2022年2月18日
絵本読み聞かせ
わが家には現在大学生の息子と娘がいます。二人が赤ちゃんの頃から―厳密に言うとおすわりができるようになってからですが、毎日のように絵本の読み聞かせをしていました。本を読む楽しさを知ってほしい、そして想像力豊かな子供に育ってほしいという願いからです。息子が生まれると早速、初めての絵本は何がいいだろうとリサーチを始めました。できるだけ良質の絵本を与えてあげたいと思っていたのです。そうして出会ったのが、今からご紹介する1冊目の絵本です。息子にも娘にも、1歳のお誕生日を迎えるまでに、いろいろな絵本を読み聞かせましたが、初めての絵本として選んだ1冊目、そして2冊目の絵本には親子で夢中になりました。二人が赤ちゃんだった頃を思い出しながらお話したいと思います。
赤ちゃん向けの絵本といえばこの本というぐらい王道中の王道を行く絵本です。初版が1967年ですから、もう50年以上も愛されているのですね。当時私が購読していた育児雑誌にこの絵本が紹介されていました。やさしいタッチで描かれた表紙のくまの絵に、まず私の目が釘付けになってしまい、一目惚れのような状態で即購入を決めました。全体的にニュアンスのあるやさしいパステルカラーで描かれていて、こちらの気持ちもほっこりやさしくなって、自然と微笑んでしまうような絵本です。表紙を開くと、まず「いないいない」とお顔を隠したねこが登場します。そして、ページをめくると「ばあ」と大きなお目目と大きなお口を開いたお顔を見せてくれます。その次はくまが「いないいない」「ばあ」、そしてその後二匹の動物達が順番に「いないいない」「ばあ」と登場し、最後はのんちゃんという小さい女の子の「いないいないばあ」で終わります。この動物達の表情が子供の心をつかむのか、または私が聞かせる「いないいないばあ」の響きが楽しいのか、その両方なのかは分かりませんが、とにかく思った以上に息子は笑ってくれました。実は、一目惚れで購入したものの、淡い色調と素朴なイラストが、もしかしたら赤ちゃんにとっては魅力的でないかもしれない…もっとビビッドな色を使った絵本の方が良かったかな…と心配になってもいたのです。ですが、実際に息子に読んであげた時の反応で、それは杞憂だったと分かりました。もちろん、次に生まれた娘にも同じようにこの本を読み聞かせました。娘もとても喜んでくれました。どちらかというと、息子より娘のリアクションの方が大きかったように記憶しています。今でも、私の膝の上で楽しそうにキャッキャッと笑う小さな息子や娘をなつかしく思い出します。今から思うと「お母さんもゆっくり落ち着いて、親子で読み聞かせの時間を楽しんでね。」という作者さんのメッセージが込められた絵本だったのかもしれません。ちなみに、私が購入した『いないいないばあ』は同じく文:松谷みよ子さん、絵:瀬川康男さんの『もうねんね』『いいおかお』という絵本と三冊セットになっていました。この二冊もいろんな動物が出てきて、「ねむたいよう」「おやすみなさい」や「いいおかお」という言葉を繰り返す内容です。赤ちゃんは「繰り返し」を好むのでしょうか。私が「ねむたいよう」「いいおかお」と繰り返す度に二人共ニコニコ笑ってくれました。ですが、やはり子供は『いないいないばあ』を読んでいる時が一番楽しそうでした。
こちらも子供向け絵本の代表作です。息子が生後10ヶ月ぐらいの時、本屋さんの店頭で平積みされているこの絵本に出会いました。表紙に描かれた鮮やかでニュアンスのあるグリーンのあおむしに、私が目を奪われてしまいました。またしても、一目惚れです。本当は赤ちゃん向けではなく幼児向けの絵本なのかもしれませんが、鮮やかな色彩と独特のタッチに魅了され、「赤ちゃんにストーリーは分からなくても、この美しいアート作品は絶対に良い影響を与えてくれる」と確信して購入しました。『いないいないばあ』とは反対にとても鮮やかな色調ですが、よく子供向けとして売っている派手だけど単調な色が多用されている絵本と違い、絶妙な色調と配色が素晴らしい絵本です。言葉で表現するのはとても難しいのですが、ずっと見ていたくなるような魅力的な絵なのです。読み聞かせている間、息子も娘もこの絵本を見てキャッキャッと笑うというより、ページをめくる度にじっと見つめたり声をあげたり(アーアーとかバウーなど)、絵を指さしたりしていました。ですので、この絵本に何かしら感じているんだなと思っていました。ストーリーは、ある日お月様が葉っぱの上の小さなたまごを見つけるところから始まります。あたたかい日曜日の朝、たまごからぽん!とあおむしが生まれて、一日かけて食べ物を探し、毎日何かしらのフルーツを見つけては食べて行きます。月曜日はりんご、火曜日は洋ナシ、水曜日はすももというふうに。このフルーツがどれも鮮やかでみずみずしいタッチで描かれていて、とてもおいしそうなのです。そして、あおむしが食べたフルーツの絵に子供の指の太さぐらいの穴が開いているのですが、子供はその穴に興味をひかれていたようです。そして、食べたフルーツが月曜日は1個、火曜日は2個、水曜日は3個とだんだん増えて、土曜日にはケーキやアイスクリーム、キャンディやピクルスまで、一度にたくさんの食べ物を食べ過ぎて、お腹が痛くなってしまいます。ページをめくる度にフルーツの数が増え、それにつれて穴の数も増えていくところが、より子供の関心をひいていたように思います。あおむしはその次の日曜日に葉っぱを食べてお腹の具合は良くなりました。そして、その後サナギになって何日も眠り、最後に鮮やかなちょうちょになってお話は終わります。茶色いサナギ(美しい茶色のグラデーションで描かれています)が一面にどっかりと描かれたページをめくると、真っ白なページに大きく描かれた色とりどりの羽根を持つちょうちょが鮮やかに登場します。私の目には茶色い物体からきれいな色のちょうちょに変化したそのギャップが見事に映り、よりちょうちょの鮮やかな色彩が印象に残って感動しました。けれど、子供にとってはあおむしの方が魅力的だったようです。あおむしを指さしたりじっと見たりはしていましたが、ちょうちょには親が思うほどには反応しませんでした。あおむしの形の方がおもしろいからでしょうか。それともオレンジのお顔とグリーンの胴体のコントラストにインパクトがあるからでしょうか。確かに、葉っぱの上の小さなあおむしも、食べ過ぎて太っちょになったあおむしも、どことなく愛嬌があってかわいらしいのですけど。子供の感覚って、不思議です。
この『はらぺこあおむし』は、息子も娘も赤ちゃんを卒業して幼児になってからも、時々自分でページをめくって見ていました。そして、他の絵本に興味が移り、しばらくほったらかしにしていても、また時々本棚から引っ張り出してきては「あおむし読んで。」とおねだりしてきました。何度も見たり読んだりしているうちにボロボロになってしまったので、その後新しいものを買い直しました。わが家の永久保存版で、今も大切に保管しています。
1歳のお誕生日を迎え、よちよち歩きができるようになった息子は、スーパーでも公園でもベビーカーから降りると一人で好きなところへ行ってしまって目が離せません。そんな息子と本屋さんへ行くと、トコトコ勝手に歩いていっては目についた本をうれしそうに私に手渡します。そんなふうに出会ったのが「アンパンマン」の絵本です。正確に言うとテレビアニメの「アンパンマン」の絵本。多くの子供達が夢中になる「アンパンマン」ですが、わが家の息子も見事にはまりました。2歳下の娘はそれほどでもなかったのですが、本屋さんで彼女が目につくのはキラキラしたシール絵本やアニメの女の子が表紙に大きく描かれた本ばかり。それらの本が悪いわけではないし、実際買ってあげたりもしていたのですが、私が子供に与えたい絵本ではありませんでした。それで、子供が欲しがる本とは別に、私が選んだ本も購入して読み聞かせていました。その中で子供が特に気に入っていたのが次の2冊です。
テレビアニメの「アンパンマン」ではなく、やなせたかしさんオリジナルの絵とお話です。息子が1歳半ぐらいの時に、本屋さんで偶然見つけました。正直、アニメのアンパンマンとのあまりの違いに私自身がとても驚いたことを覚えています。まん丸なお顔に丸いお目目とツヤツヤほっぺのアニメのアンパンマンと違い、すこしいびつな丸いお顔に、お目目は線…体型こそアニメに近い三頭身(?)ではあるものの何だかかわいいとは言い難い姿形です。だけど素朴で味わいのある、そしてあたたかみのある絵になんとなく心惹かれて、この絵本を購入して帰りました。帰宅してよく見ると初版は1975年でした。やはり良い作品は長く愛されるのですね。しかし、購入したものの息子が喜んでくれるかどうか、アンパンマンと認識してくれるかどうかが気になるところでした。いつも心配が先立つ私ですが、今回も杞憂でした。カタコトでおしゃべりを始めた息子が絵本のアンパンマンを指さして「アンパン」と言ってくれたのです。そして、本を読み聞かせている間も絵をじっと見たり、お話に聞き入っていました。この本のアンパンマンは必殺技で悪者を退治する無敵のヒーローではなく、お腹を空かせた人に自分の顔であるアンパンを食べさせて飢えから救うという自己犠牲のヒーローです。「アンパンチ」もまだ登場しません。絵本の中で、アンパンマンは雪の谷間に落ちて「たすけて~ひもじいよ~」と泣いているこざるのもとに飛んで行って、自分の顔を食べさせます。そして、こざるを家まで送り届けようとマントに乗せて飛び立ちますが、バランスを崩して草の上に落ちてしまいます。ふんわりと着地したので無事でしたが、今度は大きな湖にいた怪獣に襲われてアンパンマンだけが食べられてしまいます。甘いものが嫌いな怪獣にすぐに吐き出されてしまうのですが、出てきた時には顔がなくなっていました。顔がないアンパンマンが飛んでいく姿は、かなり衝撃的です。そして、遠くの家の煙突に落ちていくのですが、落ちた先はジャムおじさんの工場でした。そこで顔の修理をしてもらい、再びお腹がすいて困っている人の元へ飛んで行ったところでお話は終わります。ちなみに、ばいきんまんやドキンちゃんはまだ登場していません。登場人物はアンパンマンとジャムおじさん、そしてお腹を空かせたこざると湖にいた怪獣だけ。たくさんのキャラクターが登場する『それいけ!アンパンマン』も魅力的ですが、少数のキャラクターで構成された初期の『それいけ!アンパンマン』はシンプルな分、作者の伝えたいことが読み手にダイレクトに伝わってきます。必殺技は持っていないし、怪獣に食べられてしまうぐらい弱いけど、困っている人を放っておけないやさしいアンパンマン。作者のやなせたかしさんは「本当の強さ=やさしさ」と言いたかったのかな、と私は思っています。親にとっても味わい深い絵本でした。この絵本とも、このあと長くおつきあいすることになります。
これは娘が大好きだった絵本です。仕掛け絵本になっているので、絵を動かして遊ぶのが楽しかったのでしょう。でも、それ以上に主人公のペネロペに魅力があったのだと思います。ペネロペは青色のコアラの女の子です。ある日の昼間、ペネロペはチョコレートクレープを焼きます。そして、チョコだらけになった顔や体を洗うためにお風呂に入り、お風呂から出たらトイレに行って、くまのぬいぐるみと一緒にベッドに入って眠るまでを描いたお話です。ペネロペが何歳の設定なのかは書かれていませんが、描写から推測すると、おそらく3歳から6歳ぐらいかと思われます。この本を一番よく読んでいた頃、娘は1歳半~2歳を少し過ぎた頃でしたが、自分よりちょっとお姉さんのペネロペが一生懸命クレープを焼いて、顔をチョコだらけにしたり、お風呂に入ったり、トイレに行ったりするのが親しみやすかったのかなと思います。そして、絵本の仕掛けで、自分もフライパンの上でクレープをひっくり返したり、お風呂に入ったペネロペの顔をスポンジで洗ってあげて、バスタブの中でいなくなったおもちゃを探し、湯上りにはバスタオルでふいてあげたりと、お手伝いしてあげることが楽しかったようです。「きれい、きれい」「ふきふき」などと言いながら仕掛けを上下左右に引っ張っている娘を、今でも覚えています。最後はペネロペのお部屋の電気を消してあげる仕掛けがあります。ベッドにもぐったペネロペはもう夢の中に入ってしまった様子で、「ペネロペ、おやすみなさい」とお話は終わります。この「ペネロペ、おやすみなさい」のフレーズが娘はお気に入りで、カタコトで何度も繰り返していました。お風呂に入ってから眠るまでのお話なので、娘の寝つきが悪い時などは、この本を読んで聞かせて「ペネロペ、おやすみなさい。○○ちゃん、おやすみなさい」と寝かしつけたこともあります。それで本当におとなしく寝てしまうのですから、子供っておもしろいですね。
ただ一つ難だったのは、娘が仕掛けの部分を強く引き過ぎたり、あまりに何度も引っ張って遊ぶので、すぐに破れてしまうことでした。その度にセロハンテープで修理して、また破れて、と何回繰り返したことでしょう。しまいには修復不可能なほど破れてしまい、新しいものを買い直しました。それほど、娘も私も大好きな絵本だったのです。
この本も、色使いがとても魅力的です。コアラを青色で描く発想も斬新ですが、背景の壁や物などが全体にカラフルなのに毒々しくなく、本当に美しい色彩で描かれています。そしてまた、ラフなタッチで描かれているので素朴で親しみやすい、温かみを感じられる絵です。でも、どことなくおしゃれな香りが漂っているのは、やはりフランスの絵本だからでしょうか。リビングにインテリアとして飾ってもおかしくないのでは、と思いました。
この”ペネロペ”が主人公の絵本はシリーズ化されているようですね。当時、実家近くの本屋さんでたまたま見つけたのですが、その時はこの『おやすみなさい、ペネロペ』しか店頭にありませんでした。他のシリーズのペネロペとも遊ばせてあげたかったな、と思います。
2歳になった息子は、自我や好奇心がむくむくと芽生え、そのせいか1日に「本読んで」とおねだりする回数がどんどん増えていきました。「アンパンマン」に「きかんしゃトーマス」ディズニー映画の「トイストーリー」…キャラクター好きは相変わらずです。一方で、絵本の物語に関心を示し始めた頃でもあります。毎月のように親子で本屋さんに行き、絵本を選んでいました。中でも、特にお気に入りだったのが次の2冊です。
『ぐりとぐら』は私が子供に一番読ませたかった絵本です。私自身が子供の頃、大好きな絵本でした。大村百合子さんのやさしくて素朴なイラストと、中川李枝子さんのリズミカルな文章とやさしさいっぱいの表現は、子供時代の私の心にスーッとなじんで、読み終わった後、自分の心もやさしく、楽しくなっていたような記憶が今も残っています。自分の子供にもそんな気持ちを味わってほしくて、息子が2歳のお誕生日を過ぎる頃から読んで聞かせていました。この本の対象年令は3歳から5歳となっていますが、「良いものは伝わる」と信じていたので、少し早いかもしれませんが読み始めることにしました。お話は、のねずみのぐりとぐらが森の奥へ出かけるところから始まります。どんぐりやくりを拾って「(略)おさとうをたっぷり入れてにようね」「(略)やわらかくゆでてくりーむにしようね」と話しながら行くと、道の真中にとても大きなたまごが落ちていました。ぐりとぐらの何倍もの大きさのたまごです。このたまごで「おつきさまぐらいのめだまやき」や「ベッドよりもっとあつくてふわふわのたまごやき」ができると考えた二匹ですが、「あさからばんまでたべてもまだのこるぐらいのおおきいかすてら」を作ることに決めました。それから二匹はどうやってたまごを持って帰るか考えますが、結局おなべを持ってきて、その場で作ることにしました。急いでうちへ帰って、小麦粉、バター、牛乳などをリュックに入れ、大きなおなべは引っ張って、フタは転がして行きます。たまごのところまで戻ってくると、ぐりはげんこつでたまごを叩きますが固くて割れません。石で叩くとやっと割れました。それからかすてらを作る様子は、良いにおいがこちらまで漂ってくるような、おいしそうな描写です。においにつられて森中の動物達も集まってきました。そしていよいよ「さあ、できたころだぞ」とぐらがおなべのふたを取ると、かすてらがふんわりと顔を出します。ページの真ん中に大きく描かれたかすてらは何とも言えないおいしそうな黄色をしています。集まった動物達みんなでかすてらを分け合って食べている絵は、本当においしそうで楽しそうです。自分達だけで食べるより、みんなで分けあって食べる方がもっとおいしいよと、この本は伝えたかったのでしょうか。やさしいぐりとぐらを見て、こちらもやさしい気持ちになります。この絵本を読むと、やはり我が家の子供達も、私と同じように心地よい気分になれたのでしょう。何度も「読んで」とせがまれました。ぐりとぐらが体験するささやかなワクワク感が、小さい子にはちょうど良いサイズ感なのかもしれません。そして、やはり中川李枝子さんの文章は子供にとって魅力的なリズム感があるのでしょうか。ぐりとぐらのセリフを真似したり、何度も聞いて覚えたフレーズを楽しそうに口にしていました。文もイラストもやさしさにあふれた絵本だから、私もおだやかな気持ちで安心して読んであげることができました。だからこそ、たくさんの人に長い間読み継がれている絵本なのだと思います。
この絵本を本屋さんで見つけた時、何ともノスタルジックな表紙に惹かれました。一言でいうと「昭和の香り」がするのです。やさしい、あたたかみのある色使いの表紙で、題字や作者名が楷書体のひらがなで書かれています。そして、だるまちゃんとかみなりちゃんが笑顔で仲良く並んで座っているのですが、これが独特の、不思議なかわいらしさなのです。というのも、かみなりちゃんはかみなりの子供らしい感じがするのですが、だるまちゃんはだるま人形そのものからニョキっと手足が生えていて、吊り上がった太い眉毛もだるまさんそのままで、何だか子供らしくありません。でも、そんな顔立ちのだるまちゃんが無邪気に笑っている(本当に楽しそうに笑っています)絵を見ていると、不思議と「かわいい」と思えてくるのです。そんなところに魅力を感じてこの本を買って帰りました。お話は、雨の日にだるまちゃんが外に出ると、空から変なものが落ちてきたところから始まります。そして、ぴかぴかごろごろがらがらどしんと、小さなかみなりちゃんも落ちてきました。かみなりちゃんは木に引っかかった変な丸いものを取ってほしい、とだるまちゃんに頼みます。だるまちゃんはジャンプしたり、肩の上にかみなりちゃんを乗せて背伸びしたり、一生懸命取ろうとしますが、変なものには届きません。二人が困り果ててべそをかいていると、かみなりちゃんのお父さんが雲に乗って迎えに来てくれました。そして、木に引っかかった変な丸いものを取って、お礼にだるまちゃんを雲に乗せて「かみなり公園」のプールに連れて行ってくれました。そこで変な丸いものは浮き袋だったことがわかりました。プールで遊んだ後はかみなりちゃんのおうちへ行きます。そこで、だるまちゃんはかみなりちゃんと遊んだり、かみなりちゃんの家族とごちそうを食べたりしました。そして、お土産をもらっておうちに帰ってきたところでお話は終わります。この絵本は、息子も2歳下の娘も思いの外気に入ってくれました。はじめにご紹介した『ぐりとぐら』よりも気に入っていたかもしれません。自分で買っておいて言うのも変ですが「なんでこんなに好きなんだろう?」と不思議に思ったものです。やはり、だるまちゃんのキャラクターが魅力的だったのでしょうか。子供は先入観がないから、大人が「子供らしくない姿形だなぁ」と思っても、そうは思わないのかもしれません。純粋にだるまちゃんの行動や表情がおもしろかったのだろうと思います。そして、加古里子さんの文体は「ぴかぴかごろごろがらがらどしん」や「えんえんあんあんなきました」や「うんとこさ!ととびあがりました」「ぴょんとこさ!とはねあがりました」「かんがえかんがえかんがえているうち―」など言葉のくり返しが多くて、どこかコミカルな感じもします。これらの文章を読んで聞かせると、子供達はキャッキャッと喜びました。自分たちで声に出して真似たりもしていました。そして、やっぱり絵が魅力的です。カラフルだけど淡くてナチュラルな色使いは目にも心にもやさしく映ります。そして、かみなりこうえんのプールやかみなりまちの様子が近未来的で、躍動感もあって楽しいのです。(遊びは目隠し鬼や縄跳びや輪投げなど、昭和の遊びですけども。)加えて、登場するキャラクターが、みんなやさしい表情をしています。細かく描かれているわけではなく、むしろラフなのにやさしさがにじみ出ているのは加古里子さんのお人柄が反映されているのでしょうか。そんなやさしさでいっぱいのところが子供達を自然と笑顔にしてくれたのかもしれません。
わが家では子供が3歳から5歳頃までが、一番絵本の読み聞かせをした時期です。好奇心の芽がグッと伸びる頃なのでしょうか。本を次から次へ「読んで。」と持ってくるので、毎日家事の手を止めては本を読んでいました。また、息子が3歳頃から寝る前の読み聞かせが習慣化していました。絵本を1冊読み終わる頃には、息子も娘もすやすや眠っていたことをよく覚えています。絵本からキャラクター図鑑(仮面ライダーやポケモンなど)までいろいろ読みましたが、子供たちが特にお気に入りだった絵本をご紹介します。
1. からすのパンやさん 絵と文:加古里子(かこ さとし)
「だるまちゃんシリーズ」ですっかり加古里子さんの絵本のファンになった私達に、また一つ素敵な出会いがありました。それがこの「からすのパンやさん」です。お話の舞台は「いずみがもり」というからすの町にあるパンやさん。からすの夫婦が営むそのパンやさんに4羽の赤ちゃんが生まれました。4羽それぞれ違った色の赤ちゃんです。白色の子はオモチちゃん、黄色の子はレモンちゃん、赤色の子はリンゴちゃん、そして茶色の子はチョコちゃんと名付けられ、大事に育てられていました。お父さんは朝早くから一生懸命パンを焼き、お母さんはせっせとお店のお掃除をしますが、赤ちゃんのお世話に追われて、パンを真っ黒に焦がしたり、お店が散らかったままになってきました。そうなると、お客さんは段々と減り、お店は貧しくなっていきました。それでも子供たちは元気にどんどん育っていきます。ある日、子供たちがこげたパンや半焼きパンをおやつに食べていると、他のからすの子供たちがやってきてこう言いました。「いつも変わったパンがおやつだね。」するとチョコちゃんたちは答えました。「そうさ。これは世界中でお父さんしか焼けないめずらしいおやつパンなんだぞ。」「味はおいしいの?」こう聞かれて、チョコちゃんたちはみんなにおやつパンを分けてあげます。「ほんとだ。とってもおいしいね。」「あしたたくさん買いに来るから、たくさんとっといてね。」おうちに帰ったチョコちゃんたちは早速お父さんに報告します。おやつに食べてるようなパンを、お友達が明日たくさん買いに来るって。さあ、それから家族みんなで協力して、たくさんのおいしそうなパンを焼き上げました。翌日は大勢の子供たちがパンを買いにやって来ました。「もっとお店をきれいにして。」「もっといろんなパンがあるといいな。」お客さんの要望で、パンやさんは早速お店をきれいにしました。そして、みんなで考えて、とっても素敵な変わった形のパンをどっさり作りました。この「とっても素敵な変わった形のパン」が、それこそどっさり、ページいっぱいに描かれていて、加古さんの子供のようにピュアでユニークな発想がすばらしいなと思いました。ここの描写はわが家の子供達のお気に入りで、くり返し何度も読まされたものです。さて、翌日は夜明け前から、からすの子供たちがパンやさんめがけて飛んでいきます。それを見たあわてんぼうのからすが火事がおこったと勘違い。消防署に電話をしたので、さあ大変です。消防車に救急車、警察官、新聞社やテレビ局までやってきて、パンやさんのお店は大変な騒ぎになりました。ですが、お父さんのとても上手な誘導で、みんなきちんと並んで次々とパンを買って、にこにこ帰っていきました。こうして、からすのパンやさんは、みんなでせっせと働いて、からすの町で評判の立派なお店になりました。
このお話の素敵なところは、家族のきずなやからすたちの人間模様(からす模様?)がさりげなく描かれているところです。チョコちゃんたちがお友達に「いつも変わったパンがおやつだね。」と言われた時、堂々と「これは世界中でお父さんしか焼けないめずらしいおやつパンなんだぞ。」と自慢します。きっと、毎日一生懸命パンを焼くお父さんを誇りに思っていたのでしょう。お友達のからすも素直に「おいしいね。」と言うところに、加古さんのやさしさがよく表れているなと思いました。リズミカルで、どこかユーモラスな響きの文章は読んでいる私も楽しくて、読後はあたたかい気持ちになれる絵本でした。
次に私達親子が大好きだった絵本は、この「おひさまパン」です。先にあげた「からすのパンやさん」と偶然にも同じ、パン屋さんが主人公のお話です。
まず、本屋さんで表紙の絵にひかれてこの本を手に取りました。真ん中に丸くて黄色い、やさしい表情の大きな「おひさまパン」。その周りを囲む動物たちもやさしくて楽しそうな顔をしています。「どんなお話なんだろう?」と本を開いてみたくなりました。しかし、表紙を開くと一転、寒い冬の街が描かれています。「ゆきまじりのかぜがびゅうびゅうふいて」いる光景は本当に寒そうで、どうやらおひさまは隠れてしまっているようです。そんな中、おひさまが恋しくなったパンやさんが「おひさまあじのとくべつパンをやきましょう」とはりきりだしました。そして「たっぷりした金色の」「つやつやでだんりょくがあり」「さわるとすべすべしている」生地をこねて、かまどに入れます。パンはたいへん大きくふくらんで、ふくらんで…まるで楽園から漂ってくるみたいないいにおいをさせて焼きあがりました。においにつられて、動物たちがパンやさんの周りに集まってきました。パンやさんはみんなをお店の中に招き入れ「ふわふわの、あたたかな、おいしいパンでたっぷりみたしてやりました。」そうして満たされたみんなは、空に上り始めます。たこのように軽やかに。やがて、ゆっくり降りてくると、歌ったり踊ったりして、素敵なパンのもたらした喜びを讃え合います。すると、ついに本物のおひさまも目を覚ましました。「おひさまがでたぞ!」みんなは大喜びします。「パンをすこしいかが?」パンやさんが、おひさまに向かって言いました。みんなで、おひさまに向かってパンを投げ上げると、おひさまはそれらをすっかりたいらげて、光を返します。街中のすみずみまで。このおひさまの光が行き渡ってゆく様子を描いたページはあたたかい色彩にあふれて、動物たちの表情もやわらかで、こちらまで幸福感で満たされました。やがておひさまも眠りにつこうと沈んでゆきます。パンやさんは大きな声で「ちょうしょくにはもどってきてくださいね、おひさま。やきたてのおひさまパンをよういしておきますからね。」とお願いします。そして一晩中パンを焼き続けます。さあ、夜が明けると、おひさまは光とともに上ってきました。「ひとくちごとにあまいはちみつにもにた、ひかり」と表現されていますが、なんて素敵な表現なんでしょう。あたたかできらきらした太陽の光と陽だまりの良いにおいを思い出して、しあわせな気持ちになりました。英語の原文は読んでいませんが、この絵本は江國香織さんの訳が素晴らしいと思います。同じ英語の表現でも訳し方によって印象は変わります。江國さんの訳は、日本語の美しさややわらかさが生きていて、それがこの絵本の登場人物のやさしさを表現するのにぴったりです。きっと、わが家の子供達にも、そのやさしさは伝わっていたことでしょう。「おひさまパン読んで。」と本を持って来るその表情を思い出すたびに確信します。
わが家の子供たちの5~6歳頃を振り返ると、息子は絵本よりもう少し長いお話に興味が出てきた頃でした。娘は女の子が主人公のお話により興味が出てきた頃のように思います。主人公の女の子に共感する…そんな心の動きが芽生えたのかもしれません。
5~6歳の男の子に読ませたい本で真っ先に思い浮かんだのが、この「いやいやえん」です。私が小学1年生の頃、クラスの男の子の間で「おもしろい本」と話題になっていたことを覚えていたからです。主人公はしげるという4歳の男の子で、ちゅーりっぷ保育園に通っています。このちゅーりっぷ保育園での生活を中心に7つの童話が描かれています。積み木で作った船で本物の海へクジラ釣りに出たり、山に住むこぐまが保育園に一日入園に来たり、原っぱでおおかみに食べられそうになったけど、みんなで力を合わせてやっつけたり、暗い山で子供の鬼に出会ったり。ある日、しげるは保育園でちこちゃんという女の子の真似をしていたずらしているところを先生に見つかって叱られました。「ちこちゃんがやったから」と言い訳ばかりしているしげるに、先生がちこちゃんの洋服を着せると、不思議なことに体がちこちゃんと同じ動きをしてしまいます。自分の家に帰ろうとしても、ちこちゃんと同じ方向に進んでしまうのです。「ぼく、うちへかえれなくなっちゃった。」と言って泣くしげるをちこちゃんは先生のところへ連れていきます。「もう、つくえにのりません。」としげるは言いました。先生がしげるが着ていたちこちゃんの洋服を脱がせると、ようやく自分のうちへ帰ることができました。最後の章「いやいやえん」では、しげるはお父さんのおみやげの赤い車が気に入らないと言って、朝からだだをこねています。お母さんはしげるを保育園まで引っ張っていきますが、保育園についてもだだをこね続けています。先生は「いやいやえんにいらっしゃい。いやいやえんなら、しげるちゃんもすきになりますよ。」と言いました。お母さんは早速しげるをいやいやえんに連れていきます。少し太ったおばあさんと大勢の子供達が出迎えてくれました。玄関でしげるはおばあさんにこう聞かれます。「ぼうやはなにがきらいかね?」お母さんがしげるの代わりに答えます。「はい、赤いものがきらいなのです。けさは、おみやげの赤いじどうしゃがきにいらなくて、ごはんもたべません。おべんとうもいやだといいます。それに、おねえさんのおさがりもいやだといって、ようふくもきません。」「じゃあ、おはいり、おかあさんは一じにむかえにきてください。」「はい。おべんとうはどうしましょう。」「いりません。きらいなんだから。」「このようふくは?」「いりません。きらいなんだから。」おばあさんはしげるを中に入れて、ドアを閉めました。それからすぐに、しげるはえむちゃんという男の子と積み木を取り合ってけんかを始めます。お片付けの時間になっても誰もおもちゃを片付けようとしません。それどころか、つみきの家を倒したり、ままごとのおぼんをひっくり返したり、お人形を投げとばしたり。挙句の果てに、ちらばったおもちゃはそのままでおにごっこを始めようとします。ついにおもちゃたちは怒りだし、外に出て行ってしまいました。その後の「お十じ」にみんなは赤いりんごをもらいましたが、しげるだけビスケットです。しげるはりんごが大好きなのに、なぜ自分だけビスケットなのか、おばあさんにたずねます。「ああ、それでいいんだよ。赤いものがきらいな人は。」その後、絵をかく時間になり、消防車をかこうと思ったしげるは、クレヨンの箱を開けて驚きます。「おばあさん、しょうぼうのいろがない。」すると、おばあさんは「ああ、赤はきらいなんだろう?だから、すてちゃったよ。」おべんとうの時間になりました。しげるは、おべんとうがありません。おべんとうはいやだと言ったので、お母さんが持って帰ったからです。えむちゃんはサンドイッチを食べていますが、嫌いなほうれん草が入っていたのでパンの間から抜き出しました。卵焼きばかり食べている女の子やいなりずしばかり食べている女の子もいます。好き嫌いを言っても、いやいやえんでは注意されないようです。しげるは何も食べないままおべんとうの時間が終わりました。「ぼくのおべんとう、どうしたかなあ。」さすがにおべんとうのことが気になるようです。やっと一時になり、お母さんが迎えにきました。「また、あしたもおいで。」と、おばあさん。「いや、もうこない。」「ちゅーりっぷほいくえんのほうが、ずっとおもしろいよ。」帰り道、しげるはおかあさんにおんぶしてもらいました。そして、こう言います。「あしたになったら、ちゅーりっぷほいくえんにいくんだ。(中略)やっぱりおもしろいよ。」
現実の生活とファンタジーの世界を行き来する不思議なお話。厳しくてやさしい先生とお母さん。ドキドキするけど最後はホッとできるお話が子供の心に響くのだろうなと思いました。
これは娘がお気に入りだった絵本です。まず、ラフなタッチの、しかも限られた色使いで洗練されたイラストが目を引きます。パリの名所がさりげなく描かれているのも魅力的です。舞台はパリの古いおやしき。そこに12人の女の子が先生のミス・クラベルと暮らしていました。その中で「いちばんおちびさん」なのがマドレーヌです。おちびさんだけど、ずいぶん勇敢な女の子のようです。ねずみなんかこわくないし、動物園のトラにもへいっちゃら。冬が好きで、スキーやスケートも得意です。ある真夜中、ミス・クラベルが何か異変を感じます。女の子達の寝室に行くと、マドレーヌが起き上がって、わーわー泣いています。お医者様が駆けつけると、看護師さんに電話をかけます。「もうちょうえんだ。しゅじゅつのようい!」マドレーヌはお医者様に運ばれていきました。そして2時間後、花を飾った病室で目を覚まします。術後の経過は良好なよう。ある日、ミス・クラベルと子供達はマドレーヌをお見舞いに出掛けます。病室に入ると、おもちゃにキャンディがたくさん。人形の家もあります。でも、みんなが一番驚いたのは「マドレーヌのおなかのしゅじゅつのきず」です。マドレーヌがベッドの上に立ち、パジャマをめくって得意そうにおなかを見せ、それをみんながじっと見ているシーンは娘のお気に入りでした。「自慢できていいな」と思ったそうです。おやしきに帰った子供達はパンを食べて、歯を磨き、ベッドに入ります。みんな、なぜか微妙な表情で。そしてその夜、またしてもミス・クラベルは異変を感じて寝室に駆けつけます。「みなさん、いったい、なにごとですか?」すると、みんなは「わーわー、もうちょうをきって、ちょうだいよー」ミス・クラベルは「おやすみ、みなさん、げんきでなにより」と電気を消して行ってしまいます。おだやかにほほ笑んで。このラストは母親目線ではクスッと笑えるのですが、当時の娘には意味が分からなかったようで、少々説明が必要でした。おだやかな日常と少しのハプニングを描き、そしてまたおだやかな日常が戻ってくることが予想できる安心感。この安心感が子供の情緒を安定させるのかなと思いました。