドキドキしながら妊婦健診を受けていよいよ迎えた出産の日。
私は初産ながらもスピード安産で予定日よりも早く我が子に会うことが出来ました。

「はじめまして。」

そこから我が子との日々がスタートしたのです。
私たち家族が3人になった瞬間でした。

出産から4日間、病院での生活はそれはそれは快適なものでした。
時間通りに豪華な食事が出てきて、赤ちゃんが泣き止まないと看護師さんが駆けつけてくれる。
シャワーをゆっくり浴びることができて、なんとエステまでついてました。
(私は慣れないエステでこそばくて仕方なかったです。笑)
そんな中で見る我が子は世界一の可愛い赤ちゃんです。
体の不調はあったものの見てるだけで癒される我が子を隣に、私は世界一幸せを噛み締めていました。

いよいよ退院の日です。
もうこの日ばかりはとにかく不安で仕方なかったのをはっきりと覚えています。

「おうちに帰ったら看護師さんいないんだよね?泣き止まなかったらどうする?誰も来てくれないんだよね?」

入院生活で甘えっぱなしだった私は看護師さんや助産師さんという大きな優しさがすぐそばにない不安しか頭にありませんでした。
今思えば看護師さんたちという自分の中での「正解」がすぐそばにいない、すぐ頼ることができない、もちろん我が子の心配が一番のはずですがその思いの中の一部には

「この子に何かあったら私のせいだ。」
「私が全責任を持ってこの子を見ていないと…。」
「私しかいないんだから。きちんとしないと。ちゃんとしないと。」
「いい母親にならないとダメだ。そう見られるようにしないと。」

など視点を変えれば「自分の保身」に見えるような部分もあったかもしれません。
やはり自分が一番可愛い、という言葉があるように人の心にはこのような弱い部分が少なからず存在すると思います。
でも果たしてそれはそんなに悪いことなのか?
これまでの私はその弱い部分全てが悪い、自分の精神が弱いせいだ、とただただ自分だけを責めてしまうそんな性格だったのです。

それから慣れない育児が始まりました。
帰って数日は今まで旦那と過ごしてきたお部屋に小さな新しい家族がいることに毎日興奮してました。
ただ病院にいるときのように可愛さを噛みしめる余裕はそんなになくて、時間に追われながらオムツにミルク、連日の寝不足と慣れないこともあり過去一忙しい日々を過ごしていました。
それでも我が子は本当に可愛くて可愛くてあっという間に写真フォルダーが我が子の写真だらけになってましたね。
(それも今見返すとほとんど同じような写真ばかり!ある程度で写真フォルダーの整理をしておくことをおすすめします。笑)
一ヶ月が立つとお宮参り、親戚たちへのお披露目、生まれてまもなくってひっきりなしにイベントがありますね。
今日はどんな服を着せようかな、写真をたくさん撮って家族に送らなきゃ!完全に親バカでした。

私は出産前から育児書を読み漁り、我が子には素晴らしい人生をプレゼントしなきゃという気持ちがある程度ありました。
自分の導き次第で良くも悪くもなる我が子の人生。その責任を全うしなくては…!
もはや軽く脅迫めいていて怖いですね。でもあの頃の私はそれが普通だと思っていましたし、母親になったらみんなが当然するものだと
思っていたのです。
だから新生児から行う脳のトレーニングのような運動だったり、発達にいいおもちゃ、歯固め、小さいうちからでもたくさん与えいろんなことを実践してきました。今思えばその中で何が良かったのかなんて一つも分かっていませんが、どれか一つでも
結果的に我が子の成長の手助けになっていたら良かったかな、と自分に言い聞かせています。

そんな幸せの絶頂の中でも少し悩まされたことがあります。それは誰もが一度は感じたであろう母乳神話!
私はそこそこの田舎に住んでいますのでこの母乳神話が特に自分の周りで根強く蔓延していると感じています。
確かに母乳にはたくさんの栄養が詰まっています。でもミルクにも同じくらいたくさん栄養があります。
どちらが良くてどちらが悪いかなんて決められないし、そんなことを争うこと自体馬鹿げています。
実際問題ミルクで育ったせいで健康上に大きな影響が出たという赤ちゃんはいません。
(アレルギー等はまた別問題なので除きます。)
それに現代の食事って昔と比べて多様化してきたこともありなかなか高カロリーになってると思うんですよね。
母乳は母親の食事内容で栄養成分も多少左右される部分がありますから、下手したらミルクの方が断然子供に良いってパターンもあり得ると思うんです。
私がこの母乳神話に最初に直面したのは、我が子がちょうど生後一ヶ月になり地域の保健所から来る「新生児訪問」です。
地域の保健師さん・助産師さんが日頃の様子を聞いたり何か困ったことがないか聞いてくれたりする、初めての育児をする母親にとっては非常に
ありがたい制度ですね。
旦那にもスタンバイしてもらって迎えた新生児訪問。来てくれたのは50代くらいの担当職員と70代くらいのおばあちゃん保健師さんでした。
まずは体重測定。狭い部屋に大きなスケール(赤ちゃん用体重計)を置いて我が子をすっぽんぽんにさせて体重を測ってもらいました。
その体重からミルクの飲みは悪くないかを判断してもらいました。
母乳もしっかり出ているか実際に見てもらう、というのもありました。病院でも何度も看護師さんや助産師さんに見せてきたので自分の胸を晒すことの
抵抗がもうこの段階で薄れてきてましたね。(地域によってはここまでしないこともあるようで別の地域に住む友人には驚かれました。)
そして母乳の出は悪くないよ、との言葉をいただいたのですが我が子は未熟児にギリギリ入らないくらいの大きさで生まれて初めのうちから母乳の飲みが良くなかったので
入院している時からミルクと母乳、混合であげていました。その事実を伝えた時、第一声が「出るんだから母乳をあげなきゃ!」でした。
さらに我が子は直接母乳を飲むことができず、ニップレスという乳頭保護器を装着しての授乳をしなければならず私にとってその負担は大きいものでした。
いずれはニップレスなしで飲めるようにたまには直母で練習もしなさいと産院でも言われていたので、直母での練習→ニップレスをつけての授乳→足らない分をミルクで授乳
というように一回の授乳にもたくさんのステップがあり私はこの後からもひどく追い詰められていきました。
スーパーへお買い物に出かければいきなり知らないおばさまたちに母乳か?と聞かれたりなんてことも私の町では普通にありました。

そんな悩みは日々あったものの唯一「同じ月齢の子供達を見る」という機会がなかった私は大変だけどとにかく毎日我が子は可愛い!の気持ちで溢れていました。
たくさんの子供達の中にいる我が子、という図は到底想像できませんでした。我が子を客観視するということですね。
そんな状況になったのが生後3~4ヶ月に受ける集団検診だったのでした。(コロナ流行前です。)

集団検診という初回ビッグイベント~初めて別の子と比べてしまった日~

生後3~4ヶ月の時期に初めてのビッグイベントがあります。それが地域の集団検診です。
日が近づく度に謎のドキドキ感を抱えながらこの日を迎えたのを覚えています。
どんなことするのかな?何人くらい来るのかな?
未知のことすぎてもう四六時中スマホで検索しました。実際行った人の感想だったり
ブログだったりをとにかく読み漁りましたね。
赤ちゃんの成長過程を検査することが目的なのに、どこか親の品評会のような気分でした。

ただ地域によって検査方法もまちまちだったりして結局詳しい内容はわからないまま
集団検診に挑みました。(コロナ流行前です。)

いざ案内されたお部屋に入ると想像よりもずっと多くの親子がいました。
大体同じ月齢の子が集まっているので知らない人同士でも話しかけやすい環境で
ちらほら会話をしている声が聞こえました。
受付を済ませて指定されたイスに座りひと呼吸置いた瞬間、第一ショックを受けました。
我が子はまだ首も座っていなくて手で支えていなくてはいけませんでしたが、周りの子達はお母さんの膝の上で
ちょこんと座っているのです。
あれ?私の子だけすごく赤ちゃん感ない?
その時純粋にそう思いました。もちろんしっかりした子、赤ちゃん感が残っている子様々でしたがその時受けた
ショックが大きくてなぜか内心すごく焦ってました。
みんなもうこんなに首すわってるんだ…知らなかった…練習とかめちゃくちゃしたのかな…。
そんなことをあれこれ考えてるうちに順番が回ってきました。まずは身体測定でした。
分かってはいましたが安定の体が小さい宣言いただきました!!笑
ミルクの量を増やすように指示され、母子手帳には「栄養状態 要指導」「体重増加不良」と書かれてしまいました。
でも生まれてからずっと小さめ認定は受けていましたし、何より私自身が同じような成長過程を辿っていましたので(自分の母子手帳を見て驚き!ほとんど体重や身長が同じだったんです)そこまで大きなショックはありませんでした。
言われるだろうな…という予想は心のどこかでしていました。

健康状態には特に大きな問題はなく、次に別室にて運動検査でした。
赤ちゃんをベッドに寝かせて顔の上にティッシュを1枚乗せてそれを手で払えるかどうか、というものでした。
我が子は無反応でした。もがいてるようなもがいてないような…できないままこちらは終了。
次に耳の検査です。右方向、左方向から鈴のおもちゃを鳴らして振り向くかどうか、という検査でした。
なんとこちらも無反応でした。笑
でも聞こえていると思うという診断結果で我が子はすごいマイペースでした、という感じで終わりました。

検査が一通り終わって最後に保健師さんとお話しする時間がありました。その間我が子はこれまでにないニコニコ笑顔で
終始ご機嫌でした。「愛想のいい子だね~」と保健師さんと笑い合って張り詰めていた気持ちが少し緩みました。

それから帰ってからもとにかく他の子を見た衝撃、我が子がとんでもなく赤ちゃんに見えてしまったショックは忘れられませんでした。自分では想像もしてなかった感覚で突然の出来事だったので自分の中で重く深く残ってしまいました。

うちの子っておかしいの?普通の子ってどんな感じなの?とりあえず首をしっかり座らせなきゃ!

完全に焦りに焦ってましたね。
それから隙間時間を見つけては必死にスマホで調べました。「首すわり 練習」と毎日調べ続ける日々。
完全に精神的に追い詰められていて、育児を楽しむ余裕など微塵もありませんでした。
この前まで「可愛い、可愛い」としか思ってなかった我が子に対していつの間にか「どうして、どうして」と思うようになっていました。

それから今まで以上にうつ伏せにさせて練習をしました。
時には嫌がる我が子を見てはなんとも言えない辛い気持ちになりました。
この時は気軽に相談することもなんだか変なプライドのようなものが邪魔をしてかあまり言えませんでした。
我が子が出来ないことは自分の責任だと考えていたのです。
ただ今までの私は我が子が嫌がることはしたくない、それがたとえ成長につながることであっても嫌がる姿を見てることの方が辛いと思っていたこともあったのでそういった練習を積極的にはしてこなかったように思います。
我が子はうつぶせの体勢自体ものすごく嫌がってすぐに泣くような子でした。
だから泣かせたくない一心で嫌がることはこれまで避けて過ごしてきました。
ですので今思えば今回のこの第一ショックは結果的に良かったのかもしれません。
可愛い子には旅をさせよ、という言葉があるように愛する子ならばその子を信じて挑戦させてあげるべきですよね。
ちょっと話が大げさになりましたが親の心持ちって本当こんな感じだと思います。

でも一度気になり始めるとあれこれと考え始めてしまいます。
結果的に我が子の首がしっかりと座り始めたのは生後5カ月目の時でした。平均として3~4カ月には首座りができるようになってくるので我が子は「少し遅かった」と言えますね。子供がいなかった時の感覚としては1カ月くらい大した差に感じなかったかもしれませんが、いざ育児を初めて見るとこのたった1カ月、たった半月がものすごい壁に感じ始めるのです。
それほど真剣に向き合っている証拠とも言えますが当の本人にとってはものすごいストレスとなっているものです。
 
この首座り問題をきっかけにそれから私はたくさんの壁にぶつかることになりました。
出鼻をくじかれたような感じだったのかもしれませんね。
今思えばこういうところがむしろ私自身の心の弱さかもしれません。あれほど出産前は意気込んでいた育児に対してこれほどまでに
弱気になってしまっていたのです。あれだけ読み漁って学んだトレーニングもそれ以降頭にもありませんでした。
まさに心の余裕をなくしていました。

我が子がの成長のために親が努力するのか、それとも親の体裁のために我が子に練習させるのか、その境目がよくわからなくなって
いました。本来ならば子供の成長を願って、信じてたくさん挑戦させていろんなものに触れさせる。
それ以外に理由なんてないはずなのに。
たちまち外に出て我が子が人の目に触れた時
「あら、小さいのね」「小柄なのね」「まだ首が不安定なのね」「赤ちゃんっぽくて可愛いね」
相手からしたら別に悪意があるわけでもないのに私からしたらすごくトゲのある言葉に感じてしまうのです。
それは何より自分自身が気にしてしまっているからなのですが、当時はその自覚もないので「どうしてそんなこと言うの?」と
歪んだ考え方になってしまう日もありました。

母子手帳への保護者の記録欄もだんだん弱気になってきます。
第3章から改めてひとつずつ振り返ってみたいと思います。

何か違う?~悩みはじめのスタート~

生後3カ月の時の集団健診が終わってからよく保健センターに出向くようになりました。お出かけできる時期になってきたからということもありますが一番は身長・体重の測定のためです。結構こまめに通って保健師さんに計測していただきました。
母子手帳の記録欄はあっという間に真っ黒に埋まっていました。

そして私自身の体もだんだんとガタが出るようになっていました。我が子は生まれてから比較的よく眠る子ではありませんでした。
いつまでも細切れ睡眠になっていて我が子が昼夜問わず泣く度に抱きかかえていたので少しずつ時間の概念もなくなってきました。
ずっと不眠が続いた上に、育児に対して不安な気持ちや誰かに相談できない悩みが出てきて私の体は身体的にも精神的にもボロボロになっていきました。

首座りの一件で自分の中で「我が子は成長が遅いのかもしれない」というレッテルをいつの間にか貼っていってしまったのかもしれません。それから成長の過程のスケジュールをくまなくチェックしました。

「あと何日までにこれができてないと!」

私の頭の中はすっかりそればっかりでした。もちろん子供を育てることに対しての責任があるからこそだと言えますがそれは
本当に我が子と向き合っているかと言われればそうではなかったと思います。
私が向き合っていたのは「世間一般から見て恥をかきたくない自分」「幸せな家庭を築いている自分の姿を保ちたい」という最終的には自分自身の評価だけだったのかもしれません。

そしてもうひとつ、私のこの不安定な精神を加速させた要因がありました。
私には3カ月違いで出産したとある友人がいました。その友人を含めた3人グループで育休間よくお家に遊びに行ったりショッピングモールに出かけたりしていました。
初めての育児で不安がある中で友人たちの存在はとても大きく、毎日くだらないことでも連絡を取り合い、会えない時間にはテレビ電話をしたり1日の大半を彼女たちと関わって過ごしてきました。
友人の子供の方が3カ月早く生まれていて、毎回会う度に間近でその成長具合を目の当たりにしました。

ある日遊ぶ約束をしていてその準備に取り掛かろうと支度をしていた時、いつものように何気ない連絡を取り合っていました。

「抱っこから降ろすとわんわん泣くからなかなか準備が進まないよ~!」

私が何気なく送ったこの一言に対して友人から思わぬ言葉が返ってきました。

「〇〇ちゃん(三カ月早く生まれた友人の子供)はそんなのないからそれは慣れだね~。私は子供産んだ時は泣いても放置してるようにして鍛えなくちゃ!」

この発言をした友人はまだ子供がいなかったのでまた見方が違っていたのかもしれません。
でも私の中で自分の育児を否定されたかのようでものすごく違和感と不快感を覚えました。
それ以降自分の中では友人の言葉が間違っているんだ、と思うようにしていてもふとした時にどうしても引っかかってしまい自己肯定感がより低くなっていったように思います。

この友人たちはそれからも頻繁に会っていましたがその度に「〇〇ちゃんはもう寝返りした!」「〇〇ちゃんがマグを使って飲んでる!」などの発言がどうしても耳につくようになってしまい、我が子よりも三カ月早く成長する様子をまるで比べられているかのようでした。
やっぱりできるようになることが増えるのは他人からしても嬉しいものですし、気持ちは分かります。
数ヶ月後に我が子が同じことができてももうその友人たちの目には珍しいものとして映らないのであまり感動もなかったのかもしれません。
特に我が子は「よく泣いて、あまり寝ない子」でしたし友人の子は「よく寝て、あまり泣かない子」でした。(私からもそんな風に見えていました。)

首座り、腰座り、一人でおすわり、はいはい、つかまり立ち、離乳食、歯の生え始め、つたい歩き…
1歳までの子供の成長過程は本当にたくさんの項目があります。そのひとつひとつに平均年齢というものがあります。
でもひとつクリアするとまたひとつ…と嬉しい子供の成長がいつの間にか少しずつ私を追い詰める業務のようになっていました。

全体的に全ての成長項目において平均を下回っていた我が子は今になればマイペースだったと言えますが当時はどうしてもそんな風に思えませんでした。

それから次第にその友人たちと距離を置くようになっていきました。
自分の中で限界を迎えてきたのです。自分と我が子を守るために犠牲にするものもあるのだとこの時初めて感じました。
正直に言えばとても悔しかったです。理解されない辛さ、まるで自分を否定されているかのような虚しさ、可愛さを共有できないことの寂しさ。
夫に相談しようかとも思いましたが自分が社会に出ていないことに対する申し訳なさや、外で働いて疲れている夫に愚痴を聞いてもらうのは気が引けるなぁと当時は思っていました。
その時は育休中でしたし、私も出産前は働いていました。
大変な出産という壁を乗り越えて今があるのに、主婦となった途端に心の中の自信や自分の存在価値を見失ってしまうのです。
主婦だって立派な職業ですし、誰かがやらなければ家庭は成り立ちません。分かってはいるもののこの社会から隔離されているかのような感覚に陥ってしまうとたちまち、自分だけとてつもなく弱い存在となってしまうのです。

この心理はいずれのお母さんや主婦の方も一度は思うのではないでしょうか。
自分が社会の中で認められているという潜在意識が、働いている時は自然と生まれていて、家庭に入った途端に薄れてしまう。
自分で自分の価値を見いだせない…世のお母さんたちは真っ暗闇の中にいるのかもしれないと今になってそう感じます。

それから職場復帰をするにあたって我が子を保育園に入れることになりました。
そこでの先生との出会い、お友達との出会い、またこれまでとは違った環境や良い刺激がたくさん訪れます。
今でも我が子は保育園に通っていますが私はこの環境が本当にありがたく、私の心の安定にも繋がっていったことに気づいて今は感謝の気持ちでいっぱいです。

家族でも親戚でもない、第三者の人間が我が子の成長を一緒に喜んで、共感してくれる。それが親にとってどれだけ嬉しいことか。
我が子のことを一番に考えてくれる存在がもう一人増えることがどんなに心強いことか。
私はこれまで抱えていた悩みをついに素直に打ち明けることができるようになります。それも優しく親身に接してくれた保育士さんの存在があったからです。
第4章ではこの保育士さんに打ち明けることでこれまで抱いていた不安、私の中の育児に対する考え方の変化、について少し書いてみようと思います。

悩みを打ち明ける決意~他人に我が子への不安を初めて相談するまで~

保育園に入園してからは毎日の園での生活の報告等も含めて毎日先生とお話をする機会があり、気軽な相談もしやすい環境にありました。
「お片づけができるようになりましたよ!」「今日は泣かないでご飯が食べれましたよ」「こんな絵本が大好きですよ」など自分以外の人と我が子との様子を
毎日聞いたりするのが初めは新鮮でどこか変な感じでしたが次第に慣れてきて、毎日の報告が楽しみで仕方なかったです。
それから仕事もあり毎日バタバタとした日々が過ぎていき、前ほど重く考える時間が少なくなってきました。かといって考えないわけではなく、夜子供が寝てから気がついたら子供の成長関連のことを
無意識にスマホで調べている日もありました。そんな私の意思とは関係なく我が子は自分なりのペースで少しずつ少しずつ成長していたのに、素直にその成長をただ喜べなかった
あの時の自分を叱ってやりたいです。
通い始めはまだミルクを飲んでいたのでしばらくして卒乳の提案を先生からされて実行することにしました。初めはみんなうまくいきませんから苦戦するものだと思いますが
その気持ちを共感してくれる相手がいるって本当に心強いです。私は毎日先生に「昨日はどうだった」「昨日はこんな風になった」と報告しては毎日2~3分お話を聞いてもらって
いました。この時間が私にとって何よりの癒しの時間でした。今まで抱えていたモヤモヤが少しずつ減っていくような感覚さえありました。

脳の仕組みからして女性はよく共感し合うことでストレスを発散できるというお話を聞いたことがありますがこれは男性の脳とはまた違った性質を持っていてこの感覚の違いによって
よく子育て中の夫婦仲が悪くなったりするのだと思います。ママはパパに今日の報告をするとき、お話を聞いて欲しいだけなのにパパから求めてもいないアドバイスが来て幻滅…。
たまに説教くさいものもあったりして結局もういいよ…となるパターン、どの家庭でも一度は経験あるのではないでしょうか。
私の家庭でもまさしく同じことがありました。「ただ聞いて欲しい」って簡単なようで意外と難しかったりするんですよね。もちろんパパ側も何か役に立とうとして頑張った結果なのかも
しれないので一概にパパばかりを責められませんが、この時期に夫婦仲が悪くなったりするのはできれば回避したいとこ。
私の場合はその合間に立ってくれたのが保育園の先生だったのです。

気がつけば卒乳もほぼ完璧に完了していました。毎日応援してくれた先生のおかげです。卒乳が終わればすぐに離乳食です。
ひとつ終わればまたひとつ…いつになっても同じですね。
離乳食は保育園でも用意してもらえたのですごく助かりました。時にはメニューを写真に残してくれて印刷して参考にどうぞと渡してくれた時もありました。
毎日仕事に追われていた時でもあったのでベビーフードが多くなりがちでしたが先生は何ひとつ変な顔も嫌な顔もせず、私を褒めてくれるのです。
「毎日頑張ってますね」の言葉を毎日の頑張りを本当にわかってくれている相手から言われるのって本当に嬉しいものです。

その後もいろんな壁を乗り越えていって我が子はすくすく成長してくれました。
次の悩みのターニングポイントは歩くことでした。つかまり立ちもいつまで立っても上手にできなくていつもグラグラでした。頭が重かったのかな?笑
保育園でも手押し車で促してくれたりと毎日たくさんの刺激を与えてくれて、結果歩き始めたのは1歳4ヶ月、もう数日で5ヶ月になる頃でした。
周りと比べても確かに遅い!保育園のクラスでも最後の一人となってしまいしばらくイベントごとも我が子だけゴンドラ移動でした。これはこれで見る側も面白かったですけどね。笑
歩き始めあたりから成長していくスピードがものすごく早くなっていったような気がします。歩き始めたら急に赤ちゃんから幼児になったような感覚で親としても
少し安心できる部分があったのかもしれません。

こうして少しずつ先生に心を開いていけたような感じはありました。毎日の小さな報告を積み重ねて私の心情も次第に穏やかになっていきました。

そうこうしているうちに最大の大きな悩みが私を待ち構えていたのです。
一歳半検診です。この検診は結構多くの方のターニングポイントになっているのではないかと思います。
経験者の方はご存知の通りあらゆる検査項目があり、また顕著にその違いが出てくる時期なのです。
この時はコロナウイルスの影響で本来ならば集団検診だったところが各医院での受診になっていました。今思えばこの点だけはほんの少しですが気持ち的に救われたかもしれません。
周りの子と無意識に比べなくても済みますし、自分の中で言いたいことや聞きたいことが落ち着いてお話しできたかなと思います。
この一歳半検診を受けるにあたって事前にどんなことをするのかは調べていました。大きく項目が二つあってひとつは「指差し確認」
いくつか絵が描かれている中から「わんわんどれかな~」と聞かれて指をさせるかどうか、というものです。地域や医院によって多少の検査方法の違いはあるかとは思いますが
全国的に大体同じだと思います。
我が子は初めからできないことがわかっていました。調べてわかった時から家で特訓していましたが一度も成功することはありませんでした。
それどころか日常の何気ない場面等でも自分が興味のあるものに対して「あっ」と指を差すということ自体がなかったのです。
なので私も今更教えたところでしないんだろうな…という思いは心のどこかにありました。
私が検査を受けた医院の先生はまず私に口頭で質問してきました。
「指差ししますか~?」と聞かれ「しません」と答えると「はい、了解です~」という感じでさらりと確認終了…
こんな医院も珍しいとは思いますが先生の前で実践することもありませんでした。(コロナウイルスの影響がなければ本来医院ですることではないからかな?)
とりあえず構えていた指差しはあっけなく終了。きっと用紙にはできないに印がついたことでしょう。

ふたつめは「言葉をどれだけ話せるか」です。
大体一歳半の言語の数は個人差が大きいとされていますが多いと数十語、少ないと数語だとネットなどにも記載されていました。
私が受けた医院では事前に一歳半検診用の問診票みたいなものがあり、おしゃべりする言葉を書く欄がありました。
私は頭をひねりながらこの欄を書きました。だって確実にしゃべる言葉なんて一つもなかったのですから。

前に一度だけ「あーたん(かあちゃん)」って言ったな…多分偶然だろうけど。

りんごって言葉教えてる時「ごごご」って言ったな…一度だけだけど。

そんな感じでほぼ偶然といってもおかしくないレベルのものをいくつか書きました。
空白で提出するのも変に気が引けてしまって…おかしな話ですけどね。私の中のちっぽけなプライドというか見栄だったように思います。

でも医師には「書くには書きましたが間違いなくお話しするという感じではありません」と正直にお話ししました。
結果的に2歳になった頃もう一度確認のお電話をします、とのことで検査は終了しました。

それからしばらく経っても我が子は全く喋り出す気配はありませんでした。
そんなタイミングで保育園で個人懇談があり先生とゆっくりお話をする機会がありました。私はこの時初めて胸の内を明かしました。

一歳半検診も引っかかり、実は自分の子が障害があるのではないかと最近考えるんです。
実は私のいとこに自閉症の子がいるんです。だから喋らない我が子を見てるとやっぱり我が子にも何かあるのではないかと気が気でないんです。
障害のある子のことを嫌だと思っているわけではないですがやはり親としては我が子には障害なく成長してほしいと思っているので毎日不安でスマホで
検索ばかりしては根拠のない不安に落ち込むだけなんです。

自分が思っていることを全部全部打ち明けました。
友達にも言えなかったことも信頼している先生には正直に打ち明けることができました。
そして先生からの言葉に私は今までの育児に対する考え方を良い意味で大きく変えられることになります。
最終の第5章では自分の今までの間違った考え方、気持ちの変化について書いていこうと思います。

子育てって前向きでなきゃやってられない~難しいようで難しくない子育て~

いよいよ迎えた個人懇談の日。私はずっと抱えていたもやもやを意を決して先生にぶつけました。
初めから疑問だったこと。
首座りもおすわりも全ての発達段階において少し遅れ気味であること。
一度気になり始めるといろんなことが引っかかってきてしまうこと。

首を左右に振ったりすることがある、お母さんに対する執着が少ないような気がする、回っているものが好き、ドアの開閉が好き、バイバイの仕方が逆になる、おしゃべりもしない。

たくさんたくさん打ち明けた後先生は一言優しく言ってくれました。

「お母さんが〇〇ちゃんのことをどれだけ大切に思っているのかがすごく伝わりました。いつもよく見ているんですね。」

その瞬間、私の中で張り詰めた糸がふわっと解けたような感覚がありました。
旦那に相談しても真剣には向き合ってくれませんでしたし、友達にも気軽に言いづらかったです。
だからこの気持ちを共感してくれる人は誰もいなかった。本気で心に寄り添ってくれる人はいなかった。
ただただ私は自分の中で孤独と戦っていたのかもしれません。

その後具体的な話もしてくれました。
まだまだ今の段階では発達遅延ほどではないこと、去年おしゃべりが全くできない子がまた上のクラスに進級する頃にはペラペラとおしゃべりができていたこともたくさんある。
その可能性の方がよっぽど大きいと思うと先生は自信を持って言ってくれました。

何より私のやり方が間違っていたのかもと不安になっていた私の気持ちを汲み取ってか、こんな言葉も残してくれました。

「子育てって難しいと思います。いっぱい悩むこともあると思います。
でも本当は子供は親の背中を見て育つんです。
何もしなくても親の背中を見て子供は勝手に育つ。
親が正しい行動をしていればそれを正しいと感じ、自分の力で勝手に成長します。
いいものを見せてあげようという親心はもちろんあると思いますが、あまり気負いはせず、あなたの背中を見せてやっていればいいんです。」

私の中で常識が変わった瞬間でした。
今まで何を与え、どんな環境にいさせるかどうか、に焦点を置いて悩んで試行錯誤してきました。
でも論点はそこじゃなかった。

私の背中、働く背中、家で家事をする背中、近所で挨拶を交わす背中、そんな姿をただ近くで見せてあげればいいなんて私には思いつきもしなかった。

そんな簡単なことだったんだ…。
正直にそう思いました。

もちろん親が考え、いろいろなものを与えたりするのも背中の一つだと思います。
でもその内容よりもその姿が大事なんだと教えていただいて私は拍子抜けでした。

それから肩の荷が下りたのか前ほど深刻に考えることがなくなりました。
それが関係してかはわかりませんが、我が子は2歳になる前に突然堰を切ったように言葉をしゃべり始めました。
それからは親もびっくりするほどのスピードでたくさんの言葉を覚えて、わずか半年ほどの間で100個近い言葉を覚えて話すことができるようになっていました。

もちろんこれは私が思い詰めなくなったからではないとは思います。人それぞれのスピードがあり、たまたま我が子はこのタイミングであったのだと思います。
周りのお友達にも2歳を過ぎてもまだほとんどおしゃべりしない子もいますし、発達教室に通い始めた子もいます。

私以上に悩んだと思います。

でも変に凝り固まることなく自然体であってほしいと私は思います。
その悩む姿も親の背中の一つであるからです。

子どものすべてを受け入れることは簡単そうで、当たり前のようで、そうじゃない。
自分の中の葛藤とか、もう数え切れないほどの悩みが出てきて当たり前だと思います。
ただどこかで自分の中で一区切りして、前を向いて毎日を過ごしていた方が子どもにとっても親自身にとってもいいと思います。

その姿を見せていることだけでもう立派な「子育て」なんです。

自分が思っているほど周りは気にしていないし、子どもは毎日少しずつ成長しているんです。
その日々の喜怒哀楽に目を向けた方が子育ての本当の楽しさを実感できるのではないかと今になってそう思います。

はじめての妊娠、出産、子育て。
今までにないくらいものすごいスピードでたくさんの刺激が毎日あってお母さんは精神的にも疲れやすいです。
心も体も疲れていては本来の笑顔も明るさもなかなか出てこないもの。

子どもにとっていい環境とは
たくさんのおもちゃあることでもなく、
おいしい手作り料理が毎日出てくることでもなく、
発達にいい体操をする習慣があることでもなく、

お母さんの心からの笑顔が毎日、目の前にあることではないかと思うんです。

お母さんの楽しそうな姿を近くで見ていられること、
一緒に喜んだり悲しんだりしてくれること、
そんな環境があればそれはもう子どもにとって1番最高の子育てになるのではないかと私は思います。

そのためには私たち親の心を軽くしてあげることが何より大事なのではないでしょうか。

今回私は保育士さんの言葉に心がすっと軽くなりました。
その言葉たちを今ここでみなさんにシェアします。
言葉のシェアはどこまでも広がることができるし、なくなることも減ることもありません。

今この瞬間も自分の育児に思い悩み、心が凝り固まっているお母さん方はこの言葉たちで少しでも気持ちが明るく軽やかになってほしいと願っています。

あなたの心からの笑顔が何よりの子どもの幸せ、成長につながります。

具体的な発達の加減は保健センターなど地域の専門スタッフの方と二人三脚で一緒に考えればいい。
家に帰ればそれは一旦置いておいてお母さんと子どもの最高の笑顔のためだけに焦点を置いて過ごすこと。
そのほうがよっぽどこどもにもいいです。

お母さん、毎日お疲れ様です。
私も毎日子育てに奮闘しています。
昨日は牛乳をこぼされました。
じゅうたんは臭くなるし、洗濯物は一回増えるし、てんてこまいです。
でも最高の笑顔でいましょう。

隣の子どもに目を向けてみてください。
笑っていませんか?
お母さん笑って!笑って!って伝えてくれていますよ。
その可愛い笑顔と一緒に親も成長していけたらいいですね。
違う地で私もみなさんと同じ立場で応援しています。

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