2021年11月17日
発達障害
娘を出産して1年と半年が過ぎたとき、年子で息子を出産しました。
娘の育児が多動気味で大変な最中、常に息子には抱っこ紐の中で大人しくしてもらう日々でした。
ですが目が合うとよく笑いとても愛想がいいので、育児で大変な中でも癒されていました。
生後6ケ月が過ぎ離乳食を始めた矢先、違和感に気づきました。
初めはご飯をすりつぶしてあげるのですが
「おぇっ!」という顔、口で全然呑み込めません。
ご飯が美味しくなかったのだろうかと思い、お豆腐、ほうれん草、人参、じゃがいも等ありとあらゆるもので試しました。
すべて同じ状態で、一口も口にしてくれません。
娘の時はお豆腐半丁食べてしまうくらい食欲旺盛だったのに・・・と、こんなにも赤ちゃん一人一人個性が出るんだなと驚きましたが、その内食べるようになるのかなとあまり深く考えないようにしていました。
その時の違和感は後に当たるのですが・・・。
その時は娘の心臓の手術後のケアや、娘の多動の心配の方が強く、娘の2歳時検診・3歳児検診等娘の療育や相談に追われていました。
息子は離乳食のこと以外で特に気になることもなく、身体的発達も良好、目も合う、ニコニコ笑う、会話も通じているようだし心配点は全くありませんでした。
1歳検診も順調に過ぎましたが、食の問題だけは取れませんでした。
2歳近くなると今度も新たな問題が産まれました。
(言葉を発しない・・・)
上の娘が2歳半まで言葉を話さず、一気にあふれ出るようにしゃべりだしていたので、同じかなと思っていましたが、娘の時のような曖昧な喃語も少なかったのです。
離乳食の件もあり、あわせて小児科で問診もしてもらい聞いたところ
「指もさす、目も合う、ニコニコしている、言っていることも理解している。
食べ物もから揚げ、納豆ご飯、チョコパン以外は食べれないけど今はそれだけでも十分栄養がとれているから大丈夫!」
との言葉をいただいたので、私はまたその言葉を信じようと思い気持ちを前向きにしました。
信じたかったのもあるのかもしれません。
その時の私は娘の多動で療育教室に行っていた為、息子だけはどうか通常発達でお願いします、という願いもありました。
その時の私は自閉スペクトラム症の言葉を検索しては、
息子は項目に当てはまっていないから大丈夫と言い聞かせる日々でした。
遊び方も娘のごっこ遊びに付き合ったり、
くるくる回るタイヤ等に興味をしめすことはありませんでしたが、
気になった点としては、(数字が好きなこと)でした。
やたら数字がついているおもちゃを引っ張り出しては並べたり、
お出かけするのも数字の形のおもちゃやオブジェを必ず手にして出かけました。
女の子でいう、大好きなぬいぐるみを抱っこして出かけるのと同じ感覚だったのだと思います。
あとはトミカが大好きでトミカを並べてニコニコしていました。
やたら並べたがるところは自閉スペクトラム症の症状にあてはまっていたのかもしれません。
その後も市の検診の度に相談しても息子の様子を見ては
「大丈夫だと思いますよ、今だけだと思いますよ。」
との返事ばかりでした。
というのも本当に言葉とおもちゃの数字にこだわる以外は癇癪もなく、おだやかでニコニコしていて周りからみたら愛想のいい子にしか見えなかったからです。
ですが3歳になると状況は変わってきます。
3歳で発語していなかったからです。
また、夜泣きもひどくなりました。
これは4歳近くまで続いたと思いますが、
夜中に突然大きな声で人が変わったように泣き出し、何をしても泣き止まず意識もはっきりしていないのです。
この状態が何10分も続き、やっと寝たと思うとまたいきなり泣き叫びだすのです。
今思えば夜驚症の一種だったのかもしれませんが、これが本当に大変で毎晩何度も泣き叫ぶというか、本当に叫んでいる状態でしたのであやしながらこちらも泣きそうになり、夜もおちおち眠れない状態が続きました。
かといってお昼寝も全くしてくれない子だったので私も体も心も限界な時がありました。
こんな日々が続き、次に考えたことは、
(そろそろ保育園がはじまる)ということでした。
保育園が始まる前にトイレが一人でできるようになって、お着替えも一人でできるようになって、靴下と靴も完ぺきにして・・・
など保育園に入るにあたっての練習を本格的にしていかなくてはと焦っていました。
それまで息子に違和感を感じながらも、娘の療育の方にばかり力を入れていたのは事実で息子はいずれよくなるだろう・・・いやよくなって、と半ば神頼みな所もありながら誤魔化してきていました。
そして早生まれだからみんなよりまだできないことがあっても大丈夫だろうと考えていました。現に娘も1年早く保育園に入園したわけですが、できないことも保育園に入ると周りをみながら学習してより成長が早くなったので、
それならば早く息子も入園させて周りの子といることで言葉が早く出るといいなと思っていました。
ここで言葉の問題がまた出てくるのですが、私はその時自分の実家から遠く離れた主人の実家の方で子育てをしてきましたので、よく息子の言葉が出ないことを責められていたものでした。義実家だけではなく、これは検診先の保健師さんにもよく言われていましたが、
「きちんとごっこ遊びはさせているの?」
「絵本は読んでいるの?」
「お友達との交流はさせているの?」
「きちんと歩かせているの?歩行は脳の発達にいいと聞いたけど。」
など、言葉が遅い事に関して私の育児方法がよくないのではないかと言わんばかりの言葉を毎回会うたびに言われました。
ましてや娘も療育に通っていたのでなおさらです。
もちろん全部していたに決まっています。
だって息子の言葉が出ないことに対して私が一番不安に感じていたのですから。
やれるだけのことは全てやっているに決まっています。
それでも「頻度が少ないんじゃないのか?もっといろんなところに連れて行って脳を刺激させた方がいいんじゃないのか?」等会うたびに言われました。
母親にとって我が子の発達の不安を自分の育児の怠慢のせいのように言われる事は本当につらいことですが、ソフトながらも検診で相談してもやはり言われます。
〇〇をなるべくするようにしていますか?できるだけこうしてください。
等と。
ただですら地元ではなく、主人も義理実家も育児に関して全く関与がなかったので本当に孤独につぶされそうになりながら、その時の私の精神は
「お願いだから保育園前にすこしでもいいからお話しできるようになって」
とひたすら息子に願うことしかできませんでした。
そうなってくると言葉がでてこない息子に対してイライラしだし、強い口調になってしまうことも多々ありました。
「ママだよ!ママって言ってごらん!」
「パンすきでしょ?パンだよ!パ・ン!」
など、そこには優しい声かけはなく、ひたすら息子に発語させようという自分の押し付けだけがありました。
それと同時に、
私の育て方が間違っていたのだろうか、もっと歩かせてあげればよかったのだろうか、もっとごっこ遊びを増やせばよかったのだろうか、それとも年子で産んだが為に上の子の育児にいっぱいいっぱいできちんと見てあげれない部分が多かったのだろうか・・
と段々自分を責めて落ち込んでは子供への口調が強くなるという悪循環が続きました。
精神的にも焦りと限界を感じていた私は、役所の相談支援課に電話をすることになるのです。
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精神状態も不安定な時、役所の子育て相談支援に電話をしました。
上の子の時にも相談をしていたので役所の方たちは親身になって現状を聞いてくださいました。
ちなみにこちらの役所の方たちには今後も何度も面談をしていただいてお世話になることになりますが、今思えば役所の方達にすべてさらけ出したことで療育に関して本当にありがたいほどスムーズに進んだと思っています。
相談後、まずは言葉の発育を促す為に保育園が運営している未満児専門の療育に顔を出すことになりました。
そこは娘と同じで発達グレーの子達が保育園前に療育を受けられる場所でした。
集団と個人がありましたが、まずは娘がお世話になっていた、とても言語療育においてスペシャリストのベテラン先生に見ていただくことにしました。
こちらの先生は言語だけでなく本当に全ての療育指導に優れていらっしゃいました。
あれだけ多動で言葉の癖もよくなかった娘を唯一見事に改善してくださった先生でした。
うちの息子も娘のように改善させてもらえるんだ・・
なんてこの時は呑気に考えていたのです。
初日は先生、息子、私でパズルや積み木をしました。
ついつい息子のやることを手助けしてしまう私に
「お母さんは手も出さず、助けず、話しかけず、じっと見ていてくださいね。」
と言われました。
もどかしいながらも最後まで見届けて、その日は終わりました。
娘の時と同じ流れです。
週一回でしたので次の週も、その次の週も同じように個人で通いました。
とくに毎回変わらずパズルをして、文字を見せて、絵本を読んで・・・。
なかなか机にしっかり座れないまでもパズルや積み木はしっかりこなして帰りました。
ですが何回目かの療育が終わった後、先生がいいました。
「おかあさん、息子さんね、今から紹介する療育施設で集団療育をうけさせてあげてほしいです。」
と言われました。
私はこの時先生の意図が全く分かっていませんでした。
今思えば先生はもうこの時すでに息子が自閉スペクトラム症であることを確信していたのだと思います。
それはきっと息子の喃語の調子だったり、特有の症状があったのかもしれませんが・・・先生にしかわからない所で見抜いていたのかもしれません。
私はこのときはまだ娘と同じで、息子は発達グレーの段階としか思っていませんでしたので何の疑いもなく娘の時には紹介されなかった集団療育施設に通うことを受け入れました。
集団の方がまわりを見てどんどん成長するかもしれないと期待を胸に初日訪問しました。
ですが訪問してわかったのは、あきらかに保育園が運営していた未満児専門療育よりも療育が必要な子達の施設だったのです。
息子は集団が初めてだったのですが、集団に慣れていないので、
先生のお話を静かに聞けない、話の途中で動き出す、順番が待てない、前の子のおもちゃをとろうとする
ということで初日から先生に体を拘束されて泣きわめいていました。
でも不思議とそこには安心感がありました。
今まで検診に行った際や保育園のプレ見学の際に待てなくて泣き叫ぶ息子を拘束して、
周りの目を気にして
(うちの子は発達障害じゃない、発達障害じゃない、お願いだから静かにして!)
と心の中で叫んではグレーなことですら認めたくなかった自分がいたのですが、
(もうここではみんなが一緒なんだ。みんながグレーな我が子の事で悩んでいて、ここで改善されたらいいなと思っている。我が子が暴れているのは変なことではない)
と。
ほかのお母さんと話しているうちに、「うちもよ、うちもひどいの。」といろいろな話を聞けて少し憂鬱さが晴れたりもしました。
グレーを認めることで自分の心も軽くなり、その後療育にも息子と一緒に意欲的に通えるようになりました。
集団療育での成果は本当にすごくて、ちょっとするとトイレは完璧になり、発語も少しではありますがでてくるようになり、順番も待てるようになり、集団の中でも1番おりこうさんと呼ばれるようになりました。
(このままどんどんよくなってもうすぐ始まる保育園に通い始めるようになったらもっとよくなるぞ)と希望しかなかったのですが、
保育園の入園前の面談でことごとく打ちのめされることになります。
保育園の入園前の説明であらかじめ、息子の言葉が遅い事(思っていることを上手に伝えられない)・集団療育に通っていること
を伝えていました。
その事を伝えると保育園側からの回答が
(自分の気持ちを伝えられないと本人が困るし、お友達とのコミュニケーションも難しいと思います。4月からはいろんなお子さんがきますので担任の先生もいっぱいいっぱいで息子さんをよく見てあげればいかもしれません。もう少し夏ごろまで入園をまってみましょうか)
と言われました。
正直なぜ?とその時は思いましたが、保育園にも迷惑をかけたくないので承諾しました。
3歳児でトイレも完了していて、言っていることも分かっているし、お友達に危害を加えるわけでもないのに保育園に通うことすら許されないの?
とその時は疑問だらけでした。
その時すでに寝ている子供たちを義家族に預けて夜中から夫の仕事を手伝っていた私は
夜中に仕事、帰ってきて娘を保育園に送り、夫と自分の朝、お昼の準備、家事。お昼から息子と2時間療育に通い娘を保育園に迎えに行き、帰ってきたら家事・育児、
と寝る暇も無く動いていました。
正直息子を保育園で預けてもらえたらどれだけ助かるかと思いながらも、この子の発達の為にも頑張ろうと、週3~4で集団療育に通いました。
やがて夏になり、息子も少しずつ単語がでてくるようになってからの保育園との面談。
答えは(まだ、こちらも手のかかる子たちが多くて息子さんをゆっくり見てあげれない。もう少し言葉が出るまで様子を見ましょう)
でした。
もう今年は通うのはだめかもしれない。と思いました。
なんでだろう、未だにオムツをつけながら、ボタンができないまま、お着替えできないまま、それこそあきらかに発達グレーの子が泣き叫んで暴れていて、脱走しても保育園に通っているのに・・。
私が自らこの子が療育に通っていることや、言葉が出ないから迷惑をかけると言ったことがいけなかったのかなと、毎日落ち込みました。
もちろん夫にも責められました。
余計なことを言うからだと。我が子をお前が障害児にしていると。
(私は今まで全部間違っていたのかな。)
また情緒不安定になりました。
そして役所の相談窓口にまた行ったのです。
今までのことを全て説明しに。
役所の人も真剣に話を聞いてくれ、一緒に保育園に掛け合ってくれました。
私が信頼していた娘と息子がお世話になったベテラン先生も一緒に掛け合っていってくれました。
(この子は周りの子を目で見て学ぶんですよ。それこそ早く集団にいれてあげないともっと発達が遅くなりますよ)
と。
説得のおかげもあり、息子はやっと保育園に入れました。
ですがその年ではなく年明けの1月から・・・。
4月に入園できないといわれみんなと一緒に入園式にでたかったねと落ち込み、それから9カ月目のことでした。
とても長く感じました。今思えばその9カ月本当にもったいなかったのと思っています。
療育に通ってはいましたが、やっぱり小さいうちの9カ月って大きいのです。
集団で接する機会をもっともうけてあげたかった。
どこでもいいから受け入れてくれる保育園を探せばよかったのにと思います。
たらればになってしまうわけですが。
でもあの時の私には仕事しながら家事育児しながら、療育に通いながら保育園にかけあうのが精一杯でした。
もやもやが残りながらも息子はやっと保育園に途中入園できることになったのです。
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もやもやした気持ちを抱えたまま1月から息子はやっと保育園に通えるようになりました。
通い始めてから(やっぱりうちの保育園では無理です)と、つっかえされないだろうかと常にひやひやしていました。
ですがそんな私の心配をよそに、保育園の先生方は視覚で覚える息子の為にいろいろな物を準備してくれていたのです。
視覚優位の息子ですので、写真付きのカードで1枚1枚朝保育園に行ってからの支度の仕方、帰りの用意の仕方、を作成してくれていました。
ほかにも足の固定台や、視覚での指示書など。
保育園に入るまではなぜなぜ?と不信感しかなかったのですが、入園するととても手厚く見てくださいました。
息子もとても楽しいようで、保育園に行くことを嫌がることは1度もありませんでした。
また先生を始め、お友達がとても親切で見に行くといつも囲まれている姿がありました。
(息子さんは本当にみんなの人気者ですよ!)といつも先生が教えてくださいました。
ただ給食の時間だけは初めの1カ月間は私も毎日一緒に付き添いました。
やはりこの頃も偏食がなおっていなかったので、給食を嫌がって食べないとお昼から活動中に倒れたら困るということで先生から私も付き添って様子をみてほしいということになりました。
周りのみんなが食べているのを見たら食べたくなるのではないかということで、みんなが食べている姿を見せましたが、初めの数週間はやはりご飯だけ、パンだけ、という感じでなかなか決まったものしか口にしませんでした。
ですが私の付き添いの1カ月が終わると急に食べだしたそうです・・・。
今まで常に私がベッタリ一緒にいたので甘え癖があったのだと思います。
はじめに、給食に1カ月付き添ってくださいと言われた時も心の中では、
(そんなことよりも早くこの子を私から少しでも多い時間話してあげて同じ年代の子達をみせてあげてほしい)
と思っていました。それは決して育児放棄ではなく、息子を見ていて適度に母親から離れないと自立心が育たないのではと常に考えていたからです。
療育でも保育園でも母親が必ずついていないと・・と結構言われるのですが、それはケースバイケースと思っています。
その療育が当てはまる子と当てはまらない子がいるからです。
息子から見ると、毎日お母さんと自分という内輪でいても何も得るものがなく、お友達を通じて新しい言葉やコミュニケーション、自分と同じ年代の子たちがしていることに刺激を受けるのです。
その考えは見事にあたり、入園してからの言葉の出方、行動力、偏食等いろいろな面で少しずつ改善されるようになってきました。
また、保育園に行きながら週に1回は療育教室に通っていたのですが、
息子があまりにも療育のメニューを完璧にこなすようになってきたので、次第に他の子達とのバランスがとれなくなってきました。
そうすると作業できない子の真似をするようになってきて、せっかくできるようになったことがまた次第にできなくなってきたのです。
それは私だけでなく療育教室の先生もうすうす感じてきていて、数カ月後には改善の為新しいクラスを作ってくれたのです。
そのクラスは、本当にグレーかどうかも曖昧な子達で構成されているクラスで療育卒業間近とよべるような子達がいるクラスでした。
この頃の私の心の中では
(やっぱり息子も療育のおかげで保育園を卒業する頃には普通の事同じになって、小学校までしっかり行けるようになるんだわ)
と呑気に考えていました。
と同時期くらいに、保育園の面談で今度は娘の話を担任の先生に言われます。
(娘さん、たまにくるくる回ってたりしますし、人の話を聞かず、おせっかいなところや、お友達とよくケンカするところなんかもあって、再度療育に行かれた方がいいかもしれません)
と。
さらに付け足すように(発達障害は姉弟間で2人とも症状が出るのはよくある話なので)
と言われました。
その時は本当に怒りを通り越してショックで、
(なぜ我が子をみんな発達障害にしたがるのか)
と保育園側に対しての不信感がまた出てきたのを覚えています。
ですが保育園に胸を張って通うためにも娘も集団療育に通わせる他ないと思い、その時は同じ保育園グループの中にある月2回の集団療育に行くことになりました。
あの時の私は、子供たちのことを少しでも発達障害と疑ってくる人たちを全て敵のように錯覚していて、すべての事をしぶしぶ受け入れていました。
次から次に来る子供たちに対しての課題に、心に余裕がなくなっていったのです。
1人ならまだしも2人なんて・・・と受け入れる余裕がありませんでした。
心の中では2人ともグレーの軽い方で、その内療育で気にしない程度になおるのだと言い聞かせていました。
それと同時に面談があるごとに憂鬱になる自分もいました。
そしてひたすら療育に通い続け、私生活でも接し方を自分なりに変えてみたり、子供たちの特性を考えながら日々の生活を過ごしていく中で娘の小学校の進学の話になりました。
療育の成果もあり、発達テストの問題もなく、娘は普通級で大丈夫ですよとお話がありました。
それと同時に無事に療育も卒業することになりました。
娘が小学校に通い始めてホッとするのもつかの間、年子になるので今度は息子の小学校の進学についての話になります。
この時、私は常に息子に感じている違和感がありました。
それは(話し方)です。
言葉で説明しづらいのですが、ロボットのように抑揚のない話し方をするのです。
顔はニコニコ、出てくる言葉は抑揚がないロボットのよう・・・。
そしてわからない質問、もしくは自分が言葉にできない質問の答えはかなりの頻度で無視します。
また、質問を繰り返して答えます。
「昨日何食べたの?」「キノウナニタベタノ?」
こんな感じです。
「からあげ食べたの?」「チガウ」
と、こんなピンポイントな質問には答えられます。
お友達と楽しそうに遊んでいるように見えましたが、なんとなく会話が成立しているように見えるだけで後々先生に聞くと、実はあまり深い部分でのお話はできていなかったようです。
そして年長になると療育も私は付き添わず一人で保育園からお迎えが来て行くようになるのですが、私がいなくてもしっかりメニューをこなしているようでしたので安心していました。今思えば療育の先生は気を使って細かいできない部分はあまり言わないでいてくれたのかもしれません。いつもほめてくれることの方が多かったのです。
小学校の準備をひかえたある日、いつもと違うテスト専門の療育の先生から一度お母様と面談をしたいと言われました。
なんだろうと不安ながらも先生はおっしゃいました。
「息子さん小学校に上がる前に〇〇病院の先生を紹介しますので、そこだったらここよりももっと細かで確実な作業療法が受けられますから、一度いろいろお話を聞いてみていただいた方がいいかもしれません。」
と。
一瞬思考が止まりました。
そして(どういう意味なんだろう?ここの療育で十分こなせているはずなのに、なぜ他の病院を紹介されるんだろう?娘の時みたくここを卒業して普通級に行くのではないのだろうか?)としばらく考えていました。
今思えばこちらの療育の先生も息子の症状に気づいていたのですが、私を傷つけないようにやんわり言ってくれていたのでしょう。
うまく発達専門の大きな病院に行くように私をながしてくれたのです。
そしてここにきて私は覚悟を決めたのです。
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抑揚のない話し方、偏食の感じ、いくら症状はよくなっているようでも娘とはどこか違うように感じる・・・。
きっと息子は・・・。
・・・この数年私は役所や保育園、病院、療育施設、夫、娘、息子、公共の場所、様々な場所で発達障害というものに向き合い、時には強く落ち込み、時には発達障害を指摘する方たちに敵意をむき出しにして怒りすら抱き、でも子供たちの成長には涙する・・・と、怒涛の日々でした。
そしてこの事実は独身時代の私だったら到底考えられない、受け入れられない現在だったのかもしれません。
でも、もう違います。
その時にはもう冷静に受け止められている自分がいました。
そして何を言われてももういいんだという覚悟がありました。
療育の先生に進められた病院に紹介してもらい初めての診察となりました。
発達検査等申し込んだことがある方ならご存知かもしれませんが、発達の相談から診療から検査から、発達障害完関係のものは全て何に関しても予約を取るのに数カ月かかります。
(これに関しては本当になぜこんなに月日がかかってしまうのか未だにモヤモヤするところなのですが。)
この時も私は予約してからの数カ月の間でいろいろ考え、覚悟を決めて当日を迎えています。
当日はもちろん息子も一緒につれての診察となります。
看護師さんに呼ばれ中に入ると、奥にキッズコーナーのある広い診察室がありました。
机に息子のカルテを広げ優しそうな先生が座っていらっしゃいました。
「こんにちは。」そう言われても息子は先生をかわし、一目散に奥にあるおもちゃのコーナーへ。
私は先生の前に座りました。
先生は私に挨拶をした後、「ちょっとお待ちくださいね。息子さんの様子を見てきますから。」
と息子のいるキッズコーナーに行きました。
ほんの数分やり取りした後こちらに戻ってきてお話を始めました。
「みなさん世の中は発達障害だったり自閉症とか自閉スペクトラム症といいますが、自閉スペクトラムというのは曖昧なものであって、その程度はみんな違います。誰しもが持っているものでもあり、それが強く出ているか弱く出ているのか・・虹の色のような境界線のないものでもあります・・それが私生活に影響が出なければいいですが、出てしまうと本人も困るので療育が必要になる。」
と自閉症スペクトラム症というものの定義についての説明をしました。
そして説明が一通り終わった後、先生は診断書に書きました。
(自閉スペクトラム症:コミュニケーション障害)
あぁ・・・やっぱりな。
これからいろいろ私が生きている限りできるサポートや自立支援をしなくてはと決意がかたまったのでした。
息子はASD、いわゆるコミュニケーション障害というものでした。
この時点ではまだテストの結果でも知的障害は見られないとのことでしたが、今後どうなるかはわからないとのことでした。
ASDには作業療法がいいので月1回こちらの作業療法に来てくださいと、予約を取ってくださいました。
週1回は今までの療育教室、月に1回は私と一緒に病院の作業療法に行くことになりました。
診断後の私はどこか吹っ切れて、ホッとしていたのでした。
そして今まで耳鼻咽喉科や小児科、写真館で記念写真を撮るときのフラッシュ、美容室なども(親の教育の仕方が悪いのではないか)等思われているようで肩身がせまかったのですが、
あらかじめ「この子自閉スペクトラム症なのでとても嫌がったりするかもしれません。」
と伝えておくと、逆に気を使ってくださるので私の心の荷がとても軽くなったのです。
皆さんどこに行っても息子が怖くないように配慮してくださり、
お母さんも頑張ってくださいねとエールを送ってくださいました。
「なんて世の中の人達はあったかいのだろう。」
と、私が感動させられる事が多かったのです。
保育園にも診断が下りたことを伝えると、今まで以上に息子の配慮をしてくださり、息子が嫌がることはせず、無理をさせないようにしてくれました。(集合写真のフラッシュも息子が怖くないようにあらかじめ声掛けや、フラッシュをたかない努力をしてくださったり、劇でもセリフを少なく、息子がやりたい役柄を優先してくださったり)
当時は息子と娘の発達について指摘してくれた保育園に嫌悪感すら抱いていて、敵意むきだしでいたけれど、今は本当にありがたかったのだなと改めて感じることができたのです。
なぜなら娘もそうですが、早い内に療育に行っていなかったら改善できないまま本人達が大きく育っていき、後々絶対に本人達も苦労することがわかったからです。
「うちの子は違う、うちの子は違う」誰しも指摘されたら初めはそうなると思います。
もちろん本当に違う子だっています。
でも療育に行くことで困りごとが解決できて卒業出来たら、本人も学校に行っても先生に注意されないから嫌な思いをしなくてすむし、生きやすくなる。
我が子のプラスなところ、マイナスなところと向き合ういい機会だと思いました。
こうして我が子の発達障害を受け入れたらいろいろと気持ちが楽になり、より小学校にむけての準備に気持ちが前向きになりました。
私ではなく、まず息子本人がどのように学校生活を送っていくのが一番大事なのか。
そこを考えて特別支援学級、普通級、通級などの選択肢を教育委員会の方たちとも相談しました。
小学校からの選択肢や相談については各地域・市町村によって全く違うと思いますが、この時私達が住んでいた地域は本当に発達障害について理解が進んでおり、たくさんの助言をいただき本人にとってもいい選択肢ができたと思います。
息子は普通級で様子をみながら週1で1時間程度通級に行って療育をする。
通級も学校内にあるのでそんなに異質なことでもありませんでした。
もし、はじめから支援学級を選んでしまった場合、コミュニケーション障害がある場合そこから普通級に戻るのが難しいケースもあるので、1,2年生は大体みんなまだ小さくて似たり寄ったりだから普通級にしましょうとなりました。
ちょうどその時、週1で通っていた療育教室も保育園と一緒に卒業予定となっていたので本当にいい流れだと思いました。
保育園のみんなもそのまま小学校に上がるのでみんな息子を知っているお友達ばかりで心強かったですし、登校班は学校も遠く危険なので1年間は付き添わなくてはいけないなと思いながらも近所には知っているお友達がいっぱいいたので全て安心していました。
ですが全てが順調に進み、残り3カ月で卒園の時に別居の話がでることになってしまいました。
最後まで息子のことを考え学校も土地も変えない方がいいのではないかと考えていましたが、なかなか現実問題綺麗にまとまるわけもなく、私と息子と娘は、住んでいた土地から遠く離れた私の実家に行くことになりました。
せめて卒園式だけでも出させてあげたいと思い、ギリギリ卒園式に出てからすぐ引っ越し、すぐさま私の母校に入学する手続きをとったのでした。
新しい学校で先生方にまた一から息子の障害について話し、役場では療育についての相談に行き、紹介状を書いてもらった専門の病院に電話をするなど急いで動き出しました。
でも現実は甘くなく、紹介状を書いてもらった病院では「症状が軽すぎる為うちではみれません、知的も症状も重度でないと」と断られてしまい、その他の病院も「小学生からの新規のお子様は受け付けていません」「来年まで予約で埋まっています」、役場でも「この地区の学校では通級はやっていませんね、お金を払って放課後等デイに行ってもらうしか・・・」と言われ、
ほぼシングル状態となった中で、仕事を探しながら、住まいを探しながら(実家が狭いため)、施設を探しながら、2人の小学校の準備をしながら・・・と引っ越し早々途方にくれたのでした。
ベビーシッター派遣のハニークローバーは、各種チケットもご利用いただくことができます。
小学生から新しい土地での療育の環境を作っていくというのは本当に大変です。
ましてや発達軽度の子が。
小さい時からその街で相談・療育を始めると、すでに流れができているので各施設で聞いて、役所で話して・・等の手続きがしやすのかもしれません。
ここまで療育施設を考えたり予約をすることにてこずると思っていなかったので引っ越し早々落ち込みました。
何よりも紹介状を書いてもらった病院で受付拒否をされるということは新しい病院を探さなくてはいけないのですが検査等も終えないと重度ではない場合診察予約がとりづらいのです。流れができていれば施設からの後押しもあり、病院での検査もしやすかったのに。
何よりまず子供の発達検査やら手続きやら平日の限られた曜日・時間しかあいてないことが多く、それこそ職探しをしている私にとってはどんどん後回しになっていくのでした。
生活基盤を整えないと共倒れになってしまうのでどうしても仕事優先で動かなければなりません。
また以前の土地では検査は学校や施設がしてくれたので金額もかからなかったのですが、こちらでは必ず数万円の金額提示があり、お金を払っての都度検査・カウンセリングをしなくてはいけません。
また療育に通わせることになった場合にも毎月お金がかかってくるのです。
福祉受給者証の取得にも新たな土地で一から予約してカウンセリング手続等をしていかなければならず、これも期間がすごくかかります。
本当に発達障害の子を抱えるシングルはどうしたらいいのだろうか・・・と途方に暮れた時期でもありました。仕事なんて探せないじゃないかと。
ましてやまだ検査の進んでいない軽度と言われる段階で手当ても何もありません。
もうまずは生活が落ち着いてから療育の事は考えようと動き出すのをやめました。
一旦自分のモヤモヤした気持ちから離れたかったのもあります。
ですがそんな私の心配をよそに、息子は新しい学校でお友達に優しくしてもらい、学童にいっても「みんなからの人気者ですよ!」と言ってもらえるくらいなじんでくれました。学校に行くのも毎日楽しそうで、嫌な素振りは全く見せませんでした。
その反面、習い事では先生に
「お母さん、申し訳ないのですがうちでは息子さんはみれません。みんなの邪魔になってしまうので。」
と断られることもありました。私の生活状況を知っていて特別にとても安く習わせてくださっている所だったので、先生になんとか続けさせてほしいとお願いし、特別に個別授業に変更してもらったりもしました。
(学校では甘く見てもらえても外ではこれが現実なんだな)と落ち込みました。
学校では(来てください、来てね)と先生が声掛けをしてくれますが、
外では(こなくていい、来ないでください)になってしまうわけです。
学校でうまくやれているから大丈夫、と思っていましたが、それはきちんと守られている空間だったから成り立っていただけのことだったのです。
そして息子の問題とは別にまた新たに娘の問題が浮上することになるのです。
休みや時間帯の条件などで探すとなかなか職探しに難航してしまい、
とりあえず何でもいいから働こうと紹介してもらった派遣先が少し遠かったのです。
朝は子供たちを起こしてパジャマのまま着替えとご飯を持たせ実家の両親に預けて、そこから学校に行ってもらう。帰りは残業があるのでほぼ夜に帰ってきて実家に迎えに行き、そこからアパートに帰り家事をしてほとんど一緒にいる時間がないまま寝る時間、という暮らしを続けていました。
そんな暮らしが2カ月くらい続いた時、親からギブアップの連絡がちょくちょくくるようになりました。
「〇〇ちゃん、毎朝学校に行きたくないというの、死にたいって。みんなにいじめられるって。学童も絶対行きたくないお腹痛いって。私達では説得できない」
と。
そこから数日は登校を拒否したので学童だけ休ませてみたり、
お腹が痛いというので学校を1日休ませて病院に行くような日々が続きました。
娘は昔から大袈裟にいうことがあったのでその時はまだ祖父母に対しての甘えもあるのだろうと深刻には考えていませんでしたが、
それでもさすがにこの状態が続くようだとうちの親にも迷惑をかけるし、うちの親が先に限界に来てしまうかもしれない。
さらに本当に娘も深刻になってしまうかもしれないと焦りました。
派遣なので更新期間が決まっているため「〇月まではまってもらえる?更新はしないから」
と親を説得しました。
また娘にも休みの日にじっくり話を聞き、二人でデートがてら食事に行ったり、心のケアをするよう心掛けました。
それでも平日朝になると不安定に元に戻ってしまうので1日仕事の休みを取り、学校のカウンセリングの先生と面談、担任の先生とも面談をする時間をとっていただきました。
そして派遣の仕事も無事に契約が終わり、朝は子供達をしっかり学校まで見届けられるようになると娘の問題行動もだいぶ良くなってきました。お友達の件もとくに娘だけがいじめられていたわけではなく、みんなに憎まれ口をたたく子がいたようで・・・。仲の良いお友達もたくさんいて学校を楽しんで行けていることがわかりほっとしました。
ですがそれ以外で指から血が出るほど爪を噛んでしまったり(苦いマニキュアを塗っても効果なし)、咳払いのチックがあったり、自然にでてしまう行動が気になるので息子と共にいよいよ検査に行くことにしました。
学校のカウンセリングの先生にも相談をし、検査をしてくれる施設をいくつかあげてもらい、土曜日も検査をしてくれる場所を選びました。
検査費用は姉弟あわせて約3万円。
そして検査結果によって療育が必要になったらまた毎月お金がかかることになるかもしれない。
求職中、シングルの身で痛い出費だけど、やるしかない。
やらない方が後悔するし、私一人だからこそ子供たちにできる限りの十分のサポートしてあげなくてはと言い聞かせました。
予約からカウンセリングから検査から検査後のカウンセリングから3カ月はかかります。
2人一緒に検査ができず、別々の日の検査になりますのでそのくらいの期間になります。
仕事はなくなってしまったけれど、子供たちの気持ちが安定して、療育の検査等もやっと進みだして内心は落ち着いています。
でもまた仕事が決まって働き出したら不安定にならないだろうか・・・
検査結果が結構厳しいものだったら次はどのように進んでいこうか・・お金はいくらかかるのだろうか。
不安はたくさんありますが、やっていくしかないのです。
やらない以外に選択肢がない。
独身の時の私は、パートしながら子供たちの習い事の送り迎えして、部活動の応援に行って・・
なんて甘い家庭生活を描いていたものですが今は全く真逆の人生になりました。
子供たちの調子のいい日はとても嬉しくて穏やかで幸せなのに、子供たちの問題行動が起きたりすると途端に落ち込んでみたりして。
小学生の子供2人連れてスーパーに行くのも、未だ周りの人に謝りながら買い物をします。
周りが見えないのでたくさんの人にぶつかるからです。
それはスーパーではなく外出先はほとんどです。
すっかりどこに行っても謝る癖がついてしまいました。
でも、それでも小さかったあの時に比べたら、現在は大分良くなったのす。
そして本当に自慢できるくらい2人とも心優しい子に育ってくれているのを感じるのです。
沢山泣きながら向かいあったのは無駄じゃなかったんだなと。
小さいながらもわかってくれていたんだなと。
まだまだ先の見えない現在ですが、子供たちと3人なら乗り越えて行けると信じています。
そして私の人生の目標は私がいなくなっても穏やかに生きていける子供たちの自立です。
つらいことも沢山ありますが、もし子供達がいなかったら私の人生はナシに等しいものなので、今は本当に子供達ありきの人生を進めていけていることが幸せなのです。
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