2021年11月30日
子育て
2018年の春、私は初めての子である長男を出産しました。
まさか1歳のお誕生日を迎える前に、外科手術を経験させる事になるとは…
この時の私は、知る由もありませんでした。
3月生まれの息子は、学年の中では末っ子でしたが、母乳もよく飲み、離乳食もよく食べ、日々元気に大きく育ってくれていました。
大きな病気も無く、風邪も2回経験した程度。
ですが、生後9か月を迎えた冬以降、息子は頻繁に胃腸炎に罹りました。
4ヶ月のうちに、実に3回もの胃腸炎を経験。
今回ご紹介する「鼠径ヘルニア」は、その2回目の胃腸炎の際、発覚した症状でした。
食べる事が大好きな息子。いつも食事の時間が待ちきれないのに、昼ごはんの際、とてもおとなしく待っていた事がありました。作った食事を出しても元気の無い様子。
「今日はどうしたんだろう…」
すると、食べ始めた数分後、盛大に吐き戻してしまいました。
「また胃腸炎だ…」
前月に胃腸炎を経験していた私は、最初の時ほど慌てはしなかったものの、その対応の大変さを思い出し、一気に疲弊しました。
一日中続く抱っこ、嘔吐物と排泄物の処理。そして悪化するおむつかぶれと夜泣き…
特におむつかぶれは深刻で、もともと便の回数が多かった息子のお尻は、翌日には酷い状態に。
息子のお尻は、かぶれて真っ赤に腫れ上がってしまいました。
おむつを替える度に痛みで泣き叫び、抵抗。私はほとほと疲れ切っていました。
その日も気合を入れて、息子のおむつ替えに臨んでいると…
「あれ?」
いつもとは違う場所が腫れているのに気が付きました。場所は右側の陰嚢部。
「これはおかしい…でもおむつかぶれの一環かもしれない。」
迷いましたが、主人にも「気のせいじゃない?」と言われ、少し様子を見る事にしました。
「主人の言う通り、気のせいかな…」
そう思っていた矢先、数時間後、また同じ場所が腫れているのに気が付きました。
この時息子の体温は37.7℃。胃腸炎の為の発熱なのか、とにかく機嫌が悪く、頻繁に泣いている状態。
私は急に、“陰嚢の腫れ”の事が気になり、インターネットで調べ始めました。
すると、検索に引っかかった、ある症状に私の不安は一気に煽られました。
「精巣捻転症」
精巣が壊死してしまう可能性のある症状で、対応は一刻を争うとの事。
「もしこの病気だったらどうしよう…」
私は慌てて病院の受診を考えましたが、この日は日曜日。
しかも運の悪い事に、この頃はインフルエンザの大流行期。
どこの急患の病院も手いっぱいで、電話すら繋がらない状態でした。
救急車を呼ぶにも、大袈裟かと思われ、県の救急電話相談にかけてみる事に。
同じくこちらも、なかなか電話が繋がらず、私はとても焦っていました。
「初期対応が遅れて、息子に何かあったらどうしよう…」
やっと電話が繋がり、担当の看護師さんに息子の症状を伝えてみたところ、
“精巣捻転症の場合、痛みでとにかくずっと泣いている。泣かない時間もあるのなら、その可能性は低い”との回答でした。
その回答に、私は一旦、胸を撫で下ろしました。
看護師さんの見解によると“陰嚢水腫”ではないか?との事。
こちらは自然治癒する可能性もある症状の為、明日以降、近くの小児科を受診する様に言われました。
緊急性が低い事に安堵した私でしたが、少し引っかかっていました。
電話の際、看護師さんに「陰嚢水腫の場合、ライト等で陰嚢を照らすと、中に水が溜まって居る様に見える事がある」と言われており、試したものの、水が溜まっている様には全く見えなかったからです。
「とにかく様子を見て、明日近くの小児科に行こう。」そう決めました。
翌日、陰嚢が腫れている時の写真を持参し、近くの小児科を受診しました。
先生は息子の陰嚢部を確認後、私の持参した写真を見て、一言。
「たぶん鼠径ヘルニアだね」
その言葉に私はとても驚きました。
鼠径ヘルニアとは、いわゆる“脱腸”の事で、腸管などの臓器が、皮膚の下に出てきてしまう症状の事です。
実は、息子の症状が出た当日、看護師をしている妹にも、電話で相談をしていました。
妹には「足の付け根の腫れだと、ヘルニアの可能性もあるから、早めに病院に行ってね」と言われており、自分でも色々と調べていたのです。
けれど、息子の腫れている部位は、足の付け根ではなく陰嚢部。
この時の私は、「その可能性は無い!」と勝手に思い込んでいました。
その為、先生のこの回答に、驚きを隠せませんでした。
「緊急性は無いけれど、いずれは手術しなきゃいけないから、次に症状が出た時にまた受診して下さい。」
そう告げられ、その日は病院を後にしました。
その夜、おむつ替えの際、前日よりも酷く腫れているのに気が付きました。
私は即座に写真を撮り、翌日また小児科を受診しました。
先生に、「緊急性は無い」と言われていたので、焦る必要は無かったのかもしれません。
ですが、妹には、嵌頓(かんとん。出てきてしまった腸が、中に戻らなくなる事)になってしまうと大変だと聞いていました。
私は、万が一、嵌頓になってしまった時、この前と同じく日曜日だったら…と考えました。
「即座に対応出来ず、歯痒い思いをし、後悔するのは自分だ」
そう思い、即対応する事に決めたのです。
次の日、再び受診した小児科で、写真を見せた所、“鼠径ヘルニアでほぼ確定”との事でした。
鼠径ヘルニアは、症状(脱調し、鼠径部が腫れている)時で無いと、確実な診断が出来ないのです。
先生に複数の病院を紹介され、鼠径ヘルニアの手術実績が一番多いと言う、総合病院の紹介状を書いて貰いました。
手術どころか、紹介状を書いて貰い、大きな病院の受診など、した事も無かった私。
頭の中は?だらけでした。
「小さい息子を連れて、大きな病院を受診するなんて…簡単なわけがない!」
私は急に緊張し始めました。
大きな病院の為、駐車場の混雑は必須。
それに、0歳の息子を連れて、長い待ち時間を過ごすのがとても不安だったのです。
「途中でお腹が減って、ギャン泣きしてしまうかもしれない」「荷物は何を持って行こう?」「離乳食は?授乳はどこですれば良いのだろう?」
考え出したらキリがありません。
「主人が平日休みを取れるわけでもないし…」
悩んだ挙句、実家の母を頼る事にしました。
幸い、紹介された病院は、実家から車で20分程の所にあり、アクセスもし易かったのです。
早速紹介された病院に電話をし、母の仕事の休みの日に合わせ、無事に予約を取る事が出来ました。息子の鼠径ヘルニアの治療が、1歩進んだ瞬間でした。
鼠径ヘルニアの可能性が高いと診断された10日後、息子と私は、紹介された総合病院に居ました。私はこの日、“子供と一緒に大きな病院を受診する事の大変さ”を、思い知らされるのでした。
最初の難関は受付。
息子を抱っこしながら、初診の手続きをするのはとても大変でした。
特に大変だったのが、書類の記入。初診と言う事で、記入項目がとても多かったのです。
息子を抱っこしながらでは、住所を書く事すらままならず、だからと言って降ろせば、じっと座っていられるわけでもない。
「母に付いて来て貰って本当に良かった…」心の底からそう思いました。
とは言え、周りには、子供と2人きりで来ている方も大勢いらっしゃり、「私は甘えているな…いつかは私1人だけで来れる様にならないと」と同時に思いました。
次の難関は待ち時間。
予約制とは言え、大きな総合病院の為、長い待ち時間は必須。
息子がお世話になる小児外科の待合に着いた時には、既に1時間待ちでした。
また、受診する“小児外科”の隣は“泌尿器科”や“整形外科”。
その為、多くのお年寄りがいらっしゃり、「子供の泣き声で騒がしく出来ないな」と思いました。
息子は慣れない場所の為、最初こそ、抱っこ紐の中で、おしゃぶりを咥えながら静かにしていたものの…30分も経つと、次第に、抱っこ紐の中から出たい!と騒ぐようになりました。
小児専門の病院のように、キッズスペースがあるわけもなく、下は固い床。
まだ伝い歩き程度で、歩く事も出来ない息子は、ソファーから床に降り、挙句の果てにハイハイを始めてしまいます。
当時はインフルエンザの大流行期。
「この鼠径ヘルニア騒動の最中に、また胃腸炎を併発するのは避けたい!」と思っていたので、息子のこの行動に参ってしまいました。
抱っこやおしゃぶりで何とか誤魔化し、1時間後、やっと息子の順番が回ってきました。
初めてお会いする先生は、とても温和で、こちらの質問にも真摯に答えてくれる、とても良い先生でした。
先生は息子の鼠径部~陰嚢部を触診すると「ちょっと食い込む感じがある」と一言。
そして、私が持参した写真を見せると、「鼠径ヘルニアでほぼ確定」との診断を下しました。
この時の私は、レントゲンなどの検査があると思っていたので、拍子抜けすると共に、「触診と写真だけで診断を下しても良いのだろうか…」と少し不安に思いました。
先生は、鼠径ヘルニアの説明を丁寧にしてくれました。
「赤ちゃんには、胎児期にお腹の中で発生した“精巣”が、陰嚢まで下降する為の“通り道”があり、通常生後6ヶ月頃までに、自然に消失します。
けれど、中にはその“通り道”が残ったままになっている子が居る。
そういう子たちが、日常生活の中で、何かしらの原因で腹圧がかかると、その“通り道”を通って、脱腸が起こってしまう。それが鼠径ヘルニアです。」
とても分かりやすく、絵を描いて説明してくれました。
そして、先生は、「急ぐ事態ではないけれど、今後の事も考えて手術しても良いね」と言いました。また、「幼く記憶が無いうちに手術を経験した方が、病院嫌いになりにくいね」とも。
その日は、鼠径ヘルニアの手術に関する書類を受け取り、終了となりました。
「いつか必ずする手術ならば、早い方が良い」それが私の結論でした。
息子に嵌頓などの、緊急の事態が起こるならば、親として、そのリスクを早めに取り除くのがベストな選択だと思っていたのです。
それに、先生から「鼠径ヘルニアは小児の外科手術で1番多い」と聞いていたので、「全身麻酔下の手術であっても、そんな大ごとでは無い」と思っていました。
この認識が甘かった事を、私は後々思い知らされます。
この時は1月の末。「春休みが始まると、手術の予約も取りづらくなる」と先生から聞いていたので、主人と相談し、このまま最短で手術する方向で進める事になりました。
最初の受診から1週間後、再度小児外科を受診。
無事に鼠径ヘルニアの手術の予約を取る事が出来ました。
手術日は2月の下旬。2泊3日の付き添い入院になるとの事。
スケジュールとしては、手術の1週間前に、術前検査を受け、問題が無ければ、入院という流れでした。
私は前回の受診時に気になった、「触診と写真だけで診断を下しても良いのだろうか…」という事を思い切って聞いてみました。
先生は「症状が出ている時に診察出来るのが1番だけど、それはなかなか難しく、超音波等の検査は症状が出ている時で無いと意味が無いのです。今のカメラは精度も良いので、写真を以てして診断を下しても大丈夫」と言ってくれました。
先生は、私の疑問と不安を丁寧に取り除いてくれました。
その日から約2週間後、術前検査の日がやって来ました。
検査当日は、食事抜きで病院に行く事が必須な為、食欲旺盛な息子を、朝ごはん抜きで病院に連れて行く事が第一関門でした。
幸い、朝の早い時間帯の検査だった為、ギリギリまで息子を寝かせておき、すぐ車に乗せる事で誤魔化す事が出来ました。
術前検査は、血液検査・胸部レントゲン撮影・心電図の3つ。
そのうち、採血とレントゲンは私が付き添う事が出来ず、息子は大泣き。
息子が出てきた病室を覗くと、4本もの採血ボトルが用意されていました。
大人でも4本分の採血をするのは大変な事。「小さい体で良く頑張ってくれた…」と胸が痛みました。
それから1週間後、ついに入院の日がやって来ました。
この日まで、風邪や胃腸炎に罹らないよう、細心の注意を払って来た私は、
「やっとこの日を迎えられた…」と、どこかホッとした気分でいました。
ところが、病院に到着し、検温をすると…息子の体温は37.5℃。
風邪の症状は無く、「病院に来ると体温が上がる子がいるから」との判断で、無事に入院する事は出来たものの、息子は3日間、病室のみで過ごす事になってしまいました。
通常なら使用できる、病棟内のキッズルームも一切使えません。
個室のベッドは、落下防止の為、高い柵が付いており、その中にポツンと居る小さな息子。
「ここから3日間出られないなんて…」私はとても複雑な気持ちになりました。
入院して数時間後、麻酔科医から、明日の麻酔の説明を受けました。
事前に“全身麻酔”について、渡された説明書をよく読んでいたものの、実際説明を受け“同意書”にサインをする際、私は躊躇してしまいました。
「そうだ、どんな手術であれ、命にかかわる事態になるかもしれないんだ…」
息子の体にメスを入れる事が、どんなに大変な事なのか、突きつけられた瞬間でした。
信頼できる先生にお任せ出来る事、そしてその先生を信じ手術を進めた事を、術後3年経った今でも、全く後悔はしていません。
ですが、“自分の心構えと手術への認識が甘かった事”を、親として、今でも恥ずかしく思っています。私は勉強不足だったのです。
初めての環境に疲れたのか、息子はその日、いつもより早い時間に就寝しました。
この日は金曜日。仕事終わりの主人が病室に到着した時には、息子は熟睡していました。
「明日が何事も無く、無事に終わってくれますように…」
慣れない簡易ベッドに横たわりながら、寝ているのか、起きているのか、分からないまま時間が過ぎて行きました。
そうこうしているうちに夜が明け、遂に、手術当日の朝を迎えました。
手術当日の朝。
この日は、手術開始の時間から逆算し、飲水やミルクの時間が決まっていたので、間違いが無いよう、調整するのにとても気を使いました。
そして午前9時。手術室へ、主人と2人で息子を送って行きました。
「お願いします」
看護師さんにそう告げ、息子を引き渡す際、一気に寂しさが込み上げました。
手術室の大きな扉に、消える様に吸い込まれて行く息子。
その姿を見て、とても胸が痛みました。
今回、息子が行うのは、腹腔鏡手術。所要時間は1時間程。
小さな穴ですが、体に3か所の穴を開け行う手術です。
1か所はカメラを入れる為におへそに。もう2か所は手術器具を入れる為の穴で、おへそから少し下の場所に左右1か所ずつでした。
息子の手術予定の箇所は右側ですが、もし手術を開始してみて、左の“通り道”も開いていた場合、追加で時間がかかるとの事。
息子と別れ、ソワソワしながら、けれどどこか考え無いように…
時間が過ぎるのを、ただ待ちました。
そして約1時間後、息子の手術が無事終了した事が告げられました。
「無事に終わって良かった」
私は主人と2人で、手術室へ向かいました。
1時間しか離れて居なかったのに、息子に会えるのが嬉しく、ワクワクしながら向かった私は、息子の姿を見て、絶句してしまいました。
麻酔でまだ眠っている息子は、どこから見ても分かるように、弱々しい姿だったのです。
繋がれっぱなしの点滴に、鼻にはチューブが挿入されたまま。そして顔は浮腫んでいました。
息子の小さい体は、とてつもなく大きな負荷を、一生懸命受け止めていたのです。
術後の息子の弱り果てた姿を見て、私の体は震えていました。
「やっぱり私は甘かったんだ…」
麻酔の説明の時と同様、もしくはそれ以上に、自分の認識の甘さを突きつけられた瞬間でした。
元々心配性な私は、どこか楽観視する事に努めていたのかもしれません。
自分の不安を不必要に煽り、息子の手術にストップをかけるのが嫌だったのです。
けれど今回はこの事が裏目に出ました。
自分の認識が甘かった事が、恥ずかしく、ひたすら息子に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
その後別室に通され、先生から手術の説明を受けました。
先生の額には汗が滲んでいました。
「こんな手術の後すぐに、丁寧に説明をしてくれるなんて…」
先生の真摯な姿勢に、ただ感謝しかありませんでした。
麻酔が切れ、一度起きたものの、疲れからか再度長いお昼寝をした息子。
この日、初めて食事を摂れたのは19時前でした。
手術の影響で、熱は37.5~38℃を行ったり来たりの状況。
それにも関わらず、息子は夕食をほぼ完食する事が出来ました。
そして、食後、点滴を抜く事が出来、こうして長い1日は終了したのです。
翌朝、退院の日。
昨日の点滴を抜いた辺りから、グッと元気になった息子。
「もう心配はないだろう」そう思っていた矢先、息子は順調に食べていた朝食を、盛大に吐き戻してしまったのです。
「昨日の夜はあんなに元気に食べられていたのに…」私はその様子にショックを受けました。
ここでも、手術の体への負担の大きさを感じました。
吐き戻した事がとても気がかりでしたが、熱も下がり、体調も徐々に安定。
その後の診察で、許可が下り、晴れて退院となりました。
退院後のスケジュールとしては、術後1週間後、4週間後、そして半年後の3回、診察を受けなければなりません。
鼠径ヘルニア卒業まで、まだ時間はかかりますが、長い期間に渡って、術後の経過を確認して貰える事は、親として、とても心強く感じました。
自宅に戻った息子は、やはり手術の傷が何となく気になるのか、動きはいつもよりもスロー。そして頑なに寝返りをしませんでした。
この日は1歳のお誕生日の10日前。
「早く元通りの生活が送れるようになりますように」そう願いました。
1週間の術後検査も無事クリアし、安心していたある日、予期せぬ事態が発生。
術後検査を受けた3日後、息子のおへそが赤く腫れ上がってしまったのです。
触ると固く、少ししこりが出来ている様子。
ここは手術の際、カメラを挿入した箇所の為、私は一気に不安になりました。
この日は日曜日。
「どうしてこう、何かが起こる時はいつも日曜日なんだろう」
落胆しつつも、念の為…と、手術をした病院の救急に電話をする事に。
幸い、当直の先生が診察してくれるとの事だったので、急いで病院に向かいました。
この日は息子の誕生日の前日。
「どうか1歳の誕生日を何事もなく迎えられますように…」病院に向かう車内で、そう願っていました。
この日の当直は運良く外科の先生。
先生は息子の体を丁寧に診察してくれました。
「術後の経過で腫れる事はあり、膿も無さそうなので次回の検診まで様子を見て大丈夫」
先生のこの言葉を聞いて、一気に緊張の糸が解けました。
「1歳を迎えるまでに、本当に色んな事がある…」
翌日の1歳の誕生日は、私と主人にとって、一生忘れられない日となりました。
1か月後、2回目の術後検診の日がやって来ました。
「いつまでも甘えてはいられない…」そう思い、この日は私と息子の2人だけで病院を受診する事に。
初めての受診の時は、右も左も分からず、混乱していた私でしたが、この日までには少し知識も付き、最初の頃に比べ、順調に受診する事が出来ました。
いつもの先生の診察に、安心感を覚え、話を聞いていると…何と、先生の診察は、今回が最後だと言う事を知らされました。他の病院への異動が決まったとの事です。
先生はいつもの丁寧な診察を終え、最後にこう伝えてくれました。
「本人が大きくなったら、手術をしたことをちゃんと本人に伝えてあげて下さい。もし大人になって腹痛などで受診した際、医師に伝えておけば、誤診を防ぐ事が出来るからです。」
この言葉を聞き「必ず息子が大きくなったら、手術の事をしっかりと伝えよう」そう胸に誓いました。
「先生に診て頂けて本当に良かったです。」
最後に感謝の言葉を伝える事が出来、寂しい気持ちが少し和らぎました。
それから半年。季節はもう夏になって居ました。
執刀してくれた先生は、もう居ませんでしたが、今回の先生も息子の経過をしっかりと見てくれました。
「長かった…やっと卒業だ」私は晴れ晴れとした気持ちでいました。
こうしてやっと、長かった鼠径ヘルニアとの戦いが、終了したのです。
自分の体よりも大切な子供の身体。
私は今回の事で、“よく調べ、疑問を払拭し、信頼出来る先生にお任せする事”がとても大事だと学びました。
そして手術の大きい小さいに関わらず、“甘く見てはいけない”事を痛感しました。
子供の変化を1番分かるのは自分。子供の体を守れるのも自分。
だからこそ、真摯に向き合い、子供の体の変化を敏感に感じ取れる親になろう。
鼠径ヘルニア手術の経験は、そう私に決意させてくれた、大切な出来事となりました。