2022年4月5日
子育て
2022年2月。1歳と3歳、2人の子育て中の私は、新型コロナウイルスに感染しました。
これはその時のお話しです。
その日は休日でした。
家族で1日楽しく過ごし、「また明日から頑張ろう」と、お風呂に入ろうとしたその時です。
身体が寒くて仕方がありませんでした。
念の為、熱を測ると36.8℃。いつもより少し高い程度の体温。
「寒がりの私にしては、薄着で過ごしてしまったからかな。」
風邪の引き始めだと思い、念の為、風邪薬を飲み、いつもより早めに就寝しました。
翌日、身体の怠さも随分和らぎ、熱も平熱まで落ち着きました。
「早めに風邪薬を飲んでおいて良かった。」
その日は平日の為、3歳の息子を幼稚園へ送り、帰宅後は掃除洗濯。1歳の娘の面倒を見つつ、夕食の支度と、いつも通り、慌ただしく過ごしました。
14時に息子を幼稚園まで迎えに行き、帰宅。
すると、午前中一気に動いた為か、身体が怠く、そして眠くて仕方がありませんでした。
念の為、熱を測ると36.5℃と平熱。
「おかしいな…生理前なのかな…」
生理前は眠気と共に、夜に体温が高くなる傾向にあり、且つ、生理不順の私は、また生理が来てしまったのだと思い、仕方なく身体を休める事にしました。
兄妹にテレビを見せつつ、床に寝ころび体を休ませる。いつの間にかウトウトしてしまい、気付くと15分程経過していました。
普段、このような事が滅多にない私は、自分の身体が予想以上に疲れている事に驚きました。
「コロナも流行っているし、もし生理や、ただの風邪だったとしても、熱が出たら面倒だな…」
その後、怠い体に喝を入れ、兄妹をお風呂に入れ、夕食を済ませ、何とか就寝するところまで辿り着きました。
「念の為」と思い、兄妹の寝かしつけの前に、再度熱を測ると…。
何と体温は37.6℃まで上昇していたのです。
この結果に私は焦りました。
まだ会社で残業中の主人に急いで連絡を入れ、念の為、マスクをして、子供達を寝かしつける事に。ただの風邪だったとしても、発熱は、このご時世一大事。
またこの時、喉にも違和感がありました。
風邪の引き始めの時の様に、少し痛い…
元々、喉が弱く、事あるごとに喉の痛みを感じていた私は、「いつもの事」と捉え、あまり気にはしていませんでした。ですが、自分の発熱を期に、一気に不安が押し寄せました。
「どうしよう…」
なんとか兄妹を寝かしつけ、そのまま一緒に休みたい気持ちを奮い立たせ、再度起床。
居てもたってもいられず、近くに住む妹に、連絡を入れました。
妹は隣の市で看護師をしています。
比較的大きな病院の為、毎日コロナ患者が搬送されており、日々忙しくしていました。
また彼女自身も、ちょうど1月程前、コロナに感染していました。
おそらく、甥の小学校で流行っていた為で、2歳の姪も含め、家族全員罹患していたのです。
現在の症状を相談すべくLINEをすると、すぐに電話がかかってきました。
「今のコロナ患者さん、軽い熱と喉の痛みだけの症状の人が増えているよ。念の為、PCR検査を受けてみたら?」
その返答に私は少し驚きました。
心配症で有名な私。いつも通り「心配し過ぎだよ~」で終わると思っていたからです。
妹の助言もあり、すぐにPCR検査を受けられる、近くの病院を探しましたが、1日に検査出来る人数が限られていました。また、遅いところだと検査の結果が出るまで1週間ほどかかるとも記載されています。
息子は幼稚園、主人は都内まで勤務しています。周りへの影響を考えると、検査結果を1週間も待つことなど出来ません。
迷った挙句、隣の市でしたが、妹の勤務する病院を受診する事に決めました。
決め手は、①コロナ患者の対応に慣れている事、また②PCR検査の結果が比較的早く出る事。
「翌日の朝一で電話をしよう」そう誓い、主人に翌日病院を受診する旨を伝え、就寝しました。
翌日主人は在宅勤務の予定。息子は念の為幼稚園を休ませ、主人には2.3時間子供達を見ていて貰うつもりでした。
私はこの時主人に、「念の為、半休でも良いから取れる様調整してくれない?」と言わなかった事を、後々後悔します。
翌日、病院の窓口が開いた瞬間に電話をかけました。
幸い、1回で電話は繋がり、受診しPCR検査を受ける事になりました。
やはり慣れているだけあり、受付完了までとてもスムーズでした。
子供達と主人に朝ごはんを食べさせ、最低限の家事をこなし、病院に向かいました。
在宅勤務とは言え、1歳3歳の子を見ながら、満足に仕事など出来るわけがありません。
「なるべく早く帰宅したい」「けれどもし陽性だった事を考えると、家族と離れて過ごしたい」相反する2つの気持ちを抱えながら、病院への道を急ぎました。
病院に着くと、受付の後、車で待機を命じられました。
今回私が受けるPCR検査は、唾液での検査だった為、待ち時間の間、車内で唾液を採取し、その後、医師の診察を受けました。
「発熱と喉の痛みがある」その事を伝えると医師は、
「うーん、コロナかもしれませんね。念の為お薬を出しておきます」と。
その言葉に、一気に不安が押し寄せました。
自分の体感的にはただの風邪。今回の検査も念の為。その認識で家族とも今朝まで過ごしていました。
PCR検査の結果は、早くても出るのが本日の夜との事。
「それまでどうやって過ごそう…」
本調子でない自分の身体を車内で休ませつつ、会計の順番を待ちました。
コロナ患者の対応に慣れている病院だけあって、病院の会計から薬の受け取り、会計まで、全て車内で行ってくれました。お釣りの金額も事前に電話で聞き、用意してくれ、人との接触も最低限で済むよう配慮されていました。
受付から会計終了まで2時間弱。
病院のスムーズな対応に感動しつつ、熱で身体も弱っていた為、「慣れている病院で良かった」と心の底から思いました。
会計が終わり、これから帰るというタイミングで、主人に電話をかけました。
すると、大騒ぎの子供達がいる中で、仕事をする主人。私との電話もロクに出来ないような状況で、正直イライラしている様子でした。
医師の診察結果を伝えたものの、この時の主人には余裕が無く、「正直隔離はもう難しいから、出来る事なら、普通に子供達を見ていて欲しい」との返答。
仕事が忙しく、無理だったとは思いますが、せめて半休を取ってくれていれば、取れなくても今日はそんな対応が必要な位、緊急事態なのだという事を共有出来て居れば…
この日の過ごし方は少し違っていたのかもしれません。
帰宅後、マスクをし、なるべく子供達から離れ過ごしました。
我が家は2LDKの賃貸住まい。
リビングと一続きの別部屋で過ごしつつ、子供達の様子を見る事に。
3歳の長男には、「このお部屋には入らないでね」と伝え、室内でもマスクの着用をお願い。1歳の長女はマスクの着用など不可。なるべく触れない距離を保ち、過ごしました。
キッチンに入る際は、ゴム手袋を着用。洗面所のタオルも分けました。
そうこうしているうちに、熱と午前中動いた疲れもあり、昼過ぎから体調が悪化しました。
主人に子供をお願いし、少し寝室で仮眠を取らせて貰う事に。
この時の私は、主人にとてもイライラしていました。
熱で身体が弱り、判断力も低下している中、子供の事、主人の事、自身の過ごし方、全て私が提案し、指示を出していました。
「どうして家族全体の事を考えてくれないのか?」
仕事を頑張ってくれている中でのこの事態。どうしようもない事なのは重々承知です。
けれどもっと、家族全体の事に目を向けて欲しい。この時の私はそう思っていました。
そうこうしているうちに夕方になり、自身の携帯が鳴りました。
見ると病院からの着信。
PCR検査の結果を告げられ、頭が真っ白になりました。
「陽性です。」
家族の事、幼稚園の事、主人の仕事の事、全てにおいて、何から解決すれば良いのか分かりませんでした。
そんな中、1歳の長女が3回連続下痢をしました。
「きっとこの子も罹患している。」そう悟りました。
主人に結果を告げ、主人の仕事が終わるのを待ち、食事、お風呂、寝る前の準備…いつもより2時間程遅いタイムスケジュールでした。
私はゴム手袋をし、手伝える範囲で、子供達の補助をしました。
その夜は、まだ症状の出ていない長男、そして主人は別部屋で寝る事に。
症状の出ている娘は、明日の朝一で、病院を受診する事に決めました。
保健所も忙しく、この日は連絡がありませんでした。
これから先の10日間の過ごし方を、誰にも相談出来ず、私は途方に暮れて居ました。
翌朝、病院の窓口が開いた瞬間に、また電話をかけました。
この日は土曜日、やはり混みあっているようで、電話が繋がるまで昨日よりも時間がかかりました。
私の受診した病院は市外という事で、子供達の“子育て支援医療費受給資格証”は使えません。
その為、我が子が受診した場合、大人と同様、一旦、費用負担が発生します。
ですが、昨日の経験から、“慣れている病院の方が、色々と安心だ”と考え、自分と同じ病院を受診させる事に決めました。
娘の予約の電話を済ませ、次に、息子の幼稚園に報告の電話を入れました。
私が陽性と診断された前日、息子は登園し、私自身も幼稚園にお迎えに行っています。
コロナ対策という事で、お迎えの引き渡しは“外で短時間”と徹底されてはいたものの、園にかける迷惑を考えると、やはり不安で仕方がありませんでした。
園に電話をかけると、土曜日という事で、留守電に繋がりました。
「どうか、誰か気付いて。」と願いながら、家族で陽性者が出た旨を、留守電に残しました。
電話が終わり、リビングに戻ると、息子がぐったりしているのに気が付きました。
朝ごはんもしっかりと食べ、自分の好きなテレビ番組を上機嫌で観ながら、踊っていた息子。
短時間でのこの変化に、私は驚いてしまいました。
熱を測るとなんと37.8℃。
主人も息子の発熱に、とても驚いていました。
昨晩息子と一緒に寝た主人は36.5℃と平熱。ただ少しだけ、喉に違和感を覚え始めている様子でした。
こうして、娘の受診予約を取った直後に、また病院に電話をかけ、私以外の3人の受診が決定しました。
この時の私は、熱は平熱近くまで下がりかけていたものの、体中が怠くて仕方がありませんでした。「出来る事なら、寝て居たい…」
ですが、体調不良の小さな子供2人を連れ、主人1人で病院に行くには無理があります。
ずっと車内からは出られませんが、付き添う事に決めました。
「土曜日は待ち時間が長い」
そう事前に、看護師の妹に聞いていた為、覚悟して臨みました。
車内での待ち時間が長時間に及ぶことを想定し、飲み物やおやつ、軽食、子供達が飽きないよう大量のDVDを持参。
クレジットカートが使えない場合も想定し、まとまった額の現金も持参しました。
病院に着くと、受付が終わり、10分程で受診の時間になりました。
小児科へは主人が、子供達を連れて行ってくれました。
まだ唾液検査の出来ない子供は、鼻の粘膜の検査。娘は泣き叫んでいたとの事ですが、息子は泣かずに頑張ってくれたようです。
同時に主人の唾液検査の提出も終わり、病院の会計まではとてもスムーズでした。
ここまでの所要時間は1時間30分程。休日の割に順調かと思われましたが、大変だったのはここからでした。
なんと、薬の受け取りまで、更に1時間程かかってしまったのです。
その間、子供達にDVDを見せ、お昼時だったので、持参したパンを食べさせました。
そうこうしているうちに息子の体調が悪化。一旦は寝るものの、車の座席上では寝にくいらしく、何度も起きてしまいます。娘はDVDにも飽き、外に出たがる始末。
狭い車の中で、家族4人、統制が取れずにとても大変でした。
やっと帰路につけたのはお昼過ぎ。病院から自宅までは30分弱。その間、息子は熱のせいか、ずっと「寒い寒い」と言っていました。
使い捨てカイロを渡し、タオルケットと私の巻いていた大判のマフラーで、身体を温めるも効果は無。自宅まであと10分の所で、今度は「お腹が痛い」と言い出しました。
そしてその5分後、なんと嘔吐してしまったのです。
帰宅後すぐに、子供達を寝室に連れて行き、寝かせました。
私と主人は手分けして、吐しゃ物の処理を行いました。
不幸にも、車内で過ごす時間が長い事を考え、持参した荷物は大量。
その殆どが、取りやすいように、息子の座先付近に置いてありました。
「これを全て処理するのか…」と、ため息が漏れました。
車内の清掃を主人が、主人が運んでくれた荷物の処理を、私が引き受けました。
吐しゃ物を取り除き、風呂に湯を張り、汚れた衣類やタオル、カバン等を殺菌…
全て落ち着いたのは15時頃。
昼ご飯を摂らずに作業していた為、主人と私は、クタクタになっていました。
その日、PCR検査の結果は来ませんでした。
土曜日という事もあり、覚悟はしていましたが、落ち着かない気持ちのまま、その日は就寝。
息子の幼稚園からも折り返しの連絡はありませんでした。
翌日曜日、午後になってやっと病院から、検査結果の連絡が来ました。
「PCR検査を受けた3人共、陽性です。」
この結果を聞き、やっと霧が晴れたような気分でした。
家族全員の感染はとてもショックな出来事に変わりはありません。
ですが、全員の感染が判明し、この先具体的にすべき事が明確になったからです。
結果を聞き、主人は職場への報告を進め、私は再度幼稚園へ連絡。
日曜日の為、やはり連絡は繋がらず、翌朝1番に電話をする事にしました。
私の頭の中は、息子の幼稚園の事でいっぱいでした。
「濃厚接触者を出してしまったはず」「クラスターを起こしてしまったらどうしよう」「周りにどんな目で見られるのだろう…」次から次へと湧き上がる、負の思考に押しつぶされそうでした。
また同時に、これから約10日間の過ごし方について、不安が押し寄せました。
まずは買い物。「ネットスーパーを利用すれば良い。」ただ漠然とそう考えていましたが、今回は事情が違います。
「ちょっと足りなくなったから買いに行く」という事が出来ないのです。
我が家は普段、週に1回、ネットスーパーでまとめ買いをしています。
その為、まとめ買いには慣れていたものの、今回は、週の途中で足りなくなる、パンや納豆などの買い足しが出来ません。
またいつも足りなくなる、トイレットペーパー等の衛生備品も、ストックが必要です。
「何がどれだけ必要か、事前に考えておけば良かった」と心の底から思いました。
「万が一、コロナに罹った時の事を考えておかなきゃね。」
主人とこれまで何回か、話をした事はありました。
ですが、“ちゃんと決め切る”事をしていなかった私達。
具体的にどう行動するのか、手元に残していませんでした。
私が発熱した日の過ごし方も、万が一の行動を決め、紙に記しておけば、きっと違ったでしょう。買い物に関しても、事前にリストを作成しておけば迷う事も無かったかと思います。
対策の甘さを痛感しました。
「同じ轍を踏まない」
そう思い、私はこの夜、主人と明日からの過ごし方について、話合いをしました。
主人はほぼ無症状。またコロナ禍で元々在宅ワークが中心となっていたので、正直普通の平日と過ごし方は、ほぼ変わりません。
一方こちらは、体調が万全ではなく、同じく体調に不安の残る子供達2人と、朝から晩まで一緒に居なければなりません。
“我が家は緊急事態”その事を踏まえ、「1人だけいつものペースで過ごされると困る」事を伝えておきました。
主人はいつも、朝から晩までPCと向き合い、残業続きでしたが、なるべく減らす事、そして傷病休暇を1日取って貰う事で合意しました。
翌月曜日から、家族4人での療養生活が始まりました。
私は朝一番に息子の幼稚園に電話。
担任の先生にやっと報告する事が出来、少し肩の荷が下りました。
幸い、子供達はほぼ完全に回復していました。その為、元気が有り余っている状態。
我が家は賃貸住まいの為、部屋の中で思いっきり遊ばせる事も出来ません。
悩んだ挙句、いつもは視聴時間をなるべく決めているテレビやDVDも、この時ばかりは解禁。
自分のメンタルを保つためにも、思いっきり頼る事にしました。
また、家にある、ありったけのお絵かき道具や粘土を引っ張り出し、遊ばせました。
机の上にビニールシートを敷き、いくら汚しても怒らないようにしました。
そうこうしているうちに、お昼の時間に。
全くお腹の空かない状態で、家族全員分の食事を用意しました。
初日はレトルトカレーに頼り、同時に夜ご飯の献立に悩みました。
これから10日間、家族に何を食べさせるか、ネタが尽きる事が容易に想像出来ます。
昼過ぎ、初日から飛ばしすぎたせいか、私の体調が悪化しました。
主人にリビングに来てもらい、子供達を見ながら仕事をして貰う事に。
私は寝室で仮眠を取らせて貰いました。
「とにかく自分も病人。無理はしない。」
そう誓いましたが、家族の生活を回す為に、ずっと寝ては居られません。
心の中は不安と憂鬱でいっぱいでした。
その日の夕方、見知らぬ番号から着信がありました。
出てみると、市の保健所の方からの連絡でした。
電話の内容は主に、現在の体調や、PCR検査を受けるまでの経緯の確認等。また、保健所の方は忙しいにも関わらず、こちらの質問にも丁寧に対応してくれました。保健所の方と話す事が出来、少し不安が和らぎました。
自宅療養が解除される日に関しては、別の機関が対応しているとの事で、この日は分からず。
後日の連絡を待つ事となりました。
また息子の幼稚園からも連絡がありました。
今回、幼稚園に関しては、迷惑をかけてしまった事、周りの保護者の目等、とても不安な事が山積みでした。そして再三こちらが連絡したにも関わらず、連絡が繋がらなかった事が、自分の中で、どこか“しこり”として残っていました。
なので、正直電話を取るのが怖く感じました。
電話に出ると、担任の先生は、私達の体調を1番に気遣って下さいました。
そして今回、濃厚接触者が2名出てしまった事を告げられました。
(プライバシー保護の為、その方の情報は一切教えて貰えません。)
これまで園では、何人か陽性者が出ています。
その度に、休園となり、イベントの予定が変更になり、きっと保護者の対応も大変だった事でしょう。陽性者となった園児の保護者とも、きっとこれまで何度も対峙してきた事と思います。先生は、「何か不安な事があれば、何でも言ってください」と、こちらの不安を感じ取り、言って下さいました。
私にとって、とにかく不安だったのは周りの目。
「噂されているのではないか?濃厚接触者となってしまった保護者へは何か対応すべきか?近々にクラスの役員に提出する書類は?」
等、一見くだらないと思えるこちらの疑問にも、真摯に向き合い、回答を考えて下さいました。
また、土日に留守電が繋がらなかった件についても、こちらの“しこり”を打ち明けると、今後の対応策を考えて下さるとの事でした。
陽性となってしまい、正直「迷惑がれられるだけ」と思っていた私。
これまでの不安を、先生に打ち明けた事で、気持ちが緩み、不覚にも泣きそうになってしまいました。
この後、先生には、登園復帰の前日にも連絡を頂き、その温かい対応に心が救われました。
家族4人での療養生活2日目。この日は主人が休暇を取ってくれ、何とか過ごしました。
療養生活3日目。この日の午前中、ホットプレートが家に届きました。
購入した理由は2つ。1つは、子供達の時間潰しになる為。2つ目は昼ごはんのマンネリ解消の為。
早速その日のお昼から使う事にしました。メニューは焼うどん。
これまで昼ごはんの準備をしていると、必ず娘の邪魔が入りました。
そして、ごはんを待ちきれない息子の文句攻撃も加わり、ほとほと参っていた私。
ただの焼きうどんも、ホットプレートで作れば、子供達の“遊び”になりました。
油を敷き、カット野菜をプレートに放り込み、小さく切ったウインナーを兄妹に入れて貰う。あとは解凍したうどんを入れ、ソースで味付けすれば完成!
食事の準備の時間がいつも憂鬱でしたが、これなら子供の遊びも兼ねられるし一石二鳥!
1歳の娘にとって、調理を手伝わせるのは危険が伴う為、鉄板の淵に直接手が触れないよう、本体ガードが付いているものを選び、結果大正解。本当に良い買い物をしたと思いました。
そしてこの日、県の“自宅療養者支援センター”から、メールが届き、療養解除の日が判明しました。療養期間は症状の出た日を0日とし、10日間。
先は長いと感じましたが、具体的な日にちが分かり、少し希望が見えた気がしました。
午前中はお絵かきや粘土、そしてテレビ。少し早めにお昼ごはんの準備に取り掛かり、ホットプレートの調理タイム。午後は娘にお昼寝をさせ、その間息子は工作タイム…
と、こんな風に何となく、タイムテーブルが出来上がってきていました。
療養生活6日目。この日は息子の4歳の誕生日でした。
2歳の誕生日は、コロナによる外出自粛要請により、どこも行けず。3歳の誕生日も同様。今年こそはと思っていた4歳の誕生日。まさかコロナに罹患した状態で迎える事になるなんて、誰が予想出来た事でしょう。息子に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
ですが、そんな私の気持ちを覆す、嬉しい出来事が起こりました。
なんと義理の両親が、息子の為にバースデーケーキを買い、届けてくれたのです。
他にも、療養中に必要な衛生備品や、子供達のおやつ、大好きな果物など…私達家族の事を一生懸命考え、用意してくれた沢山の品々が。
1時間もかけて、家の前に荷物を届けてくれた義理の両親。その心遣いに感謝してもしきれない程でした。
この日の夕飯のメニューは餃子。「誕生日は一緒に餃子を作ろう!」少し前から、息子と約束をしていました。
娘がお昼寝した隙に、息子と作った餃子はなんと60個。
ホットプレートで焼いた、あつあつの餃子をお腹いっぱい食べ、デザートには両親が用意してくれた大きなケーキ。
コロナ療養中の誕生日でしたが、ある意味思い出に残る、楽しい誕生日となりました。
療養生活7日目。この日が私の自宅療養の最終日でした。
他の家族より、一足先に症状の出た私。私以外の家族はあと3日間の自宅待機でしたが、私にとっては、この日が最終日に当たる10日目。我慢の生活も、あと僅かとなりました。
この日の夜、幼稚園のママ友達から、グループLINEが入りました。
内容は、息子の誕生日をお祝いしてくれるもの。
昨日の息子の誕生日を覚えてくれていた事を、とても嬉しく思いましたが、反面、コロナの事を打ち明けられずにいたので、返信に困ってしまいました。
「人数の少ない園だし、バレているんだろうな…」
散々悩んだ挙句。この人達なら…と、今回コロナに罹患してしまった事を打ち明けました。
中には、息子と同じクラスの子の保護者も含まれています。
このご時世、誰が罹ってもおかしくない状況で、「謝るのは違うかな…」とも思いましたが、やはりみんな人間。我が子に感染のリスクが迫っていた状況を考えると、誰もが複雑な心境になるはずです。同じクラスの子の保護者には、今回心配をかけてしまい申し訳なかった旨も、同時に伝えました。
ドキドキしながら、皆の返信を待っていた私。
その内容に、私は涙腺が崩壊しそうになりました。
感染してしまった事を責める内容はもちろん無く、今回の療養生活の労う言葉。
そして1番嬉しかったのは、「クラスのみんなは○○君(息子の名前)の事が大好きだよ。だから、休み明け、安心して登園してね」の一言でした。
また、中には気付いていない人も居て、「この状況なら、誰が感染してもおかしくないし、誰が罹ったなんて気にしてないよ」の言葉も。
みんな気を使ってくれたのかもしれませんが、「自分は心配し過ぎていたのかもしれない。」と、心がとても軽くなりました。
療養生活8日目。解除となった私のみ、久しぶりに外出をしました。
その日は晴天で、ずっと室内に居た自分にとって、外の日差しは眩し過ぎる位でした。
早速100円均一へ行き、子供達に、大きな画用紙、シール、粘土、お絵かきボードを購入。
残りの自粛期間を、少しでも楽しんで過ごせる様、購入しました。
そしてついに、療養生活最終日の10日目を迎えました。
息子は明日から幼稚園。朝から、明日の社会復帰を楽しみに、過ごしていました。
ですがこの日、ちょっとした事件が起こりました。
なんと、娘がお昼寝をしてくれなかったのです。
いつも通り、昼食後、寝室に連れて行き、寝かしつけようとすると…動き回ってしまい、寝る気配がありません。30分粘った所で事態は変わらず、ついに私の我慢の限界…情けない話ですが、1歳相手に思いっきり怒鳴ってしまいました。
10日間も外に出られず、2歳前の子供が体力を消耗出来るわけがありません。
この日私は、娘が眠くなかった事を素直に認める事が出来ませんでした。
娘の寝ている間にこなしていた家事、そして僅かな自分の休憩時間。
最終日とはいえ、それが失われるのがこの日、どうしても我慢出来なかったのです。
10日間の療養生活で、自分のメンタルが、想像以上に消耗していた事を実感した出来事でした。
自分のコロナ陽性が発覚し、家族全員の療養が解除されるまでの12日間、とても不安な日々でした。家族も自分もストレスが溜まり、いつも通りの生活が恋しくてたまりませんでした。
ですが、そんな中、学んだ事も沢山ありました。
有事の時の具体的な備えの大切さ、そして周りの人の優しさ。
今回自分が経験した事が、今後の自分の武器になるように、そして、同じ子育て中の方々の参考に少しでもなれば幸いです。そして現在、自分と同じように、お子さんと療養中の方がいらっしゃったなら、どうか無理をせず、自分の事も沢山労ってあげて欲しいと願います。