2021年9月14日
子育て
我が家は、ステップファミリーです。
ステップファミリーとは、「共に暮らすカップルの少なくとも一方が、以前のパートナーとの間にできた子どもを伴っている場合に形成される家族」を言います。
私は、小学校入学を3ヶ月後に控えた男の子を持つ男性と結婚しました。一緒に暮らし始めて10年になろうとしており、主人の連れ子は、今年高校1年生になりました。
一緒に暮らす前に、どのような思いで私を受け入れてくれたのかについては、主人から聞きましたが、「パパの好きにしたらいいよ。」と言ってくれたようです。その言葉を聞いて安堵したことを今でも覚えています。また、何とかうまくやっていきたいとも思いました。
しかし、思うようにはいきませんでした。20代半ばの私は、まず生活が一変したことに自分が選択した道であったにも関わらず、心身共についていかなかったのです。具体的には、ママ友との交流・小学校の行事・習い事の送り迎え等です。
1日の始まりは、子どもの朝食づくりから始まり、小学校に送り出し、仕事に行き、帰ってくるまでに帰宅し、その後は習い事の送り迎えと並行して夕食の準備と…。主人は帰ってきたかと思えば、子どもの相手をし、そのまま子どもと就寝することも多かったです。そのようなことが繰り返されているうちに、「私は何のためにここに来たのか。」・「ママになるために来たのか。」、そのような思いばかりを抱くようになり毎晩1人で泣いていました。
始めは子どもとの良い関係を築くことが大切であると考えていましたが、いつの間にか子どもの存在が疎ましく思うことも多くなってしまいました。
そのような思いが態度に出ていたのだと思います。そのうち、子どもともコミュニケーションは減り、同時に主人との喧嘩が増えました。喧嘩の内容もいつも同じで、「私が子どもへの態度がきつすぎる。」・「子どもが私の顔色を伺っている。」が原因でした。主人からすれば大切な子どもが辛い思いをしているということが許せなかったのでしょう。その通りだと思います。ですが、当時の私はなかなか自分自身の態度を改善することができませんでした。なぜなら喧嘩の原因が、「子どものせい」ってことに、腹が立つからです。「本当だったら、喧嘩などせず2人で楽しく生活できたのに。」・「何で主人が引き取ることになったのだ。」など、そのようなことも思っていました。
だから、子どもの悪いとこしか目につきません。「お弁当箱を帰ったらすぐに出さない。」・「お友達と遊びに行ったっきり約束した時間に帰らない。」・「学校で必要な物を急に朝、言い出す。」など、私が子どもに掛ける言葉はいつしかほとんど注意する時、怒る時だけになっていました。私が怒れば、主人から「態度がきつい。」と言われていました。私からすれば、「普通の親であれば当たり前に怒るような内容なのに、何でそんなことを言われなければならないのか。」と納得できませんでした。
それならば私が怒るのではなくて主人に怒ってもらえばいいと考え、役割を作りました。しかし今度は、仕事から帰宅してきた主人に「今日、こんなことがあったから注意して。」といちいち報告することが嫌になりました。
また、女性と男性の価値観の違いなのか、怒るポイントが私と異なり、注意を頼んでも「それくらいいいやん。」と言われ、どのように風に注意してくれるのかと聞き耳を立て聞いてみると、「気をつけや~。」程度でした。結局、主人に怒ってもらうこともやめました。
そのようなことをしながら行き着いたのは「もう、子どもについて考えることをやめる」です。
結婚して1年半後、私と主人との間に子が生まれ、その子の育児に追われるふりをして、もう子どもについて考えることを避け、また一切の感情を持たないようにしました。今までなら目に留まり注意しそうになったことも、もう何にも思わないようにしました。だから、その子が良いことをしたとしても、何にも思わないようになり、無感情・無関心状態で過ごしました。
そのような生活を送っていましたが、今は「母ではなく、良きサポーターになれれば。」と思っています。こう思うようになったのも、一緒に暮らすようになってから5~6年程度後の、子どもが中学2年生の頃からです。自分勝手な思いであることは分かっていますが、ようやく良い方に思えるようになりました。自分勝手な考え方であると自覚していますが、このような経過を辿ることしかできなかったのも事実です。
当初は、上手くやっていけると何の根拠もないことを言い、心配してくれた母の言葉を振り払ってこの道を選んだのも自分自身です。でも、本当にどうしようもありませんでした。子どもには、申し訳ない気持ちもあります。だからこそ、「これからは良きサポート役になりたい。」と思っているのです。
ステップファミリーの子育てについて上手くいっていないと、「自分が選んだことなのに無責任だ。」・「子どもが可哀想だ。」と言われます。その考え方は十分、良く分かっていますが、どうにもこうにも自分の考えが割り切れない時期があります。しかし、何がきっかけで考え方が変化するのか、私自身もはっきりとしたことは分かりませんが、そのうち子どもに対しての考え方や受け止め方が変わると思います。
その変化した時に、子どもとどう向き合うかが大切です。ある先輩お母さんに、「今までのことを正直に謝ったらいい。腹を割って話したらいい。まずは、自分の気持ちをぶつけてみなさい。」と言われました。私は、この言葉を掛けてもらってこの春、高校入学の際に腕時計と手紙を渡しました。「今更かな…」と思いながらも、この時期を逃してはいけないと思い手紙を書きました。手紙には、「今までのことについての謝罪と家族になれて良かったと思っていること・応援している。」といったことを書き記しました。手紙を読んで子どもがどのように感じたのかはわかりません。思春期の子どもは単純に「うっとうしい。」と思ったかもしれません。「今更、何を…。」と思ったかもしれません。でも今の私の思いを感じてもらえたらと思い、手紙に託しました。
一般的な家庭以上に、思いの丈をぶつける事は大切なことかもしれません。なぜなら、「継母だから」と言って怒ることを躊躇してはいつまでも他人行儀なままです。そして最も大切なことは、良い事を共有し、一緒に喜ぶということです。
この2つが、ただでさえ難しい子育てを、日々行っていく1つの術ではないかと思います。
そして私は、「良きサポート役」で、子どもが巣立つまで見届けたいと考えています。
中村さんより