息子にお友達ができるまでの5年間

2021年11月10日

発達障害

人に興味を示さない

家族にも興味がない長男

私には、5歳と3歳の息子がおります。5歳の息子と発達障害のグレーゾーンです。
彼が発達障害ではないかと疑われるようになったきっかけは、人に興味がないことでした。長男が2歳になる頃、次男が誕生しました。長男は心配していた赤ちゃん返りをすることはありませんでした。次男に母乳をあげていても、抱っこしていても興味を持つことすらありませんでした。それは次男にだけではなく、他の子供にも、また私以外の家族に対してもそうでした。次男が生まれた当時、私たち家族は私の両親と6人で住んでいました。その際も母親の私以外が、何をしても気にすることはありません。ただただ我が道を行きます。ですが母親の私がいないと、昼寝も夜寝ることもできませんでした。母親の行動にだけ興味があったのです。今思い返してみると、唯一伝えようとしなくても何をしたいか伝わったのが私だけだったかもしれません。ですが成長する過程で、人に興味がないことが発達の遅れがあると気付くきっかけの1つになります。焼きもちを妬かないこと。これが発達障害の子どもによくみられるものなのかは分かりませんが、発達障害ではないかと指摘されるきっかけだったのです。

少しのずれで支援が必要とされる時代

父親が他の子どもと遊んでいても興味がないこと。これが果たして普通なのか普通ではないのかはわかりません。ですが他人から見ると、健常児ではないように見えたのでしょう。発達障害の知識がない人は、そんなことで!?と思う人もいると思います。私がそうでした。他にも今ではそんなことで支援の助けを求めてくださいといわれることがあります。私が通う療育施設では、未就学児から小学生もでが通っています。小学生のお兄さんやお姉さんもいますが、普通に話す分には何の変哲もありません。ですがみんな何か心配事や克服したいことがあって療育に通っています。例えば学校の授業の板書が苦手。同じ内容のテストを4回やっても100点が取れないから。本当に十人十色です。悪い言い方をすれば、成長のレベルが少しずれているだけで支援が必要な部類に分けられます。およそ20年前の私自身が学生だった頃とは随分違うように感じます。それが良いのか悪いのかはわかりません。板書が苦手でも、100点が取れなくてもその子達は必死に頑張っています。そういう子たちにとって生きやすいのであれば良いと思います。ですが安易な判断で、一生その子に背負うものができる可能性もあります。例え1つの病院で診断名がついたとしてもそれが全てではありません。そのドクターと合わないなと感じればセカンドオピニオンという手があります。きちんと親の話を聞いて子供に寄り添って考えてくれる人。そのようなドクターに会えるのが1番良いでしょう。

発達障害を見て見ぬふり

2歳、3歳と少しずつ人や、同じ歳の子供に興味を持ち始める年齢になっても、長男は人に対して興味を持ちません。長男が興味を持つのは絵本と、動物。動物の絵本があると、より他のことには興味が向きません。幼稚園に入園しても、お友達が一生懸命関わろうとしてくれているのに対して、本人は人に興味がありませんでした。いつも加配の先生に抱かれて、無理矢理クラスに参加する。機嫌が悪くなると違う部屋に移り、1人で違うことをする。それが長男の幼稚園入園後の生活でした。発達障害児のこどもを持つ保護者であれば悩んだことがある方も多いと思うパニック状態。自分の感情をうまくコントロールできないために、癇癪を上げたり大きな声で泣く、または暴れる。その子その子によって様々だと思います。うちの場合は言葉で伝えることができなかったので、ひたすら泣くしかありませんでした。結局他のお友達に迷惑をかけるわけにもいかず他の部屋に先生と移り落ち着くまで待つ。これしか方法はありませんでした。彼がどうしたいのか、その時は全く理解してあげることができませんでした。ただただその場を収めることで私も、幼稚園の先生たちも精一杯でした。彼なりにそうとうもどかしい気持ちもあったと思います。伝えたいけど伝えられない。大人もまた汲み取ってあげたいけどどうしてあげたらよいかわからない。その時にいまの療育施設を知っていたらと思う時がいまでもあります。癇癪が癇癪だとは気づかずにただ泣くときに大きな声を出す。または性格的なものだと感じている保護者の方も多いかもしれない。または、周りと少し違うのかなと感じている人も見て見ぬふりをしている人も多いでしょう。でも私が長男と向き合って5年、確実に分かったことは何でも早すぎるくらいがちょうどいいということ。きっと療育をもっと早くに始めていたら、長男が苦しむことももっと少なかったのかと思うこともあります。もし少しでも自分の子が周りのこと違うのではと思った時は、早めに行動することが良いと今でも思っています。

発達障害児を持つ保護者として

その頃に私は、疑いを持っていてもどこか認めたくない気持ちがありました。うちの子は絶対に違う、ただ話すことが遅いだけ。でも、幼稚園での姿を見るたびに胸が苦しくなりました。きっとこの感情は発達障害児をもった保護者にしかわからない特別な感情だと思います。幼稚園の参観日に行っても、何となく肩身が狭い。他のお母さんに積極的に話しかけることもできませんでした。長男が通っている幼稚園に知っているママ友はいなかったので尚更、孤独な思いもしました。でももし私と同じような立場のお母さんがいたら、私は積極的に話しかけられると思います。きっとそのお母さんも同じ思いだと思うからです。周りのお母さんから、どう思われているんだろう。関わりたくないと思われているんじゃないか。考えすぎかもしれませんが私はそのとき強くそう思っていました。ですが長男のクラスのお母さんは優しい方たちが多く、いつも声をかけてくれました。私は幼稚園の外でのママ友は基本的にいらないと思っていますが、やはり子どものためにそれなりにコミュニティは持っていた方が安心だと感じていました。そこで、声をかけてもらったのは同じような子供を持つ保護者の方達でした。地域の支援センターに通う子どもの保護者の方との交流会に声をかけていただきました。そこで私は絶対に関わりを持とうと強く思いました。

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動物のフィギュアがお友達

支援センターにて自分だけじゃないと感じる

幼稚園にていつも一人で遊んでいる息子ですが、唯一彼の話相手になるのは動物のフィギュアでした。そのことにも私自身不安を覚えていましたが、思い切って市の支援センターでの交流会で息子について赤裸々に話すことにしました。今まで先生などに息子のことを赤裸々に話してきましたが、同じような世代の子供を持つ親にはどうしても相談や、うちの子はこういう子なんです。と話すことができませんでした。数人のお母さんたちと子供たちの状況や、困った時の対処方法などを交流しあったりこうした方が良いなど意見交換します。そこで私が一番衝撃的だったのは、一人のお母さんが子どもについて説明するときに、“健常児“という言葉を使ったのです。「うちの子は健常児の子に比べて...」という説明を聞いて、うちの子も健常児じゃないんだとびっくりするとともにショックを受けたのを覚えています。そこで不安に思っていることや、困った時の対処方を意見交換したり利用できる施設の情報交換をすることでとても心強い気持ちになりました。私のように子供の障害のことを理解するのに苦しんでいる人が、同じ境遇の人がこんなにたくさんいるのだと。一人じゃないんだと思うとともに、これでも胸を張っていいんだと感じるようになりました。

手放すことのできない動物

息子が決まって好む動物のフィギュアも気がつけば家にどんどん溜まっていきました。絵本と動物のフィギュアを好む息子にとって他のおもちゃが欲しいということはありません。ただ3歳の時の息子は、動物のフィギュアが欲しい時だけきちんと意思表示ができたのです。お母さんたちとの交流会でも好きなことを取り上げて他のことをやらせよとすると逆効果だと教えてもらったので、動物のフィギュアに関しては我慢させないようにしていました。幼稚園でも、幼稚園にある動物のおもちゃを持ち歩くことでお集まりやみんなと同じ場所に座っていられたのです。それはどんな時でも同じです。参観日の時も発表会の時も、息子はステージの上でも動物のフィギュアと絵本を持ち続けていたのです。普通のお母さんであれば、ステージに上がり頑張っている子供たちを記録に残してあとで見返すことが嬉しいことの一つでしょう。ですがその時の私が、記録には残してもその後見返すことがどうしてもできませんでした。見返すと涙が止まらなくなったのです。

夫婦間での息子への思いの違い

その頃の私は本当に泣いてばかりでした。主人が仕事でいなく一人で子供たちの世話をしていると息子を見て涙が止まらなくなるのです。どうして普通に産んであがられなかったのだろう、申し訳ない。という気持ちになります。それとともに健常児である次男にも、我慢をさせてばかりで申し訳ないという気持ちになります。普段接している母親と、仕事で日中関わることのない父親では確実に温度差がありました。そのせいで毎日のように夫婦喧嘩をして家族がとても良い感じとはいえませんでした。周りにいくら恵まれているとはいってもやはり当事者は家族で、大変なのも家族です。障害にはさまざまな種類があり、知能が遅れている場合や身体に不自由のある子もたくさんいます。本人たちも生きづらいと感じることがたくさんある反面、支えている家族も理解できるようになるまでには時間もかかるし苦労がたくさんあります。ですが一番長い時間、支えてあげられるのは家族しかいません。いくら良い先生がいたとしても幼稚園は数年、小学校も6年間。長男が大きくなるまでずっと成長を見届け、支えてあげられるのは家族しかいないのです。なので時間がかかっても認めて、ポジティブに考えなければならないのです。

成長し始める息子

自分自身の息子たちに対する想いや、主人に対する想いの違いによってどうにかなってしまいそうだった反面急激に長男が成長を始めましす。それでも困ったことはたくさんあるものの、語彙力が増え伝えたいことを単語で一生懸命伝えようとするようになりました。そして喧嘩をすることななかった弟とぶつかり始めます。そのころの長男は4歳間近、次男を2歳を迎える頃でした。お互いにうまく言葉が伝わらずはがゆかったのか手を出すことが増えていきます。一番ひどい時は、永遠に叩き合う状態が続きました。歯止めが効かない長男と、特別負けず嫌いな次男がぶつかり合うと永遠と喧嘩をするのです。ある程度の喧嘩であれば兄弟でも必要だと思い放っておきましたが、永遠と続くのです。それが続くと今度は、長男が母親である私の様子を伺います。助けてといっているような、また怒られそうなといったどっちにも取れない表情でした。普通の兄弟であれば、兄弟喧嘩なんて日常茶飯事のことでしょうが我が家にとってはとても変わり果てた日常になってしまいました。それでも私はこれ以上やったら、“怒られる“または誰かが傷つくと感じられるようになった長男に成長を覚えるようになります。

弱いものを守る意識

一時期は兄弟喧嘩が絶えない毎日でしたが、数ヶ月するとその兄弟喧嘩も全くしないようになり、今度は長男が次男を庇う様子ばかり見られるようになります。そのころイヤイヤ期絶頂だった次男はすぐに、ひっくりがえって手のつけられない状態になります。私と次男がぶつかり合っていても、私の見ていない隙を狙って次男を助けていました。まるで守るものができたようでした。でも私自身それが本当に嬉しかったのです。自分の気持ちだけではなく、守りたいものの感情が理解できること。次男が泣いていたら悲しい気持ちを理解してどうにかしてあげようとすること。兄弟がいない私は、その兄弟の絆にすごく感動させられたのを覚えています。次男がなくと遠く離れていても“泣かないで”といって「よしよし」をしてあげます。それでもダメなら“泣かないで”と声をかけられる。それ以上の単語は出てきますが、それでも十分長男が相手の気持ちをわかってあげられる子だと分かったことが本当に私にとっても長男にとっても、また次男にとっても成長でした。絶対的な味方がいると次男は感じることができたのです。その頃から長男は人と関わることは難しくても、人に対する意識が芽生えてくるようになります。

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お友達の名前を覚える

はじめて名前を覚えたお友達

長男からでる人物の名前は身内の名前だけでした。その名前も滅多に呼ぶことはありません。そんな長男が初めて身内以外の名前を出したのは、幼稚園の同じクラスの男の子でした。その子はいつも長男に優しく接してくれ、長男が困っていると助けてくれる子でした。ある時幼稚園のお友達の名前わかる?と長男に聞いてみると○○くん!と名前を呼んだのです。やはり自分にとても優しくしてくれること、気にかけてくれることが嬉しかったのだと思います。ですがその子の他には名前が出てくることがありません。

自分のスペース

以前まではクラスのお友達と同じ教室で同じ時間を過ごすことが難しかった長男も、このころからは少しずつ教室でほとんどの時間を過ごせるようになっていました。それまでの長男は同じ教室に長時間いることができずいわゆる脱走常習犯だったのです。そのため、教室の中に長男専用の衝立を置いたスペースがありました。広い空間で落ち着かない場合には、その衝立を用意してもらいそのスペースで遊ぶ。ただしそこにお友達が入ってくることは嫌だったのです。ですが次第にそのスペースもいらなくなり、やっとお友達と同じ時間を教室で過ごすことができるようになりました。ですが一番後ろの端に先生と座っていたのです。長男は気に入った曲を永遠にリピートしたがることが特徴です。CDプレーヤーを机に置き、みんなと離れたところで好きなことをやっていれば同じ時間を過ごすことができる。ですがお友達を拒絶することはなくなっていました。少しずつ少しずつ長男はみんなよりもゆっくりのペースで成長していたのです。

心を鬼にして

そのように他の子があっという間にできることも、長男にとっては時間がすごくかかることがあります。出席ノートにシールを貼ることも、身の回りの用意もやっとこの頃できるようになりました。長男を見ていて思うことは、できないと思ってなんでも手伝ってしまうことは返ってよくないということ。どんどん自分で挑戦してみることでできないと思っていても意外とできたりするものです。発達障害の研究をしている方のお話を聞いたことがあります。そのときにおっしゃっていて衝撃的だったことは、自分の身の回りのことで、8歳までにできないことはその後もできるようになることは少ないと。例えば、スプーンの持ち方や自分での着替え。これらが8歳までに困難であれば8歳を過ぎた後もなかなか難しいであろうとのこと。また脳の発達は6歳までに急速に成長するので、6歳までにどれだけいろいろな体験をさせるかが重要とのことでした。

真面目すぎる長男

長男の性格は、興味がなくても与えられた課題を最後までやり通さないと気が済まないということ。融通が効かないという面では、発達障害の特性の一つでもあるのかもしれません。ですが長男は特に最後までやり遂げないと機嫌が悪くなります。療育で与えられた課題をできないと家で隠れて練習したりします。例えば指を細かく動かす運動のために、指でOKサインからキツネの形を早くできるかなどやったことがあります、最初に行った時は、きつねの形がうまくできませんでした。そうすると家に帰ってきてから、誰もみていないところで一人で練習していました。私がそれに気づき一緒に練習しよう。と誘うと嬉しそうに一緒に練習を始めました。できないことを誰かに教えてもらいたくても、「教えて」という言葉伝えられないのです。こちらから少しだけ手を伸ばすことで、コミュニケーションが取れるようになってくるというステップがまた少し一つ上がったなと感じた瞬間でした。

環境の変化による心の変化

その頃長男は年中になり以前よりもクラスの人数が増え、新しいお友達と一緒になりました。私も先生たちも相当荒れるのではないかと覚悟はしていました。ですがお気に入りのお友達は変わらずクラスにいたので割と落ち着いている様子でした。ですが新しいクラスになった1ヶ月後、それまで出来ていたおしっこやうんちが突然トイレでできなくなりお漏らしをするようになります。原因がわからず、私もイライラして長男を叱ってしまうこともありました。ですが必ず原因があると思ったのです。その後ゴールデンウィークに入り私の実家に子供達をつれて数日帰りました、するとゴールデンウィーク明けにはすっかりおもらしも治っていたのです。実はちょうど新学期に始まる前に引っ越しをしていた私たち。さまざまな環境の変化についていけず長男は不安な思いだったのだと思います。それを3歳まで育った私の実家でリフレッシュできたのでしょう。

長男のわずかなSOS

このような子は自分たちで何が苦しいのか理解してSOSを出すことが困難な子もたくさんいます。そこを少しの変化で汲み取ってあげて、こういうふうにSOSを伝えるんだよということを教えてあげることも重要なことの一つだと感じました。伝えたいことがあったもうまく伝えられず泣くだけの子もいます。それをわかってあげられない時の親の気持ちといったら計り知れません。ですがそういう経験ももちろん必要なのです。そういう経験をしてこそSOSを出さなければ助けてもらえないんだと理解してもらうことも重要です。私は長男からの発信や返答がなくても毎日たくさんの質問をすることをこの頃は心ががけて、答えられないことはこう答えるんだよと何度も会話を続けてきました。「今日は幼稚園で何して遊ぶの?」と聞くといつもは動物と遊ぶの〜といっていた長男。いつもの会話はここで終了でしたがその時は「お友達と遊ばないの〜」と聞いてみました。すると「お友達いないの〜」といったのです。その時の私の心は、長男は自分にはお友達がいないんだと感じていたんだとすごくショックを受けました。それと同時にやるせない気持ちでいっぱいになったのです。正直涙が溢れそうでした。ですが「そんなことないよ、お友達たくさんいるよ」というと「はい」返ってきたのはその一言でした。自分にはお友達がいないということは少しお友達を遊んでみたい気持ちがあるのだと思い、すぐに加配の先生に相談しました。

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初めてのお友達との関わり

SOSからの課題

お友達がいないと長男が出した初めてのSOS。言われた私自身もどういうふうに長男に言葉を返して良いのかわかりませんでした。ただ、このSOSを絶対に無駄にはしてはいけないと感じたのです。加配の先生にそのことを告げると、先生も良かれと思ってやっていたことが、もしかすると長男にとっては寂しい思いをさせてしまっていたのかもしれないとおっしゃってくれました。その日から何をするのでも先生とだったのをお友達と。に変更することになりました。どこに行くのもお友達と、机もお友達と、手伝ってもらうのもお友達に頼んでみる。そうする変化により、数日後からお友達と何かをするということに喜びを覚えたようですと幼稚園から連絡が来ました。ですがまだ関われるようになったばかりの長男にとって一気にたくさんのお友達が押し寄せてくることに免疫はありませんでした。一人のお友達とであればそつなくこなせることも、優しいお友達がたくさんいるクラスでは一気にたくさんのお友達がお手伝いをかって出てくれたのです。そうすると長男はどうして良いのかわからなくなってしまいます。そうした現象も起きたことによって、まずは1対1の人との関係を意識するところからトレーニングが始まりました、幼稚園でも、療育施設でも情報を共有して1対1のコミュニケーションのやりとりが長男の新しい課題になりました。

小集団での初めてのお友達

そんな長男のトレーニングの一環として、療育施設での小集団での療育が開始しました。同じ年齢の女の子と週1回、一緒に療育を受けることになりました。おっとりしている長男とは正反対の、しっかり者の女の子が小集団の相手でした。少しのことも指摘してくれたり、女の子ならではの視点で積極的に長男と関わってくれました。積極的にこられすぎて嫌がるかな、とも思いました。案の定初めての小集団で、自分の嫌なことを言われた時言葉で「やめて」と言えず手は届かなかったものの叩こうとしてしまいました。先生も間にいたため、女の子に当たることはなかったのですが「やめて」と言えないことも長男の課題でした。ですが1ヶ月続くと、女の子の名前もわかり、定期的に一緒にやるんだということも理解できてきたようです。ある日「今日は幼稚園が終わったら療育だからね」と伝えると「○○ちゃんと一緒?」と質問を返してきました。そんなことを聞いていたのも自発的にお友達の名前が出てきたことも初めてだったのでとても驚きました。「そうだよ、○○ちゃんと一緒と一人どっちがいい?」と聞くと「〇〇ちゃんと一緒」と言いました。本当にそのことが嬉しくてたまらなかったのを今でも鮮明に覚えています。

長男が出した勇気

数日後、また小集団の日が来ました。その日は女の子の機嫌が良くなく粗大運動中にやりたくなくなってしまいました。お母さんや先生が一生懸命、女の子にやって見ようなどと声をかけますが女の子はやりたくないの一点張り。そうすると長男が様子を伺いにそーっと女の子を見に行きました。叩いたりしないかな?と私は心配しましたがあえて止めませんでした。すると「〇〇ちゃん起きて、一緒にやるんだよ」と自分から声をかけたのです。私は長男が出した勇気の一歩が本当に嬉しくて涙が出そうでした。女の子も長男に誘われたことが嬉しかったようでその後は一緒に楽しく運動することができました。お友達に気にしてもらい、声をかけてもらう側だった長男が、お友達の名前や、一緒にやろうと声をかけられたことに成長を感じました。そしてその療育施設では10回通うごとにシールがもらえます。その日は長男がシールをもらえて女の子は貰えない日でした。自分だけもらってどうして良いのかわからず、自分にもらった2つのシールと女の子を交互に見ていました、「〇〇ちゃんに一つあげたら?」と私がいうと“はっ!”としたような顔をして、女の子の元にシールを持って走って行きました。「はい」と渡すと女の子も嬉しそうに受け取ってくれました。帰宅途中に「〇〇ちゃんにシールあげて偉かったね、優しかったよ、それにかっこよかった!」と伝えると「偉かった?」と聞き返してきました。「偉かったよ、とっても偉かった!」というとにっこり嬉しそうに笑った長男がとても印象的でした。その頃からやっと会話のきゃっちボールができるようになってきました。

創作意欲

長男がSOSを出してからの成長は凄まじく、あっという間に今までとは見違えた長男が見られるようになりました。遊び方も、絵を描くことだけだったものがストーリー仕立ての紙芝居を作るようになりました。自分の好きな絵本を組み合わせて、そしてアレンジまで効かせて。子どもの発想はとても豊かで大人がはっと気付かされることがたくさんあります。うさぎとかめが競争をしています。ここまでは誰もが知っている内容だと思います。ですがそこでどちらが勝つのではなく、最後は一緒に丘の上に上がり宝物を探す。そして、その宝物はお星様だったというお話でした。子どもの創造力は無限だと感じさせられました。

みんなと一緒に

長男が通う幼稚園では、定期的に園での様子を動画で配信してくれます。クラスのみんなと大きな動物を作り作品を発表するという動画がありました。いつもであればどこか行かないように先生にしっかりと手を握られて一番端っこに立っている長男でしたが初めて、両手をお友達に握ってもらい動画に写っていました。どこかに逃げるわけでもなく、発表が終わるまでしっかりとその場に立っていたのです。またここで長男の成長を感じるとともに、お友達へのありがたさも募るばかりでした。本人や家族、先生の協力ももちろん大切ですがやはりお友達の影響というものはすごいものだなと感じさせられた一面でもありました。少しずつお友達との関わりも増えてきて、次のステップは一緒に何かをすること。ゲームのようなルールがある遊びを長男はできません。できるのは個々で遊べるブロックや辛うじてジャンケンでした。ルールというものを理解し、お友達と関わりながら遊ぶというのが更なるステップアップへの道です。

感覚過敏

長男は体の発達も少し遅れていて、模倣というものが苦手でした。先生が教えてくれる踊りをうまく真似できなかったり、高いところからジャンプをすることが苦手でした。通っている療育施設には理学療法士の先生もいます。模倣が苦手だということを伝えると鏡を見せながら教えてみるとわかりやすいと言われました。感覚の過敏などがある子は、自分がどれくらい手を挙げているかなどがわかりづらい場合があります。そのため、目の前に見本となる人、後ろに自分の手などを操ってくれる人がいれば、何度かやればわかりやすよと教えてくれました。そこで、幼稚園の先生に伝えるとお遊戯の際には必ず先生が後ろにつき手をここまであげるんだよなどと長男の腕や足を動かして教えてくれました。そのおかげもあり、少しすると感覚が掴めたのか後ろについてやってもらわなくてもある程度真似できるようになりました。まだ高さなどは低すぎたり動きが小さかったりするけれど、小さな練習の積み重ねだと感じています。長男は今でこそ克服したものの、4歳くらいまでは初めて着る服をスムーズに着ることができませんでした。初めての服は絶対に嫌がるので、泣き喚いてもアウターなどは無理やり着せていました。その時はそれが良いこととは思っていませんでしたし、感覚の過敏とまではいかずただのこだわりだと思っていました。ですが今考えると何か嫌な感覚があったのかもしれません。食べ物もカリカリしたものをすごく好みましたが、柔らかいものはあまり好まないなどこだわりがありました。5歳に近くなってから自然と感覚の過敏は無くなったようです。療育の先生曰く、嫌がる時にある程度全てを飲み込むのではなく挑戦させることをしたから克服できたようです。嫌がることがあっても、多少泣いたとしてもできる限りは挑戦させることが重要なのだとその時感じたのです。

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お友達との言葉でのコミュニケーション

状況を読み取ること

人への興味が出てきて、“お友達“という認識ができるようになった長男は日に日に周りの状況も把握できるようになります。それまでは、自分のことが100%で周りの状況や人に興味を持つことができませんでした。ですが少しずつ周りもやっているから自分もやるんだという想いが出てきたようでした。給食の時間に気分が乗らず給食を食べないと言って1人で絵を描いていたことがあったようです。先生もあまり刺激しないように放っておくと、「僕も給食食べる」と言って準備をし始めたそうです。それまでは自分の感情のまま、食べる時間じゃなくてもお腹が空いたら食べる。という発想しかなかった長男にとっては大きな進歩でした。周りの同じ行動をしなければいけないことがあるんだと、ずっと課題であった協調性というものが少し意識でき始めた頃だったのだと思います。私自身全て周りに合わせる必要はないと思っています。必要な時だけ、やらなければいけない時はやる。必要なコミュニケーションを必要な時に取ることができればそれで良いと。無理にやらせることで負担になり、お友達と関わることが嫌だと思ってほしくないのです。人と関わることは楽しいんだと、もっと人と関わりたい、と思ってもらうことが私の長男が幼稚園に入ってからの想いでした。

どのように対応して良いかわからない感覚過敏

その後運動会の練習がはじまり、気分の上がり下がりが激しくなります。健常児でも行事の練習があるときは疲れると聞きますが発達障害児にとっては本当にバランスが崩れるのです。発達障害児には状況の変化にも弱い子が多いので少しの変化にも対応ができない場合があります。長男の場合疲れていることをうまく伝えることができないため、疲れたまま療育などに向かってしまうと普段できることができずそれに対してヒステリックになることも日常茶飯事。長男の場合が睡眠を取らせることに限ります。睡眠障害のお子さんもたくさんいますが、長男は生まれた頃からよく寝る子でした。そのため睡眠さえしっかり取ることができれば、気持ちの浮き沈みも最低限で進めることができます。前の年までは運動会も先生がつきっきりで、走る時も先生と手を繋いで走っていました。お遊戯も1人だけ踊りません。ですが年中になった年は、練習から違いました。模倣が苦手だった長男は見本の先生を見ても真似をすることができませんでした。どうやったら踊れるようになるのかと不思議に思い理学療法士の先生に相談しました。感覚に過敏性がある子どもは健常児に比べ上や下、左右に対しての状況が判断しづらいようです。そのためすぐに寝転んでしまう子が多いですが、それは寝転がることでここが下なんだと体で感じて安心することができるからのようです。長男もどこへ行っても寝転んでしまうことが多かったのです。そのため先生には見本の先生と見本を見ながら長男の手や足を持って動かしてもらい、見本はこのぐらい上げているから自分もこれくらいあげるんだという感覚を覚える練習をした方が良いといわれました。すぐに幼稚園の先生に伝えると、先生たちもどのように教えたらわかりやすいかわからなかったとのことでした。そのように実践してもらううちに、長男は自分で模倣しながらお遊戯を踊れるようになったのです。本人の中でもこれくらいあげなければならないんだという感覚が少し掴めた時だったように思います。

言葉で対抗する

運動会の練習中もお友達が積極的に声をかけてくれます。長男に対して嫌な言葉をかけることもなく、〇〇くんこっちだよ、次は何をするんだよととても親切です。そのようにお友達に声をかけてもらいながら、状況を判断する力をつけていっているのでしょう。その頃から本人はお友達と必要最低限のコミュニケーションを取れるようになります。「貸して」に対して「いいよ」や「今使っているから代わり版こね」など。決して交わって遊ぶことはありませんでしたが、ありがとうやどうぞなどの必要最低限の会話はできるようになりました。長男には加配の先生がついていますが、それは1対1ではなく加配の先生1人に対して発達障害児2名というふうについていました。元々は1対1でしたが、成長に合わせてマンツーマンでなくてもやっていけるとの幼稚園側の判断でした。そのため長男には同じような境遇の子がいつも隣にいます。驚いたのがそのことは、口喧嘩をするようでした。いつも家では次男に口喧嘩で負けている長男も必死にお友達に言葉で対抗しようとしていることが私は嬉しかったのです。もちろん喧嘩はいいことではありませんが言葉で言い争うということができるようになったことが長男にとってはとても大きな進歩だったのです。それまでは、返答の8割が「はい」で例え「わからない」や「嫌だ」の返答がしたくても「はい」の一つだったレパートリーも少しずつ増えていきました。「僕はこれがわからないんだよ」「ううん、嫌なんだよ」と気持ちをきちんと言葉にできるようになってきた頃です。感謝の気持ちや嫌なことは嫌、と伝えられることがコミュニケーションを取ることとして今の長男にはとても重要でした。

療育施設を必要とする子どもたち

通っている療育でも、同じ歳のことやっていた頃は引っ張っていってもらう側だった長男。年下の子と小集団を始めて、最初こそ年下の子との関わり方がわからないようでしたが次第に仲良く、時折笑い合う姿も見せながら療育をしています。療育というとたくさんの同じ境遇の集団の中での活動が多いと思いますが、マンツーマンで生きていく上で必要なことを教えてくれる療育施設がもっとたくさんできるといいのにと、ひしひしと感じています。クラスに2、3人の発達障害児がいる現実でもクラスは1人1人の子供を待ってはくれません。小学校でも板書が苦手なだけで支援級にいくようにいわれることもあります。同じ内容のテストで3回目で100点が取れないだけで支援級。このようなことが現実です。もちろん社会自体が、私が子供の頃に比べて理解があるようになってきているのもあるかもしれませんがまだまだのように感じます。幼稚園であればある程度融通が効きますが小学校にもなるとガラッと環境が変わります。そのように支援を必要としている子がたくさんいて、少しでもクラスの波に乗れないと別扱いになってしまう現状で療育施設が足りていないのも問題点だと発達障害児を持つ親になって見て実感しています。

発達障害児の家族

発達障害児を持つ母親として、健常児だけではわからなかったことがたくさんあります。その分辛い思いも窮屈な思いもしてきました。ですが、長男が生まれてきてくれたからこそ知り合えたお母さんや、体験できなかったこともたくさんあったため心から長男に感謝しています。これから先心配事は長男だけではありません。次男への心配ももちろんあります。長男と成長していく中で、次男が嫌な想いをすることがないかな、お友達に心ない言葉を言われるかもしれないな、など不安はつきません。ですが次男が長男に想う気持ちがいつまでも続いてくれるといいなと兄弟を見ていて常に感じています。長男本人もうまく気持ちを伝えられなかったり、自分のことをわかってもらえなくて辛く思う時もあるかもしれません。しかし支える家族も大変なのが事実です。そのような状況もわかって優しく接してもらえる明るい未来になってくれることを心から願っています。

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