娘が生後0ヶ月で幽門狭窄症に。はっきりしない診断と発症から完治まで

2021年11月30日

子育て

幽門狭窄症の発症

私が28歳の時、待望の第一子が生まれました。
生後3週間で幽門狭窄症と診断され、入院・手術をしました。
出生時は体重2947g身長47cmと平均的で、産婦人科での入院中は吐き戻しをほとんどしない元気な女の子でした。
2週間健診も全く問題なく、無事に産婦人科を卒業することができて可愛い赤ちゃんとの幸せな時間を過ごしていました。
しかし娘は生後2週間頃から少しずつ吐き戻すようになりました。
新生児から生後2ヶ月ごろに吐き戻しが多くて心配になる病気がこの幽門狭窄症という病気です。

不安な気持ちで初めての受診

まだ生後2週間なのであまり外に出すのも良くないと思い、病院の受診は避けていましたが夜中の授乳で初めて大量に吐き戻し、心配になったので念のため夜間救急病院へ行ってみることにしました。
私の地元の夜間救急病院は新人の先生しかいなくて、まともに診察をしてくれないイメージなので個人的にはあまり好きではありません。
新生児なので別室へ案内してくれましたが、問診とお腹の触診のみで診察は終わりました。
赤ちゃんも元気そうなので様子見で大丈夫だと言われ、心配なら明日かかりつけの小児科で診てもらってくださいとの事で気休めにもなりませんでした。
不安と怒りが交錯する中、私が授乳後ゲップを上手に出してあげることができなかったのが原因だと無理矢理思い込むしかありませんでした。
ですがほとんど吐き戻しをしない子だったので、毎日ネット検索している中で幽門狭窄症の可能性があることを知り、不安の日々が続きました。
産後精神的に不安定だったことも重なり、新生児期は幸せからの転落であったため正直良い思い出ではありません。
当時近所の実家に里帰りしていて、私よりも母の方が赤ちゃんのゲップを出すのが上手だったので、授乳後は毎回母に赤ちゃんのゲップをお願いしていました。
しかしゲップを出しても吐き戻すことが続き、1日1回の吐き戻しが1日2回、3回と徐々に増えていきました。

電話で問い合わせ

病院で大丈夫と言われてもまだまだ不安が残る私は、出産した産婦人科や#8000に電話で問い合わせてみました。
「授乳後吐き戻していても、大量に勢いよく吐かなければ大丈夫。元気で飲めているのなら大丈夫だし、赤ちゃんはよく吐き戻すから。」と全く同じ返答でした。
吐き戻しの量や勢いが異常かどうかなんて、新人ママの私には正直わかりません。
病院で受診しても電話で問い合わせても、同じことを言われすぎてもしかすると私が心配しすぎなのかな?と思ってしまうようになりました。
先生の言葉を信じ様子を見るしかありませんでした。

不安から確信に

翌日の朝、いつもと同じように授乳をしました。
授乳後のゲップと同時に飲んだ母乳量と同等の量を吐き戻し、勢いはまさにマーライオンのようでした。
マーライオンのように吐くと幽門狭窄症の可能性があると、ネットで検索していた時に読んだことを思い出しました。
私の肩に娘の顎を乗せてゲップさせても、私の服が全く汚れないほど勢いのある吐き戻しでした。
これは絶対に普通ではない、異常だと私の中で確信に変わりました。

慌てて近所の小児科へ

5月のゴールデンウィークに差し掛かろうとしていたので、小児科が連休に入る前に受診することができました。
近所の小児科に着くなり、別室に誘導してくださりすぐに診察してくれました。
先生はベテランの方でしたが問診だけで幽門狭窄症を疑ってくださり、その小児科でエコー検査はできないため市民病院へ紹介状を書いてくださいました。
大げさなくらいこれまでの経緯を説明したと記憶しています。

何もしてくれない市民病院

すぐに市民病院へ向かい、診察室に入りましたがここでも問診とお腹の触診のみでエコー検査はしてもらえませんでした。
腹部のエコー検査はしてもらえないですか?と聞くと、まだ小さいから検査してもわからないと言われました。
赤ちゃんはよく吐き戻しますので様子を見てください。と言われて帰ることになり、また振り出しに戻された気分でした。
帰宅しても繰り返す吐き戻しで、何が真実なのか分からなくなっていきました。
後日、唯一幽門狭窄症を疑ってくださった小児科の先生に電話で相談すると、娘の体重増加が良くないことを心配し、すぐにまた市民病院へ紹介状を書いて入院するよう言ってくださいました。

市民病院で経過観察の為、入院

病院へ着くとすぐに娘は処置室へ連れていかれて、私はただ泣き声を聞くことしかできず、精神的に不安定だったのもあり待合室で涙が止まりませんでした。
約30分後に処置室から出てきた娘は、生後3週間の小さな手にたくさんテープが張られて頑丈に点滴が固定され、娘は泣き疲れて寝ていました。
なかなか血管が見つからなかったのか、両手にたくさん針を刺された跡がありました。
血液検査、レントゲン検査、腹部エコー検査を行っていたようです。
その検査では何も異常は見つかりませんでしたが、経過観察ということで1週間入院することが決まりました。
やっと少しだけホッとすることができました。
まだ新生児なので個室へ案内され、幸いコロナが流行する前だったので付き添いは1人、面会は21時まで人数制限はありませんでした。
入院はゴールデンウィーク中だったこともあり、担当の先生がおらず部屋に赤ちゃん用の体重計があったので授乳前後の体重測定、点滴のみ行われました。
しかし娘の体重は減る一方、母乳は飲むけど吐き戻す、尿は出るけど便はほぼ出ない状態が続きました。
体重を計るたびに落ち込み、吐き戻すたびに落ち込み、寝不足で食欲もありませんでしたが娘の為に今私ができるのは栄養のある母乳をあげることだけだったので頑張って食べました。
幸い面会時間は必ず誰かが来てくれていたので、少しは気が紛れていたなと思います。
夫、祖母、母、父には本当に感謝しています。

娘が見せた意地

入院5日目、ゴールデンウィークが明けたので初めて担当の先生による診察が行われました。
処置室で時間をかけてエコー検査が行われましたが、結果はまさかの異常なしで娘は先生に抱っこされて個室に帰ってきました。
しかし結果を聞いている際に、娘が先生の目の前で大量の吐き戻しをして訴えてくれました。
私が何度も娘の異常を訴えてもわかってもらえませんでしたが、異常に気付いた先生はそのまま詳しい検査をすると再度処置室へ娘を連れて行きました。
10分、20分経っても帰ってこず何度も処置室の近くまで行って泣き声を聞き、落ち込んで部屋に戻りました。
早く帰ってきてほしい半面、検査結果を聞くのが怖くて逃げたい気持ちもありました。
そして帰ってきた娘は泣きわめき私の抱っこでもなかなか泣き止まず、あやしながら先生の話を聞きました。

やっと下った診断

先生の第一声は、「お母さん、落ち着いて聞いてくださいね。」
精神的に限界を迎えていた私は先生の話が全く耳に入ってこなかったので、面会に来てくれていた私の父が一緒に聞いてくれました。
娘を抱きながら、「ごめんね、病気で産んでしまってごめんね。」と何度も何度も言いました。
数分後先生は部屋から出ていき、父は私に娘の状態をゆっくり説明してくれてすでに夫への報告も電話で済ましてくれていました。
それから優しそうな看護師長さんが来てくださって、「お母さんが一番つらいよね。手術をしたら治る病気だから大丈夫。」と励ましてくださいました。

手術の為大学病院へ

急いで準備し、紹介状を持って父と大学病院へ向かいました。
大学病院へ着くと、夫・母・祖母がすでに来てくれていました。
娘は私の父母にとっては初孫で、祖母にとっても待望のひ孫なのでみんながわが子のように大事にしてくれています。
大学病院でもすぐに娘は処置室へ連れて行かれたので、その間に幽門狭窄症の症状や治療法の説明をされました。
先生は一通りの説明を終え、内科療法と手術のどちらか選んでほしいと言いました。
内科療法なら投薬治療で様子を見るが完治しない場合があること。
手術をすればお腹にメスは入れるが、完治するということ。
女の子の体に傷を付けたくなくて正直私は悩みましたが、隣にいた夫は手術一択でした。
夫に任せて同意書にサインをしてもらいました。
担当医は幽門狭窄症の手術は何度も行っていて、お腹の傷も目立たないようにお臍の近くを1cm程切るだけだと言ってくだったので少し安心しました。

手術が行われるまでの辛く長い時間

娘は処置室に入ってから2時間経ち、やっと面会することができました。
ナースステーションの隣の部屋で寝ていた娘は、手足や鼻にたくさんの管が繋がれていて、口にテープでおしゃぶりが固定されていました。
この瞬間が一番辛かったかもしれません。
今まで涙を見せたことのない夫が涙ぐんでいました。
優しそうな看護師さんは、私達や衰弱している娘に笑顔で優しく声をかけてくださいました。
娘は手術まで絶食で、お腹がすいて泣いてしまうのでおしゃぶりをつけてくださったようです。
寝ているのに必死でおしゃぶりを咥える娘が可哀想で仕方がありませんでした。
手術前は病院で夜間付き添うことができず、母乳育児だったので搾乳機で絞れるだけ絞って看護師さんに預けて帰りました。
翌日は朝一で手術を行うと聞いていたので急いで病院へ行きましたが、別の手術に時間がかかっていたようでなかなか呼ばれませんでした。
その間も娘は絶食でお腹が空いてるのに泣く元気もなくて、抱っこしてあげることしかできず、だんだん衰弱していく娘を見ているのが辛くなり夫が何度も散歩へ連れ出してくれました。

予定よりも大幅に遅れ、手術開始

朝一で行われる予定だった手術は大幅に遅れ、ようやく21時頃に準備が整い、ベッドのまま手術室へ向かう娘に付き添いました。
手術室の扉の手前で、「お母さん大丈夫ですよ。娘ちゃんもがんばりますからね。」と言ってくださる先生と笑顔の看護師さんに背中を押され、私は「やっと手術してもらえるね!手術が終わったらたくさんミルク飲もうね!絶対大丈夫だからね!」と初めて前向きな言葉を出すことができました。
また手術が終わったら連絡すると言われたので、家に帰りました。

無事に終わった手術

連絡が来るまでは落ち着かず、何も手につきませんでしたが家に帰って間もなくして無事に手術が終わったと連絡がありました。
この瞬間まで本当に長かったです。
久しぶりに自分の家でぐっすり眠ることができました。
翌朝、面会可能時間と共に病室へ入ると、前日とは比べ物にならないほど顔色の良い娘が眠っていました。
疲れ果てて起こしても起きませんでしたが、体に繋がっていた管も減り、私は一気に全身の緊張感がほぐれました。
術後のお腹の傷は、お臍の中がかさぶたで埋まりよく見えませんでした。
本当によく頑張ったね、ありがとう。と何度も抱き締めました。

回復に向けた入院生活と退院

術後はまだ直接母乳をあげることはできず、ミルクを10mlから少しずつ増やして調節しながらあげました。
徐々に便も出るようになってきて、体重も増えていきました。
手術前はいくら飲んでも本当に体重が増えませんでしたが、術後は少し飲んだだけでちゃんと体重が増えることに驚きました。
術後2日経って直接母乳をあげることができた時は本当に幸せを感じました。
そして何よりも吐き戻さないことに感動し、当たり前のことがどれほどありがたいか痛感しました。
術後の血液検査でまた娘は処置室に連れていかれましたが、採血後も全然泣いていなくてご機嫌な顔をしていました。
生後3週間という小ささでいろいろ経験し、少しの事では泣かない強い子になっていました。
術後3日目には退院し、経過は良好で娘の吐き戻しもなくなり順調に体重も増えて元気に過ごしています。

娘が狭窄症になって感じたこと

今娘は3歳になりました。
おの傷はほとんど見えませんし、もちろん幽門狭窄症で入院・手術していたことを本人は覚えていません。
幽門狭窄症は1000人に1、2人の病気で、その中でも男の子の確率が高いそうです。
その為娘はなかなか診断することができずに、手術までかなりの時間を要しました。
まさか初めての育児でわが子がこの病気になるとは思いませんでした。
何度も何度も病院へ行きましたが、毎回家に帰らされました。
誤診だと先生を恨みましたが、赤ちゃんが小さすぎると診断するのが難しいようです。
吐き戻しが心配で病院を受診する方も少なくないと思うのですが、赤ちゃんによくある吐き戻しで終わらず、毎回しっかりエコー検査はしてほしいなと思います。
親はわが子の事を心配しすぎて良いんだなと確信しました。
健康であることは本当にありがたく、今元気に過ごしてくれている子どもたちには日々感謝の気持ちを忘れずに過ごしていきたいと思いました。

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